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8月20日(木) 望ましいのは共産党や社民党の躍進をともなった政権交代 [解散・総選挙]

 「よほどのことがない限り、政権交代は実現する可能性がある。たまには野党になるのも悪くない」
 昨日、さいたま市で自民党候補を応援した小泉元首相は、こう語ったそうです。これで、応援演説になるのでしょうか。

 とはいえ、選挙は小泉さんが語るとおりの情勢になっているようです。今日の『朝日新聞』には、一面に大きく「民主300議席うかがう勢い 総選挙序盤情勢 自民苦戦、半減か」という見出しが出ていたからです。
 この記事には、次のように書かれていました。

 30日投開票の総選挙について、朝日新聞社は18、19の両日、全300小選挙区から統計的に選んだ150小選挙区の有権者を対象に電話調査を実施し、全国の取材網の情報も加えて選挙戦序盤の情勢を探った。その結果、(1)民主は単独で過半数(241)を大きく超え、300議席台をうかがう勢い(2)自民は選挙前議席(300)の半数に届かず、それよりさらに大きく後退する可能性(3)比例区では、公明、共産はほぼ前回並み、社民はやや苦戦――などの情勢がわかった。

 調査時点で投票態度を明らかにしていない人が小選挙区で4割、比例区で3割弱いる。また、「選挙の情勢によっては投票先を変えることがある」という人も25%おり、終盤にかけて情勢が大きく変わる可能性もある。本社は選挙戦中盤に、全300小選挙区の情勢を探る調査を実施する。

 民主党は300議席を超え、自民党は150議席以下に落ち込む可能性があるというわけです。まだ投票態度を明らかにしていない人も3~4割いるそうですから、予断を許しません。
 しかし、投票態度を明らかにしていない人も、全てが自民党に入れるなどということは考えられません。どちらかといえば、民主党の方に投票する人の方が多いでしょう。
 ということは、現在の傾向がそのまま続くか、さらに民主党に有利になるか、いずれかだと思われます。「選挙の情勢によっては投票先を変えることがある」という人も4分の1いるということですが、このような起死回生の一発逆転を生み出す秘策などあるのでしょうか。

 やはり、政権交代の可能性はかなり大きいというべきでしょう。日本政治の大転換に向けて、大きなうねりが生じつつあります。
 この可能性を現実性に転化しなければなりません。野党各党は、最後まで気を抜かずに健闘してもらいたいものです。
 このままの情勢が維持され自公政権が倒れれば、1924年の総選挙以来、85年ぶりの本格的な政権交代ということになります。政権交代は、戦後の1947年と1993年にもありましたが、いずれも政界の再編や総選挙後の合従連衡によるものだったからです。

 それでは、このような本格的な政権交代の意義はどこにあるのでしょうか。

 それは第1に、政権交代のある民主主義を実現し、普通の先進国としての資格を手に入れることになります。日本は、民主主義という点では先進国とは言い難い、異常な状態を続けてきました。
 ほんの一時期を除いて半世紀以上も自民党が政権党であり続けてきた、これまでの日本が異常なのです。自公政権が倒れれば、政権交代は普通のことになり、日本も民主主義が作動する普通の先進国になることができます。
 この点では、日本は韓国によって追い越されてしまいました。先ほど亡くなられた金大中さんが大統領に当選することによって保守から革新へと政権が交代し、さらに、現在の李明博大統領の誕生によって革新から保守へと政権が交代しています。

 第2に、これまでの自民党政権、とりわけ過去10年の自公政権に対する明確な審判を下すことになります。現在の自民党が陥っている苦境の背景には、無能な麻生首相に対する不信任はもちろんありますが、それにとどまらない積年の不満が存在しています。
 半世紀以上にわたる自民党による政治支配の破綻、1980年代以来の新自由主義政策の失敗、小泉首相以来の構造改革への不満、安倍・福田と続いた無責任な政権投げ出しに対する批判など――これらが累積した結果としての自民党と麻生首相に対する忌避なのです。
 したがって、それは一時的で部分的なものではありません。以前にも書いたように、審判の対象とされているのは個々の政策の善し悪しではなく、自民党による統治そのものなのです。

 それに、過去10年の自公政権の実績という点だけをとってみても問題山積です。自公が連立を組んだ過去10年間で、国の借金(赤字国債)は300兆円も増え、今年6月現在で過去最大の860兆円になりました。
 また、自民党がマニフェストで、今後10年間で世帯の可処分所得を100万円増やすという政策を出したことにも笑ってしまいました。任期が4年間しかない衆院議員の選挙公約に10年後の目標を示すのも「何を考えているのか」と言いたくなりますが、この10年間で100万円という額が、過去10年間に世帯所得が減少した額とほぼ同じ(1世帯平均所得は98年に655万円だったのが07年には556万円)だというのも「お笑いぐさ」と言うしかありません。
 自民党は、過去10年間で減らした所得を、これからの10年間で元に戻すと言っているにすぎないのです。これを「お笑いぐさ」と言わずして、なんと言ったらよいのでしょうか。

 第3に、これからの日本をどうするのか、という将来への展望を開くことです。私の主張からすれば、それは「特上の国」に向けての第1歩にほかなりません。
 このような「あるべき国」の姿としての「特上の国」について、私は拙著『活憲-「特上の国」づくりをめざして』(山吹書店&績文堂、2005年)の中で、次のように述べたことがあります。

 「特上の国」? 耳慣れない言葉かもしれません。この本の造語です。二つの意味を込めて、この言葉を使っています。
 一つは、この日本に生きる私たちにとって「特上の国」となることです。ここで生まれて育ったことを幸せだと実感できるような国にしたいということです。働きすぎて死ぬこともなく、将来を悲観して自ら命を絶つこともないような国、長寿を喜び、若者が希望を持ち、子どもたちの歓声に満ちあふれるような国、豊かな自然、気候や風土を生かした美しい国にしたいものです。平和で民主的な国にすることは、その前提です。そのためには、今、何が問題なのかを、明らかにしなければなりません。診断が正確になされなければ、適切に治療することができないからです。そして、どのような方向に転換するべきかを、考えてみたいと思います。
 もう一つは、国際社会にとっても「特上の国」となることです。日本という国の存在が、周辺諸国はもとより、世界の人々にとって大きな利益と恩恵をもたらすような国にしたいということです。戦前のような国になって再び周辺諸国に迷惑をかけるのではないかと疑われることのない国、宗教や人種による分け隔てなく、必要なときにはいつでも援助の手をさしのべる友人のような国、貧困や病気、無知などの「構造的暴力」の根絶のために日頃から努力を惜しまない国、災害など緊急時にはいつでも真っ先に駆けつける「国際赤十字」のような国、核廃絶と軍縮・軍備管理のために世界の先頭に立つ平和な国、世界の人々によって親しみをもって語られるような頼もしい国にしたいものです。世界平和の構築と維持のために国際社会に貢献することは、日本の安全を保障することになるでしょう。そのために、日本はどのような役割を果たすべきなのか、果たすことができるのかを、考えてみたいと思います(11~12頁)。

 このような国が、私の言う「特上の国」です。それは、自公政権の下では“夢”にすぎませんでした。
 しかし、政権が交代すれば、もう夢ではなくなるかもしれません。実現に向けての可能性が生まれるかもしれないのです。
 ただし、そのためには条件があります。民主党1人勝ちによる政権交代ではいけないということです。

 選挙では比例代表制を活用して、多様な意見の反映を図らなければなりません。民主党以外の共産党や社民党が発言力を高める必要性は、比例区定数80議席削減、将来的な消費税導入や改憲の可能性など、民主党のマニフェストの問題点によって示されています。
 自公政治に対する大いなる不満は、これらの政党を政権から追い出すことによって解消することができます。同時に、民主党政権に対する不安は、共産党や社民党など他の野党による批判と牽制によって解決することができるでしょう。
 これらの政党の増大をともなった政権交代こそ、望ましいものであると思います。共産党や社民党も躍進し、民主党に対して充分な牽制力を発揮できるような形での政権交代が実現するよう願っています。

 なお、昨日付の『毎日新聞』夕刊の文化欄に、私のインタビュー記事「政界の底流にあり続ける『革新』」が掲載されています。ご笑覧いただければ幸いです。
 また、来週金曜日発売の『週刊金曜日』にも、私の論攷が掲載される予定です。こちらの方も、ご一読下さい。

 明日、21日から3日間、法事で新潟に帰省します。父親の23回忌、母親の13回忌になるからです。
 この間、ブログはお休みします。ご了承下さい。