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10月12日(月) 広島・長崎でのオリンピック招致構想には賛成できない [文化・スポーツ]

 広島市と長崎市でオリンピックを開こうというわけです。石原の野望の害悪が、こんな形で飛び火するなんて、思ってもみませんでした。

 昨日、広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長は広島市役所で記者会見し、2020年の夏季五輪招致を検討する「オリンピック招致検討委員会」を共同で設置すると発表しました。検討委員会は当面、両市長を中心に両市関係者で構成し、被爆地である両市への共同五輪招致が可能かどうかを検討して来春をめどに結論を出すそうです。
 まだ、やるかどうか分かっていないということでしょうか。「結論を出す」のは、「来春をめど」ということですから……。
 十分、検討してもらいたいものです。この構想には、税金の無駄使いにとどまらない問題が孕まれているように思われますから……。

 広島と長崎の両市長がオリンピックを招致しようと考えたのは、核廃絶と平和の実現に向けての気運を高めようとしているからです。その意図は理解できます。
 オリンピックの招致活動を通じて、広島と長崎の知名度は上がり、両市での被爆の実相は今以上に広く世界の人々に知られることになるでしょうから……。
 記者会見で秋葉広島市長が語った「世界の恒久平和のシンボル」としての意味や田上長崎市長が指摘する「核廃絶運動との相乗効果」も、一概には否定できません。ですから、世界平和と核廃絶をめざす運動にとってプラスになると歓迎する声も大きいようです。

 しかし、私としては、この構想に賛成できません。その意図は了解し、運動へのプラス効果がある可能性を認めても、なお、この構想には大きな問題があるように思われるからです。

 その第1は、世界平和や核廃絶を目指す運動とスポーツの祭典であるオリンピックとは、本来、別物ではないかと思うからです。無理に結びつけようとすれば、大きなきしみが生ずるかもしれません。
 たとえ、オリンピック招致に成功しなくても、名乗りを上げるだけでも運動の拡大にプラスだという意見があるかもしれません。しかし、それは、ある意味で、オリンピックの政治利用(反核・平和運動への利用)ということになり、本気でオリンピックの開催を願い、そこでの活躍を期して精力を傾けようとしているアスリートたちを侮辱することにならないでしょうか。
 他方で、被爆地であることはオリンピックの招致に有利な条件だという考えもあるかもしれません。しかし、被爆地であることをオリンピック招致のために利用しようという発想は、被爆地の人々や原爆の犠牲者を冒涜することになりかねないのではないでしょうか。

 第2に、今では商業化し巨大化したオリンピックに、どこまで核廃絶の運動の契機になることや平和のシンボルとなることが期待できるでしょうか。「沖縄の基地問題解決のために」ということで開催地に選ばれた沖縄サミットが基地問題の解決に何の役にも立たなかったように、オリンピックの招致が決まってしまえば反核・平和の理念や哲学は忘れ去られてしまうにちがいありません。
 「核廃絶運動との相乗効果」どころか、オリンピック開催のための準備活動に資金も人手も取られてしまう可能性の方が高いように思われます。オリンピックの成功が優先され、核廃絶運動が後回しになってしまうかもしれません。
 スポーツの祭典としてのお祭り騒ぎが盛り上がれば盛り上がるほど、核廃絶という本来の目的が薄らいでしまうのではないでしょうか。そうなっては、何のためのオリンピックか、ということになります。

 第3に、広島と長崎での開催には、あまりにも解決されなければならない課題が多すぎます。この両市長は、どこまで本気で開催を考えているのでしょうか。
 オリンピックは一つの都市での開催が基本です。2都市での分割開催が認められるのでしょうか。
 その場合、選手村や2都市間の移動、競技施設の整備、宿泊のためのホテルなどは大丈夫なのでしょうか。実際に開くとなると、施設や財政、要員の確保など、地方都市であるが故に解決しなければならない課題が山積しています。

 そして第4に、決定的なのは、オリンピック開催の可能性はほとんどなく、招致活動費が無駄になるだろうと思われることです。ここには、最初から無理だと分かっていたのに石原知事の陰謀のダシに使われてしまった東京の招致活動と同様の問題があります。
 今回の東京の落選が初めから予想できたことは、すでに3年前のブログで私が書いたとおりです。「南米初の開催」という、オリンピックの理念に添った選択には勝てません。
 同様に、もし、2020年の開催地としてアフリカ諸国の中から一都市でも立候補すれば、「アフリカ初の開催」という理念に負けるでしょう。ロシアのモスクワが立候補するという噂もありますが、そうなれば、以前のオリンピック開催が「片肺」に終わっているモスクワにも負ける可能性があります。

 こう見てくると、広島・長崎での開催は、名乗りを上げても当選可能性は限りなく低く、もし決まったら、開催の困難性はかつてなく高いものになるだろうと思われます。
 それが核廃絶や平和の実現に資する可能性も、それほど大きくはないと言わざるを得ません。是非、来年の春まで、オリンピックの招致に立候補するかどうか、慎重かつ真剣に検討していただきたいものです。
 これまで、オリンピックの招致については、名古屋、大阪、東京と失敗が続いてきました。アジアでは、オリンピックは、日本、韓国、中国でしか開かれていず、日本は東京(夏)、札幌(冬)、長野(冬)と3回も開かれています。
 それなのに、4回目を目指しているというわけです。日本の前には、私たちが考えている以上に大きなハードルが横たわっていると言うべきでしょう。

 もう、3回連続で、招致活動のための費用を無駄にしてしまいました。それなのに、さらにお金を無駄にしようというのでしょうか。
 そのようなお金があるなら、その全額を直接、核廃絶・平和実現のための活動に注ぎ込むべきです。見果てることのない「オリンピックの夢」からは、そろそろ醒めても良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。