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10月30日(金) 展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングへのあいさつ [挨拶]

 明日から、金城学院大学で社会政策学会が始まります。本来であれば、今日から名古屋に向かっているはずなのですが、まだ東京におります。
 というのは、明日の午後、生協労連・第2回生協政策研究集会での講演を頼まれてしまったからです。学会へは、それが終わってから行くつもりですので、懇親会に間に合うかどうかというところでしょう。

 今日、東京にいたために、京都から上京する法律文化社の編集者と、研究所で打ち合わせをすることになりました。政権交代を踏まえて、新しい日本政治の入門書を書き、来年、法律文化社から出版することになっているからです。
 ところが、今日からは展示会「水俣病と向き合った労働者たち」も始まります。急遽、このオープニング・セレモニーに顔を出して欲しいという要請を受けました。
 共催団体を代表してあいさつして欲しいというわけです。記者会見も予定されているといいます。

 ということで、今日は、朝から法政大学市ヶ谷キャンパスのボアソナード・タワー14階「博物館展示室」での展示会のオープニングであいさつし、その後の記者会見に同席して若干の発言を行い、多摩キャンパスの研究所に向かいました。そこで、ファクスで送られてきていた『国公労調査時報』12月号の校正ゲラに赤を入れ、新しい拙著についての打ち合わせを行い、明日の講演の準備をし、来週の11月6日(金)に予定されている「働き方ネット大阪第9回つどい」の講演レジュメを送付しました。
 これで、明日から東京を離れることができます。ついでに、中央線の旅をしてくるつもりですので、多少はゆっくりできるかもしれません。

 ところで、展示会「水俣病と向き合った労働者たち」には、新日本窒素労働組合の原資料が80点ほど展示されています。なかには、レッドパージで解雇された人の名簿、第2組合による切り崩しに関する資料、闘争中に警察が行っていた無線傍受の記録など、珍しいものも含まれているということです。
 記者会見には、共同通信、熊本日日新聞、西日本新聞、週刊金曜日などの記者が顔を見せていました。そのうち、関連する記事が出るものと期待しています。
 東京での展示会は、今日から11月8日(日)までです。多くの方に足を運んでいただきますよう願っています。

 なお、この展示会のオープニング・セレモニーで、私は次のようなあいさつを行いました。参考までに、以下に掲載させていただきます。

展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たってのあいさつ

 展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たり、共催団体としての法政大学大原社会問題研究所を代表して、ひと言ごあいさつ申し上げます。
 水俣病と言えば、工場排水による悲惨かつ大量の人的被害をもたらした恐るべき公害として、今日では世界中に知られております。この加害企業であるチッソの労働組合としては、会社寄りの第2組合で連合傘下の化学総連に加盟しているチッソ労働組合が良く知られております。しかし、もう一つの労働組合があったこと、公害企業の労働組合でありながら、チッソの社会的責任を内部から追及し、水俣病の被害者を支えた労働組合が存在したことは、残念ながら、十分に知られているわけではありません。
 今回の展示会は、この「もう一つの労働組合」である新日本窒素労働組合に光を当て、公害発生企業で働いた労働者としての贖罪のために異例の「恥宣言」まで行った労働組合の存在を明らかにするうえで、大きな意義を持っています。同時に、会社側の言いなりにならず、水俣病の患者の側に身を寄せた人々の存在を明らかにすることによって、チッソで働いた労働者の名誉を回復するという点でも、大きな意義があると言ってよいのではないでしょうか。
 現在、『沈まぬ太陽』という映画が公開され、大きな話題を呼んでおります。この主人公である恩地元のモデルは、日本航空の第1組合の委員長であった小倉寛太郎氏であると言われております。主人公が9年7ヵ月もの長期にわたって海外の辺地をたらい回しにされたのは実話であります。
 この小倉氏と同様に、会社の誘いを拒み、切り崩しに抗い、働く者の誇りと矜持を持ち、人間としての最後の一線を守り続けた人々こそ、新日本窒素労働組合を担った労働者たちでありました。ここに展示されている資料の数々は、もう一つの「沈まぬ太陽」の存在を示す“歴史の証言者たち”にほかなりません。
 これらの生の資料を直接眼にすることによって、今日の厳しい経済・雇用情勢の下にあえぐ多くの労働者が、励まされ、勇気づけられることを願いまして、展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに際してのあいさつに代えさせていただきます。