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11月28日(土) 新連立政権の樹立と労働組合運動の課題 [論攷]

〔下記の論攷は、銀行労働研究会が発行する『金融労働調査時報』No.701(2009年11・12月号)の巻頭「視点」に掲載されたものです〕

 総選挙で政権が交代した。10項目にわたる政策合意を確認して連立政権が発足したのである。これは、日本の政治と労働組合運動にとって画期的なことであった。

 第1に、このような形での明確な政権交代は、戦後政治史上、初めてのことになる。1947年と93年の2回、政権交代が実現している。しかし、それは政界再編や政党連合の結果であった。マニフェストという形で政策を明示し、選挙が終わる前から首相候補が明らかだったのは初めてである。
 第2に、労働組合に支持された政党による政権の樹立ということでも、憲政史上、初めてのことになる。7党1会派の連立であった細川連立政権にも、与党として労働組合に基礎を置く社会党が加わっていた。しかし、社会党が連立政権内で圧倒的な比重を占めているというわけではなかった。

 労働組合運動との関わりで言えば、鳩山政権こそ、日本における初めてのプロ・レイバー(労働組合寄り)政権である。このような政権の樹立はヨーロッパでは珍しいものではない。明確な政権交代が実現したことと併せて、日本もようやく先進民主主義国並みの政治レベルに達したということができる。
 ただし、この「労働組合寄り」という場合の「労働組合」は主として労使協調組合を抱える連合であり、全労連や全労協とは一線を画している。ここに、鳩山新政権の制約と限界もある。そのような制約や限界を突破し、労働者全体の要求を実現するために、連合や傘下の単産、民主党などに対する働きかけが重要になろう。
 とりわけ、焦眉の急となっている労働者派遣法の改正問題、国際公約となった温室効果ガス90年度比25%削減目標の実現、安保・外交問題での対米交渉などの点で、連合や民主党の動揺、後退を防がなければならない。政策制度要求の実現を求める世論形成において、労働組合運動はこれまで以上に大きな役割を果たす必要がある。

 その場合、新政権でどうなるのか、と問うてはならない。問うべきは、新政権でどうするのか、ということであろう。明日の政治は、明日の天気とは違う。「どうなるのか」ではなく、「どうするのか」という主体的な対応こそが求められる。
 それは、新政権の樹立をどう活用するかということである。「労働組合寄り」の政権が誕生したという有利な条件を、労働組合運動の発展と賃金・労働条件の改善のために、どのように活かすのかということでもある。
 政(族議員)・官・財(業界)の癒着による利益誘導型政治の跋扈と小泉構造改革によって破壊された生活と労働を立て直すために、新たな政治的条件を最大限に活用しなければならない。労働組合運動は、新しい条件を的確に捉えて攻勢に転ずるべきであろう。
 労働組合との関わりが深い政権だからといって、要求を自制すべきではない。運動の展開によって新政権が取り組むべき課題が明示されるからである。同時に、過った政策を阻止する運動からあるべき政策を実現する運動へと、その重点を変えることも必要となろう。

 希望を持って働き生活できる社会を生み出すことこそ、政権交代の目的だったはずである。新たな条件の下で、どこまでその目的に接近できるのか。その能力が、労働組合運動にも問われている。

11月26日(木) 繁忙期は過ぎ去ったものと思っていたけれど [日常]

 繁忙期は過ぎ去ったものと思っていました。でも、それは間違いでした。
 依然として、アップアップしています。研究所の業務だけでなく、12月第一週の末から翌週にかけての3回連続の講演の準備に手間取っているからです。

 12月4日(金)には、社会的労働運動研究会があります。ここでは鳩山新政権の下での労働運動の新たな展開と課題について話をする予定です。
 翌5日(土)には、第三次産業労働組合連絡会(三次労組連絡会)のシンポジウムがあります。三次労組連絡会には、全農協労連・生協労連・全倉運・金融労連・全損保の5つの単産が加わっており、各労働組合の報告を聞いた後、関連産業とそこでの働き方に新自由主義的政策がどのような影響を及ぼしたのか、話をすることになっています。
 さらに、翌6日(日)には北海道に飛び、7日(月)の午前中、札幌学院大学で講演する予定です。新自由主義をめぐる歴史的世界的な流れの中に現状を位置づけ、大まかな見取り図を描こうと思っていますが、果たして上手くいきますか。

 ということで、3つの講演のレジュメを作らなければなりません。テーマは相互に関連していますが、別個の話を準備する必要があります。
 これが大変です。頭が混乱してしまいます。
 鳩山新政権の施策も混乱しているようですが、それを論評すべき私の方の頭も別のことで満杯です。とても、まともにコメントできるような状況ではありません。

 ということで、更新が途絶えてしまいました。如上のような状況ですので、繁忙期を脱するまで、もうしばらく時間をいただければ幸いです。

11月21日(土) 鳩山政権の前途を危惧する [内閣]

 イヤー、ブレブレですね、鳩山政権。もう一寸、ちゃんとやれないものかと、歯がゆく思います。
 自民党と変わらない強行採決などはもってのほかでしょう。これでは、期待が失望に変わってしまうのではないかと大きな危惧を感じます。

 鳩山さんに、もっと指導力があると思っていました。でも、内閣と党をまとめるだけのリーダーシップはないようです。
 民主党はもっとまとまっていると考えていました。でも、党の首脳や閣僚の言うことはバラバラです。
 小沢さんは変わったのだと信じていました。でも、変わり切れていなかったようです。

 外務省が進めている核持ち込みなどに関する日米間の「密約」調査で、関連文書が見つかったことが明らかになりました。やはり、「密約」はあった、ということが裏付けられました。
 岡田外相は来週中に有識者を交えた調査委員会を設置し、「密約」の存在を認めるようです。当然でしょう。
 でも、問題はその後です。核兵器の領海内通過や一時的な持ち込みの「密約」を認めた後、それを破棄するのでしょうか、それとも公認してしまうのでしょうか。

 いずれの問題についても、この先が心配です。せっかく実現した政権交代ですから、その価値を減ずるような形にはなって欲しくないのですが……。



11月15日(日) 嵐のような日々が過ぎていった [日常]

 嵐のような日々の連続でした。イヴェントが目白押しだった秋も、ようやく終わりを迎えそうです。

 夏休みが明けた9月24日にアジア記者クラブでの講演がありました。これが、秋のイヴェントの始まりでした。
 10月に入って、3日に南大沢9条の会での講演、8~9日に連合第11回定期大会の傍聴、9日の夜は政治研究者フォーラムに出席、10~12日に日大での政治学会、14日に国連大学でのILOシンポジウム、16日から福島の旅、17~18日に福島大学での松川事件60周年全国集会に出席、東京に戻って18日の午後からPOSSEシンポジウムと、行事が続きました。
 さらに、26日に国公労連本部での行財政総合研究所公務員制度研究会で報告、27日に大原社会問題研究所創立90周年記念フォーラム、30日から巡回展「水俣病と向きあった労働者」のオープニングセレモニーで挨拶、31日に生協労連・第2回生協政策研究集会で講演、そのまま名古屋に向かい、翌11月1日まで金城学院大学での社会政策学会に出席、2~3日は中央線の旅、6日には大阪に行って「働き方ネット大阪」で講演、翌7日、東京に帰って社会運動的ユニオニズム研究会に出席、8日には亡義母の49日の納骨、12~13日に労働政策研究・研修機構で労働資料協議会の総会と研修会、そして昨日、14日は早稲田大学での歴史科学協議会の大会でコメントというスケジュールでした。

 書いていても、目が回りそうです。このほかに、研究所での日常業務があり、研究所関連のプロジェクトや研究会にも顔を出しました。
 この間に、時間を見つけて、頼まれた論攷を書かなければなりません。報告や講演は、事前に準備をする必要があります。
 息も付けないような忙しさでしたが、それだけ濃密な時間が流れていたということでしょうか。研究所や私が関わったイヴェントのどれも、大きな失敗や事故もなく、それなりに成功を収めることができ、今はホッとしております。

 しかし、まだ気を緩めることはできません。これから最後の山がやって来るからです。 来月、12月の第1週から2週にかけて、3回の報告と講演が予定されています。4日には社会的労働運動研究会で「政権交代後の労働運動」について報告し、翌5日には第三次産業労働組合連絡会のシンポジウムで「新自由主義がこわした産業の姿」について講演します。
 翌6日には、北海道に飛ばなければなりません。7日の午前中、札幌学院大学で「新自由主義からの時代的転換」についての講演が予定されているからです。

 ということで、この最後の山を越えなければ、年末を迎えることはできません。その準備に、これから取りかかるというわけです。
 登山の場合、事故が起きやすいのは下山中だといいます。最後の峰を越えて、無事に平地までたどり着くことができれば良いのですが……。

11月11日(水) 沖縄の米軍普天間基地にはお引き取り願うしかない [国際]

 11月8日の沖縄では、普天間基地の県内移設に反対する大規模な県民集会が開かれました。その折も折、沖縄駐留米兵によるひき逃げ事件が発生しました。
 県民の憤激が高まるなか、明後日の13日(木)にアメリカのオバマ大統領が初めて来日します。普天間基地の移転問題は主要な議題にならないようですが、日米両首脳の対応が注目されます。
 普天間基地の辺野古への移転は「前政権の合意」だと言いますが、あくまでもそれは「前政権」にとってのことです。アメリカも日本も、ともに政権が交代したのですから、改めて新しい計画で合意し直せば良いではありませんか。

 沖縄の普天間基地の移転問題についての私の見解はすでに10月15日付のブログ「外交・安全保障政策でも根本的な転換を」で明らかにしたとおり、「唯一の解決策は、普天間基地を閉鎖することです」。県内移設はもとより、他の日本国内の都道府県への移設にも反対です。
 端的いえば、普天間基地はお引き取り願う以外にはない、ということです。グアムでもどこでも、アメリカの領土内に移設すればよいでしょう。アメリカ軍の基地なのですから……。
 もし、アメリカがこの基地を引き取っても置く場所がないということであれば、基地をなくせばよいだけのことです。この基地を利用して行ってきたベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争の全ては誤りであり、この基地があったために沖縄は間違った戦争の出撃基地とされてきました。

 以上の基本的立場を明らかにしたうえで、この問題をめぐるこの間の経緯についての感想を書かせていただきます。

 まず第1に、鳩山政権の対応については、基本的に評価したいと思います。普天間基地が日米間で解決すべき大きな問題であるということを可視化させたからです。自民党政権であれば、辺野古沖への基地移設という日米合意に基づく「既定の路線」を押しつけるだけで、その他の選択肢は問題にならなかったでしょう。
 いまでは、辺野古以外への移設も現実的な選択肢として検討の対象になってきています。これは大きな変化です。普天間基地移設問題を政治的争点として再浮上させたことは、政権交代の重要な成果であったと言うべきでしょう。
 鳩山首相は、関係閣僚の様々な発言への世論の反応、アメリカの対応などを見ながら、時間稼ぎをしつつ“落としどころ”を探っているようです。しかし、沖縄県民が望んでいる“落としどころ”は、基地の県外撤去一つしかありません。そこに“落とす”ことができるかどうかという点で、鳩山首相の政治的手腕が試されています。

 第2に、日米関係の不均衡さが明らかになり、隠されてきた権力構造も可視化したということです。自国にある外国の基地をどうするかということについて自由な意見表明が咎められるというのでは、独立国とは言えません。
 10月20日に来日したアメリカのゲーツ国防長官は、岡田外相に「現行案が唯一実現可能なものだ。日米合意に従ってアメリカ軍の再編を着実に実施することが必要で、できるだけ早期に結論を出していただきたい」と迫りました。アメリカにこう言われて外相や防衛相の発言が右往左往してしまうところに、不平等な日米関係が明瞭に示されています。
 さらに、このような関係は、11月12日のキャンベル米国務次官補の発言に明らかです。2日前に北京で開かれた日中韓3カ国首脳会談の冒頭で、鳩山首相が「今までややもすると米国に依存しすぎていた。アジアをもっと重視する政策をつくりあげていきたい」と語ったことについて、キャンベルさんは武正公一外務副大臣に「米大統領まで報告がいくような重大問題だ。我々に相談もせずに、鳩山首相がこういう発言をするとはどういうつもりか」と怒りをあらわにしたといいます。アメリカに「相談もせずに」、日本の首相は発言してはならないというのでしょうか。

 第3に、オバマ政権の弱点やオバマ大統領が打ち出しているChangeの限界もまた、この問題をめぐって明らかになったということです。オバマさんはアメリカの軍事政策や対日外交をほとんど転換しようとしていないというのは誠に残念です。
 この限界を突破するために、鳩山さんはオバマさんに手を貸してあげるべきでしょう。イラク戦争は間違いだったことを明言し、アフガニスタンからも手を引くべきだということ、沖縄など海外の軍事基地を整理・縮小し、「世界の憲兵」のような役割を終わらせるべきだということを、率直にアドヴァイスしたらどうでしょうか。
 当初、12日来日の予定が13日にずれ込んだのは、米南部テキサス州のフォートフッド陸軍基地で13人の犠牲者を出した銃乱射事件の追悼式に出席するためでした。海外におけるアメリカの軍事的関与を減らし、このような痛ましい事件が起きないようにすることこそ、オバマ大統領がめざすべきことではないでしょうか。

 第4に、新聞などマスコミの対米従属性や植民地根性もまた、この間、きわめて明瞭になりました。「一体、どこの国の新聞なのか」と言いたくなるような体たらくです。
 天木直人さんが紹介しているhttp://www.amakiblog.com/archives/2009/11/07/#001524ように、「今日(11月7日)の新聞を見ただけでも『日米同盟を危うくしてはいけない』のオンパレード」でした。「同盟の弱体化を避けよ」(北岡伸一東大教授─日経)、「揺らぐ日米同盟」(古森義久─産経)、「日米の認識の落差を憂う」(香田洋二元海将─読売)、「(普天間基地移設合意の)遅れは同盟に影響」(ローレス前米国防副次官─毎日)、「首脳会談直前 きしむ日米」(朝日)などです。
 「これまで通りやれ」と恫喝するアメリカを批判するのではなく、逆に、「アメリカの言うことを聞け」という声ばかりが報道されています。これらのマスコミには、政治の転換を求めて政権交代を実現した国民の声が聞こえないのでしょうか。

 第5に、それでは、マスコミの言う「日米同盟」の「弱体化」「揺らぎ」「認識の落差」「影響」「きしみ」とは何かということです。それは、具体的には何を指しているのでしょうか。
 日米間の外交関係の断絶でしょうか、「核の傘」の撤回でしょうか、在日米軍の引き上げでしょうか、貿易関係の途絶でしょうか。そのいずれも、日本にとって以上にアメリカにとって不利益をもたらすものであり、現実的には考えられません。
 もし、アメリカが腹を立てて在日米軍を引き上げるのであれば、それこそ基地問題にとっては最善の解決策となるでしょう。「核の傘」を閉じれば、一方で核兵器の廃絶を言いながら他方で「核の傘」に守られているという日本政府の「ダブル・スタンダード」も解消されるにちがいありません。

 そもそも、日米は成熟した関係にあります。普天間基地の移設など部分的な問題でアメリカの言う通りにならないからといって、直ちに弱体化したり、揺らいだり、きしんだりするほど脆弱なものではないはずです。
 保守派の論客ほど、日米関係の強固な基盤に対する確信がないのは、どういうことなのでしょうか。「日米同盟」の確かさを信頼していないのでしょうか。
 鳩山さんが率直な発言をすれば、オバマさんが腹を立てるとでも思っているのでしょうか。腹蔵なく話し合え、相手がいやがることでも言いあえる間柄こそ、真の友人関係ではありませんか。

 「米軍基地がなければ日本の平和は保たれない」と言う方がおられます。先に見たように、マスコミのほとんどもこのような論調です。
 このような主張が成り立つためには、そのことが実証されなければなりません。もし、こう主張するのであれば、戦後日本の歴史において、米軍基地があったために保たれた平和とはどのようなものだったのかを、実例を挙げて具体的に検証するべきではないでしょうか。

11月10日(火) 「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(下) [論攷]

〔以下の論攷は、2009年9月24日にアジア記者クラブの定例会で行われた講演のテープを起こしたものです。かなり長いので、3回に分けてアップい、最初のリードと最後の質疑応答は省略させていただきます。〕

「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(下)

■ 政権の哲学・姿勢・方向性

 鳩山新政権の課題だが、政権の哲学・姿勢・方向性を、まず問題にしなければならない。政治におけるインフォームドコンセント(正しい情報を得た上での合意)を実現する、きちんとした説明と情報の公開、信頼と納得に基づいた政治運営をやることが第一だ。年金情報を開示したり外交密約を公開したりすることも必要。外交密約で問題になったのは4つあって、1つは核兵器の一時的な持ち込み(トランジット)で、これは除外する密約があったというわけだ。岡田克也外相は「調査する」と言っているが、調査した後が問題でトランジットまで禁止すると、きちんとアメリカに要求できるのか。逆に、トランジットは例外だということを公式に認めてしまうのか。今後の対応が注目される。2番目に朝鮮有事の際の自由出撃で、在日米軍基地から自由に攻撃していいですよという密約。3番目に、沖縄への核の持ち込み。これは貯蔵・保管(イントロダクション)の問題だ。4つ目が、沖縄返還に際しての現状復元・補償費用の肩代わりの問題。これは毎日新聞の西山太吉記者が暴露し、後の「思いやり予算」(在日米軍駐留費)の原型になったと言われている。
 それから外交・安全保障の問題だが、日本としての意見をちゃんということだ。アメリカが「A」と言えば、今までの日本政府は「ご無理ごもっとも」ということで、そのまま受け入れてきた。今度の民主党政権は日本としての独自の見解、たとえば「B」を対置しなければならない。ここから交渉が始まる。米軍基地の問題で、今まで政府は沖縄県民を説得しただけで、アメリカとは交渉しなかった。ようやく日本国民や沖縄県民の立場に立って、アメリカと交渉しようとする政府が登場した。
 また、安全保障の問題では非軍事的国際貢献のための具体像を示すことも課題になる。これはアフガン問題でただちに問われる。インド洋での給油活動を単純には継続しないで、来年1月の法律の期限切れで帰ってくることになるだろう。インド洋の給油活動と言ってもアメリカはほとんど給油を受けていない。パキスタンの艦船が中心で、それくらいならパキスタンへの経済援助や民生安定のための人的貢献を行う方がよい。また、アフガンへの人的貢献では、たとえば中村哲医師がやっているペシャワール会に対して国がお金を出す形でも貢献はできるし、非軍事的な国際貢献は可能だ。そもそも憲法9条は非軍事でやれと言っている。お金だけでなく非軍事的な面での人的な貢献も、憲法的な要請として受け止めて具体化することが今後必要になるだろう。
 核廃絶問題では非核の世界に向けてのイニシアチブを取る。これはオバマ政権がそういう方向を打ち出しているわけだから、日本も唯一の被爆国としてイニシアチブを発揮することが必要だ。国際的な役割ということで言えば、周辺国や新興国との連携強化を目指す。北朝鮮問題では話し合いによる解決を図る。自民党は解決するそぶりを示すだけで、その実、これを政治利用するために先延ばししてきたきらいがある。これは6カ国協議 米朝2国間協議と並行して行うことになるだろう。
 3点目は経済・産業政策。これについては、堅調な内需の喚起を図る、輸出をアジア・途上国に向けた方向にシフトする、多国籍型大企業の優遇を改め中小零細企業への支援に力を入れる、緑のニューディール、福祉のニューディールの理念の下に新しい産業、技術、ニーズを開拓する―といったことが必要になる。鳩山政権には成長戦略がないと言われるが、経済発展のための取り組みとしては、このように既に示されている。「コスト・イデオロギー」、つまりコスト削減を最優先にして国際競争力を付けるのではなく、技術、技能、品質、あるいはニーズへの即応性といった面で日本の競争力を高め、「技術立国」を目指す。かつてはそういう目標を掲げていた。それをもう一度目指すことが必要だ。
 4番目は生活支援。「バラマキ」との批判もあるが、今日のような経済不況の下では所得の再分配が重要だ。直接的支援による可処分所得の増大をやらなければならない。「長生きを喜べる社会」「子供を産むと得する社会」への転換は新政権の大きな課題。日本は長寿社会だが、長生きをしたことが喜ばれない、本人もなかなか素直に喜べない。こういうう社会であってはいけない。「子どもを産めば損をする社会」を、「子どもを産むと得する社会」に変えてることによって、少子化を反転させることが必要だろう。貧困と格差の広がり、日の丸・君が代の強制、教育基本法改定による教育のゆがみなどを是正する政策も大切だ。

■ 税金は累進課税で

 公費を節約しても財源が不足することは将来あり得る。増税を恐れてはならないが、問題はどこから取るかだ。税金を取る場合、貧乏人から取らずに金持ちから取ることをはっきりさせるべきだ。どうすればいいかというと、簡単なことだ。累進課税をバブルのころに戻せば良い。2000年ごろの累進税率に戻せばかなりの財源が得られる。軍事費を削る、大企業優遇の税制を改めることも必要だ。もう一つ、これは私の持論だが、相続税を多くしろということ。自分の孫や子に相続させるのではなく、次の世代全体に相続させる。高所得者の相続税を高くして、その税金を教育や保育、少子化対策に使うべきだ。もう一つ持論がある。皆さんの中でも反対が多いかもしれないが、たばこの税金を上げることだ。1箱1000円にし、その代わり酒税を下げる。特にビールは半分近くが税金で、とんでもない話だ。私としては、日本酒の税金も下げてもらいたい。日本の歴史と文化によって育まれた貴重な文化財とも言うべきものだから、税金を少なくしてみんなでどんどん飲めるようにしてもらいたい。財源不足が生じたら、大企業や金持ちなど、お金のあるところから取るということを、民主党もちゃんと言った方がよいのではないか。
 5番目で、「人間らしく働け生活できる労働を」ということだ。これはディーセント・ワークといいILOが提唱している。当面、労働者派遣法の抜本改正をすることが必要だ。非正規労働者の均衡処遇を実現し、将来的には均等待遇を目指さなければならない。以下に、主な目標を挙げる。最低賃金は差し当たり800円、将来的には1000円を目指す。マニフェストにはこういう方向が出ているので、これを実現すべきだ。労働時間の延長制限は三六協定(労働基準法36条)で無制限になっているが、これを変えて時間延長の絶対的制限を制定する。夏のバカンスとして2週間ぐらいの長期休暇があってよい。フランスはバカンスで有名だが、実現させたのは1936年の人民戦線政府だ。90年代の細川内閣か村山内閣でこれくらいやっておけばよかったのにと、私はずっと言っていたが、やっとチャンスが来た。年休の現在の取得率は46%だが、100%を義務付ける。連続休憩11時間を実現する。そうすれば、12時まで残業しても翌朝6時出勤ということにはならない。9時出勤も駄目。11時まで出てこられない。11時間は仕事をやってはいけませんということを法律で定める。ヨーロッパではやっており、日本でもぜひ実現してほしい。労働者保護のためのILO条約の批准も必要だ。第1条は労働時間にかんするもので、戦前のILOができたときの条約だ。日本が批准しやすいようにいろいろ補足を付けたにもかかわらず、結局日本政府は批准しなかった。労働時間の延長の制限とか、連続11時間の休憩設定をやればILO条約第1条を批准することができるようになる。ここで挙げたような内容を具体化するための全面的な法改正を行う「労働国会」をぜひ実現し、労働者保護法の制定などをやってもらいたい。

■ 左派は「第三の道」の担い手に

 新政権における左派の役割について話したい。左派とはいったい何かだが、共産党と社民党と民主党の一部。民主党では近藤昭一・平岡秀夫さんらの「リベラルの会」、横路グループの「新政局研究会」、菅グループの「国のかたち研究会」などが左派だと言ってよいだろう。比例代表での比率は共産党が7%、社民党が4・3%、新党日本0・8%で、12・1%+アルファとなる。民主党の左派がいるからだいたい20%ぐらいになる。新福祉国家や西欧型民主主義への政治的回路という役割を果たすことになる。古い日本型企業社会、アングロサクソン型新自由主義社会に代わる新日本型の「第三の道」の担い手になるべきグループだろう。
 連立の一角を占めることになった社民党だが、連立政権の「ハンドル・アクセル・ブレーキ」の三役を果たしてほしい。民主党のマニフェストにも問題はある。いちばん大きな問題は衆院比例代表の80議席削減。今では自民党も公明党も賛成しないのではないか。選挙制度については、さしあたり、元の中選挙区制に戻すか、現在11ブロックに別れている比例代表だけにして300議席を割り振ればよい。
 社民党にもっとも言いたいことは、自民党を喜ばせるようなことをやってはならない、社会党時代に自民党の復権を許した痛恨の過去を繰り返すな、ということだ。アメリカ政府や財界、官僚の全体を敵に回さず、分断して味方に付ける。政・官・財の間の関係を変える。官僚の中にも「自民党のやり方はおかしい」と思っていた人たちはたくさんいる。そういう人たちを味方に付けて協力を得ることが必要。それから、財界はまるごと敵だという単純な対応をしてはならない。輸出志向の多国籍型製造業の場合はともかく、国内で商売をして生きていかなくてはならない企業にとっては、国民が豊かになり可処分所得が増え、モノをたくさん買えるようになることはプラスなのだ。そうすれば、景気はよくなり、モノが売れるわけだから。「大企業栄えて民滅ぶ」という言葉があるが、民が滅びてしまったら企業は栄えるはずがない。民と共存共栄を目指してこその企業の繁栄だ。国内で生きていかなくてはならない、国民相手に商売しなくてはならない内需志向型企業と手を携えていく。中小企業などは圧倒的にそうした企業だ。
 アメリカはオバマ政権になったから、民主党の鳩山新政権にとっても大変に有利な状況だ。ブッシュ政権だったらけんかになったかもしれないが、オバマ大統領やクリントン国務長官なら、話をすればそれなりに分かってもらえる可能性がある。民主党や社民党は労働組合に支持されているから労働組合の代弁者であるのは当然だとしても、労働者だけでなく国民の幅広い層に顔を向ける対応を心掛けねばならない。とくに最近、製造業の民間大企業の労働組合は労働者派遣法改正の問題で「今のままでいいじゃないか」と言ったり、温室効果ガスの25%削減に賛成できないなど、後ろ向きの発言を行っている。25%削減の目標を掲げたことは、民主党政権は従来の政権のような財界べったりという選択をしない意思表示をしたと言える。今まで大企業の社長になったような人は、周辺の反対を押し切って意欲的な目標を掲げて成功したという経験を持っている。そういう人でなければ大企業の社長にはなれない。いま、鳩山さんはそれをやろうとしているのだ。できることだけを目標に掲げ、今までやってきた範囲のことを継続する経営者は無能だと言っていい。優れた企業経営者ならそういうことが分かるはずだ。しかも温室効果ガス25%削減は地球の環境問題から言っても達成しなければならない目標だから、官・財ふくめて、国を挙げて知恵を絞り達成してもらいたい。
 次に、共産党の存在意義だ。「建設的野党として是々非々の対応をする」という方針を出したのはたいへん良かったっと思う。鳩山政権に対しても賛成できる問題については協力すると言っている。今まで、政権に対してはブレーキ役を演ずることが多かったが、これからはアクセル役も演じてもらいたい。一致点の実現を、筋を通す議論によって意識的、積極的にやるということだ。
岡田克也さんは外務大臣になる前に民主党の幹事長として共産党に申し入れをした。その時に、9月11日のブログ「克也ニュース」で「共産党はなかなか手ごわい存在ではありますが、しかし志位和夫さんの議論を聞いていると非常に参考になる、教えられるものもありますし、筋を通す議論を展開されていますので、もちろん対立する面はあると思いますが、協力できるところはしっかり協力していきたいと思っております」と書いている。筋を通す議論というのは民主党を説得するということで、政策の実現に向けてアクセル役を演じてもらいたい。

■ 人間らしく働き生活できる政治を

 「むすび」ということになるが、鳩山さんには「プロ・レイバー政権」としての真価を発揮してもらいたいということだ。「プロ・レイバー」とは労働組合によって支えられ、労働組合と友好的な関係にある政権。これも日本の歴史始まって以来のことだろう。細川政権の時は社会党が入っていたがぎくしゃくしていた。当時連合会長だった山岸さんは裏で画策した。政権をつくる上ではいろいろやったけど、政権を通じて政策を実現するという点ではいまひとつ具体的な成果を上げきれなかったという印象だ。今回は、本格的に連合がバックについている形なので、「プロ・レイバー政権」として、労働者の働き方、生活のあり方を大きく転換するような実績を上げてもらいたい。最初の100日間が勝負だろう。来年の正月の各新聞にどういう社説が出るか注目したい。
 「ねじれ国会」の中で参議院が多数だったから、参議院に野党共同で出した法案がある。これをまず実現する。これまで、衆議院では自民・公明党によって否決されたが、今度は衆議院でも通る。「ねじれ国会」で法案を出してきた成果を生かすことだ。何よりも連立3党が合意した内容を最優先し、人間らしく働き生活できる政治を実現するための「ディーセント・ガバナンス」を実現してもらいたい。
 今日は「反転のとば口に立つ民主主義」という演題だったが、政権が始まってまだ1週間ぐらいだが、民主主義の活性化による「反転」は着々と進んでいるように思える。日本の政治は明らかに転換、反転した。古い自民党が行ってきた政治、小泉内閣が取り組んだ新自由主義的な構造改革という政治によってもたらされた最悪の事態を転換させ、この2つの過去の自民党政治と決別し、新しい日本の姿をつくり出していかなければならない。ただし、労働政策の反転という点では労働者派遣法は変わっていないし、制度的・法律的にはほとんど進んでいない。教育や福祉、保育、介護、医療といった場面でもほとんど反転という方向は具体化されていない。構造改革路線に毒されたこうした分野での立て直しが、新政権の最大の課題になる。労働に関する面で言えば、雇用を拡大し、失業率を低下させることも、重要な課題になる。
 マス・メディアもまた「反転」しなければならない。牽制や批判も重要だが、同時に新政権に対しては提案し、励ますといった対応も、時には必要になるのではないか。「新しい革袋には新しい酒を」と言う。新しい政権に対しては、新しいマス・メディアのあり方が求められることになるだろう。メディアもまた、「反転」の時代を迎えつつあるように思われる。

11月9日(月) 「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(中) [論攷]

〔以下の論攷は、2009年9月24日にアジア記者クラブの定例会で行われた講演のテープを起こしたものです。かなり長いので、3回に分けてアップし、最初のリードと最後の質疑応答は省略させていただきます。〕

「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(中)

■ 生きる希望を失う国

 こういう形で政権交代は実現したが、しょせん民主党と自民党はあまり変わらない、どっちもどっちだという見方がある。よく言われるのが「カレーライスとライスカレーの違い」にすぎないと。ちょっと見は違うが食べてみれば同じ、第一保守と第二保守で中身はほとんど変わらないというわけだ。それは当たっている面もあるが、同時に、重要な違いもあると、私は思っている。どこが違うかというと、自民党カレーライスは腐っていたということだ。たとえ味は同じでも、腐っているか腐っていないかは大違いだ。腐っているカレーを食べ続けたら死んでしまう。
 自民党カレーライスを食べ続け、「もうこれでは生きていけない」と自ら命を絶った人が11年連続で毎年3万人以上になる。こんな国がいったいどこにあるのか。生きる希望を失うような国民がこんなにたくさんいる、そういう国にしたのが自民党だったのだ。生活が成り立たない、生きていけない。「おにぎり食べたい」と書いて、生活保護が認められずに死んだ北九州の青年がいた。こういう社会にしたのが自民党だ。選挙でペナルティを与えられるのは当然ではないか。

■ 「反転」の潮目

 私は拙著『労働再規制』で、「反転」ということを書いた。2006年から潮目が変わったと主張している。労働政策を調べていて、どうもこの辺から状況が変わったのではないかと思い、こう主張し始めた。「反転」していると感じたとき、「これで日本は助かる」と思った。規制緩和だ、民営化だ、構造改革だという言説や政策がまん延したとき、これじゃもう駄目だと思ったが、潮目の変化を感じたとき、「これは何とかなるかもしれない」と思った。それでいろいろと調べたら、その後どんどん変わってきている。その「反転」の行き着いた先が、今回の総選挙だったと思う。
 今日の演題は「反転のとば口」となっているが、「とば口」どころか大きく「反転」したと思う。危ないところで、日本は助かるかもしれない。新しい政治をつくる可能性をやっと手に入れることができたから。民主党には、政策転換によって「カレー」の中身を変えようとする意欲、不味ければ中身を取り換える柔軟性がある。世論への応答性、フレキシビリティが自公政権とまったく違う。前原誠司国土交通相が八ツ場ダム問題で現場に行って話をしたり、赤松広隆農水大臣が築地市場の移転問題で現場に行って意見を聞いている。これまでは、反対運動の人たちが役所に押し掛けて、大臣に「話を聞いてくれ」「現場に来い」と求めたものだが、今は大臣が現場に行って「話を聞かせてくれ」と、逆になっている。政治のベクトルが変わったということだ。
 ただし、変え切れなかった部分もある。継続性の象徴としての鳩山首相という問題がある。エスタブリッシュメント内のエリートの交代ということであり、この辺は残念に思うところだ。庶民から出てきたたたき上げの、アメリカでいえばオバマさんのような人が望ましかった。ボランティア活動の経験があったり、社会的な運動の経験を持っている人が政権のトップになれば、本当に政治は変わったということになる。しかし、鳩山さんはそういう人ではない。所有する株式の時価が61億円、総資産額90億円だと言われているが、本当はいくらになるか分からないくらいの財産を持っている。
 同時に、このようなエスタブリッシュメント内のエリートの交代で、それまでの政権とある種の共通性があったから、安心して変化が起きたと言えるかもしれない。統治における継続と変化は、バランスをうまく取る必要があるからだ。あまりにも大きく変わると、国民は心配になってしまう。転換というのは、希望と同時に不安も生まれるもので、それほど大きく変わらないからこそ変化を受け入れることができたのかもしれない。今回、鳩山内閣の支持率はだいたい7割台ということだが、高い支持率はある種の変化への期待と、極端に変わらないだろうということへの安心感の両方があるのではないか。

■ 時代遅れとなった反共主義と開発主義

 自民党長期政権はなぜ崩壊したか。簡単に言えば、支えていた「つっかい棒」がもはや機能しなくなったからだ。「つっかい棒」は二つあって、一つは反共主義、もう一つは開発主義だ。反共主義は西側自由主義陣営の一員だったということ。自民党にいろいろ問題があっても「自由社会を守る」ことの方が大切だと、国民は長い間そう思わされてきた。だから、自民党の問題点は大目に見られてきた。しかし、これは昔のことだ。ところが、何を勘違いしたか、今回の選挙でも自民党は日教組に乗っ取られるとか言い出した。昔ならそれなりの効果があったかもしれないが、今では全然効かない。こういう反共イデオロギーが効力を発揮するような国際環境は大きく変容してしまったのに、それに気がついていないのだろうか。
 これは今回の選挙の失敗の一つの要因だ。このように、反共イデオロギーは基本的に弱体化した。確かに、その後も「一国平和主義」批判や北朝鮮による拉致と核の問題、靖国参拝への批判や歴史認識の問題などを契機にナショナリズムが高まる局面もあったが、ソ連、東欧が崩壊した時点で、このような反共主義の体制維持的効力は基本的に失われたと言って良いだろう。
 このような反共主義を担っていたのが保守傍流右派と言われる旧福田派と旧中曽根派、内閣でいうと、森、小泉、安倍、福田、麻生政権が、これに当たる。多少の色合いや強弱の違いはあるが、その中でもイデオロギー色が最も強かったのは、安倍政権だった。
 開発主義も、自民党に多少問題があっても収入が増えて生活が豊かになればそれで良いという意識を生み出した。高度経済成長正統性というか、生活が豊かになれば自民党が腐敗・堕落しても大目に見てやればいいじゃないかという気分が生まれていた。これを担ったのが保守本流と呼ばれる旧田中派と大平派で、竹下、宮沢、小渕政権がそうだった。しかし、これも基本的に弱体化した。欧米先進国へのキャッチ・アップ(追いつき)の終了と多国籍企業化、日米貿易摩擦、バブル経済の崩壊などによってどんどん弱まっていった。

■ 自民党支配の“終わりの終わり”

 開発主義の構成要素の一つは、政界と財界・業界団体や官界による支配のシステム、つまり、政あるいは「族議員」、官・財(業界団体)による「鉄のトライアングル」であり、これの体制が保守政権を支えてきた。2番目が企業社会による統合で、3番目が農村社会への利益分配ということになる。しかし、こういう構造が時代に合わなくなってしまった。したがって、本来であるなら、自民党政治は森政権で終わっていたはずだ。
 反共主義はソ連・東欧の崩壊や湾岸戦争あたりまでで力を失っている。開発主義もバブルの崩壊あたりで物質的・客観的な基盤を弱体化させてしまった。それが、細川連立政権が登場した背景の一つだったが、様々な延命措置によって自民党政治は生き延びてきた。それが限界に達したのが森政権だった。そこで、新自由主義的な構造改革を掲げて登場したのが小泉首相だった。この時、自民党支配の“終わり”が始まったのだ。そして今回の選挙で自民党支配の“終わり”が終わった。
 小泉マジックと構造改革によって、自民党はぶっ壊された。小泉さんは一時的に“カンフル剤”を打ち、痛み止めによって苦痛は和らいだかもしれないが、“ガン”の進行そのものは早まったのではないか。構造改革の名の下に、労働の劣化、貧困化と格差の拡大による経済と社会の破壊が生じた。農村、中小企業、高齢者、業界団体など、自民党の従来の社会的支持基盤の崩壊も進んだ。ということで、自民党のオウン・ゴールが今回の選挙の結果だった。構造的敗北としての深刻さがここにはある。今回の選挙の結果は、一時的なものではなく、構造的・長期的なものであると言うべきではないか。自民党の統治そのものが拒絶されたのだ。民主党の勝利は、個々の政策が支持されたというよりも、新しい政治を求める国民の渇望と期待によるものだったと言える。

■ ネオコンとリベラル

 今の自民党には、二つの分岐が残っている 一つはネオコン対リベラル。もう一つはネオリベ対保守再建派で、このような分岐がどのような形で解消され、解決されるのか。あるいは、それが別党路線という形で分裂に結びつくのかが一つの注目点になる。現在、総裁選挙を実施していて、河野太郎、西村康稔、谷垣禎一の3人が立候補している。河野、西村さんはどちらかというとネオコンに近く改憲派。谷垣さんは比較的リベラル派だと言ってよい。河野さんはネオリベ派で、構造改革が失敗したのではなく不十分だった、もっと改革を進めるべきだという言い方をしている。谷垣さんは保守再建派。昔の在り方を復活させるべきだと言っている。西村さんはその中間で、小泉改革路線の問題点を指摘するが、谷垣さんほど古いものが良いとは言っていない。
 3人3様だが、新しい自民党のリーダーが谷垣さんほどの見識があり、河野さんほどのエネルギーがあり、西村さんほどのルックスがあれば、再建の芽が出てくるかもしれないが、今はばらばらの状態。谷垣さんには新しさがないしエネルギーももう一つだ。小泉さんが辞めたときに「麻垣康三」と呼ばれた4人の後継者候補のうちの最後の1人だ。結局、安倍、福田、麻生ときて、その後では何の新しさも感じられない。谷垣さんが最後に残ってしまったところに自民党の限界がある。むしろ、最初に谷垣さんが出てきて3年ぐらい政権を担っていれば、もうちょっと違ったのではないか。しかし、最もどうしようもない安倍さんが最初に政権に就いた。次に、少しはましだけどエネルギーもやる気もなさそうな福田さんが出てきて、最後に、漢字も読めない麻生さんだった。今後、自民党が党勢を回復して挽回するのはむずかしいだろう。
 今回の惨敗は自民党のオウン・ゴールだと言ったが、「味方のゴールに点を入れた責任者出てこい」と言われたら出てくるべき人が、みんな選挙で残ってしまった。残ってはいけない人が残って、再建に取り組むべき若手がどんどん落選してしまった。新人議員は5人しかいない。再選されたのは10人。これに対して、3年生、4年生、5年生はごろごろいる。新入生が少なく、上級生ばかりの山奥の小学校のような状態。河野さんや西村さんが、もし総裁になったとしても大変だろう。

11月8日(日) 「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(上) [論攷]

〔以下の論攷は、2009年9月24日にアジア記者クラブの定例会で行われた講演のテープを起こしたもので、『アジア記者クラブ通信』208号、2009年11月5日発行、に掲載されたものです。かなり長いので、3回に分けてアップし、最初のリードと最後の質疑応答は省略させていただきます。〕

「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(上)

 昔、竹下登氏が首相だったとき、「歌手1年、首相2年の使い捨て」と言って、2年間で首相がころころ変わるのを嘆いていたが、小泉純一郎氏が首相を辞めてから安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の各氏はみな1年ほどで辞めた。「歌手1年、首相も1年の使い捨て」というのがこの3年の状況だった。
 きょうは「『反転』へのとば口に立つ民主主義」という題をいただいたが、私はこれを4つの柱でお話ししたい。
 1つは、終わったばかりの総選挙がどういう結果をもたらしそれをどう見たらよいのか、2つめが総選挙で自民党はなぜ大惨敗を喫したのか、3つめが新しく出発した鳩山政権はどういう課題を担っているのか、4点めはその中で左派に位置する政党勢力はどういう役割を担うことになるのか。

■ 自民党の戦略的敗北

 総選挙は3つの結果が重なった形になっている。というのは、今の衆議院選挙の制度は「小選挙区」と「比例代表」を結びつけ、重ね合わせた「小選挙区・比例並列制」という制度になっているから、この3つの結果を分けて考える必要がある。新聞などで報道されているのは小選挙区・比例並列制による結果で、民主党308議席、自民党119議席。119というと救急車と同じ数字。いかに自民党が危ない状態になったか、この数字が明瞭に示しているが、この数字は本当はインチキであるのは後で説明したい。
 公明21、共産9、社民7、みんなの党が5、国民新党3、日本新党1、諸派1となったが、実際には民主党は309、自民党は117になるはずだった。どうしてかというと、近畿ブロックの比例代表で民主党の候補が足りなくなってしまった。当選すべき獲得議席数は民主党の方が多かったが、候補者が2人足りなくなって、1人が自民党、1人が公明党の議席となった。だから、自民党は民主党から1つもらって119議席になった。公明党も本当は20だったのが21になった。もう1つ問題があって、「みんなの党」の候補者が小選挙区と比例代表で重複立候補した。小選挙区で法定得票まで達成しなかったので比例代表の資格を失い、本当なら「みんなの党」に行くはずの2議席が1つは自民党に、もう1つは民主党に行った。だから、自民党の119議席は、本当は民主党に行くはずの1議席と「みんなの党」にいく1議席の合わせて2議席をもらったものだ。「みんなの党」は2議席も他党にあげて、7議席のはずが5議席になってしまった。だから本当の数は民主党が309、自民党117、公明党は20、みんなの党7になるはずだった。
 この選挙結果をみると、民主党の308議席は過去最多で、自民党は結党以来初めて第1党の座を失うという、自民党にとっては信じられないような大敗北になった。これが小選挙区比例代表並立制の結果だ。
 小選挙区だけの結果を見ると、民主党が221議席、自民64、社民3、みんなの党2、国民新3、日本新1、無所属6で、2けたを獲得したのは民主と自民だけ。第3党以下は当選しづらい状況になっている。自民の64議席とと社民の3議席の間に大きな壁があり、まったく質的にかけ離れた数になっている。社民、みんな、国民新、日本新にしても民主党が候補者を立てなかったり選挙協力をしたり、あるいは自民党も候補者を立てなかったりというようなことで議席を得ている。民主党や自民党がどう対応するかによって第3党以下の議席も大きく変わってくる、あるいはほとんど獲得することができない制度になっている。
 比例代表区の結果は、民主87、自民55、公明21、共産9、社民4、みんな3、諸派1と、なだらかに減少して大きな差がつかないという比例代表制の特徴が示されている。小政党もそれなりに議席を獲得することができる形になっている。
 この結果、政党の組み合わせによって一つのシステムともいうべき政党制が出来上がる。どういう政党制ができたかというと「2大政党制」とされているが、これは私に言わせれば幻であって2大政党ではない。自民党の場合、2005年の当選者が296で、解散前に300議席あったのが119議席になった。逆に民主党の当選者は05年の当選者が113で解散前115議席であったのが308議席と、ちょうどひっくり返ったような形になっている。05年総選挙と09年総選挙がオセロゲームのようにひっくり返った。
 ここから2つの政党が多数になったり少数になったり、勝者になったり敗者になったりが繰り返されるのではないかというイメージが生まれる。しかし、それは幻想であると言ってよい。05年総選挙の自民党勝利は小泉マジックあるいは小泉劇場と言われるような、小泉さんによる戦術的な勝利で、一時的・現象的な要因に基づく結果だと言って良い。
 これに対して、今回選挙の民主党勝利は自民党の自滅、長い間の自民党政治に基づく戦略的敗北であると言える。長期的・構造的要因であり、短期間でこのような要因が消滅し、再びオセロゲームが繰り返されることはないと、私は考えている。
 選挙の結果でき上がった政党の配置を見ると、「1党優位政党制」という形になっている。自民党の議席は民主党の38・6%で三分の一強。昔の55年体制下における自民党対社会党の割合は「1と2分の1政党制」、あるいは「疑似2大政党制」と言われた。今回の政党の議席比、つまり民主党対自民党の比率は民主党が1に対して自民党は三分の一強であり、「疑似2大政党制」以上の「疑似疑似」2大政党制となっている。「1党優位政党制」をさらに超えた「1党超優位政党制」とでも言えるのではないか。これが308議席対119議席の勢力関係で成立した政党制なのだ。
 しかし同時に、実体はそうではないと、急いで言っておかなければならない。実際には、多党制だからだ。比例代表での得票率が有権者の実際上の支持の在り方を示していると理解すれば、これは多党制にほかならない。民主党が42・2%、自民が26・7%、公明11・5%、共産7・0%、社民4・3%、みんな4・3%、国民新1・7%、日本新0・8%、諸派・無所属1・4%というのが比例代表の得票率。これは、民主10、自民6、公明2・8,共産1・5、社民1、みんな1という比率になる。こういう議席の比率を見れば、民主党だけが突出しているわけではない。2対1以上の比率で自民党が勢力を維持している。これが有権者の支持状況の実体であるとすれば、多党制的な状況が実体だと言わざるを得ない。
 次に、小選挙区制の持つ問題点について見ておきたい。選挙制度を論じる以上は、知っておいていただきたいことだが、小選挙区制には決定的な欠陥がある。選挙制度には最善のものはないとよく言われる。しかし、最善のものはなくても、最悪のものはあると私は思う。最悪は小選挙区制だ(図参照)。これは最も簡単な例を示したものだが、A政党が白丸、B政党が黒丸であるとするなら、第1選挙区、第2選挙区はA政党、第3選挙区からはB政党が選ばれる。その結果、勢力範囲は明らかに2:1となる。ところが、もし全員が直接的に投票したとすれば、A政党が獲得するのは4、B政党は5となる。つまり、有権者における実際上の支持状況がA:Bは4:5であるにもかかわらず、小選挙区制で選ばれたら2:1になってしまう。ここできわめて重要なのは、多数が逆転しているということだ。こんなインチキがあってはならない。多い方は多く、少ない方は少なくという形で代表が選ばれなければおかしい。ところが、少数は多数に、多数は少数に変わってしまうこともある。代表を選んだだけで、こういう逆の結果になってしまう可能性のあるのが小選挙区制だ。一つの区で一人の代表を選ぶ形であればこうなる。

A政党○     B政党●

議席    ○     ○      ●      A政党の票4、議席2
       ↑     ↑      ↑
票数   ○○●   ○○●    ●●●      B政党の票5、議席1

■ WTCで2600人、イラクで米青年4000人が死亡

 イギリスでは1951年と1974年の2回、実際の投票数と選ばれた議員の数が逆転するという例があった。2000年のアメリカ大統領選ではゴア候補の得票がブッシュ候補より53万9947票多かったにもかかわらず、ブッシュ候補が得た選挙人は271人で、ゴア候補が得た選挙人は267人。4人の差でブッシュ候補が大統領に選ばれてしまった。もしこの時、このような逆転がなくポピュラーボート(popular vote)、つまりアメリカ国民の投票した結果がそのまま大統領選挙の結果になっていれば、ブッシュではなくゴアが大統領になっていた。実際には、アメリカ国民は大統領にブッシュではなく、ゴアを選んでいたのだ。それが間接選挙制度だったが故に逆転してしまい、ゴアではなくブッシュが大統領に選ばれてしまった。
 なんという歴史の皮肉か。もし、ゴアが大統領に選ばれていたなら、その後の世界史は大きく変わっていただろう。もし、そうなっていたなら、2001年の「9・11同時テロ事件」は起きなかった。ワールドトレードセンター(WTC)の2600人の人たちは死なないで済んだ。アフガンに対する攻撃もなく、イラク戦争もなかった。イラク戦争でアメリカの青年が4000人も死ぬことはなかったかもしれない。選挙制度のカラクリによって、このような重大な結果がもたらされたのだ。なぜそうなったかというと、各州の選挙人団は勝者独占方式だったから。どちらか勝った方が選挙人を全部獲得するという制度だったから、小選挙区制と同様の逆転現象が生じてしまったのだ。

■ 得票率47%が議席74%に

 今回の小選挙区でも、多くの問題が生じた。民主党の得票率は47%だったにもかかわらず、議席の比率は74%になってしまった。47%ということは有権者の過半数に達していない。そういう政党が4分の3近くの圧倒的多数の議席を占める結果になった。
 次の問題は、多くの死票が出て、選挙結果に生かされなかったことだ。今回は46%の票が死票になった。46%といえば四捨五入すれば50%。有権者の投じた票の約半分が無駄になっている。こんな選挙制度は、やはり認めるべきではない。公明党と共産党に投じられた票はすべて生かされなかった。自民党も小選挙区でばたばた落ちている。比例代表区があったが故に、119議席を確保することができた。比例代表制を残しておいて良かったと、自民党と公明党は痛感したことだろう。もっと言えば、小選挙区制でなく比例代表制にしておけば、自公両党もこんなに減ることはなかったはずだ。
 第3に、過剰勝利、過剰敗北によって議席が激変するという問題がある。05年の場合、自民党の得票率は48%、議席率が75%だった。今回の場合、民主党の得票率は47%で、議席率は74%になった。民主党の得票率は前回36%だったのが今回47%と11ポイント増えただけなのに、議席率が17%から74%まで57ポイントも増えている。逆に、自民党は得票率が47%から39%へ8ポイント減少しただけなのに、議席率の方は71%から21%へ50ポイントも減ってしまった。過剰勝利が5倍、過剰敗北も5倍以上と、大きく変化した。得票率の変動に議席が連動する形にしておけば、これほど激しくは動かない。逆に言えば、このように大きく“かさ上げ”をして、勝利と敗北を過剰なものにするために小選挙区制を導入したとも言える。しかし、これは政治状況をあまりにも激変させるという新たな問題を生んでいるのではないか。
 4番目に、日本の政治の何が代わり、何が変わらなかったのかについて見ておきたい。今回の選挙の結果は、日本の憲政史上初めての本格的な政権交代だった。戦後2回、政権交代があったが、1947年の場合も93年の場合も、その前後に政界再編があり、政党の組み合わせの変化があった。その前が戦前1924年の護憲3派内閣だが、この時も直前に政界再編があった。今回は、自民党から小政党の離反などはあったが、大きな政界再編を伴わない政権交代だ。連立の枠組みと総理候補が選挙前から明確だったという点でかつてない政権交代になった。93年の細川護熙連立政権の場合は、どうなるか選挙が終わってからも分からなかった。7党1会派が連立を組んだが、そのトップに細川さんをかつぐことは選挙の後に決まった。今回は選挙の前から、民主党が勝ったら鳩山総理大臣だということは明確だった。
 民主党の党首が小沢さんから鳩山さんに代わったというのは、選挙を闘った民主党にとっても選挙後の新政権にとっても、たいへん幸いしたと思う。この点で、自民党は大きな失敗を犯した。西松建設問題などを持ち出さず、小沢さんをそのまま代表にしておけば、民主党はこんなに勝たず、自民党だってこんなに負けなかったかもしれない。ところが絶妙のタイミングで代表の小沢一郎さんが引っ込み、出てきたのが鳩山さんだ。小沢さんと鳩山さんとではイメージが違う。小沢さんは嫌な街頭演説をせずに済み、好きな選挙をじっくり腰を据えてやることができた。
 自民党は民主党のために代表の交代をさせてやったようなものだ。西松建設事件自体は大きな問題だが、どこまでも自民党はついていなかった。このように、いろいろな面からみて自民党は大きな失敗を犯した。自民党の麻生さんと鳩山さんが激突するというイメージ選挙、テレビ選挙からいっても勝敗は明らかだったのではないか。自民党のテレビCMは選挙期間の途中から声が出なくなった。麻生さんのダミ声を聞きたくないとかいろいろあったのだろう。

11月7日(土) 活路は「技術立国」に向けた人材の育成しかない [論攷]

〔この論攷は、『産業訓練』2009年11月号の「巻頭言」として掲載されたものです。〕

活路は「技術立国」に向けた人材の育成しかない

 日本経済の回復に向けて、企業に求められる経営はどうあらねばならないか。その答えは、一つしかない。堅調な内需に支えられた「技術立国」の道をもう一度めざすべきだということだ。それに役立つ経営が、今の企業には求められている。
 そのためには、第一に、雇用、賃金、労働時間の面で画期的な改善が図られなければならない。安心して働くことができ、可処分所得が増え、レジャーなども楽しむことができてはじめて、内需は大きく拡大する。このような働き方を実現することは、直接的短期的には働くものの利益となるが、間接的長期的には企業のためにもなるということを忘れてはならない。希望を持って働き生活することができる、安定した豊かな社会を生み出すことこそ、日本経済回復の基礎的な条件なのである。
 第二に、とはいえ堅調な内需だけでは不十分であり、輸出の拡大も必要になる。この点では、北米偏重の貿易構造を改め、中国など周辺諸国の市場を重視しなければならない。経済発展を続ける中国は、GDPにおいて今年中に日本を追い抜くと見られている。このような巨大な消費市場とどう付き合っていくのかが、今後の大きな課題となろう。小泉政権の靖国参拝のような政治による撹乱を許さず、過去の過ちと真摯に向き合うことにより、周辺諸国の信頼を得て未来志向の関係を築くことが必要である。
 第三に、コストの削減を最優先する「コスト・イデオロギー」から脱却する必要がある。コスト削減に心がけることは企業経営者にとって必要なことだが、それを最優先にしてはならない。人中心の経営理念を忘れて、人材を育て技術を高めるために必要な費用まで削ってしまうことがあるからだ。また、日本の国際的な環境からすれば、低価格によって国際競争力を生み出すことはできない。中国や韓国、台湾などと価格面で競争することは不可能だということを肝に銘ずる必要がある。
 第四に、それでは何によって競争するのか。それは技術である。日本製品の品質の高さを維持するだけでなく、ワン&オンリーの新たな製品開発やユニークなコンテンツ、ニーズへの即応性などの面で、さらに大きな技術力や独創性を発揮しなければならない。環境保全・公害対策や食糧生産、新エネルギー、医療や福祉、文化や観光などの分野における技術開発、コンテンツや魅力の創造こそが、日本経済回復の起動力となるにちがいない。
 以上の点から、技術・技能に関する教育・訓練の役割は高まってきている。これまで企業内で行われてきたOJTだけでは不十分であり、コンピュータ技術などは企業特殊熟練のみでは対応できない。また、失業対策や再就職と組み合わせた職業訓練も登場した。その結果、技能・技術訓練を企業内から外部化するという方向性が強まってきている。
 この点では、職業訓練や産業訓練において、教育機関、企業、業界、行政などによる役割分担や総合的な対応が求められることになろう。企業と公的なシステムとの協働による「技術立国」に向けた人材の育成こそが、日本経済復興の唯一の活路なのではないだろうか。

11月6日(金) シンポジウム「児童労働の現状とNGOの政策提言」に向けてのあいさつ [挨拶]

 あいさつのアップが続いています。新しい文章を書いている余裕がないからです。
 苦し紛れに、以前に書いたものを再利用させていただいているというわけです。

 とはいっても、このような催しに参加できる人は限られていますので、これを読めば、その意義や内容、雰囲気などを感じていただけるかもしれません。
 ヒョッとしたら役に立つかもしれないという思いと、せっかく書いたものだから記録にとどめておきたいという気持ちがない交ぜになって、今回の連続アップとなりました。ご了解いただければ幸いです。
 今回は、6月28日に法政大学市ヶ谷キャンパスの外濠校舎で行われたシンポジウムに向けてのあいさつです。これは、児童労働ネットワーク(CL-Net)http://cl-net.org/との共催で開かれたもので、「児童労働反対世界デー・キャンペーン2009」の一環として取り組まれ、レガット・ヴェンカット・レディ氏(M.V.Foundation委員会国内議長)による「インドの児童労働の現状と活動紹介」、ヴェロニック・フェイジェン氏(2009年「ストップ・児童労働-学校が最良の解決策」キャンペーンの国際調整官)による「『ストップ・児童労働―学校が最良の解決策』キャンペーンとその結果、EUの視点から」という基調講演などが行われました。

シンポジウム「児童労働の現状とNGOの政策提言-インドとEUの経験に学ぶ」に向けてのあいさつ

 本日のシンポジウムを共催させていただきました法政大学大原社会問題研究所の五十嵐でございます。シンポジウムの開会に当たりまして、一言ご挨拶申し上げます。
 本日のシンポジウムの会場であるこの外濠校舎は、市ヶ谷キャンパスで最も新しい校舎です。かつて、大原社会問題研究所も、この隣の80年館にありましたが、今では多摩キャンパスに移っております。
 大原社会問題研究所は1919年に設立され、今年、創立90周年を迎えました。法政大学と合併して附置研究所になったのは1949年ですから、それからでも60年経ちます。厳しい時代であった戦前から戦後にかけて、さらに今日に至るまで存在できましたことは、まさに奇跡であたっと言えるでしょう。
 研究所を設立しましたのは、「大原美術館」の設立者でもある大原孫三郎で、研究所の名称に「大原」とあるのは、そのためでございます。研究所は大原社研の名でも知られておりますが、その主たる研究分野は労働問題を中心とする社会問題でありまして、このような関係で、今回、児童労働の問題についてのシンポジウムを共催させていただくことになった次第です。
 本日のテーマは、児童労働問題の解決に向けてとり組むインドとヨーロッパの経験に学ぶことでありますが、この問題は日本に生きる我々とも無縁ではありません。多国籍企業によるグローバルな活動の最底辺に児童労働が組み込まれ、日常、私たちが使用する製品などが開発途上国の児童らによって生み出されているかもしれないからです。
 また、子供の貧困を象徴する例が児童労働であるということからすれば、その解決に向けての政策提言は、最近、我が国においても大きな問題となっています「子供の貧困」を解決する重要なヒントを得る機会となるにちがいありません。
 子供は「歩く未来」であります。その子供たちが希望をもって未来を語ることができるようになるために、本日のシンポジウムが大いに役立つことを願いまして、主催者としての挨拶に代えさせていただきます。