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2月17日(金) 市民と野党の共闘でアベ政治の流れをかえよう!(その1) [論攷]

〔以下の講演要旨は、川崎区革新懇の「11.2講演と交流のつどい」記録集に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 みなさんは6月に再スタートを切られたという。いよいよ革新懇の出番が来たわけだから、絶好のタイミングで再開されたことになる。

 参院選の二つの側面―与党の勝利と共闘の勝利

 野党共闘の必要性についてはずっと以前から主張していたが、ようやくこの参院で共闘が実現した。32ある1人区で統一候補が擁立され、11人を当選させるという成果を上げた。これまで目標としてきた革新統一に向けた動きがようやくスタートを切った。新たな段階が始まったのだ。
 去年の今頃は、安保法が通ってみんながっかりしていた。その後、2000万署名が提起され、共産党が安保法廃止の国民連合政府を提起したけれど、それがどういう形になるのかだれも予想できなかった。それから1年経った。今では、これがどういう形をとるのかがはっきりと我々の目に映るようになっている。これが参院選の成果だ。
 確かに参院選で与党は勝った。改憲勢力も3分の2を越えるという結果になったけれど、他方で野党共闘の威力が示された。市民と野党が力を合わせれば新しい政治をひらくことができることが具体的な姿を持って証明された。これが参院選のもう一つの側面であり、ここに活路がある。
 さらにその後、大きな成果に結びついた。新潟知事選で原発の再稼働に反対だという米山さんが当選した。民進党が「自主投票」で迷走したにもかかわらず、市民と野党の統一候補として米山さんが告示日の6日前に、民進党を離党して立候補した。そして大差をつけて当選した。
 現地の人も言っていた。まさか当選するとは思わなかったと。しかし、途中から状況がどんどん変わっていった。これならいけるかもしれないということで当選。これが市民と野党共闘の力だ。
 共闘成立の背景には安保法案反対運動があった。闘いが始まった時、これを勝利させるためには野党が手を結ばなくてはいけないと言った。現代の「薩長連合」が必要だ。幕末に互いに殺しあった薩摩と長州が手を握って幕府を倒した。民進党と共産党は殺しあっているわけじゃない。手を結ぶことは十分に可能じゃないか。それを仲立ちする現代の坂本竜馬は皆さん、市民なんですと訴えた。
 去年は、こういう話をしていたけれど、それが野党共闘という形で現実のものになると、必ずしも確信していたわけじゃない。ところが、9月19日の安保法が通った日の午後に、共産党が国民連合政府を提唱した。とはいえ、この時は雲をつかむような話だった。
 その後、野党共闘に向けての協議が進み、今年に入って2月19日に「5党合意」が成立する。実は、沖縄がこの野党共闘の走りだった。それが本土でも実現した。その結果、自民党は参院選でたしかに勝ったかもしれないけど、それに対抗する形で野党共闘が大きな成果を上げた。1人区で議席増となって、我が故郷である新潟県の知事選での勝利に結びつく端緒をひらくことになった

 共闘のどこが画期的だったのか―「共産党を除く」が除かれた

 1970年代には社共共闘が成立していた。これは国政選挙ではなく自治体選挙だった。革新自治体を作るという目的で社会党と共産党が共闘した。しかし、国政選挙では沖縄を除いては実現しなかった。それが参院選で共産党をふくむ形で共闘が成立した。「共産党を除く」という壁が除かれた。これが今回の共闘での画期的な面だと言える。
 背景に何があったのか。安保法制定などのアベ暴走政治だ。原発を再稼働するとか、沖縄の米軍新基地建設を強行するとか、暴走に次ぐ暴走。TPPが臨時国会で問題になっているけれども、安くていかがわしい食料を輸入しようとしている。日本の農業が潰れてしまうかもしれない。この暴走に対して多くの国民・市民が危機感を高めた。これが野党共闘成立の背景だ。
 このようななかで出てきた「野党は共闘」という声が民進党を動かして5党合意に結びつく。その結果、1人区での統一候補擁立が進んだ。最後は5月31日だった。参院選の告示は6月22日だったから3週間ほど前にようやく1人区全部で統一候補が出揃ったことになる。
 いわば、今回の参院選での野党共闘はプレハブ造りのようなもの。突貫工事で緊急に作ったような共闘だった。それでもこれだけの効果を上げることができた。それがどれほどの威力を発揮できるのかが示されたのが新潟県知事選挙だった。

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