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5月5日(金) 春の花と新緑に迎えられた宇都宮と足尾銅山を訪ねる旅 [旅]

 昨夕、宇都宮と足尾銅山を訪ねる旅から帰宅しました。宇都宮に行ったのは5月3日の憲法記念日での講演を依頼されたためであり、足尾銅山に行ったのは、この機会に足を延ばして、まだ訪れたことがなかった足尾銅山をぜひ訪問したいと考えたからでした。

 5月3日の憲法集会については、地元紙『下野新聞』5月4日付が、写真付きの「『壊憲』より『活憲』を ネット中継の議論注視も 県内」という記事で、次のように報じていました。

 日本国憲法施行70年の節目の憲法記念日となった3日、平和・民主・革新の日本をめざす栃木の会などは宇都宮市雀宮町の同市立南図書館で憲法集会を開き、憲法改正の動きを強める安倍政権を護憲の立場から批判した。一方、都内で開かれた改憲派集会を、インターネット中継で視聴する会場が宇都宮市内にも設けられ、約50人が議論を見守った。
 護憲派の集会には約300人が参加。講演した五十嵐(いがらし)仁(じん)法政大名誉教授は「憲法を破壊する『壊憲(かいけん)』ではなく、憲法を政治と生活に活(い)かす『活憲(かつけん)』が必要だ」と訴えた。また改憲を目指す安倍政権について「安倍一強体制の緩み、おごりがある」と指摘。閣僚の失言、スキャンダルや森友学園問題などを挙げ政権を批判し、野党共闘と市民勢力の結集を呼び掛けた。
 さらに「戦後70年かけて実現した自由で民主的な平和国家を守り、次世代に手渡すことが現世代の責任」と強調。「1人1人が正しい情報を発信し、周囲に伝えていくことが重要だ」とした。

 この記事では、「約300人が参加」とありますが、400人入る会場がいっぱいでした。300人以上の方が参加されたのではないでしょうか。
 皆さんの反応も良く、爆笑に次ぐ爆笑で、私も気持ちよく話をさせていただきました。私の前に、昨年の参院選栃木選挙区で野党統一候補として出馬され惜敗した田野辺隆男さんも「未来のための『徳義』の連帯を」というテーマで話をされました。
 講演終了後、会場で私の新著『活路は共闘にあり―社会運動の力と「勝利の方程式」』(学習の友社)のサインセールをしていただきました。取り寄せた50冊が完売したと聞き、嬉しく思ったものです。

 その後、一席設けていただき、宇都宮駅前のホテルまで送っていただきました。この時、宇都宮に来たのに、まだ餃子を食べていないことに気づき、駅近くのお店を調べて出かけました。
 しかし、夜の8時半を過ぎているというのに、どこも長蛇の列です。連休中だったと言うこともあるでしょうが、宇都宮餃子の人気を見くびっていたことを反省しました。
 結局、餃子は諦めて、ホテルに戻ることにしました。それにしても、すごい人気ですね。

 懇親会の席上、翌日の予定を聞かれ、「まだ行ったことがないので、足尾銅山を訪問するつもりです」と話しましたら、「日光からのバスの便がないかもしれないから、車で案内しましょう」との申し出がありました。
 「それはありがたい。ぜひお願いします」ということで、ホテルの前で待ち合わせました。車で現れたのは、日中友好協会宇都宮支部の伊藤義明事務局長と奥様の新日本婦人の会栃木県支部事務局長の伊藤直子さんです。
 このお二人と共に、長い間、行きたいと思いながら訪問する機会がなかった足尾銅山に向かうことになりました。足尾については、私の勤務先であった大原社会問題研究所の先輩所長でもある二村一夫先生のご専門で、『足暴動の史的分析―鉱山労働者の社会史』(東大出版会、1988年)という著作があり、私も読んだりお話を伺ったりしていました。

 日光から足尾に至る山道も、足尾の町も周辺の山も、そして帰りに乗ったわたらせ渓谷鉄道沿いの渓谷も、春真っ盛りでまさに百花繚乱ともいうべき花々が咲き誇り、新緑は滴るようなモスグリーンで、濃淡が鮮やかなパッチワークのようでした。しかし、その緑が失われた一角がありました。
 足尾ダム上流の松木沢と言う渓谷で、この周囲の山は精錬所から出たガスの影響や鉱山開発に伴う森林伐採で緑が失われ、ここにあった松木村も全村移転を強いられ、先祖代々のお墓は下流の龍蔵寺にまとめてピラミッドのように積み上げられています。足尾銅山については、銅の採掘による渡良瀬川下流への鉱毒の垂れ流しによる公害は田中正造によって告発され良く知られていますが、その上流の空中にも公害がまき散らされていたのです。
 足尾の銅山開発によって水と空気が汚染され、谷中村だけでなく松木村も廃村になっていた事実はあまり知られていません。私も、途中から合流した元足尾町議の藤井豊さんに案内されお話を伺って始めて知りました。

 足尾ダムの上流には許可がなければ車で入ることができません。藤井さんは管理者としての資格があり許可を得ているということで、私たちも松木村の跡地に入ることができました。
 日当たりが良く平坦な場所にあった村は跡形もなく、数基のお墓が残っているだけでした。周囲の山は今も緑が失われ、岩がむき出しになっています。
 ここで偶然、植樹などを行って緑を回復する作業に従事しているNPO法人「森びとプロジェクト委員会」の方々とお目にかかりました。5月20日にも植樹のイヴェントを行うそうですが、ボランティアで緑の復活をめざしているこのような取り組みには本当に頭が下がります。

 このほか、109人の霊が祀られているという中国人受難烈士慰霊塔、粗末な蘇東坡のような墓しかない朝鮮人連行碑、本山抗跡とその前の無人の野となった住宅街の跡、旧松木村の墓や鉱夫の墓などが残されている龍蔵寺、そして足尾観光の中心である通洞抗跡・足尾銅山観光をめぐりました。車で案内していただかなければ、とても回りきれるものではありません。
 こうしてめぐった山の中に、足尾銅山はあったのです。足尾銅山は610年に発見され、10層以上の横抗が縦抗で結ばれ、総延長は東京から博多までに相当する1200キロになるそうです。
 その周囲をぐるりとめぐり、主要な入口であった通洞抗、本山抗、小滝抗なども見ることができました。伊藤さんが車で案内して下さったばかりか、藤井さんに連絡して途中から合流し案内していただいた賜物です。

 今回の宇都宮と足尾銅山をめぐる旅も、伊藤さんご夫妻や藤井さんを始め、沢山の方のお世話になりました。お陰様で、大変意義深く、また思い出に残る旅となりました。
 お世話になった全ての方に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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