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12月7日(木) 衆院選を教訓に、市民と立憲野党の共闘の深化を(その3) [論攷]

〔以下の論攷は、『法と民主主義』No.523、2017年11月号、に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

三 野党共闘の危機と刷新

 足並みの乱れと分断

 「大義」なき解散であったにもかかわらず、自民党支持には一定の広がりがあり、比例代表でも健闘しています。加えて選挙区で圧勝できたのは、小選挙区制という選挙制度のカラクリと野党の側の分断のためでした。とりわけ、野党第一党である民進党の動向がカギを握ることになります。そして、その中心にいたのが右派の改憲論者で野党共闘に消極的な前原代表でした。
 安保法制に反対するたたかいの中から野党5党による連携に向けての流れが生じ、参院選1人区や新潟県知事選などで市民と野党との共闘は実績を積み一定の成果を上げていました。衆院選に向けても選挙区ごとの市民連合や共闘組織が結成され、準備が進められてきました。そこに前原さんが登場し、衆院選は政権を争う選挙だから共産党との協力は見直したいとブレーキをかける姿勢を示したのです。
 都議選で波に乗る小池さんも新党結成に動き出していましたが、その準備は遅れ気味でした。選挙区で市民と野党との共闘が進み、統一候補が擁立されることを恐れていた安倍首相は、このような状況をじっと見つめていたにちがいありません。
 こうして、安倍首相は「今がチャンスだ」と判断し、不意打ちを仕掛けました。都議選後の民進党内の混乱と前原代表登場による立憲野党内での足並みの乱れ、小池新党結成準備の遅れを見透かして「今なら勝てる」と判断して解散・総選挙に打って出たのです。
 この安倍首相の目論みが功を奏しました。野党勢力の分断によって力を貸す形になったのは小池都知事と前原民進党代表です。その背後にいて助力したのが、連合の神津里季生会長だったと思われます。

 共闘の再生と刷新

 こうして、市民と立憲野党の共闘は一時的な危機に直面することになります。民進党という野党第1党が姿を消し、共闘の条件が失われてしまったからです。このような危機に際して、一貫して共闘を推進してきた共産党は2年間の実践と経験は無駄ではなかったと指摘し、各選挙区で共闘の維持と再生に向けての努力が始まります。
 全国規模では、10月2日の立憲民主党の立ち上げが決定的な転換点になりました。この後、共産党による立候補の取り下げや市民連合による政策合意、統一候補の擁立などに向けての動きが急速に進展し、立憲民主党の躍進という形で、市民と立憲野党の共闘の威力が改めて実証されることになります。
 このような経過と結果によって、市民と立憲野党との共闘が再生しました。立憲民主党が結成され、市民連合が政策協定を仲立ちして野党共闘を後押しし、これに共産党が積極的に応えて67選挙区で候補者を取り下げ、短期間に249選挙区で一本化が実現しています。しかし、それは単に復活したのではありません。新たな内容を伴って刷新されたのです。
 第1に、野党第一党が立憲主義を掲げた民主的なリベラル政党にとって代わられました。それは量的には減少しましたが、質的には強化されたのです。民進党の流れを汲む政党が4つに分かれ、連携と共闘の可能性は拡大しています。
 第2に、野党第一党のイメージと政策が一新されました。旧民主党から民進党に至るまでしつこくまとわりついていた薄汚れた裏切り者のイメージは、前原さんと小池さんによって希望の党へと受け継がれてしまったようです。
 第3に、この結果、市民や他の立憲野党と共に歩むことが可能な新たな選択肢が登場することになりました。それは安倍首相への不信や批判に対する力強い「受け皿」を提供し、新たな政権の担い手となるにちがいありません。
 これまで安倍内閣は、「他よりも良さそうだから」という消極的な支持によって支えられてきました。安倍首相への批判が高まって内閣支持率が下がっても自民党支持率はそれほど下がらず、民進党の支持率が上がるということもありませんでした。
 しかし、これからは「良さそう」な「他」が存在することになります。総選挙で「信任された」とばかりに強引な政治運営に走れば、消極的な支持層が離れていくでしょう。内閣支持率の下落が自民党支持率の低下や野党の支持率上昇に連動する新たな可能性が出てきたということになります。

 市民政治の新段階

 このような市民と立憲野党の共闘の刷新を生み出した力は、本格的な市民政治の台頭でした。この間、模索されてきた市民と立憲野党との共闘が新たな段階に達し、戦後日本政治の新局面を切り開いたのです。共産党の議席減はそのための「生みの苦しみ」でした。
 日本の市民運動は政治に一定の距離を置き、選挙にかかわることも避けてきました。しかし、2015年の安保法反対闘争で市民運動と政治との連携が始まります。正確に言えば、2008年の派遣村や2011年の原発事故を契機にした脱原発・原発ゼロをめざす運動、特定秘密保護法反対運動などの流れを受け継ぎ、市民運動が本格的に政党や国会内での論戦と連動することになります。
 ここから「野党は共闘」という声が上がり、2016年2月の「5党合意」や参院選での1人区での共闘など新しい動きが始まりました。その後も新潟県知事選や仙台市長選などでの経験を積み重ね、市民と立憲野党の共闘が発展していきます。
 そして、今回は政権選択にかかわる衆院選でも市民と立憲野党との共闘が追求され、各選挙区や地域で市民連合や共闘組織が作られました。こうして小選挙区で1対1の構図が作られようとした矢先、思いもかけない逆流が生じ、共闘は試練にさらされます。

 野党共闘の弁証法的発展

 しかし結局は、政党政治の危機を救い、新たなリベラル政党を誕生させ、躍進させることによって事態を収拾することに成功しました。安保法反対運動からの市民と立憲野党による運動と経験の蓄積がなければ、このような素早い対応は不可能だったにちがいありません。
 こうして、市民政治と野党共闘のリニューアルが達成され、選挙と運動で連携すれば勝てるという新たな可能性がうまれました。共闘への気運の高まり、共闘の提起、政策合意、参院選と首長選での試行、政権選択を問う衆院選への拡大、そして逆流と試練の段階を経て野党共闘は刷新され、いよいよ本格的な運用の段階を迎えたということになります。まさに、正・反・合という弁証法的発展を遂げてきていると言えるのではないでしょうか。
 また、今回の総選挙では、希望の党による「右派ポピュリズム」の発生が抑制され、立憲民主党による「左派ポピュリズム」が生まれたように見えます。それは、アメリカ大統領選挙でのサンダース、フランス大統領選挙でのメランション、イギリス総選挙でのコービンなどによる「左派ポピュリズム」旋風と共通するものでした。
 国際的な政治の流れに呼応する新たな市民政治の局面が「左派ポピュリズム」の発生という形で表面化し、立憲主義を守り民主主義を活性化させる新しい展望を切り開いたのです。ここにこそ、今回の総選挙が戦後政治においてもっている重要な意味があったように思われます。

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12月6日(水) 衆院選を教訓に、市民と立憲野党の共闘の深化を(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、『法と民主主義』No.523、2017年11月号、に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

二 「大義」なき解散による不意打ち

 取ってつけた「大義」

 総選挙の結果、与党はほぼ現状維持にとどまりました。与野党関係に変化はなかったということになります。しかも、衆院議員の任期は来年12月まで1年以上も残っていました。今すぐに解散しなければならない理由はありません。だからこそ「不意打ち」だとか、「大義なき解散」だと言われて大きな批判を招いたのです。
 解散に当たり安倍首相が「国難突破解散」だとして打ち出した「大義」と争点は、朝鮮半島危機への対処、消費税再増税による税収増部分を子育てと教育などに使うとする使途の変更などです。しかし、これも「今さらどうして?」と言いたくなるような理由ばかりです。
 朝鮮半島危機は今に始まったことではなく、衆院の勢力関係が新しくなっても解決するわけではありません。消費税が再増税されるのは2019年10月1日からの予定で、まだ2年も先の話です。それをなぜこの時点で、衆院を解散して国民に問わなければならなかったのでしょうか。
 これらが「国難」であるというのであれば、国会を解散して政治空白を生み出すよりも、憲法53条に基づいて野党が要求していた臨時国会を開いてきちんと議論すれば良いことではありませんか。いずれの理由も、取ってつけたような「大義」にすぎません。

 「森友」「加計」学園疑惑からの逃亡

 しかし、安倍首相からすれば、解散に向けて「今がチャンスだ」と考えた理由がありました。本当の理由は別にあります。
 その第1は、「森友」「加計」学園疑惑から逃れるためです。国会をめぐる一連の経過は、内閣支持率を低下させ安倍首相個人の頭を悩ませてきたこの問題についての追及から逃れるために、いかに野党の質問を恐れていたかということを如実に示しています。
 通常国会は会期終了前に閉じられ、憲法に基づく国会開催要求は無視され、秋の臨時国会の冒頭に質疑なしでの不意打ち解散が強行されました。選挙後も、特別国会の会期をわずか8日間とし、その後も臨時国会を開催せず、野党の質問時間を減らそうとしました。
 結局、特別国会の会期は39日間とされましたが、安倍首相の外交日程が立て込んでいるため、実施的な審議は15日間ほどにすぎません。「そんなに、質問されるのが怖いのか」と言いたくなります。質問が怖いというより、一連の質疑を通じて内閣支持率の急落が再現されることを恐れていたということでしょう。8月の内閣・党役員人事の改造で一時的に盛り返した支持率は、9月に入ってから再び下がる兆しを示していましたから。
 解散・総選挙によってこれをリセットし、来年秋の自民党総裁3選に向けての基盤固めを図りたいと考えたのかもしれません。もちろん、北朝鮮による核開発やロケット発射などの軍事挑発を利用して国民の不安感を高めれば、与党が勝てるかもしれないという計算もあったにちがいありません。

 9条改憲に向けての基盤づくり

 「大義」なき解散に踏み切ったもう一つの理由は、5月3日に安倍首相が表明した9条改憲に向けての政治的な基盤固めを行うことだったと思われます。この時、安倍首相は2020年までには国民投票を終えて新しい憲法を施行したいと言っていたからです。
 その後の内閣支持率の低下や都議選での惨敗もあって、安倍首相は「スケジュールありきではない」と、一歩後退したかのような姿勢を示しました。しかし、今年中には改憲草案を自民党内で合意し、来年の通常国会か秋の臨時国会で改憲案を衆参両院で発議して2019年7月の参院選までには国民投票にかけたい、それまでずれ込むようなら参院選と国民投票の同日選に打って出るという野望が胸に秘められていたようです。
 今のうちに衆院選挙をやっておけば、再来年の7月まで国政選挙はなくなります。その間は腰を落ち着けて改憲論議に取り組めると考えたのでしょう。来年の総裁選で選ばれれば、衆院議員の任期と安倍首相の3期目の任期の終了時期は2021年で重なります。それまでには何としても9条改憲の野望を達成したいと、秘かな「闘志」をもやしていたのkもしれません。

 自民党支持の広がり

 北朝鮮危機を煽って国民の不安を高め、それを政治的に利用しつつ景気回復や子育て・若者支援を前面に押し出し、「森友」「加計」学園疑惑や9条改憲の意図を隠した安倍首相の選挙戦術も功を奏しました。そのために、野党候補が乱立して漁夫の利を得た小選挙区だけでなく、各政党が競い合う比例代表でも支持を伸ばしています。
 総選挙が始まるころ、安倍内閣の支持率よりも不支持率の方が高いことや安倍首相の続投を望まないという意見が51%を超えていたことなどが注目されました(『朝日新聞』10月19日付)。内閣支持率よりも不支持率が高い状況の下での衆院選はめったになかったからです。
 しかし、自民党に対する政党支持率にはそれほど大きな変化はありませんでした。つまり、安倍首相に対する不信感や嫌悪感による「反安倍」は強くても、自民党に対する批判や拒否による「反自民」はそれほどでもなかったということになります。
 選挙後の『東京新聞』10月23日付の特報欄に、自民党に投票した人の以下のような声が紹介されていました。これを見ても北朝鮮危機への不安感と景気回復への期待感が自民党支持の背景にあったことが分かります。

 「いつ北朝鮮のミサイルが飛んでくるか分からない。自民がベストとは思わないが、防衛や外交を考えるとベターだ」(広島県庄原市の男性(69))
 「北朝鮮が怖い。今は安定した政治をしてほしいので、今回は自民」(浅草の女性(84))
 「株価が何日も連続で上がっているでしょ。やっぱり経済が良くならないと。経済政策を重視し、選挙区も比例区も自民にしました」(松戸市の女性会社員(46))


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12月5日(火) 衆院選を教訓に、市民と立憲野党の共闘の深化を(その1) [論攷]

〔以下の論攷は『法と民主主義』No.523、2017年11月号、に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

 はじめに

 総選挙の公示を前に、驚くべき事態が発生しました。野党第一党が姿を消してしまったのです。民進党が解党し、4つに分裂してしまいました。
 総選挙後、民進党に属していたメンバーは、希望の党、立憲民主党、無所属の会、民進党に分かれています。前の3つは今回の総選挙で当選した衆院議員によって立ち上げられたもので、最後の1つは残った参院議員と地方議員が属しています。
 このような結果になるまでには、目もくらむような複雑な経緯がありました。まさに「劇場型選挙」の最たるものだったと言えるでしょう。しかし、スポットライトを浴びて舞台の上で演じられた「劇」の陰でもう一つの「ドラマ」も進行していたのです。
 そこに登場していたのは「市民と立憲野党」です。華々しい離合集散とは一味違った連携と共闘をめぐる営みこそが、新しい日本政治の局面を切り開いたように思われます。
 安保法反対運動の中から自然に沸き上がった「野党は共闘」という声に押されて市民と立憲野党との共闘が始まりました。民進党の解党はこのような共闘を破壊するもので、かつてない大きな逆流であり混乱でした。その中から、またもや市民の声が沸き上がったのです。「枝野立て」という声が。
 こうして枝野幸男さんによって立憲民主党が結成され、直ちに共産党が呼応して自己犠牲的に対応したために野党共闘の危機が回避されました。急ごしらえでの再建ですから成果は限られたものでしたが、将来に向けての大きな可能性を生み出しています。
 ここに今回の総選挙が持っている重要な意義と教訓があったのではないでしょうか。市民と立憲野党との共闘は逆流の中で試練に耐え、またもや私たちに教えてくれたのです。
野党はバラバラでは勝てない。勝つためには手を握るべきだということを。活路は共闘にあり。そして、共闘にしかないということを。

一 衆院選の結果をどう見る与党はほぼ現状維持

 与党はほぼ現状維持

 今回の総選挙は定数が10議席削減される中で実施されました。その結果、小選挙区289、比例代表176 となり、総定数は465議席です。
 選挙の結果、自民党は追加公認を含めて公示前と同じ284議席となりました。定数が減っていますから、議席の割合は改選前より増えました。しかし、微増にすぎません。
 自民党の有権者に対する得票割合(絶対得票率)も小選挙区で25.2%(前回24.5%)、比例代表で17.3%(同17.0%)でした。こちらも大きな変化はなく、微増にとどまっています。自民党は「大勝」したとされていますが、正確に言えば負けなかっただけで勝ったわけではありません。  
 もう一つの与党である公明党は、改選前の34議席から29議席へと5議席の減少です。選挙区で1人が落選となり、比例代表では700万票を割りました。選挙区で立候補すれば確実に当選させるという「常勝神話」に彩られてきた公明党にとって、この結果は大きな痛手だったでしょう。
 特定秘密保護法や安保法、カジノ法、共謀罪法などの成立に手を貸してきたことが、支持団体である創価学会信者の一部から批判を招いたためだと見られています。国会前や日比谷野外音楽堂での集会に学会の三色旗を持った人たちが登場し、公明党の元副委員長であった二見伸明さんが他党の応援に駆け付けて注目されました。
 与党全体の議席は改選前の318議席から5議席減の313議席となり衆院の3分の2(310議席)を維持しました。総議席に占める割合は66.9%から67.3%へと0.4ポイント増えています。多少議席が減ることも覚悟して解散に打って出た安倍首相からすれば、望外の成功だったと言えるでしょう。

 野党内では劇的な変化

 このように、衆院議席に対する与党の比率に大きな変化はありませんでした。しかし、野党内では質的とも言えるような劇的な変化が生じています。立憲民主党が公示前の15議席から55議席に躍進して野党第1党になったからです。議席を増やしたのは立憲民主党だけでしたから唯一の勝者だったということになります。
 他の野党は、この立憲民主党躍進のあおりを受ける形となりました。希望の党の議席は伸びず、50議席で公示前の57議席には届いていません。共産党は21議席から12議席に減らし、維新の会は3議席減の11議席、社民党は変わらず2議席となっています。
 この結果、希望と維新の合計は71議席から61議席への10議席減となったのに、立憲3野党(立憲民主・共産・社民)の合計は38議席から69議席へと31議席も増えました。このような成果は67の選挙区で共産党が候補者を取り下げた自己犠牲的な献身のお陰です。まさに市民と立憲野党の協力・共闘のたまものであったということができます。
 しかし、野党共闘をアシストした共産党は、安倍政権に対する批判票が立憲民主党に集中したために埋没してしまったようです。選挙戦の前半では野党共闘の立て直しに忙殺され、選挙区での独自候補の取り下げによって政見放送や宣伝カーの運用台数に制約が生じたという事情もありました。後半になってから比例代表での取り組みに力を入れるようになりましたが、遅きに失したようです。

 都議選の影

 今回の解散・総選挙には、7月に実施された東京都議選の結果が大きく影響していました。これまでも直前に実施された都議選はその後の国政選挙に大きな影響を及ぼしてきましたが、今回はほとんど決定的ともいえるような意味を持ちました。
 都議選での自民党の惨敗や小池百合子都知事が結成した「都民ファーストの会」の躍進がなければ、安倍首相は解散を決断しなかったかもしれません。このような結果がなければ、前原誠司代表が「希望の党」への「なだれ込み」という方針を打ち出すこともなかったでしょう。
 そもそも、民進党内での代表選挙で前原さんが選出されたのは、わずか5議席となってしまった都議選での敗北の責任をとって蓮舫前代表が辞任したからです。代わって登場した前原さんは蓮舫さんが進めてきた野党共闘路線の見直しを表明し、安倍首相は「今がチャンス」とばかりに解散に打って出たのではないでしょうか。
 この安倍首相の挑戦に対して、小池都知事は新党の結成で応えました。一方での安倍首相による不意打ち、他方での小池新党の登場という挟撃にあって、民進党の前原代表は進退窮まったようです。都議選での「悪夢」が頭をよぎったにちがいありません。
 こうして、小池さんが立ち上げた希望の党への民進党の「なだれ込み」という奇想天外な方針が打ち出されます。小池人気にすがって「安倍一強」を打倒しようと夢想したのです。この方針を全会一致で承認した民進党両院議員総会の参加者も、同じ考えだったと思われます。
 しかし、小池さんの「排除の論理」によって、この夢想は「見果てぬ夢」に終わりました。舞台は暗転しましたが、民進党の分裂が不可避になるという大混乱の中から一筋の光がさすことになります。それが、枝野さんによる「立憲民主党」の結成でした。この党の誕生と共闘体制の再確立によって選挙戦は大きく様変わりすることになります。

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12月3日(日) ようやく繁忙期を脱することができたようだ [日常]

 忙しい毎日でした。そのうえ、骨折した左腕がままならない日々でした。
 そのような繁忙期も、ようやく脱することができたようです。骨がくっついて左腕も使えるようになり、ブログを書く余裕が生まれました。

 昨日は、「平和・暮らし・環境 八王子学術文化の会」の「横田基地視察と初冬の狭山逍遥」バスツアーでした。この会は、私が八王子市長選挙に立候補したことをきっかけに誕生したものです。
 学術・文化関係の方々が私を支援するということで、連絡会のようなものを作ってくださいました。それを選挙後も存続させようということになり、私が会長を引き受けています。
 この会のほとんど唯一ともいえる重要なイヴェントが、春と夏のバスツアーです。八王子市内や近郊の「平和・暮らし・環境」や「学術文化」にかかわる場所をこの目で見て回り、併せて相互の親睦を深めようという趣旨で取り組んできました。

 今回は、このバスツアーの4回目に当たります。中心的な目的は横田基地の視察と騒音訴訟についての学習でした。
 ツアーの行程は、JR八王子駅から出発し、まず拝島の石川酒造で見学と試飲、その後、横田基地の横にあるディスカウント・ストアー「ドン・キホーテ」の4階から基地を俯瞰し、巨大量販店「ジョイフル本田」のフードコートで昼食を摂り、瑞穂町資料館で基地を上空から撮影した巨大な写真を見てから、野山北公園を散策して紅葉を楽しむというものです。帰り際には、横田基地のサウス・ゲートから中を垣間見ることもできました。
 横田基地騒音訴訟については第2次新横田基地公害訴訟の弁護団長である関島弁護士、横田基地については訴訟の原告団事務局長の清水さんからガイドしていただきました。22人乗りのマイクロバスが満員になるほどの充実した内容です。

 私は、東京都立大学に入学したての1969年に、仲間と語らって横田基地を訪問したことがあります。「訪問」とは言っても中に入れるはずもなく、一日かけて周りを歩きまわただけですが。
 その時も基地の広大さを痛感しましたが、今回も周りをバスで走り、中を垣間見て全体の写真を俯瞰したりして、その巨大さを改めて実感しました。このような巨大な米軍基地が首都の郊外に存在し戦争の拠点となっている異常さと、それが周囲の住民に騒音被害などの大きな犠牲を強いていることに怒りを感じたものです。
 基地南側の五日市街道を通過するときに渋滞に巻き込まれましたが、これも約4000メートルの滑走路を持つ基地があるために道路を通せず南北を迂回せざるを得ないという基地被害にほかなりません。沖縄の普天間飛行場など市街地にある基地には同じような問題が生じています。

 いつまでこのような状態を続け、基地あるが故の不便や危険を耐え偲ばなければならないのでしょうか。安保条約による義務に縛られ日米軍事同盟が必要とされている限り、このような現状が打開される見通しはありません。
 しかし、現在の政府も主要な政党も、安保条約を変えて軍事同盟から抜け出す展望も政策も掲げていないのです。北朝鮮など周辺諸国との関係を改善して緊張を緩和するという点でも無能と無策をさらけ出し、基地なき未来へのビジョンさえ提示することができていません。
 横田基地の現状は、米軍基地の負担と被害に苦しむ沖縄と同様に、隷従によってアメリカの事実上の植民地となっている日本のあり方を象徴しています。そこから抜け出すためには、もちろん周辺諸国など安全保障環境を変えることが必要ですが、そのためにも日本の政治を転換しなければなりません。

 それが、いつのことになるかは分かりませんし、多くの困難が伴うことも明らかです。しかし、そのような目標とビジョンを持たなければ、未来永劫、軍事基地による負担や被害から逃れることはできないのです。
 軍事力に頼ることのない安全確保と軍事同盟によらない平和の実現は、いつになったら可能になるのでしょうか。横田基地が占めている広大な空間を、戦争と軍事のためにではなく平和と民生のために活かせるような時代を早く実現したいものです。

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