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1月11日(木) 昔は「戦争が廊下の奧に立ってゐた」、今は「戦争が官邸の椅子に座っている」 [憲法]

 「戦争が廊下の奥に立ってゐた」
 これはよく知られている俳句です。京都大学俳句会で活躍していた渡辺白泉という学生が1939(昭和14)年に詠んだものです。
 アジア太平洋戦争の開戦は1941年ですから、その2年前になります。戦争へと向かう当時の社会に漂っていた不気味な気配と違和感を表現した名句でした。

 白泉はとくに政治に強い関心を持っていたわけではなく、左翼学生でもありませんでした。戦争を嫌い、平和と文学を好む普通の学生だったといいます。
 しかし、特高警察はこの俳句にまで目をつけ、反戦思想を抱いているとして治安維持法違反の嫌疑で投獄しました。仲間の学生も俳句を作れないほどの弾圧を受けたそうです。
 こうして、日本は戦争へと突入していきました。「廊下の奥に立ってゐた」戦争は、茶の間にまで踏み込んできて国民の生活を滅茶苦茶にしてしまったのです。

 翻って、今の日本はどうでしょうか。「戦争が官邸の椅子に座っている」と言っても良いような状況が生まれつつあるのではないでしょうか。
 平昌オリンピック・パラリンピックに向けての南北対話が始まり、戦争の危機が回避されたように見えますが、安倍首相は依然として対話よりも圧力の強化という異常な立場を取り続けています。朝鮮半島の危機を利用して政権基盤の強化を図り、改憲などの政治目的を達成しようとしている安倍首相にとって、そこでの緊張緩和が進みすぎては困るからです。
 第2次安倍政権が発足して以来、「積極的平和主義」という軍事力優位の軍事大国化路線を掲げ、特定秘密保護法や安保法制、共謀罪法の制定を図り、国家安全保障会議や国家安全保障局などを設置し、自衛隊の敵基地攻撃能力を高めて専守防衛政策をなし崩しに変え、愛国心教育の強化やマスコミへの懐柔と統制によって若者と国民の意識を反戦や非戦から好戦へと転換しようとしてきたのが安倍首相です。まさに、戦争が背広を着て首相官邸の椅子に座っている姿をほうふつとさせるような光景ではありませんか。

 このような軍事大国化路線の総仕上げとして提起されているのが、9条改憲に向けての動きです。安倍首相が政権に復帰して以来、着々と進められてきた「戦争できる国」づくりに向けての一連の流れと戦争政策の構造全体に位置付けることによって、安倍9条改憲構想の狙いと危険性を正しく認識しなければなりません。
 普通の学生が「戦争が廊下の奥に立ってゐた」と詠んだような社会の不気味さと違和感は、今の日本においても次第に強まりつつあるように思われます。それは「戦争が官邸の椅子に座っている」と言わざるを得ないような安倍首相の好戦的政策によって、ますます強められようとしています。
 その核心をなすものとして打ち出されているのが、9条改憲に向けての提案です。その本質は戦争か平和かを問う、未来に向けての選択にほかならないということを、今こそかみしめる必要があるのではないでしょうか。

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