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1月15日(月) 今こそ思い出すべき憲法9条の「効用」 [憲法]

 私は「安倍9条改憲の前にすでに生じているこれだけの実害」という12月26日のブログで、以下の3点についての「実害」を指摘しました。
 ① 「安全に対する脅威の拡大と国民の不安の増大」
 ② 「米軍と米軍基地の存在は基地周辺の地域、とりわけ沖縄での具体的な被害を生み出してきたという事実」
 ③ 「この間の安倍政権が進めてきた軍事力の拡大による国民生活の破壊という大きな問題」

 そして、結論的に「安倍9条改憲は周辺諸国にとって大きな脅威となり、誤ったメッセージを発して極東の平和と日本の安全を危機に陥れることになります。そのような選択が実行される前にも、すでに多くの実害が現に生じていることを改めて直視することが必要になっているのではないでしょうか」と、書きました。
 この間に、沖縄で起きた窓枠の落下やヘリの不時着などは、まさにこの事実を羅づけるものだったと言えるでしょう。普天間基地については無条件で直ちに撤去し、ヘリをはじめとしたすべての米軍機の飛行を停止しなければ、沖縄県民の不安や事故を無くすこともできません。

 このような「実害」は枚挙にいとまがありませんが、他方で、これとは逆の面もあります。これまで憲法9条によって日本の平和と安全が守られてきたからです。
 改憲論者は直ぐに9条で平和や安全が守られるのかと問いますが、このような問いが生ずるのは過去の歴史について無知だからです。世界と日本の戦後を振り返ってみれば、9条が持っていた平和と安全を守る力をはっきりと確認することができます。
 今回はその「効用」について指摘しておくことにしましょう。安倍9条改憲は、この9条の「効用」を失わせてしまうことを意味するからです。

 その第1は、戦争加担への「バリケード」としての「効用」です。戦後の日本は、アメリカが行ってきた間違った戦争への加担を免れてきました。
 象徴的なのはベトナム戦争です。この戦争での死者は、アメリカ軍5万7702人、韓国軍4407人、オーストラリア軍475人、タイ軍350人、フィリピン軍27人、ニュージーランド軍26人、中華民国派遣団 11人となっています。
 4000人以上の犠牲者を出した隣の韓国とは異なって、日本は自衛隊を派遣せず、死者は1人もいませんでした。戦闘に巻き込まれたりして犠牲者が出なかったのは、湾岸戦争やイラク戦争でも同様です。
 なぜ、韓国、オーストラリア、タイ、フィリピン、ニュージーランド、中華民国とは異なって日本が犠牲者を出さずに済んだのかと言えば、それは「憲法上の制約」があったからです。憲法9条の「バリケード」によってアメリカも日本に派兵を要請せず、自衛隊は1人の戦死者も出さずに済んだのです。

 しかし、この「バリケード」も完全ではありませんでした。日本にある米軍基地はベトナム戦争への出撃基地として使用され、日本は米軍の兵站・補給・休養拠点としてベトナム戦争に協力させられたからです。
 この戦争では、南ベトナム側で約335万6000人、北ベトナム側で約478万1000人 の戦死者が出ています。この誤った戦争に協力した日本も、これらの人々の死に対して責任を負うべき立場にあり、私たちの手も血でぬれているのです。
 しかも、イラク戦争ではアメリカからの要請に応えて海上自衛隊がインド洋、航空自衛隊がバグダッド空港、陸上自衛隊がサマーワに派遣されるなど、 この「バリケード」は徐々に崩されてきています。それでも派遣先が「非戦闘地域」での非軍事的な任務に限定されるなど、自衛隊員の命を守る点で9条の「バリケード」はそれなりに機能してきたと言えるでしょう。

 第2は、自衛隊の増強や防衛費の増大への「防壁」としての「効用」です。憲法9条によって日本は「軽武装国家」であることを義務付けられ、これを超えるような軍事力の拡大が抑制されてきました。
 その量的な制限は「GNP比1%枠」であり、防衛費は基本的にこれを越えないような額に抑えられてきました。質的な制限は国是としての「専守防衛」であり、空母などの攻撃的な兵器は保有できないという政策上の歯止めです。
 「非核3原則」や「武器輸出3原則」なども、日本の軍事大国化を阻むための憲法上の制約となってきました。これが憲法9条による「平和の配当」となって、日本の財政が軍備増強に費やされ浪費されることを防ぎ、民生中心の高度成長を実現することができたのです。

 しかし、安倍政権の下でこのような「防壁」も崩されつつあります。それまで減少し続けてきた防衛費は、安倍政権が発足した2012年の4兆6543億円をボトムに反転し、その後増加し続けて来年度予算では5兆1911億円(前年度比660億円増)となって4年連続で過去最大を更新しました。
 米軍から提供される機密情報を守るために特定秘密保護法を制定し安保法制の成立によって米軍とともに海外で闘うことができる集団的自衛権が一部行使容認となり、「専守防衛」の国是に風穴があけられました。敵基地攻撃に転用可能な巡行ミサイルやステルス戦闘機。オスプレイの購入、ヘリ空母の通常型空母への改修なども計画されています。
 すでに「武器輸出3原則」も「防衛装備移転3原則」に変えられ、武器の原則的な輸出禁止から容認へと方針転換が図られてきました。米軍との共同作戦や訓練の点でも、日本海での米原子力空母や戦略爆撃機との共同訓練、黄海での海上自衛隊による警戒監視活動など法的根拠があいまいな日米一体化が進行し、「戦争できる国」に向けての既成事実づくりが着々と進行しています。

 第3は、国際テロ活動に対するバリアーとしての「効用」です。日本は欧米の先進国とは異なり、思想的な背景を持った国際組織によるテロ事件が起きていないという事実が、このようなバリアーの存在を示しています。
 「オウム真理教事件」という国内組織によるテロ事件はありましたが、それは国際テロとは別物で、しかも20年以上も前のことになります。ホームグローンテロ(イスラム国など国外の過激思想に共鳴した国内出身者によるテロ)とも、ローンウルフ(特定の組織に属さず個人行動を起こすテロリスト)とも、これまで無縁であった稀有の国がこの日本なのです。
 そればかりでなく、外国でも日本の企業や日本人がテロリストに狙われ、犠牲となる例は多くありませんでした。中東地域を植民地として支配したことはなく、アラブ世界との関係は良好で、アメリカと戦い広島・長崎に原爆を落とされた過去と戦争放棄の憲法を持つ「平和国家」であるというイメージが「平和ブランド」となり、テロに対するバリアーとして大きな力を発揮してきたからです。

 しかし、イラク戦争への自衛隊派遣が転換点となり、その後、このバリアーも失われつつあります。イラク戦争に際して高遠菜穂子さんなど3人の日本人が拘束され、その後解放されましたが、残念ながらその後捕まった香田証正さんは殺害されてしまいました。
 その後も、2013年のアルジェリアでの日揮社員10人が殺された日本企業襲撃・殺害事件、2015年のIS(イスラム国)による後藤健二さんら2人の日本人殺害事件が起き、2016年にバングラディシュの首都ダッカでのレストラン襲撃事件に国際協力機構(JICA)の職員など7人が巻き込まれて殺害されています。襲われたうちの1人は「私は日本人だ」と叫んだそうですが、攻撃を避けることはできませんでした。
 2015年9月19日に安保法制が成立していますが、その翌10月にもバングラディシュで農業指導に携わっていた60代の日本人1人が現地のIS支部を名乗る武装集団に襲われて殺害されるという事件が起きました。これらの事実は、米軍と共に「戦争できる国」になることが海外にいる日本人の安全を高めたのではなく危険にさらす結果となったことをはっきりと示しています。

 安倍首相が意図している9条改憲は、平和と安全を守るうえで発揮されてきたこのような「効用」を失うことになります。それで良いのでしょうか。
 戦後、70年以上かけて営々として築いてきた「平和国家」としてのイメージやブランドを失うことが、「新しい時代への希望を生み出すような、憲法のあるべき姿」(年頭会見での安倍首相の発言)なのでしょうか。戦後の世界と日本の歩みをきちんと振り返ることによって、憲法9条が果たしてきた役割や意義、その「効用」を再確認することが、今ほど必要なときはありません。
 戦前の日本が大きな過ちを犯したことは否定しようのない歴史的な事実です。同じように、戦後のアメリカが大きな間違いを犯してきたことも、まぎれもない歴史的な事実ではありませんか。

 アメリカはベトナム戦争という大きな間違いを犯しました。中南米やアフリカ諸国、イラクやアフガニスタンなどの中東諸国に軍隊を送って武力介入し、紛争と混乱を拡大してきました。
 このようなアメリカの間違いに日本が基本的に巻き込まれなかったのは、9条という憲法上の制約があったからです。自衛隊の存在を明記することはこの制約を取り払うことになります。
 安保法制の整備や9条改憲によって、安倍首相は戦後においてアメリカが犯してきた間違いの後追いをしようとしています。そうすれば結局、間違いをも後追いすることになってしまうのだということが、どうして分からないのでしょうか。

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