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2月18日(日) 裁量労働に関する答弁を撤回するだけでなく法案の提出そのものを断念するべきだ [労働]

 前回のブログで、次のように書きました。その実例が、裁量労働制をめぐる国会審議でまたもや明らかになりました。

 「安倍政権は長期政権で飽きられ、安倍首相は国会対応で呆れられているというのが、今の姿です。『一強多弱』の下で長期政権化が進むなかで次第に内外政策が行き詰まってきていること、行く手に暗雲が広がり始めていることに、安倍首相は気が付いているのでしょうか。
 華々しく展開され国民の注目を集めている平昌オリンピックの影で安倍政権の陰りが広がりつつあり、それにつれて安倍首相の焦りといら立ちも募ってきているようです。オリンピックの開会式での孤立した姿や野党の質問にまともに答えようとしない国会答弁のあり方などに、それが如実に表れてきているように思うのは私だけでしょうか。」

 まさに「国会答弁のあり方」が重大な疑問と批判にさらされ、安倍首相は自らの答弁を撤回してお詫びしました。これは先のブログをアップしたその日のことです。
 14日午前の衆院予算委員会で、安倍首相は「精査が必要なデータをもとにした答弁は撤回しおわびしたい」と述べて陳謝しました。首相が撤回したのは1月29日の衆院予算委員会での答弁で、裁量労働制で働く人の労働時間についいて「平均的な方で比べれば、一般労働者よりも短いというデータもある」と答えたからです。
 首相が答弁の根拠にしたのは厚生労働省が2013年度に公表した調査で、全国の1万1575事業所の「平均的な人」の労働時間を調べたものですが、裁量労働制で働く人は一般の労働者の労働時間より約20分短かったといいます。しかし、一般の労働者の労働時間は裁量労働制と算出方法も異なり、残業を含めて1日23時間も働いている人がいるなど、データ自体の信ぴょう性が疑わしいものでした。

 ここでの問題は二つあります。一つは、どうしてこのようないかがわしい調査を根拠にしてしまったのかということであり、もう一つは、法案提出に向けての準備が労働の実態を踏まえたものではなかったということです。
 裁量労働とは労働時間の管理を自己の裁量に任せ、どれほど働いてもあらかじめ決めた「みなし労働時間」によって判断するという制度です。このよう形で時間管理を行わなければ、いくら残業しても残業代にカウントされませんから使用者にとってはコスト削減となりますが、働く側からすれば残業代なしで働く時間が長くなる恐れがあります。
 普通に考えれば、時間管理をなくした働き方の方が短くなるなどということはあり得ません。実際、安倍首相が答弁で紹介したいかがわしいもの以外に、そのような調査はなかったのです。

 それなのに、安倍首相はどうしてこのような調査を信じ、国会で答弁してしまったのでしょうか。それは、これから提出しようとしている法案を正当化するうえで都合の良いデータだったからです。
 ここに大きな落とし穴があったというべきでしょう。人は自分の見たいものを見ようとするからです。
 安倍首相も自分の見たい「フェイク(偽)・データ」を見て、これに飛びついてしまったというわけです。ここには、ちょっと考えれば「おかしいな、本当だろうか」と思われるような数字であっても、自分の都合に良ければ安易に信じ込み、騙されてしまうという「ポスト真実の時代」における思考スタイルの問題点が如実に示されています。

 しかも、このような誤った「フェイク・データ」が、これから提出される法案の根拠とされていました。それは「働き方改革」の美名のもとに、法律となれば働く人々を縛ることになるでしょう。
 そうなれば、労働時間規制を強めて過労死を減らすために「改革」するはずなのに、逆に労働時間規制を弱めて過労死を増やすことになってしまいます。今でも裁量労働で働く人の方が一般の人よりも労働時間が長いというデータが、このような未来をはっきりと示しているではありませんか。
 このような実態を踏まえない「フェイク」を基にした「フェイク法案」の提出は許されません。国会への法案の提出そのものをきっぱりと断念するべきです。

 今回の「働き方改革」関連法案は、労働時間の規制緩和と規制強化とが抱き合わせになっているという問題もあります。「毒」と「薬」を一緒にして飲ませようというやり方自体が大きな問題です。
 「薬」であるはずの規制強化にしても、労働基準法36条で許される時間は繁忙期には100時間未満という内容です。過労死ラインを越える労働時間が正当化されることになり、過労死して裁判で訴えても労基法で許されているということで敗訴する可能性があります。
 「毒」となる規制緩和では、裁量労働制と同様に時間規制を外す高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ法案)が導入されようとしています。これでは労働時間の長さを是正することはできず、過労死はなくなりません。

 「働き方改革」は、長い労働時間で健康を害したり過労死したりする現状を是正し、人間的な働き方の実現へと「改革」するものでなければなりません。労働力は人材であり、その疲弊と枯渇は使用者側にとっても大きな問題であるはずです。
 目先の利益にとらわれず、長期的な視野を持った「働き方改革」こそが求められています。働く人々が虐げられ「大企業栄えて民滅ぶ」ような社会では、企業もまた存続し「栄える」ことはできないのですから……。

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