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2月27日(火) 平昌五輪に見られた安倍首相による対応の問題と日本という国の危うさ [文化・スポーツ]

 平昌オリンピックが幕を閉じました。とっとと、オリンピックによるマスコミのハイジャック状況にもピリオドを打ってもらいたいものです。
 この間の報道、特にNHKテレビのニュースには辟易しました。とは言っても、メダルを獲得した選手のインタビューなどは、途中でチャンネルを変えてあまり見ていませんでしたが。
 早くこの五輪の「カーテン」を開け放ち、日本政治の現実を国民に示すことこそマスコミの役割でしょう。国会での審議は惨憺たる有様で、これを立て直すことこそ最優先の課題なのですから。

 平昌五輪で日本選手が獲得したメダルの数は、金4、銀5、銅4の計13個で、過去最高の数字になりました。このことが高く評価されていますが、五輪は国別の対抗戦ではありませんから、このような形でメダルの数を比較すること自体、好ましいことではありません。
 もちろん、この結果は選手個々人の努力のたまものであり、育成・強化策の成果でもあったでしょう。その結果としてメダルを獲得された選手の方々を祝福したいと思いますし、競技を見ていた私も数々の感動と喜びを味あわせていただきました。
 今回の五輪では、ロシアが国家的ドーピングを認定され、多くの選手が出場できませんでした。「取材した雪上協議に限っては、メダル争いが想定されたロシア人選手が少なく、個人資格の参加であれ勢力図に変化はなかった」、「氷上競技もスピードスケートでメダル候補の数人が出られなかったくらい」(『東京新聞』2月27日付)で、それほどの影響はなかったということのようですが、これが日本のメダル獲得数の増大にどう影響したのか、気になるところです。

 今回の五輪では北朝鮮の対応が注目され、選手団の派遣、開会式や閉会式への高官級代表団の出席、女性応援団や管弦楽団の演奏などが行わました。これに対しては一斉に「微笑み外交に惑わされるな」という声が沸き上がりましたが、おかしなことです。
 「微笑み」より「憤怒」の方が良かったというのでしょうか。選手や外交団、応援団などを派遣せず、一触即発の緊張状態の中でいつ戦争になるかという不安や恐怖心を抱えながら五輪を開くべきだったというのでしょうか。
 韓国の文大統領による働きかけと北朝鮮による対応があったからこそ、平昌五輪は友好と平和の祭典として開催され、不安や恐怖を感じたりすることなく、選手は安心して競技に専念でき観客も心置きなくスポーツを楽しめたのではありませんか。これが今後どのような成果に結びつくかは分かりませんが、平昌五輪が平和の祭典として成功したこと、これを契機に朝鮮半島をめぐる緊張が緩和され戦争の不安が和らいだこと、南北対話と米朝対話に向けての可能性が生まれてきていることは極めて大きな成果であり、いくら評価してもしきれるものではありません。

 ところが、日本の安倍首相の対応は、このような流れに逆行する極めて異常なものでした。「微笑み外交にだまされるな」と北朝鮮を敵視して釘を刺し、米韓合同軍事演習の再開を求めて文大統領から「内政干渉だ」と反発される始末です。
 日本はアメリカと違って北朝鮮に近く7~8分で着弾する中距離ミサイルの射程下にあって迎撃はほとんど不可能ですから、軍事的対応はありえません。しかも、憲法9条には「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書かれており、武力による「威嚇」も禁じられています。
 安倍首相はよく「トランプ大統領と100%共にある」と言いますが、日本の首相である限りこのような言葉を口にすることは許されないということが分かっているのでしょうか。朝鮮半島の分断には日本による植民地支配も深くかかわっており、日本は南北朝鮮の統一を後押しする歴史的な責任を負っています。

 このように、日本が置かれている地理的な位置、憲法上の立場、歴史的な責任のいずれからしても、安倍首相の対応は極めて不適切なものであり、大いに問題のあるものでした。それにもかかわらず、これらに対する指摘や批判がほとんどなくマスコミも世論も同調してしまったという点に、日本という国の危うさが示されていると言えるでしょう。


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