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6月29日(金) 憲法の理念を活かした外交・安全保障はどうあるべきなのか [憲法]

 6月27日のブログで、私は「拉致問題を解決するためにも安倍首相を引きずり降ろさなければならない」と書きました。これは私の勝手な思い込みだというわけではありません。
 安倍首相では拉致問題は解決できないという意見は、世論の多数になっているからです。毎日新聞が6月23、24両日に実施した全国世論調査で、安倍首相が意欲を示している日朝首脳会談による日本人拉致問題の解決に「期待できる」は18%にとどまり、「期待できない」が66%に上りました。
 7割近くの国民は、安倍さんに期待できないと考えているわけです。そうであるなら、安倍さん以外の方に首相となって拉致問題の解決に取り組んでいただく以外にないでしょう。

 そもそも、安倍首相は憲法の理念を活かした外交・安全保障政策には全く関心がなく、その逆の道を歩んできました。憲法に自衛隊の存在を書き込む改憲案を提起しているだけでなく、首相就任以来、「戦争する国」「戦争できる国」をめざした好戦的政策を具体化し、軍事大国に向けて暴走を続けてきたからです。
 野党や世論の反対を押し切って特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法などを制定し、防衛費も毎年の増額によって1兆2000億円も増やし、長距離巡航ミサイルなどの攻撃的兵器を導入し、オスプレイの購入などによる装備と自衛隊基地の増強、沖縄の辺野古での米軍新基地建設、教育での道徳の教科化や愛国心教育の強化などを強行してきました。いずれも、軍事的対応による安全保障をめざしたもので、軍事力によらない安全保障を志向する憲法の理念に反するものばかりです。
 憲法は、その前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳い、9条には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書かれています。つまり、国民の「安全と生存」は「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼によって「保持」されるべきで、「国際紛争」も戦争、武力の「威嚇」や「行使」によって「解決」されてはならないというのが憲法の要請なのです。

 北朝鮮危機、核やミサイルの問題を軍事力で解決することもいとわない姿勢を示していた安倍首相は、このような憲法の要請に完全に反していました。憲法上の制約を受ける日本の首相は、アメリカのトランプ大統領と一致するような対応を取ってはならなかったのです。
 トランプ大統領が、軍事的なオプションを含めてあらゆる選択肢がテーブルの上にあると言った時、安倍首相が100%共にあると言うことは許されず、軍機的な選択肢を外しなさいと諫言するべきでした。それが、平和憲法を順守するべき日本の首相としてのあるべき姿だったのです。
 今後の朝鮮半島での緊張緩和、ミサイルと核問題の解決に当たっても同様です。戦争や軍事力に訴えるのではなく、非軍事的な手段によって非核化への道を具体化していくのが日本としての取るべき道にほかなりません。

 これについて、昨日の『朝日新聞』の「論壇時評」に示唆的な論攷が掲載されていました。小熊英二さんの「ゲーム依存と核 関係性の歪み 北朝鮮にも」という記事です。
 小熊さんは、ゲーム依存について、「依存症とは、社会関係の歪みから生じる病なのだ。関係の歪みから依存になると、関係がますます歪み、さらに依存が深まる。強制して一時的にやめさせても、当人の社会関係が変わらないとすぐ依存が再発する。周囲の人がやるべきことは、説教や恫喝ではなく、社会関係の再構築を助けることだ」とし、北朝鮮の核問題も同様だと指摘するのです。つまり、「猜疑心や敵対心、相互不信がつのると、核兵器が増加する。逆にいえば、猜疑心や相互不信に満ちた関係を作り変えることなしに、核兵器をなくすのは難しいのだ」と指摘し、「猜疑心や相互不信に満ちた関係を作り変えること」が大切だと主張しています。
 日本についても、「日本はなぜ核武装しないのか。それは、そうしなくてもよい国際関係があるからだ。また核武装したら、その国際関係が破綻するからだ」とし、「いちど核依存になった国は、圧力だけかけても効果は薄い。北朝鮮も同様だ。全面戦争で双方に大量の犠牲者を出したいのでなければ、関係を再構築していくほかない。その具体策を考える際には、日本自身が、安全保障上の不安をやわらげる国際関係なしには核武装をあきらめなかったことを念頭におくべきだ」「力で恫喝すれば何でも解決すると考えるのは非現実的であり、幼稚である。外交とはすなわち、国際関係を再構築する努力にほかならないはずだ」というのが、小熊さんの結論です。

 力による「恫喝」ではなく、「国際関係を再構築する努力」こそが必要であり、それこそが「外交」だというのです。それには「猜疑心や相互不信に満ちた関係を作り変える」知恵も忍耐力も必要で、相手を納得させるような道理に立脚した説得力も不可欠でしょう。
 憲法の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することによって、このような道理や説得力を手にすることができたはずです。それを安倍首相は投げ捨て、相手の猜疑心や不信を高めてきたというのが、「戦争する国」に向けての好戦的政策実施のプロセスにほかなりませんでした。
 憲法に反した暴走の連続だったというだけではありません。「平和憲法」を持つ国であるからこそ実現できたはずの紛争解決への道を閉ざし、国際社会で享受できたはずの「名誉ある地位」を踏み外してしまったと言うべきではないでしょうか。

 この日の『毎日新聞』一面下のコラム「余録」にも、注目すべき文章が書かれていました。「武器効果」という用語についての指摘です。
 「心理学に『武器効果』という用語がある。胸にわだかまるイライラや欲求不満が、時に他人への攻撃衝動に変わることがあるのは人の悲しい一面である。それを結びつけるものの一つが『武器』の存在という▲ストレスを与えられた人に銃を見せると攻撃的になるという心理実験があるそうだ。銃などの武器が人の心にひそむ攻撃のイメージや記憶を呼び覚まし、欲求不満などによる怒りを攻撃衝動へと結びつけてしまうのだといわれている」
 武器の存在こそが、人々のイライラや欲求不満、ストレスを攻撃衝動に変えてしまうのだというのです。逆にえば、イライラや欲求不満などによる怒りなどがあっても、武器がなければ簡単には攻撃衝動に結びつかないということになります。

 国家や国家指導者についても、同じことが言えるのではないでしょうか。核やミサイルなどの武器があるからこそ、攻撃衝動へと結びつくのだと。
 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言したことの深い含意を、ここから汲み取ることができるように思われます。安倍首相がめざしてきた軍事力依存の「積極的平和主義」や軍事大国路線こそが攻撃衝動を高める極めて危険な道だったということも、同じように学び取ることができるのではないでしょうか。

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