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1月5日(土) 「平成」時代の総括とこれからの日本(その2) [論攷]

 〔以下の論攷は、東京土建一般労働組合『けんせつ』第2268号、2019年1月1日付、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 深まる貧困と格差拡大 アベノミクスは破たん

 「平成」時代はバブル経済の絶頂期に始まりました。その後バブルははじけて長期低迷が続き、深刻なデフレ不況に陥ります。日本経済は浮き沈みしましたが、2012年12月からは景気拡大期間が続き、「いざなぎ景気」(1965~70年)を超えたそうです。
 しかし、そんな実感は全くありません。一貫して成長してきたのは大企業ばかりです。その結果、過去最高の利益を積み上げ、企業の内部留保は446兆円になっています。
 他方、労働分配率は低下して人件費は低いままに抑えられてきました。個人消費は低迷が続き、マイナス金利などで金利収入はほぼ消滅し、消費不況は深刻なままです。実質国民総生産(GDP)はほとんど増加せず、富んだのは大企業と富裕層だけでした。
 デフレ不況から脱出するために打ち出されたのが「アベノミクス」です。しかし、それは成功せず、消費不況は深刻なままで貧困化が増大し、生活保護受給者は3.6倍に増え、富める者と貧しい者、勝ち組と負け組、大企業と中小零細企業との格差が拡大しました。大企業や富裕層が富めばその富が低所得層に「滴り落ち」て国民全体に利益が及ぶとする「トリクルダウン理論」は完全に破たんしています。
 働く人々の処遇は悪化し、労働の質が劣化しました。「新時代の日本的経営」という日経連の提案が具体化され、雇用環境が大きく転換されたからです。その結果、正規労働者が減少し非正規労働者は2割から4割へ2倍になっています。
 2011年の東日本大震災と東電福島第1原発の事故は日本の経済と社会にとって激震を与えました。同時に、核に頼らないエネルギー構想が生まれる大きな契機にもなり、自然エネルギーと結合した地域循環型の経済再生への展望が生じているのは大きな希望です。

 価値観変質と右傾化 デモなど社会運動は復権

 「平成」時代には社会も大きく変わりました。量的には、少子化によって日本社会の縮小再生産が始まりました。総人口は2004年をピークに減り始め、生産年齢人口も1997年から減少を続けています。高齢化も進み、高齢者の半数が貧困状態に陥っています。
 質的な面でも激しい変容が見られます。競争の激化と短期的な成果主義、自己責任、排外主義、能力主義などの社会意識が浸透し、法に触れなければ何でも許されるという米国流の考え方も広まり、協調性やある程度の平等性の尊重、相互の信頼感や助け合いなどの日本的な価値観や道徳観が変質しました。
 また、社会の右傾化や若者などの保守化が目立つようになったのも、質的な社会変容として注目されます。世界的にも「ポスト真実の時代」や「フェイクニュース」が注目されていますが、日本の場合、メデイアコントロールの強化や権力による表現規制が強まっており、ジャーナリズムの衰退も著しいものがあります。
 このようななかで、デモや集会などの社会運動が復権してきました。派遣村や3.11原発事故などを契機に異議申し立てや反原発の運動などが再生し、特定秘密保護法や平和安全法制(戦争法)に反対する運動、安倍9条改憲阻止の3000万人署名運動など多様な運動へ受け継がれています。

 次の時代の幕開け 政治を動かすのは市民

 「平成」時代における変化には著しいものがありました。その「失われた30年」を取り戻すことは可能なのでしょうか。
 第1に、新自由主義的「改革」が失敗に終わり、その末路が明らかになってきました。政治・経済・社会への公的権力の適度な介入による持続的成長をめざしたのが戦後第1段階だったとすれば、第2段階は官から民への移行であり、規制緩和がめざされました。その最後の局面が訪れ、次の時代への過渡期が始まっているのではないでしょうか。
 第2に、次の時代に向けての新しい可能性が芽生えてきています。政治・経済・社会の変革に向けての新たな芽が生まれ、デモや集会、異議申し立ての運動などが復権して変革主体が形成され、生活不安や国会の機能不全への怒りが日常的に示されるようになりました。
 第3に、活路への絶好の機会が訪れようとしています。統一地方選と参院選は、「平成」時代に生じた「破壊」を修復し、憲法が尊重されその理念が活かされる新しい「活憲の時代」の扉を開く政治戦になります。
 この政治戦の帰趨は、日本の将来を左右するにちがいありません。民主国家において政治を動かすのは市民です。その市民の力を発揮して野党との共闘を実現し、日本社会の成熟度と国民の力を示して「平成」の次の時代の幕を開こうではありませんか。


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