SSブログ

5月22日(水) 書評:飯田洋子著『九条の会―新しいネットワークの形成と蘇生する社会運動』(その2) [論攷]

〔以下の書評は、『大原社会問題研究所雑誌』第727号、2019年5月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 以上のような本書の特徴と構造を前提に、いくつかの論点についての感想を書くことにしたい。
 第1に、「会」誕生の背景についてである。本書は「突如として『九条の会』という新しい運動が現れ」たと指摘し、「何がこの新しい社会運動へと繋がり、どのようにして、そしてなぜ、この運動はこれほど急速に発展したのか」と問題提起したうえで、「政治的過程、プロテスト・サイクル、そして社会的ネットワークという三つの研究領域における理論的蓄積に依拠し」て探求したと述べている(192~193頁)。
 社会運動の高揚をもたらす要因としては、客観的情勢と主体的な条件の双方が存在している。このうち本書は「会」という運動主体をテーマにしているから当然のことかもしれないが、「政治的過程」における客観的情勢が持っていた意味への注目が弱いのではないかと思われる。
 「会」がなぜ2004年に「突如」として現れたのかという点では、イラク戦争の勃発と安倍晋三という政治家が大きな意味を持っていたのではないだろうか。イラク戦争が2003年に始まり、翌2004年から陸上自衛隊がサマワに派遣されて多国籍軍に組み込まれ、日本人の拉致事件も発生した。
 他方で、改憲論者として警戒されていた安倍晋三が2003年に自民党幹事長に抜擢されるなど一挙に権力の中枢へと歩みを進めた。このような憲法9条に対する「脅威」(19頁)と「差し迫った危機」(21頁)こそが、「突如として」新しい運動を立ち上げた大きな要因の一つだったように思われる。
 第2に、プロテスト・サイクルという概念についてである。本書では社会運動の高揚期と停滞期(潜行期)がサイクル状に繰り返され、「会」の結成と広がりは60年安保闘争の再活性化であるととらえられている。
 このような運動の波とその循環は、「会」の活動にもあったように思われる。「会」結成後の最初の3年間の高揚期、第1次安倍内閣が倒れた後の停滞期を経たのち、自民党政権が復活して安倍首相が再登場した再活性期、さらには2015年9月の安全保障関連法成立後の一時的沈静の後、2017年5月3日の安倍首相による9条加憲と2020年改憲施行の表明に対する運動の高揚という一定のサイクルを認めることができるのではないだろうか。このようなサイクルが生じたのも、主体の側というより客観的な情勢の変化とそれに対応した「脅威」や「危機」の認識と深く関わっていたのである。
 なお、客観的情勢との関連という点では、「安倍の辞任は2007年の世論調査における憲法改正に対する支持率の劇的な効果のせいであるということだ。世論におけるこの変化は、与野党間の力の均衡の変化に直接的に現れた。自民党は2009年の総選挙で野に下り、民主党が社民党とみんなの党とともに連立政権を形成した」という記述が気になる。確かに憲法についての世論の変化はこれらの政変に影響を与えたかもしれないが、それが主たる要因であったとするのは「会」運動の過大評価であり、この点については慎重な検討が求められる。また、連立政権に加わったのは「みんなの党」ではなく「国民新党」であった。
 第3に、本書のキー概念である「60年代政治世代」についてである。この世代は60年安保闘争を担った人々であると理解されるが、これに対する筆者の記述は揺れている。
 たとえば、9頁では「1960年から1970年前半の、第9条と矛盾する軍事同盟であるところの日米安全保障条約の改定に反対する運動がつくり出した巨大なプロテスト・サイクル(抗議の周期)」と記述しながら、195頁では「この『政治の季節』が1970年代前半に終焉を迎え」と書いている。運動が続いたのは「1970年前半」までなのか、それとも「1970年代前半」までなのか。また31頁には「1960年代から1970年代にかけて日米安全保障条約改定に対する反対運動として起こった批判的直接行動」という記述もある。
 このような混乱が生じたのは、性格の異なる60年安保闘争と70年安保闘争とを混同し、この両者を一連のものとしてとらえているからである。そもそも60年安保闘争は安保改定に対する反対運動だったが、70年安保闘争は「改定反対」ではなく「延長反対」であり条約の「廃棄」を求める運動であった。
 両者の運動課題は異なっており、10年の間には運動を担う「世代」も交代していた。60年代後半からの学園闘争や70年安保闘争を担った人々と60年安保闘争を担った人々を一括して「60年代政治世代」としてとらえることには無理があるのではないだろうか。最初から「会」の事務局を担った小森陽一と渡辺治も60年安保闘争は経験していない。
 実際には60年安保闘争と70年安保闘争との間にもプロテスト・サイクルが存在し、運動主体の世代交代があった。評者は1969年に大学に入学し、学生自治会委員長として70年安保闘争に参加した経験がある。1970年6月23日の東大駒場での全国学生集会と代々木公園での全国中央集会にも参加した。71年の沖縄返還闘争や75年までのベトナム戦争反対運動にも加わっている。その後、確かに「政治の季節」は終焉を迎えるが、それ以前の活動家すべてと一緒にされて「60年代政治世代」と呼ばれれば、面食らうだけである。
 第4に、ネットワークの形成とクリアリングハウスの役割についてである。詳細な聴き取りに基づく叙述は本書の白眉だと言えるが、聴き取りだけでアンケートや統計に基づく数量的データなどは少ない。草の根の「会」の増加についてのグラフはある(65頁)が、その構成員の男女別、年齢別、社会的属性別の構成比などが数字として示されれば、「会」の全体像を把握するうえで有益だったと思われる。
 「クリアリングハウス・チャプター」としての県レベルの「会」についての解明も、本書の大きな貢献だと言える。その主要な機能は「それぞれの県の中で草の根の会の間のコミュニケーションや協力を促進することである」(93頁)として、神奈川、広島、宮城、京都、沖縄、福島の実例が紹介されている。それぞれの「会」の結成には「共通するパターンがある」として、「社会運動の活動蓄積と歴史の上に立ったものであること」や、それを率いているのは「社会政治活動の豊富な経験を持つ、専門性ある市民たち」で、この活動家集団の間には社会主義者と共産主義者、労働運動と市民運動、グループ参加と個人参加、若い世代とベテラン市民活動家、プロフェッショナルとアマチュアなどの間に溝が存在しており、それを克服することがめざされてきたと指摘している。ただし、これらの「溝」への対処法についての記述はいささか物足りない。
 第5に、新しい世代の登場と社会運動の継承についてである。筆者は2011年3月の東日本大震災を地震と巨大津波、原発の爆発という「三重災害」ととらえ、これを契機に若者による反核運動という「新しい社会運動」が始まり、「会」もこれに関わることによって運動の幅を広げたこと、第2次安倍内閣の登場と新安全保障法制や96条改憲論に対抗するための改憲派との共同、集団的自衛権の行使容認の閣議決定という「クーデター」(168頁)に反対する多様な運動の展開と分裂してきた運動組織や左派政党の共同、学生と学者の間の共働などのプロセスをフォローし、安保法制に反対する運動でのSEALsやママの会など若者による新たな活動家の出現に注目している。
 以上のような理解は基本的に正しいと思われるが、いくつか気になる点もある。これらの過程において、「会」自体の若返りと運動の継承が実現したのかという点である。学生や若者の「会」や「会」への若者の参加者がどれほど増えたのか、「会」内部での指導的活動家層の若返りと運動の継承がなされたのか。これらに対して本書は明確な答えを示しているとはいい難い。
 なお、大原社会問題研究所について、社会運動は「研究対象としては日本の学者にとって一種のタブーであった」と指摘しつつ「1919年から主に労働問題について研究し続けている学術組織だ」(48頁)と言及されていることを付記しておきたい。

nice!(0)