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9月9日(月) 日韓関係悪化の根本原因は政治・社会の積年の問題点の噴出にある [国際]

 日韓関係の悪化が深刻になっており、多くの人が心を痛めています。その根本的な原因は、日本の政治・社会において積み重なってきた問題点が、ここにきて噴出したことにあるのではないでしょうか。
 問題の発端は韓国の大法院による戦時中の徴用工についての判決です。それが今や、両国関係の悪化のみならず、愛知トリエンナーレの展示中止やマスメディアでの嫌韓報道の氾濫、日本社会における韓国敵視やヘイトの強まり、そしてついには名のある週刊誌による嫌韓特集まで登場するようになりました。
 とりわけ、小学館が発行する『週刊ポスト』での嫌韓特集については悲しく情けない気持ちでいっぱいです。私も小学館からは『日本20世紀館』『日本歴史館』という共著の歴史書や『戦後政治の実像』という単著を出版していますので、今回のような愚行は誠に残念で大きな怒りを覚えました。

 問題の第1は歴史修正主義にあり、そのチャンピオンが日本の最高権力者になっているという点にあります。歴史の真実を直視せず、それを歪めることによって美化し、責任を逃れようとする卑怯で情けない態度を取り続けていることです。
 歴代の自民党政権は侵略戦争と植民地支配などの負の歴史を直視することなく、責任逃れの解決策に終始してきました。それでも外交関係などへの配慮によって、従軍慰安婦への軍の関与を認めて謝罪した「河野談話」などのように、歴史の真実に近づこうとしたときもありました。
 しかし、安倍首相は首相になる前から従軍慰安婦についてのNHKの番組に介入したように、韓国への嫌悪と敵視が際立っています。徴用工や従軍慰安婦などをはじめとした負の歴史を抹殺し書き換えるために政治を利用してきたのが安倍晋三という人物であり、徴用工判決の無視と報復、貿易や安全保障問題へのリンケージなど、日本側から事態の悪化をエスカレートさせた対抗措置の背後には安倍首相の指示があったことは想像に難くありません。

 第2は、歴史教育の問題です。過去の過ちは教えられなければ理解できず、教訓を生かして反省することも謝罪することもできないからです。
 この問題でも安倍首相は突出した役割を果たしてきました。第1次安倍内閣の時に教育再生会議を立ち上げて教育基本法と学校教育法など教育改革関連3法を「改正」し、第2次安倍内閣でも教育再生実行会議を設置して道徳の教科化や愛国心教育を推進するとともに、歴史教科書の書き換えと教育の管理・統制に力を入れてきたことはご存知の通りです。
 従軍慰安婦について、同時代を生きてきた高齢者はそれが社会問題化した経緯や「河野談話」なども見聞きして知っていますが、若者は教えられなければ具体的な知識を持ちません。読売新聞や産経新聞などの権威あるメディアで報道され、テレビ番組などで百田尚樹などのベストセラー作家が発言すれば、たとえウソやデマであっても信じて踊らされてしまうのは当然でしょう。

 第3は、周辺諸国や民族への蔑視という社会意識の問題です。教育とマス・メディアによって教え込まれ信じさせられた誤った歴史認識は、すでに過去のものとなったはずの差別的な社会意識を呼び起こしてしまったからです。
 戦時中の日本の人々は、中国人や朝鮮半島出身者を独特の蔑称で呼び差別してきました。戦後、このような蔑称や差別は反省され、その背後にあった社会意識も消滅したはずだったのです。
 しかし、それはなくなったわけではなく日本人の意識の底辺に残り続け、経済の地盤沈下と中国や韓国など周辺諸国の追い上げで「経済大国」としてのプライドが傷つき優越感が失われる中で、再び意識の表層へと浮かび上がってきました。河野外相による礼を失した応対のように、対等の付き合いではなく上から目線での物言いが社会のいたる所で目立つようになっているのは、その表れではないでしょうか。

 第4は、メディアの危機と堕落を指摘しなければなりません。周辺諸国や民族への蔑視という社会意識や風潮に対して警鐘を鳴らし、周辺諸国や民族間の友好的な互恵関係を維持することに努め、それを阻害する政治家や言論人を批判し、たしなめるのがメディアとしての正しいあり方ではありませんか。
 過去の過ちを反省せず歴史を書き換えて責任逃れを図る政治家や言論人などを批判して真実を伝えていくのが、「社会の木鐸」としてのジャーナリズムの役割でしょう。新聞、テレビ・ラジオ、雑誌、それに書籍などの出版を含めて、このような志を持つ個人や企業が少なくなっているところに、メデイアの危機と堕落が示されています。
 その主たる要因は、視聴率の増加と販売部数の拡大をひたすら追い求め、右傾化する社会に迎合して稼ごうとする商業主義にあります。まさに「貧すれば鈍す」であり、売れないことへの危機感から性的少数者や他民族を蔑視して優越感を味わおうとする劣情に妥協し、批判を浴びてますます売れなくなり危機を深めるという悪循環が、先の『新潮45』や今回の『週刊ポスト』の愚行の背景にあったように思われます。

 隣人と仲良くできない国であることは、その国にとってプラスなのでしょうか。異なった民族をリスペクトできず憎悪によって排除するような国が、国際社会において「名誉ある地位」を占めることができるのでしょうか。
 過去において侵略と植民地支配という過ちを犯しただけでなく、その負の歴史を直視して反省することもできないという新たな過ちを積み重ねてはなりません。このような二重の過ちを犯す国が国際社会の尊敬を得ることはとうてい不可能だからです。
 日本国憲法前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と書かれています。安倍首相には、憲法を変えようとする前に、この前文を熟読玩味してもらいたいと思います。

 また、他国との友好や親善に意を尽くさず、その国の人々の心情を思いやることもできないような国や民族が国際社会で歓迎されるのでしょうか。オリンピック観戦への旭日旗の持ち込みを禁じないとした組織委員会の皆さんにも、日本国憲法の前文にある以下の言葉をかみしめていただきたいものです。
 「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

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