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12月28日(土) 「安倍一強」政権の正体と「退陣戦略」(その3) [コメント]

〔下記の論攷は、『月刊 全労連』N0.275、2020年1月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

Ⅲ 活路はどこに

 真の「危機」を知ること

 危機は、それを正しく認識できない時にこそ、本当の危機になる。今の日本は、まさにこのような状況に陥っている。これこそが、真の危機である。
 戦争法は集団的自衛権行使を一部容認するために「存立危機事態」という条件を付けた。別の意味で、今の日本は「存立危機事態」に直面している。子供を産んで育てることができず2008年を境に人口が減少している量的な縮小と、普通に働いてもまともな生活ができず老後も不安にさらされる質的な劣化こそが「真の存立危機事態」にほかならない。この現実を直視することが必要だ。
 このまま事態が進行すれば、日本社会は外から攻撃される前に内から縮小し崩壊する。兵器などの高額な防衛装備はこのような内なる崩壊に対して役に立たないばかりか、「金食い虫」となって福祉予算を侵食し崩壊を促進してしまう。
 このような政治の現実を知らせるために、労働組合の政治的社会的影響力の発揮が求められている。そのための活路は東日本大震災と原発事故以降に生じた「デモの復権」にあり、国会議事堂前や首相官邸前での集会や抗議行動が世論を変える上で大きな力を発揮してきている。
 政治の中枢だけでなく地方や地域でも、デモや集会、パレード、駅頭などでのスタンディング、署名活動や演説などによって広く社会にアピールし、問題の所在を知らせ国民の関心を高める行動が日常的に取り組まれてきた。一部の活動家による「自己犠牲的な行動」を核としながら、幅広い市民が日常の生活の延長としての「平凡な異議申し立て」へと広がってきた。
 それは特殊な活動ではなく、当たり前の日常的な風景となりつつある。この取り組みの方向を維持しつつ、幅を広げ活動の水準を高めていけば、やがては国際的な大衆運動の流れに合流する可能性が生まれるだろう。
 韓国での「ろうそく革命」や香港のデモ、アメリカでの銃規制を求める若者の運動、フランスでの「黄色いベスト」運動、チリでの激しい大衆デモ、そして温室効果ガスの削減を呼びかけて国際的なうねりを生み出しているスウェーデンの高校生の取り組みなど、政治の問題点を可視化し、その解決を求める地道な社会運動が世界各地で広がりを見せている。真の「危機」を明らかにし、それを解決するための手がかりは、このような運動の現場から生み出されてくるにちがいない。

 労働組合の力の発揮を

 このような点で、社会運動の「老舗」としての労働組合の政治的社会的影響力の向上が大いに期待される。しかし、それだけでは不十分だ。社会的に組織された集団としての労働組合だけでなく、それを構成している個々の組合員も大きな役割を果たさなければならない。
 労働組合の構成員の多くは自覚的な市民であり、今日の社会運動における市民の役割は、これまでになく大きなものとなっている。したがって、労働組合の社会的な力の発揮は「外へ」だけでなく、「内へ」というもう一つの方向でも強められなければならない。
 労働組合は要求実現に向けての職場での活動とともに、政策制度課題実現のための地域社会での活動や政治活動にも取り組む必要がある。これが社会運動的労働運動としての役割の発揮であり、「外へ」向けての活動である。
 同時に、組合員などに対する広報宣伝や教育学習も重要であり、これが「内へ」向けての活動である。政治の現実や問題点を可視化する機能は、何よりも労働組合の構成員に対して発揮されなければならない。従来の広報手段に加えて、ネットやSNSによる情報発信にも習熟することが必要である。
 個々の組合員が意識的に学ばなければ、「安倍一強」体制の正体を見破り、そのカラクリを知ることはできない。個々人の情報リテラシー(読解力)を高めることはますます重要になっている。一人でそれを行うことは困難であり、助けあえる仲間が必要だ。労働組合にはそれができる。
 個別的な労働者管理が広まり働く人々が切り離されて孤立し処遇の格差が拡大している現状の下で、労働組合の組織化は新たな意義と有用性を持ってきている。分断ではなく連帯、競争ではなく助け合いの場を提供できるという意味で、労働組合の存在は貴重である。「仲間のいる幸せ」によってこそ、分断や孤立から抜け出すことが可能になる。
 労働時間の短縮によって、自分や家族のためだけでなく政治や社会などの公共空間のためにも使える自由時間の増大を図ることも必要である。それは民主的な社会を実現し維持するためのコストであり、個人の努力に任せるのではなく社会全体で保障すべきものだからだ。

 「手を結ぶ」しかない

 個々の労働者は弱い存在である。その労働者が団結し、手を結ぶことによってはじめて交渉力を強め資本と対等の立場に立つことができる。それが労働組合である。団結こそが労働組合にとっての「武器」であり、力の弱いものが団結して弱さを克服し、対等な立場を獲得するのは労働組合の「お家芸」だ。
 同様のことは、政治の分野でも当てはまる。「多弱」とされている野党が「安倍一強」に対抗するためには、手を握らなければならない。大政党に有利になる、当選者が一人の選挙区では野党がバラバラでは勝ち目はない。市民と野党との共闘によって「1対1」の構図をつくり出すことで、はじめて対等な競争条件が獲得できる。
 2015年の戦争法に反対する大衆的な運動の盛り上がりの中から、「野党は共闘」という声が上がり、これに応える形で日本共産党は国民連合政権の樹立を呼びかけた。この時は唐突に見えたこの呼びかけは、2016年参院選に向けての「5党合意」に結実した。
 以後、市民と野党の共闘は、3回の国政選挙と地方の首長選挙などで実績を上げてきた。とりわけ、2016年と19年に実施された2度の参院選1人区での野党共闘の成果は大きかった。そこで示された教訓は、「安倍一強」に対抗する「受け皿」を提供するためには、市民と野党が共闘するしかないということだ。「手を結ぶ」ことこそ「退陣戦略」の要にほかならない。そのためには、克服しなければならない難しさもあった。
 第1に、市民と個々の政党が互いに尊敬、尊重する態度を貫き、共闘する意志を固めあうことが必要である。とりわけ、共産党を除外するという「反共意識」を克服しなければならなかった。今では共闘に共産党を含むことは当たり前の光景になった。共闘の推進力である共産党を含んだからこそ、大きな成果を上げることができたのである。
 第2に、共通する政策と各政党が独自に掲げる政策とを区別し、一致点を拡大すると同時に各政党の独自政策を尊重することが必要である。各政党の理念や政策に違いがあるのは当然であり、違うからこそ政策のすり合わせや一致点の確認が必要になる。これまで、市民連合を仲立ちとして政策合意の幅は広がり、合意内容の水準も高められてきた。これをさらに広げ、高めていかなければならない。
 第3に、2年以内に実施されることが確実な総選挙に向けて、各小選挙区での共闘のための具体的な協議を始めていくことが必要である。統一候補を擁立し政権交代によって政策実現の条件を作りだし、政治の転換につなげるまでの一連の取り組みで市民参加型をめざすことである。要求課題にもとづく対話と共闘を日常的に地域と職場で強め、市民と野党の共闘の担い手を増やすとともに小選挙区で力を出し合える選挙態勢をつくり出す必要がある。

 むすび

 「安倍一強」体制の強みが弱みに転化し、その正体が次第に明らかになってきた。長期政権であるが故の驕りと緩みが大きな問題を生み出し、安倍首相に対する責任追及の声も高まっている。その原因となったのは、大臣の辞任や「桜を見る会」など政権スキャンダルの噴出である。
 第4次安倍再改造内閣発足後、1ヵ月半で2人の重要閣僚が辞任した。しかも2週続けてである。有権者に公設秘書がメロンなどの金品を配ったり秘書が香典を渡したりしていた疑惑で菅原一秀前経産相が辞任したのに続き、妻の参院議員が法定額を超える日当を運動員に支払った疑惑で河井克行前法相も辞任した。
 第2次安倍政権発足以降、このような閣僚の辞任は10人に上る。多くは「政治とカネ」がらみで、行政の私物化疑惑や暴言なども数知れない。導入予定だった英語の民間試験についての萩生田光一文科相の「身の丈に合わせて頑張って」という発言も憲法や教育基本法で保障された教育の機会均等を踏みにじる暴言で、発言の撤回と試験導入の「延期」に追い込まれた。
 相次ぐスキャンダルの発覚と閣僚の辞任で、安倍首相の求心力は急速に低下している。さしもの「安倍一強」体制にも陰りが生じた。消費増税や社会保障の削減で国民いじめを続ける一方、不正や疑惑にまともな説明責任も果たさず強引な政権運営を続けてきたモラル崩壊の安倍政権の正体が露わになってきている。
 「退陣戦略」の発動に向けて動き出す時がやってきた。市民と野党が手を結び共闘によって連合政権樹立をめざし、安倍政治の正体を明らかにして「受け皿」を提供すれば、あきらめていた国民も投票所へと足を運ぶことは、参院選1人区での勝利などで実証されている。
 「審判の日」は近づいている。解散・総選挙で安倍退陣を実現することは十分に可能だ。そのために、来るべき政治決戦に向けての準備をいそがなければならない。(2019年11月27日脱稿)

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