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11月10日(火) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』11月10日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「“トランプと蜜月”のツケ バイデン政権で日米どうなる」

 「青(民主党)も赤(共和党)もない。白人も黒人もアフリカ系もアジア系もない。すべてのアメリカ人の大統領になる」

 「国民を分断するのではなく、団結させる」

 バイデンは「勝利宣言」の演説で、何度も「分断の傷を癒やす時だ」と語った。それだけ米国内の分断が深刻化しているということだ。

 大統領選に負けたとはいえ、約半数がトランプに投票したことを忘れてはいけない。「親トランプ」と「反トランプ」の対立は簡単には解消されず、今後も混乱が続く可能性がある。

 だからこそ、トランプ政権で分断され、傷んだ米国社会を癒やし、統合し、再び立て直そうとバイデンは国民に語りかけた。

 「大統領にふさわしい知性と品格にあふれたスピーチでした。しかも、用意された原稿を読んでいるのではない。プロンプターも使っていない。彼我のトップの知性の差に愕然としてしまう。一国の大統領が国民の分断を煽って、自分の権力を強化する手法は民主主義国家として異常だし、そういう大統領に媚びへつらう日本の首相もどうかしているのです。米大統領選では、民主主義の底力が示された。民意の強さを日本国民も学ぶべきです」(法大名誉教授の五十嵐仁氏=政治学)

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11月8日(日) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』11月8日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「米国は4年でトランプ追放 安倍継承政権のままでいいのか」

 甘利明税調会長らは「中国の軍事研究につながる『千人計画』に積極的に協力」とのデマまで拡散し、対立をあおった。案の定、SNS上には「国賊学者に鉄槌を」などと罵詈雑言が飛び交い、「『学問の自由』といえば、みんな水戸黄門の印籠の下にひれ伏さないといけないのか」と暴言を吐く、伊吹文明元衆院議長のようなバカまで現れる始末。米国同様、この国の分断も深まるばかりだ。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言った。

 「権力は腐敗するのが、政治の本性。安倍政権から菅政権と約8年も同質の政権が長期化すれば、強烈な腐臭が漂うのは当然です。この嫌なムードを消すには、政権交代しかない。『ポスト菅』不在で安倍前首相が再々登板、9年、10年と腐敗政治がダラダラ続けば社会の荒廃から抜け出せません。4年でトランプ政治にケリをつけそうな米国を見習って、日本も菅政権を解散総選挙に追い込み、民意の底力を発揮すべきです」

 この国にも、そろそろ「チェンジ」が必要である。


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11月5日(木) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』11月5日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「これが答弁? スッカラカン首相の支離滅裂に国民は愕然」

 「会員選考の際にジェンダー、地域、所属、分野、年齢の多様化を図ってきた」と主張する学術会議のデータにも多様化の傾向は表れている。2011年10月と2020年10月との比較では、東大・京大在職者の比率は36・2%から24・5%に減少。私大・公立大在職者は18・6%から27・0%に増加した。関東59・5%→51・0%、近畿15・2%→24・0%、中国・四国1・0%→3・4%に変化。女性は23・3%から37・7%へ、国の機関や民間企業などの産業界出身者も1・9%から3・4%に増えている。つまるところ、菅は難癖をつけているだけ。今井雅人議員が菅の著書「政治家の覚悟」を手に総務官僚を異動させたくだりを読み上げ、「なぜ言えないのか。(著書には)個別の役人の人事が書いてある」と矛盾を指摘すると、「この人事は表に出ているやつですから」としどろもどろでごまかす始末である。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)は言う。

 「菅首相の答弁能力については国会審議が始まる前から不安視されていましたが、懸念が的中した。若手が少ないと言いながら若手を排除し、多様性を持ち出しながら女性を排除する。菅首相の答弁は支離滅裂です。説明できないような理由、つまり政府の意向に従わない学者の弾圧を目的に任命拒否に及んだものだから、言うことがコロコロ変わり、言い訳にもならないような言い訳を繰り返すのでしょう。援護射撃した自民党議員の質問からも反知性主義的な党体質が浮き彫りになった」

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11月2日(月) 書評:上西充子著『呪いの言葉の解きかた』晶文社、2019年(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、社会政策学会の学術誌『社会政策』第12巻第2号、2020年11月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕


 特徴と意義

 本書には、いくつかの特徴と意義がある。その一部についてはすでに内容の紹介でも触れているが、改めて指摘しておきたい。
 その第1は、内容の分かりやすさである。テレビドラマや映画、人気漫画やルポなどの豊富な実例を用いて、「呪いの言葉」とそれにどう対抗していくかが示されている。その多くは説得力のあるものだが、『カルテット』というテレビドラマを例に、「自分の置かれた状況を俯瞰し、その状況を捉えるための新たな言葉を探し、そうして少しずつ、少しずつ、不当な干渉に揺さぶられない自分へと変わっていく」(240頁)過程を取り上げた第6章はいささか分かりにくいように感じた。ただし、そう思ったのは、日ごろドラマなどはほとんど見ず、本書に登場する作品についての予備知識が全くない評者だけかもしれないが。
 第2に、著者の「言葉」へのこだわりである。「私たちは、言葉を通じてものを考え、状況を認識し、自分の気持ちを把握する。言葉によって、私たちの思考は、行動は、縛られもするし、支えられもする」(256頁)からだ。著者が問題にするのは「呪い」そのものではなく「呪いの言葉」であり、権力による支配そのものではなく、支配するための「言葉」であり、支配される側の受容と服従なのである。呪いや支配への対抗を生み出すためには、それを言葉によって可視化し俯瞰することが必要だとの問題意識があるように思われる。
 著者は、最近の新聞時評でも検察庁法改正案の今国会断念を伝える報道の見出しに使われている「反発」という言葉について、「読者の見解を『抗議』や『反対』ではなく『反発』と表現するとき、そこには『今後とも丁寧な説明に努めていきたい』と繰り返す政府と歩調をそろえる姿勢が、無意識のうちに潜んではいないだろうか」と批判し、「報道は政権寄りにならず、問題のありかをただしく伝えているか、一つひとつの言葉遣いにより敏感であってほしい」と注文を付けている(『東京新聞』2020年6月14日付)。
 第3に、ネットとのコラボである。本書の成り立ちそのものが、ツイッターでの書き込みと、「#呪いの言葉」とハッシュタグをつけての引用リツイートだった。だから、「『ご飯論法』と同じく、この『呪いの言葉の解きかた』も、ツイッター上の皆さんの反応によって生み出されたものだ」(259頁)という。
 このように、本書の成り立ちだけでなく、「ご飯論法」や国会PVもネットとの連携なしには不可能だった。この点で、著者はハッシュタグを使ったネットでの社会運動の先駆者だと言える。このようなインターネットやツイッターによる異議申し立ては、1000万を超えたと言われる「#検察庁法改正案に抗議します」という「ネット・デモ」に引き継がれ、検察庁法改正案の成立阻止という結果を生み出す大きな力となった。
 以上のほかにも、「呪い」やごまかしを見抜く目の確かさ、情報の発信へのこだわりなど、本書には多くの特徴が示されている。実際の効果を重視し行動するエネルギーにも感心させられた。本書の最後に「呪いの言葉の解き方文例集―『呪の言葉』と『切り返し方』」が掲載されているのも、このような実践上の効用を期待してのことだと思われる。
 「呪いの言葉」の背後には、「呪いの構造」や「呪いの関係」が存在している。「言葉」の呪縛を「解く」ことから始まって、「構造」や「関係」を組み替え作り直していくことができるのか。そのための新しい切り口や対抗手段がどのように開発されるのか。当分の間、著者の言動からは目が離せない。



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11月1日(日)  書評:上西充子著『呪いの言葉の解きかた』晶文社、2019年(その1) [論攷]

〔以下の論攷は、社会政策学会の学術誌『社会政策』第12巻第2号、2020年11月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 はじめに

 本書の著者は、日本労働研究機構を経て法政大学キャリアデザイン学部教授となった日本の労働研究者である。しかし、それ以上に、「ご飯論法」や「国会パブリックビューイング(PV)」という新しい社会運動の手法の開発者としてよく知られている。その言論活動は、アカデミズムにおける研究の範囲には収まらない。本書も、そのような著者の斬新な発想や積極的な行動力、社会的なネットワークの幅広さを示すものとなっている。
 「ご飯論法」は2018年度新語・流行語大賞トップテンに選出され、一躍注目を集めた。この用語を用いたのは著者が最初というわけではなかったようだが、国会での不誠実な言い逃れの答弁を批判するために「#ご飯論法」というハッシュタグをつけて積極的に拡散したのは著者の功績である。
 「ご飯論法」とは、「朝ご飯は食べたか」という問いに、「ご飯」を故意に狭くとらえて「(パンは食べたけれど)ご飯(米)は食べていない」と答えるようなことを言う。追及をかわすために、嘘ではないが論点をずらしたりごまかそうとしたりする。「働き方改革」関連法案の議論において、加藤勝信厚生労働大臣の国会答弁での意図的な論点のすり替えや言い逃れを鋭く衝く的確で絶妙な言葉だったために多くの注目を集めた。
 もう一つの「国会PV」は国会での審議の動画を街頭で上映し、論点ずらしやはぐらかしのような不真面目で不誠実な答弁を「可視化」するものだ。新橋駅前SL広場での上映が初めてで、その後、有楽町・新宿・渋谷・恵比寿など都内各地の駅前などに、スクリーンとスピーカーを設置して国会審議の様子を映し出した。これが有志の協力を得て実現するに至った経緯については、本書の第4章「政治をめぐる呪いの言葉」の第4節「国会パブリックビューイング―可視化が持つ力」に詳しく紹介されている。
 このような、学者というより社会運動家としてよく知られるようになった著者が、常識だと思い込まされている言葉による「呪い」を解き、「あっ、そうか!」と納得して身を守り、反撃することのできる技を伝授するのが本書である。それは単に「言葉」の問題にとどまらず、その背後にある「ものの見方、考え方」や社会の構造にまで及んでいる。
 「私たちの思考と行動は、無意識のうちに『呪いの言葉』に縛られている。
そのことに気づき、意識的に『呪いの言葉』の呪縛の外に出よう。思考の枠組みを縛ろうとする、そのような呪縛の外に出よう。のびやかに呼吸ができる場所に、たどりつこう。
それが、本書で伝えたいことだ。」(14頁)

 構成と概要

 最初に、全体の目次を掲げておこう。

 第1章 呪いの言葉に縛られない
 第2章 労働をめぐる呪いの言葉
 第3章 ジェンダーをめぐる呪いの言葉
 第4章 政治をめぐる呪いの言葉
 第5章 灯火の言葉
 第6章 湧き水の言葉

 以上のうち、第1章は本書の内容や構成を略述しており、本来なら「序章」とされるような位置にある。ここでは「嫌なら辞めればいい」という言葉を例に、「呪いの言葉」の「ねらい」を明らかしたうえで、「呪いの言葉」そのものについて説明されている。それは「相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意を持って発せられる言葉」や「相手を出口のないところに追い込んで発せられる……『答えのない問い』」のことである。
 「本書では、『呪いの言葉』とその呪縛の『解きかた』を、労働をめぐる呪いの言葉、ジェンダーをめぐる呪いの言葉、政治をめぐる呪いの言葉の三つに分けて」(26頁)記述されている。このそれぞれが、第2章から第4章に相当する。以下、もう少し詳しくその内容を見てみよう。
 第2章が扱う「労働をめぐる呪いの言葉」は、目的から見て二つに分けられる。「ひとつは声を上げることを抑圧するもの」であり、「もうひとつは、分断を目的としたもの」(30頁)である。その目的は「文句を言わずに、懸命に働け。団結して対抗するな」ということだという。その実例として示されるのが、「ダンダリン 労働基準監督官」というドラマであり、『サンドラの週末』という映画である。これらを通じて、呪いの言葉の「内面化」を拒み、正当な要求を発して職場環境を改善する必要性、当事者が自ら進んで取り組むことや正攻法で対抗することの大切さが示される。
 さらに、より巧妙に仕掛けられる「分断」の例として、「だらだら残業」という「呪いの言葉」を取り上げ、「働き方改革関連法」によって導入された「高度プロフェッショナル制度」の「嘘」を暴く。あたかも成果によって評価されるかのような印象操作によって自ら選び取るように仕向けられる危険性を指摘しつつ、著者は次のように述べて、この章を結んでいる。「呪ったり、誘ったり。それらの言葉に、うっかり釣られないようにしたい。」(78頁)
 第3章の「ジェンダーをめぐる呪いの言葉」は、家族と職場における役割をめぐって「女性と男性を縛っている呪い」や財務省のセクハラ問題とそれに対抗する動きを扱っている。コミック『しんきらり』を例に家事・育児の大半を女性が担っている状況の鬱屈が指摘され、『逃げるは恥だが役に立つ』(逃げ恥)を手掛かりに家事労働は無償かと問いかけられる。次いで、杉山春のルポから過剰な「生真面目さ」が虐待を生む「『母親』という『呪い』」(98頁)や「男性を縛る『呪い』」(106頁)が明らかにされ、「他人のケアに責任を持つことなど想定外の労働者」である「ケアレス・マン」(109頁)の問題性が示され、「溜め」と「支援を受ける権利」の重要性が指摘されている。
 「財務省のセクハラ問題」については、「はめられて訴えられているのではないか」「セクハラ罪っていう罪はない」などの「呪いの言葉」の数々が示される。と同時に、これに対する記者クラブ、労働組合、野党などの動きや集会などの「光が見える動き」(127頁)が紹介されている。その集会でのスピーチは、次のような言葉で締めくくられていた。この言葉は、セクハラについてだけのものではない。
 「あなたが自分の可能性に向き合うことを、それをあきらめなければ、あなたはきっと呪いに打ち勝つことができる」(134頁)。
 第4章の「政治をめぐる呪いの言葉」は、内容的にも分量的にも本書の中心をなしている。そもそも、著者は「一つひとつの論点」だけでなく「政権のありようそのものにも対峙しなければならない」と思うようになって、「『数』と同時に『言葉』が力を与えるのだと気づいた」(257頁)という。「政治」が中心になるのも当然だろう。
 ここでは反原発のデモや異議申し立ての記者会見、国会PVなど著者が参加した個人的な体験を中心に記述され、「呪いの言葉」よりも、その「解き方」に焦点が当てられている。デモは権利で「国民主権の象徴的な行動」(146頁)であること、それは「異議申し立てを可視化させる」(152頁)ことなどの指摘も重要だが、何といってもメデイアの注目を集めた裁量労働制のデータ偽装問題の顛末が本書の白眉だと言える。
 著者は安倍首相が国会答弁で言及した裁量労働制のデータがおかしいとWEB記事で指摘し、安倍首相はこの答弁を撤回するに至った。その後も、これが「政権の意図に合うように『捏造』されたものと考えられる」(165頁)との連載記事とそれに対する自民党厚生労働部会長である橋本岳衆院議員の妨害行為に対するやりとりが紹介されている。この部分を読んで、「良く『捏造』を見破ったものだなー」と感心した。また、「学問の自由」の侵害への異議申し立てを行った勇気にも、国会PVによって政府側の不誠実な態度を可視化する知恵と行動力にも学ばされた。
 以上の3つの章に続く第5章と第6章が扱うのは「呪いの言葉」とは対照的な二つの言葉である。第5章は「灯火の言葉」、第6章は「湧き水の言葉」となっている。
 「灯火の言葉」は「相手に力を与え、力を引き出し、主体的な言動を促す言葉」(194頁)である。それを「灯火の言葉」という「表現でイメージする」のは、「心のなかに静かに燃える火」であり「体をあたため、気力を起こさせ、しっかりと立とうとする自分を支える灯」(195頁)だからである。
 同様に、第6章も「呪いの言葉」とは対照的な「湧き水の言葉」を扱う。「灯火の言葉」とは異なって、これは他者から届くものではなく「自らの身体から湧き出てきて、みずからの生き方を肯定する言葉」(236頁)のことである。これらについても、豊富な実例を示して論述されているが、詳しくは本書をご覧いただきたい。

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