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12月15日(火) 日本政治の現状と変革の展望(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、日本民主主義文学会の『民主文学』2021年1月号、に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

2、 日本学術会議任命拒否事件                 

 違憲・違法な任命拒否

 安倍政権からの「負の遺産」の継承を象徴的に示したのが、日本学術会議に対する任命拒否事件です。学術会議から推薦された105人のうち6人の任命が拒まれたのです。この任命拒否は憲法23条が公的な学術機関の自律を保障する学問の自由と、法律によって定められている「学術会議の推薦に基づいて首相が任命する」という規定に反する違憲で違法なファッショ的暴挙にほかなりません。
 6人を誰かが勝手に除外し、元のリストを首相が「見ていない」という今回のやり方は、「任命は形式的」で「首相が任命する」といういずれの規定にも反しています。研究と業績以外の理由を持ち出して任命を拒否するのも法律違反です。拒否の理由を説明し、直ちに撤回して6人を任命するべきです。
 1983年に中曽根首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎない。学問の自由独立はあくまで保障される」と答弁していました。もし、形式的ではなく実質的な任命がなされれば、「学問の自由独立」は保障されなくなると言っていたのです。今回がそれに当たります。
 同じ83年の参議院文教委員会で内閣官房総務審議官は「推薦されたうちから総理が良い人を選ぶのじゃないかという感じがしますが、形式的に任命を行う。実質的なものだというふうには理解しておりません」と答弁していました。「総理が良い人を選ぶ」ことはない、つまり今回のようなことはしないと約束していたのです。
 丹羽兵助総務長官はもっとはっきりと「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否しない。その通りの形だけの任命をしていく」と答弁していました。その後、政府が現行の推薦方式に変えた2004年に「首相が任命を拒否することは想定されていない」という内部資料をまとめていたことも分かりました。
 「拒否しない」と言っていたのに「拒否」したのです。国会での審議では「解釈は変えていない」という答弁も相次ぎました。当時から任命拒否が可能だと解釈されていたわけではなく、これらの答弁との整合性が問題になります。

 権力による教育と大学への介入

 今回の人事介入の狙いは安倍前首相が進めてきた教育改革や大学改革と共通しています。その目的は道徳の教科化と愛国心教育の強化によって、権力に従順で自ら進んで「お国のため」に戦う人材を育成することにありました。学術会議への介入は、その大学版です。
 大学法人化や管理運営体制への民間人登用、教授会自治の切り崩し、補助金の削減と科学研究費の配分などを通じて、これまでも大学の自治と学問の自由は侵され、軍事研究への協力を強いられてきました。防衛省の軍事研究助成(安全保障技術研究推進制度)に採択された岡山大や東海大はJAXA(宇宙航空研究開発機構)とともに「極超音速ミサイル」の開発に協力しています。学術会議への攻撃は「敵基地攻撃能力」の保有の動きと連動しているのです。
 学術会議が目の敵にされるのは、このような大学改革や学術研究への介入に対する防波堤となって軍事研究に反対し、大学の自治と学問の自由を守ろうとしてきたからです。自民党はこの学術会議に挑戦状をたたきつけ、87万人の学者・研究者を敵に回すことを宣言したことになります。
 学術会議の変質を図ろうとする手段も、安倍前首相に指示され菅前官房長官が実行してきたものと同じです。人事に関与したり介入したりすることで恫喝し、忖度させて言うことを聞かせようというのです。
 『毎日新聞』10月8日付に興味深い記事が出ていました。「14年10月以降のある時点で、官邸側から『最終決定する前に候補者を説明してほしい』と要求されていたという」のです。この「14年」という年が一つのポイントではないでしょうか。13年から14年にかけて、それまでの慣例を破る形での官邸側による人事介入が相次いでいたからです。
 安倍前首相は13年には内閣法制局長官に外交官の小松一郎駐仏大使を任命し、NHKの経営委員に「お友だち」の百田尚樹・長谷川三千子両氏を押し込み、翌年の14年1月にはNHK会長に籾井勝人氏を起用し、この年の5月には内閣人事局が設置されました。
 14年5月15日には「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が “集団的自衛権の行使は認められるべきだ”とする報告書を出し、安倍前首相は 集団的自衛権が必要な具体例として親子のパネルを示して説明していました。他方で、3月に「戦争をさせない1000人委員会」、4月には「立憲デモクラシーの会」が発足し、これ以降、翌年の9月まで学者・研究者も加わって激しい反対運動が展開されます。
 この様子を眺めていた官邸側は「何とかしたい」と考えたのかもしれません。その具体的な現れは「16年の補充人事で学術会議が推薦候補として事前報告した2ポストの差し替えを官邸が要求」(『毎日新聞』2020年10月8日付)するという形で生じ、以後、今日まで繰り返されてきました。

 墓穴を掘ったのではないか

 自民党や政府にとって学術会議は以前から煙たい存在で、できれば廃止するか従順な機関に変質させたいと考えていたはずです。それが、具体的な人事介入という形をとるようになった背景には特定秘密保護法や安保法制に対する反対運動があり、これらの法制定との関係で軍事研究を加速させる必要性が生じたからでしょう。
 そのために、2018年に首相が推薦通りに会員を任命する義務はないとする内部文書を作成して準備を進めてきたのだと思われます。この時点で法解釈の変更がなされたことは明らかですが、政府はそのことを認めていません。
 認めれば、勝手に解釈を変えたのに公表していなかったことになり、国会の立法権を侵害してしまうからです。そのために、「総合的・俯瞰的」という抽象的で理解不能な言葉を繰り返すしかなくなりました。
 菅首相は10月9日、内閣記者会のインタビューに応じて日本学術会議を行政改革の対象とする方針を示しました。問題の論点をすり替えるとともに、真の狙いをあけすけに語ったわけです。また、首相は自身が任命を決裁する段階で学術会議が推薦した6人は既に除外され、99人だったと説明しました。推薦段階の名簿は「見ていない」というのです。
 それなら、誰が名前を削ったのでしょうか。警察庁出身で内閣情報調査室長の経歴を持つ杉田和博官房副長官の関与が明らかになっています。首相以外が判断したのなら任命権の行使であり、学術会議法違反です。そもそも名前も見ないで、菅首相が「総合的・俯瞰的」に判断することができるのでしょうか。
 この菅首相の発言は、今回の決定への疑問を深め、その不当性をさらに強めるものです。菅首相は日本学術会議の6人の任命拒否によって「虎の尾」を踏み、知らず知らずのうちに「墓穴」を掘ったのではないでしょうか。その後の対応は自ら穴を掘り進み、ますます深みにはまったように見えます。


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