SSブログ

6月27日(日) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』6月26日付に掲載されたものです。〕

*記事「河野大臣“口先だけ上から目線”が招いたワクチン不足大混乱の落とし前」

 ワクチン担当の河野行革担当相は、これまで何と発言してきたか。

 職域接種を呼び掛けた2週間前の11日の記者会見では「ワクチンの供給は余裕があります」。自治体に対しては、接種率上位に傾斜配分をすると“上から目線”で、15日の会見では「自治体に在庫を積み増しても仕方ない。接種が遅い自治体は、1回クールを飛ばさせていただくこともあり得る」とドーカツしていた。

 ところがワクチン不足となると言い訳ばかり。24日はテレビ出演で職域接種について、「あっという間に、ものすごい量の申請があった」と見通しの甘さを釈明。22日の会見でも「必要以上に申請しているケースがある」と企業や自治体のせいにし、今後は、「余分に申請されていないか精査する」。きちんと精査してこなかった政府の側に問題があるのではないのか。

 「OECDで最下位レベルと日本のワクチン接種は大きく遅れていた。夏以降、五輪と衆院選があるため、菅政権はそれまでに接種を進めたいと焦ってドタバタ劇を生んでしまった。河野大臣は発信力が評価されているけれど、後先考えずに聞こえのいい話ばかり。それも不幸に輪をかけました」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 そもそもワクチン接種については、医療従事者→高齢者→基礎疾患のある人→一般という順序があったはずだが、五輪優先の菅首相のトップダウンで、医療従事者が終わらぬうちに、高齢者が前倒しになり、自衛隊による大規模接種も導入され、自治体接種との二重予約の混乱を招いた。その後、自衛隊会場は高齢者が集まらず、いまや接種券さえあれば誰でも予約できるというなし崩し。

 「態勢は走りながら考えればいい」と漏らした政権幹部がいたらしいが、あまりにデタラメだ。

nice!(0) 

6月24日(木) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』6月24 日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「連日ウソばかり 橋本聖子会長が自己崩壊しない摩訶不思議」

 21日の会見で専門家の提言との整合性を問われた組織委の橋本聖子会長は、「中止は提言になかった」と都合よく解釈。「観客を入れた時のことも想定した提言をいただいた」「組織委員会の感染対策については大変高い評価を尾身会長からいただいた」などと言って、「有観客で上限1万人」の開催を正当化してみせた。

 「政府も組織委も最初から有観客開催の結論ありきで、専門家の知見も無視して突っ走ろうとしている。コロナ禍で五輪を開催することに対する国民の不安は大きいのに、開催の是非をスッ飛ばして、いつの間にか観客数の上限が論点にされていたのです。そのうえ大会関係者は観客ではないから別枠、子どもたちに観戦機会を提供する学校連携観戦チケットも別枠などと、なし崩しで観客数を増やそうとしている。IOCにおもねると同時に、秋の解散総選挙に向けた政治的思惑から、盛り上がりを演出するためにどうしても観客を入れて開催したいのでしょうが、人が移動したり集まったりすれば感染拡大リスクが高まることは周知の事実です。リーダーには冷静で科学的な判断が求められるのに、現実から目をそらし、行き当たりばったりで大会成功を夢想しているだけとしか思えません」(法大名誉教授の五十嵐仁氏=政治学)

 過去7回の五輪出場を誇る橋本だからこそ、応援の「大声禁止」がいかに荒唐無稽で無理難題かということを誰より分かっているはずだ。カネのことしか頭にないIOCのバッハ会長や五輪を選挙戦略に利用する菅のために、アホらしい五輪プレーブックも作って、嘘をつき続けるストレスによく耐えられるものだ。アスリートファーストに立っていたら自我が崩壊するのではないかと心配になってしまう。

 「橋本会長はもはやアスリートではなく政治家なのです。森元首相のお気に入りで、本人も組織委会長就任にあたって政治的中立性を担保するために自民党こそ離党しましたが、国会議員を辞めることはかたくなに拒否した。丸川五輪相もそうですが、レールに乗って自分より上の人間の意向に従うだけ。思考停止に陥っていて、操り人形のようです。五輪強行でコロナ感染拡大のリスクがあることも分かっていながら、中止を進言する勇気もない。破滅に突き進んだ先の大戦とそっくりの展開になってきました。橋本氏と丸川氏の無表情を見ているだけで、この五輪の異様さが分かります」(五十嵐仁氏=前出)

 今般の五輪でメダルを獲得した選手が、いずれは橋本のようになるのかと想像すると、ますます純粋に応援できなくなる。

 選手より、国民の安全より、カネと名誉と政権延命。そのヨコシマな思惑を覆い隠すために「スポーツの力」や「絆」という情緒的な言葉がことさらに強調されるのだ。その欺瞞に気づいた国民は、1カ月後の開会式を暗澹たる気持ちで迎えることになる。

nice!(0) 

6月23日(水) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』6月22日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「五輪は400万人のバカ騒ぎ 飲酒は「2人90分」のアホらしさ」

 32日後に迫った五輪をめぐり、5者協議が21日開催。オンラインで顔を並べたのはIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長、IPC(国際パラリンピック委員会)のパーソンズ会長、小池都知事、丸川五輪担当相、大会組織委員会の橋本聖子会長で、メインテーマは観客の上限の引き上げだ。これまで「収容人数の50%を上限に最大5000人まで」としてきたが、菅政権の方針に沿って東京の重点措置解除を前提に「収容人数の50%を上限に最大1万人まで」に緩和。政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長ら専門家有志は「無観客開催が望ましい」と提言しているのに、完全に無視だ。有観客路線を曲げないどころか、キャパを広げようというのだからメチャクチャである。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)は言う。

 「密を回避せよ、人流を抑制せよと言って飲食店に制約を強いながら、特別扱いの五輪は収容人数を目いっぱい増やす。カネのための五輪強行、内閣支持率アップのための五輪強行、総選挙勝利のための五輪強行であることがあからさまです。政府は人流増加で大きなリバウンドを招き、新規感染者、重症者、死者が増えてもお構いなしなのでしょう。思考停止で五輪開催に突き進み、行動変容をしない政府に協力を求められ、どれほどの国民が応じるでしょうか。はなはだ疑問です」

 東大准教授の仲田氏らは、東京では前回の宣言解除後を上回るペースでリバウンドが起きる可能性を指摘している。

 前回宣言が解除された3月22日以降の東京の新規感染者数の推移を基に分析。3月22日の7日間平均の感染者数は302・9人だったが、自粛要請の緩和などに伴う人流増加などが要因となり、4週間後の4月19日には600・6人に倍増していた。今月10日以降は390人前後で推移しているが、前回同様の人流増加などがあれば4週間後には感染者数が約400人増える可能性があると結論付けた。国の指標である「ステージ4」を軽々と突破するというのである。

 国立感染症研究所などの研究チームも同様の試算を出している。人出が宣言解除後に10%、1カ月かけて15%増えると、7月下旬に都内の新規感染者が1日500人超え。五輪開催でさらに10%増えれば、8月上旬に1000人を突破し、下旬のパラリンピック閉幕前には1500人に迫るという。

 「この政権は狂っているんじゃないか。政権の方向性が理性で理解できない、全くついていけない。多くの国民がこうした不安を抱いています。わずか1年足らずで新型コロナ対策で同じ過ちを繰り返し、国民の健康と命は一向に顧みられない。最善のコロナ対策は政権交代、これしかありません」(五十嵐仁氏=前出)

 五輪がトリガーになり、いよいよ狂乱的破滅に向かう前に、国民が行動を起こすしかない。



nice!(0) 

6月22日(火) 野党連合政権への道―今こそ「新しい政治」をめざそう(その3) [論攷]

〔以下の論攷は、『学習の友』2021年7月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

「新しい政治」への跳躍

 以上にみたように、菅政権の現状は惨憺たるものです。注目された4月25日の北海道、長野、広島の3選挙で野党が全勝したのも当然です。しかし、それだけでは足りません。来る7月4日投票の都議選と、おそらくは9月になると思われる総選挙で自公両党に厳しい審判を下し、野党連合政権樹立への道をきりひらくことが必要です。そのために重要なことは、展望と構想と主体の3つです。
 第1の「展望」という点では、2009年の政権交代の例が参考になります。この年も9月に衆院議員の任期切れが迫り、7月に都議選が実施されました。前年のリーマン・ショックやスキャンダルもあって麻生政権にたいする不満と批判が高まり、8月の解散・総選挙で自民党は歴史的な惨敗を喫して政権が交代しました。
 今年も10月に衆院議員の任期切れ、7月に都議選と似たような政治日程となり、昨年からはコロナ禍とスキャンダルが続発して政権批判が高まっています。09年と同様の展開があり得ます。
 第2の「構想」については、すでに市民連合から示されている15項目の政策要望がたたき台となります。コロナ禍によって明らかになった新自由主義的な効率優先の開発政治や自己責任論のはびこる政治を、ケア優先で医療や福祉を手厚くし公的責任によって生活を支える政治へと転換することが必要です。対外的には戦争法廃止によって米中間の軍事衝突に巻き込まれるリスクをなくさなければなりません。
 政治の私物化を許さず、「森友・加計学園」「桜を見る会」や「接待疑惑」などの解明、学術会議会員の任命のやり直しなど、民主主義の復活と政治の信頼回復をはかり、ジェンダー平等の実現などによって自公政権による時代遅れの「古い政治」を転換することが重要です。
 第3の「主体」にかんしては、すでに市民と立憲野党の共闘というかたちで具体化され、多くの経験を積み重ねてきました。2008年の年越し派遣村から始まった共同の取り組みは2011年の福島第1原発事故を契機にした脱原発運動へと引き継がれ、2015年の安保法制(戦争法)反対運動で「野党は共闘」という流れを生みだしました。
 戦争法成立直後に日本共産党によって提起された「国民連合政権」樹立の提唱は、いまでは相当の現実性を帯びてきています。妨害と分断の動きが激しくなっているのは「夢物語」ではなくなってきたからです。この間の選挙共闘を、政権を担うものへと高めていくことができるかどうか、その真価が問われる局面が訪れています。

〝私たちの政府〟による新たな希望

 ホップ(3選挙)・ステップ(都議選)・ジャンプ(総選挙)によって選挙勝利を積み重ね、〝私たちの政府〟を実現して新たな希望をうみだすこと――それが夢ではなく、現実となる可能性が生まれています。コロナ禍によって迷い込んだ暗いトンネルのむこうに、明るい光が見えはじめているのです。政権交代という希望の光が。
 そのチャンスは間もなくやってきます。秋までには必ず実施される総選挙が、その機会となるでしょう。東京都民には、その前に都議会議員選挙もあります。これらの選挙こそ、国民無視の「古い政治」をつづけてきた安倍・菅政権にたいして厳しい審判を下す絶好の機会となるにちがいありません。そして、こういおうではありませんか。自公政権はもう「時効」だ、と。

nice!(0) 

6月21日(月) 野党連合政権への道―今こそ「新しい政治」をめざそう(その2) [コメント]

〔以下の論攷は、『学習の友』2021年7月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

安倍「負の遺産」の呪縛

 菅政権による「コロナ失政」は、安倍政権から引き継がれたものでした。しかし、前政権から引き継がれた「負の遺産」はこれだけではありません。
 第1に、政治の私物化という問題があります。安倍首相は「森友・加計学園疑惑」や「桜を見る会」などが大きな疑惑を招きましたが、菅首相にも息子の「接待疑惑」が生じました。安倍前首相の「森友疑惑」での公文書改ざんについては「赤木ファイル」の公表が決まりましたが、菅首相の場合は頬かむりしたままです。
 第2に、菅首相の異論排除の姿勢も前政権と変わっていません。典型は日本学術会議の会員任命拒否です。拒否された6人に共通するのが、前政権の方針に異を唱えたという点でした。一刻もはやく、排除された理由を説明し、任命し直すよう求もとめていく必要があります。
 第3に、外交や改憲問題も継続しています。日米共同声明で「台湾」に言及することで米国追随の姿勢を示し、改憲手続き法案を成立させて安倍改憲路線を引き継ごうとしています。その背景には、独自のビジョンの欠落とともに支持率低下への焦りがあるようにみえます。
 このほか、問題法案のオンパレードという点についても指摘しておかなければなりません。国会に提出された法案には、成立したデジタル関連法案をはじめ、改憲手続き法案、高齢者医療費2倍化法案、病床削減推進法案、土地利用規制法案、国大法改定案、入管法改定案(のちとり下げ)、少年法改定案など、内容に問題があり人権を破壊するものが目白押しです。コロナ下できちんと報道されず、国民が知らないうちに押し切られれば将来に大きな禍根を残すでしょう。

nice!(0) 

6月20日(日) 野党連合政権への道―今こそ「新しい政治」をめざそう(その1) [論攷]

〔以下の論攷は、『学習の友』2021年7月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

はじめに

 いまほど「新しい政治」が求められているときはありません。新型コロナウイルスの感染拡大によって、多くの命が失われているからです。このような深刻な状況が生じてから、すでに1年以上の時間が経過しました。多くの国民が不安にさいなまれ、一部では医療崩壊も生じています。雇用を失って収入が途絶え、三度の食事もままならない人びとさえ生まれています。
 しかし、安倍晋三前政権も、その「継承」をかかげて後を引き継いだ菅義偉政権も、新型コロナウイルスの感染防止に失敗しました。コロナ対策として打ちだされた緊急事態宣言が3回もくり返されたこと自体が、これまでの失敗を示しています。
 このような失敗は、安倍・菅政権による無為・無策・無能・無責任の結果です。その背景には、すでに時代遅れとなった「古い政治」の破綻があります。これに代わる「新しい政治」の創造なしには、国民の命と健康、暮らしや営業を守ることはできません。私たちの命を守るためには政治を変えなければならないというギリギリの選択が迫られる事態になりました。

コロナ失政の悪夢

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。2021年5月末現在の状況は、図(省略)で示されているとおりです。第4の波は以前にもまして大きなもので、感染者は累計60万人、死者は1万人を超えました。インド発などの変異株は感染力が強く、若者なども重症化しやすいという特徴があります。政府は3回目の緊急事態宣言を延長して対象地域も9都道府県に拡大(のち沖縄県を追加)し、まん延防止等重点措置を10県に増やす(のち愛媛県を解除)など、感染拡大を抑え込むことに失敗しています。
 こうなったのは、第1にやるべきことをやってこなかったからです。感染防止のためには、検査を徹底して状況を的確に把握し、クラスターの発生を押さえることが必要ですが、PCR検査の数が決定的に不足しています。自粛や時短、休業に対する補償も不充分で、事業者は悲鳴をあげています。とりわけ大阪などでは医療体制の崩壊が深刻で、充分な治療を受けることができず自宅療養中に命が失われる例が相次いでいます。医療関係者にたいする支援を急がなければなりません。
 第2に、経済や五輪などへの配慮もあって感染対策に全力を注ぐことができなかったからです。その典型は、感染が収まらないうちに前倒しで実施された「GoToキャンペーン」でした。五輪への影響を避けたいという思惑もコロナ対策を左右してきました。聖火リレーの出発式や国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の来日を考慮して緊急事態宣言の日程を設定したことが対策を中途半端なものにしました。一刻もはやく五輪の中止をきめ、資金と人力など医療資源のすべてをコロナ対策に集中するべきです。
 そして第3に、国民に犠牲を強いる政府への信頼が決定的に欠けていたからです。菅首相はコロナ対策の失敗を認めず、きちんとした説明と答弁によって国民との信頼関係を築こうとはしていません。3回目の緊急事態宣言を延期せざるをえなくなったとき「人流は確実に減った」と強弁しましたが、目的は感染を減らすことで「人流」の減少は手段です。論点をずらしていい逃れ、質問されてもまともに答えようとしない対応では、国民の理解と協力を得られるはずがありません。
 コロナ対策の「切り札」とされているワクチン接種も当初の予定から大きく遅れ、迷走をつづけています。菅首相はワクチンで感染を抑え込み、五輪を強行して解散・総選挙になだれ込むというシナリオを描いているようですが、接種は間に合わず五輪中止となって破たんする可能性が高まっています。


nice!(0) 

6月18日(金) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』6月18日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「五輪のために国民犠牲 言葉を失う暴政に絶望と無力感」

 こんな人命軽視のデタラメ政権が、取ってつけたような酒類規制をかけたところで、誰が言うことを聞くものか。全ては有観客開催で世界に「コロナに勝った」と見えを張るため。五輪命のポンコツ首相のせいで、この国の秩序は乱れるばかり。最も恐れていた五輪由来の新たな変異株が出現し、世界にパンデミックをまき散らす「人類史上最悪のシナリオ」へと一直線である。

 「東京五輪のコロナ対策と称して海外選手を宿泊施設に閉じ込め、唾液の抗原定量検査の30分前には『飯を食うな』『歯を磨くな』と行動制限。重大な違反があれば制裁金や国外退去措置を科すと脅しながら、観客を増やして感染リスクを高めるのは大いなる矛盾です。ご都合主義の二重基準こそが菅政権の最大の特徴で、自分勝手な解釈で法やルールを作り変え、やりたい放題。国会閉幕のドサクサ紛れの土地規制法の強行採決もその一環です。基地周辺や国境離島を外資の手から守るなんて建前に過ぎず、真の狙いは住民監視や住民運動の制限でしょう。あらゆる個人情報の収集や土地価格の下落など、プライバシー権や財産権の侵害を招く恐れがあり、憲法の規定を侵害する悪法です」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 迷走を重ねた独裁政権の末期症状のごとく、菅政権は人権弾圧と取り締まりだけ強化の一途だ。暴政が加速化する狂った政治を、もう誰も止められないのか。五輪ありきの言葉を失うデタラメの連続に、国民が絶望と無力感にのみ込まれてしまったら、オシマイだ。

nice!(0) 

6月15日(火) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』6月15日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「誰もが7月拡大懸念 このままでは阿鼻叫喚の中、五輪開幕」

 日本の国会では「私は(五輪の)主催者ではない」と言って逃げ回っていたくせに、G7では主催者気取りで根拠のない「安全安心」をPRするのだ。

 閉幕後の短いコメント発表会でも「全首脳から力強い支持をいただいた」「東京大会を何としても成功させなければならないという決意を新たにした」と、主催者然として威張っていた。

 「恐るべき二枚舌です。菅首相にとっては、国内の反対世論を押し切るために、G7首脳から五輪開催の“お墨付き”を得たという形にすることが今回のサミットの最重要課題だった。各国首脳との個別会談でも、日本側は五輪への支持を得ることしか頭にないような土下座外交でした。日本が『安全にやる』と言っている以上、各国とも表立って反対はしないでしょうが、安全に開催できるという根拠は何ひとつ示せませんでした」(法大名誉教授の五十嵐仁氏=政治学)

 菅のツイッターを見ると<「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けたG7各国の具体的な行動を通じた関与を歓迎し、途上国への公平で迅速なワクチンの普及については、リードスピーカーとして議論を主導しました>とG7の成果をアピールしているが、ワクチン後進国の日本がどうして迅速なワクチン普及をリード(主導)できるのか。まさか、原稿棒読みのことが「リード(読む)スピーカー」の意味なのか?

■犠牲になるのはいつも一般国民

 「菅首相がG7の支持を得たとして五輪強行を正当化するのは、対外的なメンツと一部の関係者の利権を守るため、そして内閣支持率がアップして総選挙に有利になるという政治的思惑からです。国民の命と安全をバクチに賭けようとしている。政治家として決して許されることではありません。一度決めたら、国民を犠牲にしても止められないというのは、先の大戦と同じ。過ちを繰り返そうとしているようにしか見えません」(五十嵐仁氏=前出)

nice!(0) 

6月13日(日) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』6月13日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「大臣もテレビ観戦推奨とは 残骸になる巨額五輪施設の虚無」

 2013年の招致時の「立候補ファイル」では東日本大震災からの復興がアピール材料に使われたが、いまや「人類がコロナに打ち勝った証し」へとスローガンは一変し、「復興五輪」は風前のともしび。海外客の来日がないので「経済効果」も期待できない。

 結局、残る目的は、莫大な放映権料などIOCの利権と菅の政治的野望。五輪が始まれば盛り上がる、メダルラッシュなら政権浮揚につながる、という魂胆だ。東京でやる意義が消失し、開催だけが目的化しているから、東京でやっているのにテレビで見ればいいとなる。

 田村の発言で「スガ五輪」のバカバカしさが、ますます浮き彫りになった。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。

 「田村大臣のPV中止に理解を示す発言は、いま東京で五輪を開催すれば、国民の命を危険にさらすリスクが高まるということを認めたようなものでもあります。人命を犠牲にする五輪を開催する意義など、どんな理屈をひねり出そうが説明がつきません。ましてや菅首相の頭の中にあるのは、政権延命や総選挙を有利に進めるためなど邪な目的だから、国民世論に対し口にできるわけがないのです」

 メインスタジアムとなる「新国立競技場」はまさにその象徴だ。計画が二転三転した、いわくつき。1300億円だったはずの建設費が2倍以上に膨らむと分かり、奇抜なデザインだったザハ・ハディド案が白紙撤回。ズサンな見積もりの責任問題を醜悪に押し付け合った末、設計変更となった。完成した競技場も屋根が木材だから消防法により聖火台を常設できない“欠陥”建築だ。

 そのうえ、開会式を迎えたとしても、競技場が満員の観客で賑わうことはない。五輪が終われば、巨大な残骸。競技場は墓碑銘のごとく、である。

 「招致段階から買収疑惑を含め、嘘とデタラメで塗り固められてきた。国立競技場の設計変更だけでなく、エンブレムの盗作、組織委員会トップの女性蔑視発言など、直前までゴタゴタ続きです。強行すれば人流が増え感染が増えるのも明らかで、壊滅覚悟の『バンザイ突撃』。こんな五輪はやるべきではなかった、と総括されるのが目に見えます」(五十嵐仁氏=前出)

nice!(0) 

6月11日(金) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』6月11日付に掲載されたものです。〕

*記事「低調な党首討論 菅首相はぐらかし思い出演説のドッチラケ」

 9日の党首討論では日本維新の会の片山共同代表、国民民主党の玉木代表、共産党の志位委員長の持ち時間がそれぞれ5分だったから、同等の時間を思い出話に費やしたわけだ。国民が聞きたいのは菅首相の個人的な思い出ではない。党首同士の議論であり、具体的かつ科学的な対策だ。

 「少数野党の持ち時間は短すぎるし、30分の持ち時間があった立憲の枝野代表も核心を突く質問ができず、最後は長々と演説を始めてしまって不発でした。東京五輪や新型コロナ対策を巡る激しい論戦を期待していた有権者は肩透かしでしょう。一対一でやり合う党首討論は意義のある制度ですが、2大政党を念頭に置いた導入時とは状況が変わっている。形だけやればいいというものではなく、工夫が必要です」(法大名誉教授の五十嵐仁氏=政治学)

nice!(0)