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10月6日(水) 統一を妨げているものは何か 歴史認識と「反共主義」の克服―いま「連合」を考える(その3) [論攷]

〔以下の論攷は、日本民主法律家協会の機関誌『法と民主主義』第561号、2021年8・9月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

3, 経験と実績は何を示すか

 共闘の復活と「共産党の献身」
  
 野党共闘の復活は、2016年2月の「5党合意」から始まっている。これは2016年7月参院選での32ある1人区での候補者一本化に結びつき、3年後の19年の参院選でも引き継がれた。しかし、その実績をつぶさに見れば、共産党候補への一本化は2016年参院選で1選挙区、19年参院選では2選挙区にすぎず、全体として民進党や立憲民主党に益する結果となった。
 小池百合子東京都知事が希望の党を結成し、民進党が分裂して立憲が誕生した2017年総選挙の場合、この傾向はより顕著となった。立憲・共産・社民3党などの間で候補者調整がなされ、289小選挙区のうち249選挙区で統一候補が成立した。その一本化のために共産党は67の小選挙区で予定候補を降ろしている。
 最近の例では、4月の3選挙や東京都議選、横浜市長選での共闘に対して、連合が横やりを入れたために対等で平等な共闘にならず、自主的な支援や事実上の共闘という形になった。このような「ガラスの団結」でも野党候補は勝利したが、政策協定を結んだ対等な共闘であれば、勝利はもっと容易で確実なものとなっていたにちがいない。
 これらの国政選挙や首長選挙を振り返って明らかになるのは、共闘に向けての「共産党の献身」である。候補者一本化に際しての不公平な扱いや連合などからの異論に耐えて共闘を成立させてきた姿が浮かび上がってくる。しかし、共産が一方的に譲り、立憲だけが利益を得るのが当然だという共闘は公平で公正なものとは言えない。
 選挙では野党側が勝つのに立憲自体の支持率が高まらない要因の一つがここにある。連合の顔色をうかがって右顧左眄し、共産党の票はいただくが政権には関与させないという対応をいつまで続けるつもりなのか。このような姿勢こそ自分勝手で不誠実なものと受け取られ、自らの信頼を傷つけ評判を落としていることに気づかないのだろうか。

 「リアルパワー」はどちらか

 東京都議選後の安住淳立憲国対委員長の発言に注目が集まった。共産との共闘の成果を強調し、連合東京推薦の国民民主党4候補の全滅を念頭に置きつつ「まるっきり(連合東京が国民を)担いだんじゃないの?冷静にこういう結果を見ながら、リアルパワーは何なのかを見ないと」と述べたからである。つまり、連合よりも共産の方が本当の力になると、安住国対委員長は言いたかったのではないか。
 連合の組合員は約700万人いる。その全てが立憲に投票すれば大きな戦力になるが、そうはいかないのが現実だ。多く見積もっても約4割、280万人くらいで、しかも、最大のUAゼンセン(一七九万)、2番目の自動車総連(八〇万)、4番目の電機連合(五八万)は、いずれも国民民主党を支持している。連合組合員からの支持は200万人を下回るかもしれない。
 これに対して、共産の最近の選挙での得票数は400~500万に達する。連合の2倍以上である。しかも、連合は立憲・国民支持だから新たに加わる票ではないが、共産は競争相手で元々は支持者ではない。連合との連携は身内を固める意味しかないが、共産との連携は外からの「助っ人」を意味する。立憲にとってどちらのメリットが大きいかは言うまでもない。
 さらに、共産との連携は支持政党なし層へのインパクトが大きい。連合との連携は「野党統一候補」とは受けとられず、無党派層に対するアピール力も弱い。共産や社民との連携でこそ「野党統一候補」となり、投票率の上昇や新たな支持の上乗せ、無党派層への支持拡大などの効果を期待することができる。これこそが「リアルパワー」となって大きな効果を生み出すのだ。

 「連合」への提言

 一口に「連合」と言っても中身は様々で、UAゼンセン、自動車労連や電機連合など旧同盟の流れをくむ右派と自治労や日教組など旧総評を引き継いできた左派とに大きく分かれる。主流は民間大企業正社員を組織する大単産で、神津里季生会長自身も東大卒で新日鉄のエリートサラリーマンだった。
 地方組織も様々で、都市部では民間企業が、地方では公務労組が影響力を持っている。連合東京や連合神奈川が共産党との共闘に良い顔を見せないのは右派の民間大企業労組が強いからで、連合の中央もこれら右派労組幹部に引っ張られた。ここに問題がある。
 労働組合運動に戦前以来の左右の対立が存在していることは理解できる。連合も総評対同盟の違いを乗り越える形で結成された。その連合に加わらなかった全労連や全労協との間で左右の確執があることも事実である。
 しかし、それはあくまでも労働組合運動での競合であり、どちらが労働者に寄り添い、その処遇の改善と権利の拡大に資するか、どちらが労働者の役に立つかという点での競い合いであるはずだ。このような点からすれば、大企業ベッタリの自公政権と労働者の立場に立つ共産党が協力する連合政権のどちらが労働者の利益になるかは言うまでもない。
 国民の玉木雄一郎代表は「共産主義は全体主義に密接につながるとの認識でいたが、(ソ連共産党など)歴史的にあった共産党と(日本共産党を)同一視したことは改めたい」と述べ、共産の志位和夫委員長は記者会見で「事実上の撤回と受け止めていると伝え、引き続き協力していこうという話もした」と表明した。当然である。
 連合の右派幹部も「反共主義」から脱却し、歴史と政策、事実経過を踏まえて認識を改めるべきではないか。感情的な嫌悪感やこだわりを捨てて冷静に判断することこそ、労働組合リーダーとしてのあるべき姿ではないだろうか。
 少なくとも選挙は政党に任せ、横やりを入れたり分断工作に手を貸したりすることで経営者や自民党を喜ばせることだけは手控えてもらいたい。もちろん、条件のある所では積極的に市民と野党の共闘に加わり、連合政権の樹立を後押しするべきである。そちらの方が労働者にとってプラスになることは明らかなのだから。

 むすび

 以上の検証によって、共闘を妨げているものの姿と、その根拠のなさは明らかになった。野党にとっていま必要なのは、対等平等な協力と政権を共にする覚悟ではないか。そのために腹を固めることを、立憲はじめ各党に求めたい。
 野党共闘にとって紆余曲折は避けられない。それは一種の歴史的な社会実験だからだ。しかし、共通の目標を達成するために立場を超えて力を合わせることで政治を変えるという方向性は明確であり、世界はそのようにして変わってきた。その流れに身を投ずるか否かが、いま問われている。
 市民連合の仲立ちで四野党による政策合意が実現した。「決戦」に向けての対立軸は明確になり、「陣立て」は整いつつある。この期に及んで攪乱と分断の動きがあるとすれば、それは利敵行為となろう。小異を捨てて大同につく雅量こそが、いま求められている。
 共闘をためらう全ての人々に問いたい。統一戦線の教訓に学び、世界史の新たな扉を開く歴史的な実験に加わる気概はないのかと。その共闘も戦術から戦略へ、一時的部分的な共闘ではなく、政権を担うことのできる継続的で総合的な統一へと、質的な発展を遂げる時期にさしかかっている。
 自公政権は断末魔の様相を呈しており、最終的な引導を渡す機会は目前に迫ってきた。歴史を変えるのは今だ。今こそ、共闘に向けて、持てる力を「全集中」。


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