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12月5日(日) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』12月5日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「また札幌なんてとんでもない 「五輪は厄災」が国民の共通認識」

 もし、国民が五輪招致を喜ぶと考えているなら大間違いだ。「2020東京五輪」を目の当たりにし、いまや「五輪は厄災」が全国民の共通認識になっているに違いない。

 なにしろ「東京五輪」は、なにからなにまでデタラメだった。日本中がコロナに苦しんでいたのに、IOC幹部は「アルマゲドンでもない限り大会は実施だ」と発言。五輪を開催する場合、IOCと“不平等条約”を結ばされることも分かった。大会が中止になってもIOCは財政的な責任を負わず、開催都市が中止を切り出したらIOCから巨額の賠償を請求される。式典の簡素化を提案しても、放映権料を支払う米テレビ局への配慮から一蹴された。IOCにがんじがらめにされ、日本の裁量はほとんどなかった。

 その揚げ句、残ったのは巨額の赤字なのだからバカみたいだ。なのに、再び“札幌で五輪”とは狂気の沙汰である。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言う。

 「日本人が抱いていた、夢、希望、経済成長といった五輪神話は、完全に崩壊したと思います。IOCの傲慢さや、商業主義も思い知らされた。バッハ会長に嫌悪感を持った人も多かったはずです。そもそも近年は、開催費負担があまりにも高額なため、立候補を辞退する都市が相次いでいるのに、どうして札幌市が手を挙げるのか疑問だらけです。火中の栗を拾うつもりなのでしょうか」

 だいたい、ここまでオリンピックに執着するのは、先進国では日本くらいのものだ。いまや欧米先進国は、さして五輪を重視していない。むしろ、経費負担や環境破壊を懸念する声が強く、五輪人気はどんどん落ちているのが実態である。「五輪は毎回ギリシャで開けばいい」という声まで上がっているほどだ。

 神戸大の小笠原博毅教授によると、体操や水泳を学ぶ子どもたちに「将来は五輪代表選手になりたい」などと言わせる国は、世界で日本くらいのものだという。「週刊現代」(5月15日号)で指摘している。

 「五輪開催は発展途上国には意味があるでしょう。国威を発揚させ、インフラを整備できる。先進国の仲間入りを果たした、という自信にもつながります。1964年の東京五輪は、まさにそうでした。でも、いま日本は人口が減少し、経済力も低下している。ピークを過ぎた国にとって、莫大な経費がかかるオリンピックは負担になるだけです。政治家や業者が五輪開催にこだわるのは、もはやオリンピック以外、夢も描けず、景気浮揚の起爆剤も見つからない裏返しなのではないか」(五十嵐仁氏=前出)

 「東京」に続いて、「札幌」でもとは、時代錯誤もいいところである。


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