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5月12日(木) ロシアによるウクライナ侵略 憲法9条でなければ日本は守れない(その1) [論攷]

〔以下の論攷は、『東京革新懇ニュース』第472号、2022年5月5日付、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 直ちに停戦を実現させよう

 「許せない」という思いでいっぱいです。ウクライナでは、この瞬間にも多くの犠牲者が出ています。一刻も早く停戦が実現し、戦火が収まることを願っています。この戦争を仕掛けたのはロシアのプーチン大統領であり、その責任は免れません。
 プーチン大統領は集団的自衛権による「特別軍事作戦だ」と言い訳をしています。しかし、「主権の尊重」「領土の保全」「武力行使の禁止」を加盟国に義務付けた国連憲章をはじめとする国際法に反する明確な侵略行為です。決して認めることのできない無法な蛮行だと言わなければなりません。
 戦争にもルールがあります。攻撃は軍人や軍事施設に限られ、民間人や一般の施設に対する無差別の攻撃は許されません。戦闘員ではない一般の市民を故意に殺害したり、捕虜を虐待したりすることは戦争犯罪にあたります。ロシア軍も民間人の犠牲者はでっちあげだと言い訳していますから、守るべきルールがあることは認識しているようです。
 しかし、実際にはこのようなルールは守られていません。病院や学校、駅、大型商業施設や集合住宅などが攻撃され、無抵抗の多くの市民が連れ去られ虐殺されています。ジュネーブ条約や国連人道法に反する戦争犯罪にほかならず、国際刑事裁判所によって裁かれるべき人道に反する罪が犯されているのです。
 プーチン大統領の罪は明らかです。侵略の引き金を引き、人道に反する罪を犯している責任を逃れることはできません。核使用の恫喝によって、核抑止力論の無力さも明らかになりました。国際的な世論を高めて包囲網を形成し、一刻も早く戦火を収めなければなりません。

 ウクライナ侵略の教訓は何か

 プーチン大統領はウクライナに対して、北大西洋条約機構(NATO)への加盟断念だけでなく、ドンバス地方の2州とクリミア半島の併合という領土拡張を求めています。第2次世界大戦後の国際秩序へのあからさまな挑戦です。その背後にあるのは、自分たちは偉大で周りの国を導かなければならないという夜郎自大な大国主義・覇権主義的な思い込みです。その結果、「解放」という名の侵略に乗り出しました。
 そこから導かれる教訓の第1は、戦争が始まれば多くの死傷者や難民が出ることは避けられないという当たり前の事実です。いかなる理由があっても戦争を始めてはならず、戦争が始まってしまえば双方に甚大な被害が出ます。国内外で1200万人という人口の4分の1以上の避難民が生まれ、故郷を追われました。戦場に駆り出されたロシアの若者もある意味での犠牲者です。このような悲劇はいかなる理由があろうとも正当化できません。
 第2に、対立や紛争は武力によってではなく、話し合いで解決されなければならないということです。武力に対して武力によって対抗しようとすれば、必ず破局をもたらし犠牲を生みます。最善の解決策は、対立を激化させず、敵愾心を持たれることなく、友好関係を維持しながら緊張を緩和することです。
 第3に、力の論理や抑止力論の落とし穴にはまってはならないということです。相手より強い力を持てば抑止できると考えて軍拡や軍事同盟に頼ることは逆効果になります。NATOへの加盟によって安全を確保しようとしたウクライナは、逆にロシアとの対立を激化させ緊張を高めました。安全を確保しようとして軍事力依存を強め、結局、安全を損なって戦争のリスクを高めたのです。このようなジレンマが、安全保障のパラドクス(逆説)にほかなりません。
 他方、プーチン大統領が主張したロシアの論理は、「敵基地攻撃論」と同じ誤りを示しています。ウクライナがNATOに加盟すれば大きな脅威となるから、それを阻止するために攻撃したという説明は、ミサイルを発射されれば大きな脅威となるから、その前にせん滅すべきだという主張と紙一重です。どちらも、相手国に対する先制攻撃を正当化するための屁理屈にすぎません。
 重要なのは戦争を回避するためにあらゆる外交努力を行うことです。戦争で犠牲になるのは一般市民で、武器を供給して大もうけできる武器商人や軍産複合体が喜ぶだけです。戦争回避に必要なのは武力ではなく、対立を解消して友好的な互恵関係を築くための外交なのです。

 丁寧な説明で懸念を払拭するべきだ

 このプーチン大統領による戦争をきっかけに「9条で日本は守れるのか」という声が高まっています。ロシアによるウクライナ侵略を利用して改憲世論を強めようとする狙いによるもので、他国の不幸に便乗する改憲論は許されません。
 同時に、ロシアの蛮行を目撃して日本の安全への懸念を強め、素朴な疑問としてこのように心配している人がいます。平和と安全への関心が高まっているのは重要です。それを頭ごなしに退けるのではなく、このような心配や関心の高まりに応え、丁寧に説明することが必要ではないでしょうか。「9条でなければ日本は守れない」と。
 もし、ロシアに9条があればプーチン大統領によるウクライナ侵略は不可能だったでしょう。もし、ウクライナに9条があれば、侵略を狙うプーチン大統領に口実を与えることもなかったでしょう。9条は軍拡と軍事同盟依存に対する歯止めになるからです。このような歯止めがある限り、他国を侵すことも、侵されることもありません。
 憲法9条はどの国に対しても脅威にならないという約束を世界に示したものです。「専守防衛」を国是としていますから、他国への侵略も先制攻撃も行いません。敵基地攻撃論はこの約束を破ることであり、信用できず油断のならない国に変わることを宣言するようなものです。
 ロシア軍の短期決戦の失敗と苦戦は、大国でも侵略は困難であることを示しています。ナチス・ドイツによるポーランド侵略、大日本帝国による満州侵略、戦後のアメリカによるベトナム戦争など、大国による侵略の失敗は枚挙に暇がありません。この歴史の教訓をプーチン大統領も学ぶべきだったでしょう。
 9条は軍事に頼らない安全保障の路線を自国に課した政策的な縛りでもあります。ミサイル技術の発展によって、軍事的な防衛は極めて困難になりました。国家間の対立や紛争は話し合いでしか解決できず、軍事力で安全を確保することはできないのです。
 戦争は外交の失敗です。政治や外交で汗も流さず「攻めてきたらどうするのだ」と恫喝する人がいますが、攻められないようにするのが外交の役割であり政治家の仕事ではありませんか。そのための努力もせずに軍備増強だけを声高に叫ぶのは本末転倒で、政治家失格ではないでしょうか。

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