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8月12日(金) 参院選の結果と憲法運動の課題(その2) [論攷]

〔以下の論攷は憲法会議の機関誌『憲法運動』第513号、8月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕


2 選挙戦の特徴と要因

(1)厳しい情勢と岸田政権の手ごわさ

 以上に見たように、参院選の結果を一言でいえば野党側の自滅と言ってよいものでした。このような結果をもたらした背景と要因は何でしょうか。
 今回の参院選の背景となった情勢はもともと野党にとっては厳しいものでした。野党側はそのような情勢の下での決戦を強いられ、効果的な反撃ができずに自滅したということです。それは、大きく分けて長期・中期・短期の3層構造をなしていました。
 長期的に見れば、第2次安倍政権以降、着々と進行してきた日本社会の右傾化・保守化という問題があります。これは実質賃金の停滞や年金の削減、2度にわたる消費税の増税、アベノミクスと新自由主義政策の失敗、新型コロナウイルス禍による生活苦と営業・雇用の困難などを通じた中間層の没落と貧困化の進展を背景にしたものでした。それは維新の会への支持の増大、NHK党の勃興や今回の選挙での参政党の進出、労働組合・連合の保守化と自民党への接近などの要因にもなっています。
 中期的には、岸田政権の登場とロシアのウクライナ侵略による好戦的雰囲気の拡大、国民の不安の増大と安全保障への関心の強まり、大軍拡・9条改憲の大合唱などを挙げることができます。強権的な安倍・菅政権という前任者とは異なるソフトでリベラルな印象の岸田文雄首相の手ごわさ、内閣支持率の安定と自民党支持率の高さなどに加え、「聞く力」を前面に対立を避け、安全運転に徹して聞き流すだけで何もしない岸田首相の政治姿勢が功を奏したということでしょうか。
 そして短期的には、安倍晋三元首相に対する銃撃と死去という衝撃的な事件の影響があります。参院選投票日2日前の最終盤という微妙な時点で勃発したこの事件によって自民党に同情が集まり、世界平和統一家庭連合(旧統一協会)の名前が隠され安倍元首相との関係も明らかにされることなく、その死が政治的に利用されたようにみえます。
 序盤で堅調とされていた与党ですが、物価高騰が選挙戦の争点に浮上してくるなかで守勢に回り勢いが弱まっていたのではないでしょうか。それが安倍首相の死によって巻き返しに転じ、自民党は当初の堅調さを回復して勝利したというわけです。

(2) 野党の失敗と混迷

 このように厳しい情勢の下で、ただでさえ弱体化した野党は決戦を強いられました。本来であれば、対抗するための強固な陣形を築くべきだったにもかかわらず、右往左往するばかりでした。「これでは勝てない」と選挙の前からある程度予想できるような対応に終始した結果、負けるべくして負けてしまったようにみえます。
 何よりも大きな問題は、昨年の総選挙の総括を間違えたことにありました。政権との対決の強化と野党間の共闘の再建こそ野党勢力にとって必要な最善の策だったにもかかわらず、その逆を選択してしまったからです。
 総選挙後、自民党やメデイアなどから野党に対して「批判ばかりだ」という批判が沸き起こり、それにたじろいだ国民民主は政権にすり寄りました。当初予算に賛成して内閣不信任案に反対するなど補完政党へと転身したのです。これに引きずられる形で立憲民主も政権批判を手控えて対案路線に転ずるなど、維新の会を含めた翼賛体制づくりの波にのまれていきました。これでは政権の問題点が明らかにならず、与党を追い詰めることもできません。
 加えて、「共闘は野合」「立憲共産党」などの分断攻撃に屈し、連合による揺さぶりによって腰が引けた立憲民主党の執行部は、共産党との連携や野党共闘に対して消極的な姿勢を強めてきました。まさに、自民党の思うつぼにはまってしまったというわけです。
 その結果、32ある一人区での共闘は11にとどまり、たったの4勝に終わりました。こうなることは選挙の前からある程度予想されていたことです。一人区での分裂が自民党に漁夫の利を与えて参院選での勝利をもたらすことは自明でした。
 野党間の共闘に向けて真剣な取り組みを行わなかった立憲民主と、背後から揺さぶりをかけ続けた連合の責任は大きいと言うべきでしょう。形だけの共闘によって表面を取り作ってみても、真剣さが欠けていれば本気の共闘にはならず、力を発揮することができないのは当然です。
 このように、政権チェックという野党の本分を忘れて批判を手控えるという戦術的な失敗と、連合政権を展望した共闘の構築から後退して形だけの選挙共闘に矮小化するという戦略的な混迷に陥った点に大きな問題がありました。この戦術的な失敗と戦略的な混迷こそが、今回の参院選で野党のオウンゴールを生み出した最大の要因だったのです。


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