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9月14日(火) 民主党の代表選挙で菅首相が当選した [民主党]

 民主党代表選挙で菅直人首相が当選し、続投が決まりました。「小沢一郎最後の挑戦」は、あえなく敗れ去ったということになります。

 投票の結果は、以下のようになりました。

    党員・サポーター    地方議員    国会議員    合計
菅      249           60        412      721
小沢     51            40        400      491

 注目される点の第1は、予想通り、党員・サポーター票で大差がついたということです。地方議員や国会議員での支持と比べれば、党員・サポーターの支持は突出しています。
 第2は、予想とは逆に、国会議員票でも菅さんの方が上回ったということです。当初から不利とされていた国会議員票で上回ることができて、菅さんはホッとしたことでしょう。
 第3に、その結果、合計で230ポイントもの大きな差がついたことです。これも予想とは大きく異なり、大差となりました。

 菅首相にとっては、望むことができる最善の結果になったというわけです。支持構造において、国会議員では少なく、党員・サポーターや地方議員では多いという「ねじれ現象」を避けることができたのですから……。
 菅支持は国会議員の中でも多数になりましたから、民主党内での首相の基盤は一段と強化されたと言えます。弱いとされる菅さんのリーダーシップですが、これからは党内事情を言い訳にすることはできません。
 それに、今回の代表選を通じて菅首相に対する求心力が強まり、菅内閣に対する支持率もいつの間にか10ポイント以上も回復しました。自分を犠牲にして菅首相への支持を押し上げるという「ジャンピング・ボード」の役割を、小沢さんはまたしても演じてしまったようです。

 今回の代表選での菅さんの勝因は、首相になってからまだ3ヵ月しか経っていなかったという在任期間の短さにあります。「首相をコロコロ変えるのはいかがなものか」という声に助けられたということです。
 これは同時に、安倍首相以降の歴代首相のふがいなさの「お陰」でもあったでしょう。首相が3代続いて毎年交代し、政権交代してからでも鳩山前首相は1年もちませんでした。
 このような前任者の相次ぐ短期交代がなければ、菅首相の続投論はこれほど強まらなかったかもしれません。とはいえ、このような消極的な理由が勝因の第一にあげられるというのは、菅首相自身もまた最近の首相と同じようなふがいなさを免れてはいないということになります。

 他方、小沢さんの敗因ははっきりしています。過去の政治からの負い目(弱点)を払拭することができなかったということでしょう。
 その最大の弱点は、「政治とカネ」の問題で国民を納得させられなかったという点にあります。また、数と力に頼る古い政治手法を受け継いでいると見られた点も、支持が広がらなかった原因ではないでしょうか。
 立候補した直後、西松建設や陸山会からの政治献金事件について、疑惑を解明するに足るパンフレットなどを出して詳細な説明を行うべきだったでしょう。「政治とカネ」の問題を充分に重視して対応できなかったのも、小沢さんの弱点だったといわざるを得ません。

 しかし、菅さんの勝因と小沢さんの敗因に共通する最大のポイントは、マスコミの対応にありました。ほとんどのマスコミは「菅びいき」で「小沢嫌い」であり、そのことを隠そうともしなかったからです。
 臆面もなく、このような「偏向報道」がなされたということは、驚くべきことです。日本のマスコミ史において、将来に禍根を残す大きな汚点になったと言うべきでしょう。
 たとえば、今日の『朝日新聞』の社説「再び民主議員へ―新しい政治を突きつめて」があります。代表選の投開票日という微妙な時期に、次のように書いています。

 「今回、小沢一郎前幹事長が勝てば、1年で3人目の首相になる。自民党のたらい回しを批判してきた民主党としては、およそ筋が通らない」と……。
 つまり、「筋」を通すためには小沢ではなく菅に入れよ、と勧めているのです。「首相をコロコロ変えるのはいかがなものか」という声の典型例だと言うべきでしょう。
 また、「代表選を実施するにしても、小沢氏の立候補は理解しにくい。わずか3カ月前に政治とカネの問題で、鳩山由紀夫前首相とダブル辞任したばかりだ。強制起訴となるか否か、検察審査会の判断を待つ身でもある。最高指導者たろうとするにしては、けじめがなさすぎるのではないか」とも書いています。
 そもそも、小沢は立候補するべきではなかったというのです。「政治とカネ」の弱点を突く典型例だと言うべきでしょう。

 さらに、社説は次のように続けています。

 1年前、有権者は政権交代に何を託したのか。厳しさを増す暮らし、将来への不安や閉塞(へいそく)感。経済のグローバル化や少子高齢化の波に適切に手を打てなかった古い政治と決別し、新しい政治を築くことを求めたに違いない。
 この点、菅氏の問題意識は明確だ。
……
 小沢氏は、マニフェストこそ処方箋(せん)だということなのだろう。「コンクリートから人へ」も、子ども重視の姿勢も、問題を解く手がかりではある。
 だが財源の説得力ある説明は聞かれず、無利子国債を財源に高速道路を造るというに至っては、古い政治の体現者ではないのかという疑問がわく。

 つまり、菅さんは「問題意識は明確」で、小沢さんは「古い政治の体現者」だというのです。そして、次のように問うのです。

 どちらが、よりましか。確かなのは、腕力のありそうな指導者(小沢のこと)に任せればそれで済むほど、事態はたやすくないということだ。
……丁寧に説明し、ともに考える(菅のこと)。そんな姿勢が欠かせない。
 新しい政治とは何か。それを突き詰めて考え、投票すべきである。(カッコ内は引用者)

 社説は、「腕力のありそうな指導者に任せればそれで済むほど、事態はたやすくないということだ」と書いていますが、それなら「問題意識が明確な指導者に任せればそれで済むほど、事態はたやすい」ということなのでしょうか。
 いずれにしても、小沢はダメだから菅にしなさいという主張は極めて明瞭です。投票日当日の『朝日新聞』の社説でこのようなことを書かれれば、選挙結果に影響が出ないはずはありません。

 これで民主主義だと言えるのでしょうか。マスコミの報道によって世論が誘導され、結論が導かれてしまうような政治が……。
 これで社会の木鐸だと言えるのでしょうか。主観的で偏った主張によって世論を誘導し、思い通りの結果を導こうとするようなマスコミが……。

9月4日(土) 強制起訴によって小沢さんを有罪にできなかったらどう責任を取るつもりなのか [民主党]

 昨夜、小沢さんはNHKの番組で「何もやましいことはない」と強調し、検察審査会による起訴議決となった場合の「訴追同意」を改めて明言しました。同時に、検察審査会についても「一般の素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」として制度のあり方についても議論が必要との考えを明らかにし、波紋を呼んでいます。

 この問題について、小沢さんには疑惑を招いた政治的・道義的責任はあり、国民が釈然としない思いを抱いていることは明らかです。何らかの形で、国民の納得が得られるようなきちんとした説明を行うことが必要だと思います。
 同時に、このような疑惑が再び生じないような制度改革に結びつけることが必要です。小沢さんの釈明を聞いて、それで終わりということでは生産的ではありません。
 政治資金の透明化にむけての具体的な措置を講ずる必要があるでしょう。この問題を契機に、企業・団体献金の禁止というシステム改革に結びつけなければなりません。

 しかし、同時に指摘しておかなければならない問題があります。法的には、すでに明確な決着がついているということです。
 この点では、小沢さんが「何もやましいことはない」と言っている通りです。この小沢さんの言葉は、検察の対応によって裏書きされています。
 小沢さんの資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件でも、政治資金報告書の虚偽記載についても、検察は小沢さんを起訴しませんでした。裁判になっても有罪にできるだけの材料がないと判断したからです。

 これに対して、第5検察審査会は「陸山会」事件について「起訴相当」とする議決を行いました。小沢さんを起訴して罪に問うべきだと言ったわけです。
 しかし、これに対して、検察は起訴を見合わせました。裁判となって有罪にできるだけの新しい材料がなかったからです。
 この時点でも、小沢さんは法的に言って「何もやましいことはない」ことは明らかです。罪に問うことができないから、検察は起訴しなかったのですから……。

 さらに、第1検察審査会も虚偽記載について「不起訴不当」の議決を行いました。「起訴せよ」ということではなく、「不起訴は不当だ」ということですから、少しトーンが落ちています。
 しかし、これに対しても、検察は起訴しませんでした。裁判になって有罪にできるだけの自信がなかったからです。
 やはり、小沢さんには「何もやましいことはない」ということになります。検察は、そのことを知っているから、起訴しなかったのですから……。

 さて、今、検察は息を潜めて成り行きを見守っていることでしょう。もし、第5検察審査会が再び「起訴相当」の議決をしたら自動的に起訴されることになるからです。
 その結果、もし有罪になれば、起訴しなかった検察の誤りが明確になり、その責任を問われることになります。もし、無罪になれば、検察の責任は問われなくとも、検察審査会のあり方が問題になるでしょう。
 起訴しなかった検察の判断をくつがえして現職の総理大臣を起訴し、それでも有罪に問えなかった場合、検察審査会は責任をとることができるのでしょうか。起訴された段階で内閣不信任案が提出され、それが成立して倒閣となったにもかかわらず小沢さんが有罪にならなかった場合、誰がどのような責任を取れるのでしょうか。

 この問題の経過を見る限り、現状では小沢さんが有罪になる可能性は極めて低いということは誰にでも分かるでしょう。これまで検察は、これほどに国民の疑惑が大きく批判が強かったにもかかわらず、小沢さんを起訴できなかったのですから……。
 それにもかかわらず検察審査会が起訴を議決した場合、いわばプロの判断をアマがくつがえすことになりますが、公判で対決するのはプロ同士です。やはり、新しい材料が出てこない限り、有罪に持ち込むのは難しいでしょう。
 検察審査会の判断は、あくまでも一般国民としての「心証」によるものです。新たな捜査による新しい証拠の発見などに基づくものではないのですから……。

 検察審査会は、このようなリスクを負ってまで「起訴相当」と議決するでしょうか。マスコミを賑わせている強制起訴を前提にした議論は、ただの妄想にすぎないのではないでしょうか。

9月3日(金) 政権交代による政治変革を前に進めるのか後戻りさせるのかが代表選での最大の争点 [民主党]

 民主党代表選での公開討論会が行われました。菅首相と小沢前幹事長の舌戦が火花を散らしたというわけです。

 この両者の争いについて、ドッチもドッチで国民不在の不毛な争いだと言う人がいます。誠に無責任な論評だと言わざるを得ないでしょう。
 民主党の代表選ですから、党員やサポーターではない一般の人は選挙権を持っていません。その意味では「国民不在」という言い方ができるかもしれませんが、投票できる民主党員も「国民」ですから、完全に「不在」だというわけではありません。
 それに、国民のなかでの意見や雰囲気は民主党員の投票にも微妙に影響するでしょうし、当事者が「ドッチに投票したらよいのか」と悩んでいるときに、ドッチもドッチだといわれても困るでしょう。これでは、選びようがありませんから……。

 実際には、ドッチもドッチというわけではなく、明確な違いがあります。その結果は日本の進路と国民生活に大きく影響しますから、「不毛」というわけでもありません。
 菅さんと小沢さんのどちらが選ばれるかは、極めて重要な問題です。しかも、民主党の代表になれば、即、総理大臣になるわけですから、どちらでも変わらないなどというわけにはいかないでしょう。
 日本の進路を託すに足りる人、せっかくの政権交代を未来につなげることができる人は、菅さんと小沢さんのどちらなのか。この問いに、国民の誰もが答えなければならないのではないでしょうか。

 マスコミなどでは、「首相の資質」や「首相像」を問題にしているところもあります。しかし、それはあくまでも副次的なものであって、最大の問題は政策です。
 この国をどう変えようとしているのか、どのような方向に引っ張っていこうとしているのか、現在の日本が直面している最大の課題である貧困と格差の拡大という問題をどのようにして解決しようとしているのか。この点こそ、今回の代表選で最も問われなければならない問題です。
 マスコミは、今頃になって政策的な違いが明確になってきたといっていますが、「何を今更」と言うべきでしょう。最初から政策的な違いは明瞭であり、菅さんが自民党時代の官僚主導型の政策と政治運営に戻ってしまい、政権交代の成果を無にしてしまいそうになったから、危機感を抱いた小沢さんが立候補を決意するに至ったのです。

 昨日の公開討論会で、小沢さんは2011年度の予算編成について「旧態依然のやり方」で「自民党と同じやり方だ」と批判しました。この点に、菅さんの政権運営に対する小沢さんの危惧と批判が集約されていると言って良いでしょう。
 「旧態依然」の「自民党と同じやり方」では、何のための政権交代だったのか、ということになります。政権交代によって切り拓かれた政治変革を、前に進めるのか、後戻りさせてしまうのかが、この代表選での最大の争点なのです。
 この点を理解していないマスコミ、たとえば今日の『朝日新聞』などは、次のような「政治観の違い」を示して、小沢さんへのネガティブ・キャンペーンを展開しています。

 クリーンでオープンな民主党を、と唱える菅氏は「全員参加」型の意思決定を唱える。
 これに対し小沢氏は、明らかに権力集中型。トップダウン型である。
 ……
 この20年あまりの日本政治に大きな位置を占めてきた「小沢氏的なるもの」の是非が、代表選を通じ最終的に問われることになる。(社説「民主公開討論 政治観の違いが見えた」『朝日新聞』9月3日付)

 昨日の『日経新聞』は、もっと露骨に、次のように菅さんへの支持を呼びかけています。

 今回の代表選は浮動票も多いとみられ、若手議員や党員・サポーターらの判断が重要になる。日本の進路を決める選択が有権者の意識と大きく食い違えば、党の存在意義が問われる。(「民主党が問われている」『日本経済新聞』9月2日付)

 「有権者の意識」と大きく食い違わないように、世論調査での支持が多い菅首相に投票しなければ、「党の存在が問われる」ことになると、民主党の「若手議員や党員・サポーターら」を恫喝しているのが、この記事です。
 もし、今後、支持状況が大きく変化し、小沢支持が多いという「有権者の意識」が明らかになったら、この記事を書いた坂本英二編集委員はどうするのでしょうか。その場合でも、「日本の進路を決める選択が有権者の意識と大きく食い違えば、党の存在意義が問われる」と書くのでしょうか。
 新聞各紙での世論調査とは異なって、ネットなどでの調査では、既に今の段階でも、菅さんよりも小沢さんを支持する意見が多くなっています。「若手議員や党員・サポーターらの判断」は、この「有権者の意識と大きく食い違」わないように投票すべきだということになるのでしょうか。

 これほど露骨に一方に偏った報道をすることが、今まであったでしょうか。消費税率のアップをめざして菅首相の続投を願うマスコミの願望こそ、日本の報道と政治を歪める元凶なのではないでしょうか。

9月2日(木) 菅首相は外交・安保政策について何も分かっていない [民主党]

 「元米高官、小沢氏を酷評」という見出しが目に付きました。今日の『東京新聞』の2面で、「昨年来の反米的発言は、日米関係に相当の打撃を与えた」という、「知日派」(日本ハンドラー)のマイケル・グリーン元米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長の言葉が報じられています。
 「財界 政治空白を懸念」「小沢政権なら関係冷える」という見出しも目に入りました。今日の『毎日新聞』6面で、「小沢氏が勝利し、政権につけば、政府との関係が再び冷え込む」という経団連関係者の警戒感が伝えられています。
 やっぱり、小沢さんだということですね。アメリカと財界に一定の距離を取って、それなりにものが言えるのは……。

 話は変わりますが、8月27、29、30日の3日間、陸上自衛隊最大規模の実弾射撃訓練「富士総合火力演習」が東富士演習場で行われ、隊員約2400人、戦車や装甲車80両、大砲など40門、戦闘ヘリコプターなど航空機25機が参加しました。使われた弾薬量は重量にして約44トン、経費は約3億6000万円だといいます。
 「お金がない」と言いながらの、この大盤振る舞い。全く理解できません。
 「菅首相には定見がない。とりわけ、外交・安全保障問題については」ということの一つの例証です。その他にもまだあります。

 日本外交の基本はアメリカとの関係にあることは誰でも認めるところです。鳩山前首相は「緊密で対等な日米関係」を打ち出し、「東アジア共同体構想」によって、この対米関係を相対化しようとしました。
 アメリカにベッタリと寄り添い、アメリカのスカートの陰から世界を伺い、アメリカからの無理難題に対しても「ご無理ごもっとも」とつき従うような、従来の関係から抜け出そうとしたわけです。結局は失敗に終わりましたが、そのような意志を示したことは評価できるでしょう。
 普天間基地の移設問題についても「県外、可能なら国外」と言い、沖縄県内でのたらい回しを避けたいという意図だけは明らかでした。アメリカの「日本ハンドラー」や国内の旧勢力による恫喝と圧力によって結局は挫折し、辺野古沖への移設という「元の木阿弥」に戻ったとしても、「どうしたかったのか」は国民や沖縄県民に伝わったと思います。

 それでは、菅首相はどうでしょうか。鳩山さんが挫折した結果としての「日米合意」を踏襲することは早々と明らかにしましたが、それ以前に表明された「緊密で対等な日米関係」や「東アジア共同体構想」についても「踏襲」するのでしょうか。
 普天間基地の移設問題について、菅さん自身はどう考えているのでしょうか。「本当はこうしたいと思っているんだけれど、アメリカから強く言われると断り切れない」というようなことは、言ったことがあるのでしょうか。
 この点での意図や本心、苦悩の形跡が全く見えないという点が、鳩山さんとの大きな違いです。為政者としての誠意や誠実さが伝わってこないもどかしさを感じてしまいます。

 もっと大きな疑問を感じたのは、「広島原爆の日」での発言でした。大きな問題が、3点あると思います。
 菅首相は民主党政権で初めて迎える原爆の日に「核兵器のない世界の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任」を声高に強調した式典あいさつの直後、記者会見で「核抑止力は我が国にとって引き続き必要だ」と「核抑止力」を肯定しました。驚くべき発言であり、被爆者からの大きな反発を受けました。

 この発言の問題点の第1は、核をめぐる情勢変化が全く理解されていないという点にあります。オバマ大統領の「プラハ演説」や核保有国の政策転換の背景にあるのは、核兵器は実戦で使用できず抑止効果を発揮できないということ、その拡散はテロリストの標的を増やしリスクを増大させているということにあります。
 つまり、菅首相の後段の発言は、時代遅れの認識に基づいているということなのです。「核抑止力」論が意味を無さなくなったからこそ、オバマ大統領はプラハで核兵器の廃絶を打ち出し、アメリカやイギリス、フランスの大使が「広島平和の日」の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)に参列したのです。
 菅首相には、このような事情が全く理解されていません。広島での発言は、核をめぐる国際情勢の変化について無知であることを国際社会に明らかにしてしまったのです。

 菅発言の問題点の第2は、自分の発言がどう受け取られるかという想像力が完全に欠落していたということです。広島での平和記念式典の直後に「核抑止力」を肯定すれば、反発されるのは当然です。そのことが、菅さんには分からなかったのでしょうか。
 たとえ、相手に反発されても、政治家としては言わなければならないことがあります。しかし、あの場所、あの時点で、「核抑止力」を肯定する意味はどこにあったのでしょうか。
 どうして、わざわざ、あの場所、あの時に、あのような発言をする必要があったのか、私には理解できません。それは、菅首相自身にとっても、決してプラスになるものではありませんでした。

 第3の問題点は、その言い方にもあります。政治家としての表現力やセンスを疑わせるに充分な発言の仕方でした。
 百歩譲って、「核抑止力」の必要性を言わなければならなかったとしても、言い方の問題があります。発言の順番を逆にするべきでした。
 あのとき、「核兵器のない世界」の実現に向け先頭にたって行動する道義的責任を有していると述べつつ、「核抑止力は我が国にとって引き続き必要である」と言い訳したのは最低です。せめて、「核抑止力は我が国にとって引き続き必要である」としても、我が国は「核兵器のない世界」の実現に向け先頭にたって行動する道義的責任を有しており、私はその責任を全力で果たしたいというくらいの言い方をするべきでした。

 これ以外にも、菅首相の発言で驚いたことがあります。それは、自衛隊幹部と会見したときのもので、この発言からすれば、菅首相は自衛隊法も憲法も、ちゃんと理解していなかったことになります。
 菅首相は、今まで自分が「自衛隊の最高指揮官」だと知らなかったような発言をしました。自衛隊法7条には、内閣総理大臣が内閣を代表して最高の指揮監督権をもっていると規定されています。
 また、「ちょっと昨日予習をしたら、(防衛)大臣は自衛官じゃないんですよ」との発言もあったといいます。憲法第66条2項には、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定していますから、大臣が自衛官でないのは当たり前です。

 菅首相のこれらの言動を振り返ってみれば、外交・安全保障問題について何も分かっていないということがよく分かるでしょう。このような人に、国際社会における日本の進路と安全を任せておいて大丈夫なのでしょうか。

9月1日(水) 注目される民主党代表選の行方 [民主党]

 注目の民主党代表選ですが、菅首相と小沢前幹事長との会談の結果、やはり小沢さんは立候補することになりました。民主党を二つに割っての「ガチンコ勝負」は避けられなくなったというわけです。

 どちらが勝っても、民主党が分裂するのではないかと懸念されています。特に、小沢さんが敗れた場合には……。
 これは、小沢陣営のブラフかもしれません。「負けたら飛び出すぞ。分裂して政権を失うのが嫌だったら小沢を支持しろ」というわけです。
 今回、菅さんが小沢さんと会談したのも、このブラフの効き目かもしれません。選挙の結果がどうあれ、分裂だけは避けたいというのが菅さんの思いでしょうし、そのことだけでも確認しておきたかったでしょうから……。

 しかし、結局は、選挙に突入することになりました。菅さんが小沢さんに譲歩しなかったからです。
 先日の世論調査の結果が、微妙に影響していたのではないでしょうか。小沢さんの4倍以上の支持を集めた菅首相は、選挙になっても勝てると自信を深めたのだと思います。
 しかし、菅さん、勘違いをしてはいけませんよ。世論調査はあくまでも一般国民の世論であり、民主党内での支持分布とは「ねじれ」ている可能性が大きいのですから……。

 選挙になったのなら、小沢さんに勝ってもらいたいと思います。確かに、小沢さんは「政治とカネ」の問題を抱え、古くさい政治手法や親しみにくいキャラなど、支持しがたいところもありますが、それでも内容のない「空き菅」よりはましです。
 どちらが古い自民党政治からの転換を実行できるのか、どちらが自民党にとって望ましくない候補なのかという点から発想すべきでしょう。それは、今の時点では、明らかに小沢さんだということになります。
 それに、マスコミがこぞって小沢叩きに狂奔し、菅支持にまわっているのも気に入りません。いくら疑惑満載でカネに汚いからといっても、有罪になるまでは推定無罪が成り立つのに小沢さんが犯罪者扱いされるのは納得できないからです。

 ということで、「小沢一郎最後の闘い」が始まることになります。これは「菅蹴りゲーム」ということになるのでしょうか。そして、その勝敗はどうなるのでしょうか。

8月30日(月) 世論調査では小沢さんよりも菅首相支持が多いけれど…… [民主党]

 昨日の大阪は37.4度で、記録を取り始めてから最も長い14日連続の猛暑日となり、豊中市では38.1度を記録したそうです。どうりで、暑かったはずです。
 その酷暑の大阪から、昨夕、帰ってきました。町中をうろつくのを避け、前々から乗ってみたかった近鉄特急で難波から近鉄名古屋に出ましたので、すさまじい暑さをそれほど感じませんでした。

 さて、注目の民主党代表選です。小沢さんが本当に出るのかどうかが注目され、鳩山さんが仲介に動いています。
 マスコミは、一斉に世論調査を始めました。昨日のテレビ番組「笑点」でも、「今、菅総理に伝えたい」「何ですか?」「厚生大臣だったあの頃のあなたはどこに行ったんですか」などという、やり取りがありました。
 菅首相にやる気と生彩が感じられないということは、お笑い番組でも話題になるほど、「国民周知の事実」になったということでしょうか。誠に、困ったことです。

 その菅さん、マスコミの世論調査では、意外と健闘しています。各社の調査結果は、次のようになりました。

共同:菅69.9% 小沢15.6%
読売:菅67% 小沢14%
毎日:菅78% 小沢17%
日経:菅73% 小沢17%

 菅さんの方が首相にふさわしいという人が、小沢さんがふさわしいという人の4倍以上に上ります。それも当然でしょう。
 報道では、「政治とカネ」の問題を抱えるダーティーな小沢さんが「挙党態勢」を名目に無理難題を要求し、それが入れらなかったから、検察審査会による訴追を避けるためもあって立候補を決断したという「憶測」が大宣伝されていますから……。それが全て嘘でデタラメだと言い切れないところが、小沢さんの弱点でもあります。
 とはいえ、基本的には、政権交代で約束したマニフェストの基本路線を投げ捨てて自民党に擦り寄り、参院選敗北の責任も取らずに居座っている菅執行部に対して、体制を一新して政権交代の基本に立ち戻るように要求し、それが拒まれたためにやむなく立候補を決断したというのが、この間の本当の経緯だったのではないでしょうか。ご本人に聞かなければ、本当のところは分かりませんが……。

 これらの世論調査で、もう一つ注目されるのは、菅さんを支持する理由です。読売の調査では、「首相が短期間で代わるのは良くない」65%が最も多く、小沢さんがふさわしい理由では、「指導力がある」40%、「政治経験が豊かだ」29%などの順になっています。
 日経の調査でも、菅さんについては「小沢氏を支持できないから」70%と突出しています。逆に、小沢支持の理由は、「指導力がある」67%となっています。
 つまり、菅首相に対する支持は消極的なものですが、小沢さんに対する支持は積極的なものです。これだけ、弱点とマイナス・ポイントがあり、検察から狙われ、マスコミからは「極悪人」のように叩かれ続けているにもかかわらず、「指導力」が評価され期待を集めているというのは「大したものだ」と言えるかもしれません。

 民主党の代表選にあたって、これらの世論は、それなりに影響するでしょう。たとえそれが、マスコミの大宣伝によって「作られた」世論であったにしても……。

8月27日(金) 問われているのは新福祉国家への移行期におけるリーダーとしての適格性 [民主党]

 「小沢一郎最後の闘い」ということになるのでしょうか。民主党の代表選で、小沢さんは菅首相と真正面から激突することになりました。

 小沢さんは自民党の旧田中派出身です。しかし、それにもかかわらず、脱官僚で自民党政治からの離脱の方向を明示しています。
 菅さんは旧市民運動出身という経歴を持っています。しかし、それにもかかわらず、官僚依存で自民党政治への回帰という方向が濃厚です。
 昨日のブログで、民主党内での「ねじれ」を指摘しました。上に書いたことは、小沢さんと菅さんとの「もう一つのねじれ」ということができるかもしれません。

 日本は今、大きな移行期・過渡期にあります。かつての官僚主導の日本型「企業社会」が立ちゆかなくなり、そこからの脱出路として選択されたアングロ・サクソン型「新自由主義」は破綻し、これらとは異なった「第3の道」を模索しているのが現状です。
 昨年の総選挙に当たって、小沢さんは「国民の生活が第一」という方向を打ち出しましたが、これこそEU型の「新福祉国家」に近い路線であったと思います。最近では中国型も注目されていますが、EU型も中国型も「大きな政府」であるという点では共通しています。
 つまり、今の日本は、第1の日本型企業社会、第2のアングロ・サクソン型新自由主義の両者から、第3のEU型新福祉国家への移行期・過渡期にあるということになります。このような国家モデルの転換を、どれだけ意識的かつスムーズに実行できるかが、これからの国家リーダーには問われることになるでしょう。

 そのような視点からすれば、政治家としての実力やリーダーシップ、政策的な志向性において、菅さんよりも小沢さんの方が数段ましに見えます。今日の転換期において、新しい国家像を提起し実現していくという点でも、2人を比べれば、小沢さんの方が適任であると言って良いでしょう。
 しかし、小沢さんには致命的な問題があります。古い自民党政治の手法と欠陥から脱却できず、「政治とカネ」の問題を今もなお引きずっているという弱点が……。
 せめて、この間に国会でちゃんと説明するか、政治資金の透明化や企業・団体献金の禁止という方向を具体化しておくべきだったでしょう。そうすれば、このような形で問題視されることも、これからずっと追及されることもなかったでしょうに……。

 いずれにせよ、二つしかない選択肢です。どちらが選ばれるかによって、日本の進路は大きく左右されます。
 とはいえ、どちらが選ばれるにしても、政権交代によって託された政策転換の願いを裏切らないでいただきたいと思います。自民党が犯した失敗を繰り返すことなく、第3の選択肢となるような新しい国の形を作り出す契機として、将来、この代表選が評価されるようなものであって欲しいと願っています。

 なお、明日28日(土)、大阪に行きます。民主法律協会の第55回定期総会で講演するためです。
 「参院選後の情勢と今後の労働問題・労働運動」というテーマですが、小沢さんと菅さんの「ガチンコ勝負」で民主党が大荒れになってしまいました。こんな「情勢」の下で、何を、どう話せばいいのやら……。

8月26日(木) 菅首相のふがいなさが小沢さんに付け入る隙を与えたのでは? [民主党]

 民主党の代表選に、小沢さんが立候補することを表明しました。これまで菅首相を支持するかのように振る舞っていた鳩山さんが小沢さん支持に転じ、代表選の行方は分からなくなりました。

 菅首相のふがいなさが、小沢さんに付け入る隙を与えたということでしょうか。菅さんが、昨年の総選挙で約束したマニフェストの神髄を守り実践していれば、今回、小沢さんを支持する声はそれほど大きくならず、鳩山さんも支持に回ったかどうかは分かりません。
 小沢さんに再びやる気を起こさせてしまったのは、菅首相の責任です。「政治とカネ」の問題でスネに大きな傷があるにもかかわらず、あるいはそうであるが故に、小沢さんがしゃしゃり出てきたのは、菅さんに任せておけないと考えたからでしょう。

 マスコミも、小沢さんの要職起用を含めた挙党態勢に菅首相が慎重な姿勢を示したことが決断の引き金になったという見方を報じています。副総理か幹事長を希望していたのに、党顧問などの「名誉職」での処遇を示唆するにとどまったために小沢さんがヘソを曲げたということのようです。
 マスコミが注目しているのはポストです。しかし、私が注目したいのは政策です。
 菅さんが小沢さんの望むようなポストを提供しなかったということよりも、小沢・鳩山ラインがめざしていた政策転換から大きく逸れつつあることに不満を募らせたからではないでしょうか。政権交代によって転換したはずの自民党路線に、だんだんと菅政権が近づいていることへの危機感が、小沢さんの「決起」の背後にあるように思われます。

 しかし、だからといって、この「決起」が国民に理解されるかというと、なかなか難しいでしょう。小沢さんは「政治とカネ」の問題の責任を取って辞任しており、今後も検察審査会によって「起訴相当」とされる可能性のある人だからです。
 もちろん、総理大臣になれば、憲法第75条の規定(国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない)によって起訴を免れることができます。それが、今回の立候補表明の狙いではないかという見方があるほどです。
 しかも、この「政治とカネ」の問題について、小沢さんは国民の納得が得られるような説明をしていません。このような人物が一国の総理としてふさわしいのかと問われれば、「ノー」と答えざるを得ないでしょう。

 ここに、一筋縄ではいかない難しさがあります。一方は「ダーティー」な「剛腕」で、他方は「クリーン」で「ひ弱」だからです。
 一方は、政権交代に託した政策転換を実現することが期待され、他方は、その期待を裏切って元に戻りつつあるように見えます。また、一方は、数か月前に民主党の幹事長を辞任したばかりであり、他方は、数か月前に首相の地位に就いたばかりです。
 どちらを選ぶかが難しいのは、このような「ねじれ」があるからです。政治的な「ねじれ」は、国会の中だけでなく民主党の中にも存在していると言うべきでしょうか。

 日本の政治とともに、民主党もまた袋小路に入り込んでしまったようです。どちらの出口から出ても、前途は容易ならざるものとなるにちがいありません。