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5月17日(土) 集団的自衛権行使容認を自己目的化する安倍首相による記者会見の支離滅裂 [集団的自衛権]

 5月15日は安倍首相のお父さん(故安倍晋太郎外相)の命日でした。集団的自衛権の行使容認に道を開いた安保法制懇の報告の提出をこの日にしたのは、お祖父さん(岸信介元首相)の執念を引き継いでいることをお父さんに示したいという安倍首相の思いの表れだったのかもしれません。

 その安倍首相の記者会見ですが、あまりにも情緒的で、論理的には支離滅裂なものでした。パネルなどを使い、海外在住の日本人の多さを指摘して「皆さんが、あるいは皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのでしょうか」と危機感をあおり、国民を恫喝していました。
 それなら、まず何よりも、国際的な紛争を引き起こさず、テロの標的にされないような外交・安全保障政策をとるべきではありませんか。イスラム社会から敵視されているアメリカとともに戦争できるようにすることが、海外在住の日本人を安全にすることになるのでしょうか。
 ここで想定されているのは、朝鮮半島の有事なのかもしれません。その際の邦人救出には日本政府が当たるべきであり、それが可能になるような協力関係を韓国政府との間に打ち立てることこそ、先決問題ではありませんか。

 会見の最後にも、「再度申し上げますが、まさに紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と、安倍首相は脅しています。情に訴えて不安感を高め、だから集団的自衛権の行使が必要だと国民に理解してもらいたかったのでしょう。
 しかし、湾岸戦争を含めて、これまで紛争国から「米国の船」で避難するような事例は一回もありませんでした。それに、日本人が避難するとき、どうして「米国の船」でなければならないのでしょうか。
 「領域外での米韓防護」の必要性によって集団的自衛権の行使容認を合理化しようとするあまり、現実性のない想定に寄りかかる結果になってしまったということでしょう。北朝鮮が発射するミサイルを撃ち落とすためとか、戦闘中の機雷除去を可能にするためなどというのも荒唐無稽な空想にすぎません。

 今回の解釈改憲は「限定的」だから心配ないという言い訳もあります。いろいろな制約をつけて「限定的」なものにするから、行使を認めてほしいというわけです。
 しかし、その判断は「最終的な責任者」である首相に任されることになります。国の最高法規である憲法の解釈さえ勝手に捻じ曲げるような首相が信頼できるでしょうか。
 一方で、「必要最小限度の武力の行使」には集団的自衛権も含まれるとして「最小限度」の範囲を拡大し、他方で、その行使は「限定的」だから安心せよと言われても信用できるわけがありません。

 そもそも、憲法9条の歯止めを外すための解釈の変更です。自国が攻撃されてもいないのに、国外での戦闘行動に加わることができるようにするための集団的自衛権の行使容認ではありませんか。
 「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」と、安倍首相は請合いました。海外で米軍とともに戦闘に参加しないのであれば、集団的自衛権の行使を認める必要はないでしょう。
 米韓防護や他国部隊への駆けつけ警護にしても、機雷除去にしても、それを行うのは領域外です。そこでの攻撃に対する集団的な反撃が直ちに武力行使や戦闘につながり、日本が戦争に巻き込まれるであろうことは明らかではありませんか。

 このように、安倍首相の説明が支離滅裂になったのは、集団的自衛権行使容認に対する世論の反対が強く、どのような手段や論拠を使ってでも説得したいと焦ったからでしょう。世論が理解できないのは、集団的自衛権の行使容認が自己目的化され、いまなぜ急いでこのようなことをやらなければならないのか、その必要性や根拠がはっきりしないからです。
 安倍首相の記者会見での説明は、逆効果だったのではないでしょうか。このような曖昧で現実性に乏しい理由で9条を葬り去るような大転換に踏み切っても良いのかと、多くの国民はますます疑問を強めたでしょうから……。

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5月16日(金) 自作自演で憲法破壊へと突っ走る安倍首相 [集団的自衛権]

 昨日、首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が報告書を提出しました。これを受けて安倍首相は記者会見を行い、憲法の解釈を変更し、これまで「行使できない」とされてきた集団的自衛権の行使を認める方向での検討を始める意向を表明しています。

 安保法制懇は私的な懇談会という安倍首相が勝手に人選した「お仲間」ばかりで、法的な根拠を持たない「自作懇談会」です。そこが出してきた報告書は安倍首相の思いを文章化したものにすぎません。
 このような政策転換の必要性は、「安全保障環境の激変」を理由になされています。しかし、そのような「激変」を生み出した要因の一つは、安倍首相自身の靖国神社参拝や歴史認識の問題です。
 自分で安全保障環境を悪化させ、それを理由に「お仲間」をかき集めて憲法解釈を勝手に変更するというのが、今回のやり方です。このような、自作自演の憲法破壊は決して許されるものではありません。

 このような憲法の根幹にかかわる変更は、きちんと国会で論議した上で最終的な判断を国民にゆだねるべきでしょう。そのために、憲法には96条という改正条項があります。
 安倍首相は当初、この96条を先ず「改正」して発議要件を3分の2から2分の1に変更することでハードルを下げようとしました。9条改正を正面から掲げて賛否を問うという形で「正門」から入るのは難しいから、入りやすい「裏門」を作って入ろうとしたわけです。
 しかし、それも時間がかかり世論の反対も大きく難しいと判断して、今度は門そのものをぶっ壊して入ろうとしているわけです。このように、時の政権の判断で恣意的な変更が行われれば、憲法によって権力者を制限する立憲主義は大きく揺らぎ、日本は法治国家ではなくなってしまいます。

 もし、「時代の変化に合わないから解釈を変更する」ということになれば、今後も同様のやり方が許されることになります。政権が交代し、安倍首相とは正反対の首相が登場すれば、同様のやり方で憲法の解釈を変更することも可能になるでしょう。
 「憲法9条を素直に読めば、国の交戦権を認めず、戦争を放棄し、戦力を持たないことになっている。時代も変化したから、自衛隊は解散し、防衛省は防災省にする」と言い出すかもしれません。安倍首相は、それでも良いと考えているのでしょうか。
 現行憲法の理念や精神を尊重するのであれば、防衛省を防災省にする方向転換が可能になるような国際環境をめざし、周辺諸国との関係改善に努めるべきです。周辺諸国との関係を悪化させ、国民に危機感を抱かせる最大の要因となっている安倍首相の退場こそ、「安全保障環境の激変」を緩和し、日本の安全を確保する最も効果的な措置にほかなりません。

 憲法改正を回避し、解釈によって根幹を変更してしまうようなご都合主義は断じて認められません。憲法という縄できつく縛られている泥棒が自作自演で勝手に緩めてしまおうなんて、「盗人猛々しいにも程がある」と言うべきでしょう。


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5月14日(水) 集団的自衛権行使容認を急ぐ安倍首相は何を目指しているのか [集団的自衛権]

 集団的自衛権の行使とは、自国が攻撃されなくても同盟国が攻撃されれば反撃することを意味しています。反撃すれば、当然、相手からも攻撃されるでしょう。
 こうして、日本は戦争に巻き込まれていくことになります。安倍首相はこのようにして日本を戦争に引き込みたいのでしょうか。

 こう問えば、「いや、それは戦争するためではなく、日米同盟を強化して抑止力を高めるためなのだ」と答えるでしょう。抑止力強化のための集団的自衛権行使容認論です。
 これは、安保法制懇の座長代理を務めている北岡伸一さんが特に強調されているところです。容認されても実際に行使されることはほとんどないから安心してほしいというわけです。
 それなら、なぜ集団的自衛権の行使が必要となるような事例を細かに示しているのでしょうか。実際に使うことはほとんどないと言いながら。

 このような事例の提示は、一つには国民を恫喝するためのものです。「このような事態になっても何もできないということで良いのか。それで、国民の安全が守れるのか」と。
 もう一つは、公明党を行使容認論に引きずり込むためのものです。具体的な事例の検討を通じて、徐々に公明党の反対論を切り崩していきたいということなのでしょう。
 最近になってから急浮上してきた砂川判決を論拠にしたこじつけ、「限定容認論」や「グレーゾーン対応先行論」も同様の狙いに基づくものです。このような恫喝やこじつけ、手練手管に依拠せざるを得ないところに、集団的自衛権の行使容認論がいかに根拠のないもので正当性を欠いているかが示されています。

 これほどの無理をしながら、なぜ安倍首相は集団的自衛権を行使できるようにしたいのでしょうか。それは、軍事面での能力を高め、自衛隊を米軍の助っ人として日本の領域外で活動できるようにするためです。
 その背景の一つは、小泉内閣と第1次安倍内閣の時にアメリカによってイラク戦争への加担を強く迫られたにもかかわらず思い通りに応じられなかったというトラウマの存在です。もう一つは、日米同盟の双務化を目指した祖父の岸元首相のDNAを受け継いでいるという事情です。
 それだけにとどまりません。集団的自衛権の行使容認を急ぐ安倍首相の本当の狙いは、アベノミクスという新「富国強兵」政策によって新「日本帝国」を再建し、安保体制を双務的な帝国主義的軍事同盟に変質させて日本の威信を高め、米英仏露などと並ぶ帝国主義列強の一員として世界をリードすることにあります。先進国列強による強力な軍事同盟によって途上国を抑え込み、帝国主義的な秩序の強化によって紛争の芽を摘むことができれば世界は平和になると思い込んでいるのではないでしょうか。

 
 「積極的平和主義」というのは、このような外交・軍事路線の別名です。集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則の転換と軍需産業の活性化、自衛隊の増強と制服組の能動性の強化、PKO活動での「駆けつけ警護」や武器使用の解禁なども、このような新しい路線の具体化にほかなりません。
 「戦争できる普通の(帝国主義的な)国」となることによって、このような路線を突き進もうとしているのでしょう。明日15日に発表される安保法制懇の報告書とそれを受けての安倍首相の記者会見は、このような新「日本帝国」に向けての出発を告げる号砲となるにちがいありません。



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5月13日(火) 集団的自衛権の行使容認を目指す安倍首相の「暴走」はクーデター同然の茶番劇だ [集団的自衛権]

 集団的自衛権行使容認をめぐる情勢が風雲急を告げています。明日にも安保法制懇が答申を出し、首相側は週内に事例集を中心にした「基本的な方向性」を提示して検討を求め、公明党の了承を得て閣議決定を行いたいとの考えだといいます。
 集団的自衛権の行使容認をめぐっては、そのこと自体についてだけでなく、憲法解釈の変更を閣議決定で行うというやり方についても厳しい批判があります。それを無視して「出来レース」を組み立て、強行突破しようとしている安倍首相の政治運営は「暴走」というしかなく、断じて許されるものではありません。

 そもそも安保法制懇は首相の私的諮問機関であって、その構成員は安倍首相の「お友達」ばかりです。自分と同意見の「有識者」を集めて思い通りの答申を出させ、それを根拠に憲法の根幹を180度転換させようというわけですから、クーデター同然の茶番劇です。
 しかも、このようなやり方もそのメンバーの多くも、すでに第1次安倍内閣の二番煎じにほかなりません。安保法制懇は07年に首相の私的諮問機関として発足し、首相退陣後の08年に報告書をまとめて福田康夫首相に提言しましたが、たなざらしになったという経過があります。
 それから6年が経ちましたが、一体、どのような不都合があったというのでしょうか。今回、このような形で再び同じような動きが繰り返されることが、なぜ必要なのでしょうか。

 今日の『朝日新聞』の報道によれば、政府が「基本的な方向性」に盛り込む予定の事例は以下のようなものだといいます。
【集団的自衛権】
●公海上で米艦船への攻撃に対する応戦
●米国に向かう弾道ミサイルの迎撃
●日本近隣で武力攻撃した国に武器を供給するために航行している外国船舶への立ち入り検査
●米国を攻撃した国に武器を提供した外国船舶への検査
●日本の民間船舶が航行する外国の海域での機雷除去
○朝鮮半島有事の際に避難する民間の邦人らを運ぶ米航空機や米艦船の護衛
【集団安全保障】
●国際平和活動をともにする他国部隊への「駆けつけ警護」など自衛隊の武器使用
●国際平和活動に参加する他国への後方支援
【グレーゾーン事態】
●日本の領海に侵入した潜水艦が退去要請に応じない場合の対処
○離島に上陸した武装集団への対処
【注】●は政府がこれまで安保法制懇に示した事例。○は今回、新たに追加された事例。

 いずれの事例も、ほとんど現実的にはあり得ない荒唐無稽なものです。リアリティがないのは、具体的事例への対処の必要性よりも行使容認という目論見の方が先にあるからです。
 とりわけ、批判的な姿勢を崩さない公明党を説得するために、あれこれとこじつけの理由を列挙せざるを得なくなっています。しかし、いずれの事例においても相手国の攻撃を引き出して日本を戦争に巻き込む危険性が際立つという皮肉な結果になりました。
 公海上で米艦船への攻撃に応戦すれば反撃を受けるでしょうし、米国に向かう弾道ミサイルを迎撃すれば、今度は日本が狙われます。外国船舶への立ち入り検査を強行すれば反撃されるかもしれませんし、外国の海域での機雷除去も戦闘中であれば反撃されるでしょう。

 集団的自衛権が行使される場合、当初において日本は攻撃されていません。しかし、それを行使して同盟国を守ろうとすれば、直ちに日本は新たな攻撃対象とされ、戦争の当事者になります。
 戦争の埒外にある日本は、自ら進んで戦争に加わることになるわけです。それが、日本の安全を高めることになり、積極的に平和を守ることになるのでしょうか。
 しかも、守るべき最大の同盟国であるアメリカは、ベトナム戦争でもイラク戦争でも、偽りの情報を元に不正義の戦争を行ったという実績があります。そのアメリカと運命を共にし、生命を無駄にしたアメリカの若者と同様に日本の若者の生命を危険にさらすことになっても良いのでしょうか。

 現在のような情勢の下で集団的自衛権の行使が容認されれば、周辺諸国との関係が悪化することは避けられません。「日本周辺の安全保障環境が激変」し、緊張が激化することは明らかです。
 そんなことも、安倍首相には分からないのでしょうか。世論や反対意見を無視してクーデター同然の茶番劇に狂奔する安倍首相こそ、日本の安全を損なう最大の脅威になっていると言わなければなりません。

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4月18日(金) 抑止のためで行使しない集団的自衛権なら、なぜ行使できるようにしなければならないのか [集団的自衛権]

 今日の『毎日新聞』のシリーズ「どう動く集団的自衛権 識者に聞く」に孫崎享元駐イラン大使のインタビュー記事が出ていました。「報復招く軍事手段」という見出しです。
 「一番の問題点は日本に危険を呼び込むことだ。集団的自衛権を行使すれば、いずれかの段階で自衛隊は戦闘行為に入るだろう。相手側に死者が出れば報復を覚悟しなければならない」と指摘しています。これは重要な指摘です。

 集団的自衛権の行使とは、同盟国が攻撃されれば、自国が攻撃されていなくても反撃する権利です。反撃すれば、当然報復があるでしょう。
 報復されれば、日本は戦争に引きずり込まれることになります。もともと、自国が攻撃されていなかったにもかかわらず……。
 孫崎さんが指摘されるように、「仮に北朝鮮が米国に弾道ミサイルを発射した場合、日本が集団的自衛権を行使して迎撃すれば、米国にとってはプラスだ」が、「報復攻撃される日本はマイナスにしかならない」というわけです。これによって日本の安全が強まるのか弱まるのか、言うまでもないでしょう。

 このような懸念に答えようとしたのかもしれません。2日前の同じ『毎日新聞』のシリーズ「どう動く集団的自衛権 識者に聞く」で、安保法制懇座長代理を務めている北岡伸一国際大学学長がインタビューに応じて、次のように語っています。
 「集団的自衛権は基本的に抑止であり、外国による侵略の可能性を少しでも減らすのが目的だ。日本は戦後、個別的自衛権を行使したことは一度もない。集団的自衛権もそうなるはずだ」
 この部分を読んで、私はズッコケてしまいました。「基本的に抑止」だと言うのであれば行使可能なケースについて議論することに意味はなく、「行使しない」と言うのであればどうしてそれを「行使できる」ようにする必要があるのかが分からなくなってしまうからです。

 北岡さんが言いたいことは、集団的自衛権の行使を容認すれば日米同盟が強化され、それによって今以上に「抑止力」を高めることができるということのようです。この論理には、日米同盟が強化され軍事力が増強されれば「抑止力」が高まって日本は安全になるという前提があります。
 しかし、このような前提は真っ赤なウソです。歴代の自民党政権は憲法9条の解釈改憲で「自衛のための必要最小限度の実力」なら保有できるとして自衛隊を育成し、日米安保条約を結んで在日米軍に基地を提供してきました。
 歴史的に見て、日米同盟が強化され軍事力が増強されてきたことは明らかですが、それによって日本の安全は高まったのでしょうか。このような軍事的対応能力の一貫した増強にもかかわらず、北朝鮮は核実験とミサイル開発を続け、中国は軍事費を増やし続けてきたのではありませんか。

 つまり、「抑止力」としての効果がなかったことは、歴史的経過に照らして明らかです。だからこそ、今また新たに「抑止力を高めるため」という口実で、沖縄在日米軍への基地提供や自衛隊の増強に加えて、集団的自衛権の行使容認の必要性が主張されているのではありませんか。
 このような日本の動きは、北朝鮮や中国の警戒感を高め、それに対抗するためということで新たな軍拡に向けての口実を与えることになるでしょう。こうして、軍拡を抑制し軍事的な脅威を「抑止」するとしてなされた措置が、かえって軍拡を招き軍事的な脅威を増大させるというパラドクスを生み出すことになります。
 日本の政治外交史の専門家で、政府の国連代表部の次席代表だった北岡さんが、このようなことも理解できないのでしょうか。行使するはずのない集団的自衛権を使えるようにするために汗をかかなければならないとは、北岡さんもお気の毒としか言いようがありません。

 おそらく、北岡さんはこのようなことは十分承知のうえで、国民の懸念や公明党の慎重姿勢に応えるためにこのような言い方をしたのでしょう。それがかえって、集団的自衛権行使容認の必要性を不明確にするような形になってしまったのは、まことに皮肉なことだと言うしかありません。

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4月15日(火) 砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権行使の容認は合理化できない [集団的自衛権]

 最高裁の砂川判決に集団的自衛権の行使容認を合理化する論拠が含まれているかのように言い始めたのは自民党の高村副総裁で、その舞台は9年ぶりに開かれた総務懇談会でした。これが一定の説得力を持って受け取られたのは、それを唱えたのが自民党内で左派傍流の位置にある高村さんだったからです。
 しかし、こんな愚かな役回りを演じるなんて、派閥の大先輩である三木武夫さんなどは草葉の陰で泣いているにちがいありません。安倍さんに迎合して珍説を唱え、晩節を汚すことになってしまった高村さんも気の毒です。

 それはともかく、ここで言う砂川事件というのは、57年に砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入って7人が安保条約に基づく刑事特別法違反の罪で起訴された事件です。東京地裁は59年3月に米軍駐留は憲法9条2項が禁ずる戦力の保持に当たり、違憲だとして無罪を言い渡しました。これが有名な伊達判決です。
 検察側の上告を受けて、最高裁は12月に判決を出しますが、これが今、問題になっている砂川判決に当たります。日本に自衛権があることを認め、安保条約のような高度に政治的な問題は司法判断になじまないとして「統治行為論」によって憲法判断を回避し、有罪が確定しました。
 これまで、この判決は個別的自衛権を認めたもので集団的自衛権は問題になっていないとするのが一般的な学説で、高村さんのような主張をする人は一人もいませんでした。このような経緯を無視するかのように高村さんや安倍さんは、突然、「判決には集団的自衛権も入っている」と主張し始めたわけです。

 昨日のブログで紹介したNHKスペシャル「いま集団的自衛権を考える」という番組で豊下楢彦元関西学院大学教授は、この判決が59年12月に出されており、その3か月後の60年3月に岸首相は国会で「集団的自衛権は持たない」と答弁しているという重要な指摘をしました。岸首相は最高裁の判決に違反する答弁をしたことになるのかと問うたわけです。
 豊下さんが指摘したのは「集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない」「いわゆるよそへ行ってその国を防衛する、いかにその国が締約国であろうとも、密接な関係があろうとも、そういうことは日本の国の憲法ではできない、こういうふうに考えます」という60年3月の第34国会の予算委員会での岸首相の答弁ではないかと思われます。
 これは重要な指摘でしたが、だれも答えませんでした。集団的自衛権を行使できないという立場は岸首相だけでなくその後の歴代自民党首相のすべてが表明してきたわけですから、もし高村さんや安倍首相の言う通りだとすれば、これらのトップリーダーたちは最高裁判決に反する立場で答弁を繰り返してきたことになり、その責任を問われることになります。

 しかも、この最高裁判決については、その後、驚くべき事実が判明しました。裁判長としてこの事件を担当した田中耕太郎最高裁長官が、判決直前にマッカーサー駐日米大使らと非公式に会談していたことが、機密指定を解かれ2011年に見つかった公文書で明らかになったからです。
 1959年11月5付の国務長官宛ての公電で、マッカーサー大使は田中長官との会談の内容を報告して「(一審を担当した東京地裁の)伊達(秋雄)裁判長が憲法上の争点に判断を下したのは、全くの誤りだったと述べた」とその言葉を紹介しています。そのうえで、「裁判長は、一審判決が覆ると思っている印象」と本国に伝えていました。
 この公文書の開示請求にかかわった布川玲子元山梨学院大学教授は、これが評議内容を部外者に漏らすことを禁じた裁判所法に違反するとして砂川判決は「無効」だと指摘しています。有罪判決を受けた元被告らは再審請求する準備を進めており、その結果次第では最高裁判決の存在が危うくなると『東京新聞』は報じていますが、そうなれば高村さんや安倍さんの論拠は雲散霧消してしまうことでしょう。

 いずれにせよ、NHKスペシャルを見ていて、なんとなく居心地の悪さを感じました。「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない」と発言した籾井NHK会長の言葉を思い出してしまうからです。
 番組は賛否両論を公平に扱おうと努めているように見えましたが、その実、「右」と言っている政府と声を合わせて「右」と言おうとしているのではないかとの疑念を拭い去ることはできませんでした。この番組にしても、政府に楯突いて「左」と言うわけにはいかないというNHK会長の大方針の枠内でのものではないのかという疑念を……。

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4月14日(月) 日本周辺の「安全保障環境を激変」させたのはいったい誰だったのか [集団的自衛権]

 それは奇妙な光景でした。12日夜に放映されたNHKスペシャル「いま集団的自衛権を考える」での登場者です。
 集団的自衛権の行使容認に賛成する側に民主党政権の防衛相を務めた森本敏拓殖大学教授が座り、反対する側に自民党政権の内閣法制局長官だった宮崎礼壹法政大学大学院教授と元内閣官房副長官補の柳澤協二国際地政学研究所理事長が座ったのですから。

 普通なら、逆になるはずではありませんか。それがそうなっていないところに、現在の状況と集団的自衛権をめぐる問題の特異さが示されています。
 今の安倍政権はかつての自民党政権とは大きく違うということが、これによってはっきりと示されました。保守政党としての自民党は、極右勢力である「安倍一族」に乗っ取られてしまったからです。
 そのような極右勢力の政権簒奪と政策転換に手を貸したのが、民主党の仮面をかぶった野田前首相でした。NHKスペシャルでの人物構成は、このことを具体的な形ではっきりと示したことになります。

 この番組での討論を聞いて、集団的自衛権の行使容認がなぜ必要なのかを理解できた人はほとんどいなかったでしょう。その理由として具体的に示されたのは、尖閣諸島をめぐる緊張の高まりと中国の軍拡です。
 しかし、尖閣諸島は日本の領土ですから、その防衛は日米安保条約第5条の適用範囲で集団的自衛権の問題ではありません。政府の有識者懇談会座長代理を務めている北岡伸一国際大学学長は、「それなら、どうやって中国の軍拡を止めるのか」と反論していましたが、これには、「集団的自衛権の行使を認めて日米同盟を強化すれば、さらなる軍拡への口実を中国に与えるだけではないのか」と問うべきだったでしょう。
 集団的自衛権の行使容認による自衛隊と日米同盟の強化が新たな「抑止力」となる保障はどこにもなく、かえって軍拡競争をエスカレートさせて極東の緊張を激化させる可能性があります。このようなことも想定できずに、北岡さんが集団的自衛権行使容認の旗を振っていることに驚いてしまいました。

 中国との間の緊張緩和を図るのであれば、日中首脳会談を開催して関係の正常化を図ることの方が先決ではありませんか。それは「日本周辺における安全保障環境の激変」を改善するための最善の方法で、今すぐにできることだと、北岡さんはなぜ安倍首相に進言しないのでしょうか。
 そもそも、日中関係が悪化したのは尖閣諸島の問題が契機になっています。突然、石原元都知事が都による尖閣諸島の購入を表明して募金を集め始め、これに驚いた野田首相が十分な根回しもせずに国による買い取りを実行し、後継の安倍首相が歴史認識問題や靖国参拝などによって事態打開の芽を摘んでしまったというのがこの間の経過でした。
 以上の元都知事、前首相と現首相の3人は、尖閣諸島や歴史認識問題で中国を挑発し、日本周辺の安全保障環境を悪化させた3悪人だと言うべきでしょう。その責任を明らかにして周辺諸国との緊張を緩和することこそ、このような安全保障環境を改善するために最も必要なことではありませんか。

 この討論の中では、最近にわかに持ち上がった砂川事件に対する最高裁判決も議論の対象になりました。この判決の一部で「わが国がその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得る」とし、憲法九条の下でも自衛権は認められるとの見解を示しましたが、ここでの「自衛権」には集団的自衛権も含まれているという珍説を高村正彦自民党副総裁が唱え、これに安倍首相が同調したからです。
 しかも、この最高裁判決には大きな問題がありました。これについては、また明日……。

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4月5日(土) 集団的自衛権行使容認によって日本の安全は高まるという安倍首相の嘘 [集団的自衛権]

 権力者は大きな嘘をつきます。朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」で描かれたように、空から降ってくる焼夷弾は怖くないから逃げずに消化せよと嘘をつきました。
 アジア解放のための戦争だ、王道楽土の満州に移住すれば楽な生活ができる、戦争には勝てるなどというのも、真っ赤な嘘でした。
 最近の例では、原発事故は収束したという野田前首相、汚染水は完全にコントロールされているという安倍首相、5000万円は生活費だという猪瀬前都知事、8億円は選挙資金ではないという渡辺みんなの党代表の大嘘があります。そして、新たに集団的自衛権の行使が可能になれば、日本の安全が増すかのような嘘がつかれようとしています。

 ご用心。騙されてはなりません。
 集団的自衛権というのは、日本が攻撃されていなくても戦争に加わることを意味しています。そんなことをすれば、直ちに日本は戦争の当事者となって攻撃されるだろうということは、子どもでも分かるはずの道理ではありませんか。
 そのような道理が、「安保法制懇」にかき集められた「有識者」に分からないのでしょうか。自民党などの政治家に理解できないということは、充分、理解できることではありますが……。

 昨日の『朝日新聞』の2面に、集団的自衛権が行使容認された場合についての「3つの想定」が出ていました。いずれのケースも実際にはあり得ない荒唐無稽でリアリティに欠けた想定ですが、一応、それぞれのケースがあり得ると仮定して、コメントしておきましょう。

 ケース1がペルシャ湾での機雷除去で、「集団的自衛権の行使を認めれば、戦闘中でも日本は機雷を除去できるようになる」というわけです。しかし、戦闘中の機雷除去は極めて危険ですから湾岸戦争の時も戦闘が終了してから行われました。
 停戦後の機雷除去であれば、湾岸戦争後の機雷除去に日本も加わったように、集団的自衛権の行使容認は必要ありません。集団的自衛権が認められて戦闘中にできることになれば、このような危険な作業が要請され、それを断ることができなくなるでしょう。
 海上自衛隊は極めて危険な状況での活動を強いられ、日本ははっきりとイスラム社会の敵となって標的とされます。安全が増したとは言えず、アルジェリアでの人質殺害事件などのようなテロ行為に巻き込まれる危険性が高まるのは明らかです。

 ケース2は朝鮮半島での有事で、「自衛隊の艦艇が公海上で米軍艦艇に補給ができるようになる」し、「米艦が攻撃を受けた際には、近くの自衛艦が一緒に反撃することも可能になる」というわけです。もし、そうなったら、北朝鮮は「待ってました」とばかりに、日本にミサイルを撃ち込んで来るでしょう。
 韓国だけを攻撃して日本への攻撃を手控えた北朝鮮に、格好のミサイル攻撃の口実を与えることになる危険性が、なぜ考慮されないのでしょうか。まさに、これは攻撃されていない日本を戦争に巻き込む、とてつもなく危険な道ではないでしょうか。
 「もし朝鮮半島で戦争が起きた時、……自衛隊が出口の見えない地上戦に参戦する可能性」があるというのも、戦争への道にほかなりません。今の日韓関係からして、自衛隊の陸上部隊の派兵を韓国政府が求めるかどうかは分かりませんが、そこまで戦況が悪化した時には、すでに日本も標的とされ戦場になっているでしょうから……。

 ケース3は南シナ海で中国と東南アジア諸国との緊張が高まった場合です。集団的自衛権の対象国が、フィリピン、マレーシア、インドネシア、インドなどに拡大する可能性があるというわけです。ASEAN諸国が現在の対外政策を採る限り、中国との間でことを構えるという想定は荒唐無稽です。
 そうなったとしても、集団的自衛権の行使容認によって日本は何ができるのでしょうか。中国と東南アジア諸国間との紛争に、軍事的に介入するのでしょうか。
 もし、そのようなことをしたら、日本の未来はありません。南シナ海での紛争があったとしても、そこから距離を置いて中国との関係を悪化させたり緊張関係を高めたりすることは可能な限り避けるべきで、そのためには集団的自衛権の行使容認も、その対象範囲を広げることも厳に慎まなければなりません。

 この最後の中国との関係についても、昨日の『朝日新聞』に興味深いインタビュー記事が掲載されていました。これについては、明日のブログで紹介することにしましょう。

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10月2日(火) 安倍首相は早く国会を開き集団的自衛権の解釈変更について国民に説明するべきだ [集団的自衛権]

 集団的自衛権の解釈変更による行使容認に執念を燃やす安倍さんは、やはり「妄想」に基づく「暴走」なのではないのか。『毎日新聞』9月30日夕刊の「特集ワイド」に掲載された北沢俊美元防衛相のインタビュー記事を読んで、そう思いました。
 だって、北沢さんは、安倍さんの狙いについて「さっぱり分からんね」と答えているのですから。私を含めて、多くの人はそう思っていることでしょう。「さっぱり分からんね」と……。

 北沢元防衛相は「集団的自衛権の行使、容認すべきでしょうか」という問いに対して、「私は自衛隊も日米安保も絶対に必要だと思うけれど、これには反対です」と答えています。古典的な9条解釈改憲論で、自民党内で「保守本流」といわれた旧大平派や旧田中派、旧福田派などの潮流と同じ立場だといって良いでしょう。
 これに対して、「保守傍流」とされる潮流が自民党内にありました。旧三木派は左派傍流で、旧中曽根派が右派傍流になります。
 現在の安倍首相は中曽根-森-小泉の流れを汲む右派傍流ですが、もはや「傍流」とは言えないかもしれません。安倍流の「右翼の軍国主義」路線が、自民党内で主流になってしまったのですから……。

 また、北沢元防衛相は「行使できないと『日米同盟の信頼関係が損なわれる』と言われています」との問いに、「あのですね。米国は行使容認の必要性は感じていませんよ」と答え、次のように証言しています。

 「防衛相在任中に当時のゲーツ米国防長官と8回会談したほか、米政府やシンクタンクの多くの要人に会ったけれど、公式・非公式問わず『日本政府は集団的自衛権行使を容認すべし』との意見は全く聞かなかった。2005年まで国務副長官だったアーミテージさんだけは『容認すべきだ』と言っていたけど」

 米国の知日派として知られる「ジャパン・ハンドラーズ」には、リチャード・アーミテージ、ジョセフ・ナイ、マイケル・グリーン、カート・キャンベルなどがいますが、北沢さんは「アーミテージさんだけは『容認すべきだ』と言っていた」と述べています。湾岸戦争のときに「ショー・ザ・フラッグ」、イラク戦争では「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と自衛隊派遣を露骨に要求したアーミテージ元国務副長官であれば、それも当然でしょう。
 しかし、このアーミテージと共に、3回にわたって「アーミテージ・ナイ・レポート」をまとめたジョセフ・ナイはどうだったのでしょうか。このような発言は行わなかったのでしょうか。
 いずれにしても、「容認すべきだ」というのはアーミテージ個人の例外的発言で「公式・非公式問わず……全く聞かなかった」というのは、きわめて重要な証言です。当時も今も、集団的自衛権行使容認は米国政府の公的な要請であるかのように報じられていますが、それは全て「誤報だ」ということになるからです。

 さらに、北沢元防衛相が「だから現状では米国は行使容認の必要性は感じていない。あれば必ず言ってきますよ」と述べているのも重要なポイントです。第2次安倍内閣発足以降、安倍首相とオバマ大統領は2月と9月に2回の首脳会談を行っており、その時に安倍首相は集団的自衛権についての解釈見直し作業を進めていることを説明しましたが、いずれの場合にもオバマ大統領はそれを支持する発言を行わず、黙殺しています。
 つまり、オバマ大統領からは何も言われていないということになります。これほど重要な事実を、どうして日本のマスコミはきちんと報じないのでしょうか。
 北沢さんは「米国は能力のない日本に守ってもらおうなんて期待していない」とも述べています。だから、何も言ってこないのだと……。

 「となると行使容認の本当の狙いは何でしょう」。記者は続いて質問していますが、誰でも、こう聞きたくなります。
 それに対する北沢さんの答えは「いやあ、さっぱり分からんね」というものです。「安倍さんもタカ派でやってきているのだろうけれど、周りから『集団的自衛権が使えないと普通の国じゃない』とか言われて飛びついたんじゃない? 9条改正も難しい、96条改正も不評、じゃあ解釈改憲だと。何がしたいのか見えないんだよ。」
 集団的自衛権を使えるようにして、安倍首相は何がしたいのか? まさか戦争がしたいなどと、いくら安倍さんでもそう単純に考えているわけではないでしょうが、その行きつく先が霧に包まれているように見えます。

 安倍さんには、国民にきちんと説明する義務があります。世界から誤解を受けていると考えているのであれば、その誤解を解く努力をするべきでしょう。
 しかし、そのどちらも行わず、アメリカに行ってシンクタンクでの講演で「私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞそうお呼びいただきたい」と居直ってしまう。これで周辺諸国との関係が改善できるとでも思っているのでしょうか。
 現に、韓国の朴槿恵大統領は30日、訪韓中のヘーゲル米国防長官と会談し、日韓関係について「歴史や領土問題について、しばしば時代に逆行した発言をする(日本の)指導部のせいで、信頼が形成できない」と語って安倍政権を改めて非難し、早期の日韓首脳会談に否定的な考えを示しました。このような言動を行う安倍首相の「本当の狙いは何か」という疑問が、内外で高まるのも当然でしょう。

 参院選前に通常国会が幕を閉じてから、短期間の特別国会を除けば、すでに3ヵ月間も国会が開かれていません。国会は長い「夏休み」に入ったままです。
 安倍首相は外国に行って原発の放射能汚染水について「状況は完全にコントロールされている」と大嘘をついたり、「積極的平和主義を目指す」と言って大見得を切ったりする前に、安倍首相が考えている「本当の狙いは何か」国民にきちんと説明するべきでしょう。所信を明らかにして国政の進むべき方向を審議するためにこそ、国会があるのですから……。

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