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2月22日(水) 追悼 畑田重夫さん [論攷]

〔以下の追悼文は『学習の友』No.835 、2023年3月号、に掲載されたものです。〕

 国際政治学者の畑田重夫さんは、私にとって大恩ある「先生」でした。就職のきっかけを作っていただいたからです。その方の訃報に接し、残念な思いでいっぱいです。
 私が初めて畑田さんにお目にかかったのは1986年の夏でした。学習の友社から刊行された畑田重夫編『現代の政治論』執筆の打ち合わせのためです。このとき初の単著刊行の労も取っていただき、それがきっかけとなって定職に就くことができました。
 打ち合わせが終わった時、ポケットから憲法の小冊子を出され、「いつも持ち歩いてるんだ」と仰られたことが強く印象に残っています。戦争に動員された同期の「わだつみ世代」でただ一人の生き残りとして、9条に殉ずる「憲法人生」を貫いた生涯でした。 
 東大卒で旧内務省を経て名古屋大学助教授になった経歴を捨て、「高級官僚や大学教授への道をあえて敬遠して、労働者・国民と共に学び、ともにたたかう道を選択した」(『わが憲法人生 70年』)ために、「定収のない生活」でのご苦労も多かったと思います。それにもへこたれず、労働者教育協会会長や勤労者通信大学学長、全国革新懇の代表世話人、日本平和委員会の代表理事などを歴任され、都知事選にも2度立候補されています。
 とてもまねのできない、一本筋の通った苛烈な生きざまでした。政治学者で労働者教育協会理事、全国革新懇の代表世話人として同じような道を歩んできた私にとっては偉大な先達であり、手の届かないお手本です。亡くなる直前まで、新聞への投書などで励ましていただきました。
 大軍拡の波が押し寄せ、憲法破壊の危機が高まる下でのご逝去でした。心残りだったと思います。やり残された課題を引き継ぐために、畑田さんがよく口にされた言葉を深く胸に刻みたいと思います。
 「学び、学び、そして学べ」

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2月22日(水) 追悼 畑田重夫さん [論攷]

〔以下の追悼文は『学習の友』No.835 、2023年3月号、に掲載されたものです。〕

 国際政治学者の畑田重夫さんは、私にとって大恩ある「先生」でした。就職のきっかけを作っていただいたからです。その方の訃報に接し、残念な思いでいっぱいです。
 私が初めて畑田さんにお目にかかったのは1986年の夏でした。学習の友社から刊行された畑田重夫編『現代の政治論』執筆の打ち合わせのためです。このとき初の単著刊行の労も取っていただき、それがきっかけとなって定職に就くことができました。
 打ち合わせが終わった時、ポケットから憲法の小冊子を出され、「いつも持ち歩いてるんだ」と仰られたことが強く印象に残っています。戦争に動員された同期の「わだつみ世代」でただ一人の生き残りとして、9条に殉ずる「憲法人生」を貫いた生涯でした。 
 東大卒で旧内務省を経て名古屋大学助教授になった経歴を捨て、「高級官僚や大学教授への道をあえて敬遠して、労働者・国民と共に学び、ともにたたかう道を選択した」(『わが憲法人生 70年』)ために、「定収のない生活」でのご苦労も多かったと思います。それにもへこたれず、労働者教育協会会長や勤労者通信大学学長、全国革新懇の代表世話人、日本平和委員会の代表理事などを歴任され、都知事選にも2度立候補されています。
 とてもまねのできない、一本筋の通った苛烈な生きざまでした。政治学者で労働者教育協会理事、全国革新懇の代表世話人として同じような道を歩んできた私にとっては偉大な先達であり、手の届かないお手本です。亡くなる直前まで、新聞への投書などで励ましていただきました。
 大軍拡の波が押し寄せ、憲法破壊の危機が高まる下でのご逝去でした。心残りだったと思います。やり残された課題を引き継ぐために、畑田さんがよく口にされた言葉を深く胸に刻みたいと思います。
 「学び、学び、そして学べ」

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2月12日(日) 嘘とデタラメで巻き込まれる戦争などマッピラだ―大軍拡・大増税による戦争への道を阻止するために(その3) [論攷]

〔以下の論攷は憲法会議発行の『月刊 憲法運動』通巻518号、23年2月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

3,軍拡競争ではなく平和外交を

 〇各論に騙されてはならない

 安全保障政策の大転換に際して、どのような防衛力が必要なのか、どのような装備が効果的か、どこまで防衛費を増やすべきか、その財源をどう確保するのかなどの議論が始まっています。
 しかし、問題はそこにはありません。政策転換の具体的な中身に入る前に、そもそもそのような転換がなぜ必要なのか、という基本的で根本的な問いが十分に議論されていないからです。各論にとらわれて総論での議論から目をそらしてはなりません。
 装備計画や財源論など細部のリアリテイは、そもそもなぜそれが必要なのかという根本的な問いを回避するためのゴマカシです。実際にはできもしない「空想的軍国主義」に現実性を与えるための策謀にすぎません。この土俵に乗らないように注意する必要があります。
 だからと言って無視するわけもいきませんから、提案されている具体的な方策が荒唐無稽で無意味であることを示すことが重要です。個々の具体策の根拠を問いながら、それがそもそも必要あるのかという妥当性を問い続けるべきでしょう。
 敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有として示されている防衛力整備計画が無用で無駄なことを明示することが必要です。ウクライナ戦争が示しているように、現代の戦争は先進技術による誘導弾やミサイル攻撃、AIや電波による索敵、無人ドローンやサイバー攻撃など、これまでとは様相を異にしています。前線と銃後の境も不明確です。敵の基地を想定し、それを攻撃したり島嶼部への着上陸阻止をめざしたりという作戦計画は実態に合わず、全く意味がなくなってしまいました。
 現代の戦争には、「勝者」も「敗者」もありません。戦争が始まったとたんに当事者双方に犠牲者が出て「敗者」となるのです。戦争で勝つことはできず、戦争を避けることでしか「勝者」にはなれないというのがウクライナ戦争の真実であり、憲法9条の理念ではないでしょうか。

 〇歴史の教訓に学べ

 今年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」は徳川家康を主人公にしています。家康は徳川幕府を開いて戦国時代に幕を引き、「パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」とも評される270年に及ぶ天下泰平の世を生み出しました。その秘訣は武威や武力によって支配する「武断政治」から法律やルールによって統治する「文治政治」への転換です。
 力に頼る政治からの脱却こそが、体制の安定と平和をもたらしたことはきわめて教訓的です。今でいえば、軍事力などのハードパワーから平和国家としての信用力や経済、文化などのソフトパワーへの転換であり、国際関係では軍事から外交への重点移動です。今日の世界でもこのような転換が求められているのではないでしょうか。
 北朝鮮についても、歴史の教訓を学ぶ必要があります。ミサイル発射と核実験が自制された時期があったからです。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領との米朝首脳会談や南北対話が実施されていた期間中、ミサイルが発射されることはありませんでした。このとき核実験も凍結され、対立と緊張は緩和に向かっていたのです。
 この対話が不調に終わった結果、ミサイル発射が再開され、核実験の準備も進められています。昨年末の朝鮮労働党中央委員会総会で金総書記は新型のICBM (大陸間弾道弾)を開発するとともに、保有する核弾頭の数を急激に増やす方針を示しました。
 軍事的圧力はさらなる軍備拡大を促すという軍拡競争が生じたのです。安全を求めて軍備を拡大すればさらなる軍拡を誘発し、緊張が高まって安全が脅かされるという軍拡のパラドクス(ジレンマ)にほかなりません。対話をすれば緊張が緩和し、軍事的圧力を強めれば緊張が激化するというのが歴史の示すところです。
 ウクライナの教訓も学ぶ必要があります。悪いのは侵略したロシアであり、責任を問われるべきはプーチン大統領ですが、ウクライナの側に全く問題がなかったわけではありません。外交は両国によってなされ、それが破綻した結果、戦争を招いてしまったからです。
 ウクライナはロシアの脅威に対抗するために軍拡とNATOへの加盟に頼ろうとしました。このような外交・安全保障政策が失敗した結果、戦争が勃発したのです。力による抑止政策は戦争を防ぐどころか侵略の口実を与えました。もしウクライナが戦争を放棄し、軍事力に頼らず「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」憲法を持っていれば、ロシアは侵略の口実を見つけられなかったにちがいありません。今の日本はこのウクライナの失敗を後追いしようとしているのではないでしょうか。

 〇憲法の制約と時代の要請

 岸田首相は常々「あらゆる選択肢を排除しない」と口にしていますが、これは大きな間違いです。首相は憲法尊重擁護義務を負っていますから、憲法の理念や趣旨に反する選択肢はきっぱりと排除しなければなりません。
 憲法9条の平和主義原則に沿った外交・安全保障政策は、本来、必要最小限度の防衛に徹し海外派兵を行わない、軍事同盟に加盟せず外国の軍事基地を置かない、仮想敵国を持たず対立する国のどちらにも加担しない、東南アジアの非核武装地帯を東北アジアにも拡大する、特定の国を敵視せず全ての国を含む集団安全保障体制を構築するなどによって具体化されるべきものです。
 これに対して、今回の安全保障政策の大転換が目指しているのは、GDP2%の11兆円を超える世界第3位の軍事力、日本が攻撃されていなくても集団的自衛権によって戦争に参加、米軍とともに戦う自衛隊の自由な海外派兵、外国の指揮統制機能等の中枢を攻撃しせん滅する攻撃能力の保有、攻撃される前に実施する国連憲章違反の先制攻撃などです。
 このような転換は戦後保守政治の質的な変容を示すもので、これまでの延長線上でとらえてはなりません。岸田首相は憲法の平和主義原則を真っ向から踏みにじり、60年安保闘争を教訓にして戦後保守政治が採用した解釈改憲の枠さえ、もはや守るべき一線ではなくなってしまいました。
 また、今回の政策転換は時代が直面している問題の解決にも反しています。「自由で開かれたインド太平洋」を旗印に軍事ブロックの強化をめざしているからです。「国家安全保障戦略」は「同志国との連携」を打ち出し、「国家防衛戦略」は、「日米同盟を中核とする同志国等との連携を強化する」と述べています。そのために、日米豪印の「クワッド(QUAD)」などだけでなく、地理的に離れたイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどとの軍事的協力を強めてきました。
 しかし、国の内外で大きな問題となっているのは分断と対立の激化です。それを解決するための共存と調和こそが時代の要請となっているのではないでしょうか。国内での政治的社会的な分断に悩まされている典型がアメリカであり、日本はそのお先棒を担いで世界の分断に手を貸そうとしています。
 軍事的ブロックの形成と強化ではなく、分断の解決に向けて力を尽くすのが日本の役割であり、憲法9条の要請です。分断と対立を終わらせ、考え方や価値観、立場が異なっていても共存し友好関係を築けるような東アジアをめざさなければなりません。

 むすび

 戦争へと突き進む危険な道への選択が現実のものになろうとしています。このような「戦争前夜」において、どうすれば「新たな戦前」を阻止することができるのでしょうか。
 まず何よりも必要なことは、多くの国民に事実を知らせることであり、そのために声を上げ続けることです。そして、戦争準備に血道をあげている自民・公明の与党、それに手を貸している維新や国民民主の野党に選挙で大きな打撃を与えなければなりません。
 維新を利用した野党への分断攻撃を跳ね返し、市民と野党の共闘を再建し強化することも必要です。憲法を守り、戦争準備の大軍拡とそのための大増税に反対する立憲野党を励まし、国会での追及に声援を送り、選挙での前進を勝ち取らなければなりません。当面、4月の統一地方選挙と衆院の補欠選挙が大きなチャンスになります。
 世論に働きかけ知らせるためには知らなければなりません。今、何が起きているのか、どこに向かおうとしているのか、戦後安全保障政策の大転換と敵基地攻撃能力(反撃能力)についての嘘とデタラメを見破り、その誤りを分かりやすく伝えていくために、歴史を学び事実を知ることが大切です。
 戦争反対の幅広い世論を結集することも大切です。戦地への動員と戦闘への参加というリスクに最も不安を抱いているのは、自衛隊員とその家族、関係者ではないでしょうか。大軍拡は「身の丈に合わない」と考えている人々も含めた反戦の輪を広げていきましょう。
 支持率低下で窮地に陥っている岸田政権に対しては「勝手に決めるな」の声を高めて通常国会で追い込み、解散・総選挙を勝ち取ること、その機会に「ノー」を突き付けて退陣を迫り、大軍拡・大増税に向けての政策転換をストップすることが大きな課題になります。
 軍拡をめざす政治家や高級官僚に問いたいと思います。これほどの嘘とデタラメが分からないのかと。日米同盟が深化し軍事的一体化が加速すればするほど、周辺諸国との関係が悪化し、国民の不安が高まり、戦争の足音が高くなるのはなぜなのかと。
 重ねて問いたい。あなたがたには、その足音が聞こえないのかと。


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2月10日(金) 嘘とデタラメで巻き込まれる戦争などマッピラだ―大軍拡・大増税による戦争への道を阻止するために(その2) [論攷]

〔以下の論攷は憲法会議発行の『月刊 憲法運動』通巻518号、23年2月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

2,日米軍事同盟の危険性とアメリカの狙い

 〇着々と進む戦争準備―これまでにない危険性

 戦争法の「存立危機事態」による集団的自衛権の行使は、アメリカが始めた戦争への参戦システムにほかなりません。ベトナム戦争やイラク戦争のときのように、戦闘への参加を断ることができるのでしょうか。憲法9条という「防波堤」によって守られてきた自衛隊が、いよいよ米軍の指揮・統制のもとに実際の戦闘に加わるリスクが現実のものになろうとしています。
 しかも、現在想定されている「有事」はインドシナ半島や中東地域ではなく、日本の周辺です。「台湾有事」ということになれば南西諸島や沖縄が戦場になる危険性があります。中国が勢力圏を確保するために設けた海洋上の防衛ラインである第1列島戦は、九州沖から沖縄、台湾フィリピンを結んでいるからです。
 アメリカはこれを安全保障上の脅威と考え、ミサイル網などを整備しようとしています。日本政府も南西諸島の「要塞化」を計画し、与那国島から奄美大島までの琉球弧の島々に自衛隊の基地やミサイル部隊を展開しつつあります。
 そればかりではありません。統合司令部を設置して統合司令官ポストを新設する、沖縄の陸上自衛隊第15旅団を強化する、宇宙空間での作戦行動を強化するために航空宇宙自衛隊に改称するなどの方針を打ち出し、宇宙空間での攻撃への日米共同対処も合意されました。
 在日米軍もこれと連携する体制を強め、沖縄に即応部隊として海兵沿岸連隊(MLR)を新設し、ハワイにあるインド太平洋軍の指揮権を横田に移そうとしています。自衛隊での統合司令部創設を受けての再編であり、自衛隊はますます深く在日米軍に組み込まれることになります。
 在日米軍は現状においても大きな被害を与え、罪を犯しています。先進国ではありえない首都周辺での基地の存在と横田空域の占有、米軍基地周辺でのフッ素化合物(PFAS)による水質汚染の疑い、オスプレイによる市民生活への脅威、米軍将兵による犯罪被害と地位協定での特別扱い、特に沖縄での基地強化と辺野古新基地の建設、「思いやり予算」による財政の圧迫など、数え上げたらきりがありません。これらを減らすのではなく拡大しようというのです。今後も基地負担の増大とリスクの拡大は避けられません。

 〇アメリカは過ちを犯さなかったのか
 
 ここで問われるべきは、これまでのアメリカは過ちを犯さなかったのか、アメリカという国は信用できるのか、ということです。歴史を振り返ってみれば、いずれの問いにも「ノー」と答えざるを得ません。
 ベトナム戦争ではトンキン湾事件をでっちあげて攻撃を開始しました。ペンタゴン・ペーパーによる情報操作もありました。嘘をついて戦争を始めた過去があるのです。そして、ベトナムの人々を130万人も殺し、自国の若者をベトナムに送って5万8000人の命を奪ってしまいました。
 イラク戦争では重大な判断ミスを犯しています。大量破壊兵器を開発・保有しているとして攻撃し、フセイン大統領を捉えて処刑しましたが、結局、大量破壊兵器は見つかりませんでした。完全な濡れ衣で政権を倒してしまったのです。無法な戦争によって過ちを犯したのはアメリカでした。
 「台湾有事」における主導権はアメリカに委ねることになりますが、それで大丈夫なのでしょうか。このような過ちに満ちた過去を持つアメリカなのに。日本に対する攻撃に「着手」したという情報と判断はアメリカ頼りにならざるを得ないのですから。嘘をついて戦争を始め、判断ミスによって政権を転覆してしまった過去を持つ国に、これほど深く依存し日本の命運と国民の命を預けても良いのでしょうか。
 ベトナム戦争では、アメリカの要請によって韓国は延べ30万人の軍隊を派遣し、自国の若者5000人近くの命を失う結果になりました。憲法9条を持つ日本は出撃基地になったものの憲法の制約によって部隊を派遣することはなく、誰一人殺すことも殺されることもありませんでした。ここに「防波堤」としての憲法9条の威力があったのです。
 この威力を自ら放棄し、韓国が犯した過ちと同様の道を歩もうとしているのが今の日本です。「台湾有事」に巻き込まれ、他国と自国の若者の命を奪うようなことを、この国の政府に許して良いのでしょうか。
 アメリカはベトナム戦争で大きな過ちを犯しました。沖縄に米軍基地が無ければ避けられたかもしれない過ちです。沖縄の米軍基地はアメリカにとっても無いほうがよかったのです。
 「台湾有事」でも、沖縄や南西諸島の基地の存在は偶発的な衝突を本格的な戦争へと発展させる誘因になるかもしれません。基地が無ければ断念せざるを得ないのに、基地あるがゆえに戦争へと踏み切ってしまうリスクがあるからです。
 しかも、戦後のアメリカは中南米やアフリカ、インドシナや中東などで、不当な軍事介入を繰り返して失敗を積み重ねてきました。日本政府はこれに追随するばかりでした。北朝鮮や中国に対してだけアメリカは間違えず、日本政府も自主的な対応が可能だと言えるのでしょうか。

 〇アメリカの思惑と隠された狙い

 日米軍事同盟の危険性を考える際に最も重要なことは、日本とアメリカとは異なる立場と利害を持っているということです。両国は独立した別々の国ですから当たり前のことですが、日本政府はもとより国民の多くもこのことを忘れています。
 日本はサンフランシスコ条約によって独立しましたが、多くの基地は残り半占領状態が続きました。最も深刻なのは精神的なアメリカ依存であり、軍事的外交的な隷属です。これは解消されなかったばかりか国際的な分断とブロック化が進む下でさらに強まっているように見えます。
 日本とアメリカの最も大きな違いは、東アジアの緊張への対応にあります。日本は周辺地域の緊張緩和を必要としていますが、アメリカは必ずしもそうではありません。適度な緊張の発生と継続は「軍産複合体」に支配されているアメリカに大きな利益をもたらすからです。
 ウクライナでの戦争は米製兵器の在庫処分と新型兵器の見本市のようになっています。兵器などの軍事支援のほとんどは軍需産業の売り上げとしてアメリカに還流し、ボーイング社などの軍需産業は「死の商人」として利益を上げ、一部を政治献金しています。さすがにアメリカも自国が戦場になるのは望んでいないでしょうが、他国の戦争は「蜜の味」なのです。
 アメリカ政府は昨年暮れに台湾への4億2800万ドルの武器売却を発表しました。これはバイデン政権になってから7度目になります。このような商売は台湾海峡での緊張の増大があるからこそ成立するのです。
 日本も同様です。トマホークの購入経費2100億円が来年度予算案に計上されました。「台湾有事」への懸念がなければ「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有や古くさくなり有効性が疑問視されている巡航ミサイルの爆買いなどあり得ません。まさに、東アジアでの緊張激化が米軍需産業に巨大な利益をもたらしているのです。
 アメリカと日本の違いはこれだけではありません。中国との関係でも大きな違いがあり、利害関係は異なっています。中国と日本は歴史的な関係も深く、身近な大国で最大の貿易相手国です。中国に進出している日本の企業は1万3000社を数え、そこに住んでいる日本人は10万人以上でアメリカに次ぐ多さです。
 このような国と戦争できるのでしょうか。仮想敵国として考えること自体、大きな間違いです。たとえアメリカとの武力紛争が生じたとしても、日本が攻撃されない限り、その紛争に日本は関わらないという立場を明確にするべきでしょう。
 また、アメリカには隠された狙いがあることにも注意が必要です。それは、東アジアでの緊張と安全保障政策を口実にして日本をコントロールし、その足を引っ張ろうとしていることです。急速な経済成長で日本が強力なライバルとなり、貿易摩擦まで引き起こした過去の教訓を学んでいるからです。
 このアメリカの隠された狙いに気づかず、日本政府は隷従路線を強めています。経済安全保障を名目にした産業活動への規制や日本学術会議への攻撃はその具体的な表れでした。経済や産業と科学技術の自主的で自由な発展こそが「成長戦略のカギ」であるにもかかわらず、アメリカの圧力に屈して軍事に動員しようとしているからです。手ごわい競争相手となった過去の歴史を繰り返さないという、アメリカの狙いを見抜かなければなりません。
 国の富を経済発展や産業育成、民生分野につぎ込んできた「9条の経済効果」と軍事にかかわらない自由で基礎的な学術研究の発展こそ、日本の強みの源泉でした。その強みがあったからこそ、アメリカに対抗し貿易摩擦を生み出すほどの力を発揮できたのです。
 その力の源泉が奪われようとしているのです。中国を敵視することによって東アジアの危機を作り出し、それを利用しながら軍拡へと誘導することで成長への芽を摘み弱体化を図るというのが、アメリカの隠された狙いなのではないでしょうか。



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2月9日(木) 嘘とでたらめで巻き込まれる戦争などマッピラだ―大軍拡・大増税による戦争への道を阻止するために(その1) [論攷]

〔以下の論攷は憲法会議発行の『月刊 憲法運動』通巻518号、23年2月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 はじめに

 岸田政権は戦後安全保障政策を大きく転換する閣議決定を断行し、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」からなる「安保3文書」を改定しました。ここで打ち出された敵基地攻撃能力(「反撃能力」)の保有は日米首脳会談で確認され、共同声明で「日本の反撃能力およびその他の能力の開発、効果的な運用について努力を強化する」と明記されました。
 戦前も、このようにして戦争への道を突き進んでいったのでしょうか。「安保3文書」は大軍拡・大増税という総動員体制への転換を打ち出しています。平和憲法を無視し、戦後の安全保障政策を真っ向からくつがえして、日本を戦争へと引きずり込もうとするものです。
 しかも、この政策転換は嘘とデタラメに満ちており、国民に隠れて実行されました。日本が攻められてもいないのに、平和安全法制(戦争法)によってアメリカが始めた戦争に「お付き合い」して巻き込まれることになりそうです。
 かつて渡辺白泉は「戦争が廊下の奥に立ってゐた」と詠み、気がつかないうちに戦争が始まってしまうことへの不安や無力感を表現しました。今回の政策転換は「戦争が表玄関から入ってきた」ようなものではないでしょうか。気がついてからでは遅いのです。今なら追い出して扉を閉めることができます。
 そのための手立てを考え、大きな声を上げていかなければなりません。大軍拡・大増税による「新しい戦前」などマッピラです。このまま「古い戦後」を維持して平和で安全な日本を次の世へと手渡していきたいものです。
 それは日本のためだけでなく、東アジアの緊張緩和と平和的な共存のためにも必要なことです。日本に軍事分担を迫り、緊張を高めて戦争へのリスクを増大させているアメリカにとっても有益な解決策となるにちがいありません。戦争になれば、どの国でも大きな犠牲は避けられないのですから。
 今は、歴史の転換点です。どのような方向に変えていくのか。問われているのは私たちの選択です。誤りのない選択によって次の世代に平和な世界を手渡すことができるかどうか。今に生きる私たちの判断力と責任が問われているように思われます。

1,「安保3文書」による平和憲法破壊の挑戦

 〇噓ばかりの「国家安全保障戦略」

 「わが国の安全保障に関する基本的な原則を維持しつつ、戦後のわが国の安全保障政策を実践面から大きく転換する。」
 これは「国家安全保障戦略」の冒頭にある一文です。すでにここに嘘があります。「基本的な原則」である専守防衛が維持されるわけではありません。そもそも原則が維持されていれば、「大きく転換」したことにはなりません。嘘をついているから、矛盾した記述になっているわけです。
 このすぐ後に「安全保障に関する基本的な原則」が掲げられ、「専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず」と書かれています。これも嘘です。「他国に脅威を与え」なければ「拡大抑止」の効果はなく、軍事費が世界第3位になれば、正真正銘の「軍事大国」だからです。
 「国家安全保障戦略」は敵基地攻撃能力を「反撃能力」と言い換え、「相手からミサイルによる攻撃がなされた場合、ミサイル防衛により飛来するミサイルを防ぎつつ、相手からのさらなる武力攻撃を防ぐために、わが国から有効な反撃を相手に加える能力、すなわち反撃能力を保有する必要がある」としています。
 これも大きな嘘です。これまでの説明では、「攻撃がなされた場合」ではなく「攻撃に着手した場合」に指揮統制機能等を攻撃するとしていました。攻撃される前に攻撃するというのです。これがどうして「反撃」になるのでしょうか。
 これに続けて、「武力攻撃が発生していない段階で自ら先に攻撃する先制攻撃が許されないことに一切変更はない」とも書かれています。「着手した段階」で中枢部を攻撃するとしていた説明と矛盾しています。今後の国会審議で、これまでの答弁との整合性を追及しなければなりません。
 今回の政策転換について岸田首相は「自分の国は自分で守るため」だと説明しています。これも巨大な嘘です。中国は日本を責めるとは言っていないからです。しかし、日本が攻められていなくても、台湾周辺での偶発的な武力衝突をきっかけにアメリカが参戦すれば、それに引きずられて日本は戦争に巻き込まれます。
 「平和安全法制の制定等により、安全保障上の事態に切れ目なく対応できる枠組みを整えた。その枠組みに基づき、……戦後のわが国の安全保障政策を実践面から大きく転換する」と書かれているように、戦争法の「枠組み」を「実践面」から実行可能にしたのが、この政策転換だったのです。
 戦争法の法的な「枠組み」を実行できるように自衛隊を増強し、米軍との一体化と共同作戦体制の強化を図ろうというのが、今回の大転換の目的です。そのために日米同盟が「わが国の安全保障政策の基軸」であることを再確認し、専守防衛の国是を投げ捨てることにしたわけです。
 戦争法に基づいて、アメリカへの攻撃を「存立危機事態」と認定すれば、自衛隊は米軍と共に戦うことになります。日本を守るためではなく、米軍を守るための自衛隊の参戦であり、それをきっかけにして日本が本格的な戦争に巻き込まれるリスクが高まります。そうならなくても軍事対軍事による緊張の高まり、軍備拡大競争の激化は避けられません。
 すでにそのような競争は始まっています。台湾への支援強化に対して中国は軍事演習を繰り返し、日米韓の連携強化には北朝鮮も対抗措置を強めています。さらに軍事的圧力を強めれば、これらの動きを鎮めるどころか、緊張を一層激化することになるでしょう。

 〇デタラメに満ちた政策転換

 「国家防衛戦略」もデタラメに満ちています。「島嶼(とうしょ)部を含むわが国に侵攻してくる艦艇や上陸部隊等に対して脅威圏の外から対抗するスタンド・オフ防衛力を抜本的に強化する」と書かれていますが、「脅威圏の外」などどこにあるのでしょうか。北朝鮮のミサイルは日本の上空を飛び越え、中国の中距離ミサイルでさえ日本全土を射程圏内に収め、グアムにまで到達するではありませんか。
 南西諸島など島嶼部での基地の建設は有害無益です。もし中国が攻めてくるとすれば、地上部隊を派遣する前にミサイルやドローンによる空からの攻撃で壊滅させられるにちがいないのですから。わざわざ攻撃目標を作り出して住民の被害を拡大するだけで何の意味もありません。
 財源についての議論もデタラメです。「予算水準が現在の国内総生産(GDP)の2%になるよう、所要の措置を講ずる」とし、「防衛力整備計画」には「金額は43兆円程度とする」と書かれていますが、中身はありません。
 このような増額は2020年にエスパー米国防長官が日本などに「GDP比2%」の軍事費を要求したことが発端です。しかし、ローン契約によって積み残される16.5兆円を加えれば60兆円近くになると、東京新聞は報じています。これだけの額をどのようにねん出するのでしょうか。
 政府は防衛力強化資金、決算剰余金の活用、歳出改革の3本柱に加え、所得税・法人税・たばこ税などの増税、東日本大震災の復興税やコロナ対策積立金の流用、これまで認めてこなかった建設国債の充当まで打ち出しています。まるで「禁じ手」のオンパレードではありませんか。
 岸田首相は「異次元の少子化対策」を指示し、6月を目途に子供関係予算の倍増を示唆し消費税引き上げの動きもあります。財源をめぐる議論はさらに活発化するでしょう。限られた予算をどう使うのか、ミサイルよりも子供のために、という声を大きくしていかなければなりません。そうしなければ、消費税を含めた大増税によって、国民生活が破壊されてしまうのは明らかなのですから。
 コロナパンデミックによって経済活動は疲弊し、国民の生活は大きな困難に直面しました。それを助けるために、90を超える国と地域で消費税などの減税措置がとられています。生活が苦しければ税金を負けるというのが当たり前の政策です。
 しかし、日本はコロナと物価高で国民生活が苦難のさなかにあるのに、増税しようというのです。狂っているとしか言いようがありません。生活苦にあえぐ国民の姿が見えていないのでしょうか。

 〇国民が気づくべきことは

 今回の政策転換には、今までとは異なる危険性があることに注意しなければなりません。
 それは、ウクライナ戦争という新たな事態の下で実行されているということです。「国家安全保障戦略」は冒頭で「ロシアによるウクライナ侵略により、国際秩序を形づくるルールの根幹がいとも簡単に破られた。同様の深刻な事態が、将来、インド太平洋地域、とりわけ東アジアにおいて発生する可能性は排除されない」と述べています。
 ウクライナ戦争の勃発によって戦争のリアリテイが増大し、平和と安全に対する国民の不安感も増大しています。これまでにない大きな変化です。世論は変わりつつあり、防衛力の拡大に対する支持も少なくありません。
 「戦争は嫌だ」という気持ちや軍事への忌避感情が減少し、好戦的な雰囲気が増大するなかで、日本は大きな曲がり角に差し掛かっています。国民が気づくべきことは、今の日本が戦前と同じように、戦争への道を歩んでいるということであり、生活を破壊する大増税が押し寄せてくるということです。
 政策転換を行った手法にも大きな問題があります。臨時国会が幕を閉じるのを待ち、短期間で結論ありきの密室審議でアリバイを作っただけです。座長の元駐米大使をはじめCIA(米中央情報局)のエージェントではないかと疑われるような有識者ばかりで、憲法学者は加わっていません。議事録も作成されず、透明性が欠如した独断的な政策転換でした。
 このような嘘とごまかしの内容を暴くとともに、今回の政策転換がもたらす数々のリスクを分かりやすく示すことが必要です。戦争に引きずり込む安保体制・日米軍事同盟の危険性と戦争への防波堤となってきた憲法9条の役割という相互関係への理解を深めなければなりません。不安を解消できる安全保障政策、憲法9条に基づく外交政策の具体的なビジョンを明らかにしていくことが求められます。


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1月10日(火) 改憲・大軍拡を阻止し9条を守り活かすための課題(その3) [論攷]

〔以下の論攷は、自治労連・地方自治問題研究機構が発行する『季刊 自治と分権』No.90、2023年冬号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 日米安保と憲法9条の相互関係

 〇戦争への「呼び水」と「歯止め」

 改憲発議と大軍拡という日本の軍事大国化をめざす2つの道を阻むためには、日米安保体制の危険性と憲法9条が果たしてきた役割について、改めて確認しておく必要があります。日米安保と憲法9条の相互関係についての正確な理解は、現在直面している安全保障政策の大転換の危険性を知るうえで欠かせない前提条件になっているからです。
 そのためには、戦後の歴史を振り返ってみる必要があります。戦後のアメリカはインドシナ半島や中東などで誤った軍事介入を繰り返し、それに日本は引きずり込まれ協力させられてきました。安保体制の根幹をなす軍事同盟をアメリカと結んでいたからです。安保体制は日本を戦争に引きずり込む「呼び水」だったのです。
 これに対して、重要な「歯止め」となったのが憲法9条でした。9条があったために、これまで自衛隊は戦闘に巻き込まれることなく、戦闘行為によって誰1人殺さず、誰も殺されずに今日に至っています。憲法9条は戦争に対する防波堤であり、自衛隊員を守るバリアーの役割を果たしてきたのです。
 この日米安保体制と憲法9条の相反する意味と役割を明らかにし、それを幅広く情報発信することが必要です。日本人の多くは安保体制を評価していますが、それは歴史的な事実を十分認識せず、その危険性を正しく理解していないからです。憲法9条についても、その「ありがたさ」が十分に分かっていません。その両者について明らかにし、好戦的な世論を変えていくことが重要です。

 〇ベトナム戦争とイラク戦争の教訓

 戦争への「呼び水」としての安保体制と、戦争への「歯止め」としての9条の相互関係を示す実例を2つ挙げたいと思います。ベトナム戦争とイラク戦争です。その教訓を学ぶことが今ほど大切になっているときはありません。
 アメリカが介入したベトナム戦争に対して、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、韓国などの同盟国は軍を派遣しています。特に韓国は猛虎や青龍などの師団をはじめ延べ30万人以上の部隊を派遣し、ハーミーやフォンニの虐殺事件などを引き起こしました。その結果、5000人近い自国の若者の戦死者を出しています。
 しかし、日本は重要な出撃拠点となり、軍需物資の補給や修理、兵員の休養など戦争に協力させられましたが、自衛隊を送っていません。一方で安保体制によって戦争に協力させられましたが、他方で他の同盟国のように軍を派遣することも、一人の戦死者を出すこともありませんでした。隣国の韓国とはこの点で根本的に異なっています。まさに、戦争への「歯止め」としての憲法9条の威力が発揮されていたのです。
 米太平洋軍司令官が「沖縄なくして、ベトナム戦争を続けることはできない」と語ったように、沖縄の基地がなければ米軍はベトナムに介入したり、戦争を継続したりできませんでした。アメリカはベトナムで自国の若者5万8000人を犠牲にし、ドルの支配体制の崩壊を招くなど痛恨の失敗を犯しました。沖縄に米軍基地がなければ避けられたかもしれない過ちです。沖縄の米軍基地は沖縄にとってだけでなく、アメリカにとってもないほうがよかったのです。
 イラク戦争に際しても、同様の教訓を確認することができます。安保体制によって陸・海・空の自衛隊がイラクに派遣されました。このとき、陸上自衛隊が赴いたのは「非戦闘地域」とされるサマーワでした。このような地に派遣されたのは憲法上の制約があったからです。
 そこで陸上自衛隊は戦闘行為に加わらず、飲料水の供給や道路の補修などの非軍事的業務に従事し、殺すことも殺されることもなく引き上げてきました。その後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)によって約30人の自殺者が出るという悲劇が生じましたが、イラクでの自衛隊員は9条のバリアーによって守られていたのです。
 日本を戦争から遠ざけ自衛隊員のバリアーとなってきた憲法上の制約が失われれば、もはや戦争への「歯止め」はなくなり、自衛隊は戦火にさらされることになります。そうならないことを祈るような気持ちで見つめているのは、自衛隊員とその家族や関係者の皆さんではないでしょうか。

 〇憲法9条の意義と効用

 ここで特に強調しておきたいのは、憲法9条の効用であり、その「ありがたさ」です。9条改憲を主張している人々はもちろんのこと、それに反対している人々を含めて、その意義や効用が十分に理解されず、9条改憲によって「失われるものの大きさ」が良く分かっていないからです。
 ベトナム戦争とイラク戦争から明らかになった教訓は、憲法9条が戦争加担への防波堤となってきたことであり、自衛隊員を戦火から守るバリアーだったことです。これらに加えて、憲法9条の「ありがたさ」について、以下の点を強調しておきたいと思います。
 それは、戦後における経済成長の原動力だったということです。これが「9条の経済効果」と言われるものです。これによって軍事ではなく民生への投資を増やし、国富を主として経済成長や産業振興、福祉などに振り向け、戦後の高度経済成長を生み出すという大きな成果をもたらしました。
 その結果、アメリカにとって日本は経済摩擦を引き起こすほどの手ごわいライバルに成長したのです。そこでアメリカが持ち出してきたのが防衛分担と米国製兵器の購入拡大であり、最近では経済安全保障です。これらによって日本の経済成長の足を引っ張り、アメリカのライバルや脅威にならないようにしようと考えているのです。
 憲法9条は学術研究の自由な発展を促進する力でもありました。日本学術会議は軍事研究を拒否してきたため、兵器への実用化や軍事転用などに惑わされることなく地道な基礎研究に専念し、ノーベル賞並みの研究成果を上げることができました。
 ところが、最近になって自由な基礎研究ではなく軍事研究に学問を動員しようとする動きが強まりました。科学研究費助成を上回る軍事研究開発費や国際卓越研究大学法の10兆円の大学ファンドによる政策誘導、経済安保法による様々な規制などによって軍事研究が促進されています。「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」では科学技術振興機構によって研究者を軍事研究に動員する枠組が提案されました。日本学術会議の会員6人に対する任命拒否も、このような学術研究に対する軍事的要請の一環にほかなりません。
 さらに、9条は平和外交の推進を生み出す力だったということも重要です。しかし、残念ながらこれは可能性にとどまりました。軍需産業に支配されているアメリカは緊張の緩和ではなく適度な緊張の継続を望んでおり、アメリカに隷従する日本政府は9条を活かした自主的な平和外交の展開を怠ってきたからです。
 国外での戦争を利益とするアメリカと、内外を問わず平和を希求する日本の立場は根本的に異なっています。米中対立や北朝鮮のミサイル発射についても、挑発の応酬ではなく、中国や北朝鮮に自制を求めるとともにアメリカにも緊張を激化させるなと忠告するべきです。憲法9条に基づく自主的な対話による緊張緩和と戦争回避を最優先した独自の取り組みこそ、これから求められる平和外交のあるべき姿なのですから。
 
 むすび―「活憲」の政治と政府を目指して

 大軍拡を阻止して憲法9条を守り活かすために何が必要でしょうか。
 何よりも世論を味方につけなければなりません。「ポスト真実」の時代には、何が事実であるかを知るだけでも大変な努力が必要です。このような情報戦における世論の争奪戦に勝利しなければなりません。
 そのためには教育をめぐる攻防で巻き返す必要があります。
 自民党は戦後一貫して教育への介入を進め、教科書を書き換えて教員に対する管理・統制を強化し、批判力を欠いた従順でおとなしい若者を育成しようとしてきました。その結果、若い世代ほど政権支持が高く現状肯定感が強くなっています。これを是正する必要があります。
 また、国民に事実を伝えるためには、メディアの役割も重要です。
 新聞やテレビなどの主要なメディアはチェック機能を低下させ政権に対する批判力を弱めています。権力にすり寄るメディアはジャーナリズムとは言えません。権力に立ち向かえる真のジャーナリズムの復権が必要です。
 さらに、情報を取得する手段としてはインターネットなどの役割が高まっています。
 若い世代の中ではメールやツイッター、インスタグラム、フェイスブックなどが主流で、フェイクニュースの発信地になる例も急増しています。SNSを虚偽ではなく真実の発信地に変えていかなければなりません。
 新自由主義による自治体の変質と民営化に抗して住民の利益を守り福祉を増進するとともに、これらの情報戦においても自治体労働組合が大きな役割を果たすことを期待したいと思います。
 とりわけ今年(2023年)4月には統一地方選が実施されます。地方自治体でも統一協会の暗躍と汚染は広がっており、これらを一掃する機会として自治体選挙を活用しなければなりません。正しい情報発信と選挙への取り組みを通じて、憲法が活かされる「活憲」の政治と政府の実現を目指す先頭に立っていただきたいと思います。


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1月9日(月) 改憲・大軍拡を阻止し9条を守り活かすための課題(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、自治労連・地方自治問題研究機構が発行する『季刊 自治と分権』No.90、2023年冬号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 安倍元首相銃撃死の衝撃と統一協会の闇

 〇憲法をめぐる情勢にも大きな影響

 参院選最終盤に、奈良県の近鉄西大寺駅前で驚天動地の銃撃事件が発生しました。候補者の応援のために街頭演説を行っていた安倍元首相が山上徹也容疑者によって手製の銃で襲われ、命を落としたのです。選挙中の事件であり、許されざる重大犯罪でした。
 この安倍銃撃事件は岸田内閣を窮地に追い込み、憲法をめぐる情勢にも大きな影響を及ぼすことになりました。銃撃の背景には世界平和統一家庭連合(世界基督教統一神霊協会=統一協会)に対する個人的な恨みがあったからです。統一協会に家庭を破壊された山上容疑者は恨みを晴らすために広告塔であった安倍元首相を狙ったと供述しています。
 この事件によって改憲発議に執念を燃やしていた安倍元首相はこの世を去りました。最大の旗振り役が姿を消したことになります。岸田首相にとっては大きな圧力を感じていた存在の消滅でした。安倍元首相に気を使っての「忖度(そんたく)改憲」の重しが取れたことになります。
 事件をきっかけに統一協会と自民党との関係をめぐる政治の闇に光があたり、驚くような癒着ぶりが次々と明らかになりました。岸信介元首相以来という期間の長さ、選挙でのボランティアや応援、行事への出席やあいさつなどの関係の深さ、自民党国会議員の約4割から地方議員にまで及ぶ幅の広さは想像を絶するものでした。とりわけ、選挙にあたって署名を求められた「推薦確認書」の存在とその内容は、大きな問題を投げかけています。
 統一協会の本質は宗教の仮面をかぶった反社会的カルト集団であり、反共・改憲団体です。韓国に本部があり、日本人を洗脳して高額な商品を売りつけ、集団結婚によって日本人妻1万6000人を韓国に連れ出してきました。信者の家庭を破壊して宗教2世の人生を狂わすだけでなく、巨額な資金を集めて韓国に送り豪華な宮殿を建て一部は北朝鮮にも流れていました。
 そのような団体と密接なかかわりを持ち、広告塔の役割を演じて政策実現の確認書を結んでいたというのです。外国勢力による内政干渉であり、国民主権と政教分離に反する政治への関与ではありませんか。自民党はどこの国の政党かと言いたくなります。本気でこの国と国民を守る気があったのかが疑われるのも当然でしょう。

 〇統一協会との「政策協定」と改憲論の共通性

 統一協会の友好団体である「世界平和連合」や「平和大使協議会」が自民党議員に提示して署名を求めていた「推薦確認書」の内容はさらに大きな問題を投げかけています。これは選挙で支援する見返りに協会側が掲げる政策への取り組みを求めたもので、「政策協定」ともいえる内容でした。
 それは憲法改正、安全保障体制の強化、家庭教育支援法および青少年健全育成基本法の制定、LGBT 問題や同性婚合法化の慎重な扱い、「日韓トンネル」の推進、国内外の共産主義勢力の攻勢の阻止などが柱になっています。友好団体である国際勝共連合の改憲案はもっと露骨です。内閣専制の緊急事態の創設、個人無視の家族条項、強い国家をめざす自衛隊明記などは、2012年発表の自民党改憲案とウリ二つでした。
 自民党は政策への影響はなかったと弁明していますが、主張が同じだったから変える必要がなかったにすぎません。統一協会や勝共連合が接近してきたのは考え方が同じだったからです。外国にルーツを持ち、法の支配と人権、平和主義を守る気のない反社会的改憲集団と考え方や政策が同じだということのほうが大きな問題ではないでしょうか。
 統一協会との深いかかわりは憲法審査会のメンバーにも及んでいました。東京憲法会議の調査によれば、衆議院では自民党の委員28人のうち18人(64%)が選挙協力や講演などで関係があり、維新の会の馬場伸幸代表、国民民主党の玉木雄一代表も関係者です。参議院では自民党委員22人中8人で、維新の会の音喜多駿幹事も関係がありました。このような人たちが改憲の旗を振っているということを忘れてはなりません。まさに、「推薦確認書」の求めるままの行動ではありませんか。

 〇国葬政治利用の失敗と内閣支持率の急落

 安倍元首相の銃撃死に衝撃を受けた岸田首相は、6日後に「国葬儀」として弔うことを発表しました。戦後の国葬は吉田茂元首相しか前例がなかったにもかかわらず、自民党内の最大派閥である清和政策研究会(安倍派)に配慮しての決断でした。それが政権基盤の安定に資するという計算もあったにちがいありません。
 しかし、これは大きな誤算でした。戦後、憲法の趣旨に反するとして国葬は廃され、法的根拠を失っていたからです。岸田首相は国政選挙のない「黄金の3年間」を盤石のものとして、改憲などの重要課題にじっくり腰を据えて取り組むつもりだったかもしれません。しかし、そのような思惑とは裏腹に、国葬の強行は岸田政権にとって「躓(つまづ)きの石」となりました。
 報道各社の世論調査では反対が6割を超えました。「終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」(二階俊博元自民党幹事長)との期待に反し、国葬後も評価しないという世論は61.9%(共同通信10月調査)と6割を超えています。
 岸田首相は厳しい声に慌て、9月に予定していた内閣の改造を8月に前倒ししましたが、その効果は限定的でした。改造直後から内閣支持率は下がり続け、時事通信の10月調査では27.4%となって3割を切りました。
 民意は岸田政権に対して「ノー」を突き付けています。物価高対策やコロナ対策でも効果的な手を打てず、国民生活も日本経済も危機的な状況に陥りました。政権の「体力」は低下し続け、改憲どころではありません。緊急に取り組むべき生活支援の課題に全力を尽くすべきでしょう。そのためにこそ、政府はあるのですから。

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1月8日(日) 改憲・大軍拡を阻止し9条を守り活かすための課題(その1) [論攷]

〔以下の論攷は、自治労連・地方自治問題研究機構が発行する『季刊 自治と分権』No.90、2023年冬号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 要約

 憲法をめぐって改憲発議と大軍拡による憲法空洞化=壊憲の「二刀流」の攻勢という新たな局面が生じています。この両者に反対し阻止するという「二正面作戦」が必要です。安倍元首相の銃撃死によって統一協会の闇と改憲論の共通性が暴露され、岸田政権は窮地に陥りました。日米安保は戦争への「呼び水」であり、憲法9条はその「歯止め」であるという相互関係を示し、憲法9条の意義と効用を明らかにすることがますます重要になっています。

 はじめに

 ロシアによるウクライナへの侵略を機に、軍事や戦争、核兵器に対する国民の忌避感情が薄れ、敵基地攻撃(「反撃」)能力の保有や核共有論が声高に主張されるようになっています。北朝鮮によるミサイル発射も相次ぎ、戦争への敷居が急速に低くなったように見えます。「戦争は嫌だ」という素朴な感情が、「日本は大丈夫なのか」という懸念や危機感に押し流されようとしています。
 国民の危機感を背景として、憲法9条に対する懐疑論も強まりました。ウクライナでの戦争や北朝鮮の暴挙を利用した危機便乗型の改憲論です。以前から安倍晋三元首相や維新の会などによって主張されていた改憲発議や大軍拡に向けての動きが加速したように見えます。
 岸田政権はアメリカと中国との緊張が高まるなかで、米国寄りの姿勢をより一層鮮明にし、改憲を目指しつつ防衛費の大幅増額や南西諸島の要塞化に突き進もうとしています。米中両国に挟まれ、貿易で中国に深く依存しているにもかかわらず、外交を通じて両者の緊張を緩和しようという姿勢は全く見られません。
 このような憲法と安全保障をめぐる情勢の特徴はどこにあるのでしょうか。新たな局面をどう見たらよいのでしょうか。そのような動きの何が問題なのか、どう対応したらよいのか、どのような新たな課題が生じているのかなどの論点についても、考えてみることにしたいと思います。

 憲法をめぐる新たな局面

 〇改憲と壊憲の「二刀流」

 今日の改憲論には、これまでにない特徴があります。憲法の条文の書き換え(明文改憲)のための発議のチャンスをうかがいながら、大軍拡という憲法の空洞化(憲法の破壊=壊憲)に向けて歩みを進めるという両面作戦がとられていることです。いわば改憲と壊憲の「二刀流」による新たな憲法破壊の攻撃が始まりました。
 このような「二刀流」が採用されたのは、これまでの明文改憲路線が十分な成果を挙げなかったからです。安倍晋三元首相は「2022年を新しい憲法が施行される年にしたい」と明言し、そのための国民運動をよびかけました。しかし、改憲発議への国民の支持は高まっていません。
 発議を強行しても過半数の賛成を得られるとはかぎらず、国民投票で否決されれば、改憲策動は息の根を止められてしまいます。そのようなリスクは避けたいという判断があるため、衆参両院で3分の2を上回る多数を得ているにもかかわらず、改憲発議を行うことはできませんでした。
 しかし、改憲への野望と軍事分担を求めるアメリカからの要請に変わりはありません。そのようなときに生じたのがウクライナ戦争であり、これに後押しされた好戦的な国民感情です。これをチャンスと捉えた自民党は、憲法9条の下での軍事大国化を目指した新たな軍拡路線を選択しました。それが敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有であり、国民総生産(GDP)の2%を目途とした防衛費の倍増計画でした。
 その背景には、改憲発議を阻止してきた9条の会などの運動の成果がありました。市民と立憲野党の草の根での地道な運動が正面からの改憲を阻止してきたために、9条に手を付けないままでの大軍拡による憲法空洞化という「迂回(うかい)作戦」を余儀なくされたわけです。
 9条に手を付けなければ国民に不安感や警戒心を与えず、日本の軍国化を懸念する周辺諸国の目を欺けるという「効果」もあります。しかし、改憲勢力は国会での発議をあきらめたわけではありません。その策動の主要な舞台になっているのが憲法調査会です。

 〇改憲発議に向けての憲法審査会の動き

 2021年10月の衆院選で改憲勢力が議席を増やしたのち、憲法審査会での動きが強まりました。2022年の通常国会では2月以降ほぼ毎週開催され、で過去最多の16回、参院でも2番目に多い7回に上り、緊急事態条項の創設や国会でのオンライン審議、国民投票法のCM規制のあり方などが議論されました。
 2022年7月の参院選でも数を増やした改憲勢力は、秋の臨時国会でさらに改憲発議への機運を高めようとしました。自民党は9条への自衛隊明記や緊急事態条項の新設も視野に、日本維新の会を議論に引き込もうとしています。
 2022年10月27日、衆院憲法審査会は臨時国会初の自由討議を行い、自民党は緊急事態条項創設について「早急に議論すべきだ」と提案し、公明や国民民主も同調しています。維新は2023年の通常国会で各党が改憲項目を持ち寄り、意見集約を図るべきだと主張ました。しかし、立憲民主党は旧統一協会問題を念頭に「政治と宗教」の関係を整理すべきだと主張し、共産党も統一協会教会系の国際勝共連合の改憲案と自民党の改憲草案との酷似の解明を優先するよう求めました。
 憲法審査会での審議を通じて、改憲論議の促進を図りたい自民、積極的な立場からたきつける維新、同調しながらもそれほど積極的ではない公明と国民民主、旧統一協会問題を優先する立憲民主、改憲に反対する共産という各党の立ち位置が明らかになっています。参院選後、岸田首相は改憲への意欲を示していましたが、内閣支持率が急落しており、議論の推移が注目されます。

 〇憲法破壊の新段階としての戦後安保政策の大転換

 自民党の改憲運動や憲法審査会の動きと並行しながら、憲法破壊の新段階ともいうべき新たな危険性が生じました。それが敵基地攻撃能力の保有であり、防衛費の倍増計画です。
 これは戦後安全保障政策の大転換であり、憲法9条を踏みにじるだけでなく、国連憲章などにも反する重大な政策転換にほかなりません。敵基地攻撃能力について「反撃能力」と言い換えていますが、敵がミサイル発射に「着手」した段階で、発射される前に「指揮統制機能等」を攻撃するものですから「反撃」ではありません。
 その背景にはミサイル技術が格段に進化し、迎撃がほとんど不可能になってきたことがあります。マッハ5以上の極超音速ミサイルや地形に沿って飛行する巡航ミサイルは迎撃が困難です。しかも、移動式だったり潜水艦から発射されたりすれば、「敵基地」を特定できません。ですから、発射される前に指揮統制をつかさどる中枢部を攻撃しなければならないというわけです。
 しかし、「着手」とはどういう状態をいうのでしょうか。それをどのように判断するのでしょうか。「着手」したとみなして、ミサイルが発射される前に中枢部を攻撃すれば、国際法違反の「先制攻撃」になります。国際社会から総批判を受けることは避けられません。
 必要最小限度の実力組織である自衛隊は、いまや不必要最大限度の国軍になろうとしています。専守防衛による自衛路線が投げ捨てられ、「盾」から「矛」へ、国境を越えて敵基地を攻撃できるような能力を獲得すれば、それはもはや「自衛」隊ではありません。
 総批判を浴びて国際社会から孤立するような安全保障戦略の大転換が着手されました。明文改憲をちらつかせながら、実質的に憲法9条の内実を掘り崩すという実質改憲の極限形態が訪れようとしているのです。
 政府は2023年度概算要求で遠方から攻撃する「スタンド・オフ防衛能力」を高めるために国産ミサイルを1000キロ程度に伸ばして量産化することを盛り込み、2026年度の運用開始を目指しています。しかし、それでは間に合わないということで、米国製巡行ミサイル「トマホーク」の購入を打診していると報じられました。
 しかし、十分な議論も正式な方針変更もないうちから、このような形で既成事実化を図ることは許されません。また、このような大軍拡を裏付ける財政措置についてもあいまいです。防衛費が倍増され11兆円を超えれば、世界第3位の軍事大国になり国民生活を圧迫します。それを支える自衛隊のマンパワーは24万7000人の定員に対して1万4000人も不足しています。
 国会での十分な議論も財政的・人的な裏付けもないまま、装備の開発と購入計画が先走りしているのが現状です。「空想的軍国主義」ともいうべき空理空論の暴走によって、日本は憲法9条の下での軍事大国化という危険な領域へと足を踏み入れようとしているのです。

 〇「二正面作戦」による改憲発議と大軍拡の阻止

 日本の軍事大国化を目指す改憲勢力による「二刀流」の攻勢に対して、私たちはこの両方を阻止するための「二正面作戦」に取り組まなければなりません。改憲発議を許さないだけでなく、大軍拡による9条の空洞化も阻止する必要があります。この二つの課題は軍事大国化を目指す二つの道を阻むことであり、両者を結び付けて取り組むことが肝要です。
 改憲発議阻止に向けては、日米安保体制の危険性と憲法9条が果たしてきた役割について、改めて学び情報発信する必要があります。これについては後に詳述しますが、このような情報発信と世論への働きかけと並行しながら、国会での改憲勢力の動きをけん制しなければなりません。憲法審査会の動きを監視し、立憲民主や共産などの立憲野党を励ますとともに、自民党や維新の会の策動を封ずることが重要です。
 また、同じ与党であっても、自公の間には意見の違いがあります。自民は9条の後に自衛隊の存在を認める「9条の2」を加えようとしていますが、公明はその必要性を認めていません。代わりに、憲法72条の「内閣総理大臣の職務」と73条の「内閣の職務」に自衛隊への指揮を書き込むという案を主張しています。これが北側一雄副代表の個人的な案であるかどうかは不明ですが、このような自公間の違いにくさびを打ち込むことも重要でしょう。
 「反撃能力」の保有と防衛費倍増に対しては、憲法9条に反し「専守防衛」という国是を踏みにじる暴論であることを幅広く示していく必要があります。これまでとは質的に異なる戦後安全保障政策の大転換であり、国連憲章に反する「先制攻撃」を公言するものであることを国民に理解してもらわなければなりません。
 そのための情報発信や宣伝、駅頭でのスタンデイング、集会やデモも必要です。このような草の根での世論への働きかけと結んで、国会での論戦を通じて政府・与党を追い込んでいかなければなりません。岸田政権は統一協会との関係や物価高対策などの問題で窮地に立っています。これらの問題への厳しい追及によって、改憲や大軍拡に向けての策動の余地を与えないことも重要です。

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1月5日 〝核兵器の非人道性〟さらに大きく発信し、〝核兵器禁止条約に参加する日本政府を〟の国民的な合意形成の年に [論攷]

 〔以下の「2023年新春メッセージ」は『非核の政府を求める会ニュース』第375号、20022年12月15日・2023年1月15日合併号、に掲載されたものです。〕

 岸田首相は「新しい資本主義」ならぬ「新しい軍国主義」への道に踏み出しました。憲法9条、平和と安全、国民のくらしをぶっ壊す「軍栄えて民滅びる」亡国の道を阻止しなければなりません。「非核の政府」によってこそ、それは可能になります。

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11月10日(木) 岸田政権を覆う統一協会の闇 癒着議員抜きでは組閣できず(その2) [論攷]

〔以下の論攷は『治安維持法と現代』No.44、2022年秋季号に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

なぜ自民党と統一協会との癒着が生じたのか

 霊感商法や洗脳による巨額献金などを繰り返してきた反社会的カルト団体と自民党との癒着がなぜ生じ、これほど深く幅広いものになったのでしょうか。その最大の理由は、双方に利用価値があったからです。
 そして、その土台となっていたのが、反共主義というイデオロギーであり、家父長的な家族主義に基づく古臭い政策や主張です。このような時代の趨勢に反する考え方が共通していたからこそ、改憲案が似通っていたり、その実態への警戒心や違和感を抱くことのない自然な接近が可能となったのです。
 自民党議員の側からすれば、選挙での票とマンパワーの提供は魅力的であり、集会へのメッセージや挨拶、会費の支払い、イベントへの名義貸しや参加などは「お安い御用」だったでしょう。協会のメンバーは熱心でまじめに活動する支持者であり、まとまって支援を期待できる重要な戦力だったのです。
 統一協会の側からすれば、詐欺的犯罪によって失墜している社会的信用を回復し、「信者」獲得のための「広告塔」や当局の取り締まりへの防波堤として、あるいは自らが掲げている「勝共主義」や「家庭」政策の実現のために政治家を利用しようとしたのです。
 しかし、虚偽や恫喝によって高額な壺や印鑑などを売りつけ、法外な巨額献金を強要するなどの犯罪行為が多くの被害者を生み、裁判でも有罪判決などが出るに及んで大きな障害に直面します。この壁を乗り越えるための打開策が名称変更であり、取り締まり当局への働きかけだったと思われます。
 この点で、第2次安倍内閣時代の2015年の名称変更の認証は大きな意味を持ちました。名前が変わったために統一協会とは知らずに、あるいは関連団体とは気づかずに関係を持ったり協力したりした人もいたでしょう。
 この名称変更に対する下村博文文科相の関与、オウム真理教の後に最重要監視対象から外された経緯、公安調査庁の報告書から「統一協会」が消えた事情、子ども庁が子ども家庭庁に変更された背景など、政治が歪められたのではないかという数々の疑惑が生じており、その解明が待たれます。

極右勢力に取り込まれた岸田改造内閣

 8月10日に発足した第2次岸田改造内閣は、自民党を取り巻く極右靖国派との癒着の深さを改めて示すものとなりました。統一協会とその関連団体との接点のある議員が8人もいたのをはじめ、岸田首相以下19人の自民党議員全員が日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)と神道政治連盟(神政連)国会議員懇談会のいずれかに加盟していたからです。統一協会と接点のある大臣・副大臣と政務官は33人もおり、改造内閣の43%を占めていました。
 また、8月31日に決められた自民党の新しい役員や部会長らにも会合への参加や祝電の送付など統一協会との接点のある国会議員が少なくとも18人が確認されています。74人のうちの24%に当たることになります。
 岸田内閣はまさに極右勢力に取り込まれた形になっています。統一協会や日本会議、神政連などと関係のない議員だけで組閣することも、自民党の役員を選任することも不可能であることが改めて明確になりました。
 当初、実態の解明に消極的だった自民党は、批判の高まりに押されて所属国会議員へのアンケートを実施し、その結果を発表しました。「調査」ではなく自主申告による「点検」ですからどこまで正直に答えているかは疑問ですが、それでも379人のうちの179人(その後、180人)、半分近い47%が接点を持っていることが明らかになっています。選挙で支援を受けたり会合に出席したりした121人の実名も公表されました。
 そればかりではありません。このような統一協会との癒着は中央だけでなく地方政界にも広く深く浸透しています。『朝日新聞』の調査では、都道府県議、知事のうち統一協会と接点があったことを認めた都道府県議は290人で8割が自民党だったといいます。知事は宮城、秋田、富山、福井、徳島、鹿児島の7県が接点を認めていました。予想を上回るほどの幅広さだというべきでしょう。

政治・行政の歪みを正すために

 反社会的犯罪集団の広告塔となり、その社会的信用の回復に手を貸し、政治的な影響力によって間接的に加担する結果になった罪は、どのように言い逃れしても消えることはありません。統一協会との関与が深かった議員は責任を明らかにして辞職すべきです。
 数々の疑惑に対しても事実を解明することが必要です。宗教を隠れ蓑として反社会的活動や犯罪に手を染めていた統一協会に対しては、宗教法人としての認可を取り消すべきでしょう。違法行為に対して行政処分を行い、行き過ぎた場合に解散命令を出し、カルト団体に対する法的規制も検討すべきです。
 地方自治体レベルでの統一協会の暗躍に対しても光を当て、その実態を解明して政治・行政の歪みを正すことが急務です。自治体の首長や議員と統一協会との接点を明らかにし、関係議員を一掃しなければなりません。来年4月の統一地方選を、そのための機会として活用すべきです。
 地方行政が統一協会によって歪められていないかという検証も欠かせません。その働きかけによって家庭教育支援条例や青少年健全育成条例などが制定され、関係者が学校教育にかかわっている例も判明しています。ロードレースなどのイベント後援や社会保障協議会への寄付などで関係を結んでいる例もあります。
 地方の自治体や首長、議員などと統一協会及び関連団体との関りを徹底的に調査し、それを逐一切断していかなければなりません。国政と地方政治の裏面で暗躍していた統一協会や国際勝共連合などの関連団体の活動の実態を明るみに出し、中央と地方の政治・行政の歪みを正すことが緊急にして重要な課題となっています。

厳しい対応を迫られる自民党

 統一協会との関りにおいて、もっとも大きな責任を問われているのが自民党です。反社会的カルト団体との接点があっただけでなく、党ぐるみで協力関係を持ち、社会的信用の回復と犯罪行為の隠ぺい、影響力の拡大に手を貸してきたからです。
 自民党はまず第1に、時代遅れの反共主義から脱皮し、伝統的家族観や反夫婦別姓・反LGBTQ(性的少数者)など協会と同様の考えを変え、ジェンダー平等や少数者の人権を認めるまともな政党へと生まれ変わらなければなりません。政治的な立場や考え方の共通性を改めなければ、統一協会との親和性を拭い去ることができないからです。
 第2に、統一協会とどのような関係にあったかについて、事実を明らかにしなければなりません。アンケートによる「点検」だけでは不十分です。中立的な第三者機関による客観的な事実に基づく調査を行い、洗いざらい明らかにして膿を出し切る必要があります。清和会の会長として中心的な位置にいた細田博之衆院議長や安倍元首相についての調査も欠かせません。
 第3に、統一協会による高額な物品購入や寄付、集団結婚や洗脳によって家族を崩壊させられ、人生を狂わされた被害者に対する謝罪と救済が必要です。自民党の政治家が関わることによって生じた被害者に対して、加担し「お墨付き」を与えた立場から謝罪することは当然でしょう。
 第4に、統一協会との関りの深さに応じて処分することが必要です。実質的に活動を支援し支援されていた議員に対しては、役職からの解任、党からの除名、議員辞職の勧告や次の選挙では候補者としないことなどの厳しい対応が求められます。このような形で責任を明らかにし、反社会的なカルト団体と完全に絶縁しないかぎり、自民党に明日はありません。
 岸田首相は「旧統一教会との関係を断つ」と国民に約束しました。それならまず、井上義行議員のように統一協会の組織票で当選した議員に辞職を促し、山際大志郎経済再生相と萩生田光一政調会長を罷免し、下村博文議員らのように深く癒着している議員を処分するべきです。そうしなければ、国民の信頼を取り戻すことはとうてい不可能でしょう。


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