SSブログ

3月15日(木) 日本社会でいかにルールが無視され、歪んでいるかを象徴するような事例の数々 [社会]

 「やっぱりそうなのか」と思うようなことが、連続して報じられました。普通であれば、「まさか、そんなことはないだろう」と思われるような非常識が、実際にまかり通っているわけですから、呆れてしまいます。

 その一つは、大阪での君が代「口元点検事件」です。大阪府立和泉高校の卒業式で、教職員が君が代を歌っていたかどうかを、校長の指示で学校側が口の動きでチェックしていたという呆れた事件です。
 とうとう、こんなところまでエスカレートしてしまいました。卒業生の想い出に残るべき大切な教育の場が、教職員の思想や信条をチェックして「隠れキリシタン」を摘発するかのような「踏み絵」の場に変貌してしまいました。
 国旗・国歌法が制定されたとき、それは強制力をともなうものではないとされました。ところが、今日、条例や職務命令による強制が当然のこととされ、君が代を歌っているかどうかを口の動きでチェックするという「教育者」が現れたのです。
 憲法はもとより、国旗・国歌法の趣旨にさえ違反する暴走だと言わなければなりません。このような校長は「教育者」としても失格であり、罷免されるべきでしょう。

 二つ目は、原子力安全・保安院の原発事故に対応する防災指針改訂への抵抗です。6年前に、原子力安全委員会が国際基準の見直しに合わせて改訂しようとしたとき、原子力・安全保安院が強く反対して、見送られてしまったというのです。
 改訂されていれば、今回の事故で住民への影響を軽減できた可能性があり、それがなされなかったために、放射能に被ばくしてしまった人がいたかもしれません。将来、病気になったり、命を失ったりする人々が出てくる可能性があります。
 改訂に抵抗した原子力安全・保安院の委員名を特定し、その責任を追及するべきです。きちんと対応していれば避けられたかもしれない障害や死亡が明らかになった場合、未必の故意による傷害罪か傷害致死罪、あるいは殺人罪で、これらの委員を告発するべきでしょう。

 三つ目は、読売巨人軍による巨額の契約金問題です。球界で申し合わせた新人契約金の最高標準額(1億円プラス出来高払い5千万円)を超える契約を選手と結んでいたといいます。
 「最高標準額は上限ではなく、緩やかな目安とプロ野球界で認識されてきた」と、巨人軍は言い訳していますが、とんでもありません。そう認識していたのは巨人軍だけで、他の球団はちゃんと守っています。守らなくても良いルールなら、どうして申し合わせなどしたのでしょうか。
 2000年にドラフトで入団した阿部慎之助選手は10億円も受け取ったとされています。1億円が「緩やかな目安」だとしても、10億円との開きは大きすぎます。「目安」などという言い逃れができるような金額ではありません。
 スポーツマンシップに欠け、ルールを守らない巨人軍は、球界から追放されるべきです。少なくとも、やくみつるさんが言うように「巨人だけは次のドラフト会議に出席させない」というくらいのペナルテイィが必要であり、親会社である読売新聞に対する不買運動を行うくらいのことが必要でしょう。

 これらの事例はいずれも、いかにルールが無視され、日本の社会が歪んでいるかを象徴的に示すような出来事です。ルールが尊重され、民主的で自由な社会を維持していくためには、このような芽を一つ一つ批判し、問題点を明らかにし、その芽を摘んでいくことが不可欠です。
今、日本社会は試されているのではないでしょうか。ルールが通用し、人権が尊重される当たり前の社会としての姿を維持できるかどうかという点で……。


nice!(0)  トラックバック(0) 

2月16日(木) 橋下徹大阪市長による「思想調査」は即刻中止するべきだ [社会]

 とうとう、こんな時代になってしまったのかと、情けない気持ちでいっぱいです。大阪の橋下徹市長による「思想調査」問題です。

 弁護士出身でありながら、このような思想調査を行おうと考えたこと自体、誠に情けない。そのようなことをしなければ、市役所の職員を管理・監督し、市政を正常化できないとでも思ったのでしょうか。
 その調査項目の一つ一つがどのような問題を持っているのか、憲法で保障された思想・信条の自由や公務員の政治活動の権利、労働組合活動の権利などを侵害するものだということに気がつかなかったのでしょうか。
 かつて、テレビ番組「行列のできる法律相談所」に出ていた頃、このような調査が人権侵害と不当労働行為に当たるのではないかと質問されたら、橋下さんはどう答えたでしょうか。おそらく、「その通りです」と回答したでしょう(と、思いたい)。

 その橋下さんが、憲法の何たるかも知らないかのような暴挙に出たわけです。職員を萎縮させ、憲法で保障された政治活動や労働組合活動を妨害し、反対したり批判したりする職員をあぶり出して排除するための計算尽くの暴挙です。
 「この人ならやりかねない」と、かねて「ハシズム」と呼ばれてきた通りの強権的で威圧的な愚行だと言うべきでしょう。大阪府知事時代に思い通りにやってきたために、権力の魔力に魅せられ、取り込まれてしまい、法曹としての良心を投げ捨ててしまったように見えます。
 このような力を振りかざしての威圧的な権利侵害は、民主社会においてとうてい許されるものではありません。直ちに中止するべきでしょう。

 情けないのは、これをファッショ的な暴挙であると、テレビや新聞などのマスコミがきちんと批判していないことです。例外は、『東京新聞』くらいです。
 もっと情けないのは、このような橋本市長の「破壊力」に期待を寄せる国民が多くいることです。まさに、大衆の期待と喚声を背に登場し、権力を簒奪してワイマール共和国を破壊してしまったヒトラーを彷彿とさせるような状況です。
 大阪維新の会が発表した「維新八策」も、首相公選制や参議院の廃止などのような実現可能性のない荒唐無稽な政策と、道州制やTPPへの参加、消費増税など財界の要求や野田政権の悪政を後追いするような政策のごちゃ混ぜにすぎません。これが21世紀における日本の将来ビジョンなのでしょうか。

 私は、以前、『労働情報』に書いた論攷に「面白うて、やがて悲しき大阪ダブル選挙」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/archive/20111226という表題をつけました。この「面白うて、やがて悲しき」が、大阪だけではなく、日本全体の行く末についても当てはまりそうな状況になってきたのは誠に残念です。
nice!(2)  トラックバック(0) 

12月23日(金) 「絶望の国」に頭角を現してきた若き論客たち [社会]

 先日、大学生協の書籍売り場で、「今、この本話題なんですよ」と教えてもらいました。佐藤信さんが書いた『60年代のリアル』という本です。
 この方がまだ学生の頃に書いた論攷が元になっていて、『毎日新聞』に連載されていました。私も、何回かは眼にしたことがあります。

 最近送られてきた雑誌『POSSE』を手に取りましたら、「絶望の国の困ってる若者たち」という対談が目に入りました。対談しているのは大野更紗さんと古市憲寿さんです、
 この二人はそれぞれ、大野『困ってるひと』、古市『絶望の国の幸福な若者たち』という本を書いており、これまた話題を呼んでいます。この対談の表題は、この二人の本のタイトルを上手く組み合わせたものになっています。
 対談には、途中からPOSSE事務局長の川村遼平さんも加わりました。この川村さんも、『ブラック企業に負けない』という本を書いています。

 つまり、ここまでに名前を挙げた4人の方はいずれも本を書くなどのオピニオン活動をされているわけです。しかも、20代だという点で共通しています。
 これに、最近、福島第1原発の過酷事故に関連して注目されている関沼博さんの『「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ生まれたか』という本もあります。この方も20代という若さです。
 以上の5人の方の生年と年齢を並べれば、以下のようになります。皆さん、1980年代の生まれなんですね。

佐藤 信 88年生 23歳 『60年代のリアル』
川村遼平 85年生 26歳 『ブラック企業に負けない』
古市憲寿 85年生 26歳 『絶望の国の幸福な若者たち』
大野更紗 84年生 27歳 『困ってるひと』
関沼 博 84年生 27歳 『「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ生まれたか』

 この一世代上に当たる30歳代にも、社会運動や言論活動に取り組んでいる人々がいます。たとえば、雨宮処凜、赤木智弘、松本哉などの方々です。
 これらの方は、1970年代中頃の生まれで、生年を並べれば、以下のようになります。

雨宮処凜 75年生
赤木智弘 75年生 
松本 哉  74年生

 さらに、この一世代上には、反貧困や労働運動で頭角を現した湯浅誠、河添誠、関根秀一郎などの方々もいます。これらの方は1960年代の生まれで、いずれも40歳代です。
 同じように生年を並べれば、以下のようになります。

湯浅 誠   69年生
河添 誠   64年生
関根秀一郎 64年生

 こう並べてみれば、ある種の世代論が可能なように思われてくるから不思議です。それぞれの世代には、生活環境や社会体験、問題意識などにおいて、何か共通なものがあるのかもしれません。
 私は、拙著『労働再規制』の中で、2006年反転説を唱えました。このような社会状況の下で登場してきたのが、先ず、60年代生まれの3人だったように思います。
 これに70年代生まれの3人が続き、最近になって20代の若手の登場が相次いだということでしょうか。ただし、若くなるにしたがって、運動との関わりは徐々に薄れてくると言えるかもしれません。

 しかし、運動や言論、労働や社会などという点での違いはあっても、これらの人々が現代の日本社会のあり方に対して大きな問題意識を持ち、積極的な発言や行動を行っているという点では共通しています。
 頼もしい限りです。草の根における若き日本のリーダーになりうる論客たちではないでしょうか。
 元気で若いリーダーがこれだけいれば、「絶望の国」もなんとかなると思いたい。混迷し、閉塞状況を強めている日本ではありますが、これらの若者たちの活躍に大いに期待したいと思います。

 暗闇のどん底に突き落とされたような2011年でしたが、その最後に見えてきた微かな灯りかもしれません。来るべき2012年に向けて、一縷の希望を託したいものです。

nice!(1)  トラックバック(0) 

3月31日(木) 自然エネルギー(再生可能エネルギー)への切り替えも必要だ [社会]

 昨日のブログで、低エネルギー社会への転換を提唱しました。それと併せて、エネルギー政策も根本的に転換するべきでしょう。

 原子力発電所や火力発電所に依存する政策から、自然エネルギー(再生可能エネルギー)による発電へと、エネルギー政策を転換しなければなりません。太陽光、水力、風力、地熱、潮力、波力、バイオマスなどによって電気を供給するようにするべきです。
 それも大規模な発電施設を作るというより、個々の家庭や事業所による小規模な自家発電によって、自分の使う電力は基本的に自前で調達するという方向をめざすべきでしょう。
 水力発電と言っても、巨大なダムを造るのではなく、小型の水車型マイクロ発電装置による発電をめざすべきです。風力発電も、巨大な風車を造るのではなく、できるだけ小型で効率的な発電が行えるような装置を開発しなければなりません。

 この分野では、すでに太陽光発電がかなり普及しています。実は、我が家ではずっと以前からソーラー・システムによってお湯を沸かし、昨年の秋には屋根に太陽光発電パネルを設置しました。
 夜は発電しませんし、冬の寒いときには買電の方が多くなりますが、暖かい日中なら売電の方が多くなることもあります。このような太陽光発電の普及に、もっと力を入れるべきでしょう。
 大きな事業体には、出来る限りの節電と自家発電の努力を求め、大きなビルや公共の建物には太陽光パネルの設置を義務付ける、くらいのことも必要ではないでしょうか。料金や税制などによる政策誘導も効果的でしょう。

 日本という国は、国土のあり方からして、原発に依存するリスクは大きく、逆に、自然エネルギーの取得は容易であるように思われます。この点からしても、国土・国情にふさわしいエネルギー政策を構想するべきなのです。
 国土が広く人口密度が低く、地震や津波の心配がない国に比べて、国土は狭く人口密度は高く、地震や津波が避けられない日本にとって、原発の危険性は格段に高まらざるを得ません。そのような国土・国情を顧慮することなく、全土に54基もの原発を林立させてきたのは大きな誤りでした。
 逆に、自然エネルギーといっても、豊富な水や急流がなければ水力発電はできず、海がなければ潮力も波力も利用できず、風が吹かず地熱がなければ風力発電も地熱発電も不可能です。その全てが、日本にはあります。

 急峻な地形で雨は多く、温泉が多いということは地熱を利用できるということであり、しかも、日本は海に囲まれています。冬の日本海側には強い風が吹き、太平洋側では太陽が輝いています。
 この自然条件を生かしたエネルギー政策こそ、国土・国情に応じた政策だということになるでしょう。逆に、日本のような自然条件では、もともと原子力発電などを選択してはならなかったのです。

 このようなエネルギー政策の転換には、大きなコストがかかります。家庭で太陽光発電を行いたいと思っても、初期投資にはかなりの金額が必要です。
 しかし、原発建設とそれに伴う膨大な交付金を補助金などに充当すれば、充分、政策転換のための費用をまかなうことができるでしょう。減税などによる政策誘導も効果的だと思います。
 しかも、これからの原発は、その存続が許されたとしても、これまで以上に安全への投資などでコストはかさむことは避けられません。それに、ひとたび事故を起こせば、どれほど莫大な犠牲とコストがかかるかを、今回の福島第1原発の事故で国民も関係者も思い知ったはずです。

 この事故は、日本の国土・国情にふさわしいエネルギー政策へと転換する大きなチャンスとなることでしょう。原発事故の教訓を生かして、低エネルギー・自然エネルギー国家の模範となることこそ、「3.11」後の日本が進むべき道なのではないでしょうか。

nice!(0)  トラックバック(0) 

3月30日(水) 低エネルギー社会への転換をめざそう [社会]

 「電気を節約するために、車内の暖房と照明を切っております。ご迷惑をおかけしていますが、ご理解をお願いいたします」
 電車に乗ったら、このような放送がありました。晴れている昼間の明るいときでしたから、車内の電気が消えていることも、暖房が入っていないことも、放送を聞くまでは気がつきませんでした。

 「ちっとも迷惑なんかじゃないよ」と、そのとき思いました。「これで良いんじゃないの」とも……。
 駅に着いたら、案内の電光掲示板の電気が消えていました。エレベーターは動いていますが、エスカレーターは止まっています。
 とりたてて「不便」や「迷惑」を感ずることはありません。これで良いんじゃないでしょうか。

 こうなると、これまでの方が異常に思えてきます。あまりにも、電気を無駄遣いしすぎていたんじゃないかと……。
 必要のない明かりが多すぎたんじゃないでしょうか。湯水の如く、エネルギーを無駄遣いしすぎていたんじゃないでしょうか。
 いや、湯水も今では貴重ですから、無駄遣いするべきではありません。まして、エネルギーの浪費は、計画停電中はもとより、それが収まってからでもやめるべきでしょう。

 「3.11」以前と以後とでは、世の中が変わったのです。生活のあり方を変える必要があります。
 できるだけ電気の使用を控えるような生活に変えていくことが必要です。今後、原子力発電からの脱却や低炭素社会への転換をめざすのであれば、同時に、電気の消費量を減らすことを考えなければなりません。
 低エネルギー社会への転換をめざそうじゃありませんか。そのために、どのようにして電気の使用量を減らすのか、皆で知恵を絞ることが必要でしょう。

 私たちの生活意識や生活スタイルも、根本的に変えていかなければなりません。今回の大震災と大津波、それに伴う原発事故は、低エネルギー社会への転換を促す天からの啓示だったのかもしれないのですから……。

nice!(0)  トラックバック(0) 

4月22日(木) このままでは日本人がいなくなるかも? [社会]

 冗談ではありません。このままでは、日本人が消滅し、日本社会は崩壊してしまいます。
 もちろんそれは、「このまま、手をこまねいていれば」ということではありますが……。

 少子化による人口の減少こそ、日本社会が直面している最大の危機です。そこには、社会の矛盾が集約されています。
 働いても貧しい労働者は結婚できません。ワーキングプアの増大こそ、少子化社会を生み出す最大の原因なのに、これまではほとんど効果的な対策がなされてきませんでした。
 ようやく結婚しても、共稼ぎでなければ生活できない厳しさがあります。そのうえ、子どもができて産休に入れば、「産休切り」や嫌がらせが待っているというわけです。

 これでは子供が増えないのは当たり前です。子どもを産み育てにくい社会では、亡くなる人の方が多くなるのも当然でしょう。
 総務省は4月16日、09年10月1日現在の人口推計を発表しました。それによれば、日本人と外国人を合わせた総人口は2年連続で減少し、前年比18万3000人(0.14%)減の1億2751万人となっています。
 1950年に現行基準で統計を取り始めて以降、マイナスは3回目になります。落ち込み幅は今回が最大で、女性も初めて死亡者数が出生者数を上回る「自然減」に転じました。

 男性だけでなく女性も自然減になったために、総務省は「本格的な人口減少時代に入った」と分析しているそうです。子どもを産む女性の数が減れば、さらに出生数が低下することは避けられないからです。
 これは深刻な事態ですが、実は、数年前から、このようなことは予想されていました。というのは、日本の人口は05年に戦後初めて自然減となったからです。
 06年には増加に転じたものの、07年、08年と2年連続で日本人の自然減が続きます。そして昨年は、外国人の数も減って総人口まで減少してしまったというわけです。

 経済的な理由などで子供を産めないだけでなく、子どもを産まないという選択をする人も増えています。しかし問題は、自らの自由な意思によって「選べる」かどうかということです。
 仮に、子どもを産まないことを選ぶ場合であっても、そのことによって、日本の女性は今の社会のあり方に異議を申し立てているのではないでしょうか。そうせざるを得ない社会のあり方への問題提起を行っているのではないでしょうか。
 人口を減少させ、日本社会の存続を危うくすることによって、そのような選択しか許されない現状への変革を迫っているように思えてなりません。少子化とは、実は女性による「社会的ストライキ」なのだということに、私たちはそろそろ気づいても良いように思うのですが……。

8月6日(木) 原爆症認定集団訴訟の全面解決に向けて大きな前進 [社会]

 今日は64回目の「ヒロシマ原爆の日」です。64年前のこの日、広島に原爆が投下され、沢山の人が命を失いました。
 1945年だけでも14万人の方が亡くなりました。その後、今日までの死没者数は、26万3945人になっています。

 しかし、今年の「原爆の日」は、これまでとは違った環境の下で開かれています。オバマ米大統領のプラハ演説によって、核廃絶の可能性が現実味を帯び始めたからです。
 そして、もう一つ、提訴から6年余にわたって争われてきた原爆症認定集団訴訟についても、大きく前進する可能性が生まれました。原告側の意向の大部分を国が受け入れ、全面解決への道筋が見えてきたからです。
 訴訟解決のための調印式は、平和記念公園での式典終了後に行われました。原告や支援者らが見守る中、麻生首相と日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の坪井直代表委員らが、1審勝訴原告の原爆症認定などを盛り込んだ確認書に署名しました。

 正午のNHKテレビのニュースを見ていたら、山本英典さんの姿が映っていました。山本さんは、都立大学塩田ゼミの私の大先輩にあたり、何度かお目にかかったことがあります。5月25日(月)の「塩田庄兵衛先生とお別れする会」でもお会いしました。
 山本先輩は、12歳の時、長崎市の爆心地から4.2キロ離れた自宅の裏庭で被爆され、爆心地付近を歩いて惨状を目撃されたそうです。集団訴訟の全国原告団の団長をされている関係で、この調印式に立ち会われたのでしょう。
 今日の『毎日新聞』には、「やっとここまで来たかと、泣きそうです」という山本さんの言葉が報じられています。調印式後の記者会見でも、「大きな勝利。原告はプライバシーをさらけ出し、闘い続けてきた。裁判途中で68人もの原告が亡くなっており、その犠牲によって成果が得られた」と喜びを語り、時折、涙で言葉を詰まらせたそうです。

 良かったですね、山本先輩。これまでの苦労が、ようやく報われましたね。

 麻生首相が、原爆症訴訟の原告全員を救済するという方向に大きく舵を切らざるを得なくなったのは、何よりも、被爆者自身の粘り強い運動があったからです。原爆症の認定と被爆者の救済を求めて提訴しなければ、このような形での解決の扉は開かれなかったでしょう。
 同時に、司法の力も大きかったと言えます。原爆症認定集団訴訟では、19回連続で原告側勝訴の判決が出ました。このような形で司法が解決を迫らなければ、行政や立法が重い腰を上げることはなかったでしょう。

 それにもう一つ、このような決断が、今、この時になされたという点にも注目する必要があります。それは、総選挙を目前に控え、自民党は敗北必至であると見られているからです。
 麻生さんは、劣勢を挽回するために役立つことなら何でもするつもりなのでしょう。その一つが、原爆症の認定と被爆者救済の問題だったのではないでしょうか。
 その意味では、これも「選挙目当て」の人気取りだという側面を持っています。しかし、それでも良いではありませんか。問題の解決に向けて前進し、被爆者が救済されるのであれば……。

 7月29日にアップした「私は「格差論壇」MAPをどう見たか」という『POSSE』第4号のインタビューの最後で、補正予算での雇用対策などについて「戦術というか、選挙を睨んでやっているように思えますが」という編集部の問いに、私は次のように答えました。

五十嵐:選挙目当てであっても、正しいことをやればそれでいいんですよ。ホワイトカラー・エグゼンプション導入の断念だって、安倍元首相からすれば選挙対策だったわけですから。夏に参議院選挙があるのに、こんな反対の多い法案を出して国会でガンガンやられたらたまらないということでやめちゃった。
 選挙対策ということは、有権者、ひいては国民の目を気にしているということですから、民意に従った選択ということになります。決して悪いことではないと思いますね。それだけ民意を気にかけ、それを尊重しようということになるのだから……。

 今回の、原爆症認定集団訴訟に対する政府側の態度変更も、同様に「選挙目当てであっても、正しいことをやればそれでいいんですよ」と、答えたいと思います。「選挙対策ということは、有権者、ひいては国民の目を気にしているということですから、民意に従った選択ということになります。決して悪いことではないと思いますね。それだけ民意を気にかけ、それを尊重しようということになるのだから」と……。

 明後日の8月8日(土)、私大教連の教研集会で講演するために札幌に行きます。このブログの読者の方も多く参加されることと思います。
 皆さんに、酪農学園大学でお目にかかれることを楽しみにしております。


1月5日(月) 平成の世に志のある資産家や実業家はいないのか [社会]

────────────────────────────────────────
 拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。
 ご注文はhttp://tinyurl.com/4moya8またはhttp://tinyurl.com/3fevcqまで。
────────────────────────────────────────
 昨年末から正月にかけて、例年にはない一つの村が注目を集めました。日比谷公園に開設された「派遣村」です。

 「村長」は湯浅誠さんです。この湯浅さんや河添さんについて、昨年の11月16日付のブログ「『反貧困運動』の『志士仁人』」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-11-16で、「いずれにしましても、このような若い方が、社会運動や労働運動に情熱を燃やし、人生をかけて取り組んでいる姿を見るのは、心強く清々しい思いがします」と書きました。
 その思いは強まるばかりです。このような「『反貧困運動』の『志士仁人』」が、さらに多く登場することを願っています。
 今年も、彼らの奮闘を、期待を持って見守りたいと思います。できる限りのバックアップを心がけながら……。

 この「派遣村」は、雇用を打ち切られて住む場所を失った人々にシェルターを提供しました。眠る場所と食事を求めて、当初の予想を大幅に上回る500人以上の人がつめかけたといいます。
 このような事態を生んだ責任者は、何よりも「派遣切り」「期間工切り」などを行って、非正規労働者を寒空に追い出した企業にあります。企業が雇用を打ち切らなければこれらの人々が彷徨い集まることはなかったはずで、内部留保を切りくずし株主の配当を減らして大企業は雇用維持を最優先するべきです。
 それにしても、何という冷酷さでしょうか。年末・年始に食と住を失えば、どれほど困るかは企業にだって、十分、分かっていたはずです。

この企業の尻ぬぐいをさせられているのが行政です。クビをきられて放り出された人々を救うのは、何よりも政治や行政の役割でしょう。
 しかし、政治や行政の対応は極めて不十分です。行政がちゃんと対応していれば、日比谷公園の「派遣村」に500人も押し寄せることはなかったでしょう。
 そもそも、「派遣村」は行政がつくるべきものだったのです。行政はボランティアに甘えるのではなく、自らの役割を果たさなければなりません。

 しかし、残念ながら、企業は「社会の公器」としての雇用責任を放棄し、政治・行政は十分に機能していません。このようなときには、社会が、その力を発揮する必要があります。
 「派遣村」開設などのボランティアによる「反貧困運動」は、このような日本社会の底力を示すものだったと言えるでしょう。そして、このようなボランティアにとって、実は、強力な援軍となるべき人々がいることを忘れてはなりません。
 それは、この間の新自由主義政策や株主資本主義によって新たな利益や利権(新得権)を得た人々です。「株主主権」によって巨万の富を蓄積してきた株主たちです。

 もちろん、「貧者の一灯」にも大きな価値があります。それ以上に、「富者の万灯」があれば、より多くの人を救うことができるでしょう。
 この間の「株主資本主義」で巨大な富を築いた人々は、自らの富を生み出すために犠牲となった人々のために、その富の一部を還元しようとは考えないのでしょうか。株の配当で大儲けしたほんの一部でも、カンパしようとは思わないのでしょうか。
 4月からトヨタの社長になる創業家の豊田章男副社長と豊田章一郎名誉会長の2人だけで、トヨタの株を1600万株近く持っています。トヨタの年間配当が一株当たり140円だった2007年度に、2人だけで22億円を超す配当を手にしたことになるというから驚きです。

 その4年分程度があれば、3000人の雇用は守れるのです。いや、ほんの一部でも、非正規労働者の雇用を春まで延長するくらいのことはできたでしょう。
 さらに言えば、1年間の株配当金の100分の1に当たる2200万円を「派遣村」に寄附するだけでも、どれだけ多くの人が助かったことでしょう。この機会に、トヨタが「派遣切り」「期間工切り」を数ヵ月でも先延ばしし、創業者の子孫が「派遣村」に1000万円でも寄附すれば、「さすがに世界のリーディング・カンパニーだ」との評判を高めたでしょうに……。
 いや、まだチャンスはあります。「苦渋の決断」だと言うのであれば、できることをするべきです。「勝ち組」や金持ちにも、「100年の一度の危機」に直面してやるべきことはあるはずです。

 日本社会の一員として、金持ちでなければできないことをやってもらいたいものです。これまで貯め込んだお金の一部でも良いのです。社会に還元してはどうでしょうか。
 これらの人々は、資金面から「反貧困運動」を支える役割を担えるはずです。湯浅さんら「反貧困運動」の「志士仁人」のために、資金を提供したらいかがでしょうか。
 戦前にも、社会運動のために助力を惜しまず、資金援助を行った資産家や実業家はいたのです。この平成の世にも、そのような志のある人々はいるはずだと信じたいのですが……。


2月17日(日) 「食の安全」について見過ごされている深刻な問題 [社会]

 「値上げの春で音を上げる」と言いたくなります。輸入小麦の政府売渡価格を、4月から30%引き上げるというのです。
 中国製の「農薬入り餃子」事件もありました。まだ真相は不明ですが、安い中国製の冷凍食品が信頼できないとなると家計への影響も大きくなります。
 ガソリンや灯油も高いままで、春にはビールも値上げされるといいます。これからの生活は一体どうなってしまうのでしょうか。

 一連の出来事は、日本における「食の安全保障」が揺らいでいるということを示しています。その根本原因は、「日本人の胃袋」が外国に握られているという点にあります。
 いわゆる食糧自給率の低さです。「食の安全」について見過ごされている深刻な問題が、ここにあります。「食」を外国に依存していることによる問題点が、次々に明らかになってきていると言うべきでしょう。
 日本の食糧自給率は39%にすぎないとされていますが、計算の仕方によってはもっと低いかもしれません。国内の農業を破壊して、外国の農産物に頼る構造を作り上げた歴代の自民党農政のツケが、このような形で回ってきたということになるでしょう。

 いつの日か、このような問題が生ずるだろうということは、ずっと以前から分かっていたことです。少なくとも、私自身は以前からそう思ってきました。
 私は、新潟の専業農家の長男として生まれました。本来なら、家のあとを継いで米作りに精を出していたかもしれません。しかし、私はそのような道を選択しませんでした。
 農業の将来に確信を持てず、家を飛び出したからです。今から40年以上も昔から、米作りの専業農家が厳しいことは、子ども心にも分かっていました。

 一番の矛盾を感じたのは、1971年から本格的に始まった「減反政策」です。補助金を出して田んぼを潰し、米作りを止めさせるという愚策でした。
 米作りに精を出してきた農民に、「補助金を出すから、頑張ってお米を作りなさい」と言うのなら分かります。逆に、「補助金を出すから、田んぼを潰して別のものを作りなさい」というのですから、呆れかえってしまいます。
 すでに、都立大学に進んでいた私は「これでは、日本の稲作農業はダメになる」と思いました。「家を継いで欲しい」と、父が私に言わなくなったのはその頃からです。

 結局、学生運動に熱中した私は民間会社にも就職せず、故郷に帰ることもありませんでした。政治・労働問題の研究者としての道を選んで法政大学の大学院に進んだのは、その後のことになります。
 故郷の家は、あとに残った姉が継ぐことになりました。しかし、今ではもう米作りをしていません。
 こうして、新潟の専業農家が一つ、姿を消したというわけです。このような例は日本のあちこちにあったことでしょう。そして、その結果としての、日本農業の衰退なのです。

 この日本農業の衰退に歯止めをかけ、「食の安全保障」を確立することは、まだ可能なのでしょうか。それは分かりません。ただ、確実に言えることは、これまで破壊してきたものに、それを再建することは不可能だということです。
 農村に生きる百姓として、父は死ぬまで自民党を支持し続けました。その自民党に破壊し尽くされ、今ではもう村でさえなくなってしまった故郷を見て、泉下の父はどう思っているでしょうか。


2月15日(金) 米兵による事件再発防止のためには基地を撤去すべきだ [社会]

 出勤の途中、めじろ台の万葉公園を通りました。北側の斜面には、まだ少し凍った雪が残っています。
 ふと、見上げると、梅の木に赤い花がついています。居座る冬に見つからないように、そっと春が忍び寄ってきているように見えました。

 春が近づいてきているというのに、気が重くなるようなことばかりが起きています。「このままでは危ない」と思った岩国市長選挙では、滅多に出さない「緊急アピール」を書きましたが、米軍艦載機の移駐に反対していた現職候補が僅差で負けてしまいました。残念です。
 札束でホッペタをひっぱたいて言うことを聞かせるような政府のやり方です。まるで、時代劇の悪代官そのまままですが、政府のごり押しと市議会からの突き上げで現職候補は板挟みになってしまったのでしょう。
 僅差での勝敗に、岩国市民の苦渋の選択が示されているように思われます。アメリカに義理立てして、このような選択を迫ること自体、大きな誤りです。

 その誤りの大きさを、またも示したのが、沖縄の北谷町で起きた米海兵隊員による中学生暴行事件でした。沖縄の現実は、岩国の明日の姿を示しています。
 米軍艦載機の移駐と基地拡張の受け入れは、このような事件の可能性をも引き受けるということにならざるを得ません。そのことをも覚悟した上での、今回の選択だったのでしょうか。
 沖縄の北谷町には、基地に囲まれた町役場があります。組合のツアーでこの役場を訪れたときの、基地の現状を説明する職員の苦渋に満ちた表情が今でも思い出されます。

 それにしても、沖縄の事件は悲惨で痛ましいものです。そのうえ、この事件についての反応は、情けないと言うしかありません。
 政府や当局者がおざなりの反応であることはいつもの通りです。基地の存在そのものを問題にしないだけでなく、そうすることを避けるための対応を行っています。
 さらに情けないのは、今度の事件は「犬にかまれたようなものだ」とか、「見知らぬ人についていった本人が悪い」、果ては「反基地運動を盛り上げるためのハニートラップだ」などの言説が飛び交っていることです。このような言説が、事件の被害者や家族などをさらに悲しませるだけだということが分からないのでしょうか。

 犯人と被害者を同列に並べて、被害者の方に責任があるとでも言うのでしょうか。見知らぬ人についていっても襲われないような社会を望んではならないのでしょうか。
 外を歩けば、「犬」にかまれるのは当たり前だとでもいうのでしょうか。中学生が、30代の海兵隊員を罠にかけたのだと、本気でそう思っているのでしょうか。
 いずれも、まともな考えの持ち主なら思いつくことさえ困難な言説です。人間の尊厳を失い、米軍のやることに逆らってはならないという植民地根性丸出しの姿と言うしかありません。

 私は、雑誌『経済』3月号の座談会で、「在日米軍の再編を契機にした日米の軍事的一体化と軍事力の強化を阻み、軍事利権を解明すること」を、今年の課題の一つに挙げました。当然、これには沖縄の米軍基地の整理・縮小を含んでいます。
 米軍基地や米軍人が絡んだ事件や事故は、これまで5000件以上も起きているのです。今回のような事件もまた、起きるべくして起きたものだと言わざるを得ません。
 基地がある限り、このような事件は何度でも繰り返されます。「再発防止」のためには、基地そのものを撤去する以外にないのです。

 基地によって守られる「平和」などありません。しかし、基地によって破られる「平和」は確実に存在しています。
 沖縄の人びとの生活に「平和」を取り戻すためには、基地を撤去しなければなりません。それ以外に、このような事件の再発を防ぐ手だてはないのです。

 なお、今週から、研究所の業務である『日本労働年鑑』の執筆・編集作業が始まりました。お陰様で、原稿は順調に集まってきています。
 これから、これらの原稿を読んで手を入れたり、自分の分担部分を書いたりしなければなりません。私にとっては、「繁忙期」の始まりです。

 これまでもブログの執筆はかなり間が開くようになっていますが、これからも飛び飛びになると思います。楽しみにしている方には申し訳ありませんが、業務優先ですので、ご了承いただければ幸いです。