8月1日(木) 戦後史における自民党政治―その罪と罰を考える(その1) [論攷]
〔以下の論攷は『学習の友 別冊 2024』「自民党政治を根本から変えよう」に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます〕
はじめに
自民党はもう終わりです。歴史的な役割を終えた政党には退場してもらうしかありません。政権から追い出さなければ、この国に害悪を及ぼすだけです。それが早ければ早いほど、不幸はより小さく希望はより大きくなるでしょう。
自民党に功績が全くなかったわけではありません。政権政党となり、長きにわたって権力を維持できた背景には、それなりの根拠があるからです。その最大のものは戦後復興を担って高度経済成長を実現し、国民総生産(GNP)第2位の経済大国を実現したことにあります。
しかし、それは80年代中葉までのことにすぎません。開発独裁型経済成長、修正資本主義的な経済政策、コンセンサス重視で漸進的な政策決定、そして戦後憲法体制を前提とした政権運営が、大きく転換し始めたからです。これ以降、自民党政治は功よりも罪多きものへと変質してきました。
このような保守政治の転換によってもたらされた罪を明らかにし、罰を与えるべき必然性とその根拠を示したいと思います。自民党は完全に役割を終え、罪の上塗りと責任逃れに終始しているからです。過去の遺物となった自民党にとって、最後に果たすべき役割は一つしかありません。これまでに犯してきた数々の罪を真摯に反省し、最大の罰として政権の座を去るという役割です。
自民党における3つの宿痾と3つの潮流―保守本流・傍流右派・傍流左派
自民党には、治癒不可能な宿痾(しゅくあ)ともいうべき3つの病があります。右傾化・金権化・世襲化という病気です。第1の右傾化は、憲法に対する敵意、軍事大国化と戦前の社会や家族のあり方へのこだわり、歴史修正主義と少数者や外国人の人権無視、女性差別とジェンダー平等への反感などに示されています。
第2の金権化は、最近も明らかになった裏金事件などの金銭スキャンダルの多発です。そして、第3の世襲化は、最近になってますます強まってきている二世や三世議員などの跋扈です。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の総選挙以降の自民党の首相のうち、世襲でないのは菅義偉1人にすぎません。
これらの長く続く病は自民党の体質となり、もはや自らの力で治すことは不可能なほど全身を蝕んでいます。岸田政権の大軍拡路線や裏金事件、世界基督教統一神霊協会=世界平和統一家庭連合(統一協会)との癒着、閣僚における世襲議員の跋扈などは、この病がますます重篤化し、日本政治を毒する元凶となっていることを示しています。
このような自民党には、大きく分けて3つの潮流が存在していました。それは、保守本流・傍流右派・傍流左派という派閥の流れです。このような分岐はそれほど明確ではなく、最近ではますます違いが不明瞭になっていますが、完全に消滅したわけではありません。
第1の「保守本流」は、政策的には経済政策重視の解釈改憲路線、政治手法としては合意漸進路線を取りました。吉田首相の人脈と政策路線を受け継いだ池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、田中角栄、福田赳夫、竹下登、宮澤喜一、橋本龍太郎、小渕恵三などが担い手となっています。60年安保闘争後の解釈改憲路線の採用と池田政権における所得倍増政策の成功によって自民党政治を安定させ、「本流」の地位を占めることになりました。
これに対して、右に位置したのが第2の「傍流右派」であり、左にあったのが第3の「傍流左派」です。第2の傍流右派は明文改憲と再軍備を掲げ、コンセンサス軽視で政治的対決をいとわなかった岸信介を源流に、中曽根康弘、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三などによって継承されました。
第3の傍流左派はきわめて少数のリベラル護憲派で、三木武夫や宇都宮徳馬、鯨岡兵助や加藤紘一、『新憲法代議士』という本を上梓した護憲リベラルの白川勝彦などにすぎません。最も注目されたのは三木内閣が成立した時で、その後は次第に影を薄めてしまいました。
はじめに
自民党はもう終わりです。歴史的な役割を終えた政党には退場してもらうしかありません。政権から追い出さなければ、この国に害悪を及ぼすだけです。それが早ければ早いほど、不幸はより小さく希望はより大きくなるでしょう。
自民党に功績が全くなかったわけではありません。政権政党となり、長きにわたって権力を維持できた背景には、それなりの根拠があるからです。その最大のものは戦後復興を担って高度経済成長を実現し、国民総生産(GNP)第2位の経済大国を実現したことにあります。
しかし、それは80年代中葉までのことにすぎません。開発独裁型経済成長、修正資本主義的な経済政策、コンセンサス重視で漸進的な政策決定、そして戦後憲法体制を前提とした政権運営が、大きく転換し始めたからです。これ以降、自民党政治は功よりも罪多きものへと変質してきました。
このような保守政治の転換によってもたらされた罪を明らかにし、罰を与えるべき必然性とその根拠を示したいと思います。自民党は完全に役割を終え、罪の上塗りと責任逃れに終始しているからです。過去の遺物となった自民党にとって、最後に果たすべき役割は一つしかありません。これまでに犯してきた数々の罪を真摯に反省し、最大の罰として政権の座を去るという役割です。
自民党における3つの宿痾と3つの潮流―保守本流・傍流右派・傍流左派
自民党には、治癒不可能な宿痾(しゅくあ)ともいうべき3つの病があります。右傾化・金権化・世襲化という病気です。第1の右傾化は、憲法に対する敵意、軍事大国化と戦前の社会や家族のあり方へのこだわり、歴史修正主義と少数者や外国人の人権無視、女性差別とジェンダー平等への反感などに示されています。
第2の金権化は、最近も明らかになった裏金事件などの金銭スキャンダルの多発です。そして、第3の世襲化は、最近になってますます強まってきている二世や三世議員などの跋扈です。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の総選挙以降の自民党の首相のうち、世襲でないのは菅義偉1人にすぎません。
これらの長く続く病は自民党の体質となり、もはや自らの力で治すことは不可能なほど全身を蝕んでいます。岸田政権の大軍拡路線や裏金事件、世界基督教統一神霊協会=世界平和統一家庭連合(統一協会)との癒着、閣僚における世襲議員の跋扈などは、この病がますます重篤化し、日本政治を毒する元凶となっていることを示しています。
このような自民党には、大きく分けて3つの潮流が存在していました。それは、保守本流・傍流右派・傍流左派という派閥の流れです。このような分岐はそれほど明確ではなく、最近ではますます違いが不明瞭になっていますが、完全に消滅したわけではありません。
第1の「保守本流」は、政策的には経済政策重視の解釈改憲路線、政治手法としては合意漸進路線を取りました。吉田首相の人脈と政策路線を受け継いだ池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、田中角栄、福田赳夫、竹下登、宮澤喜一、橋本龍太郎、小渕恵三などが担い手となっています。60年安保闘争後の解釈改憲路線の採用と池田政権における所得倍増政策の成功によって自民党政治を安定させ、「本流」の地位を占めることになりました。
これに対して、右に位置したのが第2の「傍流右派」であり、左にあったのが第3の「傍流左派」です。第2の傍流右派は明文改憲と再軍備を掲げ、コンセンサス軽視で政治的対決をいとわなかった岸信介を源流に、中曽根康弘、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三などによって継承されました。
第3の傍流左派はきわめて少数のリベラル護憲派で、三木武夫や宇都宮徳馬、鯨岡兵助や加藤紘一、『新憲法代議士』という本を上梓した護憲リベラルの白川勝彦などにすぎません。最も注目されたのは三木内閣が成立した時で、その後は次第に影を薄めてしまいました。
2024-08-01 22:28
nice!(0)