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3月19日(木) 朝日新聞によって報じられた二つの注目すべき記事 [報道]

 昨日の朝日新聞に注目すべき記事が二つ出ていました。「カトリック『軍事優先』に危機感」「戦後70年 日本の司教団がメッセージ」という記事と「インタビュー IS 本質を見極める」という記事です。
 いずれも、現在の日本のあり方とこれからの進路に重要な示唆を与えるものです。以下に、その概要を紹介しましょう。

 まず始めは、戦後70年に当たっての日本のカトリック教会の司教団によるメッセージです。これは「平和を実現する人は幸い~今こそ武力によらない平和を」と題されたもので、ウェッブttp://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/150225_wwii70yr.htmで全文を読むことができます。
 とくに、その2「戦争放棄への決意」が重要です。それは次のようになっています。

 1945年までの日本の朝鮮半島などに対する植民地支配、中国や他のアジアの国々に対する侵略行為はアジアの人々に大きな苦しみと犠牲をもたらしました。また、日本人にとっても第二次世界大戦は悲惨な体験でした。1945年3月10日の東京大空襲をはじめ、日本の多くの都市への大規模な空爆がありました。沖縄における地上戦によって日本や外国の兵士だけでなく、多数の民間人が犠牲になりました。そして8月6日広島への原爆投下と8月9日長崎への原爆投下。これらの体験から平和への渇望が生まれ、主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を基調とする日本国憲法が公布されました(1946年)。日本はこの平和憲法をもとに戦後70年、アジアの諸国との信頼・友好関係を築き、発展させたいと願って歩んで来たのです。
 一方、世界のカトリック教会では、東西冷戦、ベルリンの壁崩壊などの時代を背景に、軍拡競争や武力による紛争解決に対して反対する姿勢を次第に鮮明にしてきました。
 ヨハネ二十三世教皇は回勅『地上の平和』において「原子力の時代において、戦争が侵害された権利回復の手段になるとはまったく考えられません」と述べています。第二バチカン公会議の『現代世界憲章』は、軍拡競争に反対し、軍事力に頼らない平和を強く求めました。1981年、ヨハネ・パウロ二世教皇が広島で語った平和アピールのことば、「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」にも、はっきりとした戦争に対する拒否が示されています。
 以上の歴史的経緯を踏まえるならば、わたしたち日本司教団が今、日本国憲法の不戦の理念を支持し、尊重するのは当然のことです。戦争放棄は、キリスト者にとってキリストの福音そのものからの要請であり、宗教者としていのちを尊重する立場からの切なる願いであり、人類全体にとっての手放すことのできない理想なのです。

 これに続いて、「3.日本の教会の平和に対する使命」が語られています。そこには「日本カトリック司教団は、特別に平和のために働く使命を自覚しています。それは何らかの政治的イデオロギーに基づく姿勢ではありません。わたしたちは政治の問題としてではなく、人間の問題として、平和を訴え続けます。この使命の自覚は、もちろん日本が広島、長崎で核兵器の惨禍を経験したことにもよりますが、それだけではなく戦前・戦中に日本の教会がとった姿勢に対する深い反省から生まれてきたものでもあります」と書かれています。

 そのうえで、「4. 歴史認識と集団的自衛権行使容認などの問題」として、今日的なテーマが扱われています。その内容は、次のようなものです。

 戦後70年をへて、過去の戦争の記憶が遠いものとなるにつれ、日本が行った植民地支配や侵略戦争の中での人道に反する罪の歴史を書き換え、否定しようとする動きが顕著になってきています。そして、それは特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認によって事実上、憲法9条を変え、海外で武力行使できるようにする今の政治の流れと連動しています。他方、日本だけでなく、日本の周辺各国の政府の中にもナショナリズム強調の動きがあることにわたしたちは懸念を覚えずにはいられません。周囲の国と国との間に緊張がある中で、自衛権を理由に各国が軍備を増強させるよりも、関係改善のための粘り強い対話と交渉をすることこそが、この地域の安定のために必要なのです。
 また日本の中でとくに深刻な問題は、沖縄が今なお本土とは比較にならないほど多くの基地を押しつけられているばかりか、そこに沖縄県民の民意をまったく無視して新基地建設が進められているということです。ここに表れている軍備優先・人間無視の姿勢は平和を築こうとする努力とは決して相容れません。

 そして、最後に次のように呼びかけ、「平和を実現するために働き続ける」との決意を明らかにしています。

 わたしたちは「平和を実現する人は幸い」(マタイ5・9)というイエス・キリストのことばにも励まされます。戦後70年、第二バチカン公会議閉幕50年にあたり、平和を求め、平和のために働く決意を新たにしましょう。わたしたち日本のカトリック教会は小さな存在ですが、諸教派のキリスト者とともに、諸宗教の信仰者とともに、さらに全世界の平和を願うすべての人とともに、平和を実現するために働き続けることを改めて決意します。

 これを報じた朝日新聞の記事は、「司教団は戦後50年と60年の節目にも平和メッセージを出したが、これほど踏み込んではいない」とし、「今回のメッセージは『安倍内閣』を名指しこそしていないが、事実上の政権批判だ」と指摘しています。
 また、かつて戦争遂行に協力した反省を踏まえて語った岡田武夫大司教の次のような言葉も伝えています。

 「状況は緊迫しており、今の政治の動きを非常に憂慮しています。私たちは、人類が歩むべき道にともしびを掲げたい。それは、全ての宗教者がなすべきことではないかと考えます。」

 かつてファシズムの脅威に対して、「神を信じる者も信じない者も」共に手を携えて立ち向かったことがありました。しかし、力足りず、第2次世界大戦の悲劇を招くことになってしまいまいました。
 そのような過ちを再び繰り返してはなりません。キリスト者の良心からの訴えに、全ての人が耳を傾けるべきでしょう。とくに、「私たちは、人類が歩むべき道にともしびを掲げたい。それは、全ての宗教者がなすべきことではないかと考えます」という訴えに。
 ここで呼びかけられている「全ての宗教者」には、創価学会の信者も含まれているはずです。その人たちは、自分たちが支持母体となっている公明党の安保法制に関する与党協議会でのあり方と役割をどう見ているのでしょうか。

 もう一つの記事は、「イスラム国」(IS)についてのインタビュー記事です。インタビューされているのは、ジャーナリストで対テロ・資金洗浄問題コンサルタントのロレッタ・ナポリオーニさんです。
 「日本人人質2人が犠牲になるなど、残酷な行為によって私たちの目を引くようになった過激派組織『イスラム国』(IS)。だが、その破壊的な側面にだけ目を奪われていると彼らの本質を見失うと指摘する論者が欧州にいる。日本は、そして国際社会は、どうISと向き合うべきなのか。考えを聞いた」というのがこの記事のリードです。
 これについて、彼女は次のように答えています。ポイントになる部分だけ紹介しましょう。

 ――ISによって日本人の人質も犠牲になりました。事件を巡る日本政府の対応をどう見ますか。

 「そもそも、日本人がISに拘束されたことが分かっていたのに、安倍晋三首相がなぜIS対策として2億ドル拠出を表明したのか。私には理解できません。率直にいって、大きな政治的過失だったと思います」

 ――安倍氏が表明したのは人道支援で、それを問題視するのは筋違いではありませんか。

 「真に人道的なことをしたいのなら、シリア難民受け入れを表明するとか、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に支援をするとか、ほかの道があります。民主的な選挙で選ばれた政府に代わってできたエジプト軍事政権の前で、資金拠出を表明する必要はありませんでした」
 「安倍首相はISの政治的な能力や知識を過小評価していたのではないですか。ISにとって、日本人人質事件は自分たちの力を世界中へさらに売り込む手段でした。日本国内でもISへの感情的な反応が生み出され、彼らにとっては驚くほど都合の良いPRになったのです」

 ――事件を受けて、日本は今後どう進むべきだと考えますか。

 「最善の道は局外にとどまることです。2人の人質を殺されたことは悲劇ですが、私なら報復はしません。ISを巡る状況を作ったのは、日本ではなく、私たち欧州と、その同盟国で、イラクに侵攻した米国なのです。欧米が始末をつけなければならない問題です」
 「ISへの対抗姿勢を明確にした人道支援表明の背景に、安倍氏の憲法改正への意欲があったという理解が国際社会に広まっています。首相は日本国民の代表としてそこにいるのであって、独裁者ではない。国民の総意に基づかずに、どんな形の関与も表明するべきではなかったのです。これまでなら、政治責任が問われたのではないですか」

 ――欧州でも、イスラム国への恐怖は最近、格段に高まりました。

 「ISのローマ侵攻を心配する報道までありますね。私たちは欧州でISができることを過大評価し、中東での脅威を過小評価しています。実際にすべきこととは正反対です」
 「私たちがISが残酷な組織だと強く感じるのは、初めてソーシャルメディアを通じてそれを見せられているからでもあります。フェイスブックやユーチューブは、ごく最近の現象で、ISはそれらをフルに活用する最初の過激派組織になりました。残酷な映像を見せられれば見せられるほど、彼らを絶対的で大きな存在と感じてしまいます。映像が彼らの持つ力を実態以上に増大させる。彼らはそういうメディアの性質をよく理解しています。だからこそ私たちはISの幻想を解体する作業を始めなければならないのです」
 「実際の脅威は中東にあることを見つめ直す必要がある。空爆を実施していますが、一般市民が犠牲になります。子供が1人死ぬごとにIS加入志願者が10人増えるでしょう」

 ――国際社会全体が考えねばならないことも、その点ですか。

 「出発点は、空爆をはじめとする軍事介入は無効だという認識だと思います。欧州を守るため、中東での『新たな植民地支配』を試みようとしても、それは地上軍部隊を現地に派遣し、今後30年は駐留を続けることを意味します。現実には欧米の世論は決して受け入れません」
 「中東のことは中東の人々にまかせることです。彼ら自身に政治変革の方向決定や地図の書き直しを委ね、そして中東の政治的再編を認めようとするべきです。例えばエジプトで再び政変などが起きた場合、2年前、軍事政権を支持したような動きを二度としてはなりません」

 ナポリオーニさんが語った「国民の総意に基づかずに、どんな形の関与も表明するべきではなかったのです。これまでなら、政治責任が問われたのではないですか」、「最善の道は局外にとどまることです。2人の人質を殺されたことは悲劇ですが、私なら報復はしません」、「出発点は、空爆をはじめとする軍事介入は無効だという認識だと思います」、「中東のことは中東の人々にまかせることです」などという言葉が重く響きます。

 2人の人命を犠牲にしてしまった「政治責任」を安倍首相に取らせなければなりません。「積極的平和主義」を掲げて集団的自衛権の行使容認に道を開き、中東への軍事介入に加わろうとしている安倍政権の暴走をストップさせることも、私たち日本国民の重大な責務となっています。
 これらのことを、今回紹介した二つの記事は、私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

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5月23日(木) 日本はなんて恥ずかしい国になってしまったんだ [報道]

 やっとの事で、長く続いた繁忙期にピリオドを打つことができました。『日本労働年鑑』第83集(2013年版)の執筆・編集の作業に一区切り付いたからです。
 1月後半から、約5ヵ月間に渡る繁忙期でした。しかも、今年は個人的に頼まれた論攷の執筆や取材・インタビュー、講演なども多く、目の回るような忙しさで、なかなかブログの執筆にまで手が回りませんでした。

 ところで、昨日の『毎日新聞』の夕刊を開いたら、「恥ずかしいぞ 原発輸出」という見だしが目に飛び込んできました。「特集ワイド」の記事で、「相手国の民主化 ブレーキも」「エコノミックアニマルから『野獣』」という見だしも見えます。
 リードには、次のように書かれていました。

 トップセールスの売り言葉は「世界一安全」−−。アベノミクスの成長戦略として原発輸出を掲げ、トルコ、アラブ首長国連邦(UAE)を訪れ、原発輸出を約束した安倍晋三首相。いまだ16万人もの原発事故の避難者がいることを思えば、「恥ずかしいからやめてくれ」と言いたくなる。なりふり構わず利益を追求する姿は、経済活動に血道を上げ、エコノミックアニマルとやゆされた時代よりも深刻ではないか。

 まったく、ここに書かれているとおりです。私も、「恥ずかしいからやめてくれ」と大声で叫びたいような気持ちです。
 輸出される原発プラントは、高濃度の放射性廃棄物を出さないとでも言うのでしょうか。その処理をどうするつもりなのでしょうか。
 もし、これらの国で事故が起きたら、責任がとれるのでしょうか。放射能汚染のために、今もふる里を追われ、異郷を彷徨わなければならない16万人もの人々の気持ちをどう考えているのでしょうか。

 さらに恥ずかしいのは、相次ぐ有力政治家の暴言・妄言です。これは、昨日の『東京新聞』の「こちら特報部」で扱われていました。
 「政治家の暴言 『外圧』で炎上」「無知の恥 鈍る国際感覚」「緊張感欠く国内メディア」という見出しが並んでいます。反対側の面には、「優越感捨て 協調学べ」「参院選では『まし』な選択を」という見だしも。
 記事のリードには、次のように書かれています。

 首相、東京都知事に大阪市長。昨今、日本とその東西を代表する人物の「暴言」が相次いで非難された。言葉の内容からは当然ともいえるが、問題の所在はもう一段深そうだ。というのも、いずれの発言も海外のメディアや政府の指摘により「炎上」したからだ。裏を返せば、国内の自浄作用は働かなかった。私たちメディアの責任もあるだろう。原因と改善策を識者の皆さんに聞いた。

 これも、まさに指摘されているとおりでしょう。ここに挙げられていませんが、もう1人、石原慎太郎前東京都知事もいます。
 日本の恥を海外にさらしている4悪人というところでしょうか。同じ日本人として、誠に恥ずかしく、情けない限りです。
 安倍晋三首相は、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と先の戦争について弁解し、石原慎太郎前都知事も「あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない」と居直っています。また、猪瀬直樹都知事は、「イスラムの国々というのは、彼らが共有しているのはアラーの神だけで、互いに争いばかりしている」と言って国際社会から批判され、橋下徹大阪市長は「慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と暴言を吐き、沖縄駐留米軍の司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」とアドヴァイスして顰蹙を買いました。
 責任ある地位の人々が、このような暴言・妄言を吐き、東京の新大久保では在日韓国・朝鮮人を侮蔑し脅迫するようなデモが繰り返されている。外国人が見たり聞いたりすれば、「一体、この国はどうなってしまったんだ」と思うことでしょう。

 これらの有力政治家の暴言・妄言は決して許されず、謝罪して撤回し、公職から退くべきです。同時に、『東京新聞』が指摘するように、「いずれの発言も海外のメディアや政府の指摘により『炎上』した」もので、「国内の自浄作用は働かなかった」という事実も無視できません。
 私は、3人の方と共に『テレビはなぜおかしくなったのか』という共著を高文研から出しましたが、「おかしくなった」のは、テレビだけではありませんでした。日本のマスメディア全体がおかしくなってしまったようです。
 また、これらの人々が選挙で選ばれているという点も重要です。最終的には、これらの人々を支持し、投票で選んだ有権者の責任が問われることになるでしょう。

 来る東京都議選や参院選では、このような形で責任を問われるような選択を行ってはなりません。騙されて投票し、化けの皮が剥がれてから、「しまった」と言ってみても、もう手遅れなのですから……。

 というわけで、これからは多少、余裕ができるのではないかと期待していますが、実際にそうなるかどうかは分かりません。というのは、今月から来月にかけて以下のような講演を依頼されているからです。
 いずれも、一般の方の参加が可能ですので、お近くの方に足を運んでいただければ幸いです。また、これからの講演会で関係者の方にはお世話になりますが、よろしくお願いいたします。

*5月25日(土)午後1時から台東区・金杉区民会館下谷分館にて台東9条の会主催声をあげよう!憲法下町のつどい:「憲法の危機-活かそう憲法、つくろう私たちの未来」
*6月8日(土)午後1時30分から新潟市・東区プラザにて新潟医療生協九条の会主催:「今こそ輝け、憲法9条-安倍改憲戦略と日本の行方」
*6月9日(日)午後1時30分から東大和市・向原市民センターにて新婦人東大和支部主催講演会
*6月16日(日)午後2時から千葉・成田中央公民館にて成田9条の会主催平和を願う市民のつどい:「平和憲法が危ない!!」
*6月23日(日)午後1時30分から静岡南部公民館(ホール)にて静岡駿河区九条の会主催講演会
*6月25日(火)午後2時から本郷いろはビルにて出版OB九条の会主催:「ストップ!!憲法改悪-日本の進路と憲法をめぐる状況」

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2月15日(火) 「開国元年」よりも「自立元年」とすることこそ [報道]

 この間の新聞を整理していて、ある記事が目にとまりました。『東京新聞』2月9日付夕刊に掲載されていた関曠野さんの「TPP考 “自虐”に付け入る開国=善の論理」という記事です。
 関さんは、次のように書いています。

 国連などの統計によると、日本経済の輸出依存度はこれまで高かった年でも17%、貿易が国内総生産(GDP)に占める割合は世界170ヵ国中で164番目である。つまり日本は米国やブラジルと並んで貿易の役割がきわめて小さい内需中心経済の国なのである。(以上、引用終わり)

 この指摘は、極めて重要です。内需を拡大することの意味を裏付ける数字だと言って良いでしょう。
 外需依存というだけでは経済の発展や成長は望めず、内需を拡大することこそ極めて重要だということを、関さんの記述は示しているように思われます。
 それだけではありません。この指摘は「開国=善」という発想が如何に間違っているかを明らかにし、だからTPP参加には問題があると言っているのです。

 関さんは、「この貿易立国という錯覚がある人は自動的にTPP参加に賛成するのではあるまいか」「我々はかつての敗戦国民の無力感をいまだにどこかで引きずっているのだろうか」「自信のなさ、不安さも自国の現実に対する事実誤認に関係しているのではないか」など、多くの問題を提起しています。いずれも、重要な指摘だと思います。
 そして、「現状を悲観するばかりの“自虐”はもう願い下げにしたい」として、「今日日本が外国から学ぶことはあまりない。むしろ今は常に創造的革新的だった自国の伝統を学ぶ直すべき時である」と主張されるのです。
 ここで用いられている「自虐」という言葉にはいささか違和感を感じます。しかし、「この米国の論理に対する日本の自信のない対応が理解できない」ということについては、全く同感です。

 それは、過去において一連の「米国の論理」の押しつけの歴史があり、その究極の到達点がTPPであると思われるからです。1980年代の日米経済摩擦から始まり、日米構造協議による市場開放要求があり、年次改革要望書による一連の対日要求があり、さらには、ワシントン・コンセンサスによる新自由主義の押しつけがありました。
 そればかりではありません。戦後改革からの「逆コース」や再軍備、日米安保体制による在日米軍基地の押し付け、改憲要求から戦略的な軍事分担に至るまで、身勝手な「米国の論理」によって日本は翻弄されつづけてきました。
 そのような過去を清算し、もっと自信をもって自立せよ、という要求であれば、関さんの主張に全面的に賛同します。そのためには、TPP参加をきっぱりと拒否すること、沖縄の米軍普天間基地の撤去を求めることが必要でしょう。

 今年を、「開国元年」であるよりも「自立元年」とすることこそが、今、求められているのではないでしょうか。日本は既に充分に開かれている国であり、欠けているのは、独立国としての自信であり、アメリカに対する自立なのですから……。

 さて、この間、意地になって連日更新を続けてきましたが、そろそろ息切れです。『日本労働年鑑』の執筆・編集が始まったからです。
 しばらくの間、例年のように繁忙期が続くことになります。その間には、講演旅行などもありますし……。
 ということで、またまた途切れ途切れの更新になります。この点、ご了承いただければ幸いです。

8月9日(月) マイカー保有台数の初の減少というニュースが示しているものは [報道]

 とうとう、こうなってしまったということでしょうか。日本社会の変容を象徴するようなニュースですが、それほど注目されていないというところに、かえって問題の深刻さがあると言うべきでしょう。

 『日経新聞』8月7日付が「マイカー保有、初の減少」と報じています。「都市・40歳代で顕著」「地方・高齢者は増加」という見出しが続いています。
 記事によれば、「総務省による世帯別の自家用車の保有台数調査によると、2009年時点の1世帯当たりの保有台数は調査開始以来、初めてマイナスになった」そうです。「大都市や50代以下の世帯で減少が目立つ。国内市場の頭打ち傾向を改めて裏付けている」という指摘が続きます。
 昨日のブログで、私は「非正規労働者の増大によって雇用は不安定になり、収入の減少によってワーキングプアが増大し、国内市場は低迷して消費不況に陥ってしまいました」と書きましたが、マイカー保有台数の減少も、その一つの現れにほかなりません。

 マイカー保有台数の減少が「都市・40歳代で顕著」なのは、都市での公共交通がそれなりに整備されているため、無理をして車を持つ必要がないからでしょう。40歳代の保有台数が減っているのは、社会の中堅クラスが車を買えるだけの収入を得ていないということではないでしょうか。
 都市部でも格差が拡大しているということかもしれません。車を買うことができる中間層が減少しているということが考えられます。
 これについて記事は、「将来不安を抱える若年層のクルマ離れに拍車がかかり、所得環境の悪化などで中年層も自動車を手放す世帯が増えていることがうかがえる」と解説しています。「所得環境の悪化」とは、貧しくなっているということを意味しています。

 他方で、「地方・高齢者は増加」という指摘もあります。これも、当然でしょう。
 地方では、クルマがなければ身動きがとれません。鉄道やバスなどの公共交通に頼れなくなってしまったからです。
 それに、高齢者には、まだ良かった時代の年金があります。現役で働いている子どもの収入よりも、リタイアした親の年金の方が多いというのは良くある話です。

 そういえば、「川崎市制記念多摩川花火大会」で、今年から新たに始めた一般向け有料観客席の販売が不振に陥っているという報道もありました。「市の用意した6千席のうち、6日までに売れたのは3分の1程度」だそうです。
 これも、都市中間層の減少の一つの反映ではないでしょうか。お金を払ってでも、特等席で花火を見物したいと考える人が減っているということでしょう。
 以前なら、このような席には申し込みが殺到したにちがいありません。しかし今や、そのような状況は過去のもになってしまいました。

 若者の自動車離れや花火大会での有料席の販売不振に、関係者は頭を痛めているにちがいありません。しかし、本来、その対策は難しくありません。
 車を買えるだけの収入を若者に保障し、お金を払って花火を見物できるような安心感とゆとりを人びとに与えればよいのです。たった、それだけのことなのです。

 とはいえ、今の政治と経済の担当者にとって、それは決して容易なことではないでしょう。今日における政治家と官僚、大企業経営者の無能ぶりからすれば……。

3月26日(水) 変化を論じた2つの新聞記事 [報道]

 昨日は、これまでの連載とは、ちょっとちがったことを書きました。長い連載が続きましたので、いささか「お口直し」になりましたでしょうか。
 ついでに今日も、「番外編」を書かせていただきます。というのは、この間の連載と関わりのある新聞記事が二つ、目に付いたからです。今日は、これについて紹介することにします。

 そのような記事の一つは、一昨日の『しんぶん赤旗』に掲載されたものです。朝起きて、新聞を取り上げたら、一面の「派遣問題 “潮目”変わった」という見出しが目に付きました。「“潮目”変わった」という見出しは、この間、「“潮目”の変化」について書き続けてきた私としては、注目せざるを得ません。
 「正社員化めざす運動さらに 和歌山で志位委員長会見」と、記事の見出しは続いています。遊説先の和歌山市で記者会見した共産党の志位委員長は、派遣労働の問題について「全国の労働者のたたかい、わが党の国会論戦などを通じて、今年に入って規制緩和から規制強化への潮目の変化がはっきりと現れている」と指摘したというのです。
 志位さんは、この間の変化の例として、キヤノンやいすゞ自動車、コマツなど、製造業大手による直接雇用や正社員化の動きをあげました。この間、私が書き連ねてきた「変化の広がり」が、このような形で具体的成果を生むに至ったというわけです。大変、結構なことだと言うべきでしょう。

 志位さんは「問題の解決はこれから」と指摘しつつも、同時に「製造業大手が相次いで派遣労働を解消する方向にかじを切らざるをえなくなったことは重要な転換であり、変化だ」と強調しています。まさに、その通りです。
 昨年秋の時点での労働政策審議会では、日本経団連が派遣問題について「受入期間制限の撤廃」「雇用契約申し込み義務の撤廃」など派遣労働の全面自由化を強く主張していました。これを振り返りながら、志位さんは「この路線が破たんし、方針転換を余儀なくされたのは重要な意義がある」と強調したといいます。
 「この路線の破綻」は、日本経団連がこのように主張していた昨年秋の段階ですでに始まっていました。その流れが、このような形で明瞭になってきたというのは、極めて重要でしょう。

 もう一つの新聞記事は、昨日の『東京新聞』です。「継承基盤無く 細る小泉路線」という見出しの下に、若手政治学者の菅原琢東大特任准教授が、清水孝幸記者のインタビューに答えて、次のように語っています。

 菅原 小泉路線は潰えてしまったと思いますね。それを引っ張る人もいないし、仕組みもどこかに消えてしまった。……
 清水 道路特定財源の話は政官業が支え合う「古い自民党」の典型のように見えます。
 菅原 小泉さんが自民党の古い部分を覆い隠していたのに、小泉さんがいなくなったら、その覆いが簡単に取れてしまった。そんな感じですね。……
 ……昔に戻った部分はあっても、それが「古きよき自民党」と呼べるものかというと、決してそうではありません。

 この菅原さんの発言は、労働問題についてのものではありません。しかし、これも、この間明らかにした「政の逆襲」について指摘したものです。
 正確には、「逆襲」というよりは、「覆いが取れてしまった」と仰っているわけです。メッキが剥がれたということなのかもしれません。

 いずれにしましても、このような「変化」や「逆襲」は2006年に始まったというのが、私の仮説です。今一度、問うことにしましょう。
 それは、何故、生じたのでしょうか。そしてそれが、2006年に始まったというのは、どうしてでしょうか。

 これについては、明日、お答えすることにしましょう。