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3月24日(水) 河井克行元法相の議員辞職が露わにした自民党の劣化と無責任 [自民党]

 これは「出来レース」だったのではないでしょうか。河井克行被告の「心変わり」による議員辞職です。
 2019年参院選の大規模買収事件で公職選挙法違反に問われていた元法相で衆院議員の河井克行被告はこれまで否認していた選挙買収を一転して認め、議員辞職を表明しました。辞職に伴う補選は行われず次期衆院選に吸収されます。
 自民党にとってはまことに都合の良い「心変わり」です。両者が相談したうえでのシナリオだったのではないかと疑われるも当然です。

 自民党の二階幹事長は同日、さっそく記者会見を開いてこう発言しました。「本人も反省しているようだ。自民党としても他山の石としてしっかりと対応しなければならない」
 自民党にとって克行被告の証言は政権を揺るがしかねない爆弾になる可能性がありました。妻で元参院議員の案里氏の選挙には自民党から1億5000万円が支出されていたからです。
 その行方について案里氏は「主人に任せていた」と証言しており、公判が続けば、このお金の流れが追及されかねませんでした。しかし、争うことがなくなれば、そのような可能性はほぼ消滅します。

 河井氏の辞任によって、これまで法廷で嘘をつき続けていたことが明らかになりました。妻の選挙での買収のために現職の国会議員が現金2900万円をばらまいていたことを認めたのです。
 このような人物を議員候補者として応援して当選させ、法務大臣に任命した自民党と安倍前首相の責任は重大です。しかも、二階幹事長は「他山の石」だと発言しました。
 河井氏は他党の議員ではなく自民党の議員ですから「他山」ではなく「自分の党」、すなわち「自山の石」ではありませんか。二階幹事長の発言は自民党の劣化と無責任さを露わにするものだと言わなければなりません。

 河井氏がこの時点まで嘘をつき続けたのは補選への合流を避けるためであり、歳費やボーナス約5000万円を受け取るためだったと思われます。あわよくば実刑を避けて公民権停止を逃れ、復活の芽を残したいと考えていたのでしょう。
 しかし、すでに妻の杏里被告が有罪確定になり、多くの証人も買収の事実を証言しているため言い逃れることは難しいと判断したにちがいありません。1億5000万円の金の流れを追及されることも4月25日の参院広島選挙区での再選挙への悪影響も避けたいということで、今回の辞任表明になったと思われます。
 とはいえ、河井被告が裁判で実刑になる可能性は高く、公民権停止で選挙に出られなくなるにちがいありません。その前に記者会見を開いて謝罪し、1憶5000万円のお金の流れを始めとした選挙買収の真相を明らかにするべきではないでしょうか。

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2月2日(火) 自民党はここまで腐ってしまったのか [自民党]

 「自民党はここまで腐ってしまったのか」と暗澹たる思いに駆られました。またもや、明確な「嘘」だったからです。
 「ポスト・トゥルース」の「フェイクの時代」にどっぷりとつかっているのが自民党だということになります。トランプとともに、とっとと歴史の舞台から退場すべきです。

 国会議員が緊急事態宣言中の午後8時以降に銀座のクラブを訪れていた問題です。すでに、公明党の遠山清彦前幹事長代理が議員を辞職しています。
 これに続いて、同様の問題で自民党の松本純前国会対策委員長代理と田野瀬太道議員、大塚高司議員の3人が二階幹事長の離党勧告を受けて自民党を離党しました。松本議員はこれまで「銀座には1人で行った」と説明していましたが、この3人で訪問していたことを認め、説明が嘘だったことが判明したからです。
 この問題を受けて、菅総理大臣は昨夜陳謝し、野党の求めに応じる形で今日、国会で自ら説明することにしています。同様の問題を指摘されていた公明党の遠山議員は辞職して次の衆院選には出馬しないことを表明しました。

 安倍前首相の「桜を見る会」前夜祭での会費補填、河井夫妻の選挙違反事件、鶏卵をめぐる吉川元農水省の贈収賄容疑などに次いで、コロナ禍の下での夜の会食をめぐる不祥事の続発です。どうして、このような問題が相次いで生じるのでしょうか。
 それは、人と会って金を集めたり配ったり、飲み食いしたりさせたりするのが、自民党などの伝統的な政治スタイルになっているからです。「政治とカネ」の問題や飲み食いに関わる不祥事が絶えないのは、そうすることこそが「政治」だと思い込んでいるからにほかなりません。
 このような例は、かつて大きな批判を浴びた「料亭政治」から今日の「政治資金パーティ―」に至るまで、枚挙に暇がありません。与党になった公明党の一部も、このような風潮に染まってしまったということでしょう。

 自民党では、政策を勉強する朝食会、弁当付きでの派閥の会合、夜ごとの情報交換など、常に飲食が伴う形で意見交換や交流が行われてきました。そこに政治資金を支出するのは当たり前となり、そのための資金集めもパーティ―のような形で行われます。
 これでは、いつまでたっても問題は解決しません。自民党にとっては身に付いてしまった構造的な問題なのですから。
 今回の問題に対しても二階幹事長は離党勧告を行ったにすぎません。本来であれば自民党を除名し、遠山議員と同様に議員を辞めるよう辞職勧告を行うべきでした。

 「政治とカネ」の問題でも、コロナ禍の下での飲食をめぐる不祥事についても、自民党はけじめをつけることのできない政党に成り下がってしまったのです。それだけではありません。
 今の自民党は新自由主義にこだわり、自己責任を強調して公助やケアを軽視し、「ブラック・ライブズ・マター」や「ミーツ―」運動が提起する差別撤廃、人種平等やジェンダー平等に背を向け、「核なき世界」をめざす反原爆、脱原発の流れを無視しています。このような理念や政策はもちろん、金まみれで飲み食い中心の政治スタイルにおいても、自民党は時代遅れの政党になっているというしかありません。
 時代に取り残されている政党は、一日も早く政権の座を離れるべきです。その機会は間もなくやってきます。

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8月27日(月) 自民党総裁選での安倍大勝は「選挙イヤー」での自民大敗への「一里塚」となるかもしれない [自民党]

 安倍首相は鹿児島で昨日、9月20日投票の自民党総裁選に向けて正式に立候補を表明しました。すでに、石破さんが立候補することを明らかにしており、意欲を見せていた野田さんは断念するようですから、これで安倍対石破の一騎打ちという構図が固まりました。
 総裁選は自民党のトップを決める選挙で投票する権利は自民党員にしかありませんが、総裁になれば総理候補となりますから、事実上、首相を選ぶ選挙です。安倍さんも石破さんも、所詮は自民党の議員ですから「目くそ・鼻くそ」の争いで、それほど大きな違いはありませんが、安倍首相は戦後最低で最悪ですから、まず安倍首相を倒すことを優先するべきでしょう。

 安倍首相は戦後政治で最低・最悪の暴走政治を続け、対抗馬となった石破さんですら「正直・公正」を掲げざるを得ないほど、政治の信頼を失わせ行政の私物化を進めてきました。森友・加計学園疑惑などに示されているように「安倍夫妻と不愉快な仲間たち」による政治スキャンダルの中心に位置し、本来であれば責任を取ってとっくの昔に辞任していなければならいはずでした。
 それなのに、説明責任をはたすことなく夫婦手に手を取って逃げおおせてしまいました。それだけでなく、わざわざ自民党の規約を変えて3選を可能にし、国会議員の7割の支持をかき集めて3選確実な情勢だというのですから、唖然としてしまいます。
 安倍首相は私利私欲のために議会政治の土台をぶっ壊してしまった極悪人ではありませんか。そんな人にどうしてこれから3年もの間、日本の政治のかじ取りを任せようというのでしょうか。

 通常国会で明らかになった自民党議員や高級官僚の失言・暴言・妄言・不祥事など愚行の数々は、安倍政権の長期化に伴う驕りや緩みを背景としていました。その「長期化」をストップするどころか、さらに3年間も続けようというのですから、完全に逆行しています。
 しかも、石破さんが「正直・公正」を争点として打ち出したことに対しても、「個人攻撃だ」として反対する声が上がったというのですから、呆れてしまいます。安倍首相が正直で公正であれば、このような争点が「攻撃」材料になるはずがありません。
 自民党議員の中でも、安倍首相には「正直・公正」が欠けており、これがウイークポイントだと認められていることになります。だからこそ、「個人攻撃だ」と受け取られるのではありませんか。

 政治家として最も必要な資質である「正直・公正」を投げ捨てた安倍首相は、自民党議員や党員という「仲間内」の支持だけを頼りに3選を実現して長期政権化を図り、残りの任期で何としても改憲に突き進もうとしています。支持基盤となっている極右勢力を惹きつけて3選され、その後も求心力を維持して「死に体内閣」にならないようにするために、改憲を叫ばざるを得ないのです。
 しかし、共同通信社が8月25,26日に実施した世論調査で、秋の臨時国会に自民党の改憲案を出したいという首相の意向に「反対」は49.0%で、「賛成」の36.7%を上回っています。新総裁に期待する政策でも改憲は9項目中の8番目にすぎず、国民は改憲を望んでいるわけではありません。
 長期化で膿が出て飽きられ、望まれていもいない改憲を最大の課題として打ち出している安倍首相を選ぶことは、このような民意とのミスマッチを拡大するだけです。「人気」がないのに「任期」を3年も増やすことが、どのような結果を招くことになるのか、自民党の議員や党員の皆さんには、十分に考えていただきたいところです。

 総裁選で安倍首相は議員票で「大勝」するかもしれません。しかし、それが国民にどう受け取られ、地方での自民党支持にどう影響するのかが問題です。
 来年は、4月に統一地方選挙、7月に自民党にとっては「鬼門」となる「亥年」の参院選が待ち受けています。民意とかけ離れた安倍3選の「大勝」はかえって大きな反発を引き起こし、来年の「選挙イヤー」での「大敗」を引き起こす「一里塚」になるかもしれません。

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7月12日(木) オウム真理教関係者の死刑執行を前にした自民党の宴会についての『日刊ゲンダイ』でのコメントと若干の補足 [自民党]

〔以下の私のコメントは、オウム真理教関係者の死刑執行を前にした宴会について『日刊ゲンダイ』2018年7月11日付に掲載されたものです。〕

 「安倍首相も上川法相も、他人の命など、なんとも思っていないのでしょう。死刑執行のボタンは3つあり、3人の刑務官が同時に押します。誰が命を奪ったか分からないようにしている。直接殺したという事実に耐えられないからです。ところが、7人処刑を決めた上川法相や、安倍首相からは、人の命を奪うことに対する苦悩が感じられない。せめて、処刑の前夜は、家で静かに過ごすことが死刑囚への礼儀でしょう。なのに酒宴とは、安倍さんも上川さんも、人として大事なモノが欠落しています」(法大名誉教授・五十嵐仁氏=政治学)

 かつて、オウム真理教のような「カルト集団」は社会の片隅に存在していました。今は、日本会議のような「カルト集団」が安倍政権の中枢を占めるようになっています。
 かつては、まじめで影響されやすい一部の若者が洗脳され、誤った道に踏み込んでいきました。今は、日本中の真面目で影響されやすい多くの若者が検定教科書と道徳教育によって洗脳され、誤った道に踏み込もうとしています。
 オウム真理教がめざした世の中は、決して過ぎ去った昔のことではありませんでした。あれは、日本社会の行く末を予兆する未来のディストピア(暗黒郷)だったのです。

 安倍首相も上川法相も、日本がそのような社会になることを望んでいるのかもしれません。だからこそ、その扉を開いたオウム真理教の麻原彰晃元教組や他の幹部に対して、人間的な憐憫も命を奪うことへの苦悩も感ずることがなかったのではないでしょうか。

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10月11日(火) 草の根で根腐れを起こしていただけでなく幹も腐っている自民党 [自民党]

 一昨日の『しんぶん赤旗』10月9日付をご覧になった方は驚かれたことと思います。一面の真ん中に私の顔写真が出ていたからです。
 悪いことをして手配写真が載ったわけではありません。「白紙領収書」問題についてコメントしたからです。

 そのコメントは、以下のようなものでした。「政権腐敗 原理までねじ曲げ」という見出しがついています。

 高市早苗総務相は「法律上の問題は生じない」などと答弁しましたが、一般の人が同じ方法で脱税などをして、「国会議員もやっている」といったらどうするのか。高市氏は自ら「 白紙領収書」を使っったことを指摘されて開き直っていますが、警察が人のものを盗んで“泥棒にならない”というようなもの。政治資金の所管閣僚としての資格はありません。
 一つの政治勢力が巨大な力を持つと、こういう形で腐っていきます。その政治家たちが長期に政権を取り、憲法の平和主義や基本的人権などの大原理までねじ曲げ、国民の命や暮らしを脅かしています。
 今回の問題の追及も含め、共産党の活躍は際立っています。同時に「一強多弱」をもたらす現行の小選挙区制のもとでは、野党共闘こそ、腐敗する与党に対抗するための、まさに王道なのです。

 この私のコメントが掲載されている記事の見出しは「自民の常識は国民の非常識」となっていました。それでは「国民の常識」とはどのようなものなのでしょうか。
 ネットで公開されているMFクラウド会計のHPでは、「領収書を白紙で出した場合のリスク」について次のように解説されています。

 もしも何らかの理由で白紙の領収書をもらったとしても、自分で記入するのは絶対にやめましょう。その行為は犯罪になります。領収書は法律上の証拠書類です。発行者以外の誰かが勝手に記入したり、書き換えたりすると「文書偽造」という刑法違反の罪になります。税務調査で発覚するかどうかはともかく、仮に本当に支払った金額を記入したとしても、罪になります。まず、重加算税が課されます。重加算税とは、仮装や隠蔽の事実があるときに課される追加課税です。場合によっては逮捕されたり、刑罰や罰金に処せられたりすることもあります。白紙といっても通常は、領収書作成者の住所、名称、電話番号などが書かれてあることが多いようです。このような領収書にたいしても、金額はもちろんのこと、日付も記入するべきではありません。

 ここにはっきりと書かれているではありませんか。「白紙の領収書をもらったとしても、自分で記入するのは絶対にやめましょう。その行為は犯罪になります」と。
 これが「国民の常識」なのです。ところが、この「犯罪」を取り締まる立場にあるはずの高市総務相は、共産党の小池書記局長に追及されて「法律上、領収書の発行側の作成方法は規定されておらず、法律上の問題は生じない」と居直ってしまいました。
 「盗人猛々しい」とはこのことでしょう。法律にわざわざ書いてないのは、誰にでもわかるようなこんな不正をまさか国会議員が犯すとは考えていなかったからです。

 それなのに、堂々と「白紙領収書」に勝手に書き込むという「犯罪」を犯していました。それも、参院予算委員会で追及されて事実を認めた菅官房長官、稲田防衛相、高市総務相の3人だけでなく、安倍内閣の大臣と副大臣30人が白紙領収書を発行していたという報道もあります。
 しかし、不正を追及されて「悪うございました」と謝るのかと思ったら、「問題ない」と居直ってしまいました。「犯罪」を犯しただけでなく、それを反省し謝罪して責任を取るどころか居直るという二重の罪を犯したことになります。
 富山市議会の例もあるように、政務活動費の架空請求や不正使用などでも白紙領収書への記入や領収書の書き加えなどが問題となり、議員の辞職が相次ぎました。不正を犯したことは許されませんが、その責任を認めて辞職しただけ国会議員よりはましだったというべきでしょうか。

 いずれにしても、地方議員のみならず国会議員や大臣に至るまで「『文書偽造』という刑法違反の罪」を犯していたことは明らかです。自民党は草の根で根腐れを起こしていただけでなく、幹まで腐りきっているということになります。
 「刑法違反の罪にな」るのに、それが「犯罪」であるということさえ理解できず、反省して責任を取ることもせずに開き直っているのが、自民党という政党の現在の姿なのです。これを許してしまって良いのでしょうか。
 小選挙区制という選挙制度に助けられ、「一強多弱」に胡坐をかくことができるという構造こそが問題なのです。「白紙領収書」の発行が「慣例」になっていたという驚くべき実体こそ、緊張感の欠落した巨大与党がどこまで腐敗・堕落してしまうのかを典型的に示していると言わざるを得ません。

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7月3日(金) 自民党「文化芸術懇話会」での発言が示す安倍政権の危険性 [自民党]

 まったく、開いた口が塞がらないと言いたくなります。何も言う気がしなくなるほど、呆れてしまいました。
 ということで、ブログの更新をサボっていたわけではありません。別に書くべき原稿があって、しばらく更新をお休みしていました。

 サッカー女子のワールドカップで、イングランドのオウンゴールで「なでしこジャパン」は決勝に進出することになりました。これは、驕り高ぶった安倍政権の「オウンゴール」だったと言うべきでしょうか。
 自民党本部で開かれた若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」のことです。ここでの講師として呼ばれた百田尚樹さんや若手議員の発言が大きな批判を引き起こしました。
 「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番だ。文化人や民間人が不買運動、日本を危うくするマスコミはとんでもないと経団連などに働きかけて欲しい」「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはならないことだが、沖縄のどっかの島が中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」などという発言を読んで、「よくこんなことを、平気で言えるもんだ」と、呆れた人も多かったでしょう。これが「文化人」で作家であったり、国会議員であったりするのですから……。

 問題はさし当り3点あります。第1に、政府に批判的な報道機関に対する統制と弾圧のススメです。
 そもそも権力の監視を使命とする報道機関は政府に批判的なのが普通ですから、これは報道の自由そのものの否定につながります。国会議員は監視されている権力者に属する人々ですから、その活動を規制するようなことは口が裂けても言ってはならないはずです
 しかも、厳重注意処分を受けた大西英男衆院議員は自らの発言について「問題があったとは思わない」と反論し、「日本の国を過てるような報道に対しては広告を自粛すべきだと個人的には思う」と繰り返すなど、処分された後も反省がありません。「反省だけならサルにもできる」というのに、猿にも劣る人々だと言うべきでしょう。

 第2に、沖縄に対するあからさまな敵意とデマの数々です。「普天間飛行場は何もない田んぼの中にあった。商売になるということで周囲に人が住みだした」など、「本当にそう思っているのか」と信じがたいようなことが次々と百田さんの口から飛び出してきました。
 デマとしか言いようのない間違った事実を堂々と口に出して恥じないような人を、どうして勉強会の講師に呼んだのでしょうか。この人を呼んで話をさせればこれくらいの暴言を吐くだろうということは、事前に予想がついたはずではありませんか。
 デマを振りまいて沖縄の人々を貶めた百田さんは、自らの発言をきちんと謝罪するべきでしょう。このような人を講師に招いた勉強会を党本部で開いた自民党も、その最高責任者である安倍総裁も、沖縄の人々に対して責任を明らかにし、明確に謝罪するべきです。

 第3に、この勉強会を開いた議員たちも講師であった百田さんも、みな安倍首相の仲間であり、その応援団だということです。そもそもこの勉強会自体が、秋の総裁選での安倍首相の再選をめざして気勢を上げるために開かれたものだと言われています。
 どのような人々が安倍首相を支持し、何を考えているのかが、今回の騒動を通じてはっきりと見えるようになりました。安倍首相がこれらの人々の言動をきちんと批判し、謝罪しなければ、「やはり仲間なんだな」と国民に思われるだけです。
 言論・報道の自由の大切さも分からず沖縄のことも良く知らない人々が「戦争法制」の成立を目指し、沖縄での新基地建設を強行しようとしているわけです。国民の多くが不安を覚え、沖縄の人々が反発するのも当然でしょう。

 問題は安倍首相本人にあり、自民党「文化芸術懇話会」での発言は安倍政権の危険性をはっきりと示しています。「類は友を呼ぶ」と言われる通り、安倍首相の周りに集まっている人々こそ日本を危うくさせる元凶にほかなりません。
 「戦争法制」を葬り去り、沖縄での新基地建設を阻止するだけでなく、このような安倍政権を打倒することこそ日本を救う道なのです。「文化芸術懇話会」をめぐる一連の経過は、そのことを再確認させることになったと言うべきでしょう。

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2月27日(金) 相次ぐ自民党元重鎮の安倍首相に対する懸念と批判 [自民党]

 毎日新聞2月24日付夕刊に、福田康夫元首相のインタビュー記事が大きく出ていました。2月23日に豊島区民センターで行われた9条の会東京連絡会での講演で、自民党幹事長のOBなどによる安倍首相に対する批判について紹介し、「次に登場する可能性があるのは福田元首相でしょう。どこかで突撃取材でもしたらどうでしょうか」と発言しました。 
 実際にはこのころ、すでに毎日新聞の記者によって福田元首相に対する取材がなされていたということになります。「過去の反省なければ、未来展望も重み失う」と題されたこの記事で、福田さんは次のように述べています。

 −−しかし最近の日本、その「和の心」を忘れているように見える。ずばりうかがいますが、集団的自衛権行使容認などの安保政策の変更は、アジアの安定に影響を与えませんか。

 福田氏 和を乱すようなことをすれば当然、問題視されるでしょうが、今まで議論してきたような内容の安保政策なら問題ないでしょう。ただ、今年から法制を含めて具体的議論をするようですから、あまりにも変わったことをやり始めたら、周辺国は疑念を抱きます。ここはよく考えて、70年かけて積み上げてきたアジア諸国との信頼関係を壊さないようにしないと。

 −−その戦後70年の節目にあたり、安倍首相は新たな談話を出します。過去の「村山談話」「小泉談話」で述べられた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」といった文言を生かすべきかどうかが焦点になっています。

 福田氏 今の段階でとやかく言う必要はないと思いますが、「3点セット」は欠かすことができない。すなわち「過去の反省」「戦後70年の評価」「未来への展望」です。過去の反省なくして戦後の歩みの評価もできないし、未来への展望も、重みを失う。この三つがなければ談話の意味がありません。だからこれまでの談話と、そうそう変わったものにはならないでしょう。過去の談話は「閣議決定したものではない」という指摘もあるが、その時々の首相が言ったということは、国家としての意思、見解の表明です。それをころころ変えるようでは信頼されません。繰り返しになりますが、日本は70年も努力を重ね、アジア諸国の信頼を取り戻してきた。それを一気に失うかもしれない。国内だけでなく、国際社会をも納得させるものでないといけないんです。ならば、これも答えはおのずから出てくるでしょう。

 −−同感です。安倍談話とともに靖国神社参拝問題も焦点になりそうです。

 福田氏 靖国の存在自体を否定することはない。ただ先ほど言った過去の反省とアジアとの信頼関係で考えなければ。靖国神社は追悼が中心の施設です。安倍首相は「追悼と平和祈念」と言って参拝されたが、平和を祈るのは、別の場所のほうがいいのではないか。小泉内閣で僕が官房長官だった2002年、有識者懇談会から「別の追悼祈念施設をつくるべきだ」との答申を頂いたが、この考えは、今も生きていると思います。

 −−アジアの多様性に触れられましたが、今の自民党内、安倍さんとその周辺に物を申しにくい、党内から多様性が失われた、と言われています。

 福田氏 いや、いざという時が来れば、議員の皆さんはきちんと言いますよ。それに決して安倍さんは力任せに突っ走ろうなんて思っていない。ただメディアが黙っていれば、国民も皆「これでいいんだ」と思う。最近そういうの多いよね。

 また、河野洋平元自民党総裁も、2月24日に名古屋市で講演し、自民党は右翼政治だと強い懸念を示しました。これについて、東京新聞2月25日付は次のように報じています。

 河野洋平元衆院議長は24日、名古屋市で開かれた共同通信きさらぎ会で講演し、安倍晋三首相が今夏発表する戦後70年談話に関し、過去の「植民地支配と侵略」への反省を明記した戦後50年の村山富市首相談話の表現を踏襲するよう求めた。安倍首相の政権運営をめぐっては「自民党がこれ以上『右』に行かないようにしてほしい。今は保守政治と言うより右翼政治のような気がする」と強い懸念を表明した。
 河野氏は、戦後60年の小泉純一郎首相談話も「植民地支配と侵略」に言及していることを踏まえ「日本の歴史認識が十年刻みで変わることはありえない。どういう文言で談話を書くかは決まり切ったことだ」と述べた。旧日本軍による従軍慰安婦問題に関する1993年の河野官房長官談話について「はっきりとした裏付けのないものは書かなかった」と述べ、「強制性」を認める文言は盛り込まなかったと強調。「強制性についての(当時の)文書は見つからなかった。しかし、強制性が全くなかったかと言えば、いくつか具体的なものはある」とした。
 日米関係に関しては「(オバマ政権に対し)歴史修正主義者ではないと明確に伝え、懸念を払拭(ふっしょく)するのは非常に重要だ」とした。靖国神社参拝問題に関し、国立の戦没者追悼施設の新設を検討すべきだとの考えも示した。

 さらに、山崎拓元自民党副総裁も、集団的自衛権行使容認の法制化を目指す与党協議など、一連の動きに対して、次のように警鐘を鳴らしています。ウェッブに公開されている『週刊朝日』2015年3月6日号からの抜粋を紹介しておきましょう。

――安倍首相は国会で、集団的自衛権行使の具体例として、ホルムズ海峡の機雷除去を挙げ、「わが国が武力攻撃を受けた場合と同様に深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況にあたりうる」と語った。

 集団的自衛権行使の要件には、日本と「密接な関係にある他国」が武力攻撃され、国の存立が脅かされることが挙げられています。
 石油の輸送ルートであるホルムズ海峡に機雷がまかれれば、日本の存立が脅かされる「存立事態」だといいますが、その場合、どこが「密接な関係にある他国」に当たるのか。ホルムズ海峡を通る国は全部になってしまう。これまでの政権の常識からしたら、「密接な関係にある他国」とは安保条約を結んでいるアメリカのことを指していたのに、それが安倍政権では世界中どこでもということになってきている。「グレーゾーン事態」の議論では、政府はオーストラリアも防護対象と言いだしています。その理屈だと、今ならヨルダンも入ってしまうかもしれない。際限がなくなってしまう。
 そもそも9条のある今の憲法では集団的自衛権の行使はできません。やりたいなら、憲法改正するしかない。民主主義の国なのだから是非を国民投票で問えばいい。戦後70年の外交安保政策の大転換を、閣議決定でなし崩しにやるべきではない。去年の閣議決定は間違いでした。
 安倍首相は今、戦闘地域へも自衛隊を派遣しようとしている。つまり武力行使をするということ。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という9条1項の内容に踏み込んできている。
 安倍首相は、自分がしていることの恐ろしさをわかっていない。「戦後以来の大改革」などと言って、タブーを破った快感に酔いしれて、個人の名誉心でやっているのです。

 山崎さんは、昨年1月6日付のインタビューでも、集団的自衛権について、次のように語っていました。

 ―― 安倍首相は、集団的自衛権の行使容認に向け前のめりになっています。どう見ていますか?

 まったく説明不足。私は「解釈改憲」については反対です。日本は世界に冠たる法治国家。その法治の根幹は、最高法規たる憲法にこそある。憲法の地位が揺らぐということは、法治ということを考えた場合、大問題だと考えています。
 もうひとつ。この解釈改憲というものは、とりわけ集団的自衛権についての解釈というものは、国際法上認められている権利ではあるものの、日本の場合は憲法9条に照らして、その行使ができないということになっている。これは歴代政権において解釈が確立されているんです。
 誤解のないように言っておくと、内閣法制局が確立したのではなく、その都度、内閣が閣議決定しているのです。つまり、従来の解釈に基く法律を出す場合は、内閣法制局が審査し、それを閣議にかけて国会に提出する。歴代内閣はこれを繰り返してきた。
 なおかつ、この解釈に関する国会質疑が、政権が替わる度ごとに行われており、時の内閣総理大臣が答えています。内閣法制局長官が答えることがしばしばあったのは事実だが、しかし、その時には『ただ今、内閣法制局長官が答弁したとおり、我が内閣におきましては、集団的自衛権の行使はいたしません』として、歴代総理が明言している。つまり、総理が決めること。法制局長官が決めることではない。
 歴代政権の中で、もっとも理念右翼と目されている安倍政権がこの解釈を変える。するとその次にはもっとも左翼と目される総理が誕生するかもしれない。そうなると、また変える。つまり、憲法が、時の政権の解釈によって、その都度変わってくる。もちろん、その部分だけではないでしょう。例えば、基本的人権の一部に関しても、あるいは認めないという解釈をする政権ができるかもしれない。≪そんなバカな解釈改憲はできない≫とその時の法制局長官が抵抗すると、安倍総理がやったのと同じように更迭して、『俺の言った通りに見解を出す奴を起用する』ということになりかねない。“悪しき前例”を作ろうとしているんです。これを認めるべきではない。

 これまでも、古賀誠、野中広務、加藤紘一などの自民党元幹事長が安倍首相に対して批判を繰り返してきました。これに、福田康夫元首相、河野洋平元自民党総裁、山崎拓元自民党副総裁が加わったということになります。
 自民党の現役議員たちは、これら先輩の懸念や批判をどう受け止めているのでしょうか。「いざという時が来れば、議員の皆さんはきちんと言いますよ。それに決して安倍さんは力任せに突っ走ろうなんて思っていない」という福田さんの発言が、単なる希望的観測にすぎないということでなければ良いのですが……。

拙著『対決 安倍政権―暴走阻止のために』(学習の友社、定価1300円+税)、3月1日刊行。
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4月20日(日) 保守であった自民党は極右の「安倍一族」に乗っ取られたことに気が付いていないのか [自民党]

 自民党は保守政党でした。でも、それは過去の話であり、今日の自民党はもはや保守政党ではなくなりました。安倍首相とそのお仲間である「安倍一族」に乗っ取られて極右政党になってしまったからです。

 その象徴的な例は自民党の憲法草案にあります。この草案は2012年4月に改定されました。
 その前の自民党憲法草案を起草したのは、自民党を離れる前の舛添要一さんでした。その舛添さんは、昨年末に『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書)という著書を出して、現行の自民党憲法草案を真っ向から批判しています。
 それもそうでしょう。「国防軍を保持する」「国際的に協調して行われる活動……を行うことができる」として、自衛隊を通常の軍隊に変えて多国籍軍に参加できるようにし、「軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため……国防軍に審判所を置く」として軍法会議を設置し、「家族は、互いに助け合わなければならない」として道徳を押し付けるなど、立憲主義、国民主権、民主主義、基本的人権、平和主義を全て否定するアナクロニズムに満ち満ちているのですから……。

 これを舛添さんが批判するのは、保守の立場からです。批判される自民党憲法草案は、極右のマニフェスト同然だからです。
 先の都知事選挙で、自民党と公明党は当選を最優先して舛添さんを推薦しました。これに対抗して立候補した田母神さんは、「安倍首相は自分を支持しているはずだ」と言い、「安倍一族」の百田さんや極右・壊憲論者の石原元都知事は田母神さんを応援しました。
 このような構図からすれば、2012年4月以前の自民党憲法草案は「舛添草案」であり、その時に改定された新しい草案は「田母神草案」だったということになります。この時の改定は、保守の「舛添憲法草案」から極右の「田母神憲法草案」への変更を意味していたのです。

 今、自民党が改憲草案として打ち出してきているのは、この「田母神憲法草案」です。それと並行して強行されてきた国家安全保障会議設置法、特定秘密保護法などの立法改憲も、武器輸出3原則の防衛装備移転3原則への変更、「積極的平和主義」に基づく新防衛計画の大綱や新中期防衛力整備計画の閣議決定、水陸両用車の導入などの軍事力の強化、さらには集団的自衛権の行使容認のための解釈改憲にしても、かつての自民党と一味違う「田母神」的改憲路線の具体化であり、都知事選で田母神さんが胸を張って言ったように、それは安倍首相も支持している極右路線にほかなりません。

 アメリカでの講演で、安倍首相は「私を右翼の軍国主義者と呼びたいなら呼んでいただきたい」と居直りました。戦後の日本は軍国主義の否定から出発していますから、そのトップリーダーは「右翼の軍国主義者」であってはならないはずです。
 かつてであれば許されざる公言をして恥じない指導者に乗っ取られてしまったことに、自民党は気が付いていないのでしょうか。そうであるなら、今こそ声を大にして言いたいと思います。
「自民党よ、目を覚まして、まともな保守政党に戻れ!」と……。

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4月19日(土) すべての間違いは「日本を取り戻す」という誤った目標を掲げたところから始まった [自民党]

 「日本を取り戻す」というのが、一昨年の総選挙での自民党のスローガンでした。それは、安倍首相の目標でもあります。

 「取り戻す」と言うからには、以前の日本のことでしょう。これから作るとか、生み出すというのではないのですから……。
 過去に存在していなければ、「取り戻す」ことは不可能です。「取り戻す」対象は将来の日本ではないのです。
 つまり、安倍首相にとって目指すべき目標は過去であって、未来ではありません。その政治が後ろ向きの時代錯誤となるのは、ここからきています。

 「取り戻す」目標とされるからには、善きものでなければなりません。悪しきものであれば、「取り戻す」のではなく捨て去るべきでしょうから……。
 しかし、過去の日本は必ずしも善きものではありませんでした。というより、戦後の日本は戦前・戦中の日本を否定し、そこからの転換を目指して再出発しました。
 これが「戦後レジーム」であり、戦後の政治や社会の基本的な枠組みとなったものです。安倍首相は第1次内閣で「戦後レジーム」からの脱却を目指し、第2次内閣でそれ以前の「日本を取り戻す」という目標を掲げたのです。

 このような安倍さんからすれば、戦前・戦中の日本は、「取り戻す」対象としてふさわしい善きモデルでなければなりません。したがって、過去の再評価と美化が生ずるのは必然でしょう。
 そのためには、過去の歴史を改ざんし、それを正当化するための作業が必要になります。悪しき過去を直視して反省しようとする態度は自虐史観であると非難され、侵略戦争と植民地支配の歴史は修正され、正当化されることになります。
 その結果として、周辺諸国との関係を悪化させ、国際社会の信頼を失い、国際的な孤立化を深めているのが、今日の日本の姿です。そのような問題を生み出す根底にあるのが、「日本を取り戻す」という誤った戦略目標にほかなりません。

 今日の日本は、「戦後の国際秩序にそぐわない奇妙なことを言い、やっている特異な国」とみられ始めています。国際社会から後ろ指をさされるような隘路に入り込んでしまった根本的な原因は、「日本を取り戻す」という後ろ向きの目標を掲げた自民党の政権復帰を許したことであり、アナクロニズムに凝り固まった極右の民族主義者たる安倍首相をその先頭に立たせてしまったことにあります。


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9月22日(火) 政官財癒着の利益誘導型政治と構造改革路線の両方に対する反省が前提 [自民党]

 土曜日からの連休。シルバーウィークなのだそうです。
 仕事の関係で、今日は研究所に出勤しました。今日から後期の授業が始まっているはずなのに、多摩キャンパスは静かなものです。

 連休とはいっても、普段の休日と変わりません。今月中に、論文を2本、仕上げなければなりませんから、家にいるというだけの「休日」です。
 それでも、土曜日には、デビュー50周年記念という中村紘子さんのピアノ・リサイタルでサントリーホールに行きました。ここには、7月にもモスクワ管弦楽団のコンサートで来たばかりですが、どちらも知人に招待してもらったからです。
 正直に申せば、音楽の善し悪しはよく分かりません。そんな私にも、中村さんのピアノは、芳醇なウィスキーの香りが上り立つような円熟味あふれる熟達した演奏だったような気がしました。

 ところで、自民党の総裁選挙です。西村、河野、谷垣の3人の方が立候補しています。
 一方で「世代交代」、他方で「全員野球」が叫ばれています。しかし問題は、それによって何をめざし、何を実現しようとするのか、ということでしょう。
 自民党の敗北は、古い自民党のやり方と新しい自民党のやり方の両方が国民によって拒否されたために生じました。この両者に対する反省と、そのいずれでもない政治のあり方が示されなければ、自民党の再生は不可能でしょう。

 古い自民党のやり方とは、政(族)・官・財(業)の癒着による利益誘導型政治です。これは、旧日本型とでも言うべき開発主義的経済発展の政治でした。
 新しい自民党のやり方とは、新自由主義的な構造改革路線です。これは、アメリカ型とでも言うべき規制緩和と民営化の政治でした。
 このいずれもが失敗し破綻したために、自民党は歴史的な役割を担うことができなくなったのです。したがって、旧日本型とアメリカ型の両者に対する反省と、そこからの転換が前提とされなければなりません。

 民主党が掲げている旗印は、「官僚政治の打破」と「生活が第一」です。前者は旧日本型に代わるものであり、後者はアメリカ型が生み出した問題の解決を目指すものです。 つまり民主党は、それなりに、旧日本型とアメリカ型に代わる「第三の道」を指し示していました。だからこそ、総選挙で国民の支持を得ることができたのです。
 一方では、官僚に対する政治の優位を打ち出し、新しい政・官関係を生み出そうとする模索が続いています。他方では、構造改革が生み出した貧困と格差の拡大を是正するために、再分配政策に着手しようとしています。

 自民党は、このような民主党に対抗する新しい政治の姿を示さなければなりません。官僚政治を打ち破り国民の生活を立て直すことができるような「もう一つの選択肢」を示すことができるかどうかが、今回の総裁選挙では問われているはずです。
 しかし、候補者の誰一人として、そのような問題意識を持ち合わせているようには見えません。「世代」と「派閥」に目が奪われ、時代が提起している課題を自覚できていないということです。
 ここに、自民党の最大の危機があるというべきでしょうか。このままでは、誰がなっても、自民党が勢いを盛り返すのは難しいように見えます。
 
 なお、以上の点について、詳しくは、24日(木)の夜、アジア記者クラブでの講演でお話しさせていただくつもりです。関心のある方は、渋谷区勤労福祉会館までお越しいただければ幸いです。