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9月20日(金) 千葉での台風被害、長期大規模停電や断水から国民が学ぶべきこと [災害]

 「集中豪雨、地震、激しい暴風、異常な猛暑。昨年、異次元の災害が相次ぎました。もはや、これまでの経験や備えだけでは通用しない。命に関わる事態を『想定外』と片付けるわけにはいきません。」

 安倍さん、よもやお忘れではないでしょうね。これは、今年の1月28日、通常国会の開会日にあなたがご自分の口で語った施政方針演説の一節ですよ。
 千葉では未だに台風による災害、大規模停電や断水によって生じた被害の全容が分からず、復旧の見通しも立っていません。直接的にはかつてない強い風を伴った台風による被害ですが、その天災に人災を付け加えて被害を拡大したのは千葉県や東京電力、政府の初動の遅れであり、対応の拙劣さでした。
 不安を抱いて苦しんでいる被災者を生み出した行政や東電に対して、安倍首相は同じ言葉を発することができますか。「もはや、これまでの経験や備えだけでは通用しない。命に関わる事態を『想定外』と片付けるわけにはいきません」と。

 このように言っていた安倍首相自身、今回の台風による被害への見通しの甘さが指摘されています。事前の備えは不十分で、被害の予測も誤っていました。
 災害が発生した後も内閣改造を優先して災害対策を後回しにし、初動が遅れました。千葉県の対応にも同様の問題が指摘されています。
 安倍首相は現在まで、千葉県の被災地を訪れてもいません。9月1日に実施された防災訓練のために千葉県を訪問していたにもかかわらず。

 被害が拡大した背景には、多くの問題が横たわっています。停電の復旧が当初の見通しより遅れたのは倒木のせいだとされていますが、それを取り除くためにより早く自衛隊を出動させていれば除去作業はもっとスムースに進んだはずです。
 電柱などの送電網が老朽化していたのは、東電が設備投資を怠っていたからです。復旧のためのベテラン要員が不足していたのも、東電が社員の採用を手控えていたからです。
 設備投資を行わず、社員を削減して新規採用を減らしてきたのはコスト削減のためでした。その理由は、原発事故への補償や廃炉作業のために膨大な資金を必要としているからで、これらすべても原発事故の後遺症にほかなりません。

 自治体のリストラを進めて職員を減らしてきたことも大きな問題を引き起こしました。災害救助や復旧のための事務手続きに対応する人的な態勢が取れなくなっているからです。
 正規職員を減らしてきたことも、緊急事態における自治体の対応能力を低下させてきました。ある程度の余裕を持った職員の配置と緊急事態に対応可能な判断力とノウハウを蓄積した正規職員の確保は、災害対応にとって必要不可欠な人事政策なのです。
 そして、何といっても政府の問題があります。災害に敏感で国民に寄り添い、機敏かつ適切に緊急事態に対応できる能力を持った政府でなければなりません。
 集中豪雨の報告を聞いてもゴルフを続行したり、被害が生じている最中に「赤坂自民亭」という宴に興じたり、甚大な台風被害が発生しているにもかかわらず組閣に熱中して笑顔でひな壇の記念写真に納まるような首相や閣僚であってはならないのです。またもや、安倍政権は国民に寄り添う気持ちも機敏に対応する能力もないことが明らかになりました。

 「集中豪雨、地震、激しい暴風、異常な猛暑」などの度重なる「異次元の災害」に対して、安倍政権は常に対応を誤り、被害を拡大してきました。この経験から、緊急事態への適時適切な対応のためには、緊急事態条項を書き加えて憲法を変えるのではなく政府を変えることこそが必要だということを、私たち国民は学ぶべきではないでしょうか。
 そして、こう言うべきでしょう。「想定外」などと言って逃げるな!

 なお、今日と明日、以下のような場所で講演します。誰でも参加できますので、お近くの方に足を運んでいただければ幸いです。

9月20日(金)第15回杉並革新塾 午後6時30分:杉並産業商工会館展示室 
9月21日(土)千葉県革新懇 午後1時30分:千葉県教育会館 

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7月10日(火) 西日本の豪雨被害と安倍政権の対応についての『日刊ゲンダイ』でのコメントと若干の補足 [災害]

〔以下の私のコメントは、西日本の豪雨被害と安倍政権の対応について『日刊ゲンダイ』2018年7月9日付に掲載されたものです。〕

 「安倍政権は北朝鮮危機をあおり、5年連続で防衛予算を増やしてきましたが、過去最大5兆円超に膨らんだうち、わずかでも防災・減災に回していれば、豪雨被害はここまで拡大しなかったはずです。北朝鮮危機では一人も犠牲者は出ていませんが、ここ数年、立て続いた豪雨被害では多くの方が命を落としてきました。結局、首相にとっての『危機』とは政権維持と支持率向上に役立つものだけ。ゆがんだ危機意識によって、常日頃からの災害への備えが手薄となっているのです。『国民の生命を守り抜く』という掛け声も口先だけ。歴史的な災害には、歴史的にも万全な対策を講じるべきなのに、安倍政権の後手後手対応はそれこそ歴史に汚点を残す最悪なものです」

 西日本を中心とする豪雨被害は、今朝の段階で死者126人、心肺停止が2人、行方不明や連絡が取れない人は79人となりました。犠牲者が200人を上回る可能性が大きい大災害となっています。
 捜索や救助に全力を傾け、これ以上の犠牲者を生まないような緊急対応が必要です。安倍首相は予定していた外遊を取りやめましたが、当然のことです。
 国会も災害対策に全力を挙げ、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案など不要不急の法案審議に時間を費やすべきではありません。与野党が一丸となって被災者の救援や災害復興に全力を尽くしてもらいたいものです。

 今回の大災害に際して、初動に問題があったことは明らかです。すでに九州などで豪雨になっていた5日夜、安倍首相は議員宿舎の「赤坂自民亭」で自民党国会議員らと懇親のための宴会に出ていました。野党から「緊張感が足りない」などと批判があがっていますが、豪雨被害の危機に対する認識が不十分だったことは否定できません。
 主催者の1人で懇親会に出席していた竹下亘自民党総務会長は「どのような非難もお受けする。これだけの災害になるという予想は、私自身はもっていなかった」と釈明しました。安倍首相はどう思っているのでしょうか。
 政府の非常災害対策本部の設置が8日になったことも、遅すぎたのではないかという批判があります。これも緊張感や危機への認識が不足していたことの現れでしょう。

 このような問題が生ずるのは、安倍首相にとって危機とはもっぱら安全保障上のもので、自然災害によるものへの認識が欠落しているからです。災害への危機対応を軽視し、軍事的な危機対応ばかりを偏重するという危機認識の歪みが、多くの問題を生み出しています。
 北朝鮮からのミサイル攻撃を理由に必要でもないJアラートの訓練に国民を動員し防衛費を増やし続ける一方で、毎年のように繰り返される集中豪雨や水害、地震の被害を防止するための予算や工事を先送りしてきたツケが回ってきたというべきでしょう。あるかどうかわからない空想的な危機ではなく、常にあり得る現実的な危機にきちんと対応できるような政権に変えなければ、政治のエネルギーや国費が無駄遣いされ国民の命も生活も守られないという教訓を、今回の豪雨災害から学ぶべきではないでしょうか。

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4月20日(水) 安倍政権による熊本地震を利用した「ショック・ドクトリン」を許してはならない [災害]

 「ショック・ドクトリン」というのは、「大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」という意味で、カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインが著した本のタイトルです。新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマンの「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」という主張に対する批判となっています。
 熊本地震に対する安倍政権の対応を見ていて、この言葉を思いだしました。地震という大惨事につけ込んで、自らの思惑や政治目的に利用しようとしているからです。フリードマンと同様に、安倍首相も「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と考えているのかもしれません。

 このような政治利用の一つが、前回のブログでも指摘した菅官房長官による緊急事態条項の必要性への言及です。「これは大変だ。何とかしなければ」という国民の気持ちや心配につけ入る形で、緊急事態条項の必要性を受け入れさせようとする狙いだったのではないでしょうか。
 しかし、本当に必要なのは、既存の法律の効果的な運用と政治・行政関係者の的確な行動、方針の提起です。この点で安倍政権は全くの落第であり、失態や失敗を繰り返しています。
 たとえば、東日本大震災のとき菅政権は地震発生の翌日に激甚災害の指定を閣議決定していますが今回は未だになされておらず、当初予定されていた安倍首相や石井啓一国交相の現地視察は中止となり、現地に入った災害担当の松本文明副内閣相は「全避難者の屋内避難」の方針を伝えて蒲島郁夫熊本県知事から「現場の気持ちが分かっていない」と批判されました。自衛隊の派遣についても、知事側は最初から大量派遣を求めていたにもかかわらず政府は2000人しか派遣せず、マグニチュード7.3の大地震が起きてから増派を決定したように後手後手に回っています。

 もう一つの政治利用の例は米軍輸送機MV-22オスプレイの投入です。墜落死亡事故を起こして安全性が不安視されており、ハワイでの事故では開発したボーイング社や政府に損害賠償を求める裁判まで起こされている米軍のオスプレイを丸1日かけてフィリピンからわざわざ呼び寄せました。
 オスプレイは熊本県益城町の陸上自衛隊高遊原分屯地から水や食料、毛布など約20トンの物資を積み込んで南阿蘇村の白水運動公園に空輸しました。しかし、そんな必要性がどこにあったのでしょうか。
 自衛隊にもオスプレイと積載量が同等で容積が多いCH-47Jという輸送ヘリが70機もあるのですから、これを使えばよいではありませんか。離発着するのに広い場所が必要で空中でホバリングして物資をワイヤーで下すこともできない米軍のオスプレイをたった20kmの空輸のために投入したのは、安全性への疑念を和らげて日米同盟の有効性や自衛隊へのオスプレイ導入の必要性を示そうとしたためだったと思われます。

 これについて、中谷元・防衛相は18日の参院決算委員会での日本共産党の二比聰平議員の質問に対し、「米側から協力の申し出があった」と答弁していました。しかし、米海兵隊は16日付の報道発表で「日本政府の要請」に基づくものだったことを明らかにしました。
 中谷さんは、国会での答弁で嘘をついていたことになります。国民に嘘までついて、米軍のオスプレイ投入を求めていたことになります。
 まさに、日米同盟強化とオスプレイ活用という思惑による危機状況への便乗にほかなりません。安倍政権による「ショック・ドクトリン」の発動であり、「惨事便乗型資本主義」ならぬ「惨事便乗型軍国主義」そのものではありませんか。

 さらに川内原発の稼働継続も、「ショック・ドクトリン」の一種ではないでしょうか。かくも大きな地震さえ乗り切れるのだという実例を示すことによって、日本の原発技術の優秀さと安全性を実証しようとしているように見えるからです。
 しかし、それは大きな危険を伴った賭けにほかなりません。19日には熊本県八代市で震度5強、マグニチュード5.5の地震が発生するなど震源は南西方向へと移動し、川内原発からは80キロまで接近しています。
 大きな事故が起きてからでは遅すぎるというのが東日本大震災と福島第1原発事故の教訓ではありませんか。停止しても電気の供給には支障がないのですから、危険性があれば止めて様子を見るというのが当然の対応ではありませんか。

 熊本地震による死者は47人になりました。引き続く「余震」や困難な生活によって避難している人々の不安は高まっています。このようなときには、何よりも不安を和らげ、安心してもらうことが必要です。
 しかし、政府はオスプレイを投入することによって新たな不安を生み出しています。また、東日本大震災のときと同様に、いつ原発事故が起きるか分からないという不安を与えています。
 「現場の気持ちが分かっていない」という蒲島県知事による批判は、安倍政権のあらゆる地震対応に対するものだと言うべきでしょう。安倍政権は自らの政治的な思惑や都合を優先しているために、被災者の気持ちに寄り添った発想や対応が欠落してしまうのです。

 地震のどさくさに紛れ、危機状況や人々の不安を利用して自らの政治目的を達成しようなどという「ショック・ドクトリン」はきっぱりと捨てるべきです。雑念や思惑を捨てて、被災者の救助・救援、安全と安心の回復のために全力を尽くしてもらいたいと思います。
 前回のブログに書いた最後の言葉を、もう一度、安倍首相に言いたいと思います。
 人の不幸をダシにして特定の政治目的を正当化したり達成したりしようとするなどというのは、人間として許されることではありません。被災者のことだけを考え、その救助・救援に全力をあげてもらいたいものです。

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4月17日(日) 「熊本大震災」に対する救助・救援と川内原発の即時稼動停止を [災害]

 気象庁は4月14日午後9時26分に熊本県で発生した最大震度7の地震を「平成28年(2016年)熊本地震」と命名しました。しかし、これは「前震」にすぎず、16日未明の1時25分にマグニチュード7.3の大きな地震が起きました。
 実はこれが「本震」で、阪神・淡路大震災に匹敵する規模だといいます。被害はさらに広がり広範囲に及んでいますので、一連の地震をまとめて「熊本大震災」と言うべきではないでしょうか。

 地震はその後も続き、震源は東北の大分県や南西方向にも広がりつつあります。交通・通信は途絶し、電気や水道などのライフラインも分断され、降雨などの悪条件も重なっています。
地震そのものは避けられませんが、被災の規模は縮小することができます。そのために被災者の捜索や救出活動を急ぎ、行政には救助や救援に万全の対応を求めたいと思います。
 私は子供のころ新潟地震を経験し、義理の甥が熊本大学で研究していて今回の地震に遭遇しました。幸い連絡が取れて無事が確認されホッとしていますが、東海大学の学生にも犠牲者が出たということで心を痛めています。

 今回の「熊本大震災」も、本当の危機は自然災害にあるということを教えてくれました。自衛隊が「自衛」するべきは、軍事ではなく災害なのです。
 北朝鮮が中距離弾道ミサイルの発射に失敗したと伝えられたその時、日本は大きな地震に見舞われ何十人もの死者を出しました。真の危機は、空の上からではなく地下からやって来たのです。
 このような地震、台風、大雨、洪水などの自然災害による死傷者は毎年のように出ています。このような災害にこそ自衛隊は対処すべきなのであり、「防衛省」は「防災省」にその名前と役割を変更するべきではないでしょうか。

 国の地震調査委員会によれば、14日の震度7の「前震」は日奈久(ひなぐ)断層帯で起きたとされています。その南西方向には現在唯一稼動している九州電力川内原発があります。
 また、16日未明の「本震」は布田川(ふたがわ)断層帯で起きており、さらにその北東方向には四国電力伊方原発が存在しています。そのすぐ近くには、「地震の巣」とも言うべき中央構造線が走っています、
 今回の地震で鉄道や道路などは大きな被害を受け、原発での事故が起きても避難することができません。これらの原発周辺で新たな地震が発生する危険は否定できず、もし原発で事故が起きたら大変な事態になります。

 「熊本大震災」は、地震などによって生ずる原発事故後の避難計画が「絵に描いた餅」にすぎないということを明らかにしました。交通手段の被害と混乱によって周辺住民の避難はほぼ不可能です。
 そうならないように、川内原発の稼働を即時中止するべきでしょう。現在準備が進められている伊方原発の再稼動などとんでもありません。
 そもそも、地下に活断層が張り巡らされたような日本列島に、これほど多くの原子力発電所が存在していることが間違いなのです。稼動していなくても電気の供給に問題がなかったのですから、周辺住民の不安を取り除くためにも、一日も早く原発ゼロを実現することが必要です。

 被災者らの不安をよそに、ネットなどではヘイトスピーチのような悪質なデマが飛び交っているそうです。また、菅官房長官は15日の記者会見で「今回のような大規模災害が発生したような緊急時に、国民の安全を守るために国家や国民がどのような役割を果たすべきかを、憲法にどう位置づけるかは極めて重く大切な課題だ」と述て、緊急事態条項の必要性に言及しています。
 いずれも、地震のどさくさに紛れての許されない言動だと言うべきでしょう。正しい情報の発信と入手こそが必要なのであり、政治的な思惑を離れて災害対策に全力を傾注することこそ官房長官としてのあるべき姿です。
 人の不幸をダシにして特定の政治目的を正当化したり達成したりしようとするなどというのは、人間として許されることではありません。被災者のことだけを考え、その救助・救援に全力をあげてもらいたいものです。

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3月11日(火) 政治の資源を無駄遣いせず震災復興と原発事故対策に全力を [災害]

 あれから3年が経ったことになります。今朝のNHKニュースに名取市の閖上地区が映りました。
 社のある小高い丘の上には、震災1年後の春に私も行ったことがあります。テレビの映像では、未だに周辺は更地のままでした。

 3年前の今日、日本は未曾有の大災害に見舞われました。しかも、その大災害は一つではありませんでした。
 東日本大震災という巨大な地震だけでなく、それに伴って発生した大津波という自然災害がありました。これに、福島第1原発事故という人災が加わりました。
 地震や津波は、日本という国土の成り立ちからすれば避けられない天災です。しかし、原子力発電所が引き起こした災害は、歴代内閣が原発を建設してこなければ避けられたものであり、明確な人災です。

 このような天災と人災の複合によって生じたのが東日本大震災でした。これによる犠牲者は警察庁の10日現在のまとめで、死者1万5884人、行方不明者2633人の計1万8517人に上ります。
 避難生活での体調悪化や自殺などで亡くなった「震災関連死」は、福島、宮城、岩手3県のまとめで1年前より438人増の2993人に上っています。避難生活を強いられている人は、現在でもなお約26万7000人で、仮設住宅には約10万4000世帯が暮らしているそうです。
 福島第1原発の事故のために、福島県では今もなお13万人超が避難生活を余儀なくされています。原発がなければ、これほどの大規模な避難は必要とされなかったでしょう。

 安倍首相は政府の復興対策に関して、「遅れた復興が大きく動きだした1年になった」と述べました。しかし、大震災からの復旧・復興は道半ばというよりも、遅々として進んでいないというべきでしょう。
 今日の『朝日新聞』には、「復興住宅 入居1%のみ」という記事が出ていました。『産経新聞』ですら、「東日本大震災で住まいをなくし、自力で家を再建するのが難しい住民向けの賃貸住宅「災害公営住宅」について、岩手、宮城、福島の被災3県の沿岸自治体で、平成30年までに計2万3552戸の建設が計画されているものの、今年3月末時点で完成するのは全体の9.1%、2144戸にとどまる」と報じています。
 原発事故も収束にはほど遠く、事故の原因は未だに不明で高濃度汚染水のタンクからの漏出が続いています。

 どうしてこれほど対策が遅れているのか、と怒りを覚えます。「遅れた復興が大きく動きだした」などというのも、汚染水が完全にコントロールされているというのも、どちらも真っ赤な嘘ではありませんか。
 政府は一体何をやっているのでしょう。真剣に災害復旧・復興に取り組み、原発事故対策に全力を挙げていると言えるでしょうか。
 このようなときに、国土強靱化を掲げた大型公共事業やオリンピック準備のための建設工事で復旧・復興の足を引っ張るべきではありません。周辺諸国と協調し支援を仰ぐべき時に、いらざる摩擦を生み緊張感を掻き立てるようなことをするべきではないでしょう。

 国民の団結を強め、震災復旧や原発事故対策に全力を注ぐべき時に、「安倍色」の強い対立法案を出して国会審議を混乱させ時間を空費させるなどもってのほかです。
 今の日本には、余計なことに政治のエネルギーや時間、お金を割いている余裕はありません。大震災3年に当たって改めて、政治の資源を無駄遣いせず、震災復興と原発事故対策に全ての力を注ぎ尽くすことを強く求めたいと思います。

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3月11日(日) あの日から1年 [災害]

 あの日から1年になります。日本中が大きな衝撃と哀しみに沈んだあのときから……。
 2万人近い人々が犠牲になりました。今でも、多くの人が避難を余儀なくされ、将来の見通しを持てないでいます。

 東日本大地震が発生したとき、私は研究所におりました。例年通り、『日本労働年鑑』の編集作業に従事するため、編集室のパソコンの前に座っていました。
 カミさんは自宅の居間で、テレビの前にいたそうです。春休み中だった娘も、たまたま在宅していました。
 そのときです。大きなゆっくりとした揺れが、研究所にも八王子の自宅にも伝わってきたのは……。

 急いで自宅に電話したら、一瞬だけ繋がり、皆の無事が確認できました。幸い、私どもにはほとんど被害はありませんでした。
 しかし、急いでスイッチを入れたテレビに映し出された光景には息を呑みました。大きな舌のようになった、どす黒い水の固まりが仙台平野を呑み込んでいく姿が映し出され、押しつぶされたビニールハウスや家、自動車などが流されていく様子が見えたからです。
 電車が止まり、都心は大混乱していましたが、研究所周辺のバスは通常に走っていたため、私は普段よりも早く家に帰り着いたほどです。この時、あれほど大きな悲劇が日本を襲っていたとは、私は全く気がつきませんでした。

 これが、昨年の東日本大震災が発生したときの私でした。ほとんど被害らしい被害はありませんでしたが、それでも一年後のこの日を普通に自宅で過ごすわけにはいかないと考え、我が家から一番近い井の頭公園での集会に出ることにしました。
 大勢の皆さんと一緒に大震災の犠牲者を弔い、原発事故に苦しむ人々の心に寄り添いながら脱原発に向けての意思を表明したいと思ったからです。このような思いを持った人々8000人が集会に集まりました。
 ただ、午後2時46分の黙祷が、演説の途中になってしまったのは残念でした。時間は始めから分かっていたのですから、もっと集会の運営をきちんとやって、黙祷が中途半端にならないように配慮するべきだったでしょう。

 久しぶりに、デモ(パレード)にも加わりました。「法政大学同窓生9条の会」というオレンジ色の旗が目に入りましたので、そちらに向かったら、旧知の加藤さん達がおられました。
 その後ろに加えてもらい、吉祥寺まで歩きました。これはほんのささやかな意思表示にすぎませんが、それでも私なりの追悼と抗議の一日でした。

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6月18日(土) 原発は放射能による汚染と犠牲を前提にしたシステムだった [災害]

 福島第一原発内に大量にたまった高濃度の放射能汚染水を浄化する装置の稼働が始まったそうです。浄化した水を再び原子炉内に戻して燃料を安定して冷却するシステムが動き出しました。

 「これで『循環冷却注水』が始まったから、もう大丈夫」と早合点してはなりません。この浄化装置は試運転でトラブル続きでしたから、これからも順調に運転されるかどうかは分かりません。
 それに、大きな余震などで水の循環がストップするかもしれません。そうなれば、また原子炉は暴走を始めるでしょう。
 そのうえ、放射能汚染水から除去された高レベル廃棄物をどのように処理するのかも不明です。これについての法律がないというのですから。

 このように、原発には常に放射能による汚染の問題がついて回ります。それをどう防ぐのか、どのように処理するのかという問題について、これまであまりに無頓着でありすぎたのではないでしょうか。
 昨日の『毎日新聞』夕刊の「特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ!」で、「『犠牲の仕組み』転換を」と題して哲学者の高橋哲哉さんが次のように語っていました。

 「被ばく覚悟で作業をする人が求められるのは、事故など危機のときだけじゃない。定期検査や大小のトラブルが発生したときなど平時にも必要です。彼らは、あらかじめ組み込まれた犠牲です。さらには、燃料となるウランを採掘している海外の現場では放射能汚染による先住民の被害が問題になっていますし、放射性廃棄物の最終処分のあり方についてはまだ誰も確信をもって見通せない。そこにも犠牲が生まれる」

 ここで高橋さんは「燃料となるウランを採掘している海外の現場では放射能汚染による先住民の被害が問題になっています」と述べていますが、これには放射性残土の問題も含まれています。ウランを含有する土には、ウランだけでなくトリウム、ラジウムなども含まれ、肺がんや骨肉腫などの原因になるからです。
 鉱山で採掘された鉱石は精錬工場に運ばれ、細かく砕かれて水で洗われ、濃硫酸やアンモニア等の薬品によってウランが精製されます。その時に出る鉱滓は池に貯められたり野積みにされ、洪水によって周辺の湖や川に流れ込んだり、乾くと埃となって飛び散って広範な土地を汚染します。
 現在、世界では14カ国がウランの採掘を行っていて、100万トン以上が採掘され、残土は16億8000万トン以上に上るといいます。国連科学委員会は人類の最大の被曝源はウラン鉱山の鉱滓にあると指摘しているほどです。

 このように、放射能汚染は、ウラン鉱石の採掘とその残土、定期点検での整備や清掃、廃棄物の最終処分などの時点で、つまり、最初から最後までついて回る大きな問題でした。そのいずれにおいても、被ばくの危険性は避けられなかったのです。
 その意味では、高橋さんが言われるように、原発は「犠牲を組み込むことでしか動かないシステム」でした。その「犠牲」とされたのは、ウラン鉱石の採掘場近くに住む先住民であり、原発の最下層で働く「原発ジプシー」と呼ばれた人々であり、原発を押し付けられた過疎地の農民や漁民などです。
 そして、今やその「犠牲」は都市に住む人々をも巻き込んでしまいました。被害を受け脅威にさらされているのは一部の「マイノリティー」ではなく、その範囲さえ定かではない「マジョリティー」に転化しつつあります。

 放射能汚染の種類と範囲がどれほどの広さに及んでいるかは、今もって不明です。汚染度の高い「ホットスポット」が、どこにどのようの存在しているかもはっきりしていません。
 最近では、東京の汚水処理場での高濃度汚染水が注目を集めています。都内2か所の下水処理場で汚泥を集めて焼却し、東京湾に埋め立てるなどしている灰から高レベルの放射能が検出されたと言います。
 このような放射能で汚染された物質について、自治体は勝手に除去等を命ずることができません。それをどのように処理するかが大きな問題になっています。

今後、このような問題は更に拡大するでしょう。福島第一原発の「循環冷却注水」が始まったからといって、放射能汚染物質の放出が完全になくなったわけではありませんから。
 原子炉の暴走を抑えることと、放射性物質の放出を停止させることは、関連していますが別のことです。放出をなくすために原子炉全体を覆う作業は、ようやく始まったばかりです。
 放射能との闘いは、これからも続くことになるでしょう。それがどれほどの被害をもたらしたのかは、何十年も経ってみないと本当のところは分からないという点に、放射能の怖さ、恐ろしさがあると言うべきでしょうか。

 放射能に汚染された残土などの処理について、「原発はクリーンで安全だ」と言い続けてきた人々に責任を取ってもらうというのはどうでしょうか。放射能汚染残土を東電本社の地下室に保管するとか、自民党本部の前庭に積み上げればいいんです。
 経済産業省や原子力安全・保安院の施設や経団連の建物なども、汚染残土の保管場所の候補地になりうるでしょう。何しろ、「クリーンで安全」だと、請け合ってきたのですから……。

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5月7日(土) 浜岡原発の原子炉の運転停止は当然だけれど [災害]

 昨日、菅首相は記者会見を開いて、現在稼働中のものを含めて「浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止を、中部電力に対して要請」したことを明らかにしました。記者会見での該当部分は、次のようになっています。

国民の皆様に重要なお知らせがあります。本日私は内閣総理大臣として、海江田経済産業大臣を通じて浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止を、中部電力に対して要請を致しました。その理由は何といっても、国民の皆様の安全と安心を考えてのことであります。同時に、この浜岡原発で重大な事故が発生した場合には、日本社会全体に及ぶ、甚大な影響もあわせて考慮した結果であります。文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%ときわめて切迫しております。こうした浜岡原子力発電所のおかれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を、確実に実施することが必要です。国民の安全と安心を守るためには、こうした中長期対策が完成するまでの間、現在定期検査中で停止中の3号機のみならず、運転中のものも含めて、すべての原子炉の運転を停止すべきと私は判断を致しました。浜岡原発では、従来から、活断層の上に立地する危険性などが指摘をされてきましたが、先の震災と
それに伴う原子力事故に直面をして、私自身、浜岡原発の安全性について、様々な意見を聞いてまいりました。その中で、海江田経済産業大臣とともに、熟慮を重ねた上で、内閣総理大臣として、本日の決定を致した次第であります。(以上、引用終わり)

 浜岡原発の運転停止は当然です。菅首相としては「大英断」であると高く評価できるでしょう。
 菅さんも述べているように、大地震が発生する可能性は高く、浜岡原発は予想されている東海地震の震源域の真ん中で、しかも活断層の上にあって地盤は脆弱だとされています。もともと、このようなところに作るべきではなかったものですから、稼働停止は当然です。
 いつ、東北大震災と福島原発事故と同じようなことが繰り返されてもおかしくないというのが現状です。菅首相の決断は、国民の生命と安全に責任を負うべき一国の首相として、当然の判断だったと言うべきでしょう。

 ただし、菅首相の発言は、「想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を、確実に実施することが必要」だとし、「こうした中長期対策が完成するまでの間、現在定期検査中で停止中の3号機のみならず、運転中のものも含めて、すべての原子炉の運転を停止すべき」だというもので、将来的には再稼働する可能性を残しています。経済産業省原子力安全・保安院は、浜岡原発の停止期間を「おおむね2年程度」との見通しを示し、2年後の再開を示唆しました。
 このような場所に、このような危険なものの存在は許されません。完全に廃炉にするべきでしょう。
 浜岡原発だけでなく、他の原発も、できるだけ早く稼働停止にして廃炉にするべきです。再生可能で危険性の少ない自然エネルギーへの転換を前提としたエネルギー政策へと転換するべきでしょう。

 しかし、現実には、そうなっていません。今日の『東京新聞』は、「原発の緊急安全対策を進めて『安全宣言』を早期に行うことで既設の原発からの電力供給を確保し、2030~50年には『世界最高レベルの安全性に支えられた原子力』をエネルギー政策の3本柱の一つとするとした、経済産業省の内部文書が明らかになった」と報じています。
 エネルギー政策は、基本的に変わっていないということです。うがった見方をすれば、「安全宣言」をして「既設の原発」を救うために、最も危険であるとされている浜岡原発を犠牲にしたという見方も可能です。
 浜岡原発の稼働停止を打ち出すことによって、他の原発の稼働を維持できるようにし、同時に、国民の喝采を浴びて政権基盤を強めようと考えたのかもしれません。今回の「英断」は、菅首相の「高等戦略」なのかもしれないのです。

 ここで考えなければならない問題があります。原発は、安全であれば、その存在が許されるのか、という問題です。菅さんの発言からすれば、浜岡原発も「中長期対策が完成」して安全性が確保されれば、その可動は許されるということになります。
 また、福島原発の放射能事故についても、制御が不能になったのは「想定外」の巨大な津波が発生したためで、大地震そのものには耐えることができた、つまり地震に対しては安全だったという主張があります。このような主張は正しいのでしょうか。
 吉井英勝共産党衆院議員は4月27日の衆院経済産業委員会で、地震による受電鉄塔の倒壊で福島第1原発の外部電源が失われ、炉心溶融が引き起こされたのではないかと追及し、経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は、倒壊した受電鉄塔が「津波の及ばない地域にあった」ことを認めました。東京電力の清水正孝社長は「事故原因は未曽有の大津波だ」と述べていましたが、これは大嘘で、全電源喪失・炉心溶融に至った原因は鉄塔1基が倒壊したことによるもので、その原因は津波ではありませんでした。

 それでは、地震対策を充分にすれば、原発の稼働は許されるのでしょうか。福島の教訓を生かして原発の安全性を画期的に高めれば、地震にも耐えられ、津波が来ても大丈夫だという意見もあります。
 フランスやアメリカが、福島原発事故対策に深く関わろうとした目的はここにあります。福島の教訓を安全対策に生かせれば、今後、原発の推進や外国への売り込みにプラスになると考えているからです。
 今回の福島での原発事故によって、「安全神話」が崩壊したことは事実です。しかし、それを強調するだけでは、「安全神話」の再確立を手助けし、原発への逆風ではなく追い風を生み出しかねません。

 「福島の教訓」を踏まえて「世界最高レベルの安全性に支えられた原子力」を売り込もうとする経済産業省の内部文書は、このような目論見を明瞭に物語っています。そのようなことは許されるのでしょうか。

 ということで、この続きは、また明日。


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4月15日(金) 造って儲け、壊してさらに大儲け [災害]

 「廃炉ビジネス」というのだそうです。福島第一原発の1~4号機の廃炉は確定的ですが、その仕事をどこが受注するかという競争が始まっているようです。

 原子炉を造るためにも多くの資金が必要です。その工事を受注することは、国際的な巨額の「原発ビジネス」になっています。
 昨年、韓国やフランスと競合したベトナムの原子力発電所建設プロジェクト第2期事業で、日本はパートナーに内定しました。日本は原発建設の受注とともに港湾設備などに790億円の借款を供与して原発関連技術を提供するそうです。
 これは日本が新興国の原発建設を受注した事実上初めてのケースになります。その規模は1兆円にのぼるといいます。

 一昨日(4月13日)の衆院外務委員会の理事会は、「日本・ヨルダン原子力協定」の承認について採決を見送ることを決めました。この協定は、ヨルダンの原発建設計画に日本企業が参加して「原発ビジネス」の展開を可能にするものです。
 福島第1原発の放射能漏れ事故が「レベル7」となった翌日でした。こんな日に、さすがに原子力についての協定を承認することはできなかったようです。
 あらためて慎重に審議すべきだとの意見が出されたそうですが、各国に原発を売り込む国際ビジネスそのものを見直すべきでしょう。

 今回の福島第一原発の廃炉は、最低でも10年かかり、1兆円近くの費用が必要だといいます。造るのに1兆円以上、放射能汚染事故を起こして、無くすのに、また1兆円。
 都合2兆円以上が、関係する企業の懐に入るというわけです。周辺住民に深刻な放射能被害をまき散らしたにもかかわらず……。
 最悪の事故であればあるほど、その後始末に巨額のお金がかかります。そしてそのお金は、このような仕事を受注した企業を潤すことになるわけです。

 ビジネスとしての原子力産業に大きな旨味があるのは、原発が事故を起こしてさえ、巨大な利益を生むからなのかもしれません。ここには、人々の不幸までも食い物にし、ビジネス・チャンスにしてしまう資本のどん欲さが余すところなく示されていると言うべきでしょう。

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4月6日(水) 復興財源は「有るところ」から取るべきだ [災害]

 ソフトバンクの孫正義さんは100億円だそうです。楽天の三木谷社長とファーストリテイリングの柳井社長は10億円だといいます。
 震災復興のために、金持ちが身銭を切って募金するのは、当然とはいえ高く評価したいと思います。これに続く金持ちや資産家が続々と現れることを願っています。
 東京電力の清水正孝社長の年収は$8.9 million=約7億4000万円(1ドル53円で換算した場合)だそうです。真っ先にこれを差し出すべきでしょう。

 売名や偽善でも良いんです、お金さえ出してもらえれば。お金には、悪意や善意、黒や白の色が付いているわけではないのですから……。
 でも、個人の善意や募金だけでは足りません。復興のための資金には何十兆円もかかるでしょうから……。
 その資金をどのようにして調達するのか。ただでさえ、国債などで膨大な借金を抱えている日本の財政ですから、これは大きな問題です。

 『朝日新聞』4月5日付の「声」欄に、注目すべき投書が掲載されていました。「政党助成金も復興資金にせよ」というものです。
 毎日新聞編集員の牧太郎さんも、「政党助成金を災害復旧に使え!」とブログhttp://www.maki-taro.net/index.cgi?e=1435で書いていました。なかなかのアイデアだと思います。
 政党助成金の導入によって廃止されるはずだった企業・団体献金は今も続いていますし、民主党まで再開しましたから、政党助成金がなくなっても困ることはないはずです。共産党は、元々政党助成金の受け取りを拒否していますし……。

 しかし、政党助成金は約320億円ですから、それだけだけではとうてい足りません。どうしたらよいのでしょうか。
 と、この日の『朝日新聞』の隣の面を見たら、「3.11 復興財源は」という特集が組まれていました。中でも目を惹いたのが、「決算剰余金 寝かさず使え」という飯塚正史会計検査院官房審議官の提案です。
 「10年度の決算剰余金約30兆円を財源にする」というものです。10年度の決算剰余金は本来なら12年度に使われるものですが、1年も寝かしておかず11年度に使い、「11年度をもって前々年度方式を前年度方式に変えれば、サイクルを変えた11年度だけは、従来の09年度分と修正後の10年度分がダブるので、片方が自由に使えるという理屈」なのだそうです。

 いいじゃ、ありませんか。その辺のオジさんが、飲み屋で思いつきを話しているのではなく、会計検査院官房の審議官が天下の朝日新聞で提案しているのです。
 この案を採用すれば、「特別会計上の目的を外す立法」だけで、30兆円もの財源が生まれることになります。ぜひ真剣に検討してもらいたいものです。
 とはいえ、財源をひねり出すのは「官」だけでよいのでしょうか。この際、「民」も一肌脱ぐべきではないでしょうか。

 というのは、「民」にも潤沢な資金が眠っている倉があるからです。無いのであればしょうがありませんが、資金が有るのに、それを活用しないというのではもったいない。
 その眠っている資金とは何でしょうか。そうです。大企業が保有している内部留保です。
 「イザ」というときのために日頃から準備してある予備的資金で、当面、何かに使うという予定があるわけではありません。だから眠っている、別の言い方をすれば「死んでいる」資金ですが、これを使うのは、まさに「イザ」と言うべき今ではないでしょうか。

 この内部留保は、総額で244兆円にもなると試算されています。いくら私でも、その全てを召し上げろなどという乱暴なことは申しません。
 その一部で良いんです。わずか1%の税金をかけただけでも、国庫に入る収入は2兆4400億円になります。消費税並みの5%の税率なら、12兆2000億円です。
 決算剰余金約30兆円に加えて内部留保への5%税で40兆円以上の財源が生まれます。1年分の国家予算のほぼ半分に当たりますから、これだけあれば充分でしょう。

 復興財源は、無いところから取るのではなく、有るところから取るべきです。復興のための増税によって景気が悪化し、逆に復興の足を引っ張ってしまうなどという愚策は断じて避けなければなりません。

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