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6月6日(土) 『朝日新聞』が報じた重要な記事のいくつか [マスコミ]

 昨日の『朝日新聞』には、重要な記事が満載されていました。私の目を引いた記事のいくつかを紹介してコメントすることにしましょう。

 第1に、昨日のブログでも取り上げた憲法審査会での参考人質疑についての続報です。4面に掲載された記事には、「戦争参加するなら『戦争法』」「集団的自衛権『範囲不明』」「『安保法制審議に影響』自民幹部」などの見出しが出ています。
 これは政府・自民党にとってはオウン・ゴールとも言うべき失態で、「戦争法案」の審議にとっては大きな痛手となるでしょう。菅官房長官は大慌てで「『違憲じゃない』という憲法学者もいっぱいいる」と火消しを図り、他方、小林慶応大名誉教授は「日本の憲法学者は何百人もいるが、(違憲ではないと言うのは)2、3人。(違憲とみるのが)学説上の常識であり、歴史的常識だ」と言い切ったと、『朝日新聞』は報じています。
 菅官房長官の言うように、「『違憲じゃない』という憲法学者もいっぱいいる」のであれば、そのうちの1人を参考人にすれば良かったはずです。小林さんの言うように、「(違憲ではないと言うのは)2、3人」しかいないから、適当な人が見つからなかったのではありませんか。

 第2に、安倍晋三首相と岸信介元首相との関係についての記事です。これは「70年目の首相」という連載記事で、今回は「祖父批判への反発が原点」という見出しがついています。
 この記事では、「安倍にとって、不在がちの父晋太郎の代わりに、祖父の岸信介の方が身近な存在だったようだ」「安倍は『安倍晋太郎の息子』より、『岸信介元首相の孫』だった」などという記述があります。安倍晋太郎さんは父親の安倍寛に近かったと見られていますが、その息子の晋三は反軍派でリベラル、三木武夫の親友だった寛より東条内閣の閣僚で旧満州国の高級官僚だった信介の方が身近だったというわけです。
 この記事には「家族だんらんを楽しむ安倍家」の写真が掲載されており、「安倍晋太郎氏(左)が抱いているのは次男の晋三氏。洋子夫人の前は長男の寛信氏」というキャプションがついています。この晋三さんのお兄さんの寛信という名前は、父方の祖父・安倍寛と母方の祖父・信介の二人から一字ずつ取ったものだと思われますが、この方は兵器産業として名高い三菱重工と深い関係にある三菱商事の元執行役員で、三菱商事パッケージングの社長さんです。
 このことが安倍首相の目指す「死の商人国家」とどのようなかかわりがあるのか、極めて興味深いものがあります。これからの連載では、この点についても取り上げて解明していただきたいものです。

 第3に、この面の下の方に出ている囲み記事です。これには「自衛隊員の『戦死』と『殉職』、違いは?」という見出しがついています。
 これに対する答えでしょうか。もう一つの見出しは「戦争中か業務中か。戦死は殉職に含まれる」というもので、「『殉職』にあたる公務災害で亡くなった隊員は、警察予備隊ができた50年から2015年3月まで1874人います」としつつ、「しかし、今回の安全保障関連法案を巡って指摘されているのは、自衛隊員が結果的に他国の軍隊やテロリストと戦うことになり、命を失わないかという意味でのリスクです」と指摘し、「『殉職』と『戦死』を同じように考えていいのかどうか、議論のあるところです」と回答しています。
 「殉職」は訓練や演習などで亡くなった人ですから「戦死」とは異なります。戦争での「リスク」は「命を失う」ことだけでなく「命を奪う」ことでもあるからです。
 このような「殺し、殺される」リスクを負う必要がなく、戦死者が1人もいないということには極めて大きな意味があります。殉職者と戦死者を同一視する安倍首相の答弁は、このような意味を全く理解していないものだと言うべきでしょう。

 第4に、この日の『朝日新聞』の18面下の「社説余滴」という欄です。ここには、「親米改憲と反米護憲」という村上太輝夫国際社説担当記者の署名入りの記事が掲載されています。
 村上記者は、二つのことを指摘しています。一つは「米国が日本において安全保障上の要請を優先させるようにな」り、「日本で親米改憲が勢いづく」ことになっていること、もう一つは、「自民党が3年前に発表した憲法改正草案は、第9条の2に『国防軍』を明確に規定する一方、人権に関する条文では『公益及び公の秩序に反しないように』と制限を設けて」おり、「この部分が中国の現行憲法と似ている」ことで、「中国の脅威を口実に、日本国内を中国のように圧迫しては元も子もないと思うのだが」と警告しています。
 アメリカが作った「戦後レジームからの脱却」をめざし、「押し付け憲法」だとしてその改正を掲げている安倍首相ですが、それは「親米改憲」、もっとはっきり言えば「従米改憲」であり、中国の脅威を掲げて実現しようとしているのは中国のような「圧迫」だというのですから、まことに皮肉なパラドクス(逆説)だというしかありません。これこそ安倍首相が陥っている究極のジレンマであり、「右翼の民族主義者」ならそれらしくアメリカに文句の一つも言ったらどうか、辺野古の新基地建設に反対している沖縄の人々と共にキャンプ・シュワブのゲート前で座り込んだらどうか、と言いたくなります。

 第5に、この隣の19面にある保守派の論客とされる佐伯啓思さんの「異論のススメ」です。この論攷には「日米同盟の意味 日本にあるか米国の覚悟」という見出しがついています。
 ここで佐伯さんは、「可能な範囲でできるだけアメリカの『世界戦略』に協力すべきだという」安倍首相の「積極的平和主義」を取り上げ、「日米同盟の基礎は、日米両国の価値観の共有にある」としている点について、「本当にそうであろうか」と疑問を呈したうえで、「アメリカの価値観は、ただ自由や民主主義や法の支配を説くだけではなく、それらの価値観の普遍性と世界性を主張し、そのためには先制攻撃も辞さない強力な軍事力の行使が正義にかなうとする」として、「そんな覚悟が日本にあるのだろうか。その前に、果たしてこの種の価値観を日本は共有しているのであろうか」と問題提起しています。そして、日米同盟の意味を改めて問い直し、日本独自の「世界観」や「戦略」を持たなければ、「日本はただアメリカの戦略上の持ち駒となってしまいかねないであろう」と警告しています。
 思想的な立場は異なるとはいえ、ここでの佐伯さんの問題提起と警告には私も同感です。「簡単に言えば、アメリカ流儀の自由や民主主義によってアメリカが世界秩序を編成すべきだ、という」価値観を共有する覚悟は日本にはなく、またそのような覚悟を共有してはなりません。ベトナム戦争やアフガン・イラク戦争をはじめ、グラナダやパナマへの先制攻撃など、アメリカが犯した数々の過ちの根源にあるのが、このような「価値観」だからです。
 安倍首相は、そのような価値観が「正義」にかなうものではないことが明らかになっているのに、それを実行する力を失ったアメリカの強い要請に応じて、日本独自の「世界観」も「戦略」もなしに、「価値観の共有」と「積極的平和主義」を打ち出しているにすぎません。それは佐伯さんが警告しているように、「ただアメリカの戦略上の持ち駒となってしまいかねない」危険な道であると言うべきでしょう。

 第6に、この面の上に掲載されている「米歴史家らの懸念」と題された米コロンビア大学教授のキャロル・グラックさんへのインタビュー記事です。「史実は動かない 慰安婦への視点 現在の価値観で」という見出しが出ているこの記事は、「日本の歴史家を支持する声明」についてのものです。
 この声明への賛同者は、5月下旬には約460人となっているそうですが、これをまとめる中心になったグラックさんの発言で私が注目したのは以下の三点です。第1に、「慰安婦問題は過去にほぼ解決していた」にもかかわらず、「安倍首相が河野談話を検証し、見直す趣旨のことを言い始めたため、問題が再燃した」ということ、第2に、「価値観は時間を経て変化しますが、事実は変わりません。……史実を否定するのではなく『今だったらしない』と認めることが大切」だということ、第3に、「安倍首相がソウルで慰安婦像に献花をすれば、いったいだれが批判できるのですか」ということです。
 要約すれば、従軍慰安婦問題を再燃させた安倍首相は史実を直視し、「象徴的な行動」をとるべきだというわけです。ここで例として出されているのは「西ドイツのブラント元首相が70年にワルシャワの記念碑の前でひざまずいた」ことですが、この姿はレリーフに刻まれて残されており、私もワルシャワのユダヤ人収容地・ゲットー跡地の記念碑を訪れたとき目にしました。

 慰安婦問題だけでなく、侵略戦争や植民地支配などの問題をほじくり返して再燃させ、周辺諸国との緊張を激化させたのは安倍首相です。その責任を取るべきでしょう。
 「戦争法案」や「戦後70年談話」などについても、歴史的な文脈や世界観、日本独自の戦略などの視点から十分に検討されなければなりません。グラックさんは「政治的に賢い行動を期待しています」と述べていますが、果たして安倍首相はこの期待に応えられるだけの「賢さ」を持ち合わせているのでしょうか。

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4月24日(金) なぜテレビは政治を正面から報じないのか(その3) [マスコミ]

〔下記の座談会は、『前衛』No.922、2015年5月号、に掲載されたものです。出席者は、五十嵐仁(法政大学元教授)、岩崎貞明(放送レポート編集長)、砂川浩慶(立教大学准教授)、永田浩三(武蔵大学教授)の4人ですが、私の発言部分だけを3回に分けてアップします。他の方の発言を含めたやり取りをお知りになりたい方は掲載誌をお読みください。〕

 五十嵐 その結果として、権力に対する批判が弱まったり、権力に同調したり、迎合したりということにもなるわけですね。あるいは安倍さんがしばしば登場することで、なんとなく親しみを感じてしまうということになる。それがもたらしている効果こそが、「高い内閣支持率の秘密」ではないでしょうか。個々の政策課題では反対が多いにもかかわらず、「安倍内閣を支持しますか」と聞かれると、なんとなく「支持する」と答えてしまう。三月のNHK世論調査では八ポイント落ちましたが、それでも四六%の支持率です。
 もう少し詳しく言えば、昼間テレビを見ている人たちの政治意識に大きな影響力を行使している結果ではないか。世論調査の手段として用いられるのは固定電話で、その調査に答えることができるのはだいたい在宅している人です。昼間家にいるということになると、多くは高齢者や主婦です。これらの人はテレビの視聴時間も多い。そのテレビでは、安倍さんの露出が多く、あまり政府に対する批判もなく、よくやっているかのような形で報じられる。「まあいいんじゃないの」という感覚的、ムード的な内閣支持の意識がつくられる。
 まず、内閣を支持していますか、いませんかということを聞くから支持率が高くなるという見方もあります。個々のテーマについて賛否を聞いてから、最後に「では、このような政策をおこなっている安倍内閣を支持しますか」と聞けば、もっと不支持が多くなるだろうというわけです。

 五十嵐 原発関連の報道では、3・11以後、やはり変わったと思います。原発事故、放射能被害が具体的な形で現れたわけですから、もう簡単に肯定するわけにはいかなくなった。もちろん、すべてが変わったわけではありませんが、一部には、それまで自分たちがおこなってきた放送内容について反省するような動きもあったと思います。それが原発再稼働反対、脱原発という運動の報道や世論のあり方にも反映されているのではないでしょうか。
 沖縄の問題もそうですが、世論と報道との相互関係、フィードバックが重要だと思います。マスコミがきちんと報道し、それに世論が反応し、またそれに対応する形でマスコミの報道も変わっていく。沖縄の例で言えば、「琉球新報」の世論調査では新基地反対が八〇%、安倍内閣支持率では支持しないが八一%という高率です。そこには、このような世論と報道との相互の関係が生まれているのではないかと思います。
 いまのままだと「テレビ離れ」がどんどん進んでいってしまいます。では、信頼を回復するためにどうするか。テレビ界にかかわる人たちがもっと真剣に考えなければなりません。インターネットは強力な競争相手ですが、問題も多いのははっきりしています。
 そういうなかで、よい報道をどう育てていくかは視聴者・国民の側の課題でもあります。情報リテラシー、メディアリテラシーという、報道される内容や番組、情報について判断する力を身につけ、よい番組を見て評価し、悪い番組は見ないようにする。あるいは、感想や意見を直接テレビ局などに伝える。そういうなかで、良心的な、まともなテレビ人、報道人を育てていく。視聴者の側からの働きかけで気概のあるジャーナリストを育成するということも必要なのではないでしょうか。

 五十嵐 テレビなどを見て、局に電話やメールをパッと送るという人もいると思います。その場合、文句をいったり批判したりすることは多いのですが、よいということをメールするようなことはあまりしない。よい番組については「よかった」という評価をきちんと伝えることが、良心的なディレクターや制作者を励ますことになり、これらの人々を守ることにもなる。そういうことも意識的にやってもらいたいと思います。

拙著『対決 安倍政権―暴走阻止のために』(学習の友社、定価1300円+税)刊行中。
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4月23日(木) なぜテレビは政治を正面から報じないのか(その2) [マスコミ]

〔下記の座談会は、『前衛』No.922、2015年5月号、に掲載されたものです。出席者は、五十嵐仁(法政大学元教授)、岩崎貞明(放送レポート編集長)、砂川浩慶(立教大学准教授)、永田浩三(武蔵大学教授)の4人ですが、私の発言部分だけを3回に分けてアップします。他の方の発言を含めたやり取りをお知りになりたい方は掲載誌をお読みください。〕

 五十嵐 私が在籍していた法政大学の大原社会問題研究所の初代所長は高野岩三郎氏です。戦後最初のNHKの会長として、「権力に屈せず、大衆とともに歩み、大衆に一歩先んずる」放送をめざしました。また、戦前の研究員であった権田保之助さんもNHKの理事でした。この高野会長と現在の籾井会長との間にある巨大な「落差」が、戦後におけるNHKのもつ意義・役割あるいは内容の大きな変化を象徴しているように思います。
 岩崎さんが「内部での自由」ということを言われましたが、それは政府や権力側が報じてほしくない、国民に知られたくないことがらを報道する自由です。それは国民にとっては知らなくてはならない、権力が隠そうとしている事実を知る権利、そのような国民の権利を守ることにつながります。報道の内部における現場や記者の自由を確保することは、報じる側の記者自身あるいは報道機関にとってだけでなく、それを受け取る国民の側にとっても必要なことであるということを強調しておく必要があるでしょう。
 安倍首相のメディアに対するかかわり方は特異です。問題の「ETV2001」への介入も、当時、安倍さんは官房副長官でしたが、同時に日本軍「慰安婦」の記述を教科書からなくすこと を課題に掲げた国会議員の議連「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の元事務局長として、意識的に「従軍慰安婦」問題を取り上げた番組に介入したのです。これが極めて露骨であったのは、はっきりとした目的意識に基づいて介入したからです。その後の高裁での判決では介入が事実だったと認定されましたが、最終的には最高裁でNHK側の主張に沿った不当判決が下されました。その後、担当者がNHK内部で他の部局に飛ばされることもあり、安倍さんとしては上手くいったと思っているのではないでしょうか。これが成功体験として残ったように見えます。
 他方で、第一次安倍内閣のときには失敗の体験があります。この「従軍慰安婦」問題の番組についても、その後朝日新聞がスクープしたわけですが、この問題も含めて第一次安倍内閣のときは「朝日」と激しくやりあいました。当時、「政治と金」の問題で閣僚の辞任が相次ぎ、朝日新聞をはじめとしたマスコミは安倍内閣に対する批判の論陣を張った。その結果、内閣支持率が下がり、参議院選挙で大敗します。潰瘍性大腸炎という持病もあって九月に辞任しましたが、安倍さんにとってはマスコミ報道に負けた体験として総括されているのではないか。
 「ETV2001」問題で介入して、それなりに成果をあげたという成功体験と、その後マスコミ対策に成功せず、してやられたという失敗体験との両方の総括の下に、今回の第二次内閣でのメディア戦略、テレビなどに対する工作が編み出され、専任担当者として世耕弘成さんを官房副長官に配置し、メディア対策を強化しているのだと思います。

 五十嵐 ただ、国際社会への働きかけの強化という点で、ある種それは意識的にやろうとしているわけです。安倍政権は、いままでの政権以上に外国の目を気にし、働きかけを強めています。「戦後レジームからの脱却」や「積極的平和主義」などの安倍路線を実行するうえで、国際社会の目が障害になっているという意識なり自覚なりがあるわけです。歴史認識の問題でも「従軍慰安婦」の問題でも、国際社会に受け入れられていないということを自覚している。これを変えたい、それを国際放送で変えようというわけです。
 安倍さんは、首相になってから海外に行く機会が極めて多い。月に一回くらい行くということを自分に義務づけているそうで、すでに六〇か国以上を訪れ、六兆円以上に上る支援を表明してきました。こうして外国でお金をばらまいてくるわけですが、私に言わせれば、安倍路線を受け入れてもらうために国際社会を買収しているようなものです。買収するのも、行くのも税金ですから、「税金バラマキ外交」そのものです。今回の中東歴訪も、このような取り組みの一環でした。
 最終的には、国連の組織改革を実現して安全保障理事会の常任理事国に加わりたいということでしょう。「積極的平和主義」という新しい外交・安全保障路線についての味方を増やし、中国包囲網=反中国勢力を拡大していく。そのためにも、国際放送によって日本政府の立場なり安倍首相自身の考え方を世界に向かってPRする。国際放送としての信頼感が低下することなどはお構いなし、ということなのではないでしょうか。

 五十嵐 つまり、権力や政府からの介入という問題、あるいはそれに対する「忖度」や「萎縮」「自主規制」という問題だけでなく、テレビ産業の構造的な変化によって生じた問題も、いまのテレビの状況を生み出している。それが政治とのかかわりでどういう意味を持つのかというと、端的に言って「第四の権力」としての機能の衰退ということです。テレビ業界の関係者は、立法・行政・司法に次ぐ「第四の権力」であるという自覚すらないように見えます。

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4月22日(水) なぜテレビは政治を正面から報じないのか(その1) [マスコミ]

〔下記の座談会は、『前衛』No.922、2015年5月号、に掲載されたものです。出席者は、五十嵐仁(法政大学元教授)、岩崎貞明(放送レポート編集長)、砂川浩慶(立教大学准教授)、永田浩三(武蔵大学教授)の4人ですが、私の発言部分だけを3回に分けてアップします。他の方の発言を含めたやり取りをお知りになりたい方は掲載誌をお読みください。〕

 五十嵐 私はテレビ関係者ではないので、視聴者の立場あるいは政治をみている立場ということで話をさせていただきます。
 これまで指摘されてきた問題の背景にあるのが「テレビ離れ」です。情報を入手するうえでテレビのもっている比重が低下しているという事実がある。情報入手のルートや手段がテレビや新聞などから、インターネットやSNSなどに変わってきています。テレビや新聞などが生き残りを図ろうとすれば、政権への配慮や自粛という対応も起きやすくなっていると思います。
 もう一つは、このように自粛や配慮をおこなって政権との間合いの取り方を変えてきているということが、インターネットなどを通じて、一般の視聴者にもわかってしまうという事情があります。どういう圧力がかかっているのか、どういう動きが背後にあるのかが、ブログやツイッター、フェイスブックなどで知られてしまう。その結果、ますますテレビや新聞に対する信頼が低下し、「テレビ離れ」が進むという悪循環に陥っています。
 ネット社会ではときどき「マスゴミ」という言い方がなされます。「マス=大量」のゴミ、マスコミによって流される情報はゴミばかりだというとらえ方です。しかし、十把一絡げにマスコミは役に立たないというのは間違いで、情報入手のルートとしてはいまも重要な役割を担っています。それだからこそ、テレビや新聞などのマスメディア、マスコミのあり方が問題になるのです。
 ここで立ち止まって、もう一度政権や政治との間合いの取り方を見直し、どう国民や視聴者の信頼を取り戻すかを本気で考えなければなりません。それがテレビなどの生き残りをはかるうえで不可欠の前提条件になってきています。
 ただ、先の総選挙に関して言えば、突然の解散だったので、メディアの側も十分に準備する余裕がなかったということもあると思います。報道するような材料があまりなかったということと、政権から文句をいわれて面倒になるのは嫌だという気分が、選挙報道に対する消極性を生んだのではないでしょうか。
 また、メデイアによって伝えられる側(つまり政治)の問題もあります。もっと面白い選挙であれば――例えば「郵政選挙」のようにあちこちに「刺客」が送られて、選挙がある種「ゲーム」としての面白さがあれば――それを伝えることは視聴率を高めることにつながり、テレビ局は何がなんでも報じたと思います。しかし民主党は、自民党に対抗すべき野党第一党であるにもかかわらず十分な候補者を立てず、選挙そのものへの興味が高まらなかった。
小選挙区制はもともと選挙自体の面白さをなくすという弱点・欠点を持っていますが、今回はいっそう野党の側、与党に対抗する側が十分な体制をとって対決するという構図を作れなかったがために、「いい絵」になるような場面が少なく、テレビは報道する意欲に欠けたという面もあったと思います。このような観点から言えば、選挙だけでなくて国会での論戦なども、与野党の対決によって政治本来の活力を取り戻すということも、伝えられる側にとっては大きな要素になるのではないでしょうか。

 五十嵐 テレビにしてもマスコミにしても、そのような対応の仕方は自滅への道だと思いますね。籾井会長が何を言っても、現場が自立していて自由に報じれば問題はありません。かつてはそういう面があったかも知れませんが、最近はテレビ局も巨大化して企業としての内部統制が確立し、社としての方針に現場の制作者や記者が拘束される、あるいはそういうことを忖度したり斟酌したりして番組づくりや記事を書いたりする傾向が強まっているようです。マスコミとしては、それは自分で自分の首をしめているようなもので、ますます情報を得る手段としては信頼・信用されなくなる。テレビ離れ、新聞離れとなってしまうでしょう。

 五十嵐 民放の場合だと視聴率競争に巻き込まれて、数字が取れるかどうかが問題になります。内容が劣悪でも、話題になって視聴率が取れれば評価されるという面がある。これとは違って、NHKの場合には視聴率を気にせずによい番組をつくれるというよさがあります。NHKにはいろいろ問題点もありますが、やはり速報性や取材力に優れ、全国どこでも同じ番組を見られるというメリットがあります。企業や業界などからも自由で、スポンサーを気にする必要もない。視聴率を気にしないでよい番組をつくることができるという、NHKとしてのよさを大切にした番組づくりをしてもらいたいと思います。

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9月20日(土) 出版関連産業で働く皆さんに訴えたかったこと [マスコミ]

 一昨日の出版労連の討論集会での講演に向かう道すがら、ほのかに香る良い匂いに気がつきました。金木犀の花の香りです。

 忙しさにかまけて、秋の訪れに気が付きませんでした。そういえば、秋分の日も間近です。
 南浅川の土手にも、赤い花が目につきました。ヒガンバナです。我が家の庭でも白いヒガンバナが咲き出しています。
 川の中州ではセイタカアワダチソウが黄色い花を開き、川縁にはコスモスの花も目につきました。空気が澄み、さわやかな風がほほを撫でていきます。この好天が続くとよいのですが……。

 出版労連の討論集会では、最近の生活と労働、平和をめぐる情勢や労働運動の課題について話をしました。最後のところでは、出版産業と出版文化を守る職能的課題について指摘し、出版活動を通じてヘイトスピーチや排外主義と闘うこと、それを肯定するのではなく批判するような出版物を出してほしいと訴えました。
 これに関連してもっと言いたいことがあったのですが、残念ながら時間がなく十分に触れることができませんでした。ここで補足させていただきます。
 特に、最近の週刊誌の排外主義的な論調や朝日新聞バッシングについて言いたかったことです。それは、出版のあり方や出版関連の労働者にとって大きな問題を提起しているように思います。

 反中嫌韓や朝日新聞バッシングに同調すれば、雑誌や書籍は売れるのかもしれません。しかし、隣国の悪口を書き連ね、大衆の劣情に訴えて「小銭」を稼ごうとするなんて、あまりにも志が低すぎます。出版人としての誇りや矜持はどこに行ってしまったのでしょうか。
 確かに、朝日新聞は間違いを犯し読者の信頼を裏切りましたが、その問題点の指摘や誤りに対する批判が朝日つぶしを狙う勢力を利する形にならないようにしていただきたいと思います。事実に基づかない過剰な批判や悪口雑言はマスメディア全体に対する信頼を損ない、報道の委縮や自己規制をもたらし、ひいては出版・報道の自由それ自体を危うくしかねません。
 政府のお先棒を担いで周辺諸国への敵意を掻き立て、真実を知らせないまま国民を戦争へと導いていった戦前の歴史を忘れないでいただきたいものです。高い理想と志を掲げて出版事業に取り組み、たとえ「小銭」が稼げなくても質の良い出版物を世に送り出すという出版人としての誇りと矜持を持ち続けていただきたいと思います。

 日本は今、大きく進路を変えようとしています。その時にどのような役割を演じたかは、将来必ず問われることになるでしょう。
 いつの日か、あの時に間違えてしまったのだと振り返ることのないようにしたいものです。痛恨の思いで過去を反省しなければならないような歴史を再び繰り返さないために……。

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3月21日(金) Is Japan's public broadcaster under threat?(日本の公共放送は脅威にさらされているのか?) [マスコミ]

 3月8日付のブログ「籾井NHK会長は辞任しNHKの番組で問題点を検証する放送を行うべきだ」で、「先日、研究所に一本の電話がかかってきました。BBCの記者だと言います」と書きました。

 その記者の方から、メールがありました。私のコメントが載っている記事が掲載されたそうです。
 3月20日付のBBCニュース・アジアのウェブ版http://www.bbc.com/news/world-asia-26403639です。その表題は「Is Japan's public broadcaster under threat?」(日本の公共放送は脅威にさらされているのか?)となっています。
 この記事では、「『安倍のNHKの私物化』はブロガーとジャーナリストによる造語だ。五十嵐仁法政大学大原社会問題研究所教授は『NHKのハイジャック』と呼んだ」と書かれています。

 NHKは大きな「脅威」にさらされていると、私は思います。このままでは公共放送としての信頼を取り戻すことは難しいでしょう。
 遅かれ早かれ籾井会長はその職を退かざるを得なくなると、私は思います。できるだけ早く退いた方が、籾井さんにとってもNHKにとっても傷は浅く済むのではないでしょうか。
 遅れれば遅れるほど、傷は深く大きくなります。NHKは視聴者の受信料に支えられているということを忘れてはなりません。

 従軍慰安婦問題の核心は、強制的に連れてこられたかどうかということではありません。自由意思に基づくものであっても、騙されて連れてこられた人でも、いったん従軍慰安婦とされてしまえば性の提供を拒むことができず、逃げ出すことも不可能だったというところにあります。
 だからこそ、「性奴隷」と呼ばれているのです。奴隷と同じように、自らの意思でその境遇から抜け出す自由を持たなかったからです。
 戦争に売春は付きものだと言えるかもしれませんが、このような形で軍や政府が関与した強制的な性の提供は、いつの時代でもどの国でもあったなどとは言えません。日本帝国とナチス・ドイツにしかなかったというのが、これまでの研究で明らかにされた通説です。

 そのようなことも知らなかった籾井さんは、あのような発言をするべきではなかったでしょう。しかも、籾井さんの問題はそれだけではありません。
 昨日の参院予算委員会で、1月の理事就任時に全員の辞表を集めた件について問われ、「返すわけにはいかない」と返還を拒否したうえで「実際に辞めていただく時には本人とよく話したうえで改めて辞表をもらう。人事権を濫用することはない」と再三にわたって釈明したそうです。
 それなら、一体何のための「辞表集め」だったのでしょうか。辞表を集めたのは「辞めてもらう」ためのものではなかったというのですから、「逆らうんじゃないと脅す」ためのものだったのでしょうか。

 このような人は人格、識見、適性の点から言っても、NHKの会長に相応しくなかったと思います。もともとNHK会長になる資格を持たなかった人が、「NHKをハイジャックする」ために安倍首相によって送り込まれたと考えるしかありません。
 「NHKを私物化する」ためにこのような人物しか送り込めなかったというところに、安倍首相の誤算があったというべきでしょう。首相には人を見る目もなかったわけで、その責任が厳しく問われなければなりません。

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3月8日(土) 籾井NHK会長は辞任しNHKの番組で問題点を検証する放送を行うべきだ [マスコミ]

 先日、研究所に一本の電話がかかってきました。BBCの記者だと言います。
 NHKの籾井会長についての記事を書いていて、たまたま私のブログを見つけたので、その一部を使わせて欲しいと仰います。
 もちろん、私は「良いですよ」と答えました。使いたいのは、2月6日付の「『NHK乗っ取り作戦』が安倍首相の躓きの石になるかもしれない」というブログの記事だそうです。
 驚きましたね。このような取材があるのも、NHK会長問題が国際的な注目を集めているということの証左でしょう。それだけ報道のあり方にとって重大な問題を提起しているということを意味しています。

 実は、NHKと大原社会問題研究所は若干の関わりがあります。戦後の早い段階で、研究所の初代所長を務めた高野岩三郎がNHK会長に就任したからです。
 戦前の研究員で高野さんの弟子だった権田保之助もNHKの理事になって高野さんを支えました。現会長の籾井さんや経営員として物議を醸している百田、長谷川さんなどと比べて、その違いの大きさに驚いてしまいます。
 常識はずれの不適切な言動によってNHKに対する信頼を大きく損ねてしまった籾井さんらを、あの世の高野さんはどのような目で見ているでしょうか。これ以上、傷を深くすることなく、とっととその地位を去ってもらいと思っているにちがいありません。

 今回の騒動に関連する人で、法政大学と若干の関わりのある人がもう一人います。百田さんとともにNHKの経営委員に送り込まれた神懸かりの哲学者・長谷川三千子さんです。
 この人の父方の祖父は野上豊一郎で、法政大学の総長だった人です。戦後の49年に大原社会問題研究所が法政大学との合併を決めたとき、一方の当事者になったのがこの野上総長でした。
 野上さんの奥さんで長谷川さんのお祖母さんに当たるのが、著名な作家で宮本百合子の友人でもあった野上弥生子です。長谷川さんはどれだけ自覚しているか分かりませんが、今回明らかになった右翼テロ賛美やフェミニズムに対する敵意などによって、この祖父母の名声に泥を塗ったことになりました。

 NHK会長や一部の経営委員に対する批判はその後も止まず、受信料の不払い運動なども起きているようです。実は、このような騒動が起きるのは今回が初めてではありません。
 「エビジョンイル」と言われて専横をふるった海老沢元NHK会長も、相次いで発覚した不祥事で視聴者の信頼を失い、受信料不払いの急増を招いて辞任に追い込まれました。今回は特に長谷川経営委員の前例があるだけに、もっと深刻な影響が出る可能性があります。
 長谷川さんは、NHKの放送内容が気にくわないということで受信料を払わなくても経営委員になれるし、そのような行為がとがめられることも責任を取る必要もないということを証明してしまったからです。受信料の不払いをとがめて協力を要請することはこれまで以上に難しくなり、籾井さんが海老沢元会長と同じような末路を辿る可能性は高いように思われます。

 籾井会長が理事全員の日付なしの辞表を預かった問題も大きな波紋を呼びました。これについて、籾井さんは「一般社会ではよくある」と弁解しましたが、東京新聞が「東証一部上場企業を中心に大手企業50社に緊急アンケートしたところ、経営トップが役員らに辞表を出させていると回答した企業はゼロだった」そうです。
 籾井さん自身、これまでそのようなことはやっていなかったそうですから、今回初めてそのような異例の措置を取ったことになります。「いつでも止めさせることができる」という緊張感を持たせて「ボルトとナットを締め直し」、NHKを自分の思い通りに動かそうとしたのでしょう。
 そもそも、日付なしの辞表提出に問題がなく、「緊張感でもって、皆で一丸となってNHKをやっていこうというつもり」だったというのであれば、籾井さん自身も自らの辞表を経営委員長に預けるべきでしょう。そのような形で緊張感を持たせられれば、籾井さんの言動ももう少しマシなものになるかもしれません。

 いずれにしても、窮地に立たされているのは籾井会長だけではありません。NHK全体が信頼を失い、報道機関としての真価を問われています。
 信頼を回復するためには、籾井さんが自ら身を引き、批判を浴びている長谷川、百田の両経営委員を解任しなければなりません。そして、NHKの「クローズアップ現代」などの番組で「NHK籾井会長問題」を特集し、問題点を検証したうえで自己分析的な解明と解決に向けての方向性を明らかにするしかないでしょう。
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2月6日(木) 「NHK乗っ取り作戦」が安倍首相の躓きの石になるかもしれない [マスコミ]

 何という醜悪な姿でしょうか。これまでであれば暗闇で蠢いていただけであろう魑魅魍魎が、安倍首相によって日の当たるところに出されてしまったからです。
 NHKの経営委員になった百田さんや会長の籾井さんだけではなく、もう一人醜悪な姿をさらすことになった人がいます。それは百田さんと同様にNHKの経営委員として送り込まれた長谷川三千子埼玉大名誉教授です。

 問題になっているのは、1993年に朝日新聞東京本社内で拳銃自殺した新右翼「大悲会」の野村秋介元会長を礼賛する追悼文です。野村元会長については、警視庁公安部などが銃刀法違反容疑で自宅などを家宅捜索していました。
 この長谷川さんの追悼文は野村さんの没後20年を機に発行された追悼文集に載せられたもので、「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛し、この行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と書かれていました。読めばすぐに分かるように、メディアへの暴力による圧力を評価し、刑事事件の当事者である野村さんを擁護しているだけでなく、憲法が定める象徴天皇制を否定するような内容になっています。また、朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と圧力を受けた被害者であるメディアの側を批判していました。
 それだけはありません。長谷川さんは2014年1月にも、男女共同参画社会基本法などを批判するコラムを産経新聞に寄せ、女性は育児、男性は仕事という「性別役割分担」の必要性を説いたことでも批判を受けています。

 また、先日のブログでも取り上げた百田さんの田母神候補に対する応援演説についても、参院予算委員会で問題にされました。質問したのは、旧知の有田芳生参院議員です。
 百田さんは3日、都内3カ所で行った田母神俊雄候補を応援する街頭演説で「1938年に蒋介石が日本が南京大虐殺をしたと宣伝したが、世界の国は無視した。そんなことはなかったからだ」などと主張し南京大虐殺を否定し、他の候補を「人間のクズ」呼ばわりしていました。
 その後、問題を指摘されると、「プライベートで誰を応援しようが自由。もしこれで『経営委員にふさわしくない』と言われたら、いつクビになってもいい」と居直っています。このような人はNHKの最高意思決定機関の委員としての資質に欠け、「経営委員にふさわしくない」ことは明らかです。とっとと「クビ」にするべきでしょう。

 NHK経営委員の資格について、放送法31条は「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」と定めています。長谷川さんや百田さんの発言を聞いて、「公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する」と思う人がどれだけいるでしょうか。
 籾井会長の就任会見での発言を含めて、「こんな人がNHKの幹部なのか」と品格や適性に疑問を持たれるような人ばかりではありませんか。メデイアによる権力のチェック機能を否定するかのような籾井さんの発言は正義感を持たない人物が警察のトップに立ったようなものですし、百田さんや長谷川さんの発言は海外ではホロコーストの否定や政治テロの礼賛として受け取られるでしょう。
 それを安倍首相や官房長官が「問題なし」とすれば、同じような認識を持っていると受け取られます。すでに、海外のメディアからは厳しい批判の声があがっているというではありませんか。

 安倍首相の靖国神社参拝で海外から批判の集中砲火を浴びたうえでの今回の発言です。国際社会で「一体、日本はどうなってしまったのか」という懸念と疑念が渦いているのも当然でしょう。
 籾井会長は就任会見での発言を全て取り消しましたが、それによって、このような国際社会の懸念や疑念を取り除くことは可能なのでしょうか。一度、地に墜ちた日本の信用や評判を、それによって取り戻すことができるのでしょうか。
 NHKは「公平性」を理由に中北徹東洋大教授の出演を取り止めました。脱原発という特定の政策についての論評が公平性を欠くという判断だったようですが、百田さんのように特定の候補者を応援することは公平性を欠かないのでしょうか。

 長谷川さんと百田さんについて、民主党の榛葉賀津也参院国対委員長は会見で「言論の自由とはいえ、あまりにもバランス感覚を欠く」と批判し、総務委員会に2人を呼んで、集中審議を求める方針を表明しています。もし国会の審議で居直ったりすれば、傷はさらに深くなるでしょう。
 安倍さんは「お仲間」を経営委員に送り込んで会長の首をすげ替え、NHKを乗っ取ろうとする作戦だったのかもしれませんが、そのために選んだ「お仲間」があまりにも劣悪でした。早く責任を取らせて事態を収拾しなければ、思わぬ「躓きの石」になるかもしれません。

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2月5日(水) 『週刊朝日』に籾井NHK会長の発言に対するコメントが出た [マスコミ]

 先週の金曜日に『週刊朝日』の記者からの取材を受けました。その内容が昨日発売の『週刊朝日』2月14日号の30~31頁に掲載されています。
 記者会見での籾井さんの発言について、その間違いを指摘するという記事です。問題の発言と私の指摘は次のようなものです。

 「従軍慰安婦」の「戦争地域には、どこでもあったと思っています。僕は。」「従軍慰安婦は韓国だけあって、他の国になかったという証拠はありますか? あったはずなんですよ。従軍慰安婦をいいと言っている訳ではないですよ。だけど、どう思われますか? 日本だけやっていると言われて。
 ドイツにありませんでしたか? フランスにはありませんでしたか? ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるんですか? 戦争しているところにはだいたいつきものだったんですよ」発言には、法政大学の五十嵐仁教授(政治学)がバッサリ。

 「『どこにでもあった』と言うが、一般的な性売買と混同している。慰安婦のような制度は日本とナチス・ドイツだけだった。『みんなやってるから、僕は悪くない』というのはあまりに子供っぽい言い訳だ」
 オランダの飾り窓発言については、
「飾り窓は国に認められた公娼制度です。慰安婦とは根本的に違います」(五十嵐氏)

 そして、「韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うから話はややこしい。だからお金をよこせ、補償しろと言っているわけですよ。日韓基本条約ですべて解決しているんですよ。それをなぜ蒸し返すんですか」については、こんな見解を示す。
 「『日韓基本条約で解決した』は間違いです。条約は1965年に締結された。戦時賠償などを取り決めましたが、韓国で元慰安婦が最初に名乗りを上げて損害賠償を求めたのは1991年でした」(同)
 慰安婦問題は対象になっていなかったという。

 ここまでが、私の指摘です。いかに籾井さんが歴史的事実についての知識を持っていないかが、お分かりいただけると思います。
 慰安婦は軍主導の戦時「性奴隷」として強制されていたもので、逃げ出す自由はありませんでした。自らの意志による一般の性売買とは根本的に違っていることが全く理解されていません。
 これまでもNHKは軍事性奴隷としての慰安婦についての番組を沢山放映してきました。籾井さんは、これらの番組を見てもっと勉強すべきだったでしょう。

 ところで、『東京新聞』2月2日付「週刊誌を読む」の記事「暴かれたトンデモぶり」には、いかに籾井さんがトンデモない人であるかが紹介されていました。『週刊新潮』2月6日号が「籾井会長の銀座での話を暴露」しているのだそうです。
 この記事を読むにつけても、「こんな人がどうしてNHKの会長なんかに」という思いが募るばかりです。銀座のクラブ&バーで泥酔して暴れた事件や三井物産の社長になれないと分かった時、「会社でデスクをひっくり返して暴れたという武勇伝」についてはこれを読んでいただくとして、この人は長くはないナーと思わせるに充分な記事でした。

 この籾井さんの記者会見での慰安婦発言を弁護したのが、突然辞任し出直し選挙を発表して顰蹙を買っている橋下大阪市長です。橋下さんは「籾井さんが言っている事はまさに正論」「僕が言い続けてきたことと全く一緒です」と理解を示していました。
 この籾井さんを会長に選んだ一人が経営委員の百田尚樹さんですが、百田さんは2月3日、都知事選に立候補した田母神候補の応援演説に立ち、南京大虐殺を否定する持論を展開したうえで、「宣戦布告なしに戦争したと日本は責められますが、20世紀においての戦争で、宣戦布告があってなされた戦争はほとんどない」と、「みんなやってるから、僕は悪くない」と言わんばかりの「子供っぽい言い訳」をしています。
 この百田さんをNHKの経営委員として送り込んだのが安倍さんでした。そして、「私の国家観や歴史認識は安倍首相と同じだ」「戦後レジュームからの脱却を目指すもので全く違和感はない」「集団的自衛権も素晴らしいことだ」と言っているのが、田母神さんなのです。

 つまり、籾井、橋下、百田、安倍、田母神らの人々は、全て同類項で「同じ穴のムジナ」にほかなりません。いわば「安倍一族」のお仲間だということになります。
 国際社会から総すかんを食らっている魑魅魍魎が、このような形で日の当たる場所に出てきたということほど今日の日本社会の異常さを示すものはありません。このような時代錯誤の「安倍一族」を一掃し、国際社会における日本の名誉と信頼を取り戻すことこそ、真の愛国者にとっての急務であると言うべきでしょう。
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1月27日(月) NHKの籾井勝人新会長は妄言、暴言の責任を取って直ちに辞任するべきだ [マスコミ]

 もっと、まともな「お仲間」はいなかったのでしょうか。新たにNHK会長になった籾井勝人さんのことです。
 会長に選ばれたのは、NHKの経営員に送り込まれた安倍さんの「お仲間」のお陰でした。その籾井さんが、就任にあたっての記者会見で、次のように、言いたい放題の妄言、暴言を振りまいています。

 戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと。
 韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるのか。
 慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい。
 (靖国神社には)総理が信念で行かれたということで、それはそれでよろしい。いいの悪いのという立場にない。行かれたという事実だけ。
 日本の明確な領土ですから、これを国民にきちっと理解してもらう必要がある。今までの放送で十分かどうかは検証したい。
 領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない。

 この発言を読んで、「ほう、こんなことを考えている人なのか、この人は」という気がしました。見たくもない頭の中を見せられたような気がします。
 籾井さんは、個人として発言したと弁解しています。しかし、「綸言汗のごとし」と言います。
 一度、言葉として外に出た内面の思考は、なかったことにはできません。すでにこのような考えを持っている人であるということは、世界中に知られてしまったのですから……。

 このような人は、公共放送としてのNHKの会長には相応しくありません。一般人としての常識、報道人としての品格と見識、歴史認識、政治判断。どれを取ってみても問題だらけです。
 この籾井発言に対しては、国の内外からの批判が高まっています。それも当然でしょう。しかも、麻生副総理のナチスの手口発言、安倍首相の靖国神社参拝、橋下大阪市長の従軍慰安婦発言と、どうしてこのような妄言や妄動を繰り返すのでしょうか。
 まるで、日本に対する印象を悪くして国際的地位を引きずり下ろすために躍起になっているように見えます。これらの人々こそ、日本という国を貶める、「愛国心」のない人々だと言うべきでしょう。

 とりわけ、今回の籾井発言は公共放送を預かる責任者としての資格や適性を疑わせるものです。このような人は、とっとと責任を取って辞めるべきです。
 このような適格性に欠ける人物を会長に選んだ経営委員の責任も問われなければなりません。もちろん、新たに選任され、経営委員会での論議を引っ張ったであろう4人の安倍首相の「お仲間」の責任も……。
 すでにこの間、NHKの報道内容や姿勢には多くの疑問が寄せられています。事態をこのままにして報道のあり方を改善しなければ、受信料を払いたくないという人が大量に現れることでしょう。

 私は1月15日付のブログ「ワタツネなどの『安倍一族』に日本が乗っ取られてしまいそうだ」で、「それにしても、安倍首相の息のかかった『お仲間』の増殖には目に余るものがあります。日銀の総裁に黒田東彦、内閣法制局長官に小松一郎、NHK経営委員に長谷川三千子、百田尚樹、本田勝彦、中島尚正、NHK会長には籾井勝人、そして今回の渡辺恒雄と、いずれも安倍首相に近い人々ばかりです」と書きました。その一人である籾井勝人NHK会長が、今回のような発言をすることはある程度予想できました。
 今回の事例は、「安倍さんの意を呈して行動する『安倍一族』」がどのような人物たちであるのかを誰にでも分かるような形で明るみに出すものだったといえます。そのような人々に「日本社会が乗っ取られ」れば、日本は一体、どうなってしまうのでしょうか。

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