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10月10日(木) 共闘の力で自民党政治サヨナラの大運動を [論攷]

〔以下の論攷は『東京革新懇ニュース』第496号、10月5日付に掲載されたものです。〕

 歴史的なチャンスが巡ってきました。岸田首相が総裁選への立候補断念を表明したからです。危機に陥った自民党は総裁選でメディアジャックを図り、石破茂新総裁を選出して解散・総選挙での逃げ切りを画策しています。
 総裁選でイメージチェンジを狙い、国民の注目を集めて支持率を回復しようというわけです。そのために選挙期間を最長の15日間とし、候補者も過去最多の9人になりました。
 しかし、岸田首相の出馬断念の背景には、政権と自民党政治の深刻な行き詰まりがあります。それはテレビでの露出度の増大など小手先のまやかしで乗り切れるほど簡単ではありません。自民党による長年の悪政の積み重ねによるものだからです。
 安倍政権から続く菅・岸田という三内閣連続での政権投げ出しはこの国の土台の腐食に原因があり、かつては一流だとされた経済も政治とともに劣化への道をたどってきました。政権担当能力を失った自民党の総裁の椅子に誰が座ったとしても、立て直すことは不可能です。
 総選挙で決着をつけるしかありません。日本をぶっ壊してきた自民党政治の罪に対して、今こそはっきりとした罰を与えるべきでしょう。政権から追い出すという形での明確な罰を。

 二重の意味での行き詰まり

 岸田首相を追い詰めたのは世論の力でした。内閣支持率は昨年暮れに3割台を切り、一度も回復しなかったからです。4月の衆院3補選、静岡県知事選や前橋市長選挙、小田原市長選などの首長選挙でも自民党は連戦連敗が続き、岸田首相はたとえ総裁に再選されても1年以内に実施される総選挙では勝利できないと判断したのでしょう。
 このような人気低落の最大の要因は自民党派閥の裏金事件と統一協会との癒着でした、いずれも岸田内閣以前からの組織犯罪です。裏金事件では、それがいつからどのような経緯で、誰が始めて何に使ったのか、いまだに明らかになっていません。再発防止策も小手先のごまかしに終始しました。統一協会と自民党との腐れ縁についても、再調査や実態解明がなされず、問題は先送りされたままです。
 岸田内閣は、三自衛隊の統合司令部新設のための改定防衛庁設置法、自治体を戦争に協力させる改定地方自治法、特定秘密保護を産業分野にまで拡大する経済秘密保護法の成立や殺傷兵器の輸出を可能にする次期戦闘機共同開発条約の批准などを強行し、安保政策の転換と大軍拡を推し進めてきました。
 「聞く力」は形だけで国会軽視と強権姿勢は変わらず、安倍政治の拡大再生産にすぎません。辺野古新基地建設、インボイスの導入、マイナカードやマイナ保険証の強要、関西万博の推進、米兵犯罪の隠蔽など、民意無視も止まりません。
 金権化・右傾化・世襲化という自民党の宿痾(持病)はますます悪化し、岸田政権になってから党役員や大臣などの辞任・解任は約30人に上ります。最近でも、広瀬めぐみ参院議員と堀井学衆院議員の辞職・起訴がありました。持病が全身を蝕むようになっているのです。
 私は27年前に『徹底検証 政治改革神話』(労働旬報社)を刊行して、「政治改革」のやり直しを提言しました。このとき政党助成金が導入されたにもかかわらず企業・団体献金が温存され、政治資金の二重取りによって自民党は焼け太りしたのです。そのツケが、今回回ってきたということになります。このとき企業・団体献金や政治資金パーティーを禁止していれば、今回のような裏金問題は起きなかったはずですから。

 総裁選で露呈した自民党の劣化

 自民党の総裁選では12人が出馬の意向を示し、9人が立候補しました。あたかも派閥の縛りがなくなったかのような印象を振りまき、メディアでの露出度を高める作戦だったと思われます、一見すれば多士済々のようですが、売名のチャンスだと思い「我も我も」と手を挙げたにすぎません。
 9人も立候補したにもかかわらず、その主張に大きな違いはなく明確な共通性がありました。誰一人として触れなかったテーマがたくさんあるからです。それは裏金事件の再調査であり、企業・団体献金や政治資金パーティーの禁止であり、統一協会との腐れ縁の断絶という問題でした。
 とりわけ統一協会の問題では、総裁選中に組織的な癒着を示す新たな事実が明らかになりました。朝日新聞がスクープしたもので、統一協会や国際勝共連合の会長と安倍首相が総裁応接室で面談し、実弟の岸信夫元防衛相と側近の萩生田光一元経済産業相が同席していました。2013年の参院選公示の4日前で参院選比例候補だった元産経新聞政治部長への支援を確認するものだったといいます。自民党が組織ぐるみで反社会的なカルト集団と癒着していたことを明確に示す新たな事実でしたが、この問題について再調査して関係を断絶する意向を示した候補者は一人もいませんでした。
 また、各候補者はアベノミクスの失敗や消費税減税、物価高対策、お米の安定供給などについても口をつぐみ、明文改憲の推進や原発の容認、日米同盟維持など大軍拡・大増税の推進については足並みをそろえています。退陣が決まっている岸田首相が改憲促進を申し送って次期首相に縛りをかけましたが、これに異を唱える人はいませんでした。
 岸田政権を支えてきた幹部の無自覚と無責任もあきれるばかりです。茂木敏充幹事長、林芳正官房長官、上川陽子外相、河野太郎デジタル相、高市早苗経済安保相などは、これまでとは異なった政策も打ち出していますが、その多くは野党の政策のパクリで、岸田政権を支えてきたことへの反省は全くありません。
 若手とされる小林鷹之前経済安保相は選択的夫婦別姓や同性婚に反対するなど最も保守的な伝統的家族観を示し、小泉進次郎元環境相による解雇規制の緩和など「聖域なき規制改革」も、父親である小泉純一郎元首相が20年以上も前に掲げた「聖域なき構造改革」の焼き直しにすぎません。いずれも時代錯誤であまりにも古い自民党の体質を象徴するものでした。
 大きな曲がり角にあり、「新たな戦前」に向かう「衰退途上国」としての日本をどう立て直すのか。国内総生産(GDP)でドイツに抜かれて4位になり、国民1人当たりGDPでは34位、国際競争力でもかつての1位から35位にまで後退している現状からどう抜け出すのか。東アジアの平和と豊かな日本の将来ビジョンを示している候補者も皆無でした。
 グローバル・パートナーシップを掲げて地球規模でのアメリカ追随を深め、日米軍事一体化によって防衛(盾)だけでなく攻撃(矛)も担うとする「戦争する国」への変貌と専守防衛の放棄、攻撃的兵器の取得と輸出に前のめりで、米軍の尖兵として戦争に巻き込まれる危険性をどう防ぐのか、全く展望が示されていません。

 活路は共闘にあり

 「振り子の論理」による「疑似政権交代」を許さず、自民党政治への追撃戦によって政権の座から追い出さなければなりません。そのための唯一の活路は市民と野党の共闘にあります。自民党を政権から追いだすには野党第一党の立憲民主党の議席だけでは足りないからです。
 立憲民主党の新しい代表に選ばれた野田佳彦元首相は、一方では消費税減税に消極的で原子力発電の容認や日米同盟機軸などの「現実的政策」を掲げながら、他方では野党の最大化を図るとして「誠意ある対話」を呼び掛けています。自民党を離れた保守中道勢力を引き寄せるためだとしていますが、野党連携のあり方については大きな課題を残しています。
 いずれにせよ、自民党政治とサヨナラするためには、野党勢力が力を合わせて追い込むしかありません。改憲を阻止し、分断と裏切りを許さず、反腐敗包囲網を継続しつつ共闘を再建することが野党の側の課題です。
 裏金事件と統一協会との癒着は自民党の最大のアキレス健になっています。総選挙でも主要な争点としなければなりません。野党が一致して自民党を孤立させ、これまで支持していた保守や中間層を離反させる可能性が生まれているのですから。
 維新など「第二自民党」のすり寄りや裏切りを許さず、共産党を含む幅広い共闘の再建をめざさなければなりません。裏金事件追及の突破口を開いたのは共産党の機関紙『赤旗日曜版』でしたし、統一協会や国際勝共連合と真正面から対峙してきたのも共産党だったのですから。
 この点で、立憲民主党の野田新代表が共産党と政権を共にしないという姿勢を示し、戦争法の違憲部分を「すぐに廃止できない」と表明しているのは大きな問題です。そもそも戦争法への反対は立憲民主党の立党の原点であり、野党共闘の出発点ではありませんか。そこに立ち返ることを求めたいと思います。
 市民と野党の共闘では、大きな実績を積み重ねてきた東京革新懇の役割は極めて大きくなっています。過去8年の間、62自治体で40の共闘候補を擁立し、先の都知事選も野党共闘でたたかうことができました。立憲民主党の都連は共闘を否定していません。この経験と条件を活かすことが必要です。
 来るべき総選挙は、国政から犯罪者集団を一掃するための貴重な機会となるでしょう。法の網の目をかいくぐって利益を図ったり目的を達成したりする悪弊は政治家や企業経営者を蝕み、不正行為は自衛隊にまで及んでいます。このような歪みを正し、立法府にふさわしい政党と議員を選ぶことでしか、政治に対する信頼を回復することはできないのですから。


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9月27日(金) 政権担当能力を失った自民党にさらなる追撃を(その2) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友』No. 854、2024年10月号に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 自民党は何を狙っているのか

 岸田政権の行き詰まりによって自民党は窮地に追い込まれました。裏金事件や統一協会との癒着は岸田政権になってからのものではなく、長年にわたる自民党政治によってもたらされたからです。端的に言えば、金権化という宿痾を治癒できず、憲法の国民主権や平和主義原則を軽んじ、基本的人権を踏みにじってきた歴代自民党政権による反憲法政治の行き着いた先にほかなりません。
 私は27年前に『徹底検証 政治改革神話』(労働旬報社、1997年)という本を出しました。その帯には、「『政治改革』やり直しの提言」と書かれています。この「提言」は実行されませんでした。今回の裏金事件は、そのツケが回って来たということです。
 その結果、政治的危機に直面した自民党は岸田首相を切り捨て、危機を乗り切ってきた「成功体験」に学ぼうとしました。たとえばロッキード事件での「ダーティー田中」から「クリーン三木」への転換、森喜朗首相から小泉純一郎首相への交代という「小泉劇場」による幻惑、そして、直近ではコロナ対策の失敗から政権を投げ出した菅義偉首相から岸田首相への交代による総選挙での勝利です。
 いずれも「振り子の論理」による「疑似政権交代」を演出することで支持を回復しましたが、実際には自民党政治の枠内での政権たらいまわしにすぎません。今回も同様の狙いの下に、総裁選挙に国民の目を引き付け、報道機関を利用したメディアジャックによって支持率の回復を図ろうとしました。
 総裁選の期間は過去最長となり、石破茂元幹事長など過去最多の10人以上もの議員が立候補の意思を表明しました。いずれも総裁選への注目を高めるための策謀です。多数の出馬表明は派閥の縛りがなくなったからではなく、派閥の縛りがなくなったかのように装うためでした。旧派閥の領袖の支持を取り付けるために躍起となり、水面下での合従連衡によって多数派工作がなされたのはこれまでと変わりません。
 候補者が多くなれば、それだけメディアの注目を浴び、露出度も高まります。こうして国民の関心や興味を引き付けようというのが、自民党の狙いでした。それを知ってか知らずか、テレビなどは完全にハイ・ジャックされ広告塔状態に陥ってしまいました。NHKが高校野球を中断して小林鷹之議員の出馬表明を生中継したのは象徴的な事例です。

 解散・総選挙のプロセスはすでに始まっている

 岸田退陣は総選挙での敗北を避けるためのものでした。自民党の狙いは、総裁選への注目度を高めて危機を乗り切ろうというものです。いずれも、焦点は総選挙に向けて結ばれています。岸田退陣表明以降、すでに総選挙への取り組みは始まっており、総裁選はそのプロセスの一環にすぎません。
 立候補の意思を表明した12人は、いずれも世論の反応を見るための「観測気球」でした。「選挙の顔」選びですから、政治家としての力量などの中身ではなく、選挙で票を集められる人気のある人が選ばれるでしょう。拙著で指摘したように、小泉進次郎元環境相による「『小泉劇場』の再現を狙っている」(『追撃 自民党大軍拡・腐敗政治』学習の友社、115頁)ように見えます。
 10人以上も声を上げたのに、誰1人として憲法を守るという人はいませんでした。改憲論の大合唱です。憲法尊重養護義務を定めた99条に違反する人ばかりです。続投を断念した岸田首相が改憲の論点整 理を指示し、早期の発議に向けて縛りをかけたのも異常です。
 岸田首相退陣の理由が裏金事件や統一協会の問題であったにもかかわらず、その再調査や統一協会との絶縁を表明する人も、これらの問題に厳しい対応を打ち出す人もいません。みな「臭いものにふた」をする「同じ穴のムジナ」にすぎないのです。
 新総裁の選出と新内閣の成立によって「刷新感」を演出し、「ご祝儀相場」で支持率を引き上げ、ボロが出ないうちに解散を打って総選挙になだれ込む作戦だと思われます。それがどのような経過をたどるかは不明ですが、2021年の菅首相から岸田首相への交代が参考になります。
 菅首相は9月3日に退陣を表明し、総裁選は今回より2日遅い9月29日に実施されました。その後、10月4日の臨時国会召集、岸田内閣発足、所信表明演説と続き、解散は10月14日、総選挙の投票日は31日でした。「2匹目のドジョウ」を狙って似た経過をたどるとすれば、総選挙の投票日は早ければ10月27日、遅くても11月10日になる可能性が高いと思われます。

 追撃戦の課題と展望

 岸田首相の退陣によって、政権交代に向けての歴史的なチャンスが生まれました。解散・総選挙に向けての追撃戦を展開することで、このチャンスを活かさなければなりません。大軍拡・腐敗政治によってやりたい放題の悪政を押し付けてきた自民党に、その罪を自覚できるだけの強烈な罰を与えるには政権から追い出すのが最善です。
 とはいえ、それは簡単なことではありません。1割台にまで支持率を低下させた森元首相から政権を引き継いだ小泉首相が「自民党をぶっ壊す」と言って自民党を救った前例があります。3割台にまで支持率を減らして退陣せざるを得なくなった菅元首相から政権を引き継いだ岸田首相も、劇的に支持率を回復させて総選挙で勝利しました。この「成功体験」を繰り返そうとしているのが今の自民党です。
 この自民党の狙いを見破り、国民に幅広く知らせることが何よりも重要でしょう。情報戦で勝利しなければなりません、メディアに対する監視と批判を強め、私たち自身の情報リテラシーを高めてだまされないようにすることも大切です。SNSなどを通じた情報発信力や都知事選で注目を集めた「1人街宣」、集団でのスタンディングなども有効でしょう。
 また、野党には政権交代を視野に入れた幅広い連携を求めたいと思います。通常国会で実現した裏金事件での真相究明のための連携を総選挙でも継続してもらいたいものです。裏金事件や統一協会との腐れ縁に怒りを強めている保守層にも、今度だけは自民党にきついお灸をすえなければならないと訴えるべきでしょう。イギリスでの政権交代は、労働党への支持の高まりというより、保守党に対する失望によるものだったのですから。
 市民と共産党を含む野党の共闘を再建するための働きかけを強めることも必要です、立憲民主党には改憲と戦争法に反対した立党の原点を忘れず共闘の立場に立つ代表の選出を求め、各選挙区だけでなく可能な限り全国的な「連携と力合わせ」によって有権者の期待を高める必要があります。支持団体の連合には共闘を妨害したり足を引っ張ったりしないように働きかけ、選挙は政党に任せて余計な口出しはするなと言うべきです。
 たとえ自民党が議席を減らしても、維新の会のような「第2自民党」がすり寄るのでは政権交代を実現できません。議席の減らし方によっては国民民主党や前原グループ(教育無償化を実現する会)が加わる可能性もあります。このような形で自民・公明の連立政権を助けないようにけん制する必要もあります。
 絶好のチャンスをどう生かすかが問われています。腐れ切った自民党大軍拡・腐敗政治に対する追撃戦で勝利し、政権交代に向けて希望の扉を開かなければなりません。そのための決戦が間もなくやってくるにちがいないのですから。



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9月26日(木) 政権担当能力を失った自民党にさらなる追撃を(その1) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友』No. 854、2024年10月号に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 はじめに

 全国戦没者追悼式が開かれる「終戦の日」の前日、8月14日の午前に岸田文雄首相は急きょ記者会見を開いて、9月の自民党総裁選挙に立候補しないことを表明しました。突然の退陣表明は驚きをもって迎えられましたが、むしろ遅きに失したと言うべきでしょう。
 岸田内閣の支持率は昨年末に3割を下回って以降、一度も回復しませんでした。国民の2割しか支持せず、6割以上が不支持を表明している内閣が半年以上も居座ってきたことの方が異常です。政権担当能力を失った岸田首相の退陣表明は当然でした。
 これによって、自民党大軍拡・腐敗政治に対する追撃戦は、新たな局面に突入することになりました。岸田首相の出馬断念は、総裁選で勝利できても総選挙で勝てる展望を見いだせなかったからです。首相は側近に電話をかけ、「総裁選で勝っても、衆院選で勝つのは難しい」と説明していたそうですから。
 これで安倍晋三元首相、菅義偉前首相、岸田文雄首相と、3代続いて政権投げ出しになりました。安倍元首相の場合は持病の悪化を理由としていましたが、新型コロナウイルス対策やアベノミクスの失敗による政権批判の高まりも背景にありました。菅前首相と岸田首相の場合は明らかに政権の行き詰まりと内閣支持率の低下によるものです。
 岸田首相が総裁選立候補を断念した背景には何があったのでしょうか。自民党はどのような延命策を講じようとしているのでしょうか。それに対して私たちはどう対応し、自民党政治への追撃戦をどのように展開したらよいのでしょうか。岸田不出馬の背景と自公政権打倒の課題について検討したいと思います。

 岸田首相はなぜ行き詰まったのか

 岸田首相が続投断念を決断した最大の理由は、国民の信頼を失って行き詰ったからです。なぜ、政権を放り出すほどに信頼を失ってしまったのでしょうか。その最大の理由は、裏金事件への対応と処理にあります。
 この事件に対する岸田首相の対応は小出しで後手に回り、実態解明は不十分、関係者の責任追及も処分も中途半端でした。政治改革規正法の改正も抜け道だらけで、肝心の企業・団体献金や政治資金パーティー、政策活動費は温存されたままです。これでは国民の理解が得られるはずがありません。
 岸田政権では裏金事件以外にも政治スキャンダルが相次ぎました。不祥事などの問題が発覚した政務三役や議員は約30人に上ります。最近でも、勤務実態のない公設秘書給与を詐取した広瀬めぐみ参院議員や有権者に香典を違法に配ったりした堀井学衆院議員が辞職しています。このような政治腐敗事件が相次いだのも、岸田首相が「政治とカネ」の問題に真剣に取り組まなかったことの反映でしょう。
 安倍晋三元首相の銃撃事件を契機に注目された統一協会と自民党との長年にわたる腐れ縁についても、岸田首相は真正面から向き合いませんでした。統一協会との癒着は岸田政権と自民党への不信をかきたて、その実態と責任を明らかにしないまま逃げ切ろうとしたのは裏金事件への対応と同様の問題をはらんでいます。

 岸田退陣は世論と民主主義の勝利

 岸田首相は前任の安倍・菅政権との違いを際立たせるために「聞く力」をアピールし、「民主主義の危機」や「新しい資本主義」を強調しました。しかし、これらは単なるポーズにすぎませんでした。安倍元首相の「国葬」の強行にみられるように、民意を軽視し、反対意見に耳を傾けず、数の力で押し通すやり方は変わらなかったからです。閣議決定の多用という国会無視の政治運営、力づくでの安倍的政治手法も踏襲されました。
 このような強権的姿勢は国の根本にかかわる重要政策で顕著です。専守防衛政策を空洞化させる「敵基地攻撃(反撃)能力」の保有、殺傷兵器の輸出や攻撃的兵器の取得、防衛費の倍増を盛り込んだ安保三文書の策定などによって安全保障政策を大転換してきました、
 また、宏池会の会長だった岸田首相はハト派でリベラルという印象を悪用して大軍拡に着手し、「拡大抑止」によって核の傘への依存度を高め、グローバルパートナーシップを宣言して日米同盟の強化と米軍との軍事的一体化を進めてきました。保守派に取り入るために憲法の条文を書き換えることに執念を燃やし、実質改憲の具体化との「二刀流」による憲法破壊(壊憲)に狂奔してきたのです。
 原発の最大限活用への転換、「処理水」の海洋放出、辺野古新基地建設の大浦湾側での着工、マイナ保険証の強制などは安倍政権以上の悪政の連続です。アベノミクスの失敗と増税による国民生活の破壊、2年連続の実質賃金の低下と物価高、生活苦の増大と人口減少なども大きな問題になりました。このような政権が国民から見放されるのは当然です。岸田首相を退陣に追い込んだのは世論と民主主義の勝利だというべきでしょう。

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8月3日(土) 戦後史における自民党政治―その罪と罰を考える(その3) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友 別冊 2024』「自民党政治を根本から変えよう」に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます〕

 旧傍流右派路線の全面開花としての第2次安倍政権

 中曽根政権による「戦後政治の総決算」路線は、安倍元首相による「戦後レジームからの脱却」路線へと継承されます。中曽根による「戦後政治」も、安倍が言う「戦後レジーム」も、戦後憲法を前提にした統治スタイルを選択した保守本流路線のことでした。その「総括」や「脱却」をめざした両者に共通するのは、憲法に対する敵視と侮蔑です。中曽根元首相は「マック(マッカーサー)憲法」と呼び、安倍元首相は「みっともない憲法」だと軽蔑していました。
 また、国際的役割の重視とアメリカ追随、軍事大国化や戦前回帰という点でも共通しています。中曽根元首相の「国際国家論」は、国際社会における発言力の増大、国際関係における積極性・能動性の発揮、「西側の一員」としての責任分担などでした。これらは「同盟国・同志国」における軍事分担論に基づく集団的自衛権の行使容認をめざした第2次安倍政権に受け継がれ、平和安保法制(戦争法)の成立に結びつきます。
 さらに、ボトムアップ型の政策形成や官僚主導への嫌悪、ブレーンなどの利用や権力主義的な政治手法などでも共通していました。中曽根元首相は審議会を多用して「新議会」政治と批判され、安倍元首相も有識者会議や閣議決定を優先し、国会審議をスルーしました。いずれも「国会の空洞化」を生み出し、議会制民主主義を踏みにじるものです。
 統一協会と深く癒着していたという点でも、両者には大きな共通性があります。615巻もある文鮮明発言録で最も多く名前が出てくるのは中曽根康弘の名前で、大勝した86年衆参同時選挙では中曽根勝利のために60億円以上もつぎ込んで支援していました。安倍首相も統一協会の広告塔として大きな役割を演じ、そのために狙われ凶弾に倒れています。
 少数者の権利や人権、ジェンダー平等に無関心であることはどの自民党政権にも共通する弱点ですが、戦前回帰を目指して靖国神社を参拝するなど中曽根と安倍は抜きんでています。中曽根首相は1985年8月15日に戦後初の公式参拝を行い、安倍元首相も2013年12月に参拝してアメリカから「失望している」と批判されました。

 岸田政権による安倍政治の拡大再生産――右傾化・強権化・腐敗の継承

 岸田首相が会長だった宏池会は吉田茂の愛弟子である池田勇人によって創設された本流派閥の代表でした。しかし、今では旧傍流右派の軍門に下り、改憲・大軍拡の先兵になっています。岸田政権は宏池会出身というリベラルの仮面を意識的に悪用し、安倍政治を拡大再生産していることに注意しなければなりません。
 その第1は、突出した改憲志向です。任期中に明文改憲を行いたいとの安倍元首相の野望を受け継ぎ、憲法審査会で改憲支持政党による条文案の作成などを画策しました。同時に、重要経済安保情報保護法(経済安保情報法)や改定防衛省設置法、改定地方自治法、武器輸出を可能にする次期戦闘機共同開発条約など、憲法9条に反する実質改憲を推し進めています。経済安保情報法は安倍元首相が成立させた特定秘密保護法を民間分野に拡大するものですが、そのルーツは中曽根元首相が提出して廃案となったスパイ防止法案にあります。
 第2は、着々と進められている従米・軍事大国化です。過去の政権は憲法を盾にアメリカからの要求を拒もうとする姿勢がありましたが、岸田政権はアメリカからの要求を受け入れるために憲法を変えようとしています。真逆とも言える変質です。中曽根元首相は軍事費のGNP比1%枠突破、安倍元首相は集団的自衛権の一部行使容認、岸田首相は5年間で国内総生産(GDP)比2%を上回る43兆円の大軍拡を打ち出し、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を目指しています。「盾」だけでなく「矛」としての役割分担、専守防衛の変更、グローバル・パートナーシップに基づく日米一体となったシームレス(切れ目のない)な統合戦略などは、戦後安全保障政策の根本的な転換にほかなりません
 第3は、経済無策による国民生活の破壊です。安倍政権が推し進めた新自由主義的なアベノミクスと異次元の金融緩和によって円安が進み、物価高で国民はかつてない生活難に直面しました。経済政策重視を掲げて「所得倍増」などを打ち出したかつての保守本流の姿はどこにもありません。岸田首相も当初は「新しい資本主義」や「資産倍増」などを口にしていましたが。軍拡のための増税や子育て支援を名目にした社会保険料の増額、実質賃金の減少や年金の目減りなどによって国民負担率の増加が続いています。
 第4は、「聞く力」によってカモフラージュされた民意の無視です。コンセンサスを重視した保守本流派閥にはもっと国民や野党の声を意識し尊重する姿勢がありました。今では、ことさら「聞く力」を強調せざるを得ないほどに、民意の無視が際立っています。その「耳」がどれほどのものであるかは、沖縄・辺野古での新基地建設推進、インボイスの強行実施、マイナカードの押し付けとマイナ保険証への切り替え強要、「いのち輝く」どころか「いのち危うく」になりそうな大阪・関西万博の開催、水俣病患者団体との懇談会でのマイクオフなど、私たちが目にしている通りです。
 第5は、金権腐敗の極致としての裏金事件です。過去の自民党は、企業・団体献金の問題性をそれなりに認識していました。だから政治改革関連法によって個人向けの献金は禁止し、政党向けの献金も5年以内の禁止を飲んだのです。しかし、これは実施されず企業・団体献金はもとより、政治資金パーティ―や政策活動費についても温存しようとしています。金権腐敗政治にどっぷりとつかり、そこから抜け出す意志さえ失った腐敗政党へと変質してしまったのです。

 むすび―罰を与えるのは主権者としての国民

 自民党は80年代中葉に反憲法政治へと転じ、平和・安全・生活・営業・人権を破壊する悪政を続けながらも、「疑似政権交代」によって権力の座に居座り続けてきました。その最大の罪は政権交代のある民主主義を阻害し続けてきたことにあります。自民党が犯してきた数々の罪に対して、今こそきっちりとした罰を与えなければなりません。
 ただし、自民党が犯した罪に対して全く罰が与えられなかったわけではありません。過去において危機に瀕した自民党は派閥間の抗争や「振り子の論理」によってあたかも政権交代したかのような外見を凝らすことで国民の目を欺き、2勝2敗の結果を残しています。危機は自動的に政権交代に結びつくわけではなく、国民の運動や選挙による審判がなければ生き延びてしまうのです。
 裏金事件で自民党による宿痾の温存と自浄能力のなさが明らかになりました。党改革や政治改革は中途半端に終わり、金権化と腐敗が存続し、右傾化・金券化・世襲化という重病を治療する力を失っています。自らの力で治癒できないのであれば、国民の力で治療するほかありません。
 宿痾を克服するチャンスを与えるのは、自民党がまともな政党に生まれ変わるためでもあります。国会の中で解決できないのであれば、国会の外で決着をつけるしかないのです。次の総選挙がその機会となるでしょう。それまでのあらゆる選挙で自民党とそれに連なる候補者に「ノー」を突き付けることが必要です。
 自民党がこれまで犯してきた数々の罪に対して、はっきりとした罰を与えなければなりません。政権交代という形での明確な罰を。最近の世論調査に示されているように、国民もそれを望んでいるのではないでしょうか。政権担当者を交代させることこそ、生殺与奪の権を握っている主権者としての国民の役割であり権利なのですから。(文中敬称略)

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8月2日(金) 戦後史における自民党政治―その罪と罰を考える(その2) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友 別冊 2024』「自民党政治を根本から変えよう」に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます〕

 保守政治の転換点としての中曽根政権

 自民党内の3つの潮流は同じような力関係で推移したわけではありません。とりわけ、保守本流と傍流右派の力関係は1980年代中葉に大きく変化します。1982年から87年までの中曽根政権時代に、保守本流と傍流右派の力関係が逆転し始めるからです。
 中曽根首相は憲法改正を含む占領政策の是正という改進党の政策大綱を1952年に起草し、56年には「この憲法のある限り無条件降伏続くなり」という「憲法改正の歌」を作詞していました。政治家となった最初から、一貫して明確な明文改憲論者だったのです。首相時代にも自分の内閣ではタイムテーブルに載せないと断りつつ、憲法改正の必要性を主張していました。
 対外政策では、「国際国家論」を掲げて対米忖度従属路線を選択し、就任早々に訪韓して悪化していた軍事政権との関係を修復しました。「日米両国は運命共同体」だとして日本列島不沈空母論、3海峡封鎖、シーレーン防衛などを唱え、GNP比1%枠の突破など軍事力強化の方向を打ち出し、戦後の首相として初めて靖国神社を参拝するなど復古的な言動も目立ちました。このような憲法の平和主義に反する軍事大国化の方向は後継政権に引き継がれ、岸田政権の大軍拡路線で全面開花することになります。
 中曽根首相は「戦後政治の総決算」を掲げましたが、その真意は保守本流路線への挑戦にありました。実際には戦後(保守本流)政治の総決算であり、これによって国の富を軍事ではなく経済や産業の育成、福祉などの民生に振り向ける「9条の経済効果」は薄れていきます。80年代をピークに、バブル経済がはじけるとともに高度経済成長は幕を閉じ、90年代以降、国力を衰退させる下り坂を歩み始めることになります。

 新自由主義の全盛期としての小泉政権

 1986年の「死んだふり解散」によって中曽根首相は大勝し、総裁任期を延長して「86年体制」を豪語しました(これについて、詳しくは拙著『戦後保守政治の転換―「86年体制」とは何か』ゆぴてる社、1987年、を参照)。この時、戦後保守政治は反憲法政治へと転換し、保守本流と傍流右派との力関係は逆転し始めます。憲法を敵視し蹂躙する右派的な政治路線は旧田中派の一部の離党などもあって勢力を拡大し、右傾化を完成させることになるのです。
 また、中曽根政権は第二次臨時行政調査会(第二臨調)を設置して臨調・行革路線を打ち出し、国鉄の分割・民営化などを断行しました。修正資本主義的な福祉国家路線と全面的に対峙する新自由主義の始まりです。政治手法としても、野党や党内の抵抗を回避するために国会審議を経ずに政策決定を行う審議会多用のブレーン政治を活用しました。これは安倍政権や岸田政権による有識者会議などの利用、閣議決定による官邸主導の政策決定に受け継がれます。
 新自由主義は新保守主義経済学の一流派で、ケインズ主義的な福祉国家政策に対して「小さな政府」を主張しました。具体的には、国鉄・電電・専売の3公社など国有企業の民営化、公的規制の緩和、民間活力の発揮を打ち出します。その嚆矢は中曽根政権でしたが、全盛期は小泉政権の郵政民営化などの「聖域なき構造改革」でした。
 郵政民営化には自民党内からも反対が出て関連法案は参院で否決されます。小泉首相は衆院を解散して反対する議員を排除し、「刺客」を送って落選させるなど官邸主導で強引な党運営を行いました。コンセンサスを重視する保守本流の合意漸進路線とは正反対の政治手法です。
 しかし、ポピュリスト的な言動とテレビなどを活用したパフォーマンスによって小泉内閣は高い支持率を獲得し、総合規制改革会議などを設置して労働の規制緩和などの構造改革を推し進めます。契約社員や派遣社員などの非正規労働者が激増し、実質賃金の低下と労働条件の悪化も進みました。貧困化と格差の拡大、社会保障の削減と「平成の大合併」や地方交付税の削減などの「三位一体の改革」によって地方は疲弊し、日本は持続困難な社会へと変質していきます。

 罰としての政権交代

 政権担当者が犯した罪に対する最大の罰は、政権から追い出されることです。自民党もこのような形で罰を受ける危機に瀕したことがあります。保守本流政治が定着した70年代以降、自民党が政権を失うかもしれない瀬戸際に立たされたことは4回ありました。
 1回目は、田中角栄政権末期から三木政権にかけてです。『日本列島改造論』と狂乱物価、金脈問題の暴露によって田中首相は辞任に追い込まれ、その後、ロッキード事件が発覚して元首相の逮捕という驚天動地の事態が起きました。しかし、自民党は「ダーテイー田中」から「クリーン三木」へという「振り子の論理」による「疑似政権交代」で国民の目を欺き、政権維持に成功します。
 2回目は、宮沢喜一政権から細川護熙政権にかけてです。自民党の金権体質は改善されず、リクルート事件、東京佐川急便事件、ゼネコン汚職や金丸信副総裁の巨額脱税事件などによって政治改革が大きな課題になりました。宮沢首相は衆院を解散し、自民党が分裂して新生党や新党さきがけが結成され、日本新党など8党・政派による細川連立政権が樹立されます。その結果、「55年体制」は崩壊しました。
 3回目は、森喜朗政権から小泉純一郎政権にかけてです。森首相は「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」と述べ、衆院選挙中に無党派層は「投票日には寝ていてくれればいいのだが」と発言し、支持率が急落して辞任します。このとき、「自民党をぶっ壊す」と言って登場したのが小泉純一郎でした。結局、自民党は息を吹き返し、「疑似政権交代」を取り繕うことで生き延びたのです。
 4回目は、麻生太郎政権から鳩山由紀夫政権にかけてです。麻生政権は閣僚などの失態や漢字の読み間違いなどで顰蹙を買い、支持率が急落して都議選で大敗します。追い込まれた麻生首相は任期満了直前になって解散・総選挙に踏み切りましたが自民党は大敗して過半数を割り、民主・社民・国民新3党の連立で鳩山政権が成立します。これは戦後初めての本格的な政権交代でしたが、中心となった民主党の不手際や準備不足もあって3年という短さで幕を閉じ、自民党政権の復活を許すことになります。

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8月1日(木) 戦後史における自民党政治―その罪と罰を考える(その1) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友 別冊 2024』「自民党政治を根本から変えよう」に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます〕

 はじめに

 自民党はもう終わりです。歴史的な役割を終えた政党には退場してもらうしかありません。政権から追い出さなければ、この国に害悪を及ぼすだけです。それが早ければ早いほど、不幸はより小さく希望はより大きくなるでしょう。
 自民党に功績が全くなかったわけではありません。政権政党となり、長きにわたって権力を維持できた背景には、それなりの根拠があるからです。その最大のものは戦後復興を担って高度経済成長を実現し、国民総生産(GNP)第2位の経済大国を実現したことにあります。
 しかし、それは80年代中葉までのことにすぎません。開発独裁型経済成長、修正資本主義的な経済政策、コンセンサス重視で漸進的な政策決定、そして戦後憲法体制を前提とした政権運営が、大きく転換し始めたからです。これ以降、自民党政治は功よりも罪多きものへと変質してきました。
 このような保守政治の転換によってもたらされた罪を明らかにし、罰を与えるべき必然性とその根拠を示したいと思います。自民党は完全に役割を終え、罪の上塗りと責任逃れに終始しているからです。過去の遺物となった自民党にとって、最後に果たすべき役割は一つしかありません。これまでに犯してきた数々の罪を真摯に反省し、最大の罰として政権の座を去るという役割です。

 自民党における3つの宿痾と3つの潮流―保守本流・傍流右派・傍流左派

 自民党には、治癒不可能な宿痾(しゅくあ)ともいうべき3つの病があります。右傾化・金権化・世襲化という病気です。第1の右傾化は、憲法に対する敵意、軍事大国化と戦前の社会や家族のあり方へのこだわり、歴史修正主義と少数者や外国人の人権無視、女性差別とジェンダー平等への反感などに示されています。
 第2の金権化は、最近も明らかになった裏金事件などの金銭スキャンダルの多発です。そして、第3の世襲化は、最近になってますます強まってきている二世や三世議員などの跋扈です。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の総選挙以降の自民党の首相のうち、世襲でないのは菅義偉1人にすぎません。
 これらの長く続く病は自民党の体質となり、もはや自らの力で治すことは不可能なほど全身を蝕んでいます。岸田政権の大軍拡路線や裏金事件、世界基督教統一神霊協会=世界平和統一家庭連合(統一協会)との癒着、閣僚における世襲議員の跋扈などは、この病がますます重篤化し、日本政治を毒する元凶となっていることを示しています。
 このような自民党には、大きく分けて3つの潮流が存在していました。それは、保守本流・傍流右派・傍流左派という派閥の流れです。このような分岐はそれほど明確ではなく、最近ではますます違いが不明瞭になっていますが、完全に消滅したわけではありません。
 第1の「保守本流」は、政策的には経済政策重視の解釈改憲路線、政治手法としては合意漸進路線を取りました。吉田首相の人脈と政策路線を受け継いだ池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、田中角栄、福田赳夫、竹下登、宮澤喜一、橋本龍太郎、小渕恵三などが担い手となっています。60年安保闘争後の解釈改憲路線の採用と池田政権における所得倍増政策の成功によって自民党政治を安定させ、「本流」の地位を占めることになりました。
 これに対して、右に位置したのが第2の「傍流右派」であり、左にあったのが第3の「傍流左派」です。第2の傍流右派は明文改憲と再軍備を掲げ、コンセンサス軽視で政治的対決をいとわなかった岸信介を源流に、中曽根康弘、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三などによって継承されました。
 第3の傍流左派はきわめて少数のリベラル護憲派で、三木武夫や宇都宮徳馬、鯨岡兵助や加藤紘一、『新憲法代議士』という本を上梓した護憲リベラルの白川勝彦などにすぎません。最も注目されたのは三木内閣が成立した時で、その後は次第に影を薄めてしまいました。

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4月10日(水) 自民党の裏金疑惑と岸田政権の行き詰まり [論攷]

〔以下の論攷は『八王子学術・文化日本共産党後援会ニュース』No.27、2024年4月5日付に掲載されたものです。〕

 「赤旗」の追及に「白旗」を上げた自民党、というところでしょうか。自民党の政治資金パーティ―をめぐる裏金疑惑です。政治倫理審査会(政倫審)に岸田首相や安倍派の事務総長経験者などの幹部9人が出席して釈明しましたが、誰がいつどのようにして始め、何に使ったのかなど肝心なことは何一つ解明されませんでした。
 裏金についての疑惑が晴れたというより、一層深まったというしかありません。ハッキリしたことは、政倫審ではハッキリしないということです。嘘をついたら罰せられる証人喚問が必要です。
 岸田首相は「火の玉」になって取り組むと言っていましたが、「火だるま」になってしまいました。「解党的出直し」とも言っています。でも「解党」だけで結構、「出直す」必要なし、というのが国民の「回答」でしょう。
 安倍派の事務総長経験者などの処分が検討されていますが、誰が何をやりどのような責任があるのかが不明なまま幕引きを図ろうとしているように見えます。そもそも、各自の「罪」がはっきりないのに、どのような「罰」を与えようというのでしょうか。
 今回の裏金疑惑は、個々の政治家と個別企業との間ではなく、自民党という政党全体と企業総体の献金という組織的犯罪です。その根は深く、再発を防止するためには献金自体を禁止するしかありません。そもそも30年前の政治改革で政党助成金が導入されたとき、企業・団体献金は禁止されるはずだったのですから。
 それにしても、自民党はここまで腐ってしまったのか、と暗澹たる思いでいっぱいです。 岸田首相も総理就任祝いのパーティ―や統一協会との癒着についての疑惑があり、女性局がパリで研修名目の観光をしていたころ青年局は和歌山で女性ダンサーを招いてのふしだらなパーティ―にうつつを抜かしていたのですから。
 このようなスキャンダルの背後で、大軍拡に向けての動きだけは着々と進行し、政府は殺傷兵器の最たるものである戦闘機を輸出する閣議決定を行いました。「歯止め」に実効性はなく、国会は関与できません。1976年の国会答弁で宮沢喜一外相は「わが国は武器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれていない。もう少し高い理想を持った国であり続けるべきだ」と述べていました。
 平和国家としての「高い理想」を忘れて「落ちぶれて」しまったのが、今の日本です。「9条の経済効果」を失って国力を弱め、長期停滞で実質賃金は増えず、国内総生産(GDP)でドイツに抜かれて世界第4位になりました。1人当たりGDPでは27位、国際競争力では35位です。
 昨年の出生数は過去最低で、死者数から出生数を引いた減少数は過去最大になっています。日本の政治・経済・社会はどれも危機に瀕し、がけっぷちにさしかかっています。そこから抜け出すには、自民党政治を終わらせるしかありません。
 裏金疑惑で窮地に陥っている岸田首相に引導を渡す唯一可能で必要な道は、市民と野党の共闘です。非共産の壁を取り除いて野党が大同団結すれば、政権交代は可能だという発言が相次いでいることも注目されます。
 大島理森元衆院議長は「野党各党が覚悟を決めて大同団結し、無党派層も流れていったら、野党が強くなる可能性はある」(『朝日新聞』2月23日付け)と指摘し、細川護熙元首相は「細川政権の8党派の時は非自民・非共産だったが、今度は共産党だって一緒にやった方がいい。そのくらいまでも抱合するような政治改革政権を目指すのがいいのではないか」(同2月27日付け)と述べています。
 裏金疑惑の発端は共産党の『しんぶん赤旗』日曜版によるスクープでした。政党助成金を受け取らず最もクリーンな政党は共産党です。市民と野党の共闘でも大きな役割を担っていただきたいと思います。岸田政権打倒に向けての追撃戦の先頭に立って共産党が共闘をリードし、今度こそ自民党政治の息の根を止めてもらいたいと大いに期待しています。


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3月28日(木) 自民党政治の混迷と野党共闘の課題――「受け皿」を作って政権交代を(その2) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友』No.848 、2024年4月号に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 厳しい批判と攻防の構図 

 このようなスキャンダルの連発によって、岸田政権と自民党は世論の厳しい批判を浴びています。時事通信が実施した2月の世論調査で、岸田内閣の支持率は前月比1.7ポイント減の16.9%で発足以来の最低、毎日新聞では支持率14%で不支持率82%でした。不支持率の8割越えは1947年以来初めてです。
 しかし、このような支持率の低下が自民党支配の打倒に直ちに結びつくわけではありません。これまでも自民党はペテンとゴマカシによって支配の危機を乗り越え、生きながらえてきたからです。
 たとえば、金丸巨額脱税事件で国民の怒りを買い、総選挙で自民党が敗北して細川連立政権が樹立されたとき、金権腐敗打破を掲げた政治改革が選挙制度改革にすり替えられ、小選挙区比例代表並立制と政党助成金制度が導入されました。このとき政権から転落した自民党は大政党に有利な選挙制度を導入し、助成金と企業・団体献金との二重取りによって「焼け太り」してしまったのです。
 また、森喜朗首相が数々の失言によって世論の批判を浴び、内閣支持率を一けたにまで低下させたとき、総裁選を前倒しして小泉純一郎総裁を選出し、その後の総選挙で自民党は大勝して息を吹き返しました。小泉首相は「自民党をぶっ壊す」と言いながら自民党を救いました。「小泉劇場」による「目くらまし」が功を奏したわけです。
 現在、危機に陥っている自民党は、この「小泉劇場」の再現を狙っているのかもしれません。菅前首相を黒幕とする「小石河」(小泉・石破・河野)の暗躍もうわさされています。金丸巨額脱税事件での「焼け太り」や「小泉劇場」による「目くらまし」を許すことになるのか、野党や国民にとっての正念場が訪れようとしています。

 共闘で「受け皿」を作れば勝てる

 支配の危機を自民党政治の打破に結び付けるための最大のカギは市民と野党の共闘です。野党は「受け皿」作りを急ぎ、一致して自民党を追い詰める必要があります。「振り子の論理」による派閥間の「疑似政権交代」によるマヤカシに騙されてはなりません。
 「疑似」ではなく「真正」の政権交代を実現するためには、野党が一本化して自民党と対決する必要があります。共闘すれば勝てるけれど、分裂すれば勝てないというのが、この間の地方選挙で示された教訓です。
 前橋市長選挙では、自民・公明に支援され4選を目指した無所属現職候補に対して野党が支援した無所属新人の元県議が初当選しました。1万4000票余もの大差でした。与野党が一本化して対決し、「保守王国」とされる群馬の県庁所在地で野党側が勝利したのです。
 これに対して、私が住んでいる八王子市長選挙では、野党側が分裂したために惜敗に終わりました。萩生田前政調会長などの自民党と公明党が支援する現職市長の後継候補が6万4000票と大きく票を減らしたにもかかわらず、「反萩生田連合」の候補が5万7000票と、7000票差で惜敗しました。
 この候補者は元都民ファーストの都議ながら無所属となって立憲・共産・生活者ネット・社民・新社会の野党だけでなく、元自民党衆院議員や2人の元自民党市議会議長の応援を得ましたが、もう一人の元都民ファーストの都議で完全無所属を掲げた候補が4万5000票を獲得したために当選できませんでした。「反萩生田」の票は2人合わせて10万2000票と自公推薦候補を大きく上回っていたにもかかわらず。
 まことに、惜しい結果でした。「野党が覚悟を決めて大同団結し」(大島理森・元衆院議長)、力を合わせて統一していれば勝てました。国会議員の応援を断ったのも問題です。主敵を絞って総力を結集し、あらゆる手段を駆使して市民と野党が共闘する大切さを痛感させられたものです。


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3月27日(水) 自民党政治の混迷と野党共闘の課題―「受け皿」を作って政権交代を(その1) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友』No.848 、2024年4月号に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 混迷を深める自民党政治
 
 「大山鳴動して鼠3匹」というところでしょうか。自民党の政治資金パーティーをめぐる裏金疑惑です。検察の腰砕けにはあきれてしまいました。政治家では池田佳隆衆院議員が逮捕され、大野泰正参院議員が在宅起訴、谷川弥一衆院議員が略式起訴されたにすぎません。
 疑惑の渦中にあった塩谷立元文部科学相などの安倍派トップや松野博一前官房長官、高木毅前国対委員長、萩生田光一前政調会長、西村康稔前経産相、世耕弘成前参院幹事長の「安倍派5人衆」、二階派会長の二階俊博元幹事長らはおとがめなしとなってしまいました。
 自民党は「政治刷新本部」を設置して「中間とりまとめ」を発表しましたが、政治資金パーティーの禁止は運用面での取り組みにすぎず、禁止する法改正にまでは踏み込んでいません。企業・団体献金の禁止や連座制導入への言及もありません。
 また、自民党は全議員対象のアンケートを実施して調査結果を公表し、安倍派や二階派の議員らに対する聞き取り調査の結果も明らかにしました。アンケートによって不記載は85人、5億7949万円だったことが明らかになりましたが、誰の指示で、いつからどのように裏金作りをはじめたのか、そのお金を何に対してどのように使ったのかという核心部分は明らかにならず、「事実上のゼロ回答」と報じられました。
 聞き取りでも、裏金作りは約20年以上も前から始まっていたとされますが、詳細は明らかになっていません。一連の対応によって露呈したのは、自民党の自浄能力のなさです。自民党任せにせず、国会が真相解明に取り組む必要があります。
 野党は裏金作りが判明している衆院議員や参院議員83人の政治倫理審査会(政倫審)への出席を求めました。岸田首相をはじめ安倍派の幹部などが出席しましたが、自己弁護の言いっぱなしや虚偽答弁が可能な政倫審は、説明責任を果たしたという免罪符を手にして幕引きに利用されたにすぎませんでした。疑惑を深めただけで真相解明には結びつかず、参考人招致や罰則付きの証人喚問が必要になっています。

 次々に出てくる疑惑の数々

 自民党の「政治とカネ」をめぐっては、政治資金パーティーによる裏金作り以外にも、次々と新たな疑惑が生じています。政治資金収支報告書の訂正では、萩生田前政調会長が「不明」ばかりで大きな批判を浴びました。不記載額がトップだった二階元幹事長は、書籍代に3660万円も支出しており、政党から議員個人へのつかみ金となっている政策活動費が5年間で48億円という巨額に上っていることも判明しました。
 岸田首相自身にも、総理就任を祝うパーティーについての疑惑が浮上し、松野前官房長官については退任直前に官房機密費4660万円を自分に支出していたことが暴露されました。茂木敏充幹事長の選挙経費「二重計上」疑惑や甘利明元選挙対策委員長が全国を回って裏金を配っていた疑いなど、まさに「底なし沼」のような腐敗ぶりです。
 加えて、統一協会(世界平和統一家庭連合)との癒着についての新た疑惑も浮上しました。所管大臣である盛山正仁文科相が統一協会と関連する団体の集会に出席し、政策協定にあたる推薦確認書に署名していた写真が朝日新聞に掲載されたからです。これについては自民党の点検でも報告されていませんでした。
 盛山文科相は国会での質疑で「記憶にない」を連発し、岸田首相は「関係を断っている」と弁護していましたが、最近まで協会の友好団体の機関誌が送り付けられていました。立憲民主党は文科相の不信任決議案を衆院に提出しましたが、自民・公明・維新の多数で否決されています。
 この間、林芳正官房長官も推薦確認書を提示して署名を求められていたことや岸田首相も盛山文科相と一緒に写っていた協会幹部と同じ写真に写っているなど、統一協会との新たな接触も明らかになっています。まさに、際限のない癒着ぶりというほかありません。


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1月29日(月) 裏金疑獄があぶり出した自民党の腐敗と劣化――表紙を変えて延命させてはならない(その2) [論攷]

〔以下の論攷は『学習の友』No.846、2024年2月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 表紙を変えて延命させてはならない

 今回の裏金疑獄は、「令和のリクルート事件」だと言われます。リクルート事件は1988年に発覚した戦後最大の贈収賄事件で、関連会社の未公開株が政治家や官僚などに賄賂として贈られ、竹下登首相や宮澤喜一蔵相が辞任に追い込まれました。
 竹下後継として名前が上がった伊東正義総務会長は「表紙だけ変えても中身を変えなければダメだ」と言って要請を断りました。今回の裏金疑獄は、表紙だけ変えて生き延びてきた自民党がどれほど腐りきってしまったかを白日の下にさらしました。
 その後就任した宇野宗佑首相は女性スキャンダルで海部俊樹首相に交代し、参院選で自民党は過半数を失い「ネジレ国会」になります。さらに金丸ゼネコン汚職で政権を失い、政権復帰後も橋本龍太郎首相が参院選で敗北、後を継いだ小渕恵三首相が急死し、森喜朗首相に交代したものの「神の国」発言で支持率が急落して危機に陥りました。
 このとき、「自民党をぶっ壊す」と言って登場したのが小泉純一郎首相でしたが、結局は自民党を救うことになりました。その後も1年交代の短期政権が続き、総選挙で敗れて民主党政権に代わりますが、第2次安倍政権によって政権復帰に成功します。
 このように自民党は支配の危機に陥るたびに派閥間で政権をたらい回しにする「振り子の論理」によって目先を変えながら生き延びてきました。今回もこのような疑似政権交代で生き伸びようとするにちがいありません。
 それを許さず、追い込まれ解散で野党に政権を奪われた麻生首相の二の舞を演じさせなければなりません。表紙を変えても同じことを繰り返すにちがいないないということは、これまでの歴史が教えているのですから。

 唯一の活路は共闘による政権交代

 自民党の宿痾を治癒し「政治とカネ」の問題を解決するためには、政権から追い出して政治に緊張感を取り戻すことが必要です。そのための唯一の活路は市民と野党の共闘です。憲法を尊重し、平和・民主主義・人権を守り、国民要求の実現をめざす本格的な政権交代によって希望のもてる未来を実現しなければなりません。
 戦争法反対運動以来、野党共闘は多くの経験と実績を積み重ねてきました。これに危機感を募らせた自民党の激しい巻き返しに会って、一時は困難に直面しました。しかし、12月7日に市民連合を仲立ちとした政策要望会が開かれ、立憲・共産・れいわ・社民・参院会派「沖縄の風」の5党・会派が次期総選挙に向けて5項目の共通政策を確認しました。共闘の再構築に向けて重要な一歩が踏み出されたことになります。
 ここで強調したいのは、野党共闘に背を向けることは危機に陥った自民党を救うことになるということです。政治をまともなものに立て直すためには「政治とカネ」の問題で腐りきった自民党を権力の座から追い出して責任をとらせなければなりません。そのために必要で唯一可能な方法は、市民と野党が手を結ぶことです。
 「非自民非共産」を唱えて共闘から共産党を排除する動きがありますが、これは決定的な誤りです。今回の裏金疑獄発覚の発端は共産党の「しんぶん赤旗」日曜版のスクープでした。安倍元首相の「桜を見る会」や前夜祭の問題も共産党の田村智子副委員長の国会質問から明らかになりました。統一協会や勝共連合から敵視され、真っ向から対峙してきたのも、政党助成金を受け取らず「政治とカネ」の問題で最もクリーンなのも共産党です。
 「政治とカネ」の問題を正し自民党の金権腐敗政治を断罪する最適な有資格者は共産党ではありませんか。イデオロギー的な偏見や色眼鏡で見るのではなく、事実と歴史を直視するべきでしょう。立憲と共産の連携を軸に市民が結集する共闘を再建し、「受け皿」づくりによって活路を開くことこそ、2024年の最大の課題です。
 自民党の「オウンゴール」によって大きなチャンスが生まれました。派閥による政権のたらい回しを許さず、自公政権を解散・総選挙に追い込み、政権交代を実現することで今年を良い年にしようではありませんか。後世において、あのとき希望の政治への扉が開かれ、歴史が変わったのだと言われるように。


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