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11月9日(日) 国家公務員給与減額違憲訴訟の東京地裁判決についての疑問 [裁判]

 昨日、ある研究会で国家公務員の給与減額違憲訴訟について弁護団事務局長の萩尾健太弁護士の報告を聞きました。東京地裁での一審判決は、「原告らの請求をいずれも棄却する」という全面敗訴です。
 しかし、それで良いのかという大きな疑問を感じました。東日本大震災からの復興に要する財源を確保するという理由で、2012年4月分の給与から人事院勧告によらない国家公務員給与の平均7.8%(賞与は一律10%)の減額が実施され、それが当然だとされたからです。

 第1の疑問は、なぜ国家公務員だけが復興財源を二重に負担しなければならないのかということです。東日本大震災からの復興財源は所得税、法人税、住民税に上乗せされる形で徴収され、国家公務員も国民としてそれを負担しているからです。
 このような所得税と住民税の上乗せによる税負担に加えて、国家公務員だけが給与の削減によって平均一人100万円程度の強制カンパを徴収されたことになります。それが国家公務員だけというのは、取りやすいところから取ったというに過ぎないのではないでしょうか。
 しかし、東日本大震災の被害に対して国家公務員は何ら責任を問われる筋合いはないどころか、その復興に向けて特別に大きな役割を果たすことが期待される立場にありました。本来であれば、公務員は給与を減額されるどころか、その特別な役割発揮に向けて給与を増額するとか特別手当を支給されるべき立場にあったというべきでしょう。

 第2に、給与の減額は平均7.8%、賞与では約1割、平均100万円の削減になりましたが、どうしてこのような額になったのかということです。多少の負担はやむを得ないとしても、なぜこれほどの額を強制的に差し引くことになったのでしょうか。
 この削減額についての明確な算定根拠は示されたのでしょうか。その根拠とは復興のために必要な額の全体ということではなく(すべての復興財源を公務員だけで負担できるはずがありませんから)、その一部を国家公務員として負担するにふさわしい割合がこれだけであるという正当性根拠を意味しています。
 東日本大震災の復興財源が必要なことは明確であり、国民こぞってそれを負担すべきことも了解されるとして、そのうちのどれだけを公務員給与の減額という形で確保すべきであるかは、負担することを求められた当事者に納得される額ないしは割合でなければならないないでしょう。それについての合理的で納得を得られるような根拠は示されたのでしょうか。

 第3に、そもそも労使関係において、賃金は勝手に決められて良いものなのかという問題があります。そうであってはならないということ、本来、労使の交渉によって決められるべきであるということは、公務員であっても例外ではありません。
 だからこそ、このような労使交渉の権利を十分保障されていない公務員には代替するものとして人事院勧告というシステムがあるわけです。労働基本権を代替するシステムが人事院勧告ですから、この代替システムが機能不全に陥った場合には当然ながら本来の労働基本権の行使が認められることになるはずです。
 人事院勧告を無視して公務員給与の削減を行うということは、「文句があるなら、本来の権利を行使せよ」と言っているに等しいことになります。一方で労働基本権の行使を制限しながら、他方でその代替措置を無視するというのでは、あまりにも理不尽ではないでしょうか。

 第4に、人事院の勧告はあくまでも勧告であって、国会は必ずしもそのまま従う必要はないというのが裁判所の見解です。これまでも実施が遅らされたり、凍結されたりしたことがあったからです。
 しかし判決も、一方で「人事院勧告通りの立法をすることが義務づけられているとはいえない」としつつ、他方で「国会は、国家公務員の給与決定において、人事院勧告を重く受け止めこれを十分に尊重すべきことが求められている」と指摘しています。つまり、給与決定において人事院勧告は無視してよいものではなく、それに従わない場合でも、どのような形で「十分に尊重」され考慮されたのかがきちんと説明される必要があります。
 「勧告どおりの立法」がなされなかった場合でも、人事院勧告が「絵に描いた餅」ではなく、「重く受け止めこれを十分に尊重」しているということ、このシステムがきちんと機能し考慮されているということを示す必要があるのではないでしょうか。そうでなければこの制度に対する信頼を維持することはできず、人事院勧告制度の正当性が揺らぐことになります。

 萩尾弁護士は必ず控訴すると仰っていました。高裁での二審では、以上に述べたような点についても疑問を晴らすような審理を望みたいものです。



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8月27日(水) 画期的な原発避難での自殺に対する東電への賠償命令判決 [裁判]

 またしても、東京電力の責任が断罪されました。福島第一原発の事故に関連して自殺した方に対する賠償責任が、裁判で認定されたからです。

 東京電力福島第一原発事故で福島県川俣町の自宅から福島市に避難した妻が自殺したのは東電に責任があるとして、夫ら遺族4人が約9100万円の損害賠償を求めていた訴訟で、福島地裁は東電に対して約4900万円の賠償を命じる判決を言い渡しました。この夫妻は子供たちと別れて福島市のアパートに避難しましたが、慣れない土地での生活で妻はうつ病などの精神疾患を発症し、一時帰宅した際に自宅の近くで焼身自殺をしたそうです。
 このような精神疾患や自殺に対して、東電に責任があるかどうかが裁判で争われました。東電は個人の問題だとして責任を逃れようとしましたが、判決では明確に東電の責任が認定されています。
 原発事故に絡む自殺をめぐってこのような判決が出たのは初めてになります。関西電力大飯原発3号機、4号機の運転について「原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があるものと認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである」として、差し止めを命じる判決を言い渡した5月21日の福井地裁の判決に匹敵する画期的な判決だと言って良いでしょう。

 原発事故と自殺との因果関係が問題でした。判決は「展望の見えない避難生活への絶望と、生まれ育った地で自ら死を選んだ精神的苦痛は極めて大きい」とし、自殺したのは「避難生活で精神的に追い詰められ、うつ状態になったため」と述べて、この因果関係を明確に認めています。
 それは当然でしょう。原発事故がなければ、この方は故郷を離れての避難を強いられることはなく、見知らぬ土地での避難生活の困難に苦しめられることもなかったのですから。
 事故がなく、それまでと同様の普通の生活を送ることができていたら、精神を病んで自殺するようなことはなかったでしょう。そのような状況に追い込んだのが原発事故であったことは、誰の目にも明らかなことです。

 福井地裁は「原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険がある」とし、福島地裁は原発事故によって自殺に追い込まれたことを認めました。これらの判決は、原発が人格権を侵害し、人を自殺に追い込むこともある「凶器」だということを認定したものだと言えるでしょう。
 このような「凶器」は一日も早く廃絶されなければなりません。その再稼働などはとんでもないことであり、それを前提にしたすべての計画は破棄され、そのための作業は直ちに中断されるべきでしょう。
 安倍内閣は原発の再稼働を狙って準備を進めていますが、世論はもとより、司法はそれを許さないでしょう。再稼働を前提にした工事などに費やされる資金はすべて無駄になるのではないでしょうか。

 東電は、今回の福島地裁の判決を真摯に受け止め、上告せず判決に従うべきです。他の同様の裁判でも、判決を待たずに和解に応ずるべきでしょう。
 原発の過酷事故を発生させて周辺の住民に避難生活の苦難を負わせたのは東電の責任です。その原発事故に関連した自殺などの苦難に対する責任逃れは二重の責任回避であり、決して許されることではありません。

 なお、これから9月にかけて、以下のような報告や講演などが予定されています。時間と場所が明記されているものはどなたでも参加できる催しですので、可能な方は足を運んでいただければ幸いです。

8月30日 女性労働問題研究会第29回女性労働セミナー(立教大学、10時~)
9月1日 憲法共同センター学習決起集会(全労連会館、18時半~)
9月7日 三鷹事件65周年記念のつどい(武蔵野市公会堂、13時半~)
9月12日 後藤真左美支援学習会(川崎労働会館、18時半~)
9月14日 江戸川区松島・中央9条の会講演と歌のつどい(グリーンパレス、14時~)
9月16日 労働者教育協会学習会
9月18日 出版労連討論集会
9月26日 全労働青年協総会
9月26日 みんなの新宿をつくる会学習会(東医健保会館、18時半~)
9月28日 長野県母親大会分科会助言者

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5月22日(木) 司法の生命力を示した二つの画期的判決 [裁判]

 「裁判は死なず」と言うべきでしょうか。司法の生命力を示した2つの画期的判決が出されました。関西電力大飯原発運転差し止め訴訟と第4次厚木基地騒音訴訟です。

 安全性が保証されないまま関西電力大飯原発3、4号機を再稼働させたとして福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決で、福井地裁の樋口英明裁判長は「大飯原発の安全技術と設備は脆弱なものと認めざるを得ない」と地震対策の不備を認定し、関電側に運転差し止めを命じました。原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした2003年1月の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決(いずれも上級審で住民側の敗訴が確定)に続き3例目になります。
 原告側の訴えがそのまま認められただけでなく、「生存を基礎とする人格権は憲法上の権利であり、法分野において最高の価値を持つ」とし、差し止めの判断基準として「新規制基準への適否ではなく、福島事故のような事態を招く具体的な危険性があるか」を挙げ、大地震が来た時に原発の冷却機能が維持できるかどうかについては関電の想定を「信頼に値する根拠はない」としました。そのうで、「関電は、原発の稼働が電力供給の安定性につながるというが、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されないと考える」と結論づけるなど、判決の論拠や内容においても画期的なものになっています。
 脱原発弁護団全国連絡会などによれば、東京電力福島第1原発事故後、全国で住民側が提訴した原発の運転差し止め訴訟は少なくとも16件あるといいますが、この判決はこれらの訴訟にも大きな影響を与えることでしょう。 脱原発を訴え、風雨が吹き付ける嵐にも負けず、夏の蒸し暑い夜にも冬の凍てつく寒さの中でも毎週金曜日に官邸前で行動を続けてきた多くの人々の努力も、この判決によって報われたのではないでしょうか。

 もう一つの、厚木基地周辺住民が航空機の騒音被害を訴えて国に飛行の差し止めや損害賠償を求めていた第4次厚木基地騒音訴訟でも、横浜地方裁判所は騒音被害の違法性を認め、自衛隊機の夜間と早朝の飛行の差し止めと国におよそ70億円の損害賠償を命じる判決を言い渡しました。基地の航空機の飛行の差し止めが認められたのは全国で初めてであり、この点でまさに画期的な判決だと言って良いでしょう。
 ただし、米軍機の飛行差し止めの訴えについては、日本の法律では差し止めの対象にはならないなどとして退けました。米軍基地は日米地位協定によって治外法権となっているからです。
 今後の基地行政における騒音対策が強化されなければならないのは当然ですが、根本的な対策は、騒音の主な発生源となっている基地そのものを撤去することだということを忘れてはなりません。その可能性を強め、条件を拡大することこそ政治の役割であり、そのためにも集団的自衛権の行使容認などではなく、周辺諸国との緊張緩和を実現し、基地が無用になるような安全保障環境を生み出すように努めるべきでしょう。

 この二つの画期的判決は、運動によって世論を変え、司法を動かすことが可能であるという教訓を示しています。今後の課題は、このような司法の判断を行政に尊重させ、具体的な問題解決に踏み出させることであり、さらに選挙を通じて政治に反映させていくことでしょう。
 このような形で影響力を行使できる権利を持っているからこそ、私たちは「有権者」なのです。そしてその「権利」を行使して政治を左右することができるようになった時こそ、私たちは真の「主権者」になれるのではないでしょうか。

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10月8日(火) 京都地裁がヘイトスピーチに賠償を命ずる初の画期的判決を出した [裁判]

 画期的判決です。これまで放置されてきたヘイトスピーチ(憎悪表現)に賠償を命ずる初めての判決を、京都地裁(橋詰均裁判長)が出しました。

 これは、朝鮮学校の周辺でヘイトスピーチを繰り返して授業を妨害したとして、京都朝鮮学園が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などを訴えた訴訟の判決です。京都地裁は昨日、学校の半径200メートルでの街宣禁止と約1200万円の賠償を命じました。
 橋詰裁判長は、ヘイトスピーチを行った街頭宣伝や一連の行動を動画で撮影してインターネットで公開した行為について、「(日本も批准する)人種差別撤廃条約で禁止した人種差別に当たり、違法だ」と指摘しました。「示威活動によって児童らを怖がらせ、通常の授業を困難にし、平穏な教育事業をする環境を損ない、名誉を毀損した」として、不法行為に当たると判断しています。
 判決によると、在特会の元メンバーら8人は2009年12月~10年3月、3回にわたって京都朝鮮第一初級学校(京都市南区)近くで「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「スパイの子ども」などと拡声器で連呼しました。これに対して、原告側は、マイノリティー(少数派)が自らの属する民族の言葉で教育を受ける「民族教育権」を侵害されたと主張し、第一初級学校を統廃合した京都朝鮮初級学校(同市伏見区)の周辺での街宣禁止や3000万円の損害賠償を求めていました。

 判決は、ほぼ原告側の主張を認める内容になっています。その根拠とされたのが人種差別撤廃条約であるという点は重要です。
 また、学校周辺での街宣活動や賠償を命じたのも、当然ではありますが、画期的です。ただし、賠償額が請求の半分以下に減額されたのは納得できません。
 事柄の性格から言えば、10倍の1億2000万円くらい支払わせても当然だと思います。ただ人種が異なるというだけで、人を差別し、侮辱し、憎悪をかきたてる許し難い行為を、平然と繰り返してきた確信犯たちなのですから……。

 この判決は、日本国内の人権と民主主義の水準を守るという点で、極めて重要なものでした。そればかりでなく、このような人種差別や憎悪を煽り立てるような行動が許される国ではないということを国際的に明らかにしました。
 ヘイトスピーチが繰り返されても何ら罰せられることがなければ、日本という国は異常でおかしな国であるという印象を世界中に振りまくことになったでしょう。この意味でも、今回の判決は日本と日本人の名誉を救う、真に「愛国的」な判決だったと思います。
 つい最近、早くからこの問題に取り組んできた旧知の有田芳生参院議員から、『ヘイトスピーチとたたかう!―日本版排外主義批判』(岩波書店)という著書を贈呈していただいたばかりでした。その有田さんの努力が、このような画期的な判決を引き出すという形で実ったのではないでしょうか。

 被告の在特会は上告せず、この判決を受け入れるべきです。「表現の自由」をはき違え、名誉毀損の不法行為を繰り返すことは、この民主社会においては許されないことなのですから……。

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4月10日(水) 裁判官の独立などは「絵に描いた餅」だった [裁判]

 「やっぱりそうだったのか」という思いと、「なんて情けない」という思いと。これでは、飼い主にしっぽを振って誉められようとする犬のようなものではありませんか。
 「砂川事件」をめぐる裁判での田中最高裁長官の対応です。事前に、米公使と会談して、その意に沿うような判決を出すことを伝えていたというのですから、呆れてしまいます。

 4月7日のことです。機密指定を解除された米公文書から、米軍旧立川基地の拡張計画をめぐる「砂川事件」で、米軍駐留を違憲として無罪とした東京地裁判決(伊達判決)を破棄した最高裁判決の前に、上告審で裁判長を務めた田中耕太郎最高裁長官がレンハート駐日米公使と面会していたことが明らかになりました。
 この面会で、田中長官は「(最高裁の)評議では実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶりかねない少数意見を回避するやり方で評議が進むことを願っている」と語っていたというのです。田中長官が上告審判決前にマッカーサー駐日米大使とも会談し「伊達判決は全くの誤りだ」と伝えていたことも既に判明しています。
 当時は日米安保条約改定を目前に控えており、アメリカは裁判の結果を注目していました。高裁を飛び越える跳躍上告もアメリカの指示によるもので、最高裁判決で一審判決を覆すことについても、事前にアメリカに知らされていたというわけです。

 憲法第76条3項は、「すべて裁判官は、その良心にしたがひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び良心にのみ拘束される」と書かれています。「裁判官の独立」を定めた条項です。
 しかし、最高裁の判決前に米政府は介入し、田中最高裁長官はその意に沿った判決を行うことを示唆していました。しかも、「世論を揺さぶりかねない少数意見を回避するやり方で」「全員一致」にすると。
 田中長官のこのような行為は、裁判官の独立などは「絵に描いた餅」だったことをはっきりと示すものです。憲法の番人であるはずの最高裁の長官が、このような形で堂々と憲法をないがしろにするような違反行為を行っていたことになります。

 驚いたのは、8日の『朝日新聞』です。各紙が一斉にこの記事を報じていたのに、朝刊でも夕刊でも全く触れられていなかったからです。
 昨日の朝刊で、ようやく「上告見通し 米へ伝達」「砂川事件で最高裁長官」という記事が報じられましたが、38面の連載漫画の横です。事実を淡々と伝えるもので、識者の批判的なコメントも最後に付けたしのような形になっています。
 もし、朝日の「特落ち」だったとすれば取材力の衰退を示すものですし、そうでなかったとすれば意図的な政治的配慮が働いたものと考えざるを得ません。
 以前から、「朝日はおかしくなっている」という声が私の周囲から聞こえていましたが、今回も『朝日新聞』の変質をうかがわせるような報道姿勢だと言って良いでしょう。「商売」上、私も仕方なく『朝日新聞』を取っていますが、その必要がなくなったら、とっとと購読をやめるつもりです。

 対照的に、この問題を重視して報じていたのが『東京新聞』です。8日付朝刊では1面と社会面で大きく扱っていました。
 翌9日付でも、1面下のコラム「筆洗」で取り上げ、田中長官に対して「司法の独立を説く資格のないこの人物は、退官後に本紙に寄稿している。『独立を保障されている裁判所や裁判官は、政府や国会や与野党に気兼ねをする理由は全然ない』。厚顔とはこんな人のことを言う」と、厳しく批判しています。
 これに対して、この日の『朝日新聞』の「天声人語」は、何と書いていたでしょうか。「社会に出てからというもの、朝ご飯を食べる習慣を失った。せわしいということもあるが、特に食べたいとも思わない。そんな無精者の関心をおおいに引く記事が、きのうの本紙朝刊に載っていた」というのが、その書き出しです。

 両者の、何という違い。『朝日新聞』はボケボケだと言うしかありません。昔は、そうではなかったように思います。
 今の『東京新聞』は、かつての『朝日新聞』でした。今の『朝日新聞』は、かつての『読売新聞』になってしまったようです。
 このまま変質し続けるのであれば、以前の姿と違っていることをはっきり示すために、名前を変えた方が良いのではないでしょうか。『朝日新聞』から『夕日新聞』に……。

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4月27日(金) 無罪判決によって小沢一郎元代表の逆襲が始まる [裁判]

 注目の小沢一郎民主党元代表に対する判決が出ました。「無罪」ということです。
 野田首相は頭を抱えているにちがいありません。この無罪判決によって、小沢さんとそのグループによる逆襲が始まるのは間違いないでしょうから。

 資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐって、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で強制起訴された民主党元代表の小沢一郎被告に対して、東京地裁は無罪(求刑・禁錮3年)とする判決を言い渡しました。
 無罪となったのは、ある意味で当然だと言えます。もともと、有罪とするだけの証拠に乏しいとして、検察が起訴を諦めていたわけですから……。
 そのうえ、裁判の途中で、検察側の取り調べに問題があったことや検事が作成した捜査報告書に嘘が含まれていたことなどが明らかになり、供述調書の多くは採用されませんでした。検察は、小沢さんを政界から放逐するために様々な工作を行ったようですが、かえってそのために小沢さんを救う結果になってしまったように見えます。

 検察が諦めたにもかかわらず起訴されたのは、検察審査会法の改正によって市民の判断で強制的に起訴できる制度が2009年に導入されたからです。この制度に基づいて起訴された被告の判決は、今回が2例目になります。いずれも無罪となりました。
 今回の小沢さんの裁判が、もし有罪になれば検察は何をやっていたのかということになり、もし無罪になれば検察審査会のあり方が問われることになるだろうと見られていました。結局、後者になったわけです。
 判決では、検察審査会による起訴議決そのものについては有効と判断されました。しかし、このような制度のあり方についての議論は避けられないでしょう。

 裁判では、①虚偽記載はあったのか、②元秘書との共謀はあったのかという二つの点が主な争点となりました。判決は、元秘書らによる虚偽記載があったことは認め、その他の点でも検察官役の指定弁護士の主張をかなり認めましたが、小沢さんとの共謀を立証するだけの証拠は不充分で、無罪としたわけです。
 検察官役の指定弁護士は、控訴を検討するとみられています。もし、控訴されれば、裁判は続きますから、小沢さんの無罪が確定したというわけにはいきません。
 控訴期間は判決の言渡しを受けてから2週間ですから、その結果は連休後には明らかになります。しかし、控訴されてもされなくても、どちらにしても小沢さんが復権に向けて動き出すことは確実でしょう。

 すでに、無罪判決を受けて、小沢さんは「本日の判決は、『虚偽記載について共謀したことは断じてない』というかねてからの私の主張に沿うものである。裁判所の良識と公正さを示して頂いたことに敬意を表すると共に、今日までご支援頂いた同志と全国の皆さんに感謝を申し上げたい」というコメントを出しています。これは、野田執行部に対する宣戦布告のようなものです。
 小沢さんは野田首相が政治生命をかけるとしている消費増税に反対を明言していますし、小沢グループの多くはTPPへの参加にも反対です。これから始まる国会での消費増税関連法案審議の行方を左右するにちがいありません。
 他方、野党の側は、無罪になったとはいえ、小沢さんの政治的倫理的責任は免れないとして国会での証人喚問を求めています。政府・与党は、これに対しても対応を迫られることになるでしょう。

 しかも、民主党執行部の中心に座っているのは、小沢さんに近い輿石幹事長です。ここでも、野田さんの「融和路線」が裏目に出たということでしょうか。
 判決を受けて、早速、輿石幹事長は「当然でしょう。その一言に尽きる」と指摘し、党員資格停止処分の解除に向けて手続きに入る考えを表明しました。連休明けの党常任幹事会で正式に決定する考えのようです。
 控訴されなければ問題ありませんが、もし控訴されれば、処分解除の扱いをめぐって民主党内で亀裂が生ずる可能性もあります。党の分裂を回避したい輿石さんは、密かに消費増税関連法案審議の先延ばしを画策するかもしれません。

 野田政権の前途には、暗雲が立ちこめてきました。連休明けからの政争は、ますます熾烈なものとなるにちがいありません。


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9月10日(金) 村木厚子さん、無罪判決おめでとう [裁判]

 信念を持って、訴え続ければ報われるということが示されました。無罪だ、と訴え続けた1人の女性が、今日、司法によって救われたのです。おめでとうございます。

 郵便不正をめぐる厚生労働省の偽証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚労省元局長・村木厚子被告が、大阪地裁で無罪の判決を言い渡されました。予想されていたこととはいえ、良かったですね。
 危うく、えん罪で罰せられるところでした。犯罪者にでっちあげられずに済んで、本人はもとより、ご家族の方はホッとしていることでしょう。
 検察は控訴するべきではありません。これ以上、権力犯罪を重ねて恥の上塗りをするような愚かなまねは慎むべきです。

 それにしても、驚くべき事件です。検察が提出した証拠は採用されず。描いたシナリオは完全に否定され、村木さんに罪はなかったという結論になったのですから……。
 権力は怖い。罪をでっちあげ、犯罪者をつくりだすことさえやりかねないのですから……。
 検察は、面子のためなら、このようなことまでして罪をでっちあげようとするのでしょうか。一体、何を信じたら良いのかと、暗然たる思いがします。

 いや、信ずべきものがあるのだということを示したのが、この裁判のもう一つの側面でした。今回の判決は、村木さんの無罪を言い渡すことによって、裁判への信頼をつなぎ止め、司法の権威を守ったと言えるでしょう。
 村木さんは逮捕された当初から、無実を訴え続けました。その声が、裁判長に届いたというわけです。
 厳正で公正な裁判を行い、検察を厳しく断罪した裁判長は、検察をも救ったと言えます。えん罪によって無実の罪人を作り出すという過ちを、今回の判決によって未然に防止したわけですから……。

 それにしても、警察や検察はどこまで信用できるのでしょうか。こんな、真っ赤な嘘を平気でつき、証言をねつ造したのですから……。
 それも、1人や2人ではなく、検察の組織として、みんなで口裏を合わせて嘘をついたわけです。嘘がばれないように、捜査段階でのメモを全て廃棄までして……。
 このような組織的で集団的な嘘は、この事件でのことだけなのでしょうか。昨日、最高裁が収監を決定した鈴木宗男さんの場合には、そのようなことはなかったのでしょうか。

 ところで、この秋(正確に言えば、11月16日から)、韓国を訪問することになりました。ソウル大学の日本研究所と法政大学大原社会問題研究所との研究協力についてのメモランダムを取り結ぶためです。
 その際、大原社会問題研究所の歴史と現状について、ソウル大学日本研究所の学生と研究者相手に講演することになりました。韓国での講演も、4年ほど前、労働教育院に招待されて行って以来ですから、今回で2回目ということになります。
 久しぶりの韓国訪問で、今回が5回目になるでしょうか。韓国の友人の皆さん、お会いできる機会があるかもしれません。そのときは、よろしくお願いいたします。

2月7日(木) 東京都は地裁判決を受け入れ、高裁に上告するな [裁判]

 重要な判決が出ました。東京都の日の丸・君が代の強制に従わずに処分された教員の嘱託採用が不合格とされた事件に対する東京地裁の判決です。
 結果は、不合格を不当として損害賠償を求めていた原告側13人の勝訴です。被告側の東京都は、この判決を受け入れるべきです。高裁に上告してはなりません。

 結論は、被告東京都は、原告13人に対して1人あたり約212万円の損害賠償を払えというのですが、その理由は、以下のようになっています。
 ネットで流されているメールによれば、その理由は以下のようなものです。

理由
 ①本件職務命令が憲法19条に違反するか。
⇒原告らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえない。
 ②10.23通達は、旧教育基本法10条の「不当」な支配」あたるか。
⇒許容される目的のために必要かつ合理的と認められる介入は、たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても、10条の禁止するものではない。
 本件通達には、合理性も必要性もあった。実施指針のみを定めるものであって、教職員が生徒に対して「日の丸」、「君が代」に関する歴史的な事実等を教えることを禁止するものではないし、教職員に対し、国旗、国歌について、一方的に一定の理論を生徒に教え込むことを強制するものとはいえないから、この点からも合理性を欠くとはいえない。よって、「不当な支配」には該当しない。
 ③本件職務命令は教職員としての専門職上の自由を侵害するか。
⇒自由を侵害するものとは認められない。
 ④.本件不合格は、原告らの思想、信条に基づく不利益扱いとして、憲法19条に反するか。
⇒特定の思想、良心を有していることを理由として不合格としたものとは認められない。

 以上の点に、原告側が大きな不満を抱くだろうことは、良く理解できます。これらの判決内容については、私も異論があります。
 日の丸・君が代の強制に従わないということは原告の思想・良心に基づく行動であって、それが不採用を決定する唯一の理由になっています。そうである以上、都の決定は「日の丸・君が代の強制に従いたくない」という「特定の思想、良心を有していることを理由として不合格としたもの」と認めざるを得ないではありませんか。
 しかし、同時に重要なのは、次の点です。

 ⑤本件不合格に、都教委の裁量の逸脱、濫用があるか。
⇒原告らの不合格は、従前の再雇用制度における判断と大きく異なるものであり、本件職務命令違反を余りに過大視する一方で、原告らの勤務成績に関する他の事情をおよそ考慮した形跡がないのであって、客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くもので、その裁量を逸脱、濫用したものである。よって、本件不合格は、都教委による不法行為であると認められるから、原告の損害を賠償すべきである。
・積極的に式典の進行を妨害するものでなく、それほど重要なことではない。
・過去には、不起立でも採用されていた。
・たった1回もしくは2回だけの不起立で、それだけをもって勤務成績を不良と判断している。
・定年後の雇用確保や、豊富な知識や技能を役立てるという、制度の趣旨にもそぐわない。
 ⑥損害の有無と金額
 ⇒嘱託員としての1年分の賃金相当額約193万円と弁護士費用19万円を認定。

 このように勝訴の理由は、恐らく原告側にとっては納得のいくものではないでしょう。
しかし、見方を変えれば、これはかなり説得力のある「常識的」な判決であるということもできます。
 1回や2回、起立して君が代を歌わないというたったそれだけのことで、教師としての経験や能力、他の勤務内容などをまったく考慮せずに、嘱託採用を一律に拒否するなんておかしいじゃないかということなのですから……。
 この裁判官の論理は、被告が主張する他の全てのことを認めても、それでもなお、「客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くもので、その裁量を逸脱、濫用したものである」と認定しています。つまり、100歩譲っても、この採用拒否は間違っていると言っているのです。

 都教委は、この地裁の判断を受け入れるべきです。もし、上告したら、その時こそ、高裁は憲法判断を厳密に行い、判決理由として「憲法19条が保障している思想及び良心の自由を侵しており、憲法違反である」ことを明確にするべきでしょう。
 起立して歌わないから採用を拒否するなどということがあってはなりません。たったそれだけのことで、ベテラン教師の働く権利を奪うのは、労働の権利を保障した憲法第27条違反でもあります。
 都教委の関係者は、「東京では立って国歌を歌わないと再就職できないのか」と問われたとき、「その通りだ」と答えるのでしょうか。「それがどうして、教師としての適格性に欠けることになるのか」と問われたとき、きちんと説明できるのでしょうか。

 当たり前のことが、当たり前に通るような世の中にしたいものです。自らの信念や良心に従って行動しても何ら不利益を被ることのないような自由で民主的な世の中にすることもまた、行政や教育関係者の努めではありませんか。