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2月14日(土) 派遣切りを開き直る日本経団連-日本経団連「経営労働政策委員会報告」批判 [09春闘]

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 拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。
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〔以下の論攷は、『自然と人間』2009年2月号に掲載されたインタビュー記事です。〕

 「経労委報告2009年版」に示されている日本経団連の姿勢は、「雇用維持は適当に。賃上げだけはしたくない」というものです。そこには、日本の産業社会が現在抱えている問題に対する危機意識がまったく感じられません。大局を見ることなく経営者にとっての目先の利益だけを書き連ねた報告の内容は、日本の経営者の現在の水準を表しているものだと言って良いかもしれません。

 若者が減り続ける社会

 現在、100年に一度といわれる金融・経済危機と雇用危機が日本を襲っています。厚生労働省は11月、来年3月までに3万人が職を失うと言っていましたが、その1ヵ月後に、8万5012人になると修正しました。それほど、急速に雇用状況が悪化しているのです。3月の年度末には、契約切れでもっと多くの雇い止めが出るでしょう。
 この雇用危機は、日本の産業社会が抱えている中・長期的な危機と密接に絡みあって生じています。この中・長期的な危機とは、労働力の縮小・劣化と内需の停滞です。労働力人口が減少するとともに、その質が急速に低下しているからです。
 内需の停滞も深刻で、これが打開されなければ、日本は「滅亡への道」を進むことになります。これは象徴的な意味ではなく、将来的にいずれ日本人がいなくなるという現実的な意味での滅亡です。
 日本の総人口は04年にピークに達し、05年に史上初めて減少しました。06年に若干回復しましたが、07年以降は再び減少傾向をたどっています。2050年には1億人を割るという推計もあります。
 12月26日付の『日経新聞』に、車がなぜ売れないのかという記事がありました。20代から30代の人口は05年で3412万人、1980年と比べて約7%減少していると報じています。つまり、若者の世代を含めた生産年齢人口は、総人口の減少以前にすでに減り始めており、その影響もあって車が売れないというわけです。子どもの数も減っていて、最近では、その貧困化が注目を集めています。
 このような現状に対して、政府は「少子高齢化」問題として対策を立てようとしています。しかし、根本的な解決策が素通りされています。ワーキングプアが増え、結婚もできない子どももつくれないというような働き方が続く限り、総人口の減少傾向は逆転できません。これこそ日本社会の危機なのですが、これに対して日本経団連も今回の「経労委報告」もまったく無自覚で、目を向けようとはしていません。

 雇用問題に他人事の企業トップ

 また、「経労委報告」は、現下の最大問題である雇用問題に関して、他人事であるかのように論じています。「報告」の序文に「雇用動向の急激な悪化により、雇用の安定が極めて重要な課題となろうが、未曾有の危機の中、官民が協力しながら雇用問題に果敢に取り組む必要性が高まっており、雇用のセーフティネットの拡充など、政府が積極的な役割を発揮していくことが期待される」とあります。
 労働者のクビを切るのは誰なんですか。この文章を出した自分たち経営者ではありませんか。雇用責任を持つべき当事者であるなら、「雇用の安定が重要な課題となろうが…」などと言うのではなくて、「私たちは絶対にクビを切りません」「雇用安定のために全力で頑張ります」と、先ず、雇用維持に向けた責任と決意を明らかにするべきでしょう。
 「雇用のセーフティネットの拡充」というのは、結局、クビを切った後なんとかしてくれという話です。セーフティネットはもちろん必要ですが、もともと落ちる危険性がなければいりません。クビを切って突き落としながら、「網を張ってくれ」と言っているようなものです。
 政府や自治体が、派遣切りにあった人たちの住む所を確保したり、職を斡旋したりと動き始めています。年末には、「年越し派遣村」が大きな役割を果たしました。住む所がなければ命にかかわりますから、これらは必要であり重要な取り組みです。しかしまず、失業者を出さないようにすることが先決なのではないでしょうか。経営者がクビを切らなければ、失業者は出てこないんです。

 役員報酬と株主配当を優先

 そもそも、このような雇用状況に対して、日本経団連はどれだけの危機意識を持っているのでしょうか。本当に100年に一度の危機だと考えているのでしょうか。むしろ、危機を利用し、「危機への悪のり」によって労働側の攻勢を回避しようとしているのではないでしょうか。
 この際、「余剰人員」を整理してスリム化と業態転換を図って行く。あるいは「危機」を誇張することで社内外を引き締め、雇用維持を理由に労働側の賃上げ攻勢を跳ね返す。そういう隠された狙いがあるのかもしれません。
 この危機の中、利益が縮小し赤字に転落するなどと言っているにもかかわらず、内部留保や株主配当金には手を付けようとしていません。逆にいうと、配当金を維持するために、コストダウンを進めようとしているということです。派遣労働者は人件費ではなく物件費扱いですから、コスト削減のための派遣切りという意味があります。経営危機だと言っているけれども、本当に倒産するほどの危機なのかという点では大きな疑問があります。
 もちろん、02年以降の景気回復の恩恵を受けていない中小企業の中には本当に大変なところもたくさんあると思います。しかし、大企業は別です。大企業は02年からの5年間、過去最高益を更新し続け、莫大な内部留保を蓄積してきました。この間、賃上げを求められた時に、経営側は何と答えたか。「いざというときのためにとっておく必要がある」と答えていたはずです。危機に直面している「今」以外に、“いざというとき”があるんですか。
 今こそ、この間ため込んできた内部留保を取り崩し、様々な引当金を使って、雇用を維持し、賃上げの原資に当てるべきときではないでしょうか。

 米国型経営が浸透

 12月24日付の『東京新聞』の記事には、こうあります。「大量の人員削減を進めるトヨタ自動車やキヤノンなど日本を代表する大手製造業16社で、利益から配当金などを引いた2008年9月末の内部留保合計額が、景気回復前の02年3月期末から倍増し空前の約33兆6000億円に達したことが23日明らかになった」。これだけの内部留保を企業は抱えているということです。
 『しんぶん赤旗』の11月30日付の記事では、こうです。「豊田章一郎名誉会長と(長男の)豊田章男副社長だけで1600万株近く保有しています。トヨタの年間配当が一株当たり140円だった2007年度に、2人だけで22億円を超す配当を手にしたことになります」と……。
 「トヨタ、赤字転落」といわれていますが、その経営陣二人で22億円の株式配当です。しかも、07年、1年だけの話ですよ。来年4月にはこの創業家[そうぎょうけ]の豊田章男副社長が社長に昇格するそうです。
 この例にも明らかなように、高配当を維持するのは、自分自身の利益を守ることにもなるわけです。こういう人が雇用維持のために配当金を減らしなさいと言われても、なかなか対応できないのではないでしょうか。
 さらに、自分の利益を守るだけではなく、この間の企業経営のあり方が変わってきたことも影響しています。新自由主義的なアメリカ型の経営システムが導入されたため、企業経営者は短期的に利益をあげなくてはいけなくなりました。株主配当をいかに増大させるかで経営手腕が問われる。こういう状況の中で、日本の経営者の考え方が変わっていったと思われます。
 昔は、経営者は雇用維持を第一としてきました。トヨタの社長だった奥田碩[ひろし]さんは「クビを切るなら、腹を切れ」と言っていました。昔の会社では、「窓際族」という形で企業内失業者を抱え込むこともあったのです。しかし、リストラした方が格付けが高まり、企業価値や株価も上がるというなかで、雇用維持に向けての経営者の意欲が失われてしまったのではないでしょうか。
 そもそも、現在のような事態を想定し、企業は雇用の調整弁として非正規雇用を増やしてきたという側面があります。だから、派遣労働者はもともと人間扱いされていません。「人材のジャストインタイム」ということで、企業が労働者を増やしたり減らしたりできるように派遣労働を利用してきた。これこそ構造改革の目的の一つであり、その“成功”によって、日本は今日のような非人間的な社会になってしまったわけです。

 御手洗キヤノンの派遣切り

 12月16日に「コンビニ強盗未遂事件」がありました。派遣で仕事がなくなった35歳の男性が、コンビニ店で店員を脅し金を奪おうとしたとして捕まった。その時の所持金が9円しかなかった。35歳といえば働き盛りです。こういう人たちがたった9円しかお金がなくなって、切羽詰まって止むに止まれずコンビニで金を奪おうとしたわけです。
 12月26日付の『朝日新聞』には、千葉から福井県・東尋坊に行って自殺しようとした人の話が出ています。これも、勤務先から派遣切りを告げられて死のうとして来たけれど、声をかけられて思いとどまったというのです。この方の所持金も300円しかありませんでした。
 他方、派遣労働者を切る側は、トヨタ操業家の例にあるように、2人合わせて22億円の株式配当です。今の日本を象徴するような、巨大な格差がここには存在しています。こういう新聞に載るような悲惨な事件は、氷山の一角にすぎません。これに対して、一体、企業は何をしているのか。
 12月1日に麻生首相は、日本経団連の御手洗冨士夫会長、日本商工会議所の岡村正会頭ら財界首脳を官邸に呼び、「雇用の安定と賃上げに努力してほしい」という要請を行いました。09年春闘での賃上げと雇用安定化を要請したと報じられています。
 ところが、その3日後の12月4日、キヤノンの大分県内の子会社2社が、工場で働く労働者1177人について請負会社との契約解除などに踏み切ることを発表しました。御手洗さんは3日後のことを知らなかったはずがありません。にもかかわらず、何食わぬ顔をして「わかりました」と首相に答えていたのです。
 今回の8万人を越える解雇の最初の“引き金”を引いたのは、日本経団連会長の御手洗さんの会社でした。沈みつつある船にたとえるなら、船長が逃げるのは最後ではありませんか。ところが、その船長が、まだ沈み始めたわけでもないのに、ちょっと揺らいだだけで逃げ出してしまったわけです。経営者団体のトップが大量解雇の引き金を引いたということで、その罪は重いと言わなくてはなりません。

 雇用も賃上げも必要

 このように、日本の企業が生み出した深刻な現実があるにもかかわらず、「経労委報告」はそのことにほとんどまともに対応しようとしていません。その一方で、声高に強調しているのが、とにかく賃上げはしないということです。
 「市場横断的なベースアップはもはやありえない」「個別企業においても一律的なベースアップは考えにくい」と、全体としての賃金引き上げはしないと言っています。
 しかも、「わが国の賃金水準が世界トップクラスにあることを常に意識しておく必要がある」と言うに至っては、あきれるばかりです。いつの話をしているのですか。確かにバルブの頃はそう見られたこともありました。でも、そのバブル崩壊から17年もたっているのです。
 「経労報告」が言うように賃金水準が「世界トップクラス」にあるのなら、なぜ年収200万円以下のワーキングプアが1000万人以上もいるのですか。働いても生活できず、あるいは「派遣切り」で住むところも生きる希望も失っている労働者の姿が目に入らないのでしょうか。
 12月26日付の『日経新聞』の1面に、大きく出ていました。「日本の一人当たり名目国内総生産(GDP)が2007年に世界19位となり、先進7ヵ国(G7)で最下位となったことが、内閣府が25日発表した07年度の国民経済計算でわかった。…日本の家計の貯蓄率は前年度比1・8ポイント低下し、2・2%と過去最低となった」と……。
 なぜ、こういう状態が生まれているのでしょうか。どうしてこうなったのかといえば、02年以降、大企業は好景気で最高益を更新していながら、その利益を労働者に還元しなかったからです。景気の良かった去年の春闘においてさえ十分に還元されていません。
 だから、09年の春闘に向けて、麻生首相が経営者団体の代表を首相官邸に呼んで要請したわけです。これまで企業が上げた利益が十分に労働者に還元されていないから還元しなさいと、政治が介入したわけです。それほど、富の分配が不公平になっている。消費不況が深刻化しているから賃金を上げてくれと政府が言わなければならないほど、企業は労働者を低賃金で使い、内部留保をため込んできたということなんです。

 登録型派遣は禁止に!

 労働者派遣法改正案が臨時国会に提出され、継続審議となって通常国会に先送りされました。これについても「経労委報告」は「制度改正が過度に雇用の機会を減少させていないかなどの視点に立って影響を慎重に見極めていくことが求められる」と述べて、改正に消極的な姿勢を示しています。
 派遣法の改正が「過度に雇用の機会を減少」させることになるというのは、派遣労働必要論の主たる論拠となっています。しかし、こういう日雇い派遣や登録型派遣という極めて不安定で低賃金の雇用が拡大してしまったことが、現在の社会問題を引き起こす根本原因なのです。「報告」には、これをどう是正するのかという問題意識が欠落しています。
 問題は、雇用の数ではなく質なのです。派遣労働の拡大によって、働いても生活できないワーキングプアが増えたために、今日のような問題が起きているのではありませんか。劣悪な雇用を減らすための制度改正なのです。働いても生活できないような働き方はあってはならない。登録型派遣の禁止によって劣悪な雇用の機会が減少すれば、大変、結構なことではありませんか。
 注意を払う必要のあるのが、「ワーク・ライフ・バランス」論の悪用です。ワーク・ライフ・バランスとは労働と生活を両立できるようにするということで、生活にゆとりをもてるように、長時間労働をなくすということです。
 日本経団連は、この誰も反対できない言葉を用いて、実は別の制度を導入しようとしています。「多様化する労働者のニーズに対応しワーク・ライフ・バランスを促進していくためにも、とりわけ裁量性の高い仕事をしている労働者に限って、従来の労働時間法制や対象業務にとらわれない、自主的・自律的な時間管理を可能とする新しい仕組みの導入を検討する」と言っているからです。
 ここで言う「自主的・自律的な時間管理を可能とする新しい仕組み」とは、ホワイトカラー・エグゼンプション制度のことです。「ワーク・ライフ・バランス」を名目に、労働時間の法規制から幹部事務職などのホワイトカラーを除外(エグゼンプション)しようというわけです。
 現在のホワイトカラー労働者は、コスト削減の上にノルマを課せられ、「サービス残業」をしたり、「フロッピー残業」で仕事を家に持ち帰ったりしなければならない状態に置かれています。過労死やメンタルヘルス不全の精神疾患など大きな問題になっていますが、ホワイトカラー・エグゼンプションがこのような現状をさらに悪化させることは明白です。
 最低賃金引き上げについても、日本経団連は「慎重に審議・決定されるべきである」「極めて慎重に対応することが求められる」と消極的です。最低賃金は、働いていればこれ以上は賃金を下げられないという制度で、雇用のセーフティネットの最たるものです。ふつうに働けばふつうの生活が保障されるということが最低賃金制度の役割です。
 「ワーキングプア」という言葉が生まれてくるのは、この制度が十分に機能していないからです。生活できる賃金の保障は内需を拡大し、結局は経営者にとっても利益になることだということを理解する必要があるでしょう。

 労働組合にも責任が

 私は、労働組合にも、現在のような社会を生み出してしまった責任があると思います。かつて、連合の中には新自由主義的な規制改革への幻想があったからです。
 95年12月に、連合は「規制緩和の推進に関する要請」を政府に出しています。この中で、「制緩和こそは政治改革、地方分権と並ぶ、重要な構造改革である。規制緩和にあたっては、以下の基本的考え方に立脚し、その推進を図るべきである」と言っていました。
 また、政府の規制緩和小委員会の報告書が雇用労働分野の問題を扱っていることに対して、「有料職業紹介および労働者派遣事業の規制緩和については、情勢の変化に対応し、『民間が取り扱うことができる職業(業務)を大幅に拡大することを前提に検討すべき』という結論は尊重したい」と言っています。
 つまり、民営化や規制緩和の拡大について、連合は反対せず、その「推進」を求めていたのです。こういう連合の姿勢もあって、民主党や社民党は規制緩和への反対を貫くことができませんでした。今問題になっている派遣を原則自由化した1999年の労働者派遣法の改定について民主党は賛成し、社民党は政党として6人が賛成、3人が反対と分かれました。
 今回の臨時国会に提出された改正労働者派遣法に対しても、連合の態度は曖昧でした。その後、野党共闘を進める立場から派遣法の見直しに歩み寄ったわけですが、連合会長の出身組合であるUIゼンセン傘下に派遣労働者の組合があるということもあり、明確な対応ができなかったのではないかと思います。
 労働者が派遣という働き方を望んでいると、よく言われます。しかし、賃金はいくらでもいい、条件が悪くてもいいから働かせてくれというのは、本人が望んでいても認めてはいけません。これは一種の“スト破り”です。これを認めれば、労働ダンピングによる労働力の安売り競争が始まってしまいます。このような安売り競争を防ぐために、賃金の最低限を決めた最低賃金制度があり、労働者が労働組合を結成し団結して集団交渉を行うことを認めているのです。
 従って、登録型派遣のような劣悪な働き方は、たとえそれを望む人がいても禁止し、そういう人にはもっと良好な働き方を斡旋するべきだと思います。そうしないと、労働力の廉価販売と労働の劣悪化は、際限なく進むことになります。

 労働運動の歴史的勃興を!

 かつてない危機の下で、今、政治の力を回復すること、社会の力を発揮することが求められています。しかし、麻生首相は完全にお手上げで、政治は機能不全に陥ってしまいました。政治の力を回復させるためにも、何としても政権のあり方を変えなければなりません。今年は必ず総選挙がありますから、ここで政権を交代させ、労働者の側に立つ政治を実現する必要があります。
 また、助け合う絆を張りめぐらせ、社会の底力を発揮しなければなりません。年末年始の「年越し派遣村」のように、最近はNPOなどの市民団体が注目を浴びています。湯浅誠さんの「もやい」とか、食材差し入れを行っている富山の自立支援NPOなどです。同時に、労働者を助けるということでは、やはり労働組合が役割を果たさなければなりません。
 かつての経営者は雇用維持を最優先してきたと言いましたが、経営者がそう考えるようになったのは、50年代の激しい解雇撤回闘争があったからです。労働組合がストライキを打って解雇撤回のために闘った。日鋼室蘭や国鉄新潟、三井・三池炭鉱などの闘いです。その時の解雇は撤回できなかったかもしれませんが、このような運動はその後の解雇を抑制する力になりました。その意味で、当時の労働組合の闘いには大きな意味があったと思います。
 「経労委報告」では「労使一丸で難局を乗り越え、更なる飛躍に挑戦を」と副題に掲げています。経営側は第1の危機(2度のオイルショック)、第2の危機(平成不況)を労資で乗り越えてきたという自信のもとに、現在の第3の危機を乗り越えるために、三たび労資協調を呼びかけています。
 第1の危機では、労働組合は日本的労使関係の名のもとに企業内に取り込まれました。第一次石油ショックを機に労働組合は賃上げ自粛を打ち出して闘わない労働組合に変質していきました。
 第2の平成不況の下で、労働組合はリストラをある程度認め、正規雇用を守る代わりに非正規化を受け入れてしまいました。連合傘下の組合の一部も規制緩和を認めた結果、非正規労働者が急増しました。
 経営者団体からすれば上手くやったということでしょうが、労働組合からすれば大失敗だったと反省しなければなりません。経営者団体の口車に乗って、「雇用最優先で賃上げはいいです」「正規労働者だけでも守ってください」なんて言い出したら、3度目の失敗を繰り返すことになり、労働組合は信頼を失います。その結果、ワーキングプアを生み出す「滅亡への道」から抜け出すことはできなくなるでしょう。
 苛酷な雇用状況の下で、労働問題がこれほど注目されたのは、まさに半世紀ぶりではないでしょうか。しかし、これは恐らく、古い労働組合運動の再生ではありません。まったく新しい形での労働組合運動の高揚となる可能性があるからです。それは、日本における社会・労働運動の新天地を切り開くものとなるかもしれません。その意味で、09年が日本労働運動にとって歴史的な勃興の年となるよう願っています。



1月26日(月) 09年春闘で企業経営者は社会的責任を果たせ [09春闘]

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 拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。
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 09年春闘をめぐって、「賃上げも雇用も」という場合、注目されているのが大企業の内部留保です。この間、公表されている企業の損益は億円の単位ですが、内部留保の額は兆円の単位です。

 損益を考慮に入れても、内部留保の額は桁違いに多いということになります。どうしてこれほど増えたのかといえば、戦後最長の好景気によって史上最高益を更新し続けていたにもかかわらず、その最大の功労者であった労働者や中小企業に対して、利益を還元しなかったからです。
 こうして、大企業の内部に、多くの資金が蓄積することになりました。それは大企業によって隠匿された「埋蔵金」のようなものだったと言って良いでしょう。
 省庁内には「ない」とされていた「埋蔵金」ですが、いつの間にか定額給付金の原資として認知されました。同じように「ない」とされている大企業の内部留保ですが、いずれ、雇用維持と賃上げの原資として認知されるにちがいありません。

 しかし、大企業の経営者からすれば、問題はそう簡単ではないでしょう。巨額の内部留保があっても、それを簡単に使うことができないような仕組みができあがっているからです。
 新自由主義に基づくアメリカ・モデルが導入されるにしたがって、経営者の立場や考え方も大きく変化しました。短期の業績や株式配当の額などによって経営手腕が評価され、従業員や地域社会、顧客などを考慮する「ステークホルダー論」から、株主を重視する「株主主権論」の力が強まったことは、拙著『労働再規制』でも指摘したとおりです。
 このような短期的収益主義に基づく経営者マインドの変化に加えて、従業員持ち株制や株主代表訴訟などもあり、どうしても株主への配慮を優先しがちになってしまいます。このような変化もまた、新自由主義の害毒が浸透した結果であると言うべきでしょうか。

 しかし、大企業経営者の対応においても、昨日のブログで指摘した安易な隘路か困難な活路かという分岐が存在しているように思われます。別の言い方をすれば、個別的・当面の対応か、それとも大局的・長期的視野に立った対応かという分岐です。
 当面の対応は容易だが隘路に入り込む道で、長期的対応は困難だが活路を切り開くには避けられない道なのです。企業経営者には、そのどちらを選ぶべきかという問題が提起されているように思われます。

 ここで問われているのは、財界司令部としての日本経団連の対応です。会長の御手洗冨士夫さんは、『毎日新聞』1月24日付のインタビューで、「日本は、危機的な状況を打開できるのでしょうか」と問われて、次のように述べています。

 危機が深刻だからこそ、労働市場・産業の多様化が重要だ。製造業だけでなく、サービス業なども振興し、内需拡大ができるような産業構造に直さなければいけない。個別企業では環境、医療、ロボットなどさまざまな分野でイノベーション(技術革新)を起こし、新しい事業、製品を生み出すことが必要だろう。

 この御手洗さんのインタビューは半分は正しく、半分は問題があります。半分の真理とは、「内需拡大ができるような産業構造に直さなければいけない」という形で、「内需」の拡大を提起しているからです。
 半分の問題とは、そのために必要な個人消費の増大と人材の育成について、何も語っていないことです。産業構造を変えるだけでは内需の拡大は不可能であり、「環境、医療、ロボットなどさまざまな分野でイノベーション(技術革新)を起こし、新しい事業、製品を生み出す」ためには、人材を育成してその士気を高めなければなりません。

 日本では不良債権の処理が終わっており、実体経済はそれほど悪くありませんでした。だから、金融危機が生じたとき、与謝野さんは「蜂に刺された程度」だと述べたのです。
 しかし、その後、日本の景気も急速に悪化しました。与謝野さんは、「蜂に刺されて命にかかわる場合もある」と言い直さなければなりませんでした。
 それは、日本経済が安定した内需に支えられていなかったからです。世界金融危機の影響を受けて、これほど急激に景気が悪化したのは、アメリカ依存の輸出主導型の経済構造になってしまっていたからです。

 金融危機に対する日本経済の脆弱性は、外需に依存した「輸出立国」路線の危うさを示すものでした。ですから、御手洗さんが「内需拡大」の問題を提起したのは正しかったのです。しかし、それは「産業構造」を変えるだけでなく、日本の産業社会全体の構造転換を必要とするほどの大きな課題なのです。御手洗さんには、この認識が不十分だと言わなければなりません。
 日本社会が直面している課題の大きさと困難性が良く分かっていないようです。それを解決するためには総合的で長期的な対応が必要だということが、十分に理解されていません。

安定した内需に支えられ、絶えざる「イノベーション(技術革新)」によって国際競争力を担保できるような産業社会に転換することが必要です。そのためには、労働者の処遇を抜本的に改善しなければなりません。
 それを、個々の企業の自主的な努力に求めても不可能でしょう。この点で指導力を発揮するべきなのが、総資本としての戦略的課題について責任を負うべき日本経団連の役割なのです。そして、それを迫ることこそ、労働運動の役割にほかなりません。
 当面の苦境を乗り切るための個々の企業による「正しい」対応が、大局的には日本の産業社会の歪みを拡大し、将来にわたる成長可能性を閉ざす「誤り」をもたらすというのが、いわゆる「合成の誤謬」と言われるものです。このような「合成の誤謬」を避けるためにこそ、財界司令部の戦略的指導が必要とされるのではありませんか。

 このブログで繰り返し書いてきたように、働く意思と能力があれば誰にでも働く機会が保障されていること、普通に働けば普通の生活を送れるだけの収入が得られること、働く人の健康を破壊せず家庭生活を阻害しない適正な労働時間であることという3つの課題を実現することが必要です。日本の社会は、この3つの課題を実現できなければ、「滅亡への道」から抜け出せません。
 そうなれば、労働者も経営者も一蓮托生です。まともに生活できない労働者に依拠して、どのような企業活動が可能だというのでしょうか。
 労働力の減少と劣化した社会が、やがて企業の存立基盤を掘り崩すことになるのだということを、企業経営者も理解するべきでしょう。そして、そのような社会への道を回避し、健全な産業社会を再建するために、企業もまた社会的責任を果たさなければなりません。

 今日の新聞に、『週刊ポスト』の広告が出ていました。そこには、次のように書かれています。

 「ニッポンの雇用」光と影
 「超豪華ゲストハウス」「ゴルフ会員権」ほか総資産210億円
 雇用破壊のA級戦犯「御手洗経団連よ、メザシの土光さんが泣いている」
 地上125メートル。23階建ての新会館は失業者たちに開放せよ

 「土光さんのメザシ」はマスコミによる演出でしたが、それ以外では、ここに書かれていることはまったくその通りでしょう。これまで儲けすぎたから、このような浪費や贅沢が可能だったのです。
 それを戒めるべき財界司令部のトップが、率先して「超豪華ゲストハウス」や「23階建ての新会館」を建てていたというのでしょうか。政治家も財界人も、一体何をやっているのか、と言いたくなります。

 現在の日本が陥っている真の危機は、危機の何たるかが正しく認識されていないところにあります。大局的戦略的に対応できるようなリーダーが存在しないという点に最大の危機があると言うべきでしょう。
 あちらでは、68%という歴代2位の支持率を背景に登場したアメリカのオバマ新政権。こちらでは、1949年以降ワースト2位の65%(『毎日新聞』調査)という不支持率に直面している日本の「オバカ政権」。
 彼我のあまりの違いに、ただただ嘆息するばかりです。


1月25日(日) 安易な隘路か困難な活路か-09年春闘をめぐる分岐 [09春闘]

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 拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。
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 一気に繁忙期が訪れてしまいました。おまけに、風邪を引いて調子が良くありません。

 この間、更新が途絶えてご心配いただいた方もおられるかもしれません。上記のような事情ですので、ご了承下さい。
 恐らく、これからの更新回数も減ると思います。仕事が立て込んでいるためですので、ご理解いただければ幸いです。
 来月からは、『日本労働年鑑』の執筆・編集も始まります。間もなく、一年で一番忙しい時期に突入することになります。

 さて、春闘も本番を迎えつつあります。私のところにも、いくつか取材や講演の依頼が来ています。
 先週の金曜日には、『北海道新聞』の取材を受けました。2月1日付の紙面で、「対論」欄に掲載されるようです。
 また、派遣労働の問題についても小論を書きました。今週の『週刊金曜日』(1月30日付)に掲載される予定です。

 今年の春闘は、特に厳しいものになっています。世界同時不況の波が日本にも及び、雇用情勢が極度に悪化しているからです。
 このような中で、経営者団体は意識的に「賃上げか雇用か」という争点設定を図り、そのための世論工作を行ってきました。昨年末からの「派遣切り」「非正規切り」は、ことさら雇用情勢の悪化を印象づけるためのものであったように見えます。
 さらに、最近では、このような雇用調整の動きが正規労働者にまで及んできています。これほど雇用が不安定な状況の下で、「賃上げなどはとんでもない」という主張が、急速に力を持ちはじめてきていることは否定できない事実です。

 労働組合は、もっと前から賃上げに向けて力を尽くすべきだったと思います。特に、連合は、もっと早くベース・アップ要求を復活させるべきだったでしょう。
 連合は戦後最長の景気回復が始まった2002年の春闘から、ベース・アップ要求を掲げることを止めてしまいました。ところが、景気回復によって大企業は過去最高益を更新し続け、昨年の春には過去5年連続での最高益更新という記録を打ち立てていたのです。
 この間、労働者の給与は上がらず、労働分配率は低下し続けてきました。というより、本来、労働者に分配され中小企業に分け与えられるべき利益が大企業によって独り占めにされ、内部留保として蓄積され続けてきたのです。

 もし、昨年の春闘で連合がベース・アップ要求を掲げていれば、もっと大きな賃上げを獲得できたはずです。しかし、連合はそのような取り組みを行いませんでした。
 「追い風」が吹いていたにもかかわらず、「帆」を上げるのをためらってしまったのです。そのために、昨年の春闘での賃上げ率は、厚労省調べで1.87%にすぎませんでした。
 大企業の側は5年連続で最高益を更新していたのに、労働者の側の賃金はわずか2%もアップしなかったのです。その結果、01年から07年にかけて、資本金10億円以上の大企業の付加価値額は82.6兆円から95兆円へと12.4兆円も増大したのに、労働分配率の方は62.9%から51.8%へと11.1ポイントも減少してしまいました。

 今年の春闘での本来的な課題は、労使間に拡大したこのような不平等や不均衡を是正することにあるのです。新自由主義の誤りによって拡大してしまった日本の産業社会の歪みを正すことこそ、春闘が目指すべき最も重要な課題だと言うべきでしょう。
 それは、若者が希望を持てず、結婚もできず、社会の再生産に参加できないような「生きにくい社会」を変え、総人口の減少という「滅亡への道」からの脱出路につながるものでなければなりません。したがって、春闘によって解決されるべき課題は単年度限りのものではなく、今後、長きにわたる中・長期的課題の解決に役立つべきものであり、日本の産業社会のあり方の根本的な転換へと結びついていく必要があります。
 1997年から07年までの過去10年間、一方で、大企業の経常利益は100→192.4、内部留保は100→181.2と約2倍になったのに、一人当たりの民間給与は100→93.6と逆に減少しています。この逆転現象によって生じた格差こそ、日本の産業社会の歪みを象徴的に示すものであり、これを是正することによって、若者が希望を持って働き生きることのできる「生きやすい社会」へと変革(Change )することこそ、09年春闘の主要な課題にほかなりません。

 賃上げを我慢しても、雇用が維持されるとは限らないのです。雇用が維持されても、ワークシェアリングを口実に賃金がカットされれば、上に見たような格差や歪みは、是正されるどころか、ますます拡大してしまいます。
 雇用維持を名分としたワークシェアリングは、低賃金労働者の層を増大させるだけでしょう。新自由主義の下で拡大した日本の産業社会の歪みを正すためには、雇用を維持するだけでなく、労働再規制によって劣悪労働の一掃とセーフティーネットの拡充を実現し、働く人々の賃金を上げることがどうしても必要なのです。
 それは、これまで配分されるべきでありながら大企業内に留め置かれていた労働者側の取り分を取り戻すことを意味しています。本来であれば、過去、6年間の景気回復期に労働者のものとなるべきだった部分を、今、取り返さなければならないのです。

 今年の春闘が厳しい「逆風」の下にあることは、私も否定しません。しかし、だからといって、この間の歪みを放置して賃上げを自粛すれば、問題は先送りされ、事態は悪化するだけでしょう。
 簡単にとりうる手段であっても、問題の解決につながらないばかりか、かえって新たな問題を生み出してしまう場合があります。困難に見えるような手段の方が、かえって問題解決につながる活路を切り開く場合もあります。
 09年春闘についても、そのような分岐が存在しているのではないでしょうか。安易な隘路へと向かうのか、それとも困難な活路を目指すのかという分岐が……。

1月16日(金) 春闘向けの世論工作に惑わされてはならない [09春闘]

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 拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。
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 09春闘に向けて、連合と日本経団連とのトップ会談が開かれ、労使交渉が幕を開けました。会談の冒頭、使用者側の御手洗経団連会長は「例年以上に厳しい労使交渉になることが予想される」と牽制しました。これに続いて、使用者側からは「第一義的には雇用確保」「雇用不安の中で賃上げ賃上げというのは国民の共感が得られるのか」という意見が相次いだそうです。

 予想通りの展開です。昨年の秋、『日経ビジネス』記者の質問に、私は「非正規社員を削減する事例が増えており、賃金抑制の動きも出ている。今後は金融危機に乗じて、経営者が悪乗りし、古典的な労働問題が発生するでしょう」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-12-26と答えていました。
 私としては、「金融危機に乗じて、経営者が悪乗りし、古典的な労働問題が発生」するであろうことは「想定の範囲内」です。今回の連合と日本経団連とのトップ会談における使用者側の対応もまた、十分に予想されるものでした。

 思い返してみれば、今回の金融危機が発生したのは、昨年9月中旬の「リーマン・ショック」が契機でした。「派遣切り」「非正規切り」と呼ばれる派遣労働者の大量解雇が発生したのは、それからわずか3カ月も経たない12月の初めです。
 この手際の良さは、あまりにも不自然ではありませんか。しかも、年末年始という時期を控えての「派遣切り」です。「切られた」人が困ることは、容易に想像できたはずです。
 製造業関係の派遣労働者の解雇が大きな社会問題になったのは、これらの人々が職を失っただけでなく、住居からも追い出されたからです。そうであればなおさら、この時期の大量解雇が大きな社会問題を生み、世間の注目を浴びることは分かっていたはずではありませんか。

 そうです。「派遣切り」「非正規切り」が大きな社会問題を引き起こすことは、切る側だった御手洗さんなどにも十分、分かっていたはずです。
 だからこそ、それを強行したのではないでしょうか。これによって「雇用危機」の深刻さを社会的にアピールするという隠された狙いが、そこにはあったように思われます。
 つまり、解雇の目的は、これらの低賃金労働者の労働コストの節約ではなかったということです。それよりも、「雇用危機」を演出し、それを強く印象づけることによって賃上げ攻勢を回避するという、もう一つの狙いがあったのではないでしょうか。

 「派遣切り」「非正規切り」を率先して実行したのは、中小企業ではなく日本経団連の会長や副会長などを出しているキヤノンやトヨタなど、日本のリーデングカンパニーでした。これらの企業は、春闘に向けての世論工作においても、日本の企業をリードしようとしたということでしょう。
 大企業は、02年以降5年連続で過去最高益を更新して巨額の「内部留保」を蓄積し、大手16社の合計額は08年9月末で約33兆6000億円にもなっています。つまり、今にも沈みそうに見せていたけれど、実は、船底に大きな浮き袋が隠されていたのです。
 本当に沈む危機にさらされているのは、02年以降も景気回復の恩恵を受けなかった中小企業の方です。こちらの方は何とか雇用を維持すべく頑張っているのに、大企業の方はさっさと「派遣切り」「非正規切り」を行い、行政や社会に尻ぬぐいを迫りました。

 そもそも経営者にとって、派遣労働者の存在は賃金抑制の手段として利用価値の高いものでした。景気が良いときも危機に陥ったときも、いずれの場合でも賃金抑制の手段として派遣労働者は利用されてきたのです。
 「人材のジャストインタイム」と言われるように、必要なときにはいつでも雇用でき、必要なくなると雇い止めできる派遣労働者は、「使い勝手」の良い安価な労働力でした。このような労働者が増えれば増えるほど、非正規労働者全体の賃金水準と労働条件は低下し、正規労働者の賃上げも難しくなります。
 他方、現在のような経済危機の下では、派手な「派遣切り」や正規・非正規の格差、対立関係の強調などによって、正規労働者の運動を押さえる「口実」として利用されています。「このような経済危機の元では賃上げなどはとても無理。せめて雇用維持を」あるいは「非正規労働者のために、正規労働者は賃上げどころか賃金カットも我慢するべきだ」というわけです。

 しかし、当面の景気対策としても、中・長期的な対応としても、このような言い分は正しいのでしょうか。もちろん、中小企業の中には、こう言わざるを得ないところがあることは理解できますが、しかし、この間、史上最高益を更新して「内部留保」を貯めこんできた大企業は別です。
 景気対策ということでいえば、赤字の国庫から確定給付金をばらまくよりも、黒字の「内部留保」を大企業からはき出させて賃金を引き上げた方がよいでしょう。企業業績が好調だった去年までの賃上げは極めて不十分であり、本来、労働者の取り分に回るはずのものが内部留保や株式配当、役員報酬に回っていたのですから……。
 この間、春闘のたびに賃上げを求められた経営者は「今は良くても、いつ悪くなるか分からない。いざというときのために取っておく必要がある」と、言い訳していたはずです。今回、いざとなって、「この時こそ、儲けをはき出すべきだ」と迫っても、「今は苦しいからダメだ」と言うのでしょうか。それなら、いつ賃金を上げるのですか。

 中・長期的な観点からいえば、産業社会としての日本の生き残りのために、内需の拡大は不可欠です。労働分配率を是正し、労働者の可処分所得を増やすことによって将来的な内需の拡大に結びつけるという視点が重要でしょう。
 02年以降の経済成長期における労使間の取り分では、労に少なく使が取りすぎていたことは、使用者側や政府も認めていたはずです。一昨年の日本経団連の「経労委報告」は「家計」を重視し、今春闘に向けても首相や経産相が賃上げを要請していたではありませんか
 これを是正する絶好のチャンスは、昨年の08年春闘でした。しかし、連合はベースアップ要求を掲げず、ようやく8年ぶりに掲げた09年春闘では危機に「悪乗り」した「賃上げよりも雇用だ」という世論工作に直面してしまったというわけです。

 1年、タイミングがずれたという問題はあります。しかし、今からでも遅くはありません。労と使における分配の不均衡を正すことが必要です。
 「雇用が大変だから、賃上げなどとんでもない」などという世論工作に負けてはなりません。賃上げ要求の自粛など、大企業経営者の思うつぼです。それは、当面の景気回復も将来的な内需拡大への道をも塞ぐ亡国の策だというべきでしょう。