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2月12日(金) 五輪組織委員会の森会長の辞任は当然だが根回しで高齢男性を後継に据えるのは大問題 [文化・スポーツ]

 とうとう居座ることができず、辞任することになったようです。東京五輪・パラリンピック組織員会の森喜朗会長のことです。
 自分で判断したのか、周りから引導を渡されたのかは不明ですが、辞任は当然で、遅すぎたくらいです。女性蔑視発言への批判や抗議の広がりによって「森」が大炎上し、家の「二階」にまで燃え移りそうになって、このままでは「ガス爆発」は避けられないと危機感を覚えたのでしょう。

 本来はもっと早く、このような発言が明らかになった段階で、身を引くべきでした。報道によれば、発言への批判を受けた直後に辞任する意向を固めていたにもかかわらず、遠藤利明副会長や武藤敏郎事務局長らの「組織委幹部から慰留され翻意」したそうです。
 「安倍晋三首相らからも電話があった」(『東京新聞』2月9日付)といいます。これがそもそもの大間違いだったのです。
 「金メダル級の女性蔑視」(国際人権団体)であったにもかかわらず、発言した本人にはその自覚が不十分で、周りには遺留するような人々ばかりだということが明らかになりました。それが放置されず、遅まきながら責任を取る形になったのは、日本にとっても五輪にとっても良いことだったと思います。

 その後継について「元日本サッカー協会会長の川淵三郎氏(84)で調整」というのも大きな問題です。またしても、84歳という高齢の男性が後任に選ばれようとしているからです。しかも、密室での根回しによって。
 今回の教訓を完全に生かそうとするのであれば、大会組織委員会の総意として森会長の責任を明らかにして解任し、後継にはもっと若い女性を選出するべきではないでしょうか。併せて、理事や評議員のメンバーも入れ替えて女性の割合を4割以上にするべきです。
 森会長に詰め腹を切らせるだけでは問題は解決しません。組織員会も日本社会も、このような蔑視や差別を認めずジェンダー平等へと舵を切る決意や方向性を具体的に示す必要があります。

 後任の選び方も問題です。川淵さんは森会長に「指名」され、二人で協議して後任を引き受けたようですが、そのような権限が森さんにあるのでしょうか。
 問題発言を引き起こして辞めていくのですから、後のことは残った人々に任せ、自分は口を出さないというのが、本来のあるべき姿でしょう。問題を引き起こして辞めざるを得なくなった前任者が後任を指名し、密室での根回しで事前に調整してガチンコ勝負での議論を避け、シャンシャン会合で追認するということで良いのでしょうか。
 このような組織運営のやり方も、今回のような蔑視発言を生んだ要因の一つだったと思われます。「わきまえない」女性が多くなると異論が出たり発言時間が長くなったりして「シャンシャン」で終わらず、このような組織運営に支障が出るという不満が森会長にあったのではないでしょうか。

 間もなく70歳を迎える私としては大変言いにくいことですが、高齢ドライバーはアクセルとブレーキの踏み間違いなどで事故を起こす確率が高くなるとして自主的な免許返納を求められているのが現状です。そのような国で、どうして80歳を超えた高齢者を国の重要なポストに付けるのでしょうか。
 辞めていく森会長も後任の川淵さんも、森さんを擁護した二階自民党幹事長も麻生副総理も、みな80歳以上の人たちばかりです。判断ミスによる失敗は国政などでは生じないと言い切れる根拠があるのでしょうか。

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2月11日(火) 五輪組織委員会は森会長を解任し女性の会長を選出して評議員と理事も女性を40%以上とすべきだ [文化・スポーツ]

 東京五輪・パラリンピック組織員会は臨時の会合で森首相の謝罪を受け、女性蔑視発言の幕引きを図るつもりのようです。それで、問題は決着して沈静化するのでしょうか
 そんなことをすれば、幕引きどころか国際社会における日本の評判はさらにがた落ちとなるでしょう。そのうえ、五輪・パラリンピックも中止ということになれば、踏んだり蹴ったりです。

 内外からの批判をかわして国際社会の信用を回復するためには、自己の女性蔑視発言に対する責任をきちんと取らせ、ジェンダー平等の実現に向けての決意をはっきりと示すことが必要です。
 そのためには、臨時会合の総意として森会長を解任するだけでなく、後任に女性の会長を選ぶことが必要です。そして、五輪組織委員会の評議員と理事を選びなおし、40%以上を女性としなければなりません。
 そうすれば、組織委員会が森会長の発言に同調していないことも、日本社会が女性に対する蔑視や差別を許していないことも、はっきりと示すことができます。国際社会での日本の名誉と信頼を回復する道はこれしかありません。

 いったんは森会長の謝罪を了承したIOCは、改めて「完全に不適切」だとする声明を発表しました。国際社会での批判の高まりに、IOCとしても厳しい対応を迫られたということでしょう。
 また、五輪開催都市のトップである小池百合子都知事は、IOCのバッハ会長、森組織委員会会長、橋本五輪担当大臣との4者会談に出席しない意向を表明しました。現状では、ポジティブな発信につながらないというのがその理由です。
 森さんと顔を合わせたくないということでしょう。言外に退陣を迫っているという解釈も可能です。

 橋本五輪担当相は森会長の去就について「組織員会が決める」としていますが、その森会長の続投が認められれば、さらに大きな波紋が広がることは避けられません。それは大会の開催を不可能にするほど大きなものとなるでしょう。
 大会を支えるボランティアはすでに500人以上が辞退し、聖火リレーの辞退も広がり、さらに増える可能性があります。大会スポンサーへの抗議もあり、トヨタの社長が「価値観が異なり、誠に遺憾」と発言するなど経済界からも批判の声が上がっています。
 国内の選手たちからも批判の声が生じていますが、コロナ禍が収まっていない日本に行きたくないと思っている外国選手の中には、参加を辞退する人も出てくるかもしれません。今回の問題を機に東京五輪をボイコットする国も出てくる可能性があります。

 政府や自民党は火消しに躍起ですが、二階自民党幹事長の「どうしても辞めたいなら新たなボランティアを募集する」という発言は火を消そうとして石油をぶっかけたようなものでした。もし組織委員会が森会長の謝罪だけで幕引きを図ろうとすれば、同じような結果になるでしょう。
 日本という国は、前時代的な価値観に染まっている国だとして国際社会の顰蹙を買うことになります。大会組織委員会は五輪精神を守ることも、それに反する言動への責任を取らせることもできない旧態依然たる無責任な団体だと告白するようなものです。
 コロナ禍による死者は最多を更新し非常事態宣言を解除できず、女性蔑視発言の責任を取らせることもできない。イエローカード2枚で、レッドカードになろうとしていることが分からないのでしょうか。

 IOCにはしごを外され、小池都知事には引導を渡され、ボランティアからは見限られている。これでも五輪の開催を強行しようというのでしょうか。
 少しでも事態を打開する道は一つしかありません。森会長を解任して責任を取らせ、代わりに女性の会長を選び、組織委員会の構成をジェンダー平等の視点から組み替えることです。
 そうすれば、今回の女性蔑視発言問題の教訓を生かし、多様性を尊重する社会へと生まれ変わることができるにちがいありません。それだけの力を日本社会が持っているかどうかが、いま問われているのです。

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2月7日(日) 東京五輪組織員会の森会長を解任し五輪も中止するべきだ [文化・スポーツ]

 呆れてものが言えません。やっぱりこんな人だったんですね。
 とっととクビにして、東京五輪・パラリンピックも中止にするべきでしょう。

 問題になっているのは、「女性理事を選ぶって文科省がうるさく言う。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という東京五輪・パラリンピック組織員会の森会長による発言です。JOC臨時評議員会でなされたものです。
 「笑い」を取るために、軽い気持ちでこうあいさつしたのでしょう。本人はこれほど大きな問題になるとは思っていなかったにちがいありません。
 聞いていた人たちも、この発言が多様性と男女平等をめざす五輪の精神とかけ離れていることに気づかなったのでしょう。誰も咎めず笑い声さえ漏れたといいますから。

 この発言も大きな問題ですが、その後に行った謝罪会見も酷いものでした。口では「謝罪」の言葉を述べていましたが、その言動から「反省」よりも「居直り」の印象の方が強く残りました。
 「オリンピック精神に反する発言をした人物は組織委の会長に適任か」と問われて「さあ、あなたはどう思う」と反論し、「適任ではないと思う」と言われ、「じゃあ、そういうふうに承っておく」と答えています。自分の考えを言わずに逃げてしまいました。
 また、「そういう話はもう聞きたくない。面白おかしくしたいから聞いてんだろ」と質問をさえぎり、「何が問題と思っているのか聞きたい」という質問に「だからさっきから話している通り」と居直っています。これが、真摯に反省した責任ある受け答えだと言えるのでしょうか。

 でも、森会長はもともとこんな人だったのです。「背広を着た失言」であり「歩く暴言男」のような人ですから、このような発言は意外でも珍しくもありません。
 首相時代にも、「教育勅語は悪いところも、いいところもあった」「日本は天皇中心の神の国だ」「無党派層は投票に行かないで寝てくれればいい」などの問題発言を連発し、内閣支持率が6%台にまで急落して退陣に追い込まれています。その後も、「子供を作らない女性を税金で面倒を見るのはおかしい」などの問題発言を繰り返し、「鮫の脳みそ」と顰蹙を買っていました。
 このような人を東京五輪・パラリンピック組織員会の会長に据えたことが、もともと間違っていたのです。五輪精神に反し、その何たるかを全く理解していない人物を、その最高責任者にしてしまったのですから。

 今回の発言とその後の対応は、この間違いを全世界に向けて白日の下にさらしてしまいました。我が国にとっては大きな「恥」にほかなりません、
 日ごろ「日本は優れている」と豪語している「愛国者」の皆さんは、このような会長の下で五輪が開かれることを容認するのでしょうか。まともな五輪を求めるのであれば、このような「愛国者」の皆さんこそ、森会長の辞任を要求するべきではありませんか。
 しかし、コロナ禍の下で五輪開催について国際的な懸念と批判が高まっている現状では、もはや「辞任」ではなく「解任」が必要でしょう。本人は全く辞める気は無いようですし、そのようなまともな判断も期待できないでしょうし。

 このままでは、日本社会は五輪精神に反した会長の下での五輪開催を強行することになってしまいます。国際社会からの孤立を防ぎ、多様性とジェンダー平等を推進する社会であることを示すためにも、森会長を辞めさせて五輪の開催を中止することが必要なのではないでしょうか。

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9月27日(木) 「あいちトリエンナーレ」展への補助金不公布は事実上の検閲でヘイトアクションを励ます天下の愚行だ。 [文化・スポーツ]

 こんなやり方を許してはなりません。開催中の「あいちトリエンナーレ」展への補助金を全額公布しないと文化庁が決定した問題です。
 表現の自由への重大な侵害で事実上の検閲であり、ヘイトアクションや電凸(電話による集中的な抗議活動)を励ます天下の愚行にほかなりません。断じて許されない憲法違反の権力犯罪です。

 どのような展覧会であっても、内容に公権力が介入せず「カネは出しても口は出さない」というのが大原則のはずです。萩生田文科相は申告の際の情報が十分でなく適切な審査ができなかったという「手続き上の理由」を強調していますが、文科相であってもこの大原則を無視することができませんでした。
 しかし、それは口実にすぎません。官邸が嫌う展示の再開をめざす動きが始まったタイミングで、前例のない攻撃に出たからです。
 このような形で理由が後付けされ、途中から補助金が出なくなれば、補助金を出す行政当局や政府の気に入らない展示は不可能になります。少なくとも、そのような「事後検閲」を避けようと忖度する風潮が蔓延し、芸術文化活動が委縮するにちがいありません。

 このような補助金の支出取りやめは文化庁が決めたとされていますが、それを画策したのは萩生田文科相ではないでしょうか。安倍首相側近の萩生田さんは、このような形で介入する使命を帯びて文科省に送り込まれたにちがいありません。
 加計学園問題では安倍首相の意図を汲んで文科省に圧力をかけたのが萩生田さんでした。今回も安倍首相に指示されたか、あるいは忖度して企画展への圧力をかけたと思われます。
 このような形で官邸の意向に沿った介入を行うために、安倍側近の多くが閣内に取り込まれたのではないでしょうか。第4次安倍再改造内閣の危険性が、さっそく示されることになりました。

 今回の企画展はテロまがいの脅しや抗議が殺到し、3日で中止に追い込まれていました。このような妨害活動について事前に情報提供がなかったとして補助金の不交付決定がなされています。
 つまり、気に入らない展示会に対して脅しや抗議を行ったことが、補助金の不交付を引き出し妨害の効果を高める結果になりました。文科省は、あってはならない妨害活動を後押ししたことになります。
 このようにして表現の自由は、大きく阻害されてしまいました。下からの抗議活動と、上からの権力主義的介入が組み合わさることによって、重大な危機が生み出されたのです。

 安倍政権の危険性がまたも明らかになりました。「検閲は、これをしてはならない」と定めた憲法21条は風前の灯です。


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2月27日(火) 平昌五輪に見られた安倍首相による対応の問題と日本という国の危うさ [文化・スポーツ]

 平昌オリンピックが幕を閉じました。とっとと、オリンピックによるマスコミのハイジャック状況にもピリオドを打ってもらいたいものです。
 この間の報道、特にNHKテレビのニュースには辟易しました。とは言っても、メダルを獲得した選手のインタビューなどは、途中でチャンネルを変えてあまり見ていませんでしたが。
 早くこの五輪の「カーテン」を開け放ち、日本政治の現実を国民に示すことこそマスコミの役割でしょう。国会での審議は惨憺たる有様で、これを立て直すことこそ最優先の課題なのですから。

 平昌五輪で日本選手が獲得したメダルの数は、金4、銀5、銅4の計13個で、過去最高の数字になりました。このことが高く評価されていますが、五輪は国別の対抗戦ではありませんから、このような形でメダルの数を比較すること自体、好ましいことではありません。
 もちろん、この結果は選手個々人の努力のたまものであり、育成・強化策の成果でもあったでしょう。その結果としてメダルを獲得された選手の方々を祝福したいと思いますし、競技を見ていた私も数々の感動と喜びを味あわせていただきました。
 今回の五輪では、ロシアが国家的ドーピングを認定され、多くの選手が出場できませんでした。「取材した雪上協議に限っては、メダル争いが想定されたロシア人選手が少なく、個人資格の参加であれ勢力図に変化はなかった」、「氷上競技もスピードスケートでメダル候補の数人が出られなかったくらい」(『東京新聞』2月27日付)で、それほどの影響はなかったということのようですが、これが日本のメダル獲得数の増大にどう影響したのか、気になるところです。

 今回の五輪では北朝鮮の対応が注目され、選手団の派遣、開会式や閉会式への高官級代表団の出席、女性応援団や管弦楽団の演奏などが行わました。これに対しては一斉に「微笑み外交に惑わされるな」という声が沸き上がりましたが、おかしなことです。
 「微笑み」より「憤怒」の方が良かったというのでしょうか。選手や外交団、応援団などを派遣せず、一触即発の緊張状態の中でいつ戦争になるかという不安や恐怖心を抱えながら五輪を開くべきだったというのでしょうか。
 韓国の文大統領による働きかけと北朝鮮による対応があったからこそ、平昌五輪は友好と平和の祭典として開催され、不安や恐怖を感じたりすることなく、選手は安心して競技に専念でき観客も心置きなくスポーツを楽しめたのではありませんか。これが今後どのような成果に結びつくかは分かりませんが、平昌五輪が平和の祭典として成功したこと、これを契機に朝鮮半島をめぐる緊張が緩和され戦争の不安が和らいだこと、南北対話と米朝対話に向けての可能性が生まれてきていることは極めて大きな成果であり、いくら評価してもしきれるものではありません。

 ところが、日本の安倍首相の対応は、このような流れに逆行する極めて異常なものでした。「微笑み外交にだまされるな」と北朝鮮を敵視して釘を刺し、米韓合同軍事演習の再開を求めて文大統領から「内政干渉だ」と反発される始末です。
 日本はアメリカと違って北朝鮮に近く7~8分で着弾する中距離ミサイルの射程下にあって迎撃はほとんど不可能ですから、軍事的対応はありえません。しかも、憲法9条には「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書かれており、武力による「威嚇」も禁じられています。
 安倍首相はよく「トランプ大統領と100%共にある」と言いますが、日本の首相である限りこのような言葉を口にすることは許されないということが分かっているのでしょうか。朝鮮半島の分断には日本による植民地支配も深くかかわっており、日本は南北朝鮮の統一を後押しする歴史的な責任を負っています。

 このように、日本が置かれている地理的な位置、憲法上の立場、歴史的な責任のいずれからしても、安倍首相の対応は極めて不適切なものであり、大いに問題のあるものでした。それにもかかわらず、これらに対する指摘や批判がほとんどなくマスコミも世論も同調してしまったという点に、日本という国の危うさが示されていると言えるでしょう。


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11月30日(水) 「陸の森」に押し切られてしまった五輪ボート会場の「海の森」案 [文化・スポーツ]

 このままでは「大山鳴動して鼠ゼロ匹」ということになりかねません。東京オリンピック・パラリンピック会場の見直し問題です。
 さまざまな案が議論されてきた東京オリンピック・パラリンピックの会場見直し問題で昨日、IOC(国際オリンピック委員会)のコーツ副会長、東京都の小池知事、組織委員会の森会長、そして丸川オリンピック・パラリンピック担当相による4人のトップ会談が開かれ、都の調査チームが見直しを求めた3会場のうち、ボート・カヌー会場の海の森水上競技場、水泳会場のアクアティクスセンター(東京都江東区)の二つは、費用を見直したうえで予定通り造ると決めました。費用が掛かりボート競技の関係者からも評判が悪かった「海の森」案ですが、組織委員会の会長である「陸の森(元首相)」によって押し切られてしまったわけです。

 残されたバレーボール会場については、クリスマスの頃までに決着させるということのようです。どのような「プレゼント」が用意されているのか注目されます。
 小池知事にしてみれば、都知事選挙での公約でもありますから「ゼロ回答」というわけにはいかないでしょう。「せめて一つくらいは」ということで抵抗しているのではないでしょうか。
 しかし、有明アリーナが横浜アリーナに代わっても「大山鳴動して鼠一匹」にすぎません。組織委員会の森会長だけではなく、競技団体やオリンピック委員会も代替案には消極的であり、小池知事の思惑通りに見直されるとは限りません。

 そもそもオリンピックの開催など、日本の財政状況から言って無理だったのではないでしょうか。東日本大震災からの復興は遅れ、その後も熊本地震や鳥取地震、東北や北海道などでの大雨被害などへの災害対策によって、すでに今でも建設資材は高騰し、人手不足が深刻になっています。
 2兆円を上限にした場合でも、半分は都民の負担になると言われています。それは現時点での試算ですから、さらに費用が増えて負担が増す可能性は大きいでしょう。
 トンデモナイ「金食い虫」を連れて来てしまったものです。かと言って招致プランを大きく変更すれば、「招致詐欺」だとして世界中から批判を浴び、顰蹙を買うにちがいありません。

 1964年の東京オリンピックは、日本の近代化と高度成長のきっかけになったと評価されています。しかし、2020年の東京オリンピックは、財政危機と国民負担の増大によって日本の没落と衰退を促進する契機になってしまうかもしれません。
 すでに、主会場の国立競技場やエンブレムの問題などでゴタゴタが続いてきました。今もなお会場問題は決着せず、他の会場の建設費などの見直しにまで手が回らないという状況です。
 今後も様々な問題が起きるのではないかと心配されています。外国からテロリストが入り込むリスクも高まるでしょうし、開催時期が夏真っ盛りですから高温多湿に不慣れな外国人アスリートや観戦者がバタバタと倒れるのではないかという心配もあります。

 それに加えて、安倍首相が招致演説で行った「放射能による汚染は完全にコントロールされている」という大ウソがあります。福島第1原発の現状はコントロールされていないだけでなく、今後も新たな原発事故が起きるのではないかとの懸念はぬぐい切れません。
 国民がこぞって歓迎し、外国から安心して観戦に来られるような状況になっていないという点に、2020年東京オリンピック・パラリンピックの大きな不幸があります。今からでも開催を返上したらどうかと思いますが、それはもう無理なのでしょうか。

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3月14日(金) 「悪気のない?」差別こそ、ファシズムの温床ではないのか [文化・スポーツ]

 「JAPANESE ONLY」(日本人以外お断り)
 このような横断幕を、国際化が進んだ今日の日本において、サッカーの試合会場で眼にするとは、思いもよりませんでした。しかも、日の丸の旗と一緒に……。
 この横断幕はスタジアム通路の浦和サポーター観客席入場口に掲げられ、通報があったにもかかわらず、試合が終わるまでそのまま放置されていたといいます。対応の遅さにも、呆れてしまいました。

 これに対して、Jリーグは横断幕の内容が差別的だと判断し、横断幕を確認したあとも1時間にわたって撤去しなかった責任があるとして、レッズに対し始末書の提出を求めるけん責と埼玉スタジアムで予定している清水エスパルスとのホームゲームを観客を入れないで行う「無観客試合」とする処分を下しました。Jリーグで無観客試合の処分が出るのは初めてで、これまでで最も重い処分になります。
 当然のことでしょう。もっと厳しい処分が下されても良かったほどです。
 実は、昨日、共同通信の記者からこの問題についての取材の電話があり、「全くとんでもないことで、許されない。厳しい処分が望まれる」という趣旨の話をしました。私のコメントが載った記事が、今日の地方紙に配信されることと思います。

 この横断幕を掲げたのは3人で、「差別や政治問題化させる意図はなかった」と聴取に答え、掲げた理由については「ゴール裏は自分たちの聖地で、ほかの人たちに入ってきてほしくない。最近は海外のファンも増えているが、応援の統制が取れなくなるのが嫌だった」と話したそうです。本当でしょうか。
 横断幕の写真を見ると、その横には日の丸の旗が付いています。「ほかの人」とは「日本人以外」を指していることは明らかで、外国人を排斥する意図があったことは否定できません。
 サッカーの試合という非政治的でありふれた光景に、日の丸の旗と共に外国人を差別し排斥するような言辞が忍び込んできたということになります。日本社会の日常の中に、意識されることなく排外主義が浸透していることの現れであり、このような「悪意のない?」差別こそ、ファシズムの温床となるのではないでしょうか。

 実は、悪意に満ちた差別も別の形で日常化しています。電車のつり革広告には、韓国や中国に対する悪口や罵倒の言葉が満ちあふれ、それはありふれた光景になっているではありませんか。
 そのような光景を日常的に眼にしている若者にとって、外国人を差別したり他国や他民族を排斥したり貶んだりすることへの抵抗感が薄らぎ、知らず知らずのうちにそのような感情が内面化されていくのも当然でしょう。人権の無視や破壊であることを気づかず、軽い気持で人を踏みつけ、踏みつけていることにも無自覚であるという状況が、少しずつ生まれてきているのでないでしょうか。
 人々の差別意識や歪んだ愛国主義に訴えて売り上げを増やそうとする週刊誌などの販売戦略がこのような風潮を強めています。それを批判し押しとどめるのではなく、愛国心教育によって加速させようとしているのが安倍首相の教育改革であり、首相自らが中国、韓国への敵対心を強める姿勢を取って緊張感を高めていることがこうした流れを後押ししていることは明らかでしょう。

 本当に恐ろしい社会とは、日常生活の中で普通の人々が何気なく軽い気持で差別し、人権侵害を行うような社会です。人が人として扱われず、人権が尊重されず、異常が通常になり、国際社会での非常識が常識となるような社会へと日本が変貌しつつあることを、今回の事件が示していなければ幸いなのですが……。

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9月11日(水) オリンピックの東京開催が決まったけれど、それでも残るこれだけの懸念 [文化・スポーツ]

 オリンピックの東京開催が決まり、テレビや新聞などではバカ騒ぎが続いています。全く、ウンザリしてしまいます。
 そんなに浮かれていて良いのかと心配になりますが、マスメデイアではそのような声は全く登場しません。オリンピックの東京開催が決まったとはいえ、それでもなお次のような問題が残っており、それは将来にわたる大きな懸念材料になっています。

 第1に、福島第1原発から漏れ出している高濃度放射能汚染水の処理問題です。これについて安倍首相は「完全にコントロールされている」と国際社会に向かって大見得を切りました。
 真っ赤な嘘です。それが大嘘だということは、すぐにバレルでしょう。
 汚染水漏れが、なぜ、どのようにして、どれほどの範囲で生じているのか、はっきりしたことは分からず、それをどのように制御(コントロール)できるのかも、今の段階では不確定です。今後、海洋への漏出が続き、地下水を通じて飲料水の汚染などが生ずれば、オリンピックどころではなくなってしまいます。

 第2に、震災からの復旧・復興がさらに遅れてしまうのではないかという心配があります。震災復興はオリンピック招致の口実として利用されただけだったのではないでしょうか。
 安倍内閣が国土強靱化を掲げて公共投資への積極姿勢を見せたために、今でも建設資材や建設関連労働者の不足が生じています。これにオリンピック開催に向けてのインフラ整備が付け加われば、このような建設関連の業者や人員の不足、建設資材の高騰はさらに深刻なものとなるでしょう。
 しかも、オリンピックは7年後という期限が定められており「待ったなし」です。オリンピック関連施設の方が優先され、復興公営住宅の建設が後回しにされるなどということになりかねません。

 第3に、新たな震災についての心配はないのかということです。東日本大震災の余震や中南海地震が懸念されていますが、今後7年間、そのような巨大地震はやってこないという保障があるのでしょうか。
 地震発生の可能性だけではありません。異常気象の問題もあります。
 オリンピックが予定されているのは7月24日から8月9日までの真夏の暑い盛りで、今年のような酷暑、ゲリラ豪雨、竜巻などの自然災害が発生する可能性があります。熱中症で、選手や観客、要員などがバタバタ倒れて病人続出などということにならなければ良いのですが……。
 このような自然条件の下で世界中からのお客さんを集めてオリンピックを開催するなどというのは、もともと無理だったのではないでしょうか。雪の降らない国では冬季オリンピックを開けないように、日本という国は夏季オリンピック開催のための自然的条件を欠いていると言うべきでしょう。

 第4に、オリンピックの経済効果だけでなく、反経済効果についても考えておく必要があると思います。64年に開催された東京オリンピックは、日本が高度経済成長のさなかにあったために大きな経済効果をもたらしました。
 その経験に幻惑されてはなりません。今の日本は人口減と高齢化、経済活動縮小のさなかにあるからです。
 オリンピックのインフラ整備のために耐用年数がすぎて老朽化した橋や道路などの補修が進むのは結構ですが、新たな交通機関の整備や関連施設の建設がどれだけ有効活用されるでしょうか。作られたは良いけれど、ほとんど利用されることのない巨大な遺構となって借金の山だけが残されるということになっては困ります。

 これらの懸念があるから、私は日本でオリンピックを開くべきではないと思い、今回の東京での開催にも反対してきました。その開催が決まっても、やはり以上のような心配が残ります。
 今はただ、オリンピックの開催が日本の衰退を決定的にしたターニング・ポイントだったと後世の歴史家によって評されることがないように願うばかりです。そのためにも、単に浮かれるだけでなく、これらの懸念を払拭するために、これからの7年間を有効に生かすべきでしょう。

 この間、6日、8日、10日、12日と、1週間にわたって2日に1回の講演が続いています。忙しくて、ブログの更新がままなりませんでした。
 また、週末から来週にかけて、北海学園大学での政治学会出席のために北海道に行きます。この間もブログの更新を中断させていただきますので、ご了承いただければ幸いです。

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9月8日(日) 56年ぶりに開かれる東京オリンピックが抱える課題とは [文化・スポーツ]

 2020年の夏季オリンピックの開催都市が東京に決まりました。オリンピック開催を願っていた関係者の苦労が実ったということになります。
 最大の「勝因」は、東京都知事が石原慎太郎から猪瀬直樹に変わっていたことではないでしょうか。猪瀬さんもアブナイ発言をしていましたが、それでも慎太郎よりはマシだったということでしょう。

 1964年以来56年ぶりのオリンピック開催が決まって、早速、テレビなどでは大騒ぎが始まっています。大儲けのための一大イベントの開催決定ですから、それも当然かもしれません。
 巨大な経済効果が見込まれるということで、経済界も大歓迎というところでしょうか。オリンピック開催のためのインフラ整備を名目に、莫大な工費が投じられることになるでしょうから。
 しかし、今日の『毎日新聞』には「国土強靱化 復興阻む」「全国で工事増 人不足」という記事が出ていました。これにオリンピック開催に向けての工事が加われば、一体、震災復興はどうなるのでしょうか。さらに「復興阻む」ということにならないでしょうか。

 オリンピックの開催とその成功に向けては多くの課題がありますが、その第1は東電福島第1原発の汚染水問題の解決です。オリンピックの招致に当たって、安倍首相は「きちんとコントロールされていることを保証します」と断言しました。
 この言葉は国際公約であり、汚染水処理が最優先される必要があります。海洋への垂れ流しについて周辺諸国は大きな懸念を抱いており、放射能汚染の不安が残るようなことがあってはなりません。
 海洋汚染だけでなく、最近では地下水も汚染されていることが明らかになりました。これが徐々に拡大して川に流れ込んだりすることのないように「きちんとコントロール」される必要がありますが、これらの防止措置が技術的に可能かどうかは、はっきりしていないのです。

 第2の課題は、周辺諸国との領土紛争や歴史認識問題の解決でしょう。国際的な紛争要因を抱えたままでは、安心してオリンピックを開くことはできません。
 今回の開催都市決定で、当初は有力と見られていたイスタンブールが敗退した理由は、国内のデモなどの治安問題とともに隣国であるシリア情勢の不安定性でした。同じような問題を日本が引き起こすようなことがあってはなりません。
 また、過去の侵略戦争や植民地支配、従軍慰安婦問題などについての特異な歴史観によって、国際的な孤立を深めるようなことも避ける必要があるでしょう。安倍首相は自らの歴史認識を改め、周囲の国々が反発したり世界の人々が違和感を持ったりするような言動を控え、世界基準の政治や社会を作らなければなりません。

 第3に、国費のバラマキによってバブルを生み出さないような経済運営に務めることです。ただでさえ、アベノミクスによってミニ・バブルが目標とされ、国土強靱化を掲げたバラマキが始まっているのに、これにオリンピックのインフラ整備を名目にした公共投資が加わることになります。
 その結果、一方ではバブル経済の再来、他方での財政赤字の累積という問題が生ずることになるでしょう。インフレによって国民生活が苦境に陥り、国家財政が破綻するなどというようなことになっては困ります。
 震災復興が後回しにされたり、国民生活が犠牲になるような形での開催準備は本末転倒でしょう。「こんな大変なときに、オリンピックなどやっている場合か」「それ以前に解決するべき重要課題が沢山あるのではないか」という都民や国民の声も少なくないことを忘れないようにしてもらいたいものです。

 オリンピックはある種の「お祭り」ですから、それが開かれる以上、大いに盛り上がって被災者を励まし、震災復興を後押しするものになって欲しいと思います。もし、オリンピックの開催によって政策の優先順位が歪み、震災復興の足を引っ張り、「オリンピックなんかやらなければ良かったのに」と後悔することになっても、それは「あとの祭り」なのですから……。

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2月1日(金) スポーツ界の体罰は「パワハラ社会」の氷山の一角にすぎないのではないか [文化・スポーツ]

 スポーツ界の体罰問題が大きな注目を集めています。「選手を強化するための“愛の鞭”だ」などと弁護する人もいますが、とんでもありません。

 スポーツの場や教育の場はもとより、職場や国際政治を含めて、どのようなところであっても、「力」によって問題を解決するようなやり方は間違っています。ところが、この社会では、目的さえ正しければ多少の暴力や暴言などの「力」の行使は許されるとの容認論が広く行き渡っています。
 日本は、このような「力」を正当化し、それが広く行使されている「パワハラ(パワーハラスメント)社会」なのです。スポーツ界での体罰は、そのようなパワハラ社会である日本の歪みを明るみに出した氷山の一角にすぎないのではないでしょうか。

 この問題は、当初、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部の監督による体罰が発端になりました。体罰を受けたキャプテンがそれを苦にして自殺したからです。
 これに対して、橋下大阪市長は「体育系2科の入試を中止しなければ、関連予算を支出しない」と表明し、問題は新たな展開を示します。教育委員会は、体育科とスポーツ健康科学科の入試をとりやめるけれども、普通科として入試をして同じ試験科目で受験できるようにするという折衷案での決着を図りました。
 しかし、このような橋本市長のやり方も、予算の支出権限という「力」を背景にして責任を転化する誤った方法だというべきでしょう。それまで体罰を肯定していた自らの間違いを糊塗するために、ことさら厳しい対応を取ろうとして何の責任もない受験生に大きな被害を及ぼすことになってしまったからです。

 その後も、このような体罰は、次々と明るみに出てきています。桜宮高校では、これまでに体罰が判明したバスケ部、バレー部の他にも、複数の部や授業でも体罰 が行われていたとみられています。
 また、他の高校でも、体罰が横行していたようです。高校駅伝の強豪、愛知県立豊川工業高校の陸上部の監督を務める男性教諭が部員に体罰を繰り返していたことも明らかになりました。
 さらに最近では、全日本柔道連盟(全柔連)が園田隆二女子代表監督らによる選手への暴力行為を認めて謝罪しました。これは桜宮高校の問題が発生する前である昨年12月、日本オリンピック委員会(JOC)にロンドン五輪代表を含む選手15人の連名による告発文が届いて明るみに出ました。

 この最後の例は五輪などで勝利を目指す代表選手の強化で、学校教育における体罰問題と同列に論じるわけにはいかないという意見があります。しかし、これも「力」による指導であり、指導される側からは「告発」に値する理不尽な方法と受け取られていました。
 そこには、納得もなければ信頼感もありません。それで、指導が行き届き、選手が強化されるのでしょうか。
 この告発を受けたJOCはきちんとした調査もせずに全日本柔道連盟に「丸投げ」し、全柔連もきちんとした対応をすることなく、園田監督を代表監督に留任させたまま戒告処分とすることでお茶を濁そうとしました。しかし、その後も批判は止まず、結局、園田監督は辞意を表明することになりました。

 JOCも全柔連も、連名で告発した15人の強化選手の悩みや思いを全く理解せず、当事者意識もなく、責任を持って解決に当たる能力もありませんでした。ただ、事なかれ主義で事態を丸く収めようとしただけだったように思われます。
 体罰のような暴力による指導は高校だけではなく、またバスケットボールや柔道だけではありません。暴力を伴う「力」による指導は会社内や職場にもあり、言葉の暴力とも言えるパワーハラスメント(パワハラ)は、日本企業の職場内でも大きな問題になっています。
 13万人に上るとされている「電機リストラ」や、「追い出し部屋」への隔離によって自己都合退職に追い込むやり方も、ある種の暴力でありパワハラであると言えるでしょう。このような職場における暴力やパワハラも、断じて許されません。

 ところが、このような体罰を暴力ではないとして擁護する意見もあります。たとえば、「子どもには『体罰を受ける権利』があります」という「体罰の会」http://taibatsu.com/index.htmlは、次のように「体罰」を肯定し、擁護する主張を行っています。

 「体罰とは、進歩を目的とした有形力の行使です。体罰は教育です。それは、礼儀作法を身につけさせるための躾や、技芸、武術、学問を向上させて心身を鍛錬することなどと同様に、教育上の進歩を実現するにおいて必要不可欠なものなのです。
  一方、あたりまえのこととして、暴力は許されません。自己の利益、不満解消(鬱憤晴らし)、虐待を目的として人(弱者)に対して有形力の行使をして傷つける行為は、家庭内であれ、学校内であれ、社会内であれ決して許されません。それは、その人間の考えの間違い、心の弱さ、過度の精神的な疲労(人間力の劣化)などが原因となっています。しかし、このような進歩を目的としない「暴力」と、進歩を目的とする「体罰」とは根本的に異なります。」

 この会の会長は、外交官の加瀬俊一氏の子息で外交評論家の加瀬英明さんです。加瀬さんは日本躾の会評議員で、日本・イスラエル親善協会副会長、日本会議代表委員、新しい歴史教科書をつくる会の賛同者でもあり、歴史教科書問題に深くコミットしている人物です。
 また、顧問兼支部長には、戸塚ヨットクールの戸塚宏校長の名前があります。発起人名簿には浅田均という人も掲載されていますが、この名前は「日本維新の会」政策担当で政調会長の浅田均さんと同じです。
 別人なのでしょうか。それとも同一人物なのでしょうか。橋下さんは、きちんとした説明をする責任があるでしょう。

 私たちが住むこの社会は、人間で構成されています。「話せば分かる」はずの社会に、体罰などの「力」による強制や指導は不必要であり、逆効果になるだけです。
 スポーツの指導や教育の現場などで「力」に頼ってしまうというのは、手っ取り早く教えたい、問題を解決したいという誘惑に屈服することを意味しています。時間がかかる迂遠なやり方ではあっても、きちんと説明し説得して、相手の納得を得ながらものごとを進めるというのが、民主主義の方法でしょう。
 スポーツや教育、職場や国際社会など、どこであっても「力」に頼ることはもう止めるべきです。私たちの社会は、指導や教育、紛争や問題の解決に暴力を用いず、それに代えてルールや納得が通用する「人間らしい」平和な世の中とするための努力を、永年にわたって積み重ねてきたのですから……。

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