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2月2日(水) 政治を変えよう!「市民と野党の共闘」で [挨拶]

〔以下の挨拶は、本来であれば本日の夕刻、中野ゼロホールで開催される予定だった「革新都政をつくる会呼びかけ人会議」の集会で行うはずだったものです。この集会では、小林節慶応義塾大学名誉教が講演され、野党共闘に加わる立憲民主党や共産党、社民党など各党代表が出席する予定で、私は呼びかけ人を代表して開会の挨拶をすることになっていました。しかし、新型コロナウイルスの感染が拡大したため、残念ながら中止のやむなきに至りました。せっかく集会に向けて準備したのに無駄になってしまいましたので、「幻の開会挨拶」をここにアップさせていただきます。〕

 ただ今から「政治を変えよう!「市民と野党の共闘」で 2・2大集会」を開会いたします。集会の開会に当たり、ひとことご挨拶させていただきます。

 政治を変えるためには、野党の強化と共闘が欠かせません。しかし、昨年の総選挙の総括をめぐって、野党の弱体化と分断を狙う言説が繰り返されております。

 例えば、野党共闘は効果がなかったという批判です。しかし、甘利明自民党幹事長を落選させて辞任に追い込み、東京5区で現職大臣を落とし、東京8区で石原元幹事長を蹴落とすことができたのは、野党が共闘して統一候補を立てたからではありませんか。東京での野党共闘は小選挙区で4から8議席へ、比例代表を含めて10から15議席へと大きな効果を発揮しました。参院選でも共闘を維持することでしか勝利できないことは明らかです。

 野党共闘に対しては「野合」批判もあります。しかし、野党は6柱20項目の政策合意を明らかにして選挙を闘いました。これに対して、自公政権は一度としてこのような合意を明らかにしたことがありません。だからこそ、選挙が終わってから子供への一人10万円支給問題で大混乱したのです。大阪での維新と公明の住み分けは、政策合意がないどころか与党と野党によるもので、典型的な野合ではありませんか。維新と組んで政権が変わっても、新自由主義に基づくタカ派政権ですから後ろに退く「政権後退」にすぎません。

 「限定的な閣外協力」についても十分な理解が得られなかったという批判があります。しかし、このような協力はすでに始まっていました。岸田新政権発足に際して、野党4党は立憲の枝野代表の名前を書きました。もし総選挙で多数になっていれば、首班指名で枝野さんの名前を書き、合意した政策について法案成立のために協力したはずです。このような協力なしに、連合政権の樹立も存続も不可能です。先ほど発足したチリの左翼政権では閣僚の半数以上が女性で、官房長官になったのはチリ共産党の女性議員でした。

 選挙が終わってからも、「野党は批判ばかり」という悪口雑言が荒れ狂いました。実際には批判ばかりしているわけではありませんが、批判しなかったら野党ではありません。三権分立の行政府に対する立法府のチェックを実質的に担っているのは野党です。このような批判は野党の牙を抜いて「虎を猫に」変えようとする陰謀にほかなりません。寅年なのに猫になってどうするのですか。三権分立が形骸化し、議会制民主主義も崩壊してしまいます。

 今の国会で、岸田首相は日本防衛のために「あらゆる選択肢を排除しない」と繰り返し、敵基地攻撃能力の保有や改憲に積極的な姿勢を示しています。これも大きな間違いです。戦争に繋がり憲法に違反する選択肢は、きっぱりと排除しなければならないからです。

 他方で、北朝鮮のミサイル実験に対しては傍観するばかりで、緊張緩和に向けてお手上げの状態です。一時的な制裁緩和も視野に入れながら、米朝両国に対話を呼びかけるという選択肢が排除されているからです。外交と交渉によって問題を解決するという憲法9条の精神にそった働きかけこそが求められているのではないでしょうか。

 岸田首相は宏池会出身というハトの仮面をかぶったタカにほかなりません。この岸田首相の化けの皮をはがして改憲を阻止し、野党の弱体化と分断を図る「悪魔の囁き」に惑わされず、野党共闘を再建・強化して7月の参院選で勝利することが今年の課題です。本日の集会が、このような課題達成に向けての出発点になることを願って、開会の挨拶に代えたいと思います。最後までのご協力をお願いいたします。

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6月24日(日) 全国革新懇総会での「開会あいさつ」 [挨拶]

〔以下の「開会あいさつ」は、5月19日に開催された全国革新懇総会で行われたものです。全国革新懇第36回総会記録集『安倍政治を終わらせるときがきた』に収録されています。〕

 いよいよ革新懇の出番がやってまいりました。昨年も同じようなことを言ったような気がしますが、その後の総選挙で、小池百合子東京都知事という〝緑のタヌキ〟にたぶらかされた前原民進党の迷走によって大混乱が生じてしまいました。まさに「小池にはまってさあ大変」。野党のオウンゴールに助けられるような形で、安倍政権は一時的に息を吹き返しました。
 しかし今年に入って、森友・加計学園疑惑が新たな展開を見せて、再びソバ屋は大繁盛。内閣支持率は低下し、「安倍おろしソバ」の注文が 全国から殺到しています。国会はうそとデタラメ、柳瀬証言は「やらせ証言」にすぎず、捏造に次ぐ捏造で、安倍晋三は「安倍ネツゾウ」になってしまいました。「安倍夫妻と不愉快な仲間たち」による国政の私物化に国民の怒りは爆発寸前になっております。
 このような民意をすくいあげ、安倍政権の打倒に向けて決意を固めあうのが、本総会の第一の課題にほかなりません。最近、私は『打倒安倍政権―9条改憲阻止のために』という本を出版しましたので、そのための「武器」として活用していただければ幸いです。
 本総会の第二の課題は、安倍首相を打倒して、改憲策動を阻止するために、全国の先進的で豊かな経験と教訓を学びあうことにあります。決意だけでは政権は倒せません。「市民と野党との共闘」こそ勝利の方程式ですが、選挙区や地域の実情にあわせた方程式の「解き方」を互いに学びあい、運動の水準を引き上げることが必要です。
 第三の課題は、この総会を「三段跳び戦略」の跳躍台とすることにあります。安倍首相を引きずり下ろすのがホップ、来年の参議院選挙でねじれ状態をつくり出すのがステップ、そして、来るべき解散・総選挙で勝利するのがジャンプです。
 その出発点こそがきょうの総会ではないでしょうか。もちろん、それ以前に解散・総選挙になる可能性も十分にあります。やれるもんなら、やってみろ! 返り討ちだ! そして、みんなでこう叫ぼうではありませんか。「安倍よ、アバヨ!」
 最後に私事ですが、過去1年間での講演回数は約80回になりました。メール一本、即参上。引き続き皆さんの先頭に立って奮闘する決意を表明するとともに、本総会での最後までの熱心な討論と運営へのご協力をお願いする次第です。
 なお、ご発言にあたっては、これから行われます報告・提案に基づいて、それに沿った発言をよろしくお願いしたいと思います。また、本日の座長を杉井静子さんと伊東達也さんの二人の代表世話人にお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。ご賛同いただいたと思いますので、さっそく議事を座長さんに引き継ぎたいと思います。ありがとうございました。


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4月16日(月) 第33回ノーウォー八王子アクションでのスピーチ [挨拶]

 昨日、JRの八王子駅北口で、33回目になるノーウォー八王子アクションが実施されました。そこでスピーチを頼まれ、以下のような話をさせていただきました。
 参考のために、アップさせていただきます。

 昨日、国会前ではのべ5万人もの人々によって、安倍政権の総辞職を求める大抗議行動が実施されました。もはや末期症状を呈しているというのが、現在の安倍政権です。
 政治がよって立つ土台が崩れています。こんな政権、存続するのはどだい無理な話ではないでしょうか。
 政治を立て直すためには、安倍政権を打倒するしかありません。最近、『打倒 安倍政権』(学習の友社)という本を出しましたので、詳しくはそちらをご覧になっていただきたいと思います。

 さて、連日、マスコミで報道されている加計学園疑惑です。これについて首相官邸での会見記録が発見されました。
 昨年のうちに、和泉補佐官が「総理が言えないから私が言う」、内閣府の藤原さんが「官邸の最高レベルが言っている」、萩生田官房副長官は「総理は30年4月開設とお尻を切っている」と言っていたことが明らかになっています。そして今度は、柳瀬首相秘書官が「首相案件」だと発言したことが明らかになったわけです。
 もう、逃れられません。加計学園の問題は安倍首相と加計孝太郎さんの「悪だくみ」で、「首相案件」だったことは明らかです。

 他方、森友学園疑惑は「昭恵事案」です。籠池さんの国粋主義的な教育理念に賛同した昭恵さんが小学校用地の取得に肩入れし、8憶2000万円も値引きして1憶3000万円で販売しました。理由はゴミですが、それは100分の1しかありませんでした。
 モノの売買がなされるとき、普通は買う方がもっと負けてくれと言いますが、森友学園の土地取得の場合、売る方がもっと安くしようと言っていました。あべこべではありませんか。全く異常です。
 森友の背後に昭恵さんがいるということで官僚が忖度し、「全自動忖度機」が作動して大幅にディスカウントされたのです。スイッチを入れたのは昭恵さんでアッキーだ。だからこれは「アッキード事件」。
 どちらも、「安倍夫妻と不愉快な仲間たち」による政治の私物化です。国家犯罪だと言わなければなりません。

 裁量労働制でのデータねつ造も明らかになりました。森友決裁文書でも改ざんとねつ造が行われています。
 こうなってくると、安倍さんは名前を変えるべきではないでしょうか。「安倍晋三」じゃなくて「安倍ねつ造」と。
 南スーダンPKOやイラク派遣での日報隠蔽もありました。文民統制が効いていません。「戦争できる国」を作るため、専守防衛を転換するために「戦場の真実」を隠したのではないでしょうか
 加計学園疑惑、森友学園疑惑、働き方改革でのデータねつ造、自衛隊日報隠蔽と続いています。スリーアウトどころかフォーアウトです。とっくにチェンジしていなければなりません。

 まだあります。自民党議員と文科省による名古屋市の八王子中学校での前川さんの授業への圧力、放送法4条の廃止によるテレビへの介入の動き、おまけに渦中にある財務省のトップ、福田財務事務次官のセクハラ・スキャンダルまで明らかになりました。
 もうたくさんです。安倍首相はウミを出し切れと言っていますから、ウミがあることを認めているんです。
 しかし、安倍さん、ウミはあなただ。とっとと首相官邸から出ていきなさい。

 出ないなら追い出すしかありません。市民と野党の共闘の力で安倍内閣を打倒し、安倍首相を官邸から追い出しましょう。
 そして、一緒にこう言おうではありませんか。「安倍よアバヨ」と。

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11月25日(日) 「『謀略』『三鷹事件の真実にせまる』合同出版記念のつどい」でのあいさつ [挨拶]

 昨日、松本善明著『謀略』(新日本出版社、1500円)、梁田政方著『三鷹事件の真実にせまる』(光陽出版社、1714円)合同出版記念のつどいが武蔵野スイングホールで開催され、全国から172人もの方が集まりました。私もこのつどいの呼びかけ人の一人として出席するつもりでしたが、その前日に思いがけない電話がかかってきました。
 このつどいで呼びかけ人代表あいさつを予定していた金子満広元日本共産党衆院議員が、事情により出席できなくなったというのです。ついては、そのピンチヒッターをお願いできないかというお話しでした。
 私が呼びかけ人の皆さんを代表できる立場にないことは明瞭ですが、主催者としては困ってしまった結果、私に助けを求めてきたにちがいありません。ここは一肌脱ぐべきだと思い、これをお引き受けすることにしました。

 ということで、この「合同出版記念のつどい」での呼びかけ人代表あいさつを、以下に掲載させていただきます。

 今、ご紹介されたような事情で、あいさつをさせていただくことになりました、法政大学大原社会問題研究所の五十嵐でございます。
 「ピンチヒッターとして使い勝手がよい」ということだったのかもしれませんが、昨日、電話をいただいて、急遽、呼びかけ人を代表して、ということになりました。お二人の著書への感想とあわせて、あいさつさせていただきます。
 とは言いましても、三鷹事件にしても松川事件にしましても、私が生まれる前の事件でして、全く印象はございません。これまでも本などで知るだけでしたが、お二人の著書にも、大いに学ばせていただきました。

 お二人の著書は、「日本の黒い霧」と言われた占領時代の謀略事件に歴史の光を当て、再検証を試みたものです。
 一方の、松本善明さんの著書『謀略』は主として松川事件を取り上げ、犯人と思われる一人からの手紙を紹介したり、CIA文書を通じて謀略部隊の存在を明らかにしたりした点に大きな意義があると思います。他方の、三鷹事件に焦点を当てた梁田政方さんの著書『三鷹事件の真実に迫る』は竹内景助さんの「死後再審」を勝ち取って無念を晴らすための強力な武器になるものでして、弁護団の対応や裁判のあり方を厳しく批判されていますが、かといって、一方的な糾弾の書になっていない点を高く評価したいと思います。

 お二人の著書は、いずれも権力犯罪を告発し、被害者の救済と真犯人逮捕の必要性を改めて提起したものとなっています。読んでみて気がついたいくつかの論点にしぼって、感想を述べさせていただこうと思います。

 第1に、被害者概念の拡大です。えん罪で逮捕・収監された人々はまさに被害者そのものですが、その家族や事件の犠牲者・殉職者、受難者遺族と周囲の人々もまた事件の被害者であるという指摘は重要だと思いました。事件が及ぼす被害の範囲を拡大して捉えることは、その事件の重大性と犯人の罪の重さを改めて確認することになるからです。

 第2に、えん罪の捉え直しです。松本さんは著書の中で、①無実の人の長期拘束、②真犯人の捜査放棄、③被害者に対する国家責任の放棄という3点にわたってその問題点を指摘されています。このようなえん罪には、意図せざるえん罪と意図したえん罪があるように思われます。後者のえん罪は、特定の政治目的のために犯人をでっち上げるもので特に問題です。でっち上げる側にとっては、その時点での「社会的雰囲気」を醸し出すことが目的で、必ずしも有罪にならなくてもそれは達成されます。このために、とりわけえん罪が起きやすい構造になっているという点を指摘しておきたいと思います。

 第3に、大衆的な救援活動の意義と重要性です。今、述べたような意図したえん罪を晴らすためには、このような救援活動が不可欠です。それは、被告を救済する(名誉回復を含む)、裁判の歪みを正す、真相を明らかにする、真犯人逮捕への道を開くなどの点で、大きな意義をもっているからです。救援活動は裁判を歪めるものではなく、元々あった歪みを正し、公正な裁判の環境を整え、誤りを犯した司法をも救済して、その名誉と信頼を回復するものだということを強調しておきたいと思います。

 第4に、裁判の持っている二面性を指摘しておく必要があります。無罪確定諸事件におけるパターンは、まず、不自然で非常識な逮捕と起訴があり、予断と偏見に満ちた一審判決で有罪、上告審で無罪となるというものです。その間に、新たな事実、証拠、アリバイが発見されています。一方で、これらが一審で明らかにされないという点での問題がありますが、他方では、上級審、再審で是正されるという可能性もあるということです。是正可能性を持っているという点で、裁判はそれなりに機能している。下級審で有罪判決が出たからと言って、決して諦めてはならないということです。

 第5に、今後の真相解明・真犯人逮捕に向けての課題です。松本さんの本で明らかにされた「CIA謀略部隊」の存在の検証、事件当時の鑑定書や捜査記録の公開などが必要です。三鷹事件については、報道機関の検証も必要でしょう。今後、アメリカ側資料の公開と分析が進めば、新たな事実が発見される可能性もあります。
 たとえば、松本さんの本では鹿地亘拉致事件が出てきますが、これについて早稲田大学の加藤哲郎教授は、驚くべき事実を明らかにしました。MIS(米国陸軍情報部)鹿地ファイルの中から、米国政府宛で交わした1845年7月17日付のAgent契約書(月200ドルの金銭授受)が出てきたというのです。米国側はなお鹿地をエージェントとして扱おうとして拉致したのではないかというわけです。加藤さんは、「占領期日本の三大事件(下山事件、三鷹事件、松川事件)等とG2キャノン機関やCIAの関連を示唆する謀略の資料は、個人ファイル類を含め、今のところ見つかっていない」と書かれていますが、今後見つかる可能性も皆無ではないと思います。

 このように、真相の解明と被害者の救援のためには、なお検証され、明らかにされるべき多くの課題が残っています。お二人の著書は、その解明に大きな貢献をするものであり、その刊行を共に喜びたいと思います。その著書の、今後の普及へのご協力をお願いいたしまして、「合同出版記念のつどい」へのあいさつとさせていただきます。

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8月2日(木) 戦後革新と増島宏先生 [挨拶]

〔これは、7月31日に開かれた「増島宏先生を偲ぶ会」での「文書発言」です。当日、会場で代読していただきました。〕

 本日の「増島宏先生を偲ぶ会」に当たり、高橋彦博先生から、増島先生の「戦後革新の評価」について発言して欲しいとの要請を受けました。所要のため東京におらず、「偲ぶ会」に出席できないこともあって一度はお断りしたのですが、その日の夜、増島先生が夢枕に現れ、叱られてしまいました。
 というわけで、「偲ぶ会」に当たって、一言ご挨拶申し上げることにいたしました。前回同様、文書発言となることをお許し下さい。

 さて、高橋先生から求められたテーマは、増島先生による「戦後革新の評価」というものでした。しかし、増島先生にとって「戦後革新」とは、「評価」の対象であるよりも、先生の学問的人生における目標であり、課題であったように思われます。というのは、戦後日本の政治と社会の革新的な変革のために、先生はその生涯をかけられたからです。
 恐らく最後のまとまった業績だと思われる『「戦後革新勢力」の源流』(大月書店、2007年)の序章「占領前期政治・社会運動の歴史的意義」において、先生は次のように書いておられます。

 これらの政治・社会運動のなかで新しい民主主義思想を身につけた新たな人間類型が生み出されていった。そこには、戦後の民主化に夢と希望を託し、理想を掲げて新生日本の建設を担おうとした人々がいた。運動は紆余曲折を避けられず、少なからぬ誤りも犯したが、新しい社会を作り出そうとする人々の熱情に偽りはなかったであろう。
 これは、社会変革に向けての運動における新たな主体形成を意味し、やがては「戦後革新勢力」を生み出す萌芽となるものであった。同時にそれは、新しい憲法の下で国民全体が主権者としての自覚を高め、訓練される過程にほかならなかったのである。(17頁)

 増島先生ご自身こそが、「新しい民主主義思想を身につけた新たな人間類型」の先駆であったと申せましょう。そして、先生は「戦後の民主化に夢と希望を託し、理想を掲げて新生日本の建設を担おう」とされました。とりわけ、若者への教育を通じて、「新しい憲法の下で……主権者としての自覚を高め、訓練」することをめざし、新しい民主主義思想を身につけた変革主体の形成に生涯を捧げられたのではないでしょうか。

 最近、大原社会問題研究所では新しい研究プロジェクトとして「社会党・総評史研究会」を立ち上げました。そこでの聞き取りにおいて、加藤勘十氏の息子さんである加藤宣幸さんは、構造改革論についての研究会に、松下圭一、北川隆吉、中林賢二郎などの諸先生と共に、増島先生も出席していたと証言されています。
 この構造改革論をはじめ、革新統一戦線論、人民的議会主義論、民主連合政権論など、先生は「戦後革新」のための理論展開に尽力され、『現代政治と大衆運動』(先生の主著の一冊、大月書店、1966年)の解明に努められました。
 このような先生からすれば、昨年の「アラブの春」や「ウォール街占拠運動」などの世界的な大衆運動の高揚と政治革新の奔流は、どのように評価されたでしょうか。日本でも、首相官邸前の脱原発運動を始め、広範な民衆運動が政治と社会の変革を求めて胎動を始めました。せめてあと1年、長生きされてこのような世界史的転換の兆しを目にしていただきたかったと願うのは、私だけではないでしょう。

 とはいえ、これらの運動の高揚を準備するうえで、先生の学問的実践は少なからぬ貢献をされたと思います。また、先生の教えを受けた者の多くが、「地の塩」となってこれらの運動を支えているにちがいありません。
 私もまた、「戦後革新」に賭けた先生の夢と志を受け継ぎ、残された人生の時間と能力を捧げることをお誓いし、「偲ぶ会」に向けてのご挨拶とさせていただきます。

2012年7月31日
                         法政大学大原社会問題研究所  五十嵐 仁
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11月6日(金) シンポジウム「児童労働の現状とNGOの政策提言」に向けてのあいさつ [挨拶]

 あいさつのアップが続いています。新しい文章を書いている余裕がないからです。
 苦し紛れに、以前に書いたものを再利用させていただいているというわけです。

 とはいっても、このような催しに参加できる人は限られていますので、これを読めば、その意義や内容、雰囲気などを感じていただけるかもしれません。
 ヒョッとしたら役に立つかもしれないという思いと、せっかく書いたものだから記録にとどめておきたいという気持ちがない交ぜになって、今回の連続アップとなりました。ご了解いただければ幸いです。
 今回は、6月28日に法政大学市ヶ谷キャンパスの外濠校舎で行われたシンポジウムに向けてのあいさつです。これは、児童労働ネットワーク(CL-Net)http://cl-net.org/との共催で開かれたもので、「児童労働反対世界デー・キャンペーン2009」の一環として取り組まれ、レガット・ヴェンカット・レディ氏(M.V.Foundation委員会国内議長)による「インドの児童労働の現状と活動紹介」、ヴェロニック・フェイジェン氏(2009年「ストップ・児童労働-学校が最良の解決策」キャンペーンの国際調整官)による「『ストップ・児童労働―学校が最良の解決策』キャンペーンとその結果、EUの視点から」という基調講演などが行われました。

シンポジウム「児童労働の現状とNGOの政策提言-インドとEUの経験に学ぶ」に向けてのあいさつ

 本日のシンポジウムを共催させていただきました法政大学大原社会問題研究所の五十嵐でございます。シンポジウムの開会に当たりまして、一言ご挨拶申し上げます。
 本日のシンポジウムの会場であるこの外濠校舎は、市ヶ谷キャンパスで最も新しい校舎です。かつて、大原社会問題研究所も、この隣の80年館にありましたが、今では多摩キャンパスに移っております。
 大原社会問題研究所は1919年に設立され、今年、創立90周年を迎えました。法政大学と合併して附置研究所になったのは1949年ですから、それからでも60年経ちます。厳しい時代であった戦前から戦後にかけて、さらに今日に至るまで存在できましたことは、まさに奇跡であたっと言えるでしょう。
 研究所を設立しましたのは、「大原美術館」の設立者でもある大原孫三郎で、研究所の名称に「大原」とあるのは、そのためでございます。研究所は大原社研の名でも知られておりますが、その主たる研究分野は労働問題を中心とする社会問題でありまして、このような関係で、今回、児童労働の問題についてのシンポジウムを共催させていただくことになった次第です。
 本日のテーマは、児童労働問題の解決に向けてとり組むインドとヨーロッパの経験に学ぶことでありますが、この問題は日本に生きる我々とも無縁ではありません。多国籍企業によるグローバルな活動の最底辺に児童労働が組み込まれ、日常、私たちが使用する製品などが開発途上国の児童らによって生み出されているかもしれないからです。
 また、子供の貧困を象徴する例が児童労働であるということからすれば、その解決に向けての政策提言は、最近、我が国においても大きな問題となっています「子供の貧困」を解決する重要なヒントを得る機会となるにちがいありません。
 子供は「歩く未来」であります。その子供たちが希望をもって未来を語ることができるようになるために、本日のシンポジウムが大いに役立つことを願いまして、主催者としての挨拶に代えさせていただきます。

11月5日(木) 日本フェミニスト経済学会2009年度大会に対するあいさつ [挨拶]

 このところ忙しくて、まとまったものを書いている余裕がありません。ということで、今回もまた、以前に行ったあいさつでお茶を濁させていただきます。

 今回ご紹介するのは、4月18日(土)に法政大学市ヶ谷キャンパスのBT(ボアソナード・タワー)のスカイホールで行われた日本フェミニスト経済学会2009年度大会に向けての私のあいさつです。この研究大会を大原社会問題研究所も共催させていただいた関係であいさつしました。

日本フェミニスト経済学会2009年度大会に対するあいさつ

 日本フェミニスト経済学会の2009年度大会に際しまして、ひと言、ごあいさつを申し上げます。
 まず、共催させていただきました大原社会問題研究所といたしまして、大会の成功を共に喜びたいと思います。私も、午後の報告と討論を聞かせていただきましたが、多くの参加者を得て、活発な討論がなされる有意義な研究会であったと思います。
 今回の大会に当たりまして、当研究所の運営委員をお願いしております原伸子先生から、共催の申し入れがありました。フェミニストを自認しております私としては、直ちに承諾したわけですが、共催させていただいた理由はそれだけではありません。
 大原社会問題研究所は、その名称に「社会問題」とありますように、労働問題だけでなく、貧困や女性をめぐる社会問題につきましても、資料の収集や研究の対象としております。5月16日(土)には、Kaye Broadbent(ケイ・ブロードベント)氏による「Why women-only unions are necessary: The experience of Japan and Korea(女性ユニオンの必要性:日本と韓国の経験に基づいて) 」というテーマでの国際交流講演会が予定されています。会場は、この建物の19階D会議室です。
 また、当研究所が発行している『大原社会問題研究所雑誌』には、今大会での報告に関連するテーマの論攷が数多く掲載されていることは、皆様ご承知のとおりでございます。この機会に、フェミニスト経済学会に属する多くの研究者が、研究の成果を発表される場として、この『大原社会問題研究所雑誌』を活用されることをお願いしたいと思います。併せて、是非、『大原社会問題研究所雑誌』を定期購読されますよう、お願い申し上げます。
 私どもの研究所は女性労働問題、戦前では婦人労働問題ですが、戦前からこの分野の研究でも先駆的な業績を上げてきたという歴史を持っております。たとえば、戦前の研究員で、戦後は片山内閣の文部大臣になり、その後、広島大学の学長や中教審会長などを歴任された森戸辰男さんは、1918年12月に早稲田大学で開かれた社会政策学会第12回大会で、「本邦に於ける婦人労働問題」というテーマで報告され(《社会政策学会論叢》第十二冊『婦人労働問題』(同文館、1919年10月刊)による)、「戦前の社会政策学会のことを大内先生からおききしたとき、森戸辰男氏の婦人問題の報告は戦前の数多い報告の中で白眉のものだったというお話がありました」(《社会政策学会年報》第9集『婦人労働』(有斐閣、1961年5月刊)の「あとがき」)と、評価されているほどです。また、1932年には、「婦人労働の推進力」という論攷を『大原社会問題研究所雑誌』に発表されています。
 このような学問的伝統が、今日の大原社会問題研究所においてどれほど継承されているかという点では、いささか心許ない現状ではありますが、しかし、ここには皆さんがおられます。今日、このような学会が開かれ、このような形で研究が受け継がれている姿を目にすれば、泉下の森戸辰男先生も大いに満足されるにちがいありません。女性の社会的進出と差別の撤廃、女性労働者の労働条件改善のため、学問的研究を通じて力を尽くされている皆様に、森戸先輩に代わって厚くお礼申し上げる次第です。
 最後になりましたが、今後とも、わが国における女性の地位向上のために大きな成果を上げられることを祈念いたしまして、フェミニスト経済学会2009年度大会に対する大原社会問題研究所を代表してのご挨拶とさせていただきます。

11月3日(火) 国際労働シンポジウムへのあいさつ [挨拶]

 名古屋の金城学院大学で開かれた社会政策学会から、無事、戻ってきました。会場の金城学院大学は名古屋市の郊外にあるミッション系の女子大だということで、キャンパスは広く、建物は綺麗で、何となくゆったりとした清潔感が漂っているような雰囲気でした。

 学会からの帰りは、中央線を経由しながら、温泉に泊まって来ました。紅葉が始まっていて、赤いドウダンツツジ、白いススキの穂、真っ黄色の銀杏など、沿線の景色を堪能することができました。
 のんびりとした各駅停車の旅でした。心身共に、英気を養い、リフレッシュすることができたように思います。

 さて、このところ、各種の催しに対する私のあいさつをアップしています。ついでといっては何ですが、10月14日(水)に、UNハウス(国連大学)のエリザベスローズ・ホールで行われた第22回国際労働問題シンポジウムに対する私のあいさつも、ここにアップさせていただきます。
 何らかの参考になれば幸いです。

第22回国際労働問題シンポジウムへの挨拶

 ただ今、ご紹介いただきました大原社会問題研究所所長の五十嵐でございます。「第22回国際労働問題シンポジウム」の開会に当たりまして、ひと言、ご挨拶申し上げます。
 私ども大原社会問題研究所では、毎年、この時期に国際労働問題シンポジウムを開催してまいりました。早いもので、もう22回目を数えることになります。ということは、22年前からの恒例行事ということになります。
 最近では、ILO駐日事務所と共催で、交互に法政大学の市ヶ谷キャンパスとUNハウスを会場に開催しております。今年は、ここエリザベスローズ・ホールで開催することになりました。大変、立派な会場でありまして、シンポジウムの内容も、それに負けず劣らず、充実したものになることを願っております。
 さて、この国際労働問題シンポジウムは、毎年6月に開かれますILO総会の議題のなかから、日本との関係が深いもの、あるいは興味が持たれるものを選び出して、そのテーマとしてきました。
 今年は、ILO総会の特別議題(議題Ⅶ)である「経済金融危機の雇用・社会政策への影響」をテーマとして取り上げたわけでございますが、ILOがこのテーマを特別議題としましたのは、昨年9月のリーマン・ショックに始まる深刻な金融・経済危機が世界中の雇用・社会政策に大きな影響を与えたからです。その結果、失業、貧困、格差が増大し、企業破産も相次ぐなかで、景気の回復、仕事の創出、働く人々とその家族の保護と救済に向けての迅速な対応が求められるに至りました。
 わが国もまた例外ではなく、景気の低迷と雇用不安の拡大への対応が、鳩山新政権にとりましても大きな政策課題となっております。失業率は5%台後半で推移しており、これから年末年始にかけて、再び「派遣村」のような状況が生まれるのではないかとの懸念も生まれています。雇用問題への取り組みは急務だと言うべきでしょう。
 本日のシンポジウムでは、事務局長報告「世界的な仕事の危機に取り組む」と、特別議題の討議の結果採択された「グローバル・ジョブズ・パクト」(仕事に関する世界協定)について、政府、労働者、使用者側のパネリストおよび学識経験者によって報告・討論していただきます。また、この議題を担当されましたILO経済労働市場分析局長ダンカン・キャンベル氏による講演も予定しております。これらの報告と討論によって、「世界雇用危機にどう立ち向かうのか」との問いに対する何らかの回答が得られれば幸いです。
 なお、私ども大原社会問題研究所は、ILOと同様、今年2009年に創立90周年を迎えました。ILOと同い年ということでございます。
 来る10月27日(火)に、この創立90周年を記念いたしましてフォーラムを開催いたします。詳細につきましては、お手元の配布物の中にビラが入っておりますのでご覧いただきたいと思いますが、こちらにも、足を運んでいただければ幸いです。
 簡単ではございますが、最後までのご静聴・ご協力をお願いいたしまして、開会に当たっての挨拶とさせていただきます。

10月31日(土) 松川事件60周年全国集会に当たっての挨拶 [挨拶]

 これから生協労連・第2回生協政策研究集会での講演のために、渋谷に向かいます。その後、大急ぎで品川から新幹線に飛び乗り、社会政策学会が開かれている名古屋の金城学院大学に行く予定です。

 このところ、フォーラムや展示会でのあいさつが続いております。その前に、10月17~18日の松川事件60周年記念全国集会でもあいさつしました。
 この集会の模様は新聞で報じられ、このブログでも紹介しています。当初の予想を数倍上回る1200人もの方が詰めかけ、大成功を収めました。
 私のあいさつは、初日の最後に行われたものです。何故かプログラムに記載されていませんでしたので、私の方から申し出て行ったあいさつです。

 少し遅くなりましたが、ここにアップさせていただきます。

松川事件60周年全国集会に当たっての挨拶

 松川事件60周年全国集会に当たり、法政大学大原社会問題研究所を代表して、ひと言ご挨拶させていただきます。
 最後に登壇しましたが、「真打ち」というわけではありません。私がここに登場いたしましたのは、私どもの研究所が松川事件の裁判資料を所蔵しているからでございます。この集会に、5人の被告の方が参加されているということですが、ぜひ、時間を取って、一度研究所の資料をご覧になっていただきたいと思います。
 松川事件は、同じ頃発生しました下山事件・三鷹事件とならんで、戦後の社会・労働運動史におきましてもきわめて注目すべき、謀略色の濃い事件でした。伊部先生が書かれた『松川裁判から、いま何を学ぶか』というご本の副題にありますように、戦後最大のえん罪事件でもありました。
 しかし、14年間にわたる裁判と救援活動の結果、被疑者全員の無実が確定するという、戦後の裁判運動史上、画期的な成果を上げました。これは、被疑者の無罪を信じ、その救援のために力を尽くされた多くの名もなき人々の努力のたまものであり、正義と人道、基本的人権の擁護と民主主義のために戦い続けてきた戦後社会運動における金字塔の一つであります。
 大原社会問題研究所は、この松川裁判関係の資料を所蔵・保存して閲覧に供し、事件に関心を持たれる多くの運動関係者や研究者の便宜を図ってまいりました。これらの資料は、これも伊部先生のご著書でのご指摘通り、「いわば既存の資料(集積済みの)資料の移管と保存を特徴」としておりまして、松川事件の責任追及のための全国連絡会議代表世話人会議が所有していた裁判資料を、1971年4月23日に結ばれました契約によって、当研究所の所有するところとなったものです。
 このような当研究所の資料とは異なって、福島大学松川資料室によって収集・保存されている松川関係資料は、松川運動の力によって探索され、収集されたものであり、資料収集自体が一つの運動であったと言うべきでしょう。
 このような形で収集された福島大学松川資料室の資料は、当研究所所蔵の資料と双璧をなすものであり、互いに補い合うものであると思います。今後とも力を合わせて、松川事件の風化を防ぐと共にその真相を伝え、二度と再び、このようないまわしい事件が起きないよう、基本的人権と民主主義が守られる社会の実現のために力を尽くす所存でございます。
 かかる決意を表明いたしまして、松川事件60周年全国集会に当たってのあいさつに代えさせていただきます。

10月30日(金) 展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングへのあいさつ [挨拶]

 明日から、金城学院大学で社会政策学会が始まります。本来であれば、今日から名古屋に向かっているはずなのですが、まだ東京におります。
 というのは、明日の午後、生協労連・第2回生協政策研究集会での講演を頼まれてしまったからです。学会へは、それが終わってから行くつもりですので、懇親会に間に合うかどうかというところでしょう。

 今日、東京にいたために、京都から上京する法律文化社の編集者と、研究所で打ち合わせをすることになりました。政権交代を踏まえて、新しい日本政治の入門書を書き、来年、法律文化社から出版することになっているからです。
 ところが、今日からは展示会「水俣病と向き合った労働者たち」も始まります。急遽、このオープニング・セレモニーに顔を出して欲しいという要請を受けました。
 共催団体を代表してあいさつして欲しいというわけです。記者会見も予定されているといいます。

 ということで、今日は、朝から法政大学市ヶ谷キャンパスのボアソナード・タワー14階「博物館展示室」での展示会のオープニングであいさつし、その後の記者会見に同席して若干の発言を行い、多摩キャンパスの研究所に向かいました。そこで、ファクスで送られてきていた『国公労調査時報』12月号の校正ゲラに赤を入れ、新しい拙著についての打ち合わせを行い、明日の講演の準備をし、来週の11月6日(金)に予定されている「働き方ネット大阪第9回つどい」の講演レジュメを送付しました。
 これで、明日から東京を離れることができます。ついでに、中央線の旅をしてくるつもりですので、多少はゆっくりできるかもしれません。

 ところで、展示会「水俣病と向き合った労働者たち」には、新日本窒素労働組合の原資料が80点ほど展示されています。なかには、レッドパージで解雇された人の名簿、第2組合による切り崩しに関する資料、闘争中に警察が行っていた無線傍受の記録など、珍しいものも含まれているということです。
 記者会見には、共同通信、熊本日日新聞、西日本新聞、週刊金曜日などの記者が顔を見せていました。そのうち、関連する記事が出るものと期待しています。
 東京での展示会は、今日から11月8日(日)までです。多くの方に足を運んでいただきますよう願っています。

 なお、この展示会のオープニング・セレモニーで、私は次のようなあいさつを行いました。参考までに、以下に掲載させていただきます。

展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たってのあいさつ

 展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに当たり、共催団体としての法政大学大原社会問題研究所を代表して、ひと言ごあいさつ申し上げます。
 水俣病と言えば、工場排水による悲惨かつ大量の人的被害をもたらした恐るべき公害として、今日では世界中に知られております。この加害企業であるチッソの労働組合としては、会社寄りの第2組合で連合傘下の化学総連に加盟しているチッソ労働組合が良く知られております。しかし、もう一つの労働組合があったこと、公害企業の労働組合でありながら、チッソの社会的責任を内部から追及し、水俣病の被害者を支えた労働組合が存在したことは、残念ながら、十分に知られているわけではありません。
 今回の展示会は、この「もう一つの労働組合」である新日本窒素労働組合に光を当て、公害発生企業で働いた労働者としての贖罪のために異例の「恥宣言」まで行った労働組合の存在を明らかにするうえで、大きな意義を持っています。同時に、会社側の言いなりにならず、水俣病の患者の側に身を寄せた人々の存在を明らかにすることによって、チッソで働いた労働者の名誉を回復するという点でも、大きな意義があると言ってよいのではないでしょうか。
 現在、『沈まぬ太陽』という映画が公開され、大きな話題を呼んでおります。この主人公である恩地元のモデルは、日本航空の第1組合の委員長であった小倉寛太郎氏であると言われております。主人公が9年7ヵ月もの長期にわたって海外の辺地をたらい回しにされたのは実話であります。
 この小倉氏と同様に、会社の誘いを拒み、切り崩しに抗い、働く者の誇りと矜持を持ち、人間としての最後の一線を守り続けた人々こそ、新日本窒素労働組合を担った労働者たちでありました。ここに展示されている資料の数々は、もう一つの「沈まぬ太陽」の存在を示す“歴史の証言者たち”にほかなりません。
 これらの生の資料を直接眼にすることによって、今日の厳しい経済・雇用情勢の下にあえぐ多くの労働者が、励まされ、勇気づけられることを願いまして、展示会「水俣病と向き合った労働者たち」のオープニングに際してのあいさつに代えさせていただきます。