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1月8日(火) 「戦後民主主義」のバージョンアップは政権交代によってこそ [政局]

 今日は、研究所の「仕事始め」です。久しぶりに、スタッフの皆さんと顔を合わせました。
 研究所宛てに、何人かの方から年賀状をいただきましたが、もう印刷したものが残っておりません。申し訳ありませんが、返事は来年ということにさせていただきます。

 今日の参院外交防衛委員会で「日米平和・文化交流協会」の秋山直紀常勤理事の参考人招致が行われました。「証人」ではなく「参考人」ですから、嘘をついても偽証罪の適用はありません。
 秋山さんは、「山田洋行」から毒ガス弾処理事業の下請け受注などに絡んで約1億円の資金提供を受けたとされる疑惑などについて、「そういう事実はない」と否定しました。資金提供や口利きについては、シラを切る方針だったと思われます。
 しかし、政界とのつきあいまで否定すると、今度は発言の信憑性に欠けるという問題が出てきます。ということで、守屋さんが証言した久間章生元防衛相と山田洋行元専務の宮崎元伸容疑者が同席した宴席については否定しつつも、守屋前次官を除く久間さんや宮崎元専務との会合、額賀財務相との会合については、同席したことを認めました。
 会うことは会ったが、おかしなお金は受け取っていない、何が悪いのか、と秋山さんは言いたいのかもしれません。でも、いくらきっぱりと否定しても、お金の流れは確かめることができますから、これが真実であるか否かはいずれ特捜部の手によって明らかになることでしょう。

 さて、今日の『東京新聞』に保坂正康さんの「『戦後民主主義』からの自立を」という論攷が掲載されています。保坂さんとは、一昨年暮れの「同時代史学会」の大会でお会いし、若干お話ししたことがあります。
 そのとき、拙著『活憲』をさし上げました。読んでいただいていれば嬉しいのですが……。
 その保坂さんは、「戦後民主主義は直接的に国民の選択ではなかった」として、その「弱み」について、次のように指摘されています。

 そのような例が、未だに官尊民卑の流れを形づくっているし、偏狭なナショナリズムをもとにした歴史理解につながっている。隙あらば個人の自由に制限を加えるような立法措置を目論む政治的潮流も生んでいる。

 保坂さんは、このような「弱み」を抱えた「戦後民主主義」から、「その『戦後』をどのように外して民主主義をこの国の政治体制、社会システム、個人の自立思想に変えていくかが問われている」と仰るのです。つまり、「戦後民主主義」を否定するのではなく、「自立」的なものへとバージョンアップするべきだという主張なのです。
 「そのためには具体的にはどういうことが求められているのか」と問題提起した保坂さんは、自ら次のように答えておられます。

 第一に、戦後民主主義は一面でアメリカンデモクラシーでもあり、このアメリカンからどのように自立するかを考えるべきだ。第二に、20世紀前半の日本の歴史的誤謬を認めたうえでそれを徹底して清算しておくべきである。そして第三は、私たちのもっている進歩や革新の概念を再検討して、科学技術を含めての性急な環境の変化に歯止めをかけるべきだ。
 政治、歴史、社会環境を、私たちの身の丈に合った政治、社会システムに変えていかなければならない。これが「戦後」をとった民主主義の当面の日本の姿ではないか、と私は考えている。

 いずれも、大変難しい課題です。おそらくそれは、自民党という支配政党を政権の座から引きずり下ろすことなしには、達成できないでしょう。
 「戦後民主主義」は、一面では自民党政権を支え、他面では自民党によって支えられてきたシステムでもあったからです。そこから「戦後」を外すとは、とりもなおさず、この自民党と「戦後民主主義」との持ちつ持たれつの関係を断ち切ることにほかなりません。
 政権の座から自民党を「外す」ことによってこそ、初めて民主主義のバージョンアップが可能になります。そして、そのチャンスは間もなく訪れるにちがいありません。

 なお、本日、『週刊金曜日』の原稿を送付しました。来週金曜日の1月18日号に掲載される予定です。
 この号には、連合の高木剛会長のインタビューと全労連の坂内三夫議長のインタビュー記事が載ります。いずれのインタビューも、内容は極めて興味深いものです。
 私は、それについての感想を書きました。ご笑覧いただければ幸いです。


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