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6月6日(木) 憲法第1条と第9条は一体のものだった [憲法]

 昨日書いたように、現行憲法第1条は憲法研究会のアイデアを参考にしたものでした。それは、一方的に「押しつけられた」ものではなかったのです。
 実は、憲法9条の「非武装・戦争放棄」のアイデアも、「押しつけられた」ものではありませんでした。それは、時の首相・幣原喜重郎が個人的にマッカーサーに話し、それをマッカーサーが採用したものだったからです。

 なぜ、幣原はそのような考えを持つにいたったのでしょうか。それについて、幣原は『外交50年』という著書のなかで、次のように回想しています。
 玉音放送を聞いてからの帰途、電車の中で見知らぬ男が「おれたちは知らん間に戦争に引入れられて、知らん間に降参する。怪しからんのはわれわれを騙し討ちにした当局の連中だ」と叫び、終いには泣き出してしまったというのです。この情景を目撃した幣原は、「総理の職に就いたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくてはいかんと、堅く決心したのであった」と。
 そして、「戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならないということは、他の人は知らないが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった」と書いています。これが憲法9条の源流です。

 それではなぜ、マッカーサーはこのようなアイデアを受け入れ、それを憲法に盛り込もうと考えたのでしょうか。それは昨日も書いたように、マッカーサーは天皇の存続とその利用を意図していたからであり、同時に、それに対する反対論も強く、天皇は危機にさらされていたからです。
 国内では、高野岩三郎の「日本共和国憲法 私案要綱」や日本共産党の「日本人民共和国憲法草案」に示されるような天皇制廃止論があり、連合国内にもオーストラリアやソ連など天皇制存続への反対論がありました。少なくとも昭和天皇は退位すべきだという意見も強かったのです。
 天皇を「絶対」的な存在から政治的な権能を持たない「象徴」に変えるだけでは、これらの反対論を黙らせることは困難でした。こう考えたマッカーサーの打ったもう一つの手が第9条だったのです。

 天皇制を残すけれど、それは象徴であって政治的な権限は持たない。加えて、戦争を放棄し武装もしない。だから、再び天皇の名によって周辺諸国を侵略したり戦争を仕掛けたりすることはないので安心して欲しいというわけです。
 こうして、マッカーサーは反対論を説得しようとしました。つまり、第1条の象徴天皇制と第9条の戦争放棄は一つのセットとして構想されたものだったのです。
 ところが今、自民党の改憲草案では、この両方が変えられようとしています。天皇は第1条で「日本国の元首」となり、第102条では憲法擁護義務を免除され、第9条では自衛権の発動と国防軍の保持が明記されました。

 これは憲法の根本的な変質であり、周辺諸国が心配し、強く反発するのは当然でしょう。天皇は「元首」としての権限を回復し、日本は「国防軍」という軍隊によって戦争できる国に変質することになるのですから……。
 国際社会に対する約束違反であることは明らかで、戦後の国際秩序と国際社会への重大な挑戦だと受け取られるにちがいありません。この間の安倍首相の言動や橋下大阪市長の妄言に対する国際的な批判の底流には、このような周辺諸国や国際社会による警戒と反発が存在していることを見逃してはなりません。

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