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10月9日(木) ストップ! 集団的自衛権行使 たたかいの展望(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、『憲法運動』9月号、通巻434号、に掲載されたものです。6回に分けて、アップします。〕

(2)行使が容認されたらどうなるのか

  このような形で狙われている集団的自衛権行使容認ですが、それが実際に実現したらどうなるのかということです。
 第一に、これは日本が攻撃されていなくても反撃できるわけですから、戦争できる「普通の国」となり、軍事大国化に向けて国富と財政が無駄使いされるということです。こうした動きは、すでに現実のものとして始まっています。ここに東京新聞を持ってきました。8月 30 日で「防衛省、過去最大の概算要求―武器調達で5兆円」という記事が出ています。来年度予算概算要求の中で、すでに軍事費、防衛費の増額があらわれています。去年から増額に転じていましたが、引き続きこうした問題が出てきています。
 日本が攻撃されていなくても、「密接な関係にある他国」が攻撃されれば反撃することができるということで、アメリカの例が挙げられます。安倍首相が言っていたのは、アメリカに向かって飛んでいくミサイルを指くわえてみていていいのかということです。将来、グアムやハワイの米軍基地に向けて北朝鮮からミサイルを発射するかもしれない。それを日本が迎撃することが必要だというわけです。
 しかし、アメリカの基地に向けて発射するミサイルを日本が撃ち落とせば、たちどころに日本に報復のミサイルが飛んでくる。日本の在日米軍基地に向けて北朝鮮からミサイルが飛んでくるのは当然考えられることです。すでに北朝鮮は在日米軍基地の名前を挙げて警告している。いまでもロック・オンされていると言われています。だからこれは、日本に対する攻撃を引き込む「呼び水」になります。日本政府は、ハワイやグアムにあるアメリカの基地の心配をする前に、どうして横田や横須賀の基地の心配をしないのか、ということになります。
 第二に、自衛隊の海外派兵が可能になります。戦闘に巻き込まれるリスクが増えるのは当然です。これは国会でも追及されていましたが、安倍さんはそうしたリスクが高まることについて頑として認めようとしない。国民にそのことを知られたくないのです。
 イラク戦争で日本は、自衛隊をサマーワとバグダット空港に送りましたが、犠牲者は出なかった。戦闘終結後の非戦闘地域への派遣ということで一定の縛りがかけられていたわけです。憲法9条による縛り、「バリアー」によって自衛隊はイラクにおいて守られていたのです。このような縛りや「バリアー」はこれからはなくなります。もし、有志連合や多国籍軍に加われば、たとえ後方支援でも死者が出る危険性は避けられません。たとえば、後方支援活動を行っていたドイツは、アフガニスタンで死者 55 人を出している。
 こういう形でリスクが高まり、自衛隊に死者が出ると、自衛隊への志願者が減る。いずれ徴兵制に頼らざるをえなくなるのではないかという心配があります。ただし現在では、政府の憲法解釈によれば、「奴隷的拘束および使役からの自由」を保障した憲法 18 条違反になるから徴兵制は認められないとされている。それに対して「国を守る事業は決して奴隷的な拘束や苦役ではない」と石破さんは言うわけです。だから憲法18 条の違反にはならないのだという解釈が、将来もし行われるとすれば、徴兵制も導入される。このような新しい解釈改憲の可能性も存在しているといえます。
 第三に、日本の領海の外で日米共同軍事作戦の遂行が可能になります。イージス艦による米艦防護という問題です。5月15日の記者会見の時に安倍首相は、お母さんと赤ちゃん、子どもの絵を出して、朝鮮半島らしき所から日本に避難する日本人を乗せたアメリカの艦船=軍艦を防護しなくていいのかと訴えました。米艦防護については、これ以外にもたくさん事例が示されています。この米韓防護を行う艦船はおそらくイージス艦ということになるでしょう。このイージス艦、アメリカは84 隻保有し、日本にはたったの6隻です。これから2隻造ろうとしているがそれでも8隻。 10 分の1で大きな開きがあります。6隻しかない自衛隊が 84 隻もあるアメリカの艦船を防護しようといっているわけです。小学生が横綱に「守ってあげるからね」と言っているようなものです。
 第四に、イスラム社会から敵視され、テロの危険が高まります。有志連合だ、あるいは多国籍軍だといってそれに加わると、当然イギリスのようなことになる。ロンドンでテロ事件がありました。爆弾テロによって56人が亡くなり、スペインでもマドリードのテロで191人が命を落とすという惨事が起きました。しかも、いま中東では「イスラム国」という極めて危険な過激派の勢力が拡大している。その「イスラム国」などのテロを日本に引き寄せることになってしまうのではないでしょうか。
 第五に、9条に基づく専守防衛の国是は変質し、平和国家としての日本の「ブランド」が失われます。戦後の日本は、経済大国であるにもかかわらず軍事大国にはならないという、これまでの世界史において例をみない新しい「世界史的実験」を行ってきたと言っていい。この実験も今回の集団的自衛権行使容認によって終わりを迎えるのではないか。世界史的実験はここで挫折することになってしまう。国際紛争を武力によって解決しないという国際政治の基本理念も失われ、大変残念な結果をもたらすことになると思います。
 

(3)どこに問題があるのか

 どこに問題があるのか。内容上の問題と手続き上の問題があります。
 第一の内容上の問題は戦争をしやすくなる、戦争の敷居が低くなります。日本が攻撃されていなくても反撃することになりますから、それに対する新たな反撃がくる。ただちに日本は戦争に加わることになってしまう。先制攻撃によって戦争の当事者になりやすいということになります。
 第二の手続き上の問題では、条文を変えずに解釈を変えれば、憲法に定められていない内容上の変更が可能になってしまいます。憲法の規範性が失われ、立憲主義・法治国家が否定される、事実上の「憲法クーデター」となります。しかも今回、新たな武力行使の「3要件」が閣議決定の中に組み込まれました。「密接な関係」「明白な危険」「必要最小限」など、恣意的な判断による拡大の危険性が大きい用語が使われている。これらについて、いったい誰が、どのように判断するのか。結局は内閣あるいは首相が「総合的に判断する」ことになるでしょう。
 閣議決定に向けての与党協議の中で、15の事例が示されました。そのうちの8つの事例 が集団的自衛権行使にかかわる内容です。いずれも新しい武力行使3要件によって「行使できる」というのが政府の見解になっています。
 「限定的な容認」なら問題ないのかということですが、安倍首相は集団的自衛権行使を容認することによって、日本の安全はこれまでより高まると説明しています。「安全が高まる」、「積極的意味を持つ」ということが本当であるなら、どうしてそれを限定しなければならないのか。「限定だからなんとか認めてくれ」というのが、今回の閣議決定です。やはり、日本の安全を高めるのではなく、それを低める。日本を危険な方向に引っ張ってゆくリスクがあることを安倍首相自身が自覚しているがゆえに、国民の不安がそれなりの根拠を持っていることを首相が認識しているから、「限定的な行使」と言い逃れせざるを得ないということです。
 しかも、「限定できるのか」という問題もあります。攻撃されていないのに反撃する。相手が殴ってきたから殴り返す。「限定」的だから1発だけ殴り返す。それに対する反撃も1発だけにしてくれというわけにはいかないでしょう。相手がどのような形でそれに報復してくるかは相手次第です。「限定」できるというのは幻想にすぎません。

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