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3月28日(金) ホワイトカラー・エグゼンプションについての補足 [論攷]

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 昨日のブログで、「2006年の転換」を生み出した力はマスコミと労働運動だと指摘しました。昨日はマスコミについて書きましたので、今日は労働運動について書くべきところですが、昨日の記述に若干の補足をさせていただきます。
 それは、マスコミによる報道の中でも、とりわけ「転換」に向けて大きな力になったのが、ホワイトカラー・エグゼンプションについてのものだったということです。これを「残業代ゼロ法案」と報じたことが、この制度を蹴飛ばす大きな力になりました。

 3月23日のブログで、2007年1月18日の経済財政諮問会議での八代尚宏さんの発言を紹介しました。そこで、八代さんは「わかりやすいという点では、労働市場改革も生産性向上に不可欠だが、なかなか国民に理解していただけない。今回のホワイトカラーエグゼンプションもそうだが、反対派が「残業代ゼロ法案」とワンフレーズで表現した。これに対してちゃんとした対応がとられていない」と苦言を呈しています。
 この日の会議では、これを受ける形で、丹羽宇一郎さんも弁明していました。「ホワイトカラーエグゼンプションについては、どうも風潮として経営者が悪人でいつもいじめているようにとらているが、そうではない」と……。
 これらの発言は、ホワイトカラー・エグゼンプションこそが「躓きの石」であったことを、如実に物語っています。「反対派が『残業代ゼロ法案』とワンフレーズで表現し」、「どうも風潮として経営者が悪人でいつもいじめているようにとらている」から、失敗したのだと……。

 このことは、マスコミの周辺ではよく知られていることなのかもしれません。2007年1月17日付の「朝日コム」が、次のように報じているくらいですから……。

 法案提出を見送ったのは名前が悪かったから――。一定条件の社員を労働時間規制から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」を巡り、導入を推進してきた経済界でそんな「敗因分析」が広まっている。……
 旗振り役だった日本経団連からも「残業代ゼロ法案なんて名前を付けられた時点でダメだった」との声が漏れている。

 「残業代ゼロ法案」という名前に負けたというのが、経済界の総括だというのです。こう命名して報じたマスコミの勝利だったということになりましょうか。
 しかし、それは命名だけの問題だったのでしょうか。経済界の総括の問題点は、このような制度自体が、日本の労働現場にはそぐわないものであるという認識がないということです。
 ホワイトカラー・エグゼンプションに対して大きな拒絶反応が生じたのは、単に、的確な名称が付けられたということだけではなく、この制度が持っている危険性を、働く人々が本能的に理解したという点にあるのではないでしょうか。経済界の総括において決定的に欠けているのは、この点についての反省です。

 ホワイトカラー・エグゼンプションが働く人々にとってプラスになるものであれば、どうしてそれは、労働組合によってではなく経営者団体によって、導入が求められたのでしょうか。すでにここに、大きな疑問があります。
 経営者が導入を求めて、労働組合が強く反対する。労働者にとって、プラスになるはずなのに……。

 このようなパラドクスが生じている点に、ホワイトカラー・エグゼンプションの問題点が象徴されています。どうして、経営者はこのことに気がつかないのでしょうか。


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