7月8日(火) 加藤紘一自民党元幹事長の注目すべき発言 [規制緩和]
自民党内でもリベラルとして知られる加藤紘一元幹事長が、注目すべき発言をしています。これも、新自由主義政策からの「反転」を示す一つの兆候であると言えるでしょう。
報道によれば、加藤さんは次のように発言したそうです。
自民党の加藤紘一元幹事長は6日、山口県萩市での講演で「小泉・竹中路線で自民党の評判が悪くなって、福田さんがかぶっている。政策を変える、という意味でも内閣改造をすべきだ」と述べ、内閣改造によって政策転換をアピールすべきだと主張した。また改造しない場合でも「小泉・安倍(政権)時代からの経済財政諮問会議メンバーを一掃すべきだ」と強調した。
「小泉・竹中路線」によって実行されてきた「政策を変える」ために、「内閣改造をすべきだ」というのが、加藤さんの主張です。つまり、加藤さんは「構造改革」路線の転換を求めているのです。
内閣改造をしない場合でも、「小泉・安倍(政権)時代からの経済財政諮問会議メンバーを一掃すべきだ」というのは、4人の民間議員を交代させるべきだという主張になります。経済財政諮問会議の閣僚メンバーは個人ではなく役職によって決まっていますから、内閣が改造されなければ交代できません。
しかし、民間議員の場合はそうではありません。民間議員4人を交代させることで、これまでの路線を変えるべきだというのが、加藤さんの主張なのです。
新自由主義的な市場原理主義に対する批判を展開してきた加藤さんとすれば、当然の発言でしょう。というのは、これまでも加藤さんは、著書の中で、次のように書いていたからです。
私の感覚的な表現でいえば、大都会を中心として、地上5メートルぐらいの中空に何十万人もの意識が、さながら糸の切れた風船のように漂っているような気がしています。
その風船が、そのときどきの風に応じていっせいにひと方向に走る。
そうした熱狂は小泉政権下で加速したように思います。
この本では、なぜこうした糸の切れた風船のような群衆が日本に生まれたのか、明らかにします。
答えから先に言えば、1990年代から急速に台頭した市場原理主義によって、これまで地域や会社や家庭という日本人がよりどころとしていた共同体が徹底的に破壊され、人々がよりどころとする場所がなくなったためです。(加藤紘一『強いリベラル』文藝春秋、2007年、9~10頁)
加藤さんの主張の中心は、日本の「保守」の再建にあります。市場原理主義によって「保守意識というものの大きな基盤となってきた」(同前、72頁)コミュニティが危うくされているというのです。
小泉政権の構造改革によって、「これまで地域や会社や家庭という日本人がよりどころとしていた共同体が徹底的に破壊され、人々がよりどころとする場所がなくなった」(同前、10頁)というのが、加藤さんの批判でした。
「小泉政権で自民党は保守政党ではなくなった」。これが、加藤さんの本の第三章の表題です。やはり、小泉さんはそのスローガン通り、「自民党をぶっ壊した」ということになりましょうか。
俯瞰してみれば、小泉政権は、これまでの自民党の内閣とははっきり性格を異にしていました。
(中略)
それまでの自民党は、どちらかというと無自覚に、アメリカの要求する「市場化」の政策をとりいれてきました。
私もそのひとりです。
(中略)
そのことの社会に及ぼす影響がこれほどまでに破壊的なものであるということに私は無自覚でした。
当時の自民党の議員もそうだと思います。
ところが、2001年に成立した小泉政権は違うのです。
むしろこうした社会に及ぼす影響を十分にわかったうえで、さらにアクセルを踏んだのが小泉政権の特徴でした。(同前、79~82頁)
この加藤さんの記述を読んだとき、私は驚きました。加藤さんは「YKK」と言われた「3人組」の1人で、山崎さんや小泉さんとは盟友だったからです。
ということは、小泉さんを権力の座に押し上げるのに、加藤さんも一役買ったという関係にあります。それ以前にも、新自由主義政策第2段階である橋本内閣を自民党の幹事長として支えた張本人ではありませんか。
この橋本内閣は「6大改革」を掲げて「9兆円の負担増」を実施し、経済不況を招き寄せて参院選で大敗しますが、その翌年の98年から10年連続で自殺者は3万人を超えています。もちろん、反省しないよりはした方がよいと思いますが、しかし、自ら命を絶った泉下の30万人は、この加藤さんの言を何と聞くでしょうか。
いずれにしましても、新自由主義政策を導入した人々も、その意味がよく分かっていなかったということになります。なんということでしょうか。
今ごろになって、その破壊的な結果に驚いているとは……。それをまた、著書にアッケラカンと書くなんて、加藤さんは政治家の責任についてどう考えているのでしょうか。
ところで、今日、10月に刊行予定の拙著『転換の構図-労働の規制緩和をめぐって(仮題)』(ちくま新書)の初校ゲラが出てきました。仕事が速いですね。
これなら、10月初旬の刊行に、十分間に合うでしょう。後悔しないようにきちんと加筆・校正しなければと、気を引き締めているところです。
報道によれば、加藤さんは次のように発言したそうです。
自民党の加藤紘一元幹事長は6日、山口県萩市での講演で「小泉・竹中路線で自民党の評判が悪くなって、福田さんがかぶっている。政策を変える、という意味でも内閣改造をすべきだ」と述べ、内閣改造によって政策転換をアピールすべきだと主張した。また改造しない場合でも「小泉・安倍(政権)時代からの経済財政諮問会議メンバーを一掃すべきだ」と強調した。
「小泉・竹中路線」によって実行されてきた「政策を変える」ために、「内閣改造をすべきだ」というのが、加藤さんの主張です。つまり、加藤さんは「構造改革」路線の転換を求めているのです。
内閣改造をしない場合でも、「小泉・安倍(政権)時代からの経済財政諮問会議メンバーを一掃すべきだ」というのは、4人の民間議員を交代させるべきだという主張になります。経済財政諮問会議の閣僚メンバーは個人ではなく役職によって決まっていますから、内閣が改造されなければ交代できません。
しかし、民間議員の場合はそうではありません。民間議員4人を交代させることで、これまでの路線を変えるべきだというのが、加藤さんの主張なのです。
新自由主義的な市場原理主義に対する批判を展開してきた加藤さんとすれば、当然の発言でしょう。というのは、これまでも加藤さんは、著書の中で、次のように書いていたからです。
私の感覚的な表現でいえば、大都会を中心として、地上5メートルぐらいの中空に何十万人もの意識が、さながら糸の切れた風船のように漂っているような気がしています。
その風船が、そのときどきの風に応じていっせいにひと方向に走る。
そうした熱狂は小泉政権下で加速したように思います。
この本では、なぜこうした糸の切れた風船のような群衆が日本に生まれたのか、明らかにします。
答えから先に言えば、1990年代から急速に台頭した市場原理主義によって、これまで地域や会社や家庭という日本人がよりどころとしていた共同体が徹底的に破壊され、人々がよりどころとする場所がなくなったためです。(加藤紘一『強いリベラル』文藝春秋、2007年、9~10頁)
加藤さんの主張の中心は、日本の「保守」の再建にあります。市場原理主義によって「保守意識というものの大きな基盤となってきた」(同前、72頁)コミュニティが危うくされているというのです。
小泉政権の構造改革によって、「これまで地域や会社や家庭という日本人がよりどころとしていた共同体が徹底的に破壊され、人々がよりどころとする場所がなくなった」(同前、10頁)というのが、加藤さんの批判でした。
「小泉政権で自民党は保守政党ではなくなった」。これが、加藤さんの本の第三章の表題です。やはり、小泉さんはそのスローガン通り、「自民党をぶっ壊した」ということになりましょうか。
俯瞰してみれば、小泉政権は、これまでの自民党の内閣とははっきり性格を異にしていました。
(中略)
それまでの自民党は、どちらかというと無自覚に、アメリカの要求する「市場化」の政策をとりいれてきました。
私もそのひとりです。
(中略)
そのことの社会に及ぼす影響がこれほどまでに破壊的なものであるということに私は無自覚でした。
当時の自民党の議員もそうだと思います。
ところが、2001年に成立した小泉政権は違うのです。
むしろこうした社会に及ぼす影響を十分にわかったうえで、さらにアクセルを踏んだのが小泉政権の特徴でした。(同前、79~82頁)
この加藤さんの記述を読んだとき、私は驚きました。加藤さんは「YKK」と言われた「3人組」の1人で、山崎さんや小泉さんとは盟友だったからです。
ということは、小泉さんを権力の座に押し上げるのに、加藤さんも一役買ったという関係にあります。それ以前にも、新自由主義政策第2段階である橋本内閣を自民党の幹事長として支えた張本人ではありませんか。
この橋本内閣は「6大改革」を掲げて「9兆円の負担増」を実施し、経済不況を招き寄せて参院選で大敗しますが、その翌年の98年から10年連続で自殺者は3万人を超えています。もちろん、反省しないよりはした方がよいと思いますが、しかし、自ら命を絶った泉下の30万人は、この加藤さんの言を何と聞くでしょうか。
いずれにしましても、新自由主義政策を導入した人々も、その意味がよく分かっていなかったということになります。なんということでしょうか。
今ごろになって、その破壊的な結果に驚いているとは……。それをまた、著書にアッケラカンと書くなんて、加藤さんは政治家の責任についてどう考えているのでしょうか。
ところで、今日、10月に刊行予定の拙著『転換の構図-労働の規制緩和をめぐって(仮題)』(ちくま新書)の初校ゲラが出てきました。仕事が速いですね。
これなら、10月初旬の刊行に、十分間に合うでしょう。後悔しないようにきちんと加筆・校正しなければと、気を引き締めているところです。
2008-07-08 20:54
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