SSブログ

6月22日(水) 多摩全生園と花さき保育園 [日常]

 昨日、『毎日新聞』夕刊を読んでいて、気になる記事を見つけました。「有楽帳」というコラムです。

 東村山市にある国立ハンセン病療養所「多摩全生園」の敷地内に、近くの「花さき保育園」が来年4月に移転するという記事でした。
 この記事は、次のように書いています。

 ……長年地域から隔離されてきた療養所に外部の施設が誘致されるのは初めてという。「子供たちの声を聞きながら最期を迎えたい」。国の政策で子供を産み育てることができなかった入所者の願いがかなう。
 保育園を運営する社会福祉法人の理事長、新保庄三さん(65)は「子供たちに特段、人権の話をするつもりはありません」と語る。むしろ、子を育てる大人こそ差別の歴史を学ぶ良い機会になると考えている。
 ……子供たちは、元患者たちが守ってきた豊かな緑の中で自由に遊んでくれればいい。そして、頭ではなく、体で自然に人権を学んでいけばいい。新保さんはそう願っている。

 いい話じゃありませんか。「隔離」から「交流」へ……。
 このような小さな試みの一つ一つが、差別をなくし、人権が尊重される世の中を作り出す一歩一歩につながっていくのだと思います。
 この「多摩全生園」には、娘が高校生の時、ボランティア・サークルの行事で見学に訪れたことがありました。多少の縁があるというわけです。
 それよりも、もっと深い縁が「花さき保育園」にはあります。ここに登場する新保庄三さんは私の高校時代の先輩であり、この保育園についても以前から知っていたからです。

 私の母校は新潟県立直江津高校ですが、高校時代、私は美術部と弁論部に所属していました。このことは、大学に入ってから自治会活動をするうえで大いに役立ちました。
 美術部での訓練は、立て看板書きやガリ切りに応用されたからです。また、弁論部での発声練習は、昼休みのアジ演説の下地を作っただけでなく、現在も講演などでの発声に役立っています。
 この直江津高校弁論部の大先輩が新保庄三さんでした。高校生時代からの長い付き合いになります。

 私と新保さんとは5歳も離れていますから、普通であれば出会うはずがありません。しかし、当時の弁論部には「海鳴会」というOB会がありました。
 年に何回か、この会を通じて先輩との交流があり、新保さんは時々部室にも顔を出していたのです。新保さんは保育関係の出版社に務めていたこともあり、私が卒業してからも付き合いは続きました。
 その新保さんが社会福祉法人の理事長にして保育園の園長さんになると聞いたのは、数年前のことだったでしょうか。その後、どうしているかと思っていましたら、この『毎日新聞』夕刊の記事に出会ったというわけです。

 良い仕事していますね、新保先輩。ハンセン病療養所の敷地内に保育園を移設し、患者と子供たち、父母らとの自然な交流を通じて差別や人権の問題を考えてもらおうなんて、何と新保さんらしい試みでしょうか。
 「元患者たちが守ってきた豊かな緑の中で」、美しい花が開くことを願っています。「花さき保育園」という名にふさわしいような交流の花が咲くことを……。

 なお、本日、研究所で『アエラ』からの取材を受けました。法政大学を特集した別冊を刊行するということで、大原社会問題研究所についても紹介されるようです。
 バシバシ写真を撮られましたので、それが掲載されるかもしれません。来月には発行されるようですので、是非、お買い求め下さい。
nice!(1)  トラックバック(0) 

nice! 1

トラックバック 0