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9月19日(月) 東日本大震災の被災地に見る復旧・復興の現実 [旅]

 一昨日(17日)、昨日(18日)と、東日本大震災の被災地を訪問しました。いわゆる「視察ボランティア」というわけです。
 震災から半年以上経った現地の復旧・復興の現実を目にしてきました。といっても、広範囲に広がる被災地のほんの一部にすぎませんが……。

 18日の午前中に開催される労働組合のセミナーでの講演を頼まれました。場所は、仙台市郊外の秋保温泉だといいます。
 仙台を訪れる機会に、実際に被災地の様子を見てみたいと思いました。でも、闇雲に出かけていっても、迷惑になるだけかもしれません。
 そう思っていたところ、ある研究会で復旧・復興支援を行っている東北全労協事務局長の亀谷保夫さんの報告を聞きました。亀谷さんは、「是非、現地を訪問して実情を見て下さい。それは視察ボランティアなのです」と仰っていました。

 ということで、亀谷さんに案内をお願いして今回の訪問になったというわけです。お忙しいところ、2日に渡って車で案内していただいたわけで、感謝に堪えません。
 私が訪問したのは、観光地で有名な松島の奥の東松島市野蒜地区(1日目)と、名取市閖上地区(2日目)です。どちらも、大きな被害の出たところです。
 これらの被災地では、辺り一面を追いつくしていたというヘドロや瓦礫はほぼ片付けられていました。しかし、被災の跡は今も生々しく残っています。

 野蒜に行く途中、仙台東部道路を通りました。盛り土をしたこの道路が防波堤の役割をして津波を防いだそうで、道路の左側は普通ですが右側にあまり建物はなく、草原が広がっていました。
 2月にバス旅行で訪問した松島の被害は少なく、ほぼ通常に戻っていて観光客が歩き回っています。それでも建物の1階をやられたお店も多く、遊覧船前の酒屋はまだシャッターが下りたままでした。
 野蒜地区は海に突き出した半島で比較的平坦な場所が多く、住宅地が広がっていました。その場所は今、家が流され、地盤沈下のために水が引かず、まるで湖のようになっています。

 かろうじて家が流されずに残っている一角があり、沢山のボランティアが片づけ作業をやっていました。そこのディケアセンターであるNPO法人「すみちゃんの家」で、震災直後からの写真を見せていただき、お話を伺いました。
 津波で多くの避難所が水没し、そこに避難した人たちは助からなかったそうです。ここの入所者や職員は道路の高いところに逃げて助かったといいます。
 震災後も余震が続き、津波警報が出て3回も避難したが、その度にあの時の恐ろしさがトラウマとなって甦ってくるそうです。何とか住めるようになったけれど、病院もなければ店もない。何にもない。今後どうしたら良いのか分からず、見通しの立たない今が一番きつい、と仰っていました。

 この家も、1階の天井近くまで水がやってきたそうです。ボランティアの力を借りて、家の中に溜まったヘドロや瓦礫を取り除き、床や壁を剥がしている最中でした。
 丁度、私たちが訪問したとき、壁の中から野良猫2匹の干からびた死体が出てきました。水で流され、壁に挟まって逃げられなかったのでしょう。
 近くの仙石線は線路が流され、ホームの近くまで土に埋もれています。野蒜駅と隣の東名駅は、ホームが残っているために駅だったことが分かる程度です。

 2日目に訪れた仙台市宮城野区、名取市閖上、仙台空港周辺もすさまじい状況でした。住宅が流されてほとんど残っていません。
 家の基礎の跡しか残されていませんが、今では雑草に覆われて、それも良く見えなくなっています。「草で覆われて家の跡が見えないのが、かえって救いだ」という亀谷さんの言葉が悲しく響きます。
 このような荒涼とした風景が、福島県の相馬の辺りまで延々と続いているのだそうです。道路をダンプカーが行き交い、沢山のショベルカーなども作業をしていましたが、被災地域は広大で、復旧工事の手が回らない状況だといいます。

 野蒜では、中国の温家宝首相が5月に来日したときに視察したという小高い丘に登りました。ここには小さなお堂があったそうですが、津波に流されて残っていません。
 辺り一面、真っ平らで、近くに石を砕いて積み上げた丘ができています。津波警報が出たら、ここに作業員が避難するのだそうです。
 海の方にも小高い丘が見えましたが、それは最近発火した瓦礫の山でした。港は壊滅して建物は何もなく、岸壁の地盤は沈下して波打っていました。

 その後、仙台空港に向かいました。周辺の宅地跡は一面の草原になり、所々に船や車などが放置されています。
 道路周辺の畑も地盤沈下してしまい、水が溜まって湿地帯のようになっています。遠くにポツンポツンと残った防砂林の松が見えますが、みな茶色に変色しています。
 田んぼも緑になっているところと、除草剤を撒いたように茶色になっているところに分かれています。茶色の部分は、海水が流れ込んで塩害の被害が残り、雑草すら生えない場所だそうです。

 私が想像していた以上に、深刻で悲惨な状況に言葉もありません。元のような状況に戻るのに、いったい何年かかるのでしょうか。
 人間は自然の力を見くびりすぎていたのではないかと、大いに反省させられました。復旧・復興は、この反省を踏まえ、厳しい現実を直視するところから始めるしかないでしょう。
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