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10月10日(月) 京都の学会を終えて福井の「原発銀座」にやってきた [旅]

 「京大らしくないなー」 一緒に歩いていた大阪の先生が、そう仰っていました。綺麗すぎて、イメージに合わないというのです。
 それでも、正門前の一角には「全学連」の看板があり、中核派らしき学生?がたむろしていました。

 京都大学での社会政策学会の合間を縫って、学内を散策しました。京都大学に来るのは、多分これが2度目になると思いますが、前回のことは良く覚えていません。
 キャンパスの一角に京大総合博物館がありました。京大探検隊や文化人類学で大きな足跡を残した今西錦司教授の研究などが紹介されていました。
 ところが、まもなくエジプト展が始まるということで、その準備のために入れない場所が多くありました。時期が悪かったということでしょうか。ノーベル賞学者を輩出している京大にしては展示が貧弱だという印象で、ちょっと残念でした。

 京大には、大原社研の創立者である大原孫三郎も訪れたことがあります。大原は所長に河上肇を考えていたようで、「社会問題」研究所と名付けたのは河上が出していた『社会問題研究』からとったのではないかという見方もあります。
 しかし、結局、河上からは所長就任を断られ、紆余曲折の末、初代所長は高野岩三郎に落ち着きます。もし、このとき、河上所長が実現していれば、大原社会問題研究所が戦後まで存続することができたどうかは疑問です。
 戦時中、「社会問題研究所」という看板を掲げて生き延びることができたのは何故かということは、一つの謎だとも言えるでしょう。大原孫三郎の期待を裏切る形で、現実から一定の距離を取り、政策研究ではなく理論研究に転じたことが結果的に幸いしたのではないかというのが私の解釈ですが……。

 学会では、私が座長をした分科会で、以前からお世話になっている京都総評の馬場隆雄副議長と佐々木眞成副議長に報告していただきました。この場を借りて、お礼申し上げます。
 また、共通論題で報告された川人博弁護士も、都立大学時代からの知人です。以前、駒澤大学の学会でもお目にかかりましたが、久しぶりに顔を合わせて話す機会がありました。

 その学会を終えて、今は敦賀に来ています。「原発銀座」と呼ばれているように、原子力発電所が林立している場所です。
 今日は、その状況をこの目で見てみたいと思っています。とはいっても、交通不便な所ばかりですので、どれだけ見学できるかは分かりませんが……。

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