SSブログ

5月13日(月) 第2次安倍政権がねらうものは何か-新自由主義と軍事大国化の復権(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、全教の機関紙『クレスコ』2013年5月号、4月20日付、に掲載されたものです。2回に分けてアップします。〕

 時代と状況への不適合性

 このような第二次安倍政権が実施しようとしている諸政策は、今日の時代と世界を取り巻く状況への不適合性をまぬがれない。日本と国民が直面している問題を解決できないだけでなく、それをさらに複雑にし増大させるだけである。
 かつて自民党は、国民に政権担当能力を疑われて民主党にその地位を奪われた。そして、今回、民主党は政権担当に失敗し、再び野党となった。代わって政権についた自民党は、安倍総理、麻生副総理という旧態依然の陣容と破綻が明らかになった政策を復権させた。
 このような政権は、日本の国際的な地位を弱め、経済成長を支えてきた諸要因を失わせることになろう。例えば、以下のような点である。
 第1に、日本はアジアにおいて先行した先進国で、中国や韓国に近接しているという優位性を持っていた。そのために、中国という巨大市場への進出においてアメリカやヨーロッパにまさった。しかし、「領土紛争」のために中韓両国との関係もギクシャクし始め、安倍政権はこれを解決するどころか、さらに緊張を高めようとしている。
 第2に、日本の技術力やそれを生み出した労働力の質の高さも、日本の経済成長における大きな力であった。これは戦後民主教育の成果でもあったが、安倍政権は政治介入によってそれをゆがめ、教育内容とは関わりのない日の丸・君が代の強制、教師集団の団結の阻害やメンタルヘルス不全などによって教育現場の荒廃を招き、教育の質を低下させようとしている。
 第3に、憲法9条によって戦力不保持を宣言した日本は、持てる資源のほとんどを軍事にではなく民生部門に投入することが可能だった。これは、平和憲法の経済効果というべきものである。しかし、安倍政権はこのような憲法を変え、軍事大国化を志向することによって、軍産複合体のために技術と資源を浪費しようとしている。
 このような安倍首相の最大の問題点は戦前の日本のあり方を反省していないという点にあり、自民党の最大の問題点は世界で標準的な理念となっている、自由、民主主義、人権という「普遍的価値」を共有していないという点にある。このことは安倍首相の歴史認識に関する発言や自民党の憲法草案を見ればたちどころに理解できよう。
安倍首相は、施政方針演説で「普遍的価値を重視する外交」を強調し、「韓国は、自由や民主主義といった基本的価値と利益を共有する最も重要な隣国」だと述べた。しかし、歴史認識についての批判を招き、韓国を敵視する「ネトウヨ(ネット右翼)」と呼ばれる勢力を支持基盤にしているのが、その安倍首相なのである。
 だからこそ、戦後民主教育が目標としてきた「平和愛好・民主的人格の形成」そのものをターゲットとし、立憲主義を否定し、基本的人権を制限しようとする新たな憲法をめざすことになる。そのような教育改革も改憲も、日本国内における民主主義の形成を阻害し、周辺諸国との友好を困難にするだけでなく、グローバル化によって要請される創造性豊かな自立心を持った「地球市民」を育成できず、日本の国際的な孤立化を招くにちがいない。
 まさに、時代逆行の政策だと言うべきであろう。そのような政策の遂行をめざす安倍首相も自民党も、世界に開かれた現代の民主社会における為政者・政党としての基本的な資格を欠いているのである。

 むすび

 一般に、過った政策はいずれ事実によるしっぺ返しを食い、多くの問題を生み出すことによって挫折する。間違った政治改革が日本政治の劣化と混乱を生み出し、公共事業主体のバラマキ政策によって財政赤字が増え続け、新自由主義的な構造改革が非正規労働を増大させて貧困と格差を拡大させたように……。
 そしてその過ちは、いずれ正当性と持続性を失い、是正されざるを得なくなる。戦前の軍国主義という過った政策が継戦能力の喪失と軍事的敗北によって是正され、戦後の民主社会を生み出したように……。
 しかし、このような過ちや挫折・失敗には、膨大な犠牲が伴わざるを得ない。そのような政策の転換が遅れれば遅れるほど、それに付随する犠牲の量は増大する。
 そしていつの世も、そのような犠牲を強いられるのは庶民であり、子供たちであった。政治の劣化と機能不全が閉塞感を強め、貧困と格差の拡大が生活苦を増大させて学ぶ機会を奪い、戦争によって国内外で2310万人もの人々が命を失ったように……。
 原発政策についても同様である。この誤った政策は過酷事故という現実によってしっぺ返しを食らった。それにもかかわらず、再稼働や原発推進という間違った政策が継続されれば、高濃度放射性廃棄物の蓄積や新たな過酷事故によって、再び、大きなしっぺ返しを食い、多くの犠牲を生み出すことになるだろう。
 そのような犠牲が生まれる前に、政策の結果を予測し、その間違いを見抜くのが政治の役割であり、ひいては賢い主権者としてのあり方ではないだろうか。豊かな想像力と予見性を持つ人間である限り、苛酷な現実に直面せずとも、あらかじめそれを予測し未然に防ぐことができるはずである。
 私たち自身が、そのような想像力と予見性を持った賢い主権者となることができるのか。そして、そのような賢い主権者を育て、誤りなき政策によって導かれる平和で豊かな民主社会を作ることができるのか。そのことが、今、問われようとしている。
(3月14日脱稿)

nice!(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

トラックバック 0