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3月15日(火) 先輩で友人であった丸谷肇さんのご冥福をお祈りいたします [日常]

 丸谷肇元鹿児島国際大学教授が、昨日の朝、亡くなりました。私にとっては法政大学大学院の先輩に当たり、親しい友人でもありました。
 鹿児島には単身赴任されておられ、昨年の春に定年を迎えて実家のある市川に戻ってから、1年もたたないうちのご逝去です。本人も無念であったでしょうし、奥様はじめご家族の悲しみはいかばかりでしょうか。

 丸谷さんと初めてお会いしたのは、大学院に入学した直後のことです。私は中林賢二郎先生のゼミに入り、丸谷さんは田沼肇先生のゼミに属しておられました。
 どちらのゼミも社会政策や労働問題を扱っており、中林先生と田沼先生は友人で両ゼミに属する院生も授業や研究会で顔を合わせる機会が多くありました。そのうえ、丸谷さんは温厚で親しみやすく、後輩の私たちの面倒をよく見てくれる親切な先輩でしたから、いつの間にか丸さんと呼んで友達づきあいをするようになりました。
 お互い大学院に入ってから麻雀を覚えたために夢中になってしまい、授業の後などに近くの雀荘で一緒に卓を囲んだものです。中林ゼミの同級生だった手島さんと一緒に結婚したばかりの新居にお邪魔し、奥さんを交えた4人で3日間続けて麻雀をしたこともありました。

 丸さんは大学院を出てから国公労連の書記になって労働運動の現場に飛び込みます。その後、鹿児島経済大学(現・鹿児島国際大学)の教員となって研究者の道に入られました。
 同時に、私学の教員として労働運動にも関り、私大教連の委員長にも就任されました。このような研究と実践を統一する姿勢は丸さんから学んだものです。
 鹿児島に行かれてから車の免許を取り、「温泉友の会」を作って各地の温泉めぐりを楽しんでいると仰っていました。鹿児島大学で社会政策学会があった時には、大学院時代の友人たちと一緒に、指宿や枕崎などを案内していただきました。

 丸さんは車を運転するのが好きで、高速道路に入るとすさまじいスピードで吹っ飛ばしたものです。鹿児島に行くたびに桜島や霧島などに案内していただき、カミさんと一緒に奄美大島や高千穂などにも連れて行ってもらいました。
 また、2年前には、鹿児島9条の会の代表として私を講演に呼んでくださいました。なんとその時、空港に迎えに現れた丸さんの頭には毛がなく、つるつるになっていて驚いたものです。
 抗がん剤の影響でした。この時、初めて丸さんがガンの治療をしていたことを知らされました。
 その後、一たんは快癒したものの再発してしまい、とうとう悲しい最期を迎えることになりました。丸さん、お世話になりました。ありがとうございました。

 丸さんの通夜は17日(木)の夜、告別式は18日(金)の朝に行われます。いずれも、会場は市川駅裏の昭和セレモニーシティホール市川です。
 謹んで、丸谷肇先輩のご冥福をお祈りいたします。安らかに、お眠りください。

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