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10月9日(月) 『しんぶん赤旗』日曜版に掲載された談話 [コメント]

〔以下の談話は『しんぶん赤旗』日曜版10月8日号に掲載されたものです。〕

 統一協会 自民に政策指南
 中曽根内閣 提言受け次々実行
 「ここまで深く影響受けていたのか」と驚いた

 「80年代ビジョンの会」が、中曽根内閣に出した「自民党と新内閣への提言」を読んで、「日本の保守政治はここまで深く統一協会の影響を受け、指南されていたのか」と驚きました。ビジョンの会の提言は多くがその後実現されているからです。
 提言は「日韓関係」の「緊密化を図ること」を求めています。当時、首相だった中曽根氏が訪米前に訪韓し、軍事独裁政権の全斗煥大統領と会談したことが大変注目されました。歴史教科書で日本軍国主義のアジアへの「侵略」を「進出」に書き換えたことが大問題となり、日韓関係が悪化していた時期です。全斗煥大統領に尽くしていた文鮮明=統一協会が、中曽根氏に「修復」を求めたためです。
 中曽根内閣は「ブレーン政治」だと言われ、いろんな審議会をつくって識者を集め、反国民的な政策を実行していきました。その「ブレーン」には、ビジョンの会のメンバー=統一協会と関係がある学者、財界人、メディア幹部らがずらりと並んでいる。当時は私もわかりませんでした。驚くべきことです。
 中曽根氏は自民党内では少数派閥で、党内基盤はかならずしも強くありませんでした。だから統一協会・勝共連合の力を頼りにし、期待したのではないか。統一協会側には、政権中枢に浸透できるというメリットがありました。
 「毎日」(1月31日付)によると、文鮮明発言録(615巻)のなかで、最も多く名前が出てくる日本の首相は中曽根氏で693回。岸信介元首相よりも多く、突出しています。歴史観や反共意識などのスタンスが非常に近かった中曽根氏に、統一協会としては期待感も高かったのではないか。
 1986年に衆参同日選挙があるのですが、文鮮明は自民党のために「60億円以上使った」(「毎日」1月30日付)と話したと報道されています。この選挙で大勝して、中曽根氏は総裁任期も延長して続投します。
 私は当時、『戦後保守政治の転換―「86年体制」とは何か』という本を出して、中曽根政治の分析をしました。「戦後政治の総決算路線」をかかげた中曽根氏は、この時に軽武装・経済重視・消極的改憲路線から、軍事大国化・新自由主義経済・積極的改憲への大転換を果たしたのです。
 問題は、この背後でひそかに、政策面や選挙支援など統一協会・勝共連合の「魔の手」が広く及んでいたことです。
 韓国発祥の統一協会がこれだけ日本の政治に食い込み、政策を左右するというのは、まさに「内政干渉」です。彼らはその後の各内閣にも政策提言を出している。歴代の自民党政権と統一協会・勝共連合の深い闇の関係をあらいざらい明らかにしなければなりません。


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