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4月29日(水) 労働組合に何ができるか-恐慌下、大量解雇と貧困のなかで(1) [論攷]

 先週の月曜日(4月20日)に、レイバーネット日本の4月例会で話をしました。今回、その講演録がレイバーネットのサイトにアップされました。
 そのテーマは、「労働組合に何ができるか-恐慌下、大量解雇と貧困のなかで」http://www.labornetjp.org/news/2009/0429kouenというもので、約1時間20分ほどの講演です。
 レイバーネットのサイトに行けば読むことができますが、それが面倒だという方がおられるかもしれません。同じものを3回に分けて、ここでアップさせていただきます。

労働組合に何ができるか-恐慌下、大量解雇と貧困のなかで

<はじめに>

 本日のテーマは「労働組合に何ができるか」というものですが、そう言われましても、私は一介の研究者にすぎず、現場のことはよく知りません。「何をなすべきか」という論稿がレーニンにありますが、これに倣って、現在のような状況の下で組合がどういう可能性・課題をもっているのか、何をすべきなのかを中心にお話をし、何ができるかについては、それを参考に皆さんでお考えいただく、発見していただくということにしたいと思います。そのために、今日の私の話がお役にたてば幸いです。

 人間というのは、見たくないものは見えません。見ようとする時、初めて見えるという場合が多いわけでして、発見というのは状況をただ漠然と眺めているだけではできない。新しい運動の芽や可能性を発見するような“目”を養っていただきたいと思います。そのために参考になるような話ができれば、と思っています。

Ⅰ 増幅された日本の危機―金融危機+構造改革

1、小泉構造改革の罪

 さて、現在、国際的な金融・経済危機が大問題になっています。それが日本に波及するという形で、昨年の秋から大きな経済問題、雇用問題が発生しました。これには、大きな二つの背景があるのではないでしょうか。日本の場合、それが特に大きな問題を抱えることになった原因であると思います。

 昨年第四四半期のGDP成長率は年率換算ですが、日本はマイナス12・1パーセント、アメリカがマイナス6・2パーセント、ユーロ圏がマイナス5・7パーセントです。おかしいじゃありませんか。発生源はアメリカのリーマン・ショックです。リーマン・ブラザースという証券業界第四位の会社が破綻したことから始まった。昨年の9月15日です。震源地がアメリカなのに、そのマイナスが6・2パーセントで、波及した日本が2倍近くもマイナスだというのは、一体どういうことなのでしょうか。ここから、話をはじめたいと思います。

 日本の第四四半期のGDP成長率がアメリカ以上の落ち込みとなったのは、経済危機が増幅されたからです。アメリカから危機がやってくる前に、すでに日本は危機にさらされていました。内なる危機が日本経済や産業社会を蝕んでいたからです。すでに病気になって体力が弱っていた時に、外から猛烈な嵐が吹き付けてきた。だから、日本経済はひとたまりもなくひっくりかえってしまいました。回復も、アメリカやユーロ圏よりも遅いと見られています。IMFの今年の経済成長、GDPの予測では、日本は主な先進国の中では一番遅い、落ち込みが大きいとされています。なぜそうなのでしょうか。内なる危機とは、いったい何だったのでしょうか。

 それは、小泉構造改革です。金融危機が発生する前に、構造改革という病気によって日本の経済や産業社会、日本人の生活が蝕まれ、ガタがきていたと思います。これを生みだしたのが、小泉さんの大きな罪です。

 その罪の一つは、「自己責任」に基づく「痛みの受容」です。「公(おおやけ)」がどんどん後景に退いていく。むき出しの私利私欲で、規範やルール、法律などが無視され、経営者としての矜持や信頼、信用がどんどん無視されるようになっていってしまった。法律が変えられ、規則や規制が緩和されていっただけでなく、金儲けが最善なのだと、お金があれば何でもできるんだという、そういう哲学・イデオロギーが広範囲いきわたっていきました。それに対して、公的なルールや規範が弱まっていった。いってみれば、金融や経済の論理が前面に出て、政治の論理が後景に退いてしまったということだろうと思います。

 二つ目は、「官から民へ」という民営化による「新得権益」の発生です。「新得権益」というのは私の作った言葉ですが、よく言われるのが「既得権益」ですよね。規制緩和や「官から民へ」に反対する官僚は既得権益を守ろうとしているのではないかと言われます。既に持っている権益のことを「既得権益」という。これに対して「新得権益」というのは、あらたに発生した権益のことです。規制緩和し民営化することによって様々な新しい権益が発生した。それはどういうものかというと、最近知られるようになったのが、「かんぽの宿」問題。郵政民営化によって生じた「新得権益」です。安く手に入れて高く売り払う、オリックスが問題になっていますが、それ以前にも1万円で買った宿を6千万円で売る。めちゃくちゃな利益じゃありませんか。オリックスの宮内さんは、こういう規制緩和をすすめるために旗をふってきたわけですが、抜け目なくちゃんと儲けている。様々なビジネス・チャンスを生み出し、それを自らが利用する。一つの例がいま言った「かんぽの宿」問題。すでにかなり儲けたのが、自動車のリース業。タクシーの規制緩和でどんどん参入される。車が足りなくなる。足りないなら、こっちにあるよと車を貸す。それで儲けました。宮内さんは十年間ほど、総合規制改革会議などの規制緩和を推進する会議のトップであり続けた。そういう中で新しい権益を発生させ、ビジネス・チャンスをつかむことで急成長した。「平成の政商」といわれています。政治を利用しながら、規制緩和や民営化の波にのってビジネス・チャンスを拡大し、企業を急成長させました。「ホリエモン」や村上ファンドなども新自由主義的な構造改革の申し子といえるかもしれません。新自由主義政策とマネーゲームによって大きな利益を得たといえるでしょう。

 第三に、こういうなかでコミュニティーにおける「ヘソ」の喪失が生じました。地方や地域社会の核が解体していく。地方におけるコミュニティーの中心がなくなり、より大きなところに集中するという傾向があります。村がなくなり、役場がなくなって出張所になる。本庁に行かなければならない。鉄道の駅が廃止されて停留所になってしまった。郵便局がなくなり学校も少子化で廃校になる。昔の村の中心だった所がだんだんさびれていく。

 さらに、小泉さんが進めた「三位一体改革」によって地方財政が弱体化する。地方が衰退する。昨日、市長選挙がありまして、現職が敗れるという形でかなり番狂わせがおきています。今日の『朝日新聞』には、「地方選、にじむ党勢」ということで、「合併で組織ゆるみ苦戦」と報道されています。自民党の地方組織が弱体化してきているというのです。07年の参議院選挙で、自民党が選挙区でかなり負けました。地方の衰退が背景にあるのではないかということで、危機感をもったわけですが、その傾向は今も続いています。こういう形で、構造改革によって様々な問題が生じていた。日本の経済と社会が壊れつつあったということです。

2、規制緩和による労働の破壊

 同時に、雇用と労働の破壊も進みました。規制緩和は労働市場政策と労働時間政策の二つの分野で具体化されましたが、着実に進んだのは労働市場の規制緩和です。労働者派遣法の制定から始まり、99年に質的な転換、ポジティブリストからネガティブリストへという形で、基本的に禁止し例外として認めるというやり方から、基本的に解禁し例外として禁止するやり方に変わりました。こういう形で、労働市場の規制緩和は着実に進み、非正規化が進行した。今日では雇用者の三分の一を超えています。パートタイム労働者が一番多いですが、特に製造業への派遣が解禁された2004年以降、派遣労働者も非常に増えてきました。

 他方で、労働時間管理の規制緩和も、制度的にはある程度進みました。裁量労働制だとか、みなし労働時間などの新しい制度ができて、労働時間の規制、管理がゆるくなった。ゆるくなったけれど、裁量労働制などは、労働組合の抵抗や野党の反対で使いにくい制度にすることに成功した。そのために、新たに正面突破が考えられた。これがホワイトカラー・エグゼンプション制度の導入問題です。管理職手前の、責任があって比較的収入が高い中堅ホワイトカラーを時間管理からはずそう(エグゼンプション)というわけです。年収700万円とかいっていましたが、日本経団連の提案では年収400万円です。中堅の人たちはみんな労働時間管理から外す。こういうことを狙ったのですが、失敗しました。2007年1月の「労働国会」に出そうとしたのですが、その前の12月に労働政策審議会のなかで労働側が反対し、両論併記になった。最終的に安倍首相がこのまま出したらまずいと、夏に参議院選挙がありましたから、選挙に負けるんじゃないかと。公明党も選挙になったら批判されるだろうと懸念した。それで、これを提案するのをやめたわけです。

 このように、労働の規制緩和はずっとやられっぱなしだったのではないかと思われていますが、必ずしもそうではありません。労働時間の緩和に対してはかなり抵抗しましたし、最後はホワイトカラー・エグゼンプションの導入を阻止した。たとえば、解雇規制の問題でも、解雇規制を緩和しようという動きがあり、整理解雇四要件がきつすぎるから、労働基準法に「経営者は解雇する権利がある」と書き込もうとした。しかし、これも反対運動でふっとばしました。

 労働時間規制の問題では、確かに、ホワイトカラー・エグゼンプションという正面突破の攻撃は跳ね返しましたが、いろんな抜け道を経営側が編み出してきたということも事実です。「名ばかり管理職」や「名ばかり店長」とかの問題です。管理職手当てなどお金を上乗せするから残業代をかんべんしてくれということで、残業代を払うかわりに管理職手当てを出した。しかし、これは引き合わないほどの低額でした。

 まだ、これは少額でも払っているからましだと言えるかもしれません。もっとひどいのは「サービス残業」(不払い残業)です。07年のサービス残業は、合計100万円以上で問題とされ摘発された企業が1728社もある。対象労働者数は約18万人。支払われた合計額は272億円で、これだけちょろまかしたというわけです。これは100万円以上の数字で、100万円以下は入っていません。だから、もっと幅広く多くの企業の多くの労働者がちょろまかされ、多額の残業代が未払いになっています。企業平均で1577万円、労働者平均で15万円です。07年度は前年度より49社増えました。サービス残業は問題だと、これだけ報道され批判されているにもかかわらず、企業の側は性懲りも無く続けているというわけです。厳しく批判されなければなりません。

 このサービス残業というのは、外国から労働問題の研究者が来ると困ります。説明しても理解してもらえない。お金を払ってもらえないのに、なぜ働くのか。強制された自発性というか、内なる強制力といいますか、そういうものでマインド・コントロールされてしまう労働者がいるということだと思うのでが、それが理解不能なのです。日本における企業社会としての規範力、働かなくちゃならないという力がものすごく強い。逆に言えば、労働者はまじめに働いているということかもしれない。働かせる構造があり、働いてしまう心理があるということです。しかし、それが外国人にはわからない。そういう点では、プライベートな生活をどう考えるか、生活のあり方に対する意識ですね、その考え方が違うのかもしれない。もっと外国人に理解されないのは、過労死です。何で死ぬまで働くのだと。過労死する方は、今でも一万人くらいいると推定されています。最近、労災としての認定率は上がっていますが、しかし、これもある種のワーカホリック状態になってしまうのかもしれません。本人にはストップできない、まわりの人が止めてあげなければなりません。これは問題になってから、もう20年以上になります。過労死弁護団全国連絡会議がありますが、できたのは1988年でした。21年目に入っています。問題になった88年にオギャーと生まれてお父さんが過労死した子どもが、いまや成人になって働きに出て過労死するかという年齢になっている。それだけの時間が経っているにもかかわらず、この問題は未だに解決されていません。

 今、職場で大きな問題になっているのは、メンタルヘルス不全の問題です。精神疾患、過労自殺もある。心が病んで自ら死を選んでしまう。働き方が厳しくなって、ゆとりがなくなり、成果・業績が要求される。しかも短期間で。アメリカ方式が導入され、それが労働者をしばり、同時に経営者もしばったということでしょう。経営者がこのようなアメリカ仕込みの経営方式にしばられた結果、雇用削減を優先してしまったということです。失われた10年の中で、リストラした企業の方が評価が高いとか、株価を下げて配当金が少なくなると企業の評価が下がって経営者としての能力が問われるとかという形になりました。90年代の後半から今世紀にかけて、アメリカ的な経営スタイルが入るなかで、そういう形になってしまった。そういう点では、日本の経営者の考え方も大きく変化してきました。

3、貧困化と格差の拡大

 サービス残業と過労に続いて、三つ目の問題があります。外国から来た人、特にヨーロッパから来た人には理解できないのが、ワーキングプアの問題でしょう。働いているのに生活できないとはどういうことか。だって、生活するために働いているのじゃないか、どうして働いているのに生活できないんだ、と。逆に、EU諸国の場合には、働いていないのに生活できる。雇用保険、失業手当がきちっと出るからです。

 ヨーロッパには、失業する自由がある。日本には失業する自由がない。失業すると路頭に迷ってしまうからです。貯金できるほど給料をもらっていない。クビになったら家を追い出される。クビになっても家を追い出されなければ問題は発生しません。家を出されても貯金があれば問題は発生しません。貯金がなくても失業手当がもらえれば問題は発生しません。失業手当がなくてもすぐに新しい仕事があれば問題は発生しません。そのすべてがないのです、この日本には。特に非正規の人には。これが日本の現実なのです。このような劣悪な労働環境の問題が、誰にでも分かるような明瞭な形で、今回、表に出てしまいました。

 失業率で比較すると、日本は改善されてきたといわれます。労働者派遣の拡大で仕事ができたじゃないかというわけです。日本の失業率は低下して4パーセント前後なのに、ヨーロッパは10パーセントを超えていると。しかし、そこには裏があります。その4パーセントの失業率で、働いている人の多くがワーキングプアなのです。年収200万以下が1030万人もいる。働いても食えない、生活できない人々です。ヨーロッパの場合、たしかに失業率は高いかもしれない。しかし、失業手当が長期に出て、その間に職業訓練を受けて新しい仕事につくことができる。だから、職を失うことが恐くない。職を失っても生活できるし、別のもっといい仕事につくことができる。こういう国では、労働条件を低下させることはできません。給料が低い、労働条件が悪いということであれば、すぐにやめて別の仕事に就いてしまうからです。

 土曜日に「フェミニスト経済学会」という学会の大会に行きまして、報告を聞いて目からうろこが落ちた気がしました。日本は離婚できない社会だというのです。母子家庭になったら生活できないから、どんなに暴力をふるわれても、どんなにひどい父親でも母子家庭になるのが恐くて離婚できないというわけです。家庭内で暴力をふるわれたら離婚すればいいじゃないか、何で暴力をふるわれてまで一緒に生活しているのだと思うかもしれないが、そうしないと食っていけない。ひどいダンナでも稼いで多少生活費を入れてくれれば、なんとかなると。

 でも、十分な生活費を入れないという場合もあります。しかたなく、サラ金に手を出す。サラ金は、最後の生活保障の手段だというのです。だけどそのことは、ダンナに言えない。そういう奥さんたちをサラ金は食い物にする。そういう人たちを、サラ金業者は「DN層」と呼ぶんだそうです。「ダンナに内緒」でお金を借りる人々。こういう人は絶対に返そうとするから、取りっぱぐれはない。ばれたらたいへんなことになるから。

 このような事情で離婚できない。それは、失業できないのと同じことです。失業できない社会は労働者にとってたいへんつらい社会です。同じように、配偶者から暴力をふるわれても離婚できないような社会もとってもつらい社会だと言うべきでしょう。

 こういう形で貧困化が進んでいる。今の格差の拡大は、下が落ちることで拡大している点に問題があります。貧しいものが富むというのであれば結構です。それ以上に富める者が富むという形での格差拡大であれば問題は多くない。しかし、貧しいものがさらに貧しくなるという形で格差が拡大しているところに問題があります。

 この問題を一挙に解決するには、下層の所得を上げる以外にない。貧困化の解決で格差を解消することが求められているということです。それは同時に、可処分所得の減少による内需の停滞を逆転させる道でもあります。貧困化が内需の停滞を招き、ものが売れないからますます貧困化が進むという負のスパイラルから脱却しなければなりません。日本がこれだけ急速に落ち込んだのは、外需依存だったからです。特に自動車は典型的で、北米市場に依存していました。これが一挙にアウトとなり、業績が悪化しました。これからの回復が課題ですが、その場合でも、いかに内需の拡大を伴う形で回復するかがひとつのポイントでしょう。

 このように、日本の経済、産業社会がずたずたになっている時に、リーマン・ショックで外から大嵐が吹きつけてきた。したがって、今解決すべきことは二つあります。当面の課題と中・長期的な課題です。当面は、金融・経済政策を通じて、世界恐慌とも言われるような問題を解決しなければなりません。そして、そのことを通じて、中・長期的な日本経済の底上げを図っていくことが必要です。不況を克服して内需を建て直し、負のスパイラルを逆転させることによって、構造改革で痛めつけられた経済や産業社会を再建していく。これらが、これからの大きな課題になるだろうと思います。

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