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3月23日(水) 原子力発電と正力松太郎、読売新聞、米CIAをめぐる裏面史 [災害]

 昨日のブログで、有馬哲夫『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史 』(新潮新書、2008年)を紹介しました。実は、このときには本が手元になく、ネットに出ていた宣伝文句を紹介させていただきました。
 その後、研究所に出勤して、以前に読んだことのあるこの本を手にしました。皆さんにも読んでいただければ良いのですが、私の興味を引いた部分を2箇所、以下に紹介することにします。本書を読むうえでの参考にしていただければ幸いです。

 まず、有馬さんは、本書の第1章「なぜ正力が原子力だったのか」で、次のように書いています。

 当時の時代状況のなかでは、正力にとっての原子力発電は戦前の新聞に似ていた。つまり、それを手に入れれば、てっとりばやく財界と政界に影響力を持つことができる。いや、直接政治資金と派閥が手に入るという点で、新聞以上の切り札だった。
 さらに、正力はアメリカの情報機関(国務省、合衆国情報局、CIA、国防総省)が第5福竜丸事件以来大変な窮地に追い込まれており、日本の反原子力・反米世論の高まりを沈静化させるために必死になっているという情報を得ていた。テレビを導入したときと同様、自分が手を挙げさえすれば、アメリカ側の強力な支援が得られ、「原子力の父」になれるという感触を得た。老新聞王はこれ以後この原子力導入という切り札を使ってなんとか総理大臣になろうと執念を燃やすのだ。(前掲書、35頁)

 正力が原子力に関わるようになったのは、「てっとりばやく財界と政界に影響力を持つ」ためであり、「直接政治資金と派閥が手に入る」からだったというのです。つまり、特定の政治的目的を達成するために、原子力を利用したわけです。
「総理大臣になろうと執念を燃やす」正力にとっては、そのために役立つものなら何でも良かったのです。原子力発電の危険性など、問題ではなかったということでしょう。
 その結果、どのような事故や惨事が引き起こされようと、それは正力にとってはどうでも良いことだったにちがいありません。このような人物が、日本における「原子力の父」だったのですから、安全性が軽視され、それが二の次三の次とされたのも当然でしょう。

 もう一つ、ここには重要な点が示唆されています。それは、対米従属の発想と構造が持っている問題性です。正力にとっては、「アメリカ側の強力な支援が得られ」ることが何よりも重要であり、本書第2章が「政治カードとしての原子力」となっているように、原子力はそのための格好の「政治カード」でした。
 当時のアメリカは、原爆の開発で得た原子力関連の技術を「積極的に同盟国と第三世界に供与し」、「これを誘い水として第三世界を自陣営にとりこみ、それによって東側諸国に対する優位を確立」(40頁)しようとしていたからです。
 このような意図を持ってCIAなどの「アメリカの情報機関」は対日工作を強め、これに「手を挙げ」たのが正力でした。対日世論工作のエージェントとなることも厭わず、「原子力導入という切り札を使ってなんとか総理大臣になろうと執念を燃や」していたからです。

 また、有馬さんは、第4章の「博覧会で世論を変えよ」でも、次のように書いています。

 つまり、「反日本共産党工作」のプロデュースや「重要なターゲットに対する諜報」に対する「数千の(讀賣)記者のマンパワー」の提供などで、正力はCIAに協力したということだ。しかも、正力の協力によって可能になった「まず新聞で始め、状況が許せばラジオやテレビに広げていくこのスキーム」をCIAは、「心理戦として高い可能性を持っている」と評価している。
 両者の関係はこのように「十分成熟したものになった」ので、CIAはそれまでのように自分の側にのみ利益がある作戦ではなく、正力の側にも大いに利益がある共同作戦を提案してきた。しかも、正力がCIAのために重ねてきた貢献に対するご褒美として、この作戦の費用はほとんどアメリカ持ちであった。それが1955年11月から始まった「原子力平和利用博覧会」だった。(同前、115~116頁)

 正力は読売新聞の記者を動員して「反日本共産党工作」を行い、CIAの心理戦に協力していました。自国のマスコミを動員して他国の情報戦略に加担していた「売国奴」と言うべきでしょう。
 その「ご褒美」として、「費用はほとんどアメリカ持ち」でした。金のために日本を売ったと言うべきでしょう。
 このような「正力の側にも大いに利益がある共同作戦」こそ、「1955年11月から始まった『原子力平和利用博覧会』」でした。その「原子力平和利用」の行きついた先に、福島第1原子力発電所が聳えていたというわけです。

 このような正力の発想と構造は、その後、克服されたのでしょうか。「『反日本共産党工作』のプロデュースや『重要なターゲットに対する諜報』に対する『数千の(讀賣)記者のマンパワー』の提供など」は、過去のものとなったのでしょうか。
 決して、そうは思えません。『読売新聞』の論調や今回の福島原発の事故に対する報道に注意・警戒すべき充分な理由が、ここにあると言うべきでしょう。

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